○はじめに
伝統的鍼灸医学の治療は病症に対する治療法ではない。高血圧だからこういう治療法だ、慢性の疲労性症候があるからこういう治療法だとか、リウマチ症があるからこういう治療法だというものはない。
特に高血圧の病症については、血圧計が使用されたのが最近のことであり、それまでは血圧はどうやって測っていたのかということになるとないわけだ。この病症名は最近できた病症だろうということが言えるわけである。病症で治療するのではなく「証」によって治療すべきものである。
当時、高血圧症に対しての治療はどうしていたかというと、人迎洞が主流であった。頸部に人迎洞というところがある。そこに直接鍼を刺入する。そこは、軽く押さえると動悸がする。そこに置鍼するとたちどころに15くらい血圧が下がる。だいたい2番鍼か3番鍼を使用し5ミリ位刺入する。押手をはなすと鍼がピクピク動く。2、3分か5分くらい入れておくと確実に血圧が下がる。これが血圧の主とした治療法であった。この人迎洞置鍼治療は、ヘーリングの調圧神経叢とだいたい一致している。だから道理は合っているわけである。
確かに、この治療で血圧は下がるけれども、下がれば病症がとれるかというと、中々にそうはいかない。伝統鍼灸治療の基本は、血圧は下げるものではなく自然に下がるように治療することが基本である。
高血圧病症というのは古典文献にはない。では、治療はどうしたのかというと、例えば頭が重いとか、頚の辺がこるとか、足が冷えるとか、いろいろな病症を発症するからそれに治療を加えた。いわゆる病証に対処した。
この様に病証、病理はどうなっているかを考察すると高血圧病症の治療法というのは、基本的なことがわかれば全然難しくないと思う。
1.血圧について
現代医学がいう高血圧症とはどういうものか、それには第一次性と第二次性の高血圧症があって、本態性高血圧症が第一次性で約90%、10人いたら9人が本態性の高血圧である。あとは昇降性といわれる。特に昇降性は腎臓性高血圧症というのが一番多いようだ。血圧が高くなるということは、高くなる形態にもいろいろあり、最高血圧だけ、いわゆる収縮期血圧だけが高くなり最低は大したことはない病症と、最低と最高が高くなる病症がある。大きく分けるとその2つある。
脉状では、血圧が高いのに脉がそんなにかたくない、脉が浮いていない、このような高血圧も当然ある。また、脉がかたくて浮いているという高血圧病症もある。一番気をつける病症は、最低と最高血圧が高い場合である。これは30歳代から40歳、50歳代の働き盛りのひとに多発する高血圧症だと言われている。これが腎性高血圧症とか、心臓病とかいろいろなものに移行する厄介な病症である。
本態性高血圧症は、最低血圧がそんなに高くない、最低血圧が高くないということは心臓負担がそんなに重くない。体質といってしまえばそれまでであるが・・・。
最低と最高、最低だけが高くて最高は大したことはないと問題である。最低血圧が高いのはどれ位からが高いかというと、やはり95以上が最低血圧では高血圧だと言われている。95以上の血圧があって脉状に緊張感がないとか、いかにも血圧なんか高くないような脉をしている場合が問題である。
循環器病症は高血圧病症が基本で、血圧が上昇することによって付随的に起る心臓病とか腎臓病とか甲状腺の機能障害だとか肝臓の関係の病気だとか泌尿器の病気というぐあいにすべてからんでくる。その基本は血圧上昇にある。
では血圧上昇はどのようにして起るのか。伝統鍼灸医学では、病気を診断する物差しは陰陽である。この陰陽を踏まえた寒熱論が重要である。陰陽というものさしを基本において寒熱をみていく。
では、血圧が上昇するというのはどういう病理かというと心が旺気することである。胸に熱がたまる。胸に熱がたまると血圧が上がる。その場合は必ず足が冷える。足が冷える逆気病症。足の冷えが上に上がって胸に熱を持つと血圧を上げる準備ができる。ただこれだけでは血圧は簡単には上がらない。その他にもいろいろな条件があるわけだ。胸に熱がたまって手足が冷える場合もあるし、足が冷えて胸に熱があるが手はそんなに冷えていない場合。下半身から下腹部まで冷えていて胸に熱がたまって血圧が上昇する症状もある。体質的な血圧上昇というものもある。
脉状は、胸に熱があって足が冷えている病症は津液の不足が原因である。津液不足の脉というのは、渋る脉、嗇にして堅い脉状。嗇脉で若干浮いてきたら血圧は上がっていると思う。
治療室に来院する患者は薬を服用している場合が多い。降圧剤を飲んでいる。その他いろいろな薬を飲んでいる。薬を飲むと湿邪になるから脉は沈む。本来でしたら浮かぶべき脉が沈む。純然たる高血圧病症の脉は、脉が渋って津液不足を発症してなおかつ心臓に熱がたまるから脉が浮くのだが、服薬すると脉が沈む。臨床的に多いのは、脉が沈んで?、そして数を帯びている。こういう病症が多いわけである。
2.証について
高血圧病症の治療は、腎虚陰虚証が基本証である。そして肝虚陰虚証、ときには肺虚肝実証もある。だいたいこの3つが基本で高血圧を主訴とする病症には対処できると思う。
体質的には、赤ら顔で頚が短くて鳩胸でがっちりしていて大食漢が多い。これは脾虚胃実証が多い。脾虚胃実証の場合は病気がどんどん進行していくと腎虚陰虚証に移行する場合がある。脾虚胃実証タイプの高血圧病症は、手足末端の細動脈まで硬化して血圧を上げている。心に熱がこもって血圧を上げている。この病症は進行すると腎臓性の諸病症や腎不全を発症することが考えられる。体質的にみて卒中体質であるから心臓病も併発する。下手をするとホルモン系の病気も発症しやすい。要するに半身不随になって車椅子でというような、また、寝たきりというかたちをとるのはだいたいこのような大食漢というか、ばりばり働く、特に若いときから血圧が上がっている病症がいちばん怖い。この場合の脉は、明らかに浮いて堅い。
3.病理について
高血圧病症の病理の基本は、胸に熱がたまるということである。いわゆる心旺である。心に熱がたまる。心に熱がたまる状態は腎が虚すこと。腎が虚すということは津液が不足するということになる。要するに脾が津液を吸い上げてしまう。多くの場合、腎が虚すと同時に肝も虚す。肝腎共に虚して心に熱がこもる。このような病症があらわれる。しかし、このような病症は陰虚証であるから虚熱としての病症があらわれる。治療としてはまあまあやりやすいが、これが慢性的に移行すると?血が絡んでくる。?血は肝に停滞するから肺虚肝実証になる場合がある。
病理としてはこの3つの診方がある。私の臨床にては、肺虚肝実証の高血圧症という症例はあまりないが、だいたい肝虚陰虚証か腎虚陰虚証というのが多いようだ。一概には言えないが、病理から考えると腎虚が基本になる。
4.心臓疾患について
心臓病には眞心痛と厥心痛というのがある。眞心痛というのは時間をおいて死んでしまうというのだから我々の治療室に来ないが、厥心痛というのは来院する。
厥心痛というのは、器質的な心臓病まではいかないが痛みはある。この病症は、心包経に寒邪が侵入したためにおこる。眞心痛の場合は時間をおいて死の転機をとる。厥心痛というのは、心に熱はこもるがこの場合は心経ではなく心包経に寒邪が侵入しておこるといわれる。
臨床の場で問題となるのは、心臓疾患は見当たらないが胸に何か不快なものがある、重く圧迫されるとか、動悸があるとか、胸の辺りがしびれるとか、ちょっと動くと息切れがするとかの症状を訴えてくる場合である。そのような病症の病理は腎虚が基本としてある。腎虚があるから心に熱がたまって動悸がするし、また胸がしびれるような心痺という症状がおきたりする。また、ちょっとした心配事があるとドキドキドキドキする、おどおどしてしまう。これも明らかに腎の虚である。腎虚によってドキドキする病症を現わす。この様な病症も高血圧症の不随病症として、腎が虚すために心が旺気して発症するのである。
5.賁豚気・征仲・驚気について
賁豚気という病症がある。
この病症は、一日に何回も何回もつき上げるような心臓の動悸がきて、今にも死ぬのではないかというような発作を繰り返す。賁豚気の病理は腎虚である。多くは、精神的に敏感で、すごい恐怖感も持っている。体質的にも神経質である。
賁豚気も腎虚。経穴は火穴を使うのが効果がある。選穴は2〜3穴で反応が顕著なところを使うようにもっていったほうがよい。
動悸の病症に?仲がある。
征仲という病症は、心臓疾患はないがドキドキドキドキと動悸が激しい症状である。こういう患者は多い。現代医学的には心臓神経症と言われるが、これも腎虚が基本となる、腎虚心旺で心に虚熱が来ている。?中穴への知熱灸が効果ありという。知熱灸は虚熱を取るから・・・・・。私がやるのは、関元とか中極の辺りに知熱大灸と言って、知熱灸の3、4倍位大きいものをそこへのせてやると非常に気持ちがいい。そうすると腎虚が補われて虚熱がとれ、意外と落ち着いてくる。
おもしろい症例がある。ドイツの女性が強い動悸を訴えて来院した。いろいろ聞いてみても大した病症はない。心臓神経症かな、なにかストレスでもあったのではないかと思い2、3回腎虚で治療したがなかなかよくならない。いろいろ聞いて原因が分かった。特製のベッドにあった。なにが特製かというと、シーツの下に足から頭にかけて電気敷布で常時あたたかくなるようになっていた。腰から下はあたためても良いが、胸まであたためていたんですね。ここに原因があったのだ。これも熱があるところに熱を与えた。これではいくら腎虚でやっても症状は取れない。それから、背中に大きなお灸をやっているひとがいる。これも動悸が発生するから、そのようなものも注意してやらなければならない。
ちょっとしたことでもすぐに驚く、驚気という病症。これも動悸の一種である。この病症も心の虚熱が原因である。心の虚熱をいかに阻止するかが治療の基本となる。
6.臨床上の注意と選穴について
循環器の病症、特に高血圧病症の基本は心旺にある。心旺、いわゆる心の虚熱。この心の虚熱がどのような形態で、どのような病因、病理で発症するかを診察していくと治療法が出てくる。
臨床の場では、手足が冷たい場合。手足が冷たくて血圧が高くて、脉はそんなに浮ではなく渋ってもいない。緊脉くらいのかたさ、そして呼吸困難だとか動悸などの症状を伴っている場合は注意しなければならない。それと、血圧が上昇する事は重篤な病症につながる場合が多い。例えば心筋梗塞、脳溢血や救急を要するような病症が含まれている場合があるから、必ず専門医の診察を受けるべきだと思う。
それから証については、腎虚陰虚証が基本となる。肝虚陰虚証や一時的には脾虚胃実証もある。それと、交通事故だとか生理不順で?血がたまって肺虚肝実証になる。このような証が考えられる。
証に応じた選穴は水穴と土穴と火穴、それがやはり中心じゃないかと思うが、選穴はその時の病症に応じて、そして経穴の反応を調べながらやったほうがよい。
治療においては、必ず行なった方が良いのは下腹部の治療である。知熱大灸・マグレイン・皮内鍼などや栄気に対する補法、そのようなものを入念にやったほうがよい。それと側頸部、へーリングの調圧神経叢ではないが、左右の側頸部から後頭部、ここはもう絶対に入念に緩めてやるべきである。ここを緩めるだけで血圧というのは安定してくる。下がってくる。なおかつ生活指導として食事療法など加えられればベターである。
7.症例
ここで、本態性高血圧症と診断された症例を報告する。
患者:65才の中小企業社長。
主訴:高血圧で動脈硬化もある。たえず頸肩部の頑固なこりと頭痛に悩まされている。狭心症の既往があり降圧剤を永年服用しているがこれを止めたいという。 来院時の病症:慢性の頸肩部のこりと頭重痛。下肢の冷え。咽喉部の乾燥感と不眠症があり特に寝つきが悪い。夜間排尿はない。食欲は旺盛である。血圧は降圧剤を服用しているので最高が140前後であり、最低は80である。
現病歴:高血圧症と診断されたのは10年前である。その時の血圧は、最高が190最低が90であつた。狭心症の発作は5年前である。頸肩部のこりと頭重痛や下肢の冷えは15年ぐらい前よりある。
所見:全体にずんぐりとした体型で顔面が上気したように赤いのが特に目立つ。喋り方は早く声は大きいほうである。多汗症でたえず頸や肩に汗をかいている。下肢は冷たい。胸部を中心として上焦に熱があり口渇を訴える。眼窩部が硬い。頭髪は薄くなっている。
脉証:全体に弦脉を帯び硬い脉状で浮いている。菽法では左関上の異常が目立つ。左右の寸口部の脉が大きく強い。
腹証:臍下が虚弱で左季肋下が硬く抵抗あり。胸部に虚熱がある。
証:肝虚陰虚証。
病理考察:慢性的病症と服薬等により血虚と津液不足となる。その為に下焦が冷え虚熱が上焦に昇り口渇や頭重痛等の病症を現す。この様な病理の基本は腎が虚しているからである。
治療:治療側は左。用鍼は銀の1寸2番(30ミリ18号鍼)を使用。左の陰谷と足三里に補鍼。脉診により腹部の関元に入念な補法を行う。側頸部の硬結を弛めて肩背部に瀉的に散鍼を施す。足部の指間筋の緊張を弛めて鍼治療は終了。腹部臍上の知熱大灸と左右の照海・足三里に小灸各3壮を行い一回目の治療を終了する。この様な治療を週2回の割合で5回続けると諸症がかなり改善してきた。その後も週1回ぐらいの治療を継続中である。
このような病症は多い。「なぜ私の血圧は高いのか」と患者さんに聞かれる事がある。そのような時は、漢方医学の病理では、腎の所有する津液、腎というのは水の臓器であり津液をいっぱいたくわえている。その津液があることによって体の熱をうまく調節をしているのだが、それがなんらかの原因で少なくなって、その為に虚熱という本当の熱ではないものが上がって、胸のところでつかえて、胸には心臓があるからそこで血圧を上げている。それを治療すると血圧が下がって症状もとれるのだと説明し臨床を進めるようにしている。
○まとめ
漢方はり治療は、血圧が高いから腎虚だという診かたはしない。いろいろな病症があって、例えば下腹が虚している、足が冷えている、むくみがある、夜間排尿が多い、なかなか寝つきが悪い、咽が乾く、耳がつまる、目の奥が重いというように腎に関係する病症により病理的に捉えて証を決め、それに対する手技・手法をやればよいのである。
高血圧症の場合その本体は何か、腎が何らかの状態で虚した為に腎気が虚すと津液も減少する。その為に虚熱が上がって心旺、心の旺気となり動悸、息切れ、そして血圧も上がってくる。その本体にはバリエーションがあって、肝腎が虚す場合もあるし、肺気が虚して肝実の?血からくるのもあるし、体質的な脾虚陽実証の場合もある。職業、生活環境によってもいろいろと違ってくると思う。それが臨床の実際である。