≪第2章≫ 研究・論考編

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研究−1

下合穴の臨床研究

1.はじめに                                        

伝統鍼灸の臨床実践にあっては、五行穴や五要穴の的確な選穴が臨床効果を上げるためには必須要件となる。 今回は日常臨床の場にて選穴応用が比較的に多い「下合穴」につき病理や病症を考察しながら報告する。                                             

2、臨床実践に於ける選穴の意義                                
臨床実践の場にあっては、用いる経穴は出来るだけ少数穴であり、鍼の刺激量も極軽く行う事が「気・血・津液」の調整を基本とした伝統鍼灸の臨床実践の基本であり、臨床の場に於ける選穴の意義もまさにここにある。                                         
選穴の基本要項は、経穴が独自に保有する病理・病症・脉証等を理解し、臨床実践を通して研修すのことにある。
3、下合穴の考察                                       
下合穴の実地臨床に於ける選穴の応用は、肝・腎・中下焦の病証に効果が顕著である。また、内傷性の有熱病症に対しても応用出来る経穴である。                           
下合穴の古典文献は、『霊枢』の邪気蔵府病形篇第5と本輸篇第2にある。            

〈霊枢・邪気蔵府病形篇第5〉                                 
『黄帝曰ク、栄兪ト合トハ各々名アルカ。                           
岐伯答テ曰ク、栄兪ハ外経ヲ治シ合ハ内府ヲ治スルナリ。                    
黄帝曰ク、内府ヲ治スルコト如何。 岐伯曰ク、之ヲ合ニ取ル也。                
黄帝曰く、合ハ各々名アルカ。                                
岐伯答ク曰く、胃ハ三里ニ合ス。大腸ノ合ハ巨虚ノ上廉ニ入ル。小腸ノ合ハ巨虚ノ下廉ニ入ル。三焦ノ合ハ委陽ニ入ル。膀胱ノ合ハ委ノ中央ニ入ル。胆ノ合ハ陽陵泉ニ入ル也。』             
『黄帝曰ク、願クバ六府ノ病ヲ聞カン。                           
岐怕答テ曰ク、・・・大腸ヲ病ムモノハ、・・巨虚上廉ニ取レ。胃ヲ病ムモノハ、・・之ヲ三里ニトル。小腸ヲ病ムモノハ、巨虚下廉ニ取レ。三焦ヲ病ムモノハ、・・委陽ニ取レ。膀胱ヲ病ムモノハ、・・委ノ中央ヲ取レ。胆ヲ病ムモノハ、・・其ノ寒熱スルモノハ陽陵泉ニ取ル。』        
この条文を整理すると次の様に解釈できる。                          
下合穴は蔵府病の内、府病を治する経穴である。そして、内府の病症に対応出来る下合穴は、胃病に対しては足三里。大腸の諸病には巨虚上廉。小腸の諸病症には巨虚下廉。上・中・下焦の諸病症には委陽。膀胱の諸病症には委中。胆の諸病症には陽陵泉を選穴するのである。               
ここで重要なことは蔵府病の診断法である。『霊枢』の本論篇には、各府病ごとに詳細な病症が記載されている。参考にすべきである。                                
私の臨床は、『難経』に基本を置き行っている。そこで、難経医学の蔵府病につき考察する。    
9難にては、府病は数脉で熱病症を現す。蔵病は遅脉で寒病症を現すものとしている。51難にては、府病は冷飲食を好み外向的な生活態度を欲する。蔵病は温かい飲食を好み内向的な生活態度を欲するもの としている。52難にては、府病はその病が一定の所に止まらずよく移行するのが特長である。
蔵病は その病が一定の所に止まり余り移行しないのが特長であるとする。その外にもあるが、これらの蔵府病の 診断点より弁別し下合穴を選穴するのである。                          
治療には補瀉の二法がある。この治療法については『霊枢』の本輸篇第2に次の様な記載がある。                                                                                                                            

〈霊枢・本輸篇第2〉                                     
『三焦ノ下ノ兪ハ足ノ大指ノ前、小腸ノ後ニアリ。膕中ノ外廉ニ出ズ。名ヅケテ委陽トイウ。是レ太陽ノ絡ナリ。手ノ少陽経ナリ。三焦ハ足ノ少陽、太陽ノ主ル所、太陽ノ別也。踝ヲ上ルコト五寸、別レテ入リテ臑腸ヲ貫キ、委陽ニ出テ太陽ニ正ニ並ビテ、入リテ膀胱ニ絡ウ。下焦ヲ約ス。          
実スルトキハ閉?シ、虚スルトキハ潰溺ス。潰溺スルトキハ之ヲ補イ、閉スルトキハ之ヲ瀉ス。』  
この条文を整理し意釈すると次の様に解釈できる。                       
ここでは三焦の病症に対する治療法のみが説明されている。小便不利の病症は実として委陽穴を瀉す。小便多利や流れ出る病症を虚として委陽穴を補すとしている。』                  
次に本輸篇を踏まえた下合穴の臨床運用につき考察する。                    
本輸篇が説く下合穴の臨床応用は、三焦病証の中の下焦病症である小便多利・不利の病症につきその運用法を解説している。                                     
三焦病証を虚実に分け、虚の病証に対しては補法を、実の病証に対しては瀉法を行う事をはっきりと打ち出したのである。この点は非常に重要な所である。                       
邪気蔵府病形篇にては、下合穴の主治は府病の病証に対して選穴する事が中心であった。そして、この府病の病症は主として「熱病症」であり、手法も瀉法」が中心である。               
この様なことより考察すると、本輸篇の臨床運用は大変な進歩である。確かに本輸篇の下合穴の臨床運用は、三焦の下合穴「委陽穴」についてのみ論を進めているが、この運用法よりその他の下合穴の臨床応用も追試出来るのである。      

4、臨床実践                                         
伝統鍼灸の臨床実践における基本要項としては、脉診は六部定位の脉状診を主とし、特に難経の菽法脉診を重視した。                                        
鍼運用に当たっては、銀鍼1寸1番(30ミリ16・18)と金・銀・銅の?鍼を基本的に使用。
治療は、証決定の段階で治療側を決め、右か左の一側治療を原則とし両側治療は行わない。鍼の深度も1ミリか2ミリを限度とし?鍼を多用した。                           
治療の効果判定は、病症の改善を第一とし次いで脉状・菽法の改善・腹証の改善、皮膚・肌肉の改善、特に肩頚背部を中心とした皮膚・肌肉・筋の緊張の緩解等を目標に臨床研究を行った。        

5、症例報告                                         

(1例)                                           
患者:45才の主婦                                    
既往歴と病症:生来虚弱体質にして痩形、かぜひき易く冷症、乳癌発病により左乳房摘出。全身倦怠感・寒証にして手足厥冷・頭重・頸肩部のコリや不快感・上肢のシビレ感・皮膚枯燥して冷たい・その他にも不定愁訴あり。                                       
脉状:全体が沈虚の脉状。菽法では左右の尺部の位置が低く脉状が硬い。そして遅脉が特徴である。
証:腎虚陽虚証                                       
治療側:右側                                        
本治法:銀鍼1寸1番(30ミリ16)を使用。                        
陽気不足と虚冷の為に右、然谷(栄火穴)に時間をかけた補鍼。脉診により菽法の位置改善と腎肺の調うを確認し陽経に移る。難経64難の選穴法により、右の委陽(三焦の下合穴)三里(胃経の下合穴)の補鍼。                               標治法:てい鍼(銅)を使用。                                
後頸部、左右天柱穴の補・肩背部の補鍼・右、腎兪、肺兪、命門の補鍼。円鍼にて肩背部と下肢膀胱経を補的に揩摩する。                                      
経過:3回の治療にて、手足の厥冷が取れ諸症が改善される。脉状も沈虚遅より浮虚の脉状となる。遅脉もかなり改善される。                                    
証:腎虚陰虚証                                       
本治法:選穴は難経69難の相生的選穴を応用。                       
右、復溜(経金穴)太淵(兪土原穴)の補鍼。陽経は右、委陽(下合穴)の補鍼。         
標治法:略                                         
経過:かぜには罹患はするが体重も増加し諸症良好となる。                    

(2例)                                          
患者:55才の男性、会社経営。                              
既往歴と病症:体重78キロのやや肥満型。生来は健康であるが冠状動脈不全の既往を持ち、以来健康維持には慎重になった。                                   
常に上気し顔面が紅潮。常習的な頑固な肩凝りがあり左が強い。動悸あり不安感を伴う。下肢厥冷と小便不利。軽い頭重痛。血圧は 高く降圧剤を長年服用。食欲は旺盛である。              
脉状:全体が浮滑にしてやや数脉。菽法は左関上・尺中の位置がやや高く問題あり。        
証:肝虚陰虚証                                       
治療側:左側                                        
本治法:銀鍼1寸2番(30ミリ18)を使用。                        
血虚による逆気病症に対して、左曲泉(合水穴)に補鍼。この補鍼により浮滑の脉状がかなり落ち着いた。陽経の治療は、難経64難の選穴法により左上巨虚(大腸の下合穴)の補鍼を行う。       
標治法:銅の?鍼を使用。                             
側頸部や後頭部の丁寧な補鍼。下肢の膀胱経と胆経の間の抵抗部を補鍼にて緩める。陽関・命門・中枢の補鍼。円鍼にて肩背部や 下肢後側全体を軽く揩摩する。                     
経過:この1回の治療にて諸症がかなり改善される。                      

(3例)                                          
患者:39才のOL                                    
既往歴と病症:生来健康であったが、子宮筋腫術後に逆気病証が発症し冷症・上気・不眠・食欲不振等に苦しむ。子宮を全摘し、下肢 厥冷・全身の倦怠感・頭重等の病症が悪化する。           
その他に不眠・口燥感・鼻塞り・眼精疲労・皮膚枯燥(温)・眩暈等の病症を訴える。       
脉状:全体が浮虚にして数脉。菽法は左右の関上部、特に右関上の位置が低く脉状も硬い。     
証:肝虚陰虚証。                                      
治療側:右側。                                       
本治法:銀鍼1寸1番(30ミリ16)を使用。                        
血虚に対して右曲泉(合水穴)に補鍼。脉診により右、陰谷(合水穴)にも補鍼を行う。この二穴の補 鍼により浮糢がかなり落ち着いた。                               
陽経は、大腸と胆経に問題あり。難経64難の選穴法より、右の上巨虚(大腸の下合穴)の補鍼を行 う。                                             
標治法:銀鍼1寸1番(30ミリ16)を使用。                        
後頭、後頸部を補的に丁寧にゆるめる。右、肝兪・腎兪、命門に補鍼。円鍼にて肩背部全体を軽く揩摩 する。                                            
経過:4回の治療にて諸症がかなり改善される。脉状も数脉がとれ、血虚による陰の虚熱も落ち着いた。
浮脉も中位にまとまり菽法も改善された。皮膚の枯燥感が取れツヤが出てきた。不眠や食欲等も改善され 眠れるようになった。治療継続中。                              

6、まとめ                                          
今日までの臨床経験より、下合穴を選穴して臨床効果が顕著なものは、肝・腎・中下焦の諸病症である。
特に委陽穴は中下焦病症、上巨虚穴は肝腎の病症、三里穴は腎脾の病症や陽虚病症に対して下合穴としての選穴が臨床的に有効性である事が、脉状の改善や訴える病症の緩解と消失等によりその一部が臨床の場で確認できた。                                       
特に臨床研修につき重要視した診察点は、頚肩部の形態変化である。この部の緊張緩解を重要視した。 この様な形態変化が脉状の改善と病症の緩解や改善につながる。腹証の改善、特に臍を中心とした形態変化も重要である。                                       
下巨虚・委中・陽陵泉穴については今後共研究を続けたい。                   
また、下合穴は急性の熱病症にもかなりな臨床効果を上げるものと思うが、まだまだ臨床の症例が少ない為はっきりとしたことは報告出来ない。今後の研究課題である。                 
下合穴という経穴を使われていない方が大多数だと思われる。(足の)胃経に三里・上巨虚・下巨虚の三つ、(足の)膀胱経に委中・委陽の二つ、胆経に陽陵泉があります。これは足の経絡以外は手に流注する陽経のものを求めたので「下合穴」と命名されている。「邪気蔵府病形篇」では熱病症を瀉したというのだが「本輸篇」では特に三焦病症でも下焦病症に対し補って効果があると記載されている。 今回はそれを臨床運用した。
例えば腎経の病症の場合を簡単に言う、下半身が冷えて小水が近いあるいは近いけれどあまり出ない・のどが渇く、この様な病症は必ず足が冷えて皮膚の表面が冷たくなる・朝方にのどが渇く・逆上せる。この様な病症は脉が必ず浮くものである。脉が
浮いていた場合には予後は良好であるが沈んでいる場合もある。そのような病症の場合に下合穴の委陽を使うというヒントが「本輸篇」にある。臨床の現場でそれを捉えて陽経の処理に委陽を取穴すると効果があった。  
下合穴は6穴あるが、委陽・三里・下巨虚・上巨虚ではかなりの効果を上げている。漢方鍼医会では日常臨床で使用している。ですから、陽経の選穴は1穴か2穴になることが多い。     
以上のことから、陽経にては下合穴をどのように臨床応用し効果を上げるかがポイントに臨床の場で研究中である。                                    

7、【質疑応答】                                
(福島)臨床の中で下合穴を使用されている先生方はおられるでしょうか。下合穴の使い方は?鍼が良い様ですが毫鍼でも良いです。我々の臨床では銅の?鍼がかなり効果を上げています。また銀の1番か2番での接触鍼は本当に効果が出ます。                              
伝統鍼灸の場合では全日本鍼灸の発表と違って理論的に薄いのではないかと批判がありますが、我々は臨床家でありますから臨床の場で効果を上げるのが一番大切です。いままでのことは「本輸篇」の中に出ているのです。これは我々が初めて使ったものではなく、九州の岩井先生は20年位前に運用法は若干違いますが使用されていることを学会誌などに発表されております。代田文誌先生の「鍼灸治療基礎学」にも下合穴のことが出ています。その場合には「傷寒論」とか漢方についてもそうなのですが高熱の場合に三里を瀉すという下合穴の使い方が出ています。                         
しかし、我々鍼灸の場合には実を瀉すということは確かにありますが、圧倒的に多いのは虚した病症に対する処置なのです。その場合に下合穴を用いると、今まで陽経に何穴を使って上手くいかなかったものが、例えば委陽を使えばスムーズに処置できたという症例が増えています。臨床の中で実際に行っていると色々な手応えが得られます。効果判定は脉状だけではなく、例えば頚肩背部が緩むとか、明らかに触ってみると胸の熱が取れる等、何を対象として効果判定を捉えて治療して行くのかということが臨床の重要点だと思います。  
(質問)下合穴6穴の紹介がありましたが、手の陽経の正式な合穴と下合穴の関係について、あるいは募穴との関係についてお調べになりましたか。            
(福島)募穴については調べていません。                          
(質問)そのようなことも我々は関心があります。                      
(福島)人間の能力には限界がありますので、一つの臨床を進めるの当たってはそれぞれのポイントをつかんでいくことが重要だと思います。我々の場合は脉を診て脉状の変化を捉え、脉が菽法で診て高い位置にあればその脉が下がるのが健康体へ近ずける方法ですから一つの目安とします。胸に手を当てて熱がある場合にはそれを取れなくてはならない。熱のために喉が何となくいがらっぽいような患者の自覚症状も取れなくてなりません。目を見ると目がちょっと赤い場合それが取れる。もう一つ顕著な反応として足の冷えが温かくなってくる。そのような場合には必ず脉状に変化があります。脉状の変化は募穴だけが全てではないと思います。確かに身体に変化が生じれば募穴にも変化は生じていると思われます。質問については追試していないのでお答えができません。                      
(質問)手の合穴についてはいかがですか。                      
(福島)手の合穴は馬王堆医経の「陰陽十一脈灸経」に、三焦経や大腸経は歯や耳の経脈というような記載があります。「十一脈灸経」には心包経の記載がありませんが、その記載では例えば三焦経なら手の三焦経の経絡上の病症に対しては使えると思われます。ところが「本輸篇」では何故わざわざ病症例を書いているのか。全体病症の場合は三焦の下合穴という考え方で委陽を取穴すると効果が上がります。それを我々は見つけて実践しているだけで、何も難しいことを考えてやっているわけではありません。
(質問)それは証とは全然関係がないのですか。                       
(福島)証とは大いに関係があります。三焦病症の場合は委陽穴を取りますが三焦病症の場合には概ね病症に上気や逆気症状があるものです。ところが症状があってもそれに見合った糢状を示さなく腹証を表さない場合が問題です。脉症不一致の場合です。我々はそのようなケースを診た時に簡単に考えず証を再検討して捉えなおす必要があると思います。                          
(質問)下合穴と左右の関係はいかがですか。                        
(福島)必ず一側治療をします。                              
(質問)どちらか一方ですか。                               
(福島)一方です。概ねは本治法の治療側が多いようです。中には反対、又は左右共に取穴する場合も希にあります。しかし、我々は一つのこだわりを持っています。治療とは調整でありますから両方を用いてしまうと調整にはなりませんので、必ず一側治療です。その様なことにこだわるなという先生もおられるでしょうが、我々はこだわって治療成績を上げているのですから片方が基本です。       
(質問)では、それは反応のある方となりますか。                      
(福島)経穴反応ですね。                                 
(質問)病症とは関係しますか。                              
(福島)病症とは関係しません。                              
(質問)ツボ反応だけですか。                               
(福島)腎虚の病症の場合はだいたい上の方に病症があり下が留守になっていますから左右を判定できないことが多いでしょう。                                  
(座長)時間ですし質問も出尽くしたようなので最後にまとめをお願いします。         
(福島)議論より実行です。これらの運用法は古典に記載されています。それも霊枢の初めの部分(第2篇)に出ているのです。これは何を意味するのか素直に考えて下さい。例えば虚熱があれば脉が浮いている時に色々試しても上手く行かない場合に陽経では委陽穴を探ってみると反応があります。そして、この場合に大切なことは鍼を刺入しないということです。接触鍼又は?鍼で十分効果があります。我々が初めて実行した時には「これほどの効果があるものか」と驚きました。それと経絡治療、我々は"漢方はり治療"と呼んでいますが経絡治療での鍼は浅いものですから。何故に浅いのかと言えば、気血津液の中で特に気の調整をするからです。このような下合穴の運用方法もあるということを臨床で困った時に応用して頂ければ幸いと思います。
(第25回日本経絡学会・1997年)

 

◆研究−2

表裏の臨床応用

1. はじめに
『素問』調経論では、病の土台には精気の虚があるというが、これが何のきっかけで病となり、どのような過程を経てわれわれの治療室までやってくるのだろうか。
生体の主要な器官は五蔵六府である。五蔵は精気を貯蔵するところ「蔵して瀉さず」であり、六府は受精泌濁の器官「瀉して蔵さず」である。このほかに経絡や奇恒の府がある。これらが分業し互いに組み合わされて生体の正常な生理活動が保たれている。
これら他蔵・他経との協調関係には相生関係、相剋関係などがあり、その流れで邪が移動したり又は形質的な変化があっても、これはあくまで五蔵間の生理のうち、いわゆる未病であるが、正常な関係が何らかの原因で崩れて、相侮・相乗の形がくると、これははっきりした病気ということになる。
ここではその病理現象を八綱理論の中の「表裏」と脉状の「浮沈」とに関連付けて、臨床に応用しようというのである。生理関係が崩れる原因、病気の推移、どのように証を決めて五蔵の正脉を作っていくか。全体がどうなっているかをまず捉えてから、各論に入っていこう。
表裏とは、病の深浅・病勢の動静・病状の経過や進退等の位置を表す。たとえば裏から表に病が移行する場合は予後良であるが、表にあった病が体力の消耗にともなって、裏に入ってしまうというのは、予後不良である。この表裏理論をさらに臨床応用するには、六経理論や三焦理論、四要理論(衛気営血弁証)の理解が必要となる。
また、表裏理論は一般には外感熱病に対して用いられるが、これからの「漢方はり治療」においては、内傷性の病症経過を見る為にも表裏理論が必要になってくると思われる。その意味でも今までの考え方の視野を拡大して、表裏を考えていきたい。
さて、表の位置の病症は気の病位の「外感病」、裏の位置の病症は血の病位の「形質の病症」と「五蔵六府の病変」とに分類できる。

2. 気の病位と病症「外感病」
生理的協調関係が何らかの原因で崩れたのが病であり、その原因は六淫の邪、つまり「風・熱・湿・燥・寒・火」である。これらがまず表を傷る。つまり外感病はすべて表の病症である。外感病で熱が出るというのはその人の抵抗力の度合いを示すものであり、中には「直中」といって、強い傷寒などが直接陰に入ってくることもあるが、これはその人の体力がかなり消耗しているか、もしくは突発的な環境変化(海外旅行など)に置かれたかである。

・風(木)
空気の流動現象。春の邪気。気候が正常である時は人体の養いになるが、気候が変動して大過または不及の現象が発生した時は疾病の原因になるのである。「風」が人体を傷る時は『賊風』となり、正気を損なう時は『虚邪』という。『賊風』は人体に抵抗力がある場合で、症状は発熱や頭痛など実的であり、治療は瀉法である。脉状は、肝木の大過脉の緊。『虚邪』は抵抗力が低下していた場合で、同じ頭痛や発熱でも症状は弱く、治療はまず補ってから邪を瀉すことになる。
病症の中心は頭痛。万病の基本として最も重要な邪である。
・熱(火)
天候が酷暑の現象。人体はこの激烈な温度環境の変化に一旦不適応となる。この時に『暑病』が発生する。夏の邪気。病症の中心は発熱。脉状は心火の大過脈の実ということになる。
・湿(土)
空気中に水分が過度に含まれ湿度が高くなった現象。長夏の季節には雨量が多く、土地が湿り、物がかびやすくなり、生体では脾の運化作用に影響が出る。病症としては飲食・労倦、つまり食思不振や倦怠感などが中心になる。
・燥(金)
湿と相反する性質を持つ。空気中に含まれている湿度が減少して起こる乾燥現象。秋の邪気。生体にあっては喉の渇き、病症の中心は咳嗽。
・寒(水)
気温の低下。冬の邪気。生体が寒気を感じると病に至る。病症の中心は悪寒。
これが表の病症=外感病の段階での、邪に対する人体における基本病症である。そして外感病に対する治療法は、邪気をとるということに尽きる。たとえば頭痛があるなら風邪を取る。風邪の脉は緊だから、その脉状が取れるように鍼をするということである。
六淫の邪のうち「風・熱・湿・燥・寒」を五気というが、五気は将来的にはすべて火に変化するという考え方がある。火とは熱が強くなったもので、風も寒もすべての邪が結局は火に収斂し、脉が陽に浮いて高熱・無汗、そして死の転帰をとるというのである。
また、子供の風邪治療は意外に簡単であることが多いが、これは外感病である。正気は充実しているので、邪気を取るだけでよく、首の後ろをちょこちょこと太目の針で瀉せば治る。

3. 血の病位の病症

1.形質の病証 

外感病の段階で病気が治らない時、病は血・形質の部位まで進む。この場合の六淫の邪に対する人体の反応は、外感病とは少し異なる。ただし、形質の段階では、邪は単品では入ってこない。たとえば風寒・風湿というように、必ず二つ三つの組になっている。これは傷寒論でいう雑病であり、内傷病である。病位は裏となる。

・風(木)
一時的あるいは長期にわたる機能亢進による経絡の破損。基本的に、陽経に邪が入った場合は痛みとして、陰経に入った場合は炎症として発症する。
・熱(火)
全身の熱が高熱として表に発散されないため、内熱病症を発症する。
・湿(土)
体内の水分が適度に排泄されないために寒熱現象を起こし、浮腫や関節の諸病症を発症する。膝や足首の腫れなどはこれである。
・燥(金)
湿邪の逆であり、渇き・体内の水分不足によりやはり寒熱現象を呈し、炎症も起こすが、最終的には冷えてきて、各種生理機能の異常・衰退を発症する。
・寒(水)
冷えにより、各種生理機能の衰退を発症する。具体的には食欲減退、体が重いなど。
・火(火)
五気の異常興奮により、熱が究極に厳しくなった状態であるから、生理機能がますます衰退し、病症は増悪、身体もやせてくる。裏は裏でも、かなり五蔵のほうまで入り込んでいるのである。
これら六淫の邪が組み合わさって血・形質の部位まで侵襲するから、当然病症も重複している。その発症・病変の進行経過を把握する基本理論は、三焦弁証理論と四要理論(衛・気・営・血)である。

三焦弁証と四要理論について
三焦弁証(上焦・中焦・下焦)と四要理論(衛気営血弁証)は、清代に体系化された『温病論』より臨床応用される。
「温病」という言葉は古く、漢代末『傷寒論』傷寒例第3に傷寒という考え方とともに登場している。
温病とはどういうものかということについては、池田政一氏の『傷寒論ハンドブック』に、秋冬の傷寒・冬温、春夏の温病・暑病・寒疫というようにわかりやすくまとめられているので、是非参照していただきたい。それから、宋・金代になると熱病という考え方が出てくる。すべて外感病である。清代になって葉天士により「温病学」がまとめられ、同時に衛気営血理論と三焦理論が確立、表裏理論が完成されることになる。

A三焦理論
温熱性病症の病状経過(軽・重・浅・深)の弁証。
1.上焦症状(表の病変)
対象:肺経と心包経・肺と心包の温熱病症
肺→気と皮毛
心包→血と神明
症状:悪寒と悪風(軽)・発熱・自汗・頭痛・口渇又は不渇・咳嗽
心包に熱伝→意識障害・うわごと・煩躁
脉状:浮滑数
2.中焦症状(裏の病変、栄養障害)
対象:胃経と脾経・胃と脾の温熱病症
胃→燥 脾→湿
症状:胃→高熱・多汗・上気・呼吸促迫・便秘・小便少・口渇
脾→潮熱・頭重・身体重く不食・小便不利
3.下焦症状(裏の病変、重篤)
対象:腎経と肝経・腎と肝の温熱病症
腎→陰と津液 肝→血
症状:腎→夜間煩躁・口渇不飲・咽喉痛・下痢・尿色赤変
肝→寒熱錯綜・心中痛・煩悶・不食口渇・下痢

B四要理論(衛気営血弁証)
外感温熱病症の弁証理論であり、六経弁証の基礎の上に発展した理論である。六経弁証と三焦弁証を補足する。
1.衛分症状(表証、上焦病の初期)
概念:温熱病の初期
皮毛に邪を受けて「衛気」の機能失調により発症。
肺の病症が多い。
症状:発熱・悪風・悪寒・鼻閉・咳嗽
脉状:浮
2.気分症状(裏証、中焦病)
概念:表邪が裏に入り発症。
正気と邪気の激しい抗争を展開し、「裏熱証」となる。
症状:高熱・口渇・尿色が濃い
脉状:滑数又は洪大
3.営分症状(裏証、中・下焦病)
概念:温熱病の極期、あるいは後期
邪が心包に伝入し発症。心神の病変が出現する。
症状:発熱・不眠・煩躁・意識障害・うわごと 舌質が赤絳(特徴)
脉状:細数
4.血分症状(裏証、下焦病)
概念:熱邪が血に入り発症。
心肝の機能失調(血分の損傷)。
腎の機能失調(腎陰の損傷)。
症状:発熱・狂妄・意識障害・うわごと・痙攣・引きつけ・吐血・鼻血・血便・舌質は暗紫色
脉状:細数または弦数

C病症の進行経過について
表裏理論は病の位置を表すが、病邪が形質に侵襲した病変の把握は、三焦・四要・四傷・病期・病機の諸理論を応用する。
1.表証
三焦理論では邪が下から上に行くのが表証で、予後良である。たとえば風邪治療でいえば、服薬などで下に沈んでいる脉が治療していくうちに上がってくると同時に、熱が出て発汗して治癒する、という形をとる。このように病症経過を脉状観察とあわせて理解していこうというのである。
同じく四要理論では、内から外つまり血分・営分あたりから衛分に邪が抜けていくのが予後良である。
邪は、表邪・陽邪であるから、熱・風・燥・湿。
このような病症経過を脉状観察と合わせて理解していきたい。
2.裏証
三焦理論で上から下、四要理論で外から内。邪がこういう伝変をとっている時は要注意、予後不良である。
邪は、裏邪・陰邪で、寒・湿・燥・中風。
3.四傷
気傷→血傷(栄養)→痰傷(津液)→鬱傷(精神)という病の経過の捉え方。
気傷はイコールではないが陽虚的な病症、血傷は食欲が無く少しやせてきた段階、痰傷とは津液が傷られている状態で、陰気のものが内に詰まっているわけだから臍が冷たく食欲不振・尿少・胸に熱があってやせてくるといった病症、鬱傷とは精神障害で五蔵の中の七神が傷られている状態で重症である。
4.病期
悪寒期(浅い)→発熱期(経絡・府・組織)→入営期(栄養)→傷陰期(五蔵)という病の経過の捉え方。
入営期というのは栄養状態でだんだんやせていくような段階、傷陰期は五蔵が完全に傷られた段階をいう。四傷も病期も同じようなことを言っているようだが、要はどこにポイントを置いているかということである。
5.病機
表れている諸病症より「本」を抽出し、弁証求因の根拠とする。病因の考え方は、六淫、七情、気血、八綱、六経、三焦、四要などである。
漢方はり治療は症状の除去が目的ではなく、病因を除き、その人の体力を増進することを目指している。『素問』陰陽応象大論に「病を治するには必ず本を求む」とあるように、病のおおもと、どこにその原因があるのかを探り当て、どの症状から取っていくかを決定する、これが病機という考え方であると理解して良いだろう。

 『図註脈訣』の15脉状や「季節に旺ずる脉状の流れ」(漢方鍼医第4号)もこの考え方で覚えると理解しやすい。たとえば15脉状では、五蔵に対してそれぞれ正脉・大過脉・不及脉が配当されている。肝の正脉は弦、大過脉は緊、不及脉は伏、という具合であるが、これを丸暗記するのでは意味が無い。常に病の経過と邪の所在を念頭に、現在邪はどこにあるのか、たとえば中焦に病がある場合はどのような脉を呈するのか、どの脉が病脉で、どの脉を取ることが症状が取れるということなのか。脉状というのは一つではなく、必ずいくつかの脉状が重なってひとつの脉の形を呈している、そのデータの一つが「季節に旺ずる脉状」であるが、これも冬なら「沈短にして敦」というような五蔵の正脉に近づけるのが治療ということになる。
ここまでが血の病位・形質の病症で、病はここからまだ深く入っていく。

D五蔵六府の病変
五蔵の中には七神(魂・神・思・慮・魄・精・志)が宿っていて、この七神が傷られた状態が五蔵の病である。よって、五蔵(六府、特に胃)の病症分類はこれまでの表裏・寒熱・虚実等で分析するのではなく、五蔵六府の生理活動と病理反応を基本に、七神を中心として、器官組織に現れた病変を分析・帰納演繹し、『証』につなげるのである。
<例:精神病>

4. まとめ
その人を今一番苦しめている邪がどこにあり、どういう具合に病は経過していくのか(表裏)。生命力はどういう状態か(寒熱)を見抜いて、証を決めて選経選穴につなげる。これをまとめるのは陰陽論であり、治療の段階では虚実で理解して鍼の補瀉を決定することになる。と、そういう具合に臨床で八綱を使っていこうというのである。
なかなか臨床の現場でこのようなことを見つけていくのは困難であるが、漢方はり治療の体系から考えていくと、意外に素直に入っていけるのではないだろうか。

<注>この講義は中医学、特に文化大革命以前にまとめられた考え方に基き、若干臨床に必要なものは現代中医学を参考にしている。
(漢方鍼医会・1998年)

 

研究−3

寒熱の臨床研究

1、はじめに
八綱の臨床考察ということで寒熱についてお話することになるんですが、寒熱というのは一般的には湯液のほうの考え方であり、鍼灸のほうでは六淫の邪ということで風、暑、湿、燥、寒、火つまり外因という形で寒熱を考えています。
この六淫の中にでてくる寒熱というのは病因であります。しかし、八綱の中に出てくる寒熱の考え方の基本は診断学、要するに病理考察の基本になるものです。このあたりを臨床の場でどのように考えて臨床実践に結びつけたらよいのか。この事はなにも難しい事ではなく患者の訴える病症を対象としてその場で考察をしていけば良いと思います。
臨床の場より寒熱を考えると、最近カゼがかなり流行っています。このカゼということを考えた場合、 昨年の暮れにかけてのカゼと今年に入ってからのカゼとでは、今年に入ってからのカゼの方がすこぶる経過が良い、これはもちろん証とか、そういう基本的なことがしっかりできての話ですが、現在はカゼが治り易いそういう時期に入っているということなのです。ところが昨年のカゼというのは、これは『傷寒論』から考えてもそうなんですが、治りにくいというような大気の流れというものがあります。最近は陽の光が全然違うんですね。確かに日中あたりは今日も寒かったけど、2月4日に立春になって大気の動きはもうまさに春なんです。春に入ってきているということはカゼに関して、つまり傷寒に関しての治療経過というものはかなりよくなっています。この様な事も寒熱をどのように診ていくかの一つの前提になろうかと思います。
先にも触れた様に「寒熱」というのは湯液の独壇場であったから、鍼灸治療のなかで寒熱というのは今までの臨床にはあまり取り上げられなかった。これは陰陽五行の考え方とか、六淫の邪だとか、病症の考え方とかいろんなことがあって取り上げなかったのです。軽視したわけではないですが、寒熱を弁別する? ということは熱に対しては冷やす薬方を与える、冷えに対しては温煦剤を与えるというような薬方上の診断においてどうしても寒熱というものが重要視されたというのが基本だと思います。
しかし、漢方鍼医会を作った時点で「八綱」を取り入れようという気構えがありまして、当然その中には表裏寒熱というものがあります。鍼灸の臨床応用の視点から考えると、この寒熱というものはないがしろにできないということでこの時間が設けられたのです。

2.寒熱の病理考察
寒熱を臨床応用する場合、まず六淫の邪つまり風、熱、湿、燥、寒、火という邪が体表から入ってきたときの病理というものを考えなければならない。
寒というのは陽気が不足した状態であり、熱というのは陽気過剰というか陽気が留まっている状態であります。これが基本的な考えになります。こういう考え方をする場合には臓腑を前提において考えるんです。するとそこに病理がでてくるわけです。今まで経絡治療でやってきた段階においては病因論としていたんですね。ところが八綱的な寒熱ということを考えるとこれが見事に診断学、病理学のほうに入ってくる。
この病理の大本はなにかというと気血・津液です。気がどうしたのか、血がどうしたのか、津液がどうしたのかということに繋がるのが病理の診方です。その一つの診方として寒熱というものが入ってくる。
それでこの寒熱というものと六淫の邪というものとをどのようにみていくかということになると、寒には寒邪と湿邪が入る。熱には熱邪、暑邪、燥邪、火邪が入る。六淫の邪の中で風だけが寒熱には入っていないんです。
風というのは「百病の長」と言ってすべてに影響する邪ですからそういうような分け方になります。これは多分に独断的なところがありますが、病症的とか病理的に考えるとあながち独断ではなくて、今まで六淫の邪ということで外邪というようなとらえ方でしたが、こういうような湿だとか暑だとか燥だとか、もちろん寒熱もそうですがこれが内傷として考えられるんです。
このような考え方は昔からありました。例えば、傷寒というのは寒邪が体表面から侵したものを言います。ところが中寒というのがあるんです。中寒というのは五行説で考えると腎にまず中るんです。これは臨床現場を考えていただいて、いまカゼが流行っています。この考え方を参考にして臨床実践すると治療? 効果も良いし、病証も診誤らないことになると思います。
しかし、脾胃に中る場合もあります。こういう病症は多いんです。このように傷寒と中寒とがあるのですから、湿にも内湿と外からの外湿というようなものがあるわけです。要するに内湿的な邪と外湿的な邪があるというわけです。梅雨時みたいなジメジメした時は明らかに外湿的ですが、そうではなくて水毒に? 侵された、薬を飲みすぎたとかこういうのは明らかに内湿です。当然燥邪にもそれがあります。これから? 花粉症が始まりますがこの花粉症をどのように理解するか。「温病」の考え方とか、「冬温」の考え方とか、「寒疫」の考え方とか、「傷暑」の考え方とかこれはやはり時期的によって色々考えないといけない。この花粉症は明らかに燥邪だと思いますが、燥邪がどのような形で入ってきているか。内燥的に入ってきているのか、それはまあこれからの研究課題になります。

とにかく寒の中には寒邪と湿邪があり、熱のほうには暑邪、燥邪、火邪、熱邪がありいずれにおいても外から入ってくるものと内から入ってくるものがあります。
この事を傷寒論的に考えますと、例えばマイナス45度の寒気団がきてその時にスカートをはいて出かけたら冷えちゃったというような、まああれは下から入ってくるけれども、傷寒的に体表から邪を受けると、これは条件があるんだけれども気虚と言うか体が弱い人、または脾胃が弱くて気血の生成が少ない? 人、腎なんかの弱い人って言うのは陰まで寒邪が入ってしまうんですね。普通、表面に寒邪が中ると表は熱になるんですよ。ところがそういう弱い人は寒邪が陰に入ってくると冷えになるんですね。これは臨床でいくらでもあることで、そういう理解のもとに病気をみていかないと、患者さんがカゼをひいたと、ああカゼだったらカゼの治療をしときましょうという形で治療をすると意外と誤治をする。そうじゃないんだね。そういうのは先程の補瀉論の中で虚弱体質とか、生命力の弱い人というのは邪が表から入って熱をだしてても、陰は冷えているんだから補わなければ駄目だ、温補しなければいけないというようなことが臨床の場では出てくると思うんです。それを陰から補って陽から瀉せばいいんだというような考え方じゃなく、寒邪も熱邪も表面から入るのと中から直接侵されるものもある。八綱の寒熱の重要点はここにあると思うんですね。
今までは外因ということで風、熱、湿、燥、寒、火という病因論として臨床の中で取り入れていた。ではその寒熱がどのような状態になったかという事、例えば下のほうに冷えがあって上のほうに熱がきているとか、そうじゃなくて表面が熱していて中が冷えているというように病理的にどう考えていくかということが八綱における寒熱の診方ではないかと思います。

3、寒熱の重要点
診断の基礎として考える寒熱の重要点は3つあります。
第1に病証として寒証か熱証かを把握するということ。
第2に寒熱が上にあるのか下にあるのか、表にあるのか裏にあるのか、それとも表裏とも冷えているのか熱しているのか、上下とも冷えているのか熱しているのかという上下表裏の寒熱の診分け方。
第3は寒熱の真仮。これは重篤な患者さんですからあまり来ないが、冷えているように見えて実は中では熱している。この場合は実熱ではなくて陰虚火動的なものだと思うがそういうような熱。この3つの診方から寒熱をとらえるのが八綱理論の基本論ななります。
これを我々の臨床の場でどうとらえるかが重要なんです。病因としての寒熱が生体に入ったときにどのような反応を示すか、それを把握するのがもっとも重要になろうかと思います。
まず寒邪の場合ですが、これは冷えですから冷えと言うのは表から入ってきて陽気特に衛気を傷りやすい。今までの経絡治療の理論では、寒邪は五行の色体表でも肺のところや腎のところにある。つまり寒邪は腎と親和性があるというような分類法をする。それよりもこの冷えは陽気を作る大本である脾胃、特に脾の陽気を冷やしやすい。これは当たり前のことで、陽気を傷りやすい性質があるからその陽気の大本である脾を侵しやすい性質がある。
ところがここでは二つの考え方があって、池田先生は腎を傷るという。確かに臨床の場で病症を考えると、冷えが腎を傷るということもある。この傷寒、寒邪を一番受けやすいのは1月頃だと思う。この時期は腎もあるが、陽気生成の場である脾胃ということもやはり考えておかないと臨床の場で使えないと思います。陽気を傷りやすい性質ということは病症から考えると冷えの病症であり、皮膚を触ると冷たいということですね。
二つめには気血の陽気を傷るから気血の循環障害を起こす。冷えた場合は体が硬くなります。硬くして体の代謝を抑える。つまり気血の流れが阻害される。例えば北海道辺りに行ってみると、今日辺りはマイナス10度ぐらいですが皮膚が痛いって感じを受けます。つまり気血の流れが悪くなって痛みとして出てくる。そうすると先程も行ったように縮まるという作用が現われる。少しでも縮まって陽気を逃がさないようにしようとする。寒邪が中るということ自体が収縮しようという作用を起こすのですが、これは何に対して収縮するかというと経脈とか筋脈とか組織とか滕理ですね。
寒邪が中るということは以上のような三つの反応を引き起こす。この三つを基本として患者さんが現す病症を考えるのです。
例えば皮膚を触ってみて冷たいとか、最近体の動きが悪くなったとか関節が重いとか、まあこれは湿邪のほうが絡んでくるが、そういうような形で現われてくる。もうお分りのように脉状はどうなるかというと緊脉というか、締まった硬い脉状になる。
ですから寒邪というのは湿邪であり、水邪であり、津液が不足したときの脉でもあるわけです。脉は硬くなる。これは一つの基本論ですがこういうような捉え方をする。

4、湿邪について
次に寒邪の親戚である湿邪ですが、これは4つに分けてみました。
第1に四肢や関節が重くなる。要するに湿邪を帯びるということは寒邪に通ずるものがある。患者さんには濡れた衣服を着たような感じになってくる。重くなると話します。湿邪というのは水邪だから水気を帯びる。ということは重くなる。特に関節が重くなってくる。
第2に分泌物や排泄物の障害が起こる。例えば女性だったら生理以外におりものが出てくる。便だったら泥状便になるとか。ただ湿邪の場合は寒邪と親戚ですから便の匂いというのはあまりしない。これが匂ったらやはり熱邪とか暑邪を考えないといけない。薬なんかもみんな湿邪になります。それから食事なんかもみんな湿邪になる。例えば肉類みたいな動物性のものを過食したらにきびみたいなものが出てきたというのもやはり湿邪の一種じゃないかと思います。そして小水、これは冷えとの絡みもおおいけれど回数が多くなるとか、濁るとかそういうのはまずこの湿邪が絡んでいると思います。
第3に好んで下焦のほうに障害が起こりやすい。下焦というのは臍下ですよね、腰から下肢。例えば関節が重いといっても膝の関節が重い、足関節が重いというように下焦のほうに障害が起こりやすい性質がある。
第4に脾胃や陽気を傷害しやすい。寒邪の一種ですから。陽気を障害するとどうなるかというと、陽気というのは衛気、営気特に寒邪の場合は衛気ですが、これらを障害すると水分代謝が悪くなって浮腫を起こす。これも下焦に起こりやすい。だから身体全体の浮腫と下焦の浮腫とでは違うと思います。
脉状はどうなるかというと沈んで?脉を帯びる。この?というのは結構はっきりと渋る脉で硬い感じがあるんです。

5、熱邪と燥邪について
今度は熱のほうに入りますが、熱邪と燥邪ですね。熱邪はやはり四つに分かれます。
第1に熱邪は寒邪と湿邪、特に湿邪と違って上焦の熱病症として現われやすい性質がある。暖房をしていると暖気は上のほうにいって下のほうは冷えている。これは自然の現象ですから人間の体だってこうなるんです。熱が体に入るとそれは上のほうへ行く性質がある、それで熱症状を現す。上のほうに熱が行くと咽が渇きます。だから熱邪のいちばんの特徴は口渇です。そして口とか舌とかに傷ができやすくなる。それから目が赤くなったり、頭痛があったり、もっとひどくなると精神障害を起こすということになります。もちろん煩躁といって胸のなかがもやもやするような症状が起きやすくなってきて熱があれば発汗する。そういうような性質がある。
第2に熱邪の性質があると出血傾向を示すようになる。例えば簡単にいえばのぼせがひどくなると鼻血が出る。患者さんで何年間も鼻血ばかり出している人がいて、そういう人を触るともちろん足は冷たくて首から上はちょっとほてっているような感じで、それと後頭部辺りを触るとパンパンに張っている。当時はやはりそこへ鍼をした。しかし余計にひどくなった。これは治療法にもなるが、こういう失敗は必ずあると思います。それから脳内出血。たとえばクモ膜下出血とか脳出血とか、これは風との絡みもある。
第3は熱邪というのはやはり津液を消耗する。水を器に入れて火にかけると水が蒸発してなくなる。この津液を消耗させるということによってまず口渇がでてきます。それも朝の口渇が多いですね。そして津液がなくなる代表病症は便秘です。これは胃の熱もあるが、やはり便秘ということは小水が出すぎて、または汗をかきすぎて、または他の原因によって津液が少なくなり便秘になる。それとおしっこが赤くてちょこっとしか出ない。あるいはトイレでかまえてもなかなか出ないというような、要するに尿量が減るんです。熱があるから口臭も出ますね。
そして4番目は熱邪は生気を消耗しやすい。ですから熱でも虚熱ぐらいだったらまだですが、それが慢性的になってくると生気を損傷して将来的には死の転帰をとる。この熱邪はその性格から脉は浮いて洪脉になります。

それから今度は燥邪です。燥邪は花粉症に関係してくると思うんです。日本は燥邪がないなんて説もあるけれど決してそんなことはないと思います。燥邪は3つに別れます。
第1に好んで肺を侵襲する。肺というのは乾燥を好む臓器ですが、ある程度の和緩があっての乾燥であって、それが乾きすぎてしまったら咳になります。それも夜にでる咳が悪候なんですね。そして痰のからまない空咳をよく発症する。燥邪だからそういう咳がでる。
たとえばカゼひき患者が来て咳をしていても、それが水っぽい咳になってきたらこれは大丈夫だと思う。ところが、これが痰がからんでなかなか出にくいような咳だとか、反対に何もからまないで咳が続くとそのうちに唾に血が混じってくる。やはりそういうのはよくない。それは肺を乾かすから空咳になる。粘膜が干涸びてくるから咳をしたときの勢いで粘膜が切れて出血してしまう。その時の出血は鮮血ですね。それからこれが慢性的になってくると喘息になってくる。ですから喘息の原因には色々あって、主に水毒が原因だというが、やはり燥邪からくる喘息もあるだろうと思います。
第2に燥邪は乾かす邪ですから陰液を消耗する。陰液を消耗すると肺の色々な機能に障害が出てくる。要するに粛降作用という下のほうにばらまくというような作用など、肺の陰液を主とした機能的な作用が行なわれなくなってくる。
第3に燥邪は津液を傷る。この時の病症としては皮膚が枯燥する。肺は皮膚を主りますから体表面=肺というように皮膚とものすごく関係がある。もちろん津液が傷られるんだから口渇があり便秘をする。経絡治療の他の会にいたときに、便秘症=肺虚証だというような弁別をしていたが、これは燥邪とのからみ? でこういう形になるというわけですね。
脉状はこれは細数の脉だと思います。これは浮いていても、沈んでいても細数の脉状が基本になる。

6、臨床応用
寒邪とか熱邪だとかいうものを捉えていくと色々と臨床の場で応用出来ると思います。例えば寒邪が脾の陽気を傷る、そして中焦が冷えてきて発する病症はすごく多いと思う。この様な病症に対して「たくさん食べろ、栄養を大いに取りなさい」という指導をするが、これは東洋医学的に考えると間違っていると思う。そういうような間違った指導の下に、薬は飲むは、注射は射つは、食べれないのを無理して食べるは、それでよくなったかと言うと逆に悪くなったと言って来院する。これを人迎気口脉診で診ると明らかに風邪は入っていない。人迎は沈んで硬くなっている。そして臍の辺りを触ると冷たい。こういう場合には大体胃腸とか中焦が冷えている。こういう症例がすごく多い。ですからカゼではない。本人がいくらカゼだといってもやはりカゼではない。だから薬を飲んでもよくならない。こういうよな病症の原因は服薬にあります。湿邪ですね。だから湿邪というのは陰邪でもあるんです。ダイレクトに陰を侵して脉が沈んで?をおびて硬いというよな脉になってくるのは湿邪の特徴ですね。そして湿邪というのは脉が遅くなる傾向がある。湿邪は寒邪の一種ですから。
それとおもしろい症例ですが、朝起きると吐き気がする、吐くまでいかないけど吐き気がするというんですね。この人のお腹を触ってみると温かい。臍の上は冷えていない。ところが胸が冷たい。これは下に熱があって上が冷えている事を現します。よく漢方の病理で「呑酸」というのがあるが、これはお腹に熱がある。だから食欲はある。けれどもの胸のほうが冷えているから朝必ず吐き気がする、それも何ヵ月も続いている。そして食べると吐き気がおさまる。そして薬をいろいろ試すが治らない。薬を続けているから本来あった食欲までが落ちてくる。これは明らかに湿邪が入っていますね。そしてお腹に熱があって胸が冷えるんです。胸には熱があって生理的なんです。肺は乾燥を好む。燥邪っていうのは熱につながるし、心臓は生まれてから死ぬまで動く臓器ですから当然熱をもっている。熱があって然るべきなのにそれが冷えているという形で吐き気がでてくる。ですからこの胸の冷えを取るためにどうするかという証を考えていく。そういうような症例ですね。

7、手足厥冷
それからこういう患者もすごく多いと思うんです。手足が厥冷する、または足だけが厥冷する、手だけが厥冷する。そしてもう少し進むと肘関節、膝関節ぐらいまで冷えてくる。この様な病症を八綱でどういうふうにとらえていくかが診断です。
野口晴哉という先生がおもしろいことを書いている。「カゼは恐がることはない、カゼをひくということはそれだけ生命力というか柔軟性が賦活される。カゼを1回ひくと、ひき方にもよるけど1、2年は寿命が延びる」と、そこまでは言っていなかったかな。まあそういうような具合にとれる。また「カゼはひくものではない、経過するものだ」とも言っている。よく患者さんに「先生はあまりカゼをひかないですね」と言われけど、私はその時に「カゼはひいていないけれども経過はしているよ」と言うんですね。だって人間は誰だってカゼはひくんだから。
経過というのはどういうことかというと、午後5時にカゼをひいて午後6時に治る、これをカゼの経過というんです。私の場合、風邪がはいるとまず肘が冷たくなる、そしてそれを放置しておくと手が冷たくなって悪寒がしてくる。だから肘が冷たくなった段階でそれなりの予防をしておくと午後5時にカゼをひいたのが午後6時には治ったということになるんです。
野口先生というのは体が弱かったけれど、それでも50才くらいまでは生きたかな。ちょっと変わった人だったんですが「体癖」と言いまして体の癖ということをものすごく強調して「体癖論」というような本も何冊かだしている。要するに体の癖を見抜けというんです。それぞれみんな癖があるから、患者さんが治療室に入ってきたときに歩き方をみると、病気がはっきりしている場合、たとえば腰が痛かったら腰が痛いような格好をしている。けれどもそういう症状がなくても右足をちょっと引きずっているような歩き方をしているとか、跳ねるような歩き方をしているとか、ちょっと前かがみで入ってくるような感じとかいろいろある。例えば、前かがみで入ってくるような人の背柱は大体3、3、5番辺りに邪というか気血の滞りがある。右足を引きずっていれば、右の股関節の辺りの経気の流れが悪くなっているとか、何かわかるはずだと思うんですね。そういう具合に体癖ということを重要視しておられた。
話を手足厥冷に戻す。胸は生理的には熱があるから手も普通は温かい。しかし生理的ではなく病的に胸に熱が溜まったときには手は冷えてくる。この場合お湯などにいくらつけても出したらすぐに冷たくなる。その場合にもうひとつ、それだけでは判断できなかったら口渇がある。この場合は上熱を考えますね。上に熱があるということは、病的には必ず下に冷えがあると思うんです。それがいわゆる生体のひとつのバランスというか、それで微妙にバランスをとっていると思うんです。ですから、それを捉えたら口渇はありますかと聞きます。そして、口内炎とか口角炎がないか、面疔みたいのがないかとかそういうものを付随的にみていくんです。要するに手の冷たさは、大体の部分において胸の熱とイコールになると思うんです。胸の熱がとれてくると手は自然と温かくなってくる。昔から手の冷たい人は心が燃えていると言うけど、これはあっているんですね。
今度は足が冷たい場合ですが。この足が冷たいのにも落し穴があると思うんです。これは最近の患者さんを診ると足が冷たい場合が多い。温かい人もいるけど。つま先のほうが冷たい場合と、足の中心が冷たい場合とこれはまた違うと思うんです。つま先が冷たいのは温かいもので温めていくとすぐに温まるんです。ところが中心部、足関節の中心部まで冷たくなる、特に湧泉の辺りとか腎の辺り全体にかけて冷たくなると完全な冷症として捉えます。そして、足が冷たいということは上のほうに熱がある。例えば下腹や臍を押さえてみて冷たい、そうするとこれは必ず下痢をしていると思うんです。下痢をしているとお小水も色がなくて透明感があってちょろちょろと長いというような状態です。ところが「寒熱錯綜」と言いましてそういうふうに額面どおりにいかない場合も臨床の場ではありますが・・・。臨床では基本的なものを押さえて手足の寒熱・厥冷というものを捉えていく事になります。
それから女性の場合の冷症というのがあるが、この場合は手足はもちろん下腹の辺りまで冷たい。女子大の卒業生が卒論で冷症を取り上げたのが新聞にでていたのをみました。普通の人の体温というものは36度ぐらいですね。ところが冷症の人の手足の温度はそれよりも20度ぐらい低くく16度ぐらいしかない。それでこの場合ホカロンなんかで温めてもすぐに冷えてしまう、絶対に温まらない。これは体の中の陽気が充分に動き回らないと温まってこないんですね。この様な冷症の場合はまた病理が違ってくる。ですから手足厥冷は手足がともに冷えている場合、手だけが冷えている場合、それから足だけが冷えているということによって病理も変わってくるし、証もある程度違ってくる。
いずれにしても、そんなに冷症がなくて手足の末端が冷たいという病症を現していたら、これは体のどこかに熱があると捉えられるし、それに付随する口渇だとか、大小便の出方である程度の診断はつくものです。

8、寒証・熱証
この寒熱というのは陰陽で総括される。証では熱証、寒証という病理状態を現し、我々のところに来院する患者の病症を診ると必ずどこかに寒熱があるんです。だから、この寒熱をどのように診断してどのように考察して証につなげて治療を行なうかが重要となる。
寒証・熱証の病症というのは、口渇の病症で考えると寒証は口渇はしないが熱証では口渇を現す。寒証はたとえ口渇しても仮の口渇です。飲みたくないんです。ところが熱証の場合は口渇自体はたいしたことなくても大いに飲みたがる。それも冷たいものを飲みたい。寒証のほうは四肢が厥冷しやすいが熱証のほうは手足はむしろほてる。小便は寒証のほうは臭いはなくて、清くていつまでもだらだら出ている。熱証のほうは短くて色がついて臭う。それから寒証のほうは下痢をするが熱証のほうは便秘となる。顔面では、寒証では蒼白になるが熱証では反対に紅潮する。
要するにこれらが基本で、寒邪とか熱邪とか湿邪とか燥邪等はそういうものを考えていけば良いと思います。

9、寒熱と経絡・蔵府の関係
寒熱がどのように経絡とか臓腑を侵すかということですが、例えば、傷寒の病症は表面を寒邪が侵すとしている。表面というのは皮膚ですから肺が関係する。そして、寒邪が体に中ると熱はどの様に人体を障害していくのか。まず太陽経に熱邪は行く、太陽経にいった熱が陽明経に行って少陽経にまで行く。ですから証を把握した場合、熱病症であれば熱を瀉さなければいけない。
邪には伝変というものがあります。少陽経から今度は陰経である太陰経に行く。そして少陰経から厥陰経までも行くというんですね。このように寒邪が体表を侵した場合に、体のなかの熱の移動は「傷寒論」では太陽経、陽明経、少陽経、太陰経、少陰経、厥陰経というふうに行くんだというんです。
これを治療と結びつける場合にそれぞれの病症がある。太陽経の場合はやはり膀胱経ということを考えます。この場合の病症は、項背が強ばって頭痛がするというんです。要するに、太陽経でも一番陽的な場所である項背の所で滞って熱を出すからそこに強ばりとか頭痛だとかが発症する。そして陽明経に行くと? 高熱になってくる。また、陽明経は目や鼻を通っているのでその場所に痛み等を発症する。少陽経は脇を走る経ですから脇のほうの病症や耳の病症が出てくる。
傷寒の病症は、陽気を傷つけて気血の流れを悪くするわけですから、経絡の走っている場所に痛み等が出る事になります。例えば、急性の傷寒で来たカゼ患者を診る場合に、熱がどこにあるかということを診ていかなければいけない。その場合、病症との兼ね合いで太陽経にあるのか、陽明経にあるのか、少陽経にあるのかというような診方をしなければならないと思うんです。残念ながら、こういう傷寒論的なカゼ治療というのはまだまだ研究中であり今後の重要な課題となっています。
しかし、臨床の実際は、こういった患者は少なくて大体が表裏ともに寒邪が入ている場合が多い。太陽経と少陰経に一緒に寒邪が入ると、太陽経のほうでは頭痛、発熱が出るんです。ところが少陰経のほうは腎に繋がっているから下腹が冷えてお小水が近くなったり出なかったりで足も冷たくなる。病証としては「虚証」となる場合が多い。それと服薬のための「湿邪」により虚証の病症を発症する。だから、病症としても発熱はしているんだが微熱程度であり、むしろ冷えの病症を多く訴える。食欲もなく、夜は何回もお小水に起きる。日中でも一時間間隔で行く。でも患者は「カゼをひいているんですよ。なんとかして下さい」と言って来院する。こういう病症は瀉せないわけです。
今後の研究課題としては、「難経」の五邪論の考え方と傷寒論的な考え方とは若干の違いはあるが、この辺は押さえて漢方はり治療としての体系を構築する事が大変に重要となってきます。

10、まとめ
八綱理論は、学問的にまとめれば理路整然としたものができますが、実際臨床の場となるとそうはいかない。
例えば、寒邪は腎に親和性があるから陰に一番入りやすいとされる。しかし、臨床現場では必ずしもそうはいかない。それと、寒邪は表から入るんですが、湿邪となるとダイレクトに陰に入るような内湿的なものもある。これは虚があるからそれに乗じて入ってくるんですが、例えば栄養剤を健康のために飲んでいるとか、ちょっと食事を不摂生したとか、そういうのはみんな湿邪になる。そうすると必ずしも表からだけ入ってくるものではない。それと、寒熱の表裏、上下、左右といった場所による病理的な診断も重要であります。
(漢方鍼医会・1999年)

 

◆論考-1

素問・霊枢に於ける気の考察

1. はじめに
漢方医学の理論的基礎である『黄帝内経』には、80余種の「気」の概念が説かれている。『黄帝内経』の医学思想は、全篇に亘り天地の気と人体に流れる気との相関性が詳しく説かれている。
古代中国人は、この重要なる「気」をどのように考えていたのであろうか。「気」とはもともと一つの哲学的概念であった。気の概念は「内経」が世に現れる前からすでに生まれていたのである。天地万物を構成する根源的なものを「気」と捉えていたのである。例えば、老子の『道徳経』では「万物は陰と陽とをもち、沖気がこれを調和する」とあり、『荘子』には「気が変化して形が生じ、形が変化して生命が生じる」と説かれ、また『管子』には「精とは気の精髄である」としている。
『黄帝内経』は、「精気神論」をその根本的な理論として古典医学の学と術を展開しているのである。そして、この精気神を基本としてその分布する部位と作用の違いによって、「気」に80余種の名称を与えたのである。
人体に於ける気の概念として重要なる「原気」についての考察は、「難経」より始まったとされる。「難経」は「内経」の気の理論を継承し、かつ補充・発展させ正しく体系づけたのである。「内経」「難経」以後、歴代の医家は「気」を更に重視し、人間の生命活動や生命現象を研究したのである。例えば、李東垣は「胃気」を論じ、汪機は「管衛の気」を唱えたのである。
この様な重要なる「気」について、その本質論につき現代中国をはじめ内外の学者により研究が盛んに行われるようになった。「気」の本質に関する認識は、物質論・エネルギー論・情報論の三種に分けられるようである。
文革以後の中国医家や学者による研究は、気=物質説である。この考えにて「内経」等の古典医学典籍を解釈している。しかし、基本となる「気」の医療的応用が『得気』であっては、まさになにおか言わんである。
気=物質説は、気は蛋白質・核酸とする説に集約され、理論化されるようである。
気=エネルギー説に於ては、気の生埋的作用である、栄養・推動・温煦・防御・固攝・気化作用のうち栄養作用を除き、運動・熱・化学・浸透・電気エネルギーにて人体の生命機能を形成していると説明する。気=情報説に於ては、気と情報のプロセスに共通の特徴があるとして理論化している。例えば、気血の運行とは情報の伝達であると指摘している。そして、情報とは決して神秘的なものではなく、客観的に存在するある種の物質の運動形式であると説明する。
しかし、「気」に対する私の理解は簡単である。「気」とは作用である。「気」とは生命現象の働きそのものであり、それ以外のものでは無い。そして、東洋的概念は東洋の言葉で説明すべきであり、物質とか情報とかエネルギー等々で語らずとも何も不自由はないのである。物質・情報・エネルギー説は、いずれも間違いではないとは思うが、私には、どうしても違和感が拭えないのである。
前言はこの位にしで本論に入る。

2. 気の分類
「内経」で説かれる気は、天文・地理・人事におよび80余種の気の概念がある。これ等を簡単にまとめると次のようになる。
@自然界の気→外的環境と運動法則
A人体生理の気→生理活動・働き
B病邪の気→病因
C薬物の気→薬物の効能
「気」の具体的分類法は、「以名命気」と「以気命処」の二方法である。つまり、変化により気の名称を正す、蔵気にもとづいて名称を付けるのである。
「以名命気」は、固有名詞にて正すのである。天地の気・六淫の気などがそれである。機能、作用と意味により類似したものを選び出して名称をつける方法である。宗気・営気・衛気などがそれである。
「以気命処」は、気が存在する具体的部位により名称を付ける方法である。心気・肺気・血脈の気などがそれである。
「内経」に於ける気の命名法には、相対的であるという特徴がある。例えば、陰陽の気・清濁の気・正邪の気・天地の気・榮衛の気等々である。

3. 気の生理と病理
「気」の生理的特徴は、和と通にある。気が滞りなく運行しているのが「通」であり、気が調和し、津液が形成されて神気が生ずるのが「和」である。
和→気の平衡伏態(調和)
通→気の運動・運行(昇降・出入・転化・循環)
人体に於ける気の作用の、和と通が正常になっておれば健康な状態とするのである。

気の基本的な生理的作用は、以下の如くである。
栄養作用→人体の栄養
推動作用→血液・津液の運行
温煦作用→体温・蔵府の気
防御作用→外邪の防御
固攝作用→血液・津液の流出防止
気化作用→精・血・津液の代謝

4. 気の診断学的意義
「内経」に説く気は、四診といわれる「望・聞・問・切」のすべてに亘り関係しており、気を診る事が基本となって構成されている。
望診→「神色形態」「神気」
臨床的には「気色」を診る。
顔面・目・舌・身体の色等より五蔵の盛衰、気血の虚実、邪気の深浅を診る。
聞診→聞と臭
言語・呼吸・声・音・臭等を診る
五声 呼・言・歌・哭・呻
五音 角・徴・宮・商・羽
五臭 ?・焦・香・腥・腐
問診→患者に問う
寒熱・汗・二便・飲食・睡眠・生理・口渇…
切診→脉診と触珍(経絡、皮膚他)
蔵府の気・経気・血気等を診る

5. 気の治療上での応用〈治療の重点〉
正気を助けて邪気を除く→調気の法
衛気の調和→外感病の表証は消える
栄気の充実→血が盛んになる
脾気充実→湿邪が除かれる
肺気充実→咳・痰が消える
腎気充実→四肢厥冷が取れる
肝気充実→血虚が改善される
心気充実→血流が盛んとなる

6.「内経」に於ける気の分類
「内経」には、天文・地理・人事に及びおよそ80種以上の気の概念がある。それを簡単に分類する。

(1)自然界の気
天地の気・四時の気・五行の気に分類できる。
『人は天地の気によって生まれ四時の法則により成長する。』〔素問・宝命全形論〕
@天地の気
素問(四気調神大論・陰陽応象大論・六徴旨大論・至真要大論・四時刺逆従論・生気通天論・太陰陽明論・五蔵別論等)
天地は自然界の基本構造であり、気はその天地を構成する。
天は陽であり、地は陰である。天と地は互いに依拠しあってなりたつものである。
四時にては、春夏は陽であり天気が主る、秋冬は陰であり地気が主る。
人は天地の気を受けて生まれ、上半身は天気に下半身は地気に類似している。
A四時の気(生気・雷気・雨気)
素問(四気調神大論・四時刺逆従論・金匱真言論・生気通天論・陰陽応象大論等)
霊枢(終始篇等)
人体の構造や機能と対比させ、特に五蔵に配当する。
肝→昇発→〔春気〕→風→頭の病症
心→火→〔夏気〕→熱→蔵気・胸の病症
肺→静粛→〔秋気〕→乾燥→肩から背の病症
腎→蟄蔵→〔冬気〕→寒→四肢の病症
脾→運化→長夏の気
◆脾は五蔵全てに関係があり、水殻より気血栄衛を生成し気を全身に循らす。
B五行の気(五蔵の気)
素問(陰陽応象大論・六節蔵象論)
木・火・土・金・水の五気の事
肝気(木)心気(火)脾気(土)肺気(金)腎気(水)の五蔵の気に配当する。
五行の気は、生・克・制・化→生・克・乗・侮の法則が臨床的には重要。
生→相生 乗→相乗
克→相剋 侮→相侮(反克・反侮)
制→制約
化→五気一体化
◆五気による生理・病埋の相互開係

(2)生理の気(人気)
人体の生理活動に関係した気である。これを分類すると、以下の諸種の気がある。
陰陽の気
陰→陰気→濁気
陽→陽気→清気
真気→基本的な気・気の根本
精気→気生精→化
神気→神
大気→自然界の気
殻気→水殻の気
宗気→大気と殻気がまじり合い胸に集まる気
営気→宗気が脉中を循る気
衛気→宗気が脉外を循る気
中気→中焦の気
蔵府の気→肝気・心気・脾気・肺気・腎気…
経絡の気→経気・絡気・兪気
血気→血脉の気
頭身耳目の気→諸気あり

@精気(精)
素問(上古天真論・五蔵別論・金匱真言論・調経論・通評虚実論・厥論・九鍼論・奇病論・六節蔵象論)
霊枢(本神篇・決気篇・衛気篇・小鍼解篇・営衛生会篇・五味篇・大惑論等)
内経医学の基本的な気の概念である。
生命の基礎→万物を構成する根源
人体の生長、発育、生殖、老衰と密接に関係する気。
精気は正気であり、殻気の変化した本質である。
A神気(神)
素問(天元紀大論・四気調神大論・六節蔵象論・調経論・生気通天論等)
霊枢(本神篇・小鍼解篇・営衛生会篇・天年篇。経水篇・九鍼十二原篇等)
神は気の本性にして変化しつつある気也
『陰陽不測、コレ神也』→易伝
神気は正気であり、生命活動の集約された表現也(臨床診断の要点)
※神気の作用
外邪の防御
病気への抵抗力
栄養の摂取
経絡の疎通
舌や筋肉の働き
発音・視力…の効能
鍼・薬等の効能作用
B真気(人気・正気)
素問(離合真邪論・上古天真論・評熱病論・調経論)
霊枢(刺節真邪論・邪客篇・官能篇)
真気は原気也→生命活動の気
先天、後天の原気・陽気、陰気・衛気、営気・胃気充気(脾気)、宗気、中気、元陽元陰の気(下焦)等の気の別称也
C正気(真気)
素問(刺法論・四時刺逆従論・離合真邪論等)
霊枢(小鍼解篇・刺節真邪篇)
邪気に対する気
正気不足→虚証 邪気盛→実証
◆邪気がある時は必ず正気は虚している。
D大気
素問(五運行大論・気穴論・調経論・離合真邪論)
霊枢(五味篇・五色篇・刺節真邪論・九鍼論)
大気は空気と体内の宗気也
三焦の気と相通じる気である。
臨床的には、心・肺・三焦と密接な関係がある。
E宗気(大気)
素問(平人気象論)
霊枢(邪気病府病形篇・邪客篇・刺節真邪篇)
上焦からでて胸中に集まる気、呼吸の気と飲食物の精気が結合した気の事
人体の諸気の中心
上昇→呼吸作用
下降→血流作用
呼吸・言語・音声の強弱や身体の寒温、運動能力に関係する気である。
?中は宗気の集まる部位也→気海
宗気と心肺、三焦→脉・血・気・水と関係する
宗気と胃・腎→気血の生成(胃)・納気(腎)と関係する
宗気の虚実診→左乳下部・呼吸、言語の気にて診る
F血気
素問(調経論・八正神明論・陰陽応象大論・調経論等)
霊枢(本蔵篇・決気篇・癰疽篇・営衛生会篇・天年篇・血絡論・経脈篇・邪気病府病形篇・五音五味篇・陰陽二十五人篇・逆順篇・口問篇・五味論・癰疽篇眼・風篇・九鍼十二原篇・官能篇)
血は気を源として脈中を流動する気であり、肉体を構成する重要なものである。
血は気を蔵している。
気と血は不可分→気が主也
血虚→健忘症・不眠症・失明・シビレ・半身不随症
全身倦怠感・寒症・四肢厥冷…。
G中気
素問(瘧論・脉要精微論・痺論・至真要大論)
霊枢(口問篇・九鍼十二原篇・通天篇)
中焦の気→脾胃の気
内蔵の気→皮膚、体表の気に対して
中気とは天気ともいう
H衛気・栄気
素問(痺論・五蔵生成篇・八正神明論・逆調論・風論・調経論・瘧論・生気通天論・気穴論等)
霊枢(営衛生会篇・衛気篇・邪客篇・本蔵篇・営気篇・決気篇・脹論・衛気行篇・刺節真邪篇・経脈篇・歳露論・癰疽篇・五乱篇・寿夭剛柔篇・大惑論・禁服篇・衛気失常篇等)
榮衛の気は、中焦にて脾胃の働きにより水穀より生ずる。
合陰→営衛の気が一昼夜に50周して夜中に陰(五蔵)に集まる事
営気→陰・脉内・血生成する
衛気→陽・脉外・蔵府、?理の温煦・汗腺の開閉等の作用
補瀉→営気に陰陽あり
陽の補は営気の陽を補すこと也
陰の補は営気の陰を補すこと也
※[難経76難]
瀉→衛気に対して行う
補→営気に対して行う
I清気・濁気
素問(陰陽応象大論・五蔵別論)
霊枢(陰陽清濁篇・動兪篇・邪気蔵府病形篇・五乱篇・九鍼十二原篇・小鍼解篇)
相対的な二種類の性質の気也
清→陽・上昇性・浮・軽い・流利・天気
濁→陰・下降性・沈・重い・滞る・食気
J陽気・陰気
素問(生気通天論・陰陽応象大論・天元紀大論・調経論・厥論・上古天真論・生気通天論・痺論・病能論・脈解篇・逆調論・痿論・脉要精徴論)
霊枢(終始篇・刺節真邪篇・五邪篇・口問篇・玉版篇・脈度篇)陰陽二気の働きは生命活動の源泉也
人の生命は、陰陽の気にある。陰気は骨肉となり、陽気は精神となる。
陰陽二気の医学思想は、古典医学理論体系の基本である。
陽気、陰気を分類すれば
陽気→天気・春夏・清気・大気・衛気・神気・心肺の気・風、暑、火、燥邪気
陰気→地気・秋冬・濁気・血気・営気・精気・肝腎脾の気・寒、水、冷、湿邪気
陰陽二気は不可分也→陰中陽・陽中陰
発病の原因・病症・生理・病理等は全て陰陽二気の失調により説明できる。
K人気
素問(気交変大論・診要経終論・生気通天論)
霊枢(陰陽繁日月論・順気一日分為四時篇・衛気行篇・刺節真邪篇)
人体を構成する基本的な気である。
陰陽の両側面をふくみ、相互に依存し制約している。
L五蔵の気
素問(五蔵別論・五蔵生成論・生気通天論・蔵気法時論・王機真蔵論)
霊枢(九鍼論・五閲五使篇・九鍼十二原篇)
肝・心・脾・肺・腎の五蔵の気の総称也
六府の気を含む気である。
イ.心気(小腸気)
素問(四気調神論・生気通天論・玉機真蔵論・評熱病論・痿論・奇病論・大奇論)
霊枢(本神篇・脈度篇・天年篇)
心気(心の蔵気)
火・夏・赤・苦味・喜・顔・舌・小腸
心は神を蔵し血脈を主る→精神活動・思惟
心(血脈)
肺→百脈を集める 脾→統血 肝→血の貯蔵 腎→精を貯蔵し血に変化
血流を良くする
ロ.肺気(大腸気)
素問(四気調神大論・玉機真蔵論)
霊枢(本神篇・脈度篇・経脈篇・天年篇)
肺気(肺の蔵気)
金・秋・白・辛味・悲・体毛・鼻・大腸
肺は気を蔵し呼吸を主る→百脈を集める
水道を調違する
ハ.脾気(胃気)
素問(経脈別論・太陰陽明論・玉機真蔵論・痿論・生気通天論・逆調論・平人気象論)
霊枢(脈度篇・天年篇・動輪篇・口問篇・大惑論・四時気篇)
脾気(脾の蔵気)
土・長夏・黄・甘味・思慮・唇・肌肉・口・胃脾は栄気を蔵し運化(飲食物)を主る→後天の原気、統血作用
脾気は水邪を抑える
肺→水分調達 腎→水分支配
◆脾気の虚→湿気・水分停滞→水腫
胃気(五蔵六府の海・五蔵の本・飲食物の海)
後天の原気
診察→脉状→胃気あり(緩脉)
舌苔→徴白苔
?理→ツヤ有
二.肝気(胆気)
素問(水熱穴論・四気調神大論・玉機真蔵論・痿論)
霊枢(本神篇・脈度篇・天年篇)
肝気(肝の蔵気)
木・春・酸味・怒り・爪・眼・胆
肝は血を蔵し疏泄を主る→血海也
疏泄→疎通と排泄
1.全身における気の疏泄の機序を主る
2.消化吸収の促進
3.感情や意志の活動を主る
4.生殖に関係する
精液の調節→肝腎二蔵が関係する
月経不調・不妊症→肝に原因あり
ホ.腎気(膀胱気)
素問(上古天真論・四気調神大論・生気通天論・玉機真蔵論・逆調論・痿論・大奇論・通評虚実論)
霊枢(本神篇・脈度篇・天年篇)
腎気→腎の蔵気(腎陰・腎陽)
腎陰→元陰・真陰→陰液の根本
腎陽→元陽・真陽→陽気の根本
水・冬・黒・鹹味・恐れ・髪・二陰・耳・骨・膀胱→体内では相火に関係有
腎は精を蔵し体液を主る→腎陽の気化作用(水液)
納気を主る→気の根本
気逆・喘息と関係有
腎間の動気→呼吸の門
胞気(膀胱の気)
膀胱の虚による寒・冷の症状は、腎陽の虚が関連がある
M経気・絡気・兪気
素問(陰陽別論・生気通天論・四時刺逆従論・皮部論・大奇論・通評虚実論・宝命全形論)
霊枢(歳露論・五閲五使篇・終始篇)
経絡の中を運行する気也
経、絡、兪気の変化を通じて、気血の虚実診断ができる
N殻気(酒気)
素問(経脈別論・陰陽応象大論・熱論・調経論)
霊枢(玉版篇・営衛生会篇・五味篇・経水篇・終始篇・官鍼篇)
五殻・水殻中の精徴なる気→食気
殻気→消化・吸収
胃・脾・胆・小腸・大腸・三焦が関係有
殻気と呼吸の気が結合→後天の気
殻気が変化→経絡の気
酒気→五殻の液
神気が旺盛・血気を緩和・邪気を散ずる(作用)
O五気
素問(六節蔵象論・五蔵別論・奇病論・陰陽応象大論)
霊枢(五閲五使篇)
内経に於ける五気の意味と内容
1.五香→燥・焦・香・腥・腐
2.五悪→風・熱・湿・燥・寒
3.五味→酸・苦・甘・辛・鹹
4.五蔵の気→肝気・心気・脾気・肺気・腎気
5.五色→青・赤・黄・白・黒
6.五行の気→木・火・土・金・水

(3)病邪の気
病邪の気は、病理学的変化に関連する発病の原因となる。
六淫の気→風・寒・暑・湿・燥・火
七情の気→喜・怒・憂・思・悲・恐・驚
その他→厥気・逆気・乱気…

○外感の邪気(六淫の気)
外部より侵襲する邪気也 ◆『正気が体内にあれば邪気は侵入しない』
外邪→皮毛→絡脈→経脈→蔵府
邪気は蔵府・渓谷・募原に留まる
五邪→癰邪・大邪。小邪・熱邪・寒邪
[難経50難]→正邪・虚邪・実邪・微邪・賊邪

@風気
素問(陰陽応象大論・太陰陽明論・風論・瘧論・痺論・至真要大論)
風気は外界にあり、春の主気也・上昇性の邪気也
風気は四季おのおのに有→一年中ある
風気は肝気に通ず・外風と内風有
風邪→外感性疾患の先導
他の外邪と合して侵襲する
皮毛・上部・陽経より侵襲し変動・移動する
発病は急速→筋・眼・爪・精神面に異常
症状→頭痛・鼻塞・咽痒・顔面浮腫・悪風
発汗・四肢強直、痙攣・項部強直
A寒気
素問(生気通天論・陰陽応象大論・脉要精徴論・通評虚実論・挙痛論・痺論・長刺節論・調経論・至真要大論)
霊枢(口問篇・水脹篇・癰疽篇)
寒気は冬の主気也・収納性の気也
寒気は腎(肺)気に通ず・外寒と内寒有
寒邪→陰邪・陽を傷り易い
?理又は直接に蔵府に中る
凝滞・収縮性の邪気
発病→下肢・中焦に発症
劇症・慢性症に移行し易い
症状→寒症・疼痛・発熱・四肢厥冷・シビレ・水腫・下痢・清尿・多尿・悪寒・無汗
B湿気・水気
素問(陰陽応象大論・太陰陽明論・痺論・評熱病論・逆調論・瘧論・気厥論・水熱穴論)
霊枢(周痺篇・賊風篇)
湿気は長夏の主気也・潤の気也
湿気は脾気に通ず・外湿と内湿有
湿邪→陰邪・陽を傷り易い
他の外邪と合して発病する
下半身より邪気は侵入する
冷・水滞の邪気也
発病→頭・肌肉・四肢・中焦の病症
肺・脾・腎と関係→水液代謝
症状→体重・四肢怠惰・悪心・嘔吐・頭重 水殻の代謝異常
C熱気・火気・暑気
素問(五運行大論・陰陽応象大論・瘧論・挙痛論・腹中論・調経論・生気通天論)
霊枢(百病始生篇・癰疽篇・歳露篇)
熱気は夏の主気也→火・暑の気は仲間也
熱気は心気に通ず→君火→心 相火→心包・腎
暑気は夏にだけあらわれ、火熱の気により変化する
熱邪→外邪に属す
火気→体内(蔵府)から生じる・正気の一種也
少火→正気
荘火→火邪
◆『少火は気を生じ、荘火は気を食らう』
熱邪→気を消耗させ体液に障害
風気を発生
血を流動させる
◆暑邪は外邪のみにて体内に生ずる事なし
他は内外の邪あり→火に変化する
外→風・寒・湿・燥の外邪
内→喜・怒・憂・思・恐の五気
発病は急性的で劇症となる
症状→高熱・四肢痙攣・項部強直・意識障害 吐血・鼻血・皮下出血等の出血症・癰・瘡→皮膚のおでき
D燥気
素問(陰陽応象大論)
燥気は秋の主気也→収斂・乾燥性
燥気は肺気に通ず→陽邪
燥邪→外燥→乾燥
内燥→発汗・体液消耗・精血枯渇…
陰液を損傷し易い→肺陰
発病は慢性症になり易い
症状→皮膚枯燥・口鼻乾燥・咽乾痛・乾咳
E七情傷気
素問(挙痛論・玉機真蔵論)
霊枢(本神篇)
七情(喜・怒・憂・思・悲・恐・驚)
五蔵との関係は
肝→怒 気は上昇する
心→喜・驚 気はゆるむ・乱れる(驚)
脾→思 気は結ばれる
肺→悲 気は消耗する
腎→恐・驚 気は下降する・乱れる(驚)
気血・陰陽不調和→蔵府機能の乱れ→発病する

(4)薬物の気味
薬物効能の基本的な構成要素也
薬物の気味と体内の奇には密接な関係がある。いずれも、自然界の気にして陰陽二気を備えているからである。臨床に応用が可能である。
素問(至真要大論・五蔵生成論・蔵気法時論・宣明五気篇)
霊枢(五味論)
※薬物の気味と体内の気には密接な関連がある→陰陽気
[四気五味]
四気→寒・熱・温・涼の四種の効能
五味→酸・苦・甘・辛・鹹の五種類の味
陰陽→気→陽・味→陰
温、熱→陽・寒、涼→陰
五味は五蔵に親和性あり
酸=肝 苦=心 甘=脾 辛=肺 鹹=腎
五味の失調→主蔵気・体表・諸器官・他蔵気に障害を与える。

《主要文献》
@「黄帝素問」「黄帝鍼経」「鍼灸と古典の考え方」丸山昌朗
A「気の思想」小野沢精一他
B「気の研究」黒田源次
C「中国医学の気」掘池信夫他訳
D「陰陽五行論」根本光人編
E「推南子に現われた気の研究」平岡禎吉
(1994年・漢方鍼医会)

 

◆論考−2

八綱理論の臨床応用  …陰陽・寒熱を主として…

1. はじめに
 今回行なわれている第4回夏期研の臨床実技研修は大変にすばらしい内容になっています。特に臨床的に考えても大きな意義を含んでいます。ここで研修される事がこれからお話しする八綱の考え方とつながってきますからこの点よりはじめたいと思います。
 その臨床的な意義はと申しますと、先程小泉会長が何回も述べられておられますが、実技研修第1時限にて行なわれる「取穴法」であります。これは臨床の場における取穴法です。「何んだ、又取穴か」と言う位に思われた会員もおられるとは思いますが、今回の内容は少しちがいます。漢方鍼医会としても、今後の臨床学術のキーポイントになるのではないかと思いたい程に重要な技術であろうと思います。何時間でもかけて研修したい内容です。今までの取穴法には、学としての取穴はありましたが、臨床の場に直結したものではなかったと思います。そして手技ですね。取穴ができてそれに合った手技ができる。この両方が出来なければいくら八綱の理論を臨床の場で生かせても、これでは不充分です。いくら「証」が捉かめても、正しい病症の本質、つまり病理を理解できても臨床の場にあってはこの取穴や正しい手技が出来なければ治療の段階に入れない事になります。

2. 八綱について 
さて「八綱」という言葉ですが、今までに聞いた事はあろうと思います。本会の鍼医入門講座でも行なわれています。しかし、この八綱は漢方鍼医会としても近時に出てきた理論であり内容です。この事に関しては、会の発会の時に計画がありました。漢方研究会の根本幸夫先生に八綱理論についての講演をしていただこうとした事があるのです。残念ながら実現はしなかった。しかし今より思えば実現しなくて良かったと思います。
今回の夏期研にてこの八綱をそろそろ取り上げる時期であるという事で「福島やれ」という事になり色々と文献を調べました。八綱理論は中国の医学書に詳しく書かれている。二階堂氏の『漢方はり講座』にも書かれています。『中国漢方医学概論』も参考にしました。その他の文献も調べました。しかし、種々なる文献を調べれば調べる程にある種の危惧感を覚えました。それは、八綱理論をこのまま出したのではわれわれの臨床の場にては誤解や矛盾が生じて正しく応用や活用されないのではないかという事です。そこで「漢方はり治療」の臨床の中でこの理論を一つ一つ考えていくという作業によりこの理論を治療体系に組み入れていくようにしないと空理空論になってしまう事になると思います。せっかくのすばらしい理論も理論倒れになってしまう事がままあるんですね。
『医道の日本』誌や鍼灸の学術書に掲載されている論文等の中に、われわれ臨床家の目を通して読むとかなり作為的に書かれたものが多くあります。臨床の現場から照らし合わせて絶対にあり得ないと思う事が理路整然と書かれているものが多くあります。何故にこの様になるのか、この原因の一つが、これ等の論文等をマトメる人が学者であり臨床家では無いという事にあろうと思われます。
この様に学術論文を読む場合には、以上のような事もあるという現実をふまえて読まないと、切角の努力が無になります。いや無になる所か害を成す事もあるのです。
八綱理論は現代の中国医学体系の内でマトメられたものです。この点も重要ですよ。 八綱理論は八つの大綱よりなっています。八綱とは言いますが、その大本は「陰陽」になります。この陰陽二綱が全ての基本となり基礎となり八綱の骨子となるのであります。
まず陰陽の二綱があり、後の「表裏」「寒熱」「虚実」は六変と言われ、六つの変化するものです。ですから、この六変を陰陽にて統一するわけです。これが八綱の骨子になるわけです。
ところが、六変の表裏・寒熱・虚実の中の「表裏・寒熱」を統制するものは虚実であります。ですから八綱理論の中心は陰陽と虚実になります。
日本経絡学会をはじめとして、経絡治療を臨床研究している研究会に於いては、経絡治療は陰陽論と虚実論が基本であり、この論さえ臨床研究をすれば臨床的には大丈夫であると言ってきたわけであります。ですから一部の臨床家が古典鍼灸術の臨床実践には八綱が重要であると主張しても中々に取り入れてはもらえなかったというのが現実です。そして、その理由として、八綱理論は湯液の理論であり鍼灸には全り関係は無いという、古典鍼灸術を研究する会においても八綱の重要性を唱える人はいるのですが、いかんせん少数であり意見が通らないのが現実でありました。
確かに、古典鍼灸術に於いては陰陽が統括であって虚実が臨床の実際なんです。
この虚実について角度を変えて脉診を考えてみると、六租脉の理論があります。この脉状については経絡治療の中では「浮沈」「遅数」「虚実」と把える。しかし、この虚実という捉え方はですね、トータル、総合的に病症を把える事であって局所的ではないのです。
その証拠に滑伯仁や張景岳は、六租脉に「虚実」を入れていない。これと同じ事が八綱の考え方でも言えると思います。つまり陰陽が総体であり、トータル的な総綱目であり虚実はそれに付随したものであるとした。その虚実を分類すると病症的に表裏・寒熱という考え方があったわけです。
ところがこの様な理論では、臨床の場における病理考察には少し無理がある。そこで、陰陽は「難経」が八租脉に言う虚実的な立場にはあるが、やはり陰陽を含めて表裏・寒熱・虚実の八綱、四対八綱の大綱を、病症の中に自在に運用しなければだめだと思います。
張景岳は臨床家であったという事ですが、こんな事を言っています。「患者の現わす病症は種々様々であるが、およそ病を診て治療を行なうには、まず陰陽を審らかにする事が医道の綱領である。陰陽の弁別に誤まりが無ければ治療は必ず成功する。この様に医道の根本を一言にて現わせば、曰く陰陽にあり」と述べている。故に臨床の場にては種々なる複雑な病症を二つの類型に大別し、その基本性質を掌握する事が重要となるのであります。
しかし、陰陽が基本的な診方である事は確かでありますが、臨床の場に於ける病症には中々理論通りにはいかないものが多々ある。例えば、熱を出し便秘し口渇を訴えて頭痛も発症しているのに、脉状は沈にして虚数を呈している。現症は確かに実証的病症を現わしているが、内証を現わす脉状が沈虚にして数という陰証を現わしておれば、この病症の本質は虚寒にあるのです。この様な病症を八綱をトータル的に用いて、この病症の本質はどこにあるのかを診ていく事が重要であり、この為にこそ八綱を活用する意義があると思います。この様に八綱理論は総合的に活用すべきものであります。
この事は良く分かるのです。しかしこの為には八綱の一つ一つにつきしっかりとした理解をしなければならない。この理解が出来てはじめて総合的に活用する事が出来るのです。陰陽についてはそのポイントはどこにあるのか、表裏という事は何を現わすのか、臨床的にはどの様に実践すれば良いか、寒熱については病理的にどういう事であり、病症を通してどの様に理解すべきか……、虚実の実際はどの様に理解し臨床実践するのか等々よりはじめなければならないと思います。
これから八綱の大綱につき簡単に検討したいと思います。

3. 寒熱の重要点  
まず「寒熱」についてですが、漢方はり治療の臨床の場において寒熱はどの様に活用すべきなのか。この寒熱の診方には大きく分けて3つある。
第1には、寒証と熱証による病質の分類、病の性質の分類ですね、これがまず1つある。
第2には、これは大変に重要な項目になりますが寒熱の上下の問題です。寒熱の病証が上にあるのか下にあるのか、寒熱の上下の問題、この様な病証は臨床の場にてはいくらでもあるものです。
第3には寒熱の真仮についてです。現症的には熱と診えるのが、その真の病質又は病因は「冷」「寒」にあるという事です。この様な3方面より寒熱を把えて病症を診ていく事です。

4. 表裏の重要点  
表裏についてですが、まず表とはどういうものか、病症的に診てですよ、裏とはどういうものかを理解する事が大切です。例えば、表は皮膚であり経絡である。部位としてはこの様に把えますね。そして、その部に症状を現わせば表病と表現する事になります。しかし、経絡の部に対して蔵府に病を発すれば裏病といい病が裏にあるとするのです。脉診に於いては、表病の変化は陽に現われる。脉状にても陽脉を呈する事になる。裏病は陰に現われる事になります。この様に対応しながら病症を診ていく事になります。
そしてもう一つ重要な事は病気の経過です。病症の推移というか変化ですね。これの診察が大変に重要となります。
例えば裏病について言えば、裏病というのは中の方、陰裏の部に病症がある。いわゆる蔵府に病気がある場合ですね、この様な病症の経過が表に現われる様になればこの病気は良候であるとするわけです。例えば傷寒による急性かぜの場合はですね、初期は悪寒にはじまるわけです。その病症が表に出て来て発熱し発汗して治る事になります。
要するに裏にあった病気が表に浮いてくる。この場合の脉診についてですが、傷寒の初期の脉は沈にして実脉とかの脉を呈しているが、病症の経過により浮脉になってくる。これは明らかに裏にあった病気が表に移行した事を現わしています。この様な病症経過は予後良とします。
この様に表裏に於いては、表というものは何か、裏というものは何か、表病とはこの様な病症であり裏病にはこの様な特色があるという事をまず理解する事が大切であります。この事が出来れば臨床の場に活用できます。

5. 虚実の意義  
虚実には臨床上の意義が二つあります。体質の虚実と病証の虚実ですね。
体質の虚実とは、ここで説明するまでもなく患者の生命力の問題ですね。病証の虚実とは邪正の事であります。邪正の強弱の事です。これにより虚実を弁別する事になります。虚実弁別の一番のキーポイントは、この病症に於いては邪を攻撃すべきか、それとも生気を補うべきかを決定する事にあります。この事は漢方はり治療の臨床にあっては初期的な問題です。しかしここにこそ虚実弁別の最重要性があると思います。
臨床の場に於ける虚は生気を指します。虚即生気とみて良いと思います。この様に生気が虚した状態が虚となるのです。生気というものは非常に虚しやすい性格があり、陰気というものは虚しやすいわけであります。
実とは反対に実しやすい性格があります。臨床の場に於ける実は邪気を指します。そして血実となります。陽に於いては邪気、陰に於いては血実となります。いずれにしましても人間の体を害している大本になるわけですね。決して臨床上では生命力の充実した状態を実とは把えない。邪と把える方が治療につながってくるのです。この事は臨床の場の常識となっています。ただ体質分類に於いてはちがってくるのです。分類の観点がちがうのですね。又虚実についても真仮の問題があります。この点も重要になります。
以上が八綱の大略ですね。しかしこれだけでは理解が充分に出来無いと思います。ですからここで再度陰陽について考えたいと思います。

6. 陰証と陽証  
陰陽論には、生理的・病理的・治療的な各々の考え方があります。この三つの考え方は大変に重要でありますが、この事は当然に修得されている内容であろうかと思います。
八綱理論の中で陰陽を考える場合には、陰証と陽証につき臨床の場を通して把らえる事が必要です。
治療に際して、この患者の病症は陰証なのか陽証であるのかを弁別します。それは病症ばかりではなく脉状に於いても診る事が出来ます。表裏の考え方に於いてもわかります。寒熱の関係も重要となり、虚実もしかりです。いずれに於いても陰証か陽証かを診分けなければいけない。
基本的な事では、陰証とは、陰はまず冷えですね。その前に真陰真陽について考えたいと思います。これが基本となるからです。
この真陰真陽の理論は、治療の場に於ける運鍼や病症診断の際に重要となる、陰気・陽気の基礎となる理論であります。
真陽は、腎中の陽気を云います。脉にあっては右尺中の命門、『難経』は命火と言っていますが、そこで診る、真陰は腎中の陰気を言います。陰というものは冷やす作用があり、陽は温かくなる作用があります。まずこの考え方が基本となりますね。
真陰・真陽が基本となり陰気・陽気という考え方が出て、この考え方が病症上にどの様に現われるかを頭において陰証と陽証を理解する事が臨床上は大変に重要です。

 陰証について簡単に触れると、陰は冷す作用がある。ですから本質的には温を好みます。冷えやすいから陰証を呈する患者は温を好む事になります。飲食においても、生活にあってもですね、そして手足が冷たい、口渇は当然にありません。小便も清長といって、透明でありタラタラと長く、下痢になりやすいが便には余りいやな匂いはありません。しゃべる時の声は低い、口数も少なくなります。
この様な病証が陰証の基本です。以上の病証の有無については臨床の場では必ず診るべきものです。また皮膚の触覚に於いては陰証の場合は冷たい、厥冷している。
陽証はその反対になる。熱を帯びているから冷えを好む事になります。クーラーが好きですね。食べ物についても冷たいものを欲しがりますね。手足も当然にあったかい、それから口渇が必ずあります。これは重要な事です。良くしゃべる、大便も秘結します。そして便の匂いがくさい、たいへんに匂う、それも強い、これは熱の為ですね。熱あるものは匂いとして表現されます。例えば下痢であっても匂いがくさければ熱がある事になります。脉状については、陰証は沈遅となる、陽証は浮数が基本ですね。
臨床の場にては、以上の事を考えて、簡単に脉診し、すぐに腎虚だ肝虚であるとか、腎の脉が浮いているからこれは陰虚である等と証を決めていく傾向がありますが、やはり、種々なる病症等を問診したりして陰証か陽証かをまず把握すべきであると思います。そして証につなげる事が大切であると思いますよ。
ただ病症だけ、脉診だけに偏よると証を誤ちがえ治療が成功しない結果となる場合もあります。例えば、現症として現わす各病症が陽証を多く呈していても、体に触れたら冷たい。脉状にあっても沈遅の脉状を現わしているとしたら、この病症は陰証であり、冷えがその本質になると思います。この点は臨床の場にて気を付けなければならない大切な所です。舌診に於いても冷えを確認する事です。
陰証陽証のポイントは、口渇の有無、便の出方について、飲食の好みの点、生活環境、特に温寒について、皮膚の温寒、しゃべり方、多言か無言かについて等々がその基本になると思います。この様な病証等の診察により、陰証か陽証かを弁別し正しい証につなげていく事が重要ですね。
以上の事を踏まえて陰虚と陽虚につき考えていきます。

7. 陰虚と陽虚  
陰虚陽虚を理解する為には、八綱の中の陰陽理論と虚実理論を総体的に理解する事よりはじめる事になります。
虚実理論の虚の理解、これが重要になります。この事より陰虚は現症的には虚熱になります。虚熱を現わす事になりますね。
陰気や陽気の大本がどこにあるか、腎水にあるわけです。命火にあります。いずれにしましても脉診上では左右の尺中が重要になるわけです。その様な陰気が虚すという事は、腎の陰気が虚すという事はですね虚熱が発生することです。これは陰虚のポイントになりますが、体を触ってみると表面が乾いているんですね。皮膚が枯燥している。これは真に虚熱がある為なんですね。虚熱がある為に皮膚が乾いている。皮膚が乾燥していれば必ず口渇が出る。それにもう一つ重要な現象はですね、消痩といって体が自然にやせてくる病証を現わしますね。お腹をサッと診るとすぐに感ずるのですがよくありますね。特に老人に多いようです。その時に食欲の有無を聞いても特別の事は無いのです。これは陰虚の重要な病症ですね。この病症が発生するのも内熱・虚熱の為です。手足の煩熱も特徴的な病症になります。煩熱というのは中が冷えて外に熱があるんですね。つまり陰に寒があり陽は熱になっているのです。裏寒表熱の病症です。ここに表裏の考え方が入ります。これも陰虚の虚熱が原因となります。腎の陰気虚ですね。そして脉状は浮虚が基本となります。
日常の臨床にあっては、虚熱病症が主の様に診えても脉診では沈虚を呈する患者も結構多いのですが……。この様な脉状の場合は、陰虚証にはちがいは無いが、陽気も虚した状態ですね。
次に陽虚の場合ですね。陽虚というのは、正に命火の虚を指します。命火は生命の大本になります。それが虚すのが陽虚となるわけであります。故に原気不足となります。皮膚は虚冷といって、生気が無くて冷たいですね。皮膚は表ですから表が冷える事は陽の虚になります。ここでは、陰陽・表裏・虚実の考え方が入っているわけですね。それに加えて寒熱も入っている。
全て病症は八綱で診察する。この姿勢は大変に重要となります。
それから汗についてですが、陽虚の汗は午前中に出る。陽の時間に出る汗は、自汗やそれにつながるもの……。これが陽虚の汗になります。この汗は冷を伴います。陰の時間、夜中や午後ですが、この時間に出る汗は陰虚の汗となります。盗汗はその代表ですね。それから小便清長、これも陽虚になります。この様な理解が陰陽論の基本となります。

8. 表裏について追加 
表裏については、表病裏病の理解が重要となります。この事は当然の事になります。 表裏についてもう一つ重要なことは、先にも触れましたが、病症の経過に於いて表裏を診ていく事ですね。例えば裏の病症から表に移る病症、脉状にては沈から浮に移行する病症になります。陽証に於ける病症の場合は、この様な経過は良となります。この反対は悪候となりますね。少し説明が不足で分かりにくいとは思いますが、この点は大変に重要な所です。
表裏理論の臨床の場に於ける重要点の一つは、治療の経過を察する事にあります。

9. 寒証と熱証  
寒熱についても臨床の場にては、寒証と熱証に分類する事がその基本となります。しかしこの事は陰虚陽虚の理論と重なる所が多くあります。陽虚と寒証は同じような病症を現わします。陰虚は虚熱病症を現わします。ただ実熱となると実証の理論が出てきますね。寒証に於いても陰盛という理論と結びついてくるのですが、この事についてはここでは触れない事にします。
熱証の中でも特に虚熱についていえば、やはり臨床的には口渇が良く現われます。この口渇については実熱の証にもありますが……。それと潮熱ですね。潮熱という病症は午後の2・3時頃より熱が出てくる病症の事です。手足煩熱も重要な病症ですね。
また寒熱については上下の問題も重要な診方になります。臨床的に多いのは足の厥冷ですね。冷症の場合は陰証であり手足共に厥冷するのがその特徴ですが、足だけの厥冷、これは大変に大切な病症ですね。この場合は下の方、陰に寒がありその為に上が熱する。つまり逆気の病症になります。これは証に大いにつながりますよ。ご婦人の更年期の病症に多く現われる病症ですね。又この現象とは反対に上に寒があり、その為に下が熱を持ってくる病症もあります。臨床的には胃腸に熱を持つ病症です。病理的には呑酸といいますが良くあるものです。これは肝気が胃を犯す為に現われる病症です。脾胃の運化障害により消化不良や吃逆等を現わします。呑酸は吐酸とも言いますね。よくスッパイ水が胃から上下する病症がありますがこの病証を指します。消化不良を呈しますね。胃腸の障害です。寒が下にある病症は、腹痛を伴う下痢です。下痢病症にも腹痛を伴なわないものもありますが、寒が入った下痢はこの様に腹痛を伴うわけです。それから熱が上にある病症としては口渇です。又赤眼、眼が充血する為にでる病症です。頭重痛もそうですね。顔面紅潮・喉痛・歯痛等も熱が上にある為に現われる病証です。熱が下にある場合は便秘です。下肢の腫痛もそうですね。
この様に寒熱についての上下診断、実に証を決定する為には重要です。病理を考察する為にも大変に重要となります。
以上が八綱理論を臨床応用する為の基本的な診方になると思います。八綱理論の詳細については資料「八綱理論の大要」をご参照下さい。
八綱の応用は臨床の場にて考える事が一番理解しやすいものです。そこで今度は臨床の場に現われる病症を病理を通して考えたいと思います。

10. 食欲について  
ここでは食欲不振についてその病理を検討したいと思います。食欲不振にも全く食欲そのものが無い場合と、食欲は無いけども食べたら食べられるとか、食欲にものすごくムラがあるという病症。又これは有名ですが『飢えて食を欲せず』、飢えているけれども食べられないという種々なる病症があります。
この様に食欲そのものを主訴として来院するのかも問題ですが、とに角にも実地臨床の場には単独の病症で治療に来る者はむしろ少ないものです。複雑錯綜した病症を訴えるものが多い。ここにこそ八綱の応用に意義があるのです。
例えば、食欲が無いからお願いしますと訴えて来院しても、色々診ていくと足が冷える、背中がパンパンに張って頭痛がする、良くねむれない、腰痛もある……等々と必ず種々なる随伴症状を現わすものです。この様な病症を総合的に診断して正しい証を決める事になるわけです。この時に八綱理論の応用と活用により、訴える病症の本質を見極めるところにその要締はある。言葉をかえて言えば、病証の本質、病理を知る事が診断になり、証を正しく決定する事になると思います。
さて食欲不振に房しますが、字で読んだ通り余り食べたくないという事ですねこの病証は……。そこで食欲不振のポイントはどこにあるのか、これは脾胃の寒熱虚実にあります。脾胃に熱があるのか冷えているか、熱があるにしてもその熱は実か虚か、冷えに関しても虚実が重要となります。ここがポイントであろうと思います。食欲不振の基本は胃の冷えにあります。そして胃の冷え方により証に色々とつながってくるのです。
食欲が全く無い病理について、この病症は胃が完全に冷えている事になります。腹診に於いても胃の部が必ず冷たい。絶対に冷たいものです。たとえ周りが温感を発しても臍上部だけは冷えています。陰の方にスーとした冷えを感じます。冷えが内から出て来る様ですね。この様な場合は食欲はありません。この病症で食欲があったら虚寒となり病症経過が複雑になります。予後も良くないと思います。何か別の病気があるのかも知れません。
食欲不振については腹部の冷えが一つのポイントになります。この冷えをどの様に把らえるかにより病症が異ってきます。
食欲が全く無い場合は、脾胃の冷えにつながる事になり、そして脾は虚冷になるのです。働きが無くなるのです。脾の作用は運化です。この運化作用が無くなってしまうのです。この脾の作用は胃の場所を借りて消化という働きをしているわけですから、これが無くなる。当然に食欲が無くなります。食欲の不振は脾の冷えにあります。
次に食欲がやたらに旺盛である場合は胃に熱があると診ます。この場合も病気となります。胃実は邪でありますから……。臨床の場に於ける実は邪気として把らえます。この場合は一時的な食欲であり、その為に必ず他の病症を発症する事になります。病理的には脾は虚になります。脾は虚して働きも低下している事になります。治療として胃の邪熱を取る必要があります。
次は『飢えて食を欲せず』の病症ですが、これも比較的に良くある病症です。腹は空くが食べようとすると少しも入らないと訴える病症です。そしてだんだんとやせてきますね。皮膚も枯燥し熱をもっています。口渇も強くなります。正にこの病症は陰虚なんです。ですから食欲はあるが腎が虚すから食べられないと訴えるのです。腎虚の為に胃の陽気まで虚してしまうのが『飢えて食を欲せず』となるわけです。これが病理です。証は腎虚陽虚証となります。
食欲にムラがある病症についてですが、この病症は子供に結構多い病症ですね。若い人達にも大変に多い病症です。その原因の一つに食生活があると思います。この病症の病理は胃の冷えにあります。では食欲はどこから出てくるかと言いますと小腸が熱を持つ為に食欲のムラ食いがおこるんです。胃が冷えて虚であるから、本来は食欲が無いのが普通ですが、小腸に邪熱を持つ為に時に食欲が旺盛になる分けです。脾はどうかと言うと虚しています。脾も胃も虚冷なのです。一人小腸に熱を持った病症です。
食欲不振の病症について脉診では、まず右関上胃の部の虚に注目する事が大切ですね。必ず虚しています。例えば食欲が無くて関上部が実しているとすれば、これは少し病理的に考えてもおかしい。何かあるはずです。
普通、治療に来て何回かで治る病症は必ず脉と症が一致しています。ですから胃の部に虚があるか小腸も虚しています。やはり腸に冷えが入っていると思います。この様な脉診にて確認する事も大切です。

11. 不眠症について  
不眠症に関しては、難経46六難に「老少の昼夜の寐寤について」書かれている。そこには少壮は良く寝られるが老人は寝られないと書かれている。その原因は陽気の問題にあるとして、少壮が夜良く寝られるのは陽気が盛んで栄衛が活発だからであるとし、老人が夜良く寝れないのは血気が衰えて栄衛が不活発であるからとしている。
この事を病理として考察すると、夜眠れないのは陰虚陽実となります。陰虚がありその為に陽が実するのです。それから昼間に眠くなる、それも昼ずうっと眠いと訴える病症は、陰が実して陽が虚します。
しかし、若い人にも多いのですが、食後1・2時間たつと非常に眠くなりますね。これは正常の生理状態で胃に陽気がたまり胃実となるからです。
寝つきが悪く、全く眠れない病症は血虚になります。血虚の最たる病症です。血虚となると肝虚ですね。勿論陰虚があり陽まで虚した状態になります。
漢方に於ける不眠についての生理や病理は、陽気を基本として考察されている。人体の陽気は脾胃で作られ肺に上り全身を循環しているとする。そして昼間は陽の部位を巡り頭や眼等の諸器官を働かせる。夜は陰の部位に入る。その為に眠れるとしています。要するに頭寒足熱の格好になればこれが生理的に自然な状態であるから良く眠れるのであります。
しかし、何かの原因でこの生理状態がくずされると不眠という病症が現われる。例えば陽気が陰の部位に入れないと下に戻れなくなる。そうすると上の方に陽気が残ってしまい眠れなくなるのであります。
次に蔵より不眠を考察すると、肝は血を蔵している。血は昼間は陽の必要な部位を循環している。しかし夜になれば肝に帰る。これが肝の生理ですよね。ところがそれが肝に帰れなくなると不眠となるわけです。
寝つきが悪いという病症についてはどうかというと、やはり陽気が陰の部位に帰れない為に陽気の一部が頭に残ってしまう。その為に寝つきが悪くなるのです。この様に眠れるという状態は、陽気が頭から陰の方に下がるという事が基本になります。
証についても、不眠は肝虚証だけではなく、腎虚や肺虚、肺虚はどうかな……。腎虚はありますね。それから脾虚もある。病理を理解して証につなげる事が大切です。
臨床の場にて大変に参考になる事があります。不眠を訴える患者の特徴として脇の冷えを訴える場合があります。そこを触わっても硬結や痛み等は無いし決してそこが冷たくは無い、しかし本人はそこの冷えを訴えるんですね。たまにありますよ。
この病症に対する病理は胆気の虚になります。胆気は肝の陽気ですから肝の陽気が虚す為に不眠の病症を現わす。
不眠症には種々あります。自律神経失調症と云われる病症や、更年期障害の続発性としてこの不眠症等々がありますね。この様な病症の脉診にては、左関上の胆経に注意する事が必要となります。勿論、脾胃や肝・大腸の脉も注目しなければいけない。 不眠症の脉診に於いては数脉、それも全体的に数を帯びる脉状が重要かと思います。この事は臨床的に診て納得されると思います。これも一つの診方ですね。
(第4回夏期研大阪大会基調講演・1996年)

 

◆論考3

臨床虚実論の考察

1. はじめに
鍼灸治療の本質は『虚実を弁えて補瀉する』と言われる。臨床の場では虚実を診断し、虚なら補、実ならば瀉という手技を用いて治療を進める。このように、鍼灸治療にとって虚実の正しい理解は最も重要なものとなっている。その為には、病気の本質である精気の虚の理解と病理はもちろん病症も虚実に鑑別できなければ正しい鍼灸治療は進められないのである。ここでは虚実の定義とその種類等につきその要点をまとめてみる。

2. 虚実の定義
虚とは正気の不足した状態である。
虚は不足・不及・損小などとも表現される。これは陰陽の気(働き)の弱りである。また形質や血・津液の不及した状態をいう。
虚には精気の虚・病理の虚・病症の虚がある。精気の虚とは、蔵が持っている気が虚した状態。病理の虚とは、陰陽の気や血や津液が不足した状態。病症の虚とは、現れる諸病症の虚である。

実とは正気の不足より生じた邪気実の状態である。
実は有余・大過・盛などとも表現される。これは陰陽の気の異常亢進である。また形質が旺盛になった状態。あるいは物や気が停滞・充満した状態。
実には邪実・旺気実・病症の実がある。邪実とは、正気の虚に乗じて侵襲した外邪によって陰陽の気血が、生体のどこかに停滞・充満した状態。旺気実とは、陰陽の不調により気血が旺盛に成った状態。あるいは停滞・充満した状態。病症の実とは、現れる諸病症の実であり旺気実や邪実と重なる場合が多い。

3. 精気の虚
陰陽は相対的な関係にあるが虚実は別である。
病気になるのは虚があるからだ。虚がなければ決して病気にはならないというのが古典医学の基本であり、これが『陰主陽従説』といわれこの医学の大きな特長となっている。では病気とはどの様な状態を言うのか。この事は素朴な問いかけではあるが非常に重要な意味を持った疑問である。
病気とは何かについて素問「調経論」にて種々論じている。それを少しく考察する。素問「刺法論」を踏まえて黄帝が問う。『鍼の刺法には、有余には瀉を不足には補を行うとあるが、その有余不足とは何を言うのか』。これに対して岐伯は『有余に五、不足に五ある。何が有余不足かと言うと、神・気・血・形・志の事である』と答えている。
この問答の意味するところは重要である。病気とは「神・気・血・形・志」の有余不足にあると解答している。この「神・気・血・形・志」は五蔵の精気の事であり、この精気が虚したり実したりしたのが病気であると言うのである。素問「六節蔵象論」に、この「神・気・血・形・志」の五蔵配当がある。それによると、心は神・肺は気・肝は血・脾は形・腎は志を蔵するとあり各蔵府の基本性能が論じられている。そして、五蔵の精気の働きは気血となり経脈を通じて全身に循環して身体を形成している。
病気は五蔵精気の虚を基本として発生する。この様な精気の不調により気血の流れに不順が起こり経脈の虚実が生じるのであるとしている。この考えの基本が、蔵府経絡説で説く経脈と蔵府は一体であるとする論である。
古典鍼灸は随証治療が基本である為に「病証」や「証」の病理 的把握が重要な診察行為となる。その為に臨床に於ける病症治療は、病名や個々の症候に対するのではなく「全人的調整」がその目的となっている。故に治療の基本は蔵気の調整にある。この様な基本的理解の立場より、実地臨床の場では「精気の虚」を診断し、陽気・陰気の過不足を診察する事が「証」の決定には最も重要となる。

4. 病理の虚
病理の虚は精気の虚より発生する。
病気は五蔵の持っている精気の虚により始まるのだが、その精気の虚はなぜ発生するのか。それは各自が持っている体質の強弱 や性格的な偏り等より何らかの変調は持っている。しかし、この状態ではそれなりの健康を保っている。これを『素因』という。この素因の段階で現れているのが精気の虚である。この状態は単なる疲労回復か養生法で来院する患者である。
しかし、多くの患者は精気の虚に飲食の過不足や房事過度、労倦、精神疲労等を加えて精気だけでなく、その蔵の持っている陽気や陰気、あるいは血や津液にまで不足を来して来院するようになる。つまり病理的変化を起こしてくる。これも虚であり精気の虚よりも進んだ状態であり「病理の虚」と表現する。
例えば、肝の精気が虚している時に労倦が原因となり腰痛や筋肉痛等の病症を発生した状態である。これは肝虚に血虚が加わり腰痛等の病症が惹起したという事である。
◆精気の虚→内因・不内外因が加わる→虚が発生(病理の虚)?

5. 病理の実
病理の実も精気の虚より発生する。
精気の虚(陰)に何らかの病因が加わり虚が強くなると、どこかの陽が実になりやすくなる。つまの一方に虚が発生すると一方 に実が発生する事がある。素問の太陰陽明論第29に『陽道ハ実シ陰道ハ虚ス』とある。この様な陰陽のバランスにより発生した実は旺気実といわれる。
◆精気の虚→内因・不内外因が加わる→虚が発生????????????????????????????????????? ↓????
旺気実が発生?

次に邪実の発生について考察する。
これには、精気の虚に対して外邪が直接的に侵襲して物の停滞や充満が起こり邪実となる場合と、虚に内因等が加わり病理の虚を発生させ、その虚に外邪が侵襲して新たに邪実を発生させる場合がある。この二つはともに邪実であるが病理の違いがある。この病理の違いが区別できないと治療としての補瀉を間違える。
実に対する補瀉の基本は、旺気実には陰陽の調整としての補法をし、外邪よりくる邪実には瀉法、病理の虚よりくる邪実は補法が基本となる。

◇精気の虚→内因・不内外因→外邪→邪実(補法)?
◇外邪→邪実(瀉法)?????????????????

6. 病症の虚実
病症の虚実とは、患者が現わす諸病症そのものに現れる虚実の事である。
病気は精気の虚があるから起こる。これを本質の虚ともいう。この本質の虚に内因や外因等が加わり病理の虚が発生する。つまり血や津液等の物の不足が加わった状態となる。この様な状態で病症を訴えてくる場合と、これに旺気実や邪実が加わって病症を訴えてくる場合がある。
治療は、まず精気の虚を補うことが基本となる。しかし、臨床の現場では病理の虚実等も診察し選穴や用鍼や手技等により補瀉の量を加味した治療を行うのが一般的である。以上のような治療にて訴える病症が取れれば良いが、往々にして取れない場合がある。このような時には現わす病症に対して直接的に治療を加えねばならない。この為に諸病症を虚実に分ける必要が出てくる。その分け方には一定の法則がある。『難経』48難の条文が基本となる。

〈難経48難〉
四十八難ニ曰ク。人ニ三虚三実アリトハ何ノ謂ゾヤ。
然ルナリ。脉ノ虚実アリ、病ノ虚実アリ、診ノ虚実アリ。
脉ノ虚実トハ、濡ナルモノヲ虚トナシ、牢ナルモノヲ実トナス。
病ノ虚実ハ、出ズルモノヲ虚トナシ、入ルモノヲ実トナス。言ウモノヲ虚トナシ、言ワザルモノヲ実トナス。緩ナルモノヲ虚トナシ、急ナルモノヲ実トナス。診ノ虚実ハ、濡ナルモノヲ虚トナシ、牢ナルモノヲ実トナス。痒キモノヲ虚トナシ、痛ムモノヲ実トナス。内痛外快ハ内実外虚トナス。故ニ虚実トイウナリ。
病症を虚実に分ける基準には三種類ある。すなわち脉と病症と触診である。これの要点を次にあげる。
脉の虚実→脉状が濡であれば虚とし、牢であれば実とする。???????????????
濡は虚・弱・微・?脉等を現わし軟らかい脉状である。牢は堅いという意味であり、脉状では実・洪・大脉を現わし全体に力ある脉状である。
病の虚実→大便・汗・小便など排泄物が出るものは虚とし、逆に便秘・小便不利・無汗など出ないものは実とする。また訴えの多い多弁な人は虚とし無口の人は実とする。あるいは病症が急激な場合は実、緩慢なものは虚とする。
診の虚実→按圧して気持ちの良い場合は虚とし痛みが増す場合は実とする。

以上が病症の虚実を分ける基本であるが、どれを主として区別するかは病症の種類によって違いがある。
ここで、肝虚証を主証とした血不足による腰痛の病症を訴える患者の治療について考察する。精気の虚や病理の虚実に基ずいた治療により病症はかなり緩解したが、未だ完治には至らない症例については病症の虚実による治療が必要となる。具体的には、腰痛の部分を按圧して気持ちがよければこれを虚痛とし補い、反対に痛む場合は実痛として瀉す。
また、筋肉痛などの痛みの病症については、局所の触診を主として虚実を分ける。たとえ脉状が全体に虚脉であっても、髪の毛に触れられない程の頭痛であれば、この病症は実痛とする。熱病の場合は無汗を実とするが、脉状が虚脉であればこの無汗は虚と診て瀉法は加えない。逆に汗が出ていても、脉状が実脉であれば瀉法を加える。また、悪寒と発熱の病症がある場合は、熱が多くても少しでも悪寒があれば、悪寒を主病症として治療を行う。
いずれにしても病症だけで虚実に分ける事は無い。臨床的には全身的病症は脉状を主とし、局所の病症は触診を主とする場合が多い。また、急性熱病は病症と脉状を主とし、慢性的病症は触診を優先して補瀉の手技を加えるのである。

参考文献
「素問」「霊枢」「難経」
「素問・霊枢・難経・傷寒論のハンドブック」池田政一著
「古典の学び方」池田政一著
「漢方医術講座」漢方陰陽会編
「経絡治療学原論」福島弘道著
「日本鍼灸医学」経絡治療学会編
「伝統鍼灸治療法」池田政一著
「漢方鍼医」漢方鍼医会編
(漢方鍼医会・1998年)

 

◆論考4

鍼灸臨床の病証考察(1)  虚証について

1. はじめに
漢方医学は総体論が基本である。これは、病人全体を診て証を決めるという事である。例えばまず陰陽を診る。そして寒熱診る。これが東洋医学の基本であると考える。
臨床病症は、寒熱論・陰陽論で考えると明らかに発症の基本が違う。このような診方は漢方医学では当然の事だと思う。例えば、老人に発症する病症は、五臓が衰えているから当然若人と同じ病症を発症するわけはない。このような姿勢が重要なのである。そして、その理論の基本には病証論があるのだ。

2. 虚証について
虚証というのは「元陽虚極シテ真陰不足」と古典に書かれている。これは腎虚損の証だという。これが証の基本になる。
虚証というのは、例えば治療室に来る患者はどこか機能的に五臓的アンバランスが当然ある。その虚証の病証的基本が陰虚となる。この「元陽虚極シテ真陰不足」は三焦の原気衰と捉える。脉状は浮にして虚そして無力。これが虚証の基本となる。
虚証には、脉状が沈で虚もあるが基本が脉状は浮いて虚。病症が進行して命旦夕に迫るようになってくると、脉状は沈んでくる。このような考え方が古典的考え方だと思う。

3. 陰虚について
虚証の代表が陰虚になる。陰虚というのは腎虚損の証となる。陰虚の代表は腎虚になるのだが、陰虚は腎虚だけではない。
陰虚の病証は、病理として陰分が不足する、陰分が不足するということは陰分にある津液が不足する事である。そして三陰の虚、これは肝・腎・脾の虚となる。しかし、その代表は腎虚になる。そして陰虚とは腎中の真陰が虚弱する、陰虚内熱する、もう少し進行すると血虚、三焦の原気不足となる。生理的には体力が衰えてきた場合に陰虚となるのだ。
陰虚の病証は、陰分の津液が不足する。不足すると虚熱が出る。津液というのは液体である、水分である。これには冷やす作用がある。その冷やす作用がなくなれば虚熱が出てくる。そうすると脉状は当然に浮いてくる。ごくごく自然な生理的現象である。最近の患者はいろいろな薬を飲んでいる。それから栄養補助食というものも食べている人が多い。そうなると湿邪に侵され湿症を発症する。湿証になると脉は沈んでくる。最近は生理的な老人は少なくなってきた。
陰虚の病症で一番の問題は皮膚が枯燥するということ。皮膚が枯燥するということは内熱、虚熱があるために表の皮膚が乾いて皮膚が枯燥する。それと消痩という病症がある。消痩というのは自然に食べているのに痩せてくる病症である。治療室の患者に多い病症である。この状態は余り他に病症を持っていない。いわゆる生理的な現象で陰虚になっているのである。それに五心煩熱という病症がある。この病証は手足心熱という、いわゆる手足が火照ったりする病症を発症する。このくらいまではそんなに病的じゃないが、これが基本的な陰虚の状態である。
陰虚の腹証は、腎肝に力がなくなってくるから浮いて無力となる。生理的に年をとった人の腹証は、下腹の腎肝が無力になる。そして脾のところまでそういう状態がでてくる。これが典型的な陰虚の腹証である思う。これは見事に脉と生理と病理が一致した状態である。ですからこういうものはそんなに病的ではないと思う。

4. 陰虚の病証
この陰虚の病証には、虚労・労倦・血虚・虚燥の4つある。
虚労病証というのは普通の疲れである。労倦の疲れとは少し違う。「虚労ハ腎虚ナリ」という言葉もあるように、虚労・労倦・血虚・虚燥という病証が考えられる。まあその他にもあるが代表的にはこの4つが考えられる。
陰虚に対するものに陽虚というものがある。陽虚というのは陰虚が進行した病証となる。いきなり陽虚を発症するものではない。これが古典医学の基本的考えであると思う。であるから陰虚に対する病証に陽虚というのがある。このように虚証の中には陰虚と陽虚。それに、私は気欝と血欝という病証も入れた方が良いと思う。
虚証のなかには陰虚と陽虚がある。そして陰虚の中には虚労・労倦・血虚・虚燥があり、陽虚の中には気虚・血虚の一部、それと気欝・血欝がはいる。
その虚労について、虚労という病証は臨床室によく来院する。虚労病証は腎の虚損が原因である。ですから典型的な腎虚になる。典型的な腎虚を思いえがけば理解がしやすい。この虚労にも段階があって気虚・血虚が進んだ病証であり、五臓の虚の総称であると古典には書かれてあるが、虚労は腎の虚損がその基本となる。
虚労病症は、倦怠感を感ずる、何もしないのに何だか疲れる、朝起きて何だか疲れが取れていないという倦怠感。それから精力が減退する。どうも最近その気にならないんだと訴える。そういう人の腹証を診ると、やはり腎肝のところがふわっとういていわゆる無力な状態をしている。これは明らかに腎肝の虚である。それから口が乾く。自然に痩せてくる消痩。また、夜になるといろいろな病症がでると訴える。こういう病症はすべて虚労の中に入る。
この虚労の場合は、陰虚だから脉が浮いて虚しているのが基本であるが、脉が遅いという特徴もある。ところが神経的な虚労となると、これは反対に脉が速くなることがある。まあだいたいは脉が浮いて虚して遅いということが虚労の脉の基本になるのはたしかである。
証は腎虚が基本だが、脾虚とか肺虚の一部もある。脾虚になると労倦になっている場合が多い。
労倦の一部は虚労と同じであり病理的にも腎気の虚損が原因である。特に労倦となると体の酷使や食べすぎの労傷、体を使いすぎた為に倦怠感が強い。このような労倦病症の脉状は浮いて大きくて若干強い場合が多い。このような場合は労倦となる。
労倦の場合は脾虚肝虚というのが基本にくる。労倦病症の特徴は、四肢倦怠感、体が重い、それから節だとか筋肉の諸病症を発症する、目が疲れるという病症もある。都会の患者を診ていると虚労の方が多いようだ。パソコンの使い過ぎで労倦になる場合も多いが虚労病症を訴える方が多いように感じる。労倦病症は血がからんでくるから脉状は虚労病症よりも強くて大きくなってくる。
疲れすぎた時の脉状にもいろいろあるが、精神的に疲れた場合、肉体的に疲れた場合の脉状は浮脉になるのだが、それぞれ少し違った脉状を現わす。これを放置し進行した病症になると脉状が今度は沈んでくる。脉が沈んできて血がからんでくる、完全に血が絡んだ場合の脉状は硬くなって?を帯びてくる。本当に疲れた場合の脉状は浮かない、それは、体力の低下により浮かせる力もなくなるのである。

臨床実践において気をつけなければならない事に、現代人はよく強壮剤や健康補助食等を飲んだり食べている人が多いという事だ。そうすると脉状にも変化を生じ、生理的な脉状を現さなくなる。このへんに臨床の難しいところがある。しかし、基本としてこのような脉状を現す事はおさえておくべきである。
陰虚の中の血虚というのは栄血の虚、いわゆる血分の虚損、失血過多、それから思いわずらう等が原因となり発症する。血虚になると陽虚になるはずで、その進行過程にこういう血虚を発症する。
こうなると手法の問題もでてくる。衛気を補うか栄気を補うか。陰虚において栄気を補う場合、衛気を補う場合の両方がある。必ずしも陰虚だから栄気を補わなければいけないということはないはずである。
若い女性に血虚病症が多い。血虚病症の望診的特徴に顔面萎黄色がある。いわゆる顔面が黄土色になる状態で、樋口一葉なんかは完全に血虚であると思う。要するに顔色は悪く萎黄色、ちょっと黒っぽいような状態。彼女の場合はもう陽虚になっていたと思う。むしろ陽虚からもう少し進行して脾虚肝実に進んでいたと思うくらいである。 
この萎黄色はどういうところに現われやすいかというと、口の周り、鼻の周りに多い。このような病症には必ず肩凝りがあり足も冷えている場合が多い。腹証も臍(中焦)が軟弱であり冷えている場合が多いものである。そして体全体も筋張ってなんとなくごつごつしている。女性らしさがない。

つぎに虚燥である。虚燥病症は現代の臨床には多いのではないか。燥も腎の虚損がベースにあって、腎の消喝いわゆる燥症とう形で発症する病症である。症状は、体全体がかさついてくる。若い女性にも多い病症で、若い女性の肌は本来すべすべしていなければけないのにそれがかさついてくる。燥の症状で気が少なくなり虚燥病症になる。こういう虚燥病症を現わすのは冷え性を持っている人に多い。血虚があり手足がだいたい冷たい。
病症としては肩甲間部がすごくこっている。小便の出かたも少ない。もちろん皮膚も枯燥して便秘している。便秘していて小便が不利。便秘していたら小便が多くなるのが生理的なのだが、小便は不利となってくる。この病症も腎の消喝が原因である。 
冷えて小便が出なくなり便秘する。燥邪が入る場合も腎気の虚損があるからこのような病症を発症するのだがこれも多い病症である。口中にもよく傷が出来やすく歯磨きするとすぐに荒れてしまう。よく胃が悪いからこの様な症状が出ると言われるが、そうではなく腎気が虚しているからだ。そして目が赤くなるというのも特徴である。

5. 陽虚について
次は陰虚の中の陽虚ですね。陽虚というのはいきなり陽虚になるのではなく必ず陰虚の段階がある。五臓の正気虚というのが陰虚であるから、その陰虚が進行したものが陽虚になるのだと理解している。陽虚というのは陰虚より進行したもの。陰虚というのはある程度生理的なところもふくまれるが、陽虚は明らかに病的症状となる。現代病に陽虚の病症がすごく蔓延している。陽虚にも段階があって然りである。であるから陽虚の治療を通していくと陰虚のかたちに戻ってくる。
治療室にも健康管理で来院する患者が結構な割合を占めていると思うが、そういう人の脉状は陰虚になっている場合が多いのである。それも四季の素因脉、体質脉になっている。そのような脉証をしている場合は、症状を訴えていてもたいした病症ではない場合が一般的である。少し疲れが出たぐらいで、1.2回の治療で症状が好転する場合が多いはずだ。
現代の患者は、病院に通っている人は数種類もの薬を飲んでいるものが非常に多い。それだけではなくサプリメントを二種類、三種類と飲んでいる。なかなか陰虚という生理的な人は少なくなってきた。このように薬を含めて食毒というのはみな湿邪になると思う。邪としては湿邪が入り湿症を発症することになる。

6. 湿症について
湿症は臨床実践の場ではかなり重要である。治療室に来院する患者はすべてこれを疑ってかからなくてはいけないとおもう。この湿邪には天湿・地湿・飲食がある。
天湿というのは気候であり、地湿といのは自然環境であり営衛を傷りやすい。人体でいえば肌肉、筋骨を傷りやすい。飲食は食べ物、これは中焦を傷りやすい。
この湿邪が体にからんだ場合はどのように考えるかというと、外湿・内湿・上焦の湿・中焦の湿・下焦の湿・経絡に湿が入った場合・肌肉に入った場合・皮膚に入った場合・肺に入った場合・肝に入った場合・腎に入った場合・府の蔵に入った場合・五蔵に入った場合等がある。このように湿邪というのはあらゆるところに入る。ただ湿邪病証のいちばんポピュラーなものは四肢四関、手足・肘だとか膝の四関、関節ですね。それ等の部位が痛んだり腫れたりつっぱったりするというのが代表病症となる。それと湿邪は脾と親和性があるから中焦の病証が出やすい。それと 四肢四関の病症であるから体が重く節ぶしが痛む症状。このような病症を発症する。そしてこの病症は不動性といってあまりあちこちに移動しない。このような病症が日常臨床で来院するわけである。
腹証においても命火を診ることが重要となる。腹診にては右の下腹部に命火の診察部がある。この腹証の診方は脉診に応じて部位を決めていくから、陽虚の場合は命火のところの反応を診なければならない。陽虚にもレベルがあるから軽い陽虚から進行した陽虚がある。慢性痼疾の陽虚は必ず命門ところに変化がある。これがどういうふうに出てくるか。まず冷えとして出てくるだろうし、あとは空虚感として出てくる。その様に何か変化が当然あるものだ。
陽虚になった場合は陽気不足になるから必ず腎気虚損がある。こういう場合は陽虚外感といって皮膚が冷たくなる。陽虚の場合は皮膚があったかいということはない。皮膚が冷たい。二十代の女性に陽虚が多いのだが、これは血の陽虚だと思う。
このように陽虚の場合には皮膚が冷たくなる。これが進行すると陰実になるが、陰実病証も必ず皮膚が冷たい。そして腎虚の中でもより深いところ、真陽の虚いわゆる腎陽・命火の虚というが、ここまで進行すると完全な陽虚になる。
陽虚の病症は皮膚が冷たい、皮膚寒症ということである。それと四肢が厥冷する。自汗も発症する。小便のでかたも悪くなる。また、ひどくはないが腰の辺りが重くなる。女性の場合は生理のためだというがこれも陽虚の病症である。脉状は沈虚。
陽虚の病証には気虚(血虚の一部)・気欝・血欝となる。陽虚の代表病証というのは気虚になる。この気虚というのは、肺とか腎・三焦の虚・陽気の虚・衛気の衰・原気の虚がある。気虚外寒といわれ外寒する。冷えが入りやすい。肺・腎・三焦の虚、いわゆる腎虚ということは命火の虚になると思うが、これが陽虚ということ。
病症としては外寒、皮膚が冷たい、それから倦怠無力感、そして陽気喘がある。これは咳も出るが、陽虚の場合は軽い咳がずっと続く、自汗があるとか、婦人では崩漏といって性器から出血するというのもありこれも気虚、血虚のほうに入れる。それと気喘といって軽い咳が続く、1ヶ月も2ヶ月も続く病症もある。それから気虚の頭痛というのがある。頭痛でもいろいろある。
気虚の場合の脉状は沈虚で無力。臨床室では浮にして虚というのもある。でも基本は沈にして虚、こういうのが気虚だと思う。そして脉状は細くて無力というのが気虚の基本である。証としては肺虚・腎虚・脾虚がある。

※漢方鍼医会の研修部における継続講義。病証考察は、実証・湿証・燥証・風証・
  寒証・熱証・労証・冷証と続く予定である。
(漢方鍼医会・2004年)

 

◆論考5

臨床脉診の修得は漢方病理の理解からはじめる

1.はじめに
 漢方理論を基礎とした鍼灸医学の脉診を修得する為には脉診学の基本論からはじめる事は論ずるまでもない。この様な「脉診学」の基礎習得があってこそ、臨床実践に活用できる臨床脉診の研修が可能となるのである。ただ脉診の技術論ばかりを追求しても余り効果はあらわれないのである。
では、脉診で何を診るのか。目的は、気血津液を基本とした病証・病理・病因等を踏まえた「証」の診察である。また、治療量(ドーゼ)の目安、治療法の適否、治療結果の判定等、治療に関する全てに活用出来るのである。この様な脉診の修得には、臨床病症の基本となる漢方病理の理解が最も重要となる。表題である「上手に脉診を修得する」為にはなおさらである。
本論考では「鍼灸臨床における病理」「浮沈脉の脉証と病理」「脉状診と脉差診」等につき所論を述べる。

2.脉診文献の多様性と臨床脉診について
漢方医学における脉診法の文献は種々ある。脉診修得の第一関門は、どの様な脉診法を学ぶべきかからはじまる。そこで『素問』『霊枢』に書かれている脉診と難経流の脉診について簡単に考察する。
私共が行なっている脉診は難経脉診が主体である。『素問』『霊枢』等には様々な脉診法が述べられているがその主なものは三部九候論・脉要精微論・人迎脉口診などに述べられている脉診法である。そこで、これらの脉診法を考察し、更に難経の脉診とはどの様なものであるかを検討してみる。
@『素問』三部九候論に述べられている脉診法                          
身体を上部、中部、下部の三部に分けて、上部は頭に中部は手に下部は足に夫々天、人、地と三ケ所づつの脉診部を定めて三部九候としている。
『素問』三部九候論は最も古い形の素朴な脉診法で、直接経絡上の脈動を触ることによってその流注する蔵府や組織の状態を知ろうとしたものである。しかし、この脉診法では脉診部位が離れ過ぎている為、局所的診察が主であり、全身の病理を把握することは困難であったと思われる。
A『素問』脉要精微論に述べられている脉診                            
脉要精微論では、現在と同じ様に手の太陰肺経の脉動部(寸口)だけで身体全体の蔵府や組織を診察する事ができる。しかし、その内容は「難経」の脉診法とは異なっている。
脉要精微論の蔵府組織の配当は解剖学的な位置関係によって定められており、経絡は配当されていない。これに対して『難経』では形の上ではこれを採用しているが、内容的には蔵府経絡説、陰陽五行説に基づいて藏府経絡の配当がなされている。
B人迎脈口診について                                        
人迎とは胃経の人迎穴の部であり、脈口とは気口とも寸口ともいって脉診している手の太陰肺経の脈動部である。                                  
人迎と脈口を比較して、三陰三陽のどの経絡に病変があるのかを診察する。            
人迎……全身の陽気、三陽経と腑、外傷を診る。                        
脈口(気口、寸口)……全身の陰気、三陰経と臓、内傷を診る。
人迎脈口診は『素問』『霊枢』を通じて最も秀れた脉診法といえる。『難経』の脉診法はこれらの脉診研究の成果を全て踏まえた精密で最高度に完成された脉診法である。そして現在古典として残されている脈書の主流は「難経」の流れをくむものが主であるといえる。
C『難経』の三部九候論
『難経』の三部九候論については、江戸時代の臨床家が書いた『杉山流三部書』を抜粋して参考にしたい。
『医学節用集』(脉のこと)抜粋                               
夫レ脉ハ古ハ人迎、気口ヲ候ウテ内傷外感ヲ診ルナリ、然ルニ手ノ三部ヲ以テ一部ニテ浮中沈ヲ候イ、上焦中焦下焦五臓六腑ヲ攷ヘテ病ノ軽重、大過、不及、生死ヲ識ル。             
三所(寸関尺)ニ三指ヲ当テ浮キテハ腑ノ病ヲ候イ、押テハ臓ノ病ヲ知リ、中ニ押シテハ胃ノ原気ヲ診ルナリ、是ヲ浮中沈ト云ウ。寸口ハ上焦、陽ニシテ天ニ象ル、是ニ由テ胸ヨリ頭ニ至ルマデノ病ヲ候イ、関上ハ中焦、半陽半陰ニシテ人ニ象ル、此ノ故ニ胸ヨリ臍ニ至ルマデノ病ヲ候イ、尺中ハ下焦、陰ニシテ地ニ象ル、故ニ臍ヨリ足ニ至ルマデノ病ヲ候ウ。寸口ヲ陽脉トシ尺中ヲ陰脉トス。故ニ関上ハ寸口ト尺中トノ間、陰陽ノ界目ト云リ。扨テ左手ノ寸口ノ脉ヲ心、小腸ト取リ、関上ノ脉ヲ肝、胆ト取リ、尺中ノ脉ヲ腎、膀胱ト取ルナリ。右手ノ寸口ノ脉ヲ肺、大腸ト取リ、関上ノ脉ヲ脾、胃ト取リ、尺中ノ脉ヲ命門、三焦ト取ルナリ。左手ノ三部ニテ藏府ヲ診ルニ、指ヲ軽ク浮カセテハ小腸、胆、膀胱ノ三腑ヲ候イ、指ヲ重ク押シテハ心、肝、腎ノ三臓ヲ診ルナリ。右ノ手ノ三部ニテ臓腑ヲ診ルニ、指ヲ軽ク浮カシテハ大腸、胃、三焦ノ三臓ヲ診ル、指ヲ重ク押テハ肺、脾、命門ノ三臓ヲ診ルナリ。腑ハ陽ナルカ故ニ軽ク候イ、臓ハ陰ナルガ故ニ重ク押ト知ルベシ、陽ハ外ヲ主リ、陰ハ内ヲ主ルガ故ナリ。
Dその他の脉法
〇胃の気について
胃の気の有無で平脉(健康脉)、病脉、死脉を別ける。              
胃の気のある脉とは五臓の脉や季節の脉に和緩(潤い、和ぎ緩む)を帯びた脉である。胃の気の充分にある脉は、平人(健康な人)の脉であり、たとえ病脉でも胃の気が多ければ治り易い。胃の気が全くなく純粋に臓の脉を現わすものを真蔵の脉といって死脉とする。
〇五臓の脉について
五臓は独自の脉状を持っている。『難経』四難を参考にすると、心と肺は陽に属し共に浮脉を現す。心の脉は浮、大、散(洪脉)。肺の脉は浮、?、短(毛脉)。肝と腎は陰に属し、共に沈脉を現す。肝の脉は沈、牢、長(弦脉)。腎の脉は沈、濡、実(石脉)。命門は腎に同じ。脾の脉は陰にも陽にも属さないので浮と沈の中間にあり緩脉を現す。                           
五臓の正脉とは、健康な状態の脉であり、各臓の脉状が寸、関、尺と夫々の配当された部位に搏つのであるが、胃の気を現す和緩の脉を帯びている為、五臓の脉状がはっきりと現れないものを良とする。
それに対して病脉は、胃の気が少ない為に脉に艶がなく硬さを増して五臓の脉状の特徴が強く現れ、又、各部位に他の臓の病状が現れたりする。尚、五臓の脉といわれるが臓だけでなく腑も同じ脉状である。難経10難では、腑は微、臓は甚と表現している。
〇菽法脉診について
菽法とは豆粒の重さのことであり、指の押さえ方を豆粒の重さで表現したものである。
菽法脉診は、『素問』『霊枢』にも書かれていない古い脉診法であったと思われる。一ケ所の脉を五段階の深さに分けて五臓を診たものであると思われる。しかし『難経』では寸、関、尺の各部に臓腑が配当されているので次の様になる。        
右寸口 肺 3菽 皮毛の深さ。                              
左寸口 心 6菽 血脈の深さ。                              
右関上 脾 9菽 肌肉の深さ。                              
左関上 肝 12菽 筋の深さ。                              
両尺中 腎 命門 15菽 骨の深さ。
〇四時の旺脉について
春夏秋冬を四時といい、その間の土用を四季という。人間の身体は季節の変化に順応する。その時に搏つ脉を四時の旺脉といい、左右の寸関尺全体に現れる。                                  

3.鍼灸臨床における病理
臨床脉診の修得にはまず漢方病理を理解しなければならない。これなくしては、単なる脉診学の修得に終わり鍼灸臨床の実践には応用できない。
@精気の虚について
病気の始まりにはつねに精気の虚がある。これが伝統鍼灸の原点である。精気の虚に内傷が入ってそこに外邪が侵入する場合とか、精気の虚のゆがみの段階で外邪が入ってしまう場合、また精気の虚と内傷があるところに外邪が入ったために虚の病症を呈して旺気実が発生するとか。病症の虚実により臨床現場では補ったり瀉したり輸瀉したりと治療の方法論はさまざまであるが、その全ての場合において、病の大本には精気の虚があるのである。ではその「精気」とは具体的に何か。
『素問』第62調経論に「鍼の刺法には、有余は瀉し不足は補えとあるが、その有余・不足とは何を言うのか」「有余に五、不足にも五ある。何が有余・不足かと言うと、神・気・血・形・志の事である」という問答がある。この「神・気・血・形・志」が五蔵それぞれの精気のことである。素問第九「六節蔵象論」では、この五蔵配当として、心は神・肺は気・肝は血・脾は形・腎は志を蔵すとあり、その基本性能について論じている。
病気はこの五蔵精気の不足を基本として発生する。これにより気血の流れに不調が起こり、経脈の虚実が生じるのである(蔵府経絡説)。
A陰虚の重要性について
この「病は精気の虚から始まる」ということを色々な面から追求していくと、我々の臨床現場では「陰虚」の重要性があらためてクローズアップされてくる。陰虚というものの考え方、病理的把握の方法が全ての基本だと言うことに気づく。
陰虚とはどういうものか。病において五蔵の精気の虚があるということは、大きな意味での陰虚であり、それが「証」の基本でもある。「調経論」だけではなく古典のあちこちに出てくるこのような考え方をまとめたのが、古典医学の基本となっている「陰主陽従説」ということになる。
陰虚と陰主陽従説、これが古典医学の基本である。そしてこの基本論を踏まえ、内経医学を駆使して病理というものを臨床の場で考察し活用する事が脉診修得の課題である。
臨床の場に於ける証(病理)の分類は、古典医術の基本である「病気は五蔵精気の虚より発生する」を中心として考えられている。このことは、実地臨床の中で正しい「証」を把握する為には実に重要な概念である。

『素問』第62調経論の基本病証論に基づき分類する。
1.「陽虚すれば則ち外寒す」
病理−陽気が陽の部位に不足した状態。寒の病症を現す。
〈基本証〉脾虚陽虚証・肺虚陽虚証・肝虚陽虚証
2.「陰虚すれば則ち内熱す」
病埋−陰の部位の陰気(精気)が不足した状態。陰の部位の陰気(水・津液)が不足した状態。虚熱の病症を現す。
〈基本証〉腎虚陰虚証・脾虚陰虚証・肝虚陰虚証・肝虚肺燥証(肺の陰虚証)
3.「陽盛んなれば則ち外熱す」
病理−陽気が陽の部位に多くなり停滞・充満した状態。熱症・実症の病症を現す。
〈基本証〉肺虚陽実証・脾虚陽実証
4.「陰盛んなれば則ち内寒す」
病理−陰の部位に水・津液が旺盛になった状態。(素問) 内寒の病症を現す。
《参考》陰の部位に?血を生じ血熱の病症を現す。(熱血室に入る)   「難経75難」
〈基本証〉肺虚肝実証・脾虚肝実証
※「陰盛」「陰実」については今後の臨床研究が必要である。

 我々の臨床室で一番多いのは陽虚証であり、それに伴って陰実証も増加している。、体力が低下していること、環境ホルモンやオゾン層破壊による紫外線増加など新たに色々な病因が錯綜していること、薬や栄養剤を飲んでいる人が多いことなど、そのために陽虚証を呈する人が増え、それが進んだ状態として陰実証が多くなってきているのではないか。日々の臨床現場を想定していただくとわかるように、脉を診ながら身体を触ると冷たい、この冷えは肺気の虚、つまり陽気虚である。脉は大体において沈んで虚、または数、進行すると遅、そんな人が多い。陰実証になるとこの沈んだ脉に?を帯びて若干堅い実脉を呈する。フクフク然として決して強くはないがいつまで押さえても消えない脉である。また純然たる陽実証は意外と少ない。これは陽実証の段階で薬を飲んでしまうとか、病因的に内傷が強いとかの理由で陽虚証になってしまうのである。脉は沈んで?を帯びたり結滞したりというような形を取る。

○陽虚証の基本病理は
1.陽の部位の陽気(衛気・営気)が不足した状態 
2.陰の部位の陽気(血)が不足した状態の二通りで、基本病症は虚寒(冷え)である。このように陽虚が増えていると言っても、いきなり陽虚になるのではなく、その前提には陰虚がある。
陽虚証の基本病症は、全身の倦怠感・皮膚寒症(皮膚を触ると冷たい)・食欲不振(食べてもすぐ満腹)・少気頼言(繰言を言う)・悪寒(寒くないのにぞくぞくする)・口渇なし・自汗(午前0時からの陽の時間)・小便清長・四肢厥冷・遺精・眩暈(たちくらみ)・足汗(冷え)・全身の浮腫・頭重痛・陽虚喘(冷えると咳が出る)・陽虚の発熱(微熱が続く)・腰痛(慢性の鈍痛)など。総じて冷えと停滞・全体的な機能低下の病症である。病症をいちいち憶えなくても、陽気が少なくなったために温める力が無くなって冷えるという基本的な病理がわかっていれば理解できるはずである。また、陰虚が前提になっているのだから当然陰虚の代表病症である消痩もあらわれる。

○陰虚証の基本病症は虚熱(内熱)である。この熱がどこから来るかという基本病理としては、
1.精気の不足 
2.津液の不足
虚熱があるから脉状は浮いて虚して大きいことが多い。津液は水であり、これには冷やす作用があるから不足すると熱が多くなる。この熱は陰の熱であるから内熱、陰虚だから虚熱ということになる。陰虚の代表は腎虚証であり、腎陰虚の脉状を想定すると、他の陰虚もわかってくる。
陰虚証の基本病症は虚熱病症であるが、一番の代表は皮膚枯燥である。熱には上昇性があるから表に浮いてくる。そのために表面の水気が取られ老人特有の枯燥した皮膚になる。それから消痩。普通に食事していて食欲があっても自然にやせてくる。年取った人に久しぶりに会うとやせたと感じるが、本人は至って元気、年を取るということは陰虚になるということであるからこれで自然なのである。朝起きると口や喉が渇くとか、夜、何回も目が覚めて眠りが浅い、五心煩熱といって手足の掌や胸中がもやもやするとか、寝汗、便秘などすべて陰虚の病症である。
陰虚は老人になったら一種の生理的現象で、六十歳過ぎた人ならまず陰虚があるから、カルテ記載のおりにはこのような病症が必ずある。ただ残念ながら今の医療制度では60歳以上の10人中8人か9人は薬か栄養剤を飲んでおり、これらの口から入るものは全て水毒といって湿邪になるから、健康や長生きのためにと思って、反って陽虚になってしまう、そんな皮肉な現象になっている。陰虚の典型や老人の脉は浮いて大きくて弱いことが多いが、こういう場合は沈んで?を帯びて、皮膚を触ると冷たく、なおかつ枯燥している。水毒がさらに増すと、陰実証を呈するようになるというケースもある。
実際、陽虚証と陰実証の病症は似たところが多い。臨床現場では陰実証の患者さんに陽虚証の治療を施していてもいつのまにか治ってくることさえある。
このように、陽虚証や陰実証、これには血熱や血実・?血がからんで、特に女性の更年期などはまず陰実を頭に置いた方がいいのだが、その大本には陰虚証がある。

4.浮沈脉の脉証と病理
陰虚、陽虚は漢方病理の基本である。陰虚、陽虚をいかに理解するかにより陰実・陽実も容易に分かってくる。陰虚、陽虚を正しく理解するためには浮脉、沈脉の脉証を考えなければならない。
@浮脉について
浮脉とは基本的に風邪・表病を現す脉である。陰陽脉の分類では陽に属する。臨床の現場では、証・選穴や手法が正しければ中位に沈んで、意外と正脉になり易い。
〇浮虚の脉証について
浮脉は肺金の正脉であり毛脉に通じる。はっきりと輪郭が出ていない方が良いとされる。輪郭が出ているのは邪が入っているということである。脉全体が中脉よりもやや上にある。
『脉法指南』では浮脉(この場合は浮虚と考えた方がいいと思われる)のことを「元陽虚極シテ真陰不足ノ脉也」という。元陽虚極とは三焦の虚を示し、真陰不足とは腎虚を指している。『診家枢要』には「浮虚ハ原気不足ノ脉也」とある。これも三焦と腎の虚を指す。腎虚は陰虚(肝・腎・肺・脾・心包虚)の代表であるから陰虚と言って良い。
〇浮実の脉証について
『診家枢要』に「浮ニシテ力アルハ風ナリ。中風、傷風ヲ主ル」とあるとおり、浮いて実の脉は外邪の風邪をあらわしている。
臨床的には風熱・風寒の病邪により悪風・悪寒・発熱・麻痺・不仁・口渇・頭痛・身痛など陽実の病症を発する。
陽実とは、陽の部(陽経・府・上部・皮膚等)に邪気や血等が充満し働きが悪くなり実熱を発する状態である。

A沈脉について
沈脉とは浮脉の反対の脉である。『脉経』で「之ヲ挙ゲレバ不足、之ヲ按ズレバ有余」としているとおり、脉全体または中脉の位置が脉診部の中間より下に位置する脉状である。脉診部に当てた指を浮かせてくると虚ろな感じがするが、沈めていっても簡単には消えない脉である。
季節でいえば冬の脉である。五蔵では腎水の大過脉である。病証としては蔵病や陰病を現す脉状である。『難経』の陰陽脉状の分類では陰に属する。
病脉としての沈脉は、浮脉と違ってそう簡単には中位に浮かない、継続的治療を要する脉である。また、気を漏らしたり選穴を誤ったりして脉が開いたときにも、中位に浮いてきたようにみえるのでよく観察しなければならない。遅数・虚実など他の脉状との組み合わせから、常に病理を考えながら証や選穴につなげなければならない。
病理としては、ひとことでいえば陽気衰である。特に陰の部においての陽気が虚している。陰の邪(寒・湿)が蔵・陰経・腹中に侵襲してきている脉でもある。
また、沈脉の陰陽の気は陽気が裏に閉じ込められて表面に出てこられないという場合もある。このときも、遅数脉との兼ね合いがあるが、大体は働きが低下して冷え・停滞の病症になってくる。
〇沈虚の脉証について
「沈細ハ少気トナス、沈遅ハ痼冷トナス」(『診家枢要』)
これは陽気虚による『冷』を示すもので、臨床的病証としては陰経や藏府に問題があり陽が冷えている。先の言葉でいえば裏の虚を意味する。そして身体がそれだけ抵抗力を失っていると寒邪が当然入ってくるから、身体の痛みや水分の貯留による全身の浮腫などの病症を現してくる。だから逆に脉証の沈虚は病因としては「寒湿の邪」を表すと考えてもいいだろう。寒湿の邪というのは、平たく言えば冷えであり水である。水分の邪とは「飲食の邪」でもある。
陽虚外寒証の基本病症は、総じて冷えと停滞・全体的な機能低下の病症である。病症をいちいち憶えなくても、陽気が少なくなったために温める力が無くなって冷えるという基本的な病理がわかっていれば理解できるはずである。また、陰虚が前提になっているのだから当然陰虚の代表病症である消痩もあらわれる。
〇沈実の脉証について
沈実の脉証で、一番問題になるのは陰実証・陰盛証とのからみである。
「沈ニシテ力アルハ実トナス」(『脉論口訣』)。「沈ハ陰逆・陽鬱ノ候トナシ、実トナシ、寒トナシ、気トナシ、水トナシ、停飲トナシ、脇脹トナシ、厥逆トナシ、洞泄トナス。沈滑ハ宿食トナス。沈ニシテ数ハ内熱ニシテ、沈ニシテ遅ハ内寒ナリ。沈ニシテ弦ハ心腹ガ冷痛スルナリ」(『診家枢要』)
沈で力のある脉は『実』であるという。これは血が陰藏に凝るということ、藏府のどこかに熱や血が停滞していることを示す。つまり「陰実」の脉である。
臨床的病証は、裏の実熱を意味する。もちろんこの場合の脉には数が絡むと思われる。病邪が裏に潜伏して実証を呈しているのである。

5.脉状診と脉差診(虚実診)について
漢方医学の脉診は脉状診が基本である。脉差診は文献にはなく、現代的に考案された診察法である。この脉診は、経絡治療を創立した先師により「比較脉診」として臨床応用されたものであり、名称がいつのまにか「脉差診」に変わったものと理解している。
脉状診の基本には祖脉がある。経絡治療学会では『類経』の唱える六祖脉(浮沈遅数虚実)を採用している。この中の虚実がくせものなのだ。祖脉の文献には他にも『素問』『霊枢』『難経』をはじめとして『診家枢要』『増補脉論口訣』などがあるが、この中で祖脉に虚実を入れるのは『類経』だけなのである。経絡治療学会がなぜこの六祖脉を採用したのか。これは経絡治療学会が唱えた脉診法の基本が脉差診(比較脉診)であり、その文献が『難経』69難であったことに関係がある。
八木下勝之助先生が講演に呼ばれた際に、『経絡治療とは虚実をわきまえて補瀉するのみである』とだけ言って帰ったという有名な話があるが、そのために脉状として何が必要かといえば虚実だけで良いのだということで、これの論拠として例の『難経』69難の「虚するものはその母を補い、実するものはその子を瀉せ」の一節を発見した。こうして虚実さえわかれば他の脉状など捉えなくても治療ができるということになってしまって、六祖脉に虚実を入れている『類経』に飛びついた。私はそう思っている。
要するに他の脉状診を入れると難しくなるし、脉診を広めるためには簡単にする必要があった。たとえば証を決める場合に、虚実=強弱として、左手関上と尺中が弱いから肝虚証という具合に、簡単に証がでてきて治療もできる。では六祖脉の残りの浮沈遅数はどうしようかというと、これは刺法論と簡単な病症の捉え方に回した。浮脉ならば浅刺、浮いて数なら速刺速抜、沈遅なら留置鍼。浮脉なら表病で病は陽の部位にあるし、沈脉なら陰病で病は陰の部位にある、そんなふうに六祖脉をまとめあげたものと思う。
しかし、六祖脉の中でも虚実脉はそれ単一では出ない。今後脉状診を検討していく上では、浮にして虚とか沈にして実というように、他の脉状と合わせて表現されるべきものである。従って、虚実脉をあえて単独に祖脉として区分けする必要は無いと思われる。ただ病理の段階で、浮数にして虚の場合・実の場合にそれぞれどうなるか、その虚実の兼ね合いにこそ、「虚実をわきまえて補瀉をする」古典医学の原点がある。
以上のことから、私は八祖脉(浮沈遅数虚実滑?)から虚実を除き、それに弦脉を加えた七脉状を基本として、脉状・脉証論を構築したいと考えている。
虚実の脉状についてもう少し考察しておきたい。虚実について臨床の中で考えてみると、これには病証的な捉え方と脉論的な捉え方とがあり、それぞれの観点でどういう事を意味するのかをはっきりさせなければならない。
虚とは一言でいえば、物の不足した状態を言う。これを臨床的にいえば、気血津液が不足した状態。我々の治療対象は気血津液であり、その調整が目的であるからこれは当然である。
実脉の意味は停滞・充満である。臨床的にいうと、気血の停滞・充満で病症は熱になる。
この時、血の中に津液を入れるかどうか。我々が虚実を分けるのは、虚は補い実は瀉すという規定に基づくのだが、脉が強くて実脉にみえるが瀉法ができない場合がある。津液が停滞・充満した場合は、脉がしっかり大きくて強くても身体は冷えている、このように強い脉を打っていても同時に身体が冷えている場合は瀉せない。こういう実も、ひとまず実の意味の中に入れておく方がいいだろう。

6.まとめ
漢方鍼医会では入門部と研修部に分けて臨床研修を実践している。
入門部では、漢方医学の基礎講義を元に実技研修を通して「手から手へ」の講習を行い、研修部では、臨床実践の研修を行っている。研修の内容は、脉診のみではなく総合的な研修である。患者の病症や体表観察、脉診等により病理を考察し「証」決定を行い、鍼治療の実践を通して臨床の適否を研修するのである。
脉診をはじめ漢方医学の臨床学術は、気血津液、衛気営気を基本とした漢方病理の正しい理解からはじめなければ修得は出来ないものと思う。この学術の修得は、一朝一夕にはいかない。大地にしっかりと足を踏みしめての臨床研修が望まれる。 

【参考文献】
漢方鍼医(漢方鍼医会編)1994〜2001年
素問・霊枢(日本経絡学会編)1992年
難経解説(東洋学術出版社)1982年
日本鍼灸医学・基礎編(経絡治療学会編)1997年
日本鍼灸医学・臨床編(経絡治療学会編)2001年
古典の学び方(池田政一著 医道の日本社)1993年
日本経絡学会誌(日本経絡学会編)
日本伝統鍼灸学会雑誌(日本伝統鍼灸学会編)その他
(医道の日本誌・2004年)

 

◆論考6

漢方はり治療の治療体系について

1、はじめに
漢方鍼医会が創立されて今年で11年目になります。昨年の9月に10周年記念大会を無事に終える事ができました。この10年間で、鍼灸医学の基礎学術をほぼ集大成することができ、昨年あたりからそれのまとめに入りました。
今回の研修会では「漢方腹診」の学術を修練する事になっています。この学術は??? 1・2年では難しいとは思いますがその端緒にはなると思います。今回の研修会は、そういう意味での夏期学術研修会になると思います。
今回も、入門班・普通班・研修班の3班に分かれて研修しますが普通班くらいをターゲットに絞ってお話をしようと思います。どのような話をするかというと、漢方はり治療の骨子になるであろう学術についてお話します。この内容が充分に咀嚼できると7時間に及ぶ実技研修も大いに収穫があるものと思います。

2、大阪の地と緒方洪庵の「適塾」
本部の研修会においてもお話しましたが、ここ大阪は緒方洪庵の「適塾」があったところです。緒方洪庵の「適塾」がなぜ素晴らしいものであったかというと、当時の江戸時代には各地方にそれぞれが自主性と主体性を持った塾を経営し、多くの人材が育成されました。そのような塾の中でも双璧であると言われていた「塾」の一つが千葉県の佐倉にあった「佐倉順天堂」であります。これは佐藤泰然を中心として運営されていました。松本良順の名を知っている人もいるかと思いますが、その人の父親です。その塾が今の順天堂医科大学の系統になります。当時の交通は徒歩による移動が主体でありましたが、全国より3.000名以上の各藩でも優秀な人材を塾生として集めたといいます。それに匹敵する、いやこちらの方が上だと思うのですが「適塾」がありました。「適塾」運営の目的は自己主義の啓発にあったそうです。いわゆる、自分で考え自分で実行することが主題であり、自意識の発揚を与えることが基本になっていました。

3、緒方洪庵の偉さ
緒方洪庵の偉さについて話します。
洪庵は54歳までしか生きなかったのですが、生涯に亘り蘭学者であり臨床医でありました。20代の若さで、難解であったドイツ語で書かれた病理学と臨床学の本を翻訳したのです。このような医学書を翻訳することによって、当時の日本医家の中に医学の基本論を提唱したのです。そして、自らは「病学通論」という病理学書を3巻発行しています。「病学通論」の中身は生機論・疾病総論・病因総論・病証総論です。それともうひとつは「扶氏経験遺訓」全30巻の翻訳です。この医学書は、個人で書かれた臨床医学全書であります。当時の医学書としては、第一級の医学書であったと言われています。この様な仕事を生涯に亘って行いました。
それと当時はコレラ(コロリとも言っていた)が流行ったそうですが、そのコレラの治療基準書である「虎狼痢治準」を急遽執筆し全国の医家に配布した事も大きな仕事でしょう。
しかし、もっと素晴らしい仕事もしています。それは、当時全国的に蔓延していたという天然痘を治す「牛痘接種法」を生涯に亘って研究しその開拓に努力しました。緒方洪庵という人はそのような医者でした。ただ単に蘭学だけを学んでいた人ではありませんでした。そして、生涯に渡って一臨床医で通したのです。
しかし、最後の1年は行きたくない江戸に出て「医学所」頭取(東大の前身)に就任するのですが、それが命を縮めることになり江戸で亡くなりました。
緒方洪庵が何回も何回も推敲しまとめたものがあります。それは「扶氏医戒之略」です。これは、先ほど話した「扶氏経験遺訓」の著者が、医師としての義務や思想を12章にまとめたものです。それを緒方洪庵が独自の思想を通して、何回も何回も推敲を重ねてまとめたものです。本当に素晴らしい内容が書かれています。
第11回漢方鍼医会夏期学術研修会が、緒方洪庵が「適塾」を開いた大阪の地で開催されるということは大いに意味のあることだと思うのです。緒方洪庵は病理学と臨床学の一体化に努力しました。まさに、漢方鍼医会が、病理学と臨床学を一体化させようと11年前に創立された目的と一致するものがあるのであります。

4、漢方はり治療の治療体系における骨子
残念ながら当時の経絡治療は50年ほど経っていたけれども病理がありませんでした。病理というのはイコール証と考えて良いのです。証はあったといえはあったのですが、気血津液を基準に置いた病理がありませんでした。一部にはあったのですがそれを出すと臨床が難しいということで持ち出さなかったのです。ですから、経絡治療では虚実を短絡的に強弱と捉えて、脉診にもその他の診断にもこれでやってきました。鍼灸学校の学生や中堅の臨床家はそういうやり方を教わったのではないかと思います。しかし、そういうやり方をしていると漢方鍼医会がやろうとしていることは正しく研修できません。伝統的な鍼灸医学においては、正しい意味の虚実の中身と精気の虚という考え方が根本になるのです。今日はそのことをお話したいと思います。

5、漢方はり治療と精気について
漢方はり治療の基本的骨子は、文献的には五経にあると言われています。
古来、五経というのはいろいろあります。一般的には、素問・霊枢・難経・金匱要略・傷寒論を五経といっています。この五経を基本として、鍼灸も漢方医学の一部ですから、一部どころか本当の術が成せるのは鍼灸術なのです。湯液ではなくて鍼灸術なのです。そして気血津液、衛気営気、こういうものはまさに鍼灸の治療術にはうってつけの理論なのです。そして我々は五経といわれる素問・霊枢・難経・金匱要略・傷寒論、その中でも難経は扁鵲が書いたと云われていますが、その難経を基本中の基本に置いています。
この難経は皆さんも何回も読まれたと思いますが、難経医学が一番提唱していることは三焦心包論、相火論なのです。これを通して精気の虚の重要性を提唱したのです。ただ精気の虚の考え方にはいろいろあって、素問の考え方、霊枢の考え方などもあるのですが、我々は難経こそ臨床の現場で鍼が動かせる書でないかと思っています。霊枢の九鍼十二原編も鍼は動かせます。動かせますが、霊枢・九鍼十二原編の補瀉のくだりと、難経の71難・76難にある補瀉の骨子、それに加えて数難ありますが71難・76難に書かれている衛気営気の手法が基本中の基本になるのです。
その大元にあるのが三焦心包論になります。三焦心包論というのが、難経81難を通して延々と書かれている基本中の基本です。この相火論を臨床の現場で考えると、陽気・陰気ということが考えられます。要するに寒熱論なのです。
臨床の現場では三焦の原気というのは熱と捉えます。陽気なのですから、熱ということで寒熱論というかたちで捉えられるわけです。これが各臓腑に含まれている陽気・陰気の中身になるのですが、臨床の現場における病理というものは気血津液の過不足停滞論が基本であります。それを通じて、各臓腑が持っている陽気・陰気の割合がどうなっているのかを診ていくのが診断であります。この様な診断が出来て初めて衛気営気の手法を行う事が出来るのであります。
例えば、陰気は冷えに通じるし陽気は熱に通じますが、各臓腑には陰気・陽気が当然あるわけです。肺の場合は、陽気としては発散で陰気としては収斂になります。そういうような働きがあります。例えば咳がでるような場合は、陰気・陽気の割合をどう考えるのか。発散の気が抑えられていて詰っているような咳が出るとしたらこれは陽気をプラスすればいいのです。陽気がマイナスでそういう症状がでているとしたら、その時は衛気の手法をとればいいのです。
難経の基本である三焦心包論、命火、相火論という考え方は、湯液の勉強をされた方はよく分かると思いますが、湯液の世界には古方派と後世方派というのがあります。古方派というのは傷寒論一辺倒の学派です。傷寒論が全てであるということをかたくなに守ってきているのが古方派です。後世方派というのは、傷寒論は重要だがそれだけではなく、素問・霊枢・難経なども取り入れて治療体系が作られています。相火論の考え方というのは後世方派がとった考え方なのです。これは我々の治療に通じるところがあります。ですから後世方派の基本は、陰陽五行論を基本とする難経を重視していると思います。そういうかたちで三焦相火論というものが考えられたわけであります。
私は参加しなかったのですが、昨年(平成15年)広島で伝統鍼灸学会が開催されましたが、その主テーマが「古典にかえれ」(サブテーマ「柳谷素霊とその世界」)でした。シンポジウムのテーマも同じでした。シンポジストは明治鍼灸大学の篠原昭二・池田政一・八木素萌氏の三人でした。司会は筑波大学の形井秀一氏で行われました。私はなぜ今頃こんなことをやらなければいけないのかと思いました。なぜ今頃、伝統鍼灸学会ともあろうものが「古典にかえれ」古典にかえるためのプラスは何かということを貴重な時間を使って論じなければならないのか。柳谷素霊先生の業績について論じるのは良いのですが・・・・・。
漢方の医学を基本とした鍼灸の世界では、古典にかえらざるを得ないわけです。古典でなかったら、気血津液という考え方が基本になかったら東洋医学では無いのです。ですから、古典にかえるとか、かえらないというのではなくて、それこそ中心中の中心であると強く感じてちょっと首を捻りながら届いた雑誌を読みました。
漢方はり治療、いわゆる伝統的鍼灸医術というのは古典の基礎論、いわゆる病理の大元は何かということを考えると気血津液なのです。そういうものを考えなければならない。そして、その奥の奥には精気の虚というものがあるわけです。

6、精気神論と腎・心・脾胃と精気
難経には精気の虚が病気の始まりであると81難を通して書かれていると思います。古典に書かれている、人間の身体はどのように形成されているのか、特に精気の虚というものはどのようなかたちで人体に発生しているかということを理解しないと、君火論も相火論も三焦心包論も分からないと思います。  
人間の臓腑は五臓六腑、六臓六腑といわれるが、その中で古人が一番大事だと考えたのは腎臓なのです。これには理由があるのですが、心臓かなと思うでしょうがそうではないのです。腎臓なのです。五行色体表を見ますと、「天一水を生ず」とあります。腎臓というのは水の臓なのです。そして大小便を排泄するだけではなくて、あそこには男と女が合体して子供が生まれる。そこに生命が宿るのです。それは子孫の繁栄に繋がるのです。その様に重要である先天の原気の「精」が入っているのです。腎臓の中には精というものが入っています。三焦論の考え方で言うと腎臓は下にあります。だから下焦といわれています。そして陰陽で分ければ陰の部位となります。ですから、腎臓というものは大小便の排泄だけではなく、大小便も排泄ができなければ死んでしまいますが、それだけではなくて、精がなかったら子孫が繁栄されず人間の子孫を後に残すことができない。だから腎臓が最も大切であるとしています。
2番目は「天二火を生ず」ということですが、「天二」は心のことです。心は上のほうにあるわけです。上のほうにあるので陽になります。そしてこれは陽気の代表であるとされています。この心臓の中には何が詰っているのか。五臓というのは中が詰っているから五臓なのです。腑臓というのは中が空洞なのです。ただ五臓の中でも肺臓は空洞ですから、これはまたそういうことで考えないと脉状にも関係してきますし、陰虚・陽虚を考える場合にも関係があります。五臓の中に詰っているのは精なのです。ただ心の場合には「神」が詰っています。ただ神だけではなく、心の部位は上焦で陽気の大元であり血から生じる陽気ですから、すごく強い気です。この陽気を君火といいます。これを難経では心包というものを打ち出して治療の現場で使われていますが、その事は君火、相火論にでてきます。心は血の陽気と神が詰っている陽中の陽です。この心の強い陽気に肺気が加わって、難経が一番提唱している命火というものができて腎に降ります。心の陽気に肺気の力が加わって腎に降りてくるのを腎の命火、命門の火といいます。酒を飲んだ時の陽気を衛気(肺気)と例えられますが、これは非常に軽い陽気です。しかし、心の陽気は血から発生する強い気です。同じ陽気でもかなり違いますから肺の陽気と心の陽気を補う場合は全く違うことを頭に置いて下さい。

素問では、命火は目の辺り「睛明穴」のところにあるといわれますが私も臨床上よく使います。
難経では命火は心の陽気に肺気が加わって腎に降りてきたものを命火といいます。この命火が腎陽になります。ですからこの命火を脉位として右の尺中で診られます。左の腎は陰気としての腎を診ると難経ではいわれます。
心で神ができて、腎では精と津液が加わったものを精水といいます。ではその津液はどうしたのでしょうか。腎には津液がいっぱい詰っています。しかしこの津液は脾に取り上げられて胃に送られると古典には書かれています。その胃で気血営衛を作るのですが、これを難経の命火論では命火の熱、腎の熱が釜を下から茹で上げるように気血営衛を生成するとしています。そしてもうひとつは心の熱、陽気が上から胃に降りて胃で気血営衛を作ります。
いずれにしても陽気がなければ気血営衛はできないわけです。胃でできた気血営衛、別の名で「胃の気」と言ってもいいのですがその気を脾に送ります。そしてここでできた気血営衛は心の力と肺気の力を借りて全身に巡られます。胃でできた気血営衛の血は心の方に送られます。これは昔からいわれている心腎交流という病理の基本なのです。心と腎が交流しないといけないわけです。これは何をいっているのかというと、相火論なのです。その命火の力が五臓全てに働きかけるのを相火論というのですが、要するに相火論というのは熱なのです。全てのエネルギー、全ての働きというのは熱がないと絶対に働くことができません。これは当たり前のことですが、これを相火というかたちで難経や後世方派の人たちはまとめ上げたのです。

江戸中期に内藤希哲という34歳で亡くなった天才医学者がいましたが、まあ臨床はそれほど上手ではなかったようですが、論がたつ上に努力の人だったようです。その内藤希哲が唱えている五経一貫説は、それまでの湯液家や漢方医は五経一貫説は取っておらず、傷寒論を一番大事にしていました。内藤希哲に至って初めて五経一貫にして、難経やその他も取り込んだかたちで漢方医学の体系を組み立てました。それと難経の三焦、心包論、私は言葉をかえれば「寒熱論」が気本論になります。
この理論を「漢方はり治療」では証の中に取り入れたのです。例えば肝虚陽虚証、肝虚陰虚証というのがこれなのです。陽虚というのはいわゆる冷え病症で陰虚というのは熱病症になります。それも虚熱です。ですからこの様な証の把握をしておれば、好むと好まざるに関わらず三焦という考え方が入ってくるのです。  
漢方鍼医会が実践していることは、三焦・心包・相火論の考え方で行っているのです。難経の偉大さは、1難から81難までありますが、81難で一番大事なことをいっています。それは治療の原則論で、鍼は実際に刺して触らなければいけないといっているのです。理屈ではないよといっているのですが、その難経のいいたかった三焦心包、いわゆる相火論というものを我々の漢方はり治療では取り入れています。そして寒熱論ということで三焦の原気というものを見事に取り入れています。 

7. 陽気陰気と病気の本質
このように、陽気陰気と寒熱は臨床の場に於ける病理の基本になると考えています。特に寒熱についてでありますが、ここで私が問題にしようとしているのは八綱的な考えの寒熱では無く「証」に絡んだ寒熱ですね。素問「調経論」が唱える病証に関わる寒熱につき話したいと思います。この病理追求こそが漢方鍼医会が行ってきた中心的課題であると思います。寒熱の基本は陽気陰気にあります。
病理とは何か。簡単に言えば気血津液の過不足論にあり、それが患者の病症にどの様に関わっているかを診るものであります。つまり「診断」になり、診断学が病理の臨床応用になると考えても良いと思います。このことが理解出来ないと病症の本態がわからない。例えば頭痛について言えば、頭重痛・偏頭痛・後頭部痛・午前中が特に痛い等々がありますがその痛み等は何が原因で発症しているのか、このことを知る事が重要であります。なんでも脉の変化のみで証を決め治療を行う、この事は間違ってはいないけど何か物足りない。ここに病理の重要性があります。漢方理論を基礎とした漢方病理の必要性があると思います。しかし、残念ながら現在までの経絡治療には病理の考えが臨床的には余り無かった。そこで我々は漢方鍼医会を創設したのです。

 この様に、病理の基本は「気血津液」になり種々なる病症を発症するのであります。その気血津液の状態を診断する事が病理を追求するという事になります。その基本が陽気陰気の過不足にあるのです。
では陽気とはどの様なものなのか。前にも触れた、君火・相火・三焦論が重要になってくるのであります。この事を理解する事から始めなければならないのです。臨床的に重要な「寒熱」も陽気の過不足で診断し臨床応用する事になります。証の基本も、この陽気陰気と三焦論が骨子になっていると私は考えています。肝虚陽虚証・肝虚陰虚証等は陽気陰気の過不足がその基礎となっていると思います。
証の基本は陰虚にあると思います。この様に病証の基本に陰虚があって陽虚や陰実に進行するものであると考えています。陽実も基本的には同じであろうと思っています。臨床の場に於ける病気の基本は「精気の虚」にあります。治療の場よりみれば「陰虚」となります。この陰虚があって種々なる病症を展開する事になります。
例えば、脾虚があり陽気陰気の過不足により熱(邪)が胃経や大腸経または胃・大腸・小腸等に波及し種々なる病症を現すことになります。この様に重要となる陰虚の正しい理解が最近おろそかになりつつある様に思われます。しかし、漢方はり治療の基本はここにあるのですからたえず基本に帰り臨床研修を行う事が大切であると思います。

8. 心腎と三焦
心・腎・胃の関係について「心腎交流」や「心腎不交」と表現し病理状態を現します。心腎不交となってしまうとこれは病症としては重傷となります。
心は陽気の代表で腎は陰気の代表となっています。脾胃の働きも、心腎の生理に大変に関連します。そして、臨床の場にては心の熱についてどの様に脉診をするのかと言いますと、まず腎の脉に注目します。治療は腎の脉状変化を調整する事が基本となっています。腎が調整出来れば心も正常となるのです。
三焦についてはどうか。これを簡単に表現すれば、三焦の焦は「こげる」という事を現します。これは陽気の事を表現した事になります。これが上中下の三つに別れても上焦は肺と心となり陽中の陽を現します。まず宗気が絡んできます。この宗気は呼吸を主ります。そして衛気となる、これが肺気です。心気は栄気となります。この三気が上焦にて働く気となります。中焦は脾胃と肝です。中焦では気血津液の生成が重要となりますが、基本的には栄気と血になります。この陽気の働きを中焦が行う事になります。下焦は腎と膀胱であります。腎・膀胱の働きは大小便の排泄となります。この様な働きが人体の生理機構の全体となります。ですから、この様に重要なる三焦を調整する事により全ての病症に対処する事が出来たと言う事になります。

9. 陽虚・陰実・陽実の臨床応用
陰虚は虚熱が病理的現象であり津液不足を現します。
では陽虚はどの様なものであるのか。陽虚外寒という病理は、陽気が虚した為に外表が冷えた病理状態を現します。陰虚があり、この状態に陽気が虚して身体全体が冷えてくる病理現象が陽虚の病証となるのであります。
陽虚と同じ様な病証に気虚があります。気虚と陽虚の違いは、陽虚は寒症を現すが気虚の病証には寒症はないのです。ここが大きなポイントとなります。この様に陽虚は冷え病症が基本であります。陽虚の病症の基本的なものには肺気の虚による皮膚冷寒、表の冷えがあります。これに反して陰虚の場合は表が虚熱の為に暖かいのです。陽虚は皮膚表面が冷える、この為に脉状も沈虚となるのです。陰虚の場合は、脉状は浮虚が基本となっています。
陽虚の病症と脉状を追求していくと陰実に行き当たります。陰実は陽虚の脉状と病症ににかよったものがあります。陰実の基本的病症に冷えを伴った頑固な病症があり、その病症は変動せず慢性化の傾向を取る特徴があります。この病症の特徴は、表は冷えるが陰には実(血熱)的病症を現します。この様な陰実病症は難経的な捉え方であり、素問では陰盛病証を言っています。陰盛は内寒を現す。要するに陰は冷え病症を発症するという事であります。この辺は今後の臨床研究が必要な箇所となります。
つぎに陽実についてですが、陽実外熱と言われる様に、陽が実すれば表に熱病症が現れます。この陽実証では陰は充実しています。この様に陰に大した病症を現さない状態で表に外邪が侵襲して外熱の病症を発症する事になります。この場合は肺気の守りが強力であるのです。その為に外熱病症としての急性病症を現します。急性風邪はこの病症となります。治療の現場にては瀉法を行う事になります。陽実証の基本的病症は、食欲はあり良く眠れるし元気もあるが、外熱は高く急性病症を現します。

10. 津液(水)の調整と寒熱の臨床
鍼灸臨床においては気血の治療法はかなり研究されていますが、水(津液)の調整についてはまだまだ不充分であります。今までの鍼灸臨床の中では、津液の病証は余り重要視しない傾向がありました。そして津液の治療は湯液のものであるという考え方が基本にあった様です。難経も津液の病証や治療法は説いていない。この様に津液という考え方は湯液独特のものであるという流れが今までの主流でありました。
しかし、気血の治療法があれば当然に津液の治療法もあるべきです。病理の基本は気血津液の動静にあるのですからこの事は当然の事であります。そして、津液の治療は陰虚の治療が基本となります。ここに三焦の重要性が出てきます。この三焦の治療につき、故池田太喜男氏が「今の鍼灸師はだめである。三焦の重要性を知らない。その為に三焦を臨床的に応用している者は殆どいない」と言っていました。
この三焦について指圧の研究者であり実践者であった故増永静人氏は、足の三焦経を早くから提唱し臨床に実践されていた。それは、膀胱経と胆経の間を流れているとし経絡図まで完成されていた。この足の三焦経が津液の治療に応用出来るのです。
池田太喜男氏は、病理的な水(津液)を足の三焦経で調整されていたそうです。それによると、現代人の病症は80パーセントが病理的にみて水の絡んだ病症であると言い切っています。慢性の腰痛症や下肢の諸病症、また五蔵の諸病症も水の絡んだ病気が多いのであります。そこで、足の三焦経を応用した水の調整治療をかなり研究されました。
その臨床の実際は、例えば慢性の腰痛症の場合は、足の三焦経上でも膝関節に近い所を豪鍼か銀または銅の提鍼で丁寧に緊張を緩めていく事が基本的な手法であります。この様な治療を重ねると、かなりな高成績で病症の改善がはかられると報告しています。臨床の場にてこの方法を追試すると大いに納得されます。本会の研修会にても既に実践中であります。
これに対して水(寒)の調整は足の三焦経を使い、熱の調整は手の三焦経を応用する方法もあります。その実際は、寒の治療は補が基本であり、熱の治療は瀉法が基本となります。手の三焦経の場合は選穴としては火穴を取穴して手法は瀉となります。この様に三焦経は寒熱病症に対し応用出来る経絡であります。
次に寒熱についてですが、鍼灸臨床の場にあっては、外邪としての寒熱も重要ですが、診断論としての寒熱が特に重要であると思います。この病理は基本的には陽気の過不足論にあります。陰虚証・陽虚証の病証的基礎は寒熱病理にあると思います。これに加えて三焦の原気も関与しています。外邪としての寒熱については種々ありますが、寒については水(湿邪)の病理が基本となります。熱については風や燥邪が重要となります。

11、陰虚について
漢方はり治療では、前にも触れたように精気の虚を重要視しています。
精気の虚とは腎水の虚なのです。私はよく「陰虚は病理と病証の基本だ」と口を酸っぱくして言っているのですが、陰虚イコール腎虚なのです。
陰虚という病理は精水が虚した場合をいいます。ただ陰虚には脾虚と肝虚もあります。肺虚というのはちょっと違っています。とにかくその大元は腎虚なのです。腎の脉は、難経の4難・5難・6難あたりを読んでいただければ分かると思いますが、腎の脉状の組み合わせというのは陰脉が2つで陽脉が1つなのです。その陽脉は濡脉だといいます。濡脉というのはふわっと浮く軽い脉なのです。そして腎虚というのは陰虚の代表で、陰虚というのは津液不足の病理を現します。ですから津液プラス精イコール精水ということなのです。
そして津液や陰気は冷やす作用があるからそれが不足するということは熱になります。これを虚熱といいます。熱というものは上に上がってきます。例えば冬に暖房などを使っていると暖気は上に上がってきます。反対に冷気は下に下がります。それは自然の摂理であって、そういう状態が脉にも身体にも表れてきます。だから陰虚の脉というのは浮いてさらに大きくて弱いのです。
例えば陰虚の代表は老人だといえますが、ただ最近の老人はいろいろな薬や栄養剤を飲んでいるので少し違う方もいますが、純粋に普通の生活をしている老人であれば陰虚の代表となります。老人の身体を触ると皮膚は温かいけれども芯の方を抑えると抵抗がありません。脉状でいうと弱い陽気(虚熱から発生する熱)のため上に浮いてきます。だから老人の皮膚というのは少し温かくて乾いています。そして消痩といって普通に食べていても痩せてきます。陰が冷えて陽に虚熱が溜まっているからです。脉は浮いているのが正しいのですが、今は薬や栄養剤を飲んでいるので多くは沈んでいます。ですからなかなかそういう正しいかたちをした脉になっていないことを知っておく必要があると思います。しかし、基本の脉状は浮虚となります。病理と病症の基本は陰虚になるのです。
陰陽互関といって、陰虚があるからそれを土台にして陽虚があるのです。そして陽虚がくると陰実にもなります。陰実と陽虚の身体の症状は似ています。皮膚を触ると冷たく、脉状も沈んでいます。ですから簡単に陰実と決めないでください。ただ難経で言うと陰実だと脉が硬くなります。これは内熱があるせいですが、体表観察などでも熱はイコール血につながりますから、体表観察で血を診るということは硬さを診るということになります。ですから脉においても硬いのです。そのように体表観察においても脉状においても病症においても一致するのです。これが整合性があるということです。
精気の虚を理解しないと漢方治療とはいえません。慢性症でかなり病んでいて、指定難病などの難しい病気は精気の虚を賦活する事に着目しないで、病症のみを個々に治療しているだけではとても治す事は出来ないと思います。
精気の虚を確実に賦活するためには食事が重要となります。食べる事をおろそかにしていてその他のことをいろいろ論じても無駄なのです。だから正食といいまして、正しい食事を取っている土台があって精気の虚を論じないといけないのです。食べることと寝ることとを守ったうえで、精気の虚が発生しているのであれば治療は可能であるということです。例えるとヤジロベーの中心点を上げるということが精気の虚を上げると考えてよいと思います。左右のバランスがとれていても、現代の若い女性の多くは低血圧を訴える人が多い。こういう場合は生命力が下がっているのですから中心点を上げることが漢方はり治療の求めるところなのです。

12、漢方はり治療と虚実について
もうひとつは虚実の中身です。脉診においても診断においても虚実の中身というのが結構誤解されているようです。昔、八木下勝之助という人がいて、「鍼灸重宝記」のみで治療をしていた有名な人で、その持論は「虚実をわきまえて補瀉する。それだけだ」というようなことを言われていました。確かにそれは正しいのですがその虚実がなんなのか、ただ強いのか弱いのか、熱をもっているのか冷えているのか、それがわからないと何に対して補瀉するのかがはっきりしないのです。
このような方式で50年にも亘って経絡治療は行われてきたのであり、多くは名人芸になってしまったのです。要するに、標治法が種々研究されて臨床の場で各種の病気に対処してきたのです。また、そうせざるを得なかったわけです。その原因は虚実の中身が抜けていたからです。
平成7年の10月に、東京で日本経絡学会が開催されたのですが、私は実技シンポジウムで補瀉の司会をやりました。出席者が南谷旺伯・大島・加賀谷・木村・八木素萌・工藤友絡の諸氏で行なわれたのです。その最後のまとめとして「補瀉の対象である虚実についての考え方や捉え方が大きく進歩したと感じました。それは経脈の強弱を主として捉えていた虚実に対して、虚実の中身を漢方的である「気血水」や「寒熱」等を視野に入れて病症を診察し補瀉を行うようになったことであります。そして補瀉の真の目的は、精気の虚に対する補法にあることはシンポジスト全員の真意であったと感じました」と結びました。シンポジウムを通してそう感じたのです。
では脉診においての虚実は、何を診ているのかと実技シンポジウムをしながら各氏に尋ねました。そこで初めて虚実の中身が討議されたのですが、残念ながらそのまま尻切れとんぼになってしまいました。

13、漢方はり治療における虚実の理解
虚実の中身は端的に言えば気血津液の過不足となります。
気血津液がどうなっているのか。気血津液の過不足停滞、それを臓腑に現れる陽気・陰気の兼ね合いにおいて診ているのです。要するに、気血津液を脉診においても、診察においても診ていくのです。これを診ないことには、漢方はり治療が推し進めている治療法は成立しないのです。ですから、気というのはどういうものか、血というのはどういうものか、津液とはどういうものかということを考えて治療するのです。
気というのは働きで診るのです。働きということはその部位が冷えているのか温かいのか、寒熱などはまさに気の働きです。血というのは、先ほどもお話しましたが、脉状においても診察においても硬さを表します。ですから硬さを診ればいいのです。もちろん気を診るところよりも深い部位で診ます。津液というのは陰も陽も両方入っています。ですからトータル的に診ればいいのです。トータル的に診るということは脾の脉状を考えればいいのですが、脾の正脉というのは「緩脉」であり柔らかさで診ています。津液は腎から脾が取り上げているわけですが、津液を診るということは柔らかさを診ています。だから幅を持っています。それが腹診や脉診や尺膚診や望診においても柔らかさを診ています。そういう具合に気血津液を基礎として診ています。

14扶氏医戒之略
最後になりましたが「扶氏医戒之略」は良い事が書いてあるので少しだけお話します。これは12章に渡って書かれているのですが、例えば2章目には「病者に対してはただ純粋に病者だけを診ろ」とあります。金持ちだとか芸能人だとかそういうもので診方を変えてはいけないということが書いてあったり、「前に治療した医者が誤治をした時には、むやみに前の医者の非を攻めてはいけない。よく話し合って、それで誤治と分かったらはっきりと言いなさい」とか「苦しんで来た患者さんが金銭的にあまりよろしくない場合には治療費を安くすべし」と書かれています。いくら病気ばかりを治しても、その人の食べ物まで奪ってしまったらなんにもならないという意味です。
それから「学術を大いに研鑚するべし」とも書かれています。1日の治療を終え、家に帰ったらその日1日のことを反省してしっかりと研究する。これが医者としての当たり前のことだという事です。
その他、なるほどと思うことが12章に亘って書いてあります。この書は、緒方洪庵が何回も何回も推敲して、まさに緒方洪庵その人の医者としての思想が「扶氏医戒之略」にまとめられています。是非これを治療室に持って帰り額に入れて飾ってください。それではこれで私の話を終わります。

【参考文献】
漢方鍼医(漢方鍼医会編)1994〜2001年
素問・霊枢(日本経絡学会編)1992年
難経解説(東洋学術出版社)1982年
日本鍼灸医学・基礎編(経絡治療学会編)1997年
日本鍼灸医学・臨床編(経絡治療学会編)2001年
古典の学び方(池田政一著 医道の日本社)1993年
日本伝統鍼灸学会雑誌(日本伝統鍼灸学会編)
漢方医術講座(漢方陰陽会)その他

(第11回夏期研大阪大会講演・2004年)

 

<参考>扶氏医戒之略

 

1.医の世に生活するは人の為のみ、おのれがためにあらずといふことを其業の本旨とす。安逸を思はず、名利を顧みず、唯おのれをすてて人を救はんことを希ふべし。人の生命を保全し、人の疾病を復治し、人の患苦を寛解するの外他事あるものにあらず。
2.病者に対しては唯病者を視るべし。貴賤貧富を顧みることなかれ。長者一握の黄金を以て貧士双眼の感涙に比するに、其心に得るところ如何ぞや。深く之を思ふべし。
3.其術を行ふに当ては、病者を以て正鵠とすべし。決して弓矢となすことなかれ。固執に僻せず、漫試を好まず、謹慎して、眇看細密ならんことをおもふべし。
4.学術を研精するの外、尚言行に意を用ひて病者に信任せられんことを求むべし。然りといへども、時様の服飾を用ひ、詭誕の奇説を唱へて、聞達を求むるは大いに恥じるところなり。
5.毎日夜間にて更に昼間の病按を再考し、詳に筆記するを課定とすべし。積て一書を成せば、自己の為にも病者のためにも広大の裨益あり。
6.病者を訪ふは、疎漏の数診に足を労せんより、寧一診に心を労して細密ならんことを要す。然れども自尊大にして屡々診察することを欲せざるは甚だ悪むべきことなり。
7.不治の病者も仍其患苦を寛解し、其生命を保全せんことを求むるは、医の職務なり。棄てて省みざるは人道に反す。たとひ救ふこと能はざるも、之を慰するは仁術なり。片時も其命を延んことを思ふべし。決して不起を告ぐべからず。言語容姿みな意を用いて之を悟らしむることなかれ。
8.病者の費用少なからんことを思ふベし。命を与ふとも其命を繋ぐの資を奪はば、亦何の益かあらん。貧民に於ては茲に斟酌なくんばあらず。
9.世間に対しては衆人の好意を得んことを要すべし。学術卓絶すとも、言行厳格なりとも斉民の信を得ざれば、其徳を施すによしなし。周く俗情に通ぜざるべからず。殊に医は人の身命を依托し、赤裸を露呈し、最密の禁秘をも白し、最辱の懺悔をも状せざること能はざる所なり。常に篤実温厚を旨として、多言ならず、沈黙ならんことを主とすべし。博徒、酒客、好色、貪利の名なからんことは素より論を俟ず。
10.同業の人に対しては之を敬し、之を愛すべし。たとひしかること能はざるも、勉めて忍ばんことを要すべし。決して他医を議することなかれ。人の短をいふは、聖賢の堅く戒むる所なり。彼が過を挙ぐるは、小人の凶徳なり。人は唯一朝の過を議せられて、おのれ生涯の徳を損す。其得失如何ぞや。各医自家の流有て、又自得の法あり。漫に之を論ずべからず。老医は敬重すべし。少輩は親愛すべし。人もし前医の得失を問ふことあらば、勉めて之を得に帰すべく、其治法の当否は現症を認めざるに辞すべし。
11.治療の商議は会同少なからんことを要す。多きも三人に過ぐべからず。殊によく其人を択ぶべし。只管病者の安全を意として、他事を顧みず、決して争議に及ぶことなかれ。
12.病者曽て依托せる医を舎て、竊に他医に商ることありとも、漫に其謀に与るべからず。先其医に告て、其説を聞にあらざれば、従事することなかれ。然りといへども、実に其誤治なることを知て之を外視するは亦医の任にあらず。殊に危険の病に在りては遅疑することあることなかれ。
※右件の12章は扶氏遺訓巻末に附する所の医戒の大要を抄訳せるなり。書して二三子に示し、亦以て自警と云爾。 


   安政丁巳 春正月                                                                 

                                                                                  公裁誌