≪第1章≫ 選経選穴論と脉状診の研究
         

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はじめに

漢方医学の原典は素難医学にあるといわれる。素難医学とは、内経と言われる「素問」「霊枢」それに臨床上最も重要な古典である「難経」を合したものの総称である。
素難医学は、その理論の基本を陰陽五行論におき全体が統一されている。陰陽五行論とは、陰陽論・五行論・蔵府経絡説・気血論・虚実論等が主たる理論であり、これ等の理論が伝統的な正統医学の基本的理論の全てでもある。伝統的鍼灸医学の医学理論も同じである。そこで、素難医学と陰陽五行論につき簡単に考察し、難経が論ずる選経・選穴論につき臨床の場を通して検討したい。
漢方はり治療は、来院する患者の病症を病理的に考察することが大きな特徴である。従来の鍼灸治療は、この病理考察が臨床的には余り行われていなかったきらいがある。この重要である病理と脉証についても論を進め考察する。
鍼灸治療の臨床を実践する為には、脉状と脉証の臨床考察ほど重要なものはない。それも臨床の場を通しての検討でなければ価値がないと考える。本論考の目的もここにある。私は七脉状論を提唱しているが、この七脉状を基本として臨床考察をした。

[1]素難医学の陰陽五行論について

1.素問
 素問の成立は、前漢の前期頃であるBC200年代と言われている。この時期に第一次の編纂が行われたと考えられている。素問の古い篇は戦国末頃まで遡るようである。陰陽五行論では、相剋説と土王説が中心であり、相生説は「陰陽応象大論篇第5」と「蔵気法時論篇第22」の2篇に記載があるのみである。
土王説とは、陰腸五行論の中心を脾土におき常に四時の中心となり、四蔵の長として他の蔵を支配するものとする説である。この考えが、後の李東垣を中心とした「補土派」の根拠となったのである。
土王説は「太陰陽明論篇第29」に詳しく説かれている。

2.霊枢
霊枢の成立は、前漢後期頃であるBC10年代と言われている。この時期に霊枢の基本的論篇の編纂が行われたようである。
陰陽五行論的には、相剋説が中心であり、相生論はほとんどと言って良い程に説かれていない。素問の土王説に代わって、霊枢にては心主説が中心である。
心主説とは、陰陽五行論の中心を心火におき、これを主にして五蔵・五行を考える説であり、これより心包・相火論が成立、発展したのである。

3.難経
難経の成立は、後漢中期頃であるAD106年、又は190年の説がある。
陰陽五行論的には、相生論を全面的に取り入れているのが特長である。相生説が臨床の場にて相剋説と対等に置かれ活用されたのは難経からである。特に69難・79難にて子母補瀉論が説かれ、ここに相生的選穴論が強調されているのである。又、脉診が陰陽五行論的に重要視されているのも難経の特色である。
脉診は寸口脉診(六部定位脉診)であり、18難の後段において説かれている。脉診については、1難から22難に亘って詳細に論じられている。素問の脉診は三部九候脉論が中心であり、霊枢の脉診は人迎脉口診である。
難経における祖脉は八祖脉が基本である。4難9難にてそれが説かれている。難経の祖脉は、浮沈・長短・滑?・遅数である。4難にて、脉状診の基本になる陰陽脉・五蔵脉が説かれている。陽脉は浮脉であり、陰脉は沈脉である。
五蔵脉については、浮大散が心脉・浮?短が肺脉・沈牢長が肝脉・沈濡実が腎脉・緩脉が脾脉である。2難にては寸陽尺陰の脉状論が説かれている。5難にては難経独特の菽法脉論が論じられている。

ここで、比較脉診と脉状診について簡単に触れることにする。
脉状診とは蔵府の生理、病理、病証を診ることが目的の脉診法であり、比較脉診は脉差診とも言われ各脉差にて12経脈の比較をしその虚実を診るのが目的の脉診法である。このように脉診の目的が異なるのであり、難経の説く脉論は脉状診が基本的に論じられている。そして、脉状診にて診る病証は、素問第62「調経論」に説く病証が目的となるのである。

@五行穴の確立
難経が編纂された目的の一つが五行穴の確立であった。五行穴の臨床的理論の完成は、当に難経にて達成されたのである。
五行穴の確立に関しては、63・64・65難にある。
〈63難〉
『六十三難曰、十変言、五蔵六府栄合、皆井為始者、何也。然、井者東方春也。万物之始生、諸ァ行、喘息、?飛、蠕動、当生之物、莫不以春生、故歳数始於春、日数始於甲。故以井為始也。』
〈64難〉
『六十四難曰、十変又言、陰井木、陽井金。陰栄火、陽栄水。陰兪土、陽兪木。陰経金、陽経火。陰合水、陽合土。陰陽皆不同、其意何也。
然、是剛柔之事也。陰井乙木、陽井庚金。陽井庚、庚者乙之剛也。陰井乙、乙者庚之柔也。為木、故言陰井木也。庚為金、故言陽井金也。余皆倣此。』
〈65難〉
『六十五難曰、経言、所出為井、所入為合、其法奈何。然、所出為井、井者東方春也。万物之始生、故言所出為井。所入為合、合者北方冬也。陽気入蔵、故言所入為合也。』

五行穴は、五兪穴・五井穴とも言われる。
五行・陰経・陽経との関係は次のようである。
五行→木・火・土・金・水
性格→井・栄・兪・経・合
陰経→井木・栄火・兪土・経金・合水
陽経→井金・栄水・兪木・経火・合土

A五行穴病証の確立
五行穴の臨床活用の方法として、難経には五行穴の主治病証が論じられている。しかし、その具体的な活用方法については種々なる問題点を残している。選穴については、臨床の場に於ける研究が必要である。
五行穴病証の確立については68難に論じられている。
井穴→心下満
栄穴→身熱
兪穴→体重節痛
経穴→咳嗽寒熱
合穴→逆気泄
〈68難〉
『六十八難曰、五蔵六府皆有井栄兪経合、皆何所主。然、経言、所出為井、所流為栄、所注為兪、所行為経、所入為合。井主心下満、栄主身熱、兪主体重節痛、経主喘咳寒熱、合主逆気而泄。此五蔵六府井栄兪経合、所主病也。』

B難経の冶療法則について
難経の治療法則は、相生理論に基ずく治療法が基本となつている。それに加えて相剋理論も論じられているのが特長である。未病の治療を最終目的としての相剋的選経選穴論と先補後瀉の原則、衛気栄血に対する補瀉論が的確に論じられている。これ等
は、難経編纂の真の目的であろうと思うのである。治療法則については69・75・76・77・79難に論じられている。
〈69難〉
『六十九難曰、経言、虚者補之、実者瀉之、不虚不実以経取之、何謂也。然、虚者補其母、実者瀉其子。当先補之、然後瀉之。不虚不実以経取之者、是正経自生病、不中他邪也。当自取其経。故言以経取之。』
〈75難〉
『七十五難曰、経言、東方実、西方虚、瀉南方、補北方、何謂也。然、金水木火土、当更相平。東方木也、西方金也。木欲実、金当平之。火欲実、水当平之。土欲実、木等平之。金欲実、火等平之。水欲実、土当平之。東方肝也、則知肝実。西方肺也、則知肺虚。瀉南方火、補北方水。
南方火、火者木之子也。北方水、水者木之母也。
水勝火、子能令母実、母能令子虚。故瀉火補水、欲令全不得平木也。経言、不能治其虚、何問其余、此之謂也。』
〈76難〉
『七十六難曰く、何謂補瀉。当補之時、何所取気。当瀉之時、何所置気。然、当補之時、従衛取気。当瀉之時、従栄置気。其陽気不足、陰気有余、当先補其陽、而後瀉其陰。陰気不足、陽気有余、当先補其陰、而後瀉其陽。栄衛通行。此其要也。』
〈77難〉
『七十七難曰、経言、上工治未病、中工治己病者、何謂也。然、所謂治未病者、見肝之病則知肝当伝之与脾。故先実其脾気、無令得受肝之邪。故日治未病焉。中工治己病者、見肝之病、不暁相伝、但一心治肝。故日治己病也』
〈79難〉
『七十九難曰、経言、迎而奪之、安得無居虚。随而済之、安得無実。虚之与実、若得若失、実之与虚、若有若無。何謂也。
然、迎而奪之者、瀉素子也。随而済之者寝補素母也。仮令心病瀉手心主兪、是謂迎而奪之者也。補手心主井、是謂随而済之者也。所謂実之与虚者、牢濡之意也。気来実牢者為得。濡虚者為失。故日若得若失也。』

C難経医学の目的
難経編纂の目的は、鍼医学の治療理論完成にある。
具体的には、臨床医学の中に陰陽五行論を基礎とした相生相剋論の治療法則を完成することにあると思う。この様な理論の完成が、傷寒雑病論に引き継がれるのである。そして、薬味や気味にも応用されたのである。
鍼医学の臨床理論としては、相生相剋論がその基礎となるのであるが、実地臨床の場にあっては相剋論が最も重要視されるのである。病気を生理、病理的に理解する為には相剋的な診察が大切である。相剋論の中にも、相乗理論と相侮理論がある。特に相侮埋論は重要となる。これは逆相剋論である。この相侮理論は、64難と81難に強調されている。今後の臨床研究が重要となる。

 

<参考資料> 難経の全内容一覧

1難   寸口脉診と目的・意義について
2難   寸尺・陰陽論
3難   寸尺の大過不及、陰乗陽乗、覆溢について
4難   脉の陰陽・呼吸と五臓・浮沈長短滑?(祖脉論)・五臓の正脉について
5難   菽法脉診     
6難   脉の陰陽虚実について
7難   六節の気と脉状論(旺脉診)
8難   先天の原気・腎間の動気の重要性

9難   数遅脉と臓府(祖脉論)について
10難   一脉十変について(邪の状態)
11難   結代脉について(蔵気の衰え)
12難   逆治論(補瀉の判定)
13難   脉、皮、色の関係・五臓基本脉状論(相生相剋論)
14難   脉の損至と治法論(平・病・死)
15難   四時脉と胃気の脉状について
16難   五臓の内、外、病の三証と脉状について
17難   脉、症の応と不応(病脉不一致論)
18難   寸関尺と経脈の配当・結代脉と積聚、痼疾の判定(病側について)
19難   男女脉の病脉について
20難   伏匿・重陰重陽の脉論
21難   脉症不一致論
22難   是動と所生病について(気血)
23難   14経と絡脈について
24難   経気と絶について
25難   心包、三焦経について
26難   15絡・陰絡・陽絡について
27難   奇経脉論の基本
28難   奇経脈の流注
29難   奇経八脈の病症について
30難   気血営衛論
31難   三焦論
32難   心肺膈上論
33難   肝木、肺金の浮沈と剛柔論
34難   五臓の声色味臭液と七神論
35難   六腑の所属臓と生理について
36難   腎と命門について
37難   陰病と陽病
38難   五臓六腑の概説と三焦論
39難   右腎と命門の関係
40難   五臓と五行の関連性について
41難   肝両葉の論
42難   五臓六腑の形状、容量について
43難   胃腑論
44難   七衝門について
45難   八会穴について
46難   老、少の昼夜の寐寤について

47難   面、寒に耐えうるの理について
48難   三虚三実論
49難   正経自病と五邪所傷・病因診断論
50難   五邪の伝変論
51難   臓腑、陰陽、寒熱の診別
52難   臓腑病について
53難   七伝間蔵・病症の伝変論
54難   臓病難治・腑病易治の論
55難   積聚論
56難   積病の鑑別と予後、生死について
57難   五泄論
58難   傷寒について
59難   狂と癲について
60難   心、頭の厥痛と真痛について
61難   望聞問切・神聖工巧論(四診法)
62難   原穴論(三焦の生理)
63難   井穴論
64難   五兪穴剛柔論
65難   井、合穴論
66難   原穴論(12原穴)
67難   募兪穴論
68難   五兪穴の主治症(5病証の選穴)
69難   治療原則・子母(相生)の選穴論
70難   四時の刺法について
71難   営と衛の基本刺法について
72難   迎隋調気の論
73難   刺井瀉営論
74難   四時と五兪穴の選穴論
75難   治療原則・瀉火補水(相剋選穴論)について
76難   補瀉原則論・先補後瀉について
77難   未病・已病(治療原則論)について
78難   押手の補瀉論
79難   迎隋補瀉論
80難   虚実と刺法の原則論
81難   補瀉の決定原則(虚実論)について

 

 

[2] 難経が論ずる選経選穴論について

「難経」全篇には、選経・選穴論に関する難が20難ある。各難について臨床的に考察する。

1.45難について
『四十五難曰、経言、八会者、何也。
然、府会太倉、蔵会季脇、筋会陽陵泉、髄会絶骨、血会隔兪、骨会大抒、脈会太淵、 気会三焦外一筋直両乳内也。熱病在内者、取其会之気穴也。』 

この難では八会穴を論じている。
八会穴は、蔵・府・筋・骨・血・脈・気・髄の八種類の精気が会聚する経穴である。
選穴は内熱疾患の治療に応用するとされるが、臨床的には内傷性疾患の治療にも効果のある経穴である。


(八会穴)
府会→中?  蔵会→章門  血会→膈兪  気会→?中 
骨会→大抒  髄会→陽輔  筋会→陽陵泉 脈会→太淵

2.49・69難について
『四十九難曰、有正経自病、有五邪所傷、何以別之。然、憂愁思慮則傷心、形寒飲冷傷肺、恚怒気逆上而不 下則傷肝、飲食労倦則傷脾、久坐湿地強力 入水則傷腎。是正経之自病也。・・・』
『六十九難曰、経言、虚者補之、実者瀉之、不虚不実以経取之、何謂也。
然、虚者補其母、実者瀉其子。当先補之、然後瀉之。不虚不実以経取之者、是正経自生病、不中他邪也。当自取其経。故言以経取之。』

この難では正経自病につき論じている。
正経自病の解釈については種々の説がある。
49難にては、蔵の内部より発生した病気であり外部より来たものではないと解釈出来る。しかし、69難にては自経のみの病であり他の経より来たものではないと論じるのである。
実地臨床の場にてこれを考察するに、病気は決して自経一経のみにて発するものではなく、必ず二経以上の相生相剋関係や陰陽的な相互関係を介して発病するものである。
正経自病の考え方は、基礎理論的なものであり実地の臨床にはないものであると理解すべきである。

3.50難について
『五十難曰、病有虚邪、有実邪、有賊邪、有徴邪、有正邪、何以別之。
然、従後来者為虚邪、従前来者為実邪、従所不勝来者為賊邪、従所勝来者為徴邪、自病者為正邪。何以言之、仮令心病中風得之為虚邪、傷暑得之為正邪、飲食労倦得之為実邪、傷寒得之為徴邪、中湿得之為賊邪。』

この難では五邪の伝変を論している。
病気の原因である病邪を正邪、虚邪、実邪、微邪、賊邪の五邪に区分し、同時に五行理論により分析し説明している。心病を例にして、五邪の伝変につき論じている。

4.33・64難について
『三十三難曰、肝青象木、肺白象金。肝得水而沈、木得水而浮。肺得水而浮、金得水而沈。其意何也。
然、肝者非為純木也、乙角也、庚之柔、大言陰与陽、小言夫与婦、釈其徴陽、而吸其徴陰之気、其意楽金。又行陰道多。故令肝得水而沈也。肺者非為純金也、幸商也、丙之柔、大言陰与陽、小言夫与婦、釈其徴陰、婚而就火。又行陽道多。故令肺得水而浮也。肺熟而復沈、肝熟而復浮者何也。故知辛当帰庚、乙当帰甲也。』
『六十四難曰、十変又言、陰井木、陽井金。陰栄火、陽栄水。陰兪土、陽兪本。陰経金、陽経火。陰 合水、陽合土。陰陽皆不同、其意何也。
然、是剛柔之事也。陰井乙木、陽井庚金。陽井庚、庚者乙之剛也。陰井乙、乙者庚之柔也。乙為木、故言陰井木也。庚為金、故言陽井金也。余皆倣此。』

この難では陰陽剛柔選穴論について論じている。
33難にては、肺と肝の陰陽剛柔関係につき論じている。文章が簡略すぎて分かりにくいが、肺と肝それ自身の陰陽の属性とその相互関係を説明している。
64難にては、陰陽剛柔に五行を組み合わせて井・栄・兪・経・合穴の属性を区別している。また陰経の井穴を例として、陰経は井木に属し、陽経は井金に属するとしてその中に陰陽剛柔の道理があるとしている。この考え方を選穴論に応用して五蔵病証の治療が出来る。陰陽剛柔理論は臨床的に効果が顕著な選経・選穴論であり、今後の研究が最も重要となる難である。

5.63・65・68難について
『六十三難曰、十変言、五蔵六府栄合、皆井為始者、何也。
然、井者東方春也。万物之始生、諸毎鼾s、喘息、ァ飛、蠕動、当生之物、莫不以春生、故歳数始於春、日数始於甲。故以井為始也。』
『六十五難曰、経言、所出為井、所入為合、其法奈何。
然、所出為井、井者東方春也。万物之始生、故言所出為井。所入為合、合者北方冬也。陽気入蔵、故言所入為合也。』
『六十八難曰、五蔵六府皆有井栄兪経合、皆何所主。
然、経言、所出為井、所流為栄、所注為兪、所行為経、所入為合。
井主心下満、栄主身熱、兪主体重節痛、経主喘咳寒熱、合主逆気而泄。此五蔵六府井栄兪経合、所主病也。』

この難では五行穴の性質と病証につき論じている。
63難にては五行穴の始まりが井穴である為の理を論じている。臨床的には、井穴は非常に即効的効果が生じる経穴であり証が合えば回春的効果を挙げる経穴である。井穴の選穴につき中々興味がわく難である。
65難にては、井穴と合穴の出入の意義を論じている。
井穴は気血循環の出発点であり、効果も顕著な経穴である。合穴は陽気がここに潜伏して内に蔵されている経穴であり、陽気を補うに重要な経穴である。下合穴の臨床的応用もこの理論が内包されているものと思う。
68難にては、井栄兪経合穴の性質と意義、主治病証を論じている。特に五蔵病証の選穴論の基本的理論でもある。

6.62・66難について
『六十二難曰、蔵井栄有五、府独有六者、何謂也。
然、府者陽也。三焦行於諸陽、故置一兪、名曰原。府有六者、亦与三焦共一気也。』
『六十六難曰、経言、肺之原出於太淵、心之原出于太陵、肝之原出于太衝、脾之原出于太白、腎之原出于太谿、少陰之原出于兌骨、胆之原出于丘墟、胃之原出于衝陽。三焦之原出于陽池、膀胱之原出于京骨、大腸之原出于合谷、小腸之原出于腕骨。十二経皆以兪為原者、何也。
然、五蔵兪者三焦之所行、気之所留止也。三焦所行之為原者、何也。
然、斉下腎間動気者人之生命也、十二経之根本也。故名曰原。三焦者原気之別使也。主通行三気、経歴於五蔵六府。原者三焦之尊号也。故所止輒為原。五蔵六府之有病者、皆取其原也。』

この難では原穴につき論じている。
62難にては、六府の原穴について論じ、その原穴と三焦の原気との関係を論じている。
66難にては、12経脈の原穴につき論じている。そして原穴の部位は三焦の気が運行して出たり入ったり留止する場所でもある。故に五蔵六府に病があれば、所属する経脈の原穴を選穴すべきであると論じている。


(十二原穴)
肺の原→太淵2  胆の原→丘墟2  心包の原→太陵2  胃の原→衝陽2 
肝の原→太衝2?? 三焦の原→陽池2 脾の原→太白2  膀胱の原→京骨2 
腎の原→太谿2  大腸の原→合谷2 心の原→神門2  小腸の原→腕骨2

 7.69・79難について
『六十九難曰、経言、虚者補之、実者瀉之、不虚不実 以経取之、何謂也。
然、虚者補其母、実者瀉其子。当先補之、然後瀉之。・・・』
『七十九難曰、経言、迎而奪之、安得無居虚。随而済之、安得無実。虚之与実、若得若失、実之与虚、若有若無。何謂也。
然、迦而奪之者、瀉其子也。随而済之者、補其母也。仮令心病瀉手心主兪、是謂迎而奪之者也。補手心主井、是謂随而済之者也。・・・』

この難では子母補瀉と迎随補瀉の選穴論につき論じている。
69難にては「虚はその母を補し実はその子を瀉す」という、鍼灸の治療法則を論じているが、ここでいう子母補瀉法には二法の内容がある。一には本経に於ける五行穴の選穴による補瀉法であり、二には12経の選経による補瀉法である。いずれも相生的選経、選穴論を論じている。
79難にては、迎随補瀉法を論じている。経脈の迎随に於ける子母補瀉法を心病を例にして論じている。

8.67難について
『六十七難曰、五蔵募皆在陰、而兪在陽者、何謂也。
然、陰病行陽、陽病行陰。故令募在陰、兪在陽。』

この難では五蔵の募兪穴論につき論じている。
五蔵の募穴は、陰の部である胸腹部にある。兪穴は、陽の部である腰背部にある。
この事実より陰陽的選穴を論じ、陽病には募穴を選穴し陰病には兪穴を選穴する理を説いている。

(募穴について)
肝→期門  胆→日月  心→巨闕  小腸→関元 心包→?中  三焦→石門  
脾→章門  胃→中?  肺→中府  大腸→天枢  腎→京門  膀胱→中極

9.73難について
『七十三難曰、諸井者、肌肉浅薄、気少、不足使也。刺之奈何。
然、諸井者木也、栄者火也。火者木之子、当刺井者、以栄瀉之。故経言、補者不可以為瀉。瀉者不可以為補、此之謂也。』

この難では井穴の選穴につき論じている。
井穴は気が少なき部位にて刺鍼が難しい経穴である。故に子母補瀉法の原則により
子である栄穴を選穴して瀉の手法を行い代用することができる事を論じている。この事は、井穴選穴の重要性を論じているのである。
10.70・74難について
『七十難曰、春夏刺浅、秋冬刺深者、何謂也。
然、春夏者陽気在上、人気亦在上、故当浅取之。秋冬者陽気在下、人気亦在下、故当深取之。
春夏各致一陰、秋冬各致一陽者、何謂也。
然、春夏温、必致一陰者、初下鍼、沈之至腎肝之部、得気引持之陰也。秋冬寒、必致一陽者、初内鍼、浅而浮之、至心肺之部、得気推内之陽也。是謂春夏必致一陰、秋冬必致一陽。』
『七十四難曰、経言、春刺井、夏刺栄、季夏刺兪、秋刺経、冬刺合者、何謂也。
然、春刺井者、邪在肝。夏刺栄者、邪在心。季夏刺兪者、邪在脾。秋刺経者、邪在肺。冬刺合者、邪在腎。』

この難では四時と五行穴の選穴につき論じている。
70難にては、四時に於ける刺鍼につき論じている。春夏は浅く秋冬は深く刺鍼す
るのが原則也とし、その根拠は陽気・陰気にありとしている。この四時と気の深さの問題が74難の、四時による五行穴選穴の理論に繋がるのである。
74難にては、四時に於ける邪との関連による五行穴選穴の法則性を論じている。臨床研究が重要な所である。


(四時と五行選穴)
春は井穴を選穴→邪が肝にあり ???  夏は栄穴を選穴→邪が心にあり 
季夏は兪穴を選穴→邪が脾にあり ?  秋は経穴を選穴→邪が肺にあり 
冬は合穴を選穴→邪が腎にあり

11.75難について
『七十五難曰、経言、東方実、西方虚、瀉南方、補北方、何謂也。
然、金水木火土、当更相平。東方木也、西方金也。木欲実、金当平之。火欲実、水当平之。土欲実、木等平之。金欲実、火等平之。水欲実、土当平之。
東方肝也、則知肝実。西方肺也、則知肺虚。瀉南方火、補北方水。南方火、火者木之子也。北方水、水者木之母也。水勝火、子能令母実、母能令子虚。故瀉火補水、欲令金不得平木也。経言、不能治其虚、何問其余、此之謂也。』

この難では相剋的選穴につき論じている。
75難にては、肺虚肝実証の病証を論じ、その治療法として補水瀉火の法を応用する原理につき解説している。
難経は、相生論的病証とその治法につき論ずるのが第一の目的である。しかし、この難にて相剋的病証と治法を取り上げて五行相剋の重要性を説明している。五蔵間には必ず相生・相剋の関係が働いて平衡を維持している。この状態が健康であり、この平衡関係が失調すると病気となるのである。病症を相剋的に診察する事の重要性と、相剋的な選経・選穴の治療の重要性につき論じている。
相剋的選経・選穴論は77難にて説く未病治療にて完成するのである。75難で論じる相剋病証は、一般的には変証也とされているが必ずしも変証であるとは言い切れないのである。今後の臨床研究が必要である。
しかし、この難にて論ずる第一の目的は、相剋的な選経・選穴論の重要性を強調することにあると理解している。

12.77難について
『七十七難曰、経言、上工治未病、中工治己病者、何謂也。
然、所謂治未病者、見肝之病則知肝当伝之与脾。故先実其脾気、無令得受肝之邪。故日治未病焉。中工治己病者、見肝之病、不暁相伝、但一心治肝。故曰治己病也。』

この難では未病の選経・選穴論につき論じている。
77難にては、上工・中工の病証診察と治法の違いにつき論じている。その先には、
相剋的病証把握と伝変理論の重要性を強調しているのであり、相剋的選穴論の完成でもある。実地臨床の場では、主証は肝虚証であっても治療は脾経の経と穴を選経・選穴して治療し効果を上げる症例が多くある。この事実は、相剋的診察と治療がいかに重要であるかの一例である。中々に興味のわく難である。
難経医学編纂の目的は、未病治療を完成させる事を目指したのである。

[3]難経68・69難の選穴論に対する問題点
1.68難について
68難にては、五兪穴が主る所の病証を説いている。
井は心下満を主訴とする病証を主り、栄は身熱を主訴とする病証を主り、兪は体重節痛を主訴とする病証を主り、経は咳嗽寒熱を主訴とする病証を主り、合は逆気して泄すを主訴とする病証を主るとしてその選穴論を論じている。
しかし、この難にて説く選穴論については種々なる解釈がされている。その中にて臨床的に応用されている説は、井上恵理氏や「鍼灸聚英」が説く陰経を中心とした五蔵病証としての選穴論である。一般の経絡治療家はこの選穴法を応用している。
難経の論ずる選穴理論より考えれば、井上氏等の進める陰経中心の選穴は大いに問題がある。68難の中にては「・・・此五蔵六府井栄兪経合、所主病也」とあり、陰経のみでは無く陽経にも応用されるべきである。
難経の選穴論は臨床的に完成されている。この68難を活用する為には、33難と? 64難にて論ずる陰陽剛柔の選穴法を考えるべきである。この事については後述する。

2.69難について
69難にては、子母補瀉法の原則論が説かれている。
五行理論に於ける相生論の臨床的な応用は、難経医学の目的の一つであり難経にて本格的に論じられたのである。
この69難にては、子母補瀉に於ける相生論を臨床的に応用した相生選穴論を強調している。一般の経絡治療家は、この相生的選穴を金科玉条として臨床応用している。このことは決して間違ってはいないが、難経が論じる選穴論は相生的選穴論だけでは無いのである。
臨床的に考えてみよう。生理不順があり、冷症で疲れやすい病症を主訴とする症例につき選穴等を考察してみる。
主証は肝虚証である。脉状は沈遅にして虚細、手足や身体全体が寒症である。食欲は余り無く不眠も訴える。この様な症例について68難のみの選穴論に従えば、曲泉・陰谷が基本的選穴となるのである。しかし、この選穴では病症は余り好転しないのである。その理由は、曲泉・陰谷の選穴は陰虚証に適応する選穴であり、ここで訴える病証は陽虚証を現しているのである。これは病証論の基本である。この症例の正しい選穴は行間・然谷の火穴をとるか、中封・復溜の金穴を選穴するのである。いずれの選穴においても、経穴の虚的反応が無ければ適応しないのである。
この様に、68難で説く子母補瀉の相生的選穴のみにては適応し無い病証が多くある。素問第62「調経論」にて論ずる病証を考えて、その病証に応じた選穴をすべきである。

[4]選穴論の研究

選穴論の研究に入る前に、素問第62「調経論」にて論ずる『病気の定義』につき考 察したい。この事を理解せずして先に進んでは、選穴論の持つ真の重要性は修得出来 ないものと思うからである。

1、病気の根本は精気の虚にあり
病気とは何か。どの様な状態を病気と言うのか。この事は素朴な間い掛けではある が非常に重要な意味を持った疑問である。
病気とは何かについて「調経論」にて種々論じている。それを少しく考察する。素 問「刺法論」を踏まえて黄帝が問う。「鍼の刺法には、有余には瀉を不足には補を行う とあるが、その有余・不足とは何を言うのか」。岐伯が答えて「有余に5、不足に5あ る。何が有余・不足かと言うと、神・気・血・形・志の事である」。
この問答の意味するところは重要である。鍼の刺法は病気に対して行うのであり、 病気とは何かと問うているのである。それに対して、病気とは「神・気・血・形・志」 の有余不足であると解答している。この「神・気・血・形・志」は五蔵の精気の事で あり、この精気が虚したり実したりしたのが病気であると言うのである。 素問第9「六節蔵象論」に、この「神・気・血・形・志」の五蔵配当がある。それによると、心は神・肺は気・肝は血・脾は形・腎は志を蔵するとあり、各蔵府の基本性能が論じられている。そして、五蔵の精気の働きは気血となり、経脈を通じ全身に循環して身体を形成している。
病気は、五蔵精気の虚を基本として発生する。この様な精気の不調により気血の流れに不順が起こり、経脈の虚実が生じるのであるとしている。この考えの基本が、蔵府経絡説で説く経脈と蔵府は一体であるとする論である。

2、選穴の意味
鍼医学の目的は気の調整にある。しかしてこの目標となる気はどこにあるのか。
この疑問について「素問」は、気は五蔵の中に生成される、その有余不足が種々なる 病証として現れるのであるとしている。ここに選穴の重要な意味がある。臨床の場に於ける選穴法の意味するものは、五蔵の精気を選穴により虚は補い実は 瀉すことが最終的目的となるのである。

3、経穴について
経穴についは、霊枢「九鍼十二原篇」に『経穴ハ神気ノ遊行出入スル所ナリ』とあ る。経穴は、経絡上における気の門戸であるのだ。
鍼医学は、気の調整が目標となる。このことより経穴を臨床的に意義ずけるとすれ ば「経穴とは、古典医学の四診により蔵府経絡の変動を捉えて、難経等の選穴理論に 基ずいて選穴・取穴し、証法一致の手法により脉状や脉証を確実に整える事が出来る ものが最も正しい経穴である。ここに経穴の臨床的意義がある。」となる。
しかして、経絡治療の臨床にて活用出来る経穴は、五行穴・原穴・募兪穴・絡穴・ ?穴・八会穴・下合穴・熱兪穴・水兪穴等の240数穴がその基本経穴となる。

4、臨床選穴論
@選穴論の基本
選穴論の基本は穴性論にあると考える。
穴性論とは何か。簡単に言えば経穴の持つ基本的性格と作用の事である。
「難経」には12難に亘り穴性論が説かれている。
38難―三焦の原気、原穴論
45難―八会穴、内熱論
62・66難―原穴論
63難―井穴論
64難―五兪穴の剛柔論
65難―井穴、合穴論
67難―募兪穴論
68難―五兪穴論
70難―四時と陽気の論
73難―井穴、栄穴の相関性
74難―四時、五邪、五蔵の相関性
ここで臨床上重要となる五行穴の性格につき考察したい。
この事は、臨床の場で良く経験する事実である。実際には、証に基づいて選穴するのであるが、ここではその基本的現象のみを陰経について考察する。

?木穴―血の病証に応用する経穴であり、脉状を収斂する作用がある。実際には太く?? て大きい脉を細くする作用がある。
?火穴―陽気の病証に応用する経穴であり、陽気の発散を抑える作用がある。実際には虚脉・微脉をハッキリさせる作用がある。また、実・数の脉状を選穴により改善させることが出来る。
土穴―営血の病証に応用する経穴であり、脉状の緊張を緩める作用がある。また脉状を大きく柔らかい脉状にする事ができる。この事は胃の気を旺盛にする事になり重要な作用である。
金穴―気虚の病証に応用する経穴であり、脉状をハッキリとさせる作用がある。また虚数脉の改善に効果が顕著である。
?水穴―津液・水の病証に応用する経穴であり、浮虚の脉状を中位に下げる作用がある。また硬い痼疾の脉状を柔らかくする効果もある。

A穴性論の基本は五味論にある
五味の重要性は、BC500年代より五行説の基礎的なものとして応用されていたこ とでも理解できる。この事は歴史的事実でもある。この時代に五行説の基礎として説 かれたものには、五声・五色・五材等がある。いずれも人間が生活する上において重 要な事項である。この様に五行説は、人間が実際生活を営む上にあって必要な基本的 事項の集積を、陰陽哲学思想にてまとめたものである事がわかる。
この重要なる五行説の基礎ともなる事項の中に五味論の基礎的考え方が応用され ていた。これは選穴を考えるうえで大きなポイントとなる。
ここで「素問」に於ける五味論について少し考察する。

《参考》素問に於ける五味論の文献
1、蔵気法時論(第22)
酸ハ収メ苦ハ堅クシ甘ハ緩クシ辛ハ散ジ鹹ハ柔ラカクスル。
毒薬ハ邪ヲ攻メ、五穀ハ養トナシ、五果ハ助ト為シ、五畜ハ益ト為シ、五采ヲ充ト為ス。気味合シテ之ヲ服シ、以テ精ヲ補イ気ヲ益ス。コノ五ハ酸苦甘辛鹹有リ、各利スル処有リ、或ハ収メ或ハ急シ或ハ堅クシ或ハ緩メ或ハ散ジ或ハ柔ラカニスル。
四時五蔵ノ病、五味ノ宜シキ所ニ随ウ也。
2、陰陽応象大論(第5)
陽ヲ気トナシ陰ヲ味ト為ス。味ハ形ニ帰シ形ハ気ニ帰ス。気ハ精ニ帰シ精ハ化ニ帰ス。精ハ気ヲ食シ形ハ味ヲ食ス。
化ハ精ヲ生ジ気ハ形ヲ生ズ。味ハ形ヲ傷リ気ハ精ヲ傷ル。精ハ化シテ気トナル。気ハ味ニ傷ラル。
3、五蔵生成論(第10)
五味口ニ入リ胃ニカクレ、以テ五蔵ノ気ヲ養ウ。
4、生気通天論(第3)
陰ノ生ズル所ハ、本五味ニアリ。陰ノ五宮傷ラルコト五味ニアリ。コノ故ニ、謹ミテ五味ヲ和スレバ、骨正シク筋柔ラカク、気血以テ流レ、?理以テ密コノゴトケレバ、気骨以テ精道ヲ謹ムコト、法ノ如トケレバ長ク天命ヲ保ツ。
5、六節蔵象論(第9)
天ハ人ヲ養ウニ五気ヲモッテシ、地ハ人ヲ養ウニ五味ヲモッテス。五気ハ鼻ニ入リ心肺ニカクレル。五味ハ口ニ入リ腸胃ニカクレル。味ハカクレルトコロアリテ、モッテ五気ヲ養イ、気和シテ津液生ジ、相成リテ神スナワチ自ラ生ズ。

【まとめ】
1、味には五種類ある。
2、味は形を造り五蔵の気を養う。
3、五味の摂取に過不足があれば病気になる。
4、形(身体)から気が生じる。
5、気の働きにより生命力が充実する。
6、五味の生理的働きは五行穴にて応用できる。

B五味論の選穴論的考察
五味は五蔵の気を養い五蔵を生成する。五味は生命力の根源となるのであり実に重 要である。
ここでは、この重要なる五味論と経穴について考察する。この五味論と経穴につい ては種々なる説が出されている。しかし、この五味論の考え方が五行穴に応用可能な 事は一致しているようである。

1、酸味について
酸味は肝臓に働き血を蔵して発散し活動的にする。
肝気に対しては収斂の気となる。収斂とは収める・集める・縮まる・緊縮・緩める等の作用がある。
酸味は井木穴として応用できる。そして臨床的には肝血を対象とするのである。
(五蔵への作用)
肝臓―収斂作用・血を集める
心臓―収斂作用・心熱を抑制する
脾胃―収斂作用・胃の陽気を収斂し抑制する
肺臓―収斂作用・肺臓の陽気を補う
腎臓―収斂作用・津液を増やす

2、苦味について
苦味は心臓に働き陽気を多くし活動的にする。心気に対しては渋固の気となる。渋固とは固める・引き締める・泄する作用・燥する等の作用がある。
苦味は栄火穴として応用できる。そして臨床的には陽気を対象とするのである。
(五蔵への作用)
肝臓―渋固作用・血の津液を増やし血熱を取る。
心臓―渋固作用・陽気の発散を抑え心熱を抑える。
脾臓―渋固作用・湿を取り乾かす。
胃府―渋固作用・陰気の補により胃熱を取る。
肺臓―渋固作用・陰気の補により肺の収斂を補う。
腎臓―渋固作用・津液を多くし腎気を強める。

3、甘味について
甘味は脾臓に働き営血を多くし活動的にする。
脾気に対しては緩の気となる。緩とは緩める・気血栄衛を多くする・形(身体)を造る・栄養等の作用がある。
甘味は兪土穴として応用できる。そして臨床的には営血(気血栄衛)を対象とするのである。
(五蔵への作用)
肝臓―緩作用・脾を補い肝血を増やす。
心臓―緩作用・竪になり過ぎた時緩める。
脾臓―緩作用・気血栄衛を多くする。
胃府―緩作用・気血栄衛を多くする。
肺臓―緩作用・津液を多くし乾燥を潤す。
腎臓―緩作用・腎陰虚に対し津液を多くし虚熱を取る

4、辛味について
辛味は肺臓に働き陽気・陰気を循し活発にする。
肺気に対しては発散の気となる。発散とは気を循す・気の発散・温煦等の作用がある。
辛味は経金穴として応用できる。そして臨床的には気(陰陽の気)を対象とするのである。
(五蔵への作用)
肝臓―発散作用・肝血の発散活動を補う。
心臓―発散作用・陽気を補う。
脾臓―脾臓の陽気は胃より補充される。
胃府―発散作用・陽気不足による冷えを温煦する。
肺臓―発散作用・陽気を温煦する。肺気を補う。
腎臓―発散作用・腎の陽気(命火)を補う。腎気の収斂を助ける。(納気作用)

5、戯味について
鹹味は腎臓に働き津液・水を循し活発にする。
腎気に対しては柔濡の気となる。柔濡とは柔らかにする・水分調節(水分を少なくする)等の作用がある。
鹹味は合水穴として応用できる。そして臨床的には津液・水・精気を対象とするのである。
(五蔵への作用)
肝臓―柔濡作用・肝血の水分調節により循環を良くする。肝実(血実)に応用。
心臓―柔濡作用・心血の水分調節により陽気を補う。
脾胃―柔濡作用・脾胃の津液を調節し潤す。
肺臓―肺は津液が少なく乾燥を良とする臓である。
腎臓―柔濡作用・津液・水を調節し腎陽を補う。

以上が五味論の臨床的考察の大要である。
ここで、五味を陰陽の気に対応して考察すると次の様になる。
陽気実―酸味・苦味にて対応
陽気虚―苦味・辛味(証により酸味)にて対応
陰気実―鹹味・酸味にて対応
陰気虚―鹹味・甘味・辛味にて対応

【5】要穴選穴の基本表
選穴の対象となる経穴について、「霊枢」九鍼十二原篇に『経穴ハ神気ノ遊行出入 スル所也』とある。そして、その総数については365穴とされている。しかし,実際に は素問・霊枢には115穴、甲乙経には345穴、千金方には349穴、銅人経には354穴 の記載がされている。ここでは、実地臨床の場にて応用される要穴につき考察する。

1.五行穴について(五兪穴・五井穴)
素問「気穴論」に蔵の兪50穴、府の兪72穴とある。
霊枢「本輸篇」にて陰経(井木・栄火・兪土・経金・合水)、陽経(井金・栄水・兪木・経火・合土)と分類されている。
「難経」64難は五行穴の原典であり、五行穴は難経にて完成した。

2.十二原穴について
霊枢「九鍼十二原篇」に記載がある原穴は
肺の原→太淵2 心の原→太陵2(心包の原穴)
肝の原→大衝2 脾の原→太白2
腎の原→太谿2 膏の原→鳩尾l
肓の原→神闕l

「難経」66難に記載のある原穴は肺・心・肝・脾・腎の原穴は霊枢に同じである。
少陰の原→神門2 胆の原→丘墟2 胃の原→衝陽2 三焦の原→陽池2
膀胱の原→京骨2 大腸の原→合谷2 小腸の原→腕骨2

『十二経皆兪ヲ以テ原トナスハ何ゾヤ。
然リ、五蔵ノ兪ハ三焦ノ行ク所、気ノ留止スル所ナレバナリ。三焦ノ行ク所ノ兪ヲ原トナスハ何ゾヤ。
然リ、臍下腎間ノ動気ハ人ノ生命ナリ十二経ノ根本ナリ。故ニ名ズケテ原ト云ウ』

3.募兪穴について
兪穴について霊枢「背兪篇」に『其ノ処ヲ按ジ応中ニアリテ痛ミ解ス。乃チ其ノ兪也。之ニ灸スルハ可。之ヲ刺スハ則チ不可也』とある。


(募穴)
肝→期門  胆→日月  心→巨闕  小腸→関元?? 心包→?中  三焦→石門 
脾→章門  肺→中府?? 大腸→天枢  腎→京門  膀胱→中極

※募兪穴の応用法
素問「陰陽応象大論」に『陽病ハ陰ヲ治シ、陰病ハ陽ヲ治ス』とある。
また「難径」67難に『五蔵ノ募ハ皆陰ニアリ、而シテ兪ハ陽ニアルハ何ノ謂ゾヤ。然リ陰病ハ陽ニ行キ、陽病ハ陰ニ行ク。故ニ募ハ陰ニ兪ハ陽ニアラシムルナリ』とある。

4.十五絡穴について
霊枢「経脈篇」に記載された経穴は以下の通りである。
肝の絡→蠡溝 胆の絡→光明 心の絡→通里 小の絡→支正 脾の絡→公孫 
胃の絡→豊隆 肺の絡→列欠 大の絡→偏歴 腎の絡→大鐘 膀の絡→飛陽 
包の絡→内関 三の絡→外関 任の絡→会陰 督の絡→長強 
脾の大絡→虚里(大包)

「難経」26難に記載された絡穴については、12経の絡穴は霊枢と同じであるが、その他に次の経穴の記載がある。
陽?脈の絡→申脈
陰?脈の絡→照海
脾の大絡→大包

5.?穴について(甲乙経より始まる経穴)
孔最・水泉・中都・陰?・地機・?門・温溜・金門・外丘・養老・梁丘・会宗の
12穴也。
※急性病に効果あり
陰経→血に作用する
陽経→痛みに作用する

6.八会穴について
八会穴について「難経」45難に
『熱病内ニアル者ハ、其ノ会ノ気穴ヲ取ル也』とあり、経穴は以下のようである。

中?(府会) 章門(蔵会) 膈兪(血会) ?中(気会) 大抒(骨会)
陽輔(髄会) 陽陵泉(筋会) 太淵(脉会)

7.下合穴について
霊枢「邪気蔵府病形篇」「本輸篇」に以下のような記載がある。
『府病(熱病)ハ下合穴ヲ取ル也』『実スルトキハ即チ閉隆(瀉)シ、虚スルトキハ遺溺ス(補)』
胃→三里  大腸→上巨虚  小腸→下巨虚? 三焦→委陽  膀胱→委中  胆→陽陵泉
※肝・腎・中下焦の病症に選穴する。(補法が基本)

8.熱兪穴について
素問「刺熱篇」「気穴論」「水熱穴論」に記載がある。
蔵の熱を瀉す経穴とされ59穴ある。

9.水兪穴(腎の兪穴)
素問「骨空論」「水熱穴論」に記載がある。
水種、浮腫、水分代謝等水の出入りを制する経穴とされ57穴ある。

以上、経穴の大要につき考察した。この様な多彩にわたる経穴につき、五気と蔵気・病理と病証・脉状と脉証の三方面より臨床的な場に於ける選穴を考察し基本表にした。参考にして頂き臨床追試をお願いする。

【6】要穴選穴の基本表作成
基本表の作成は、私の選穴論研究の基礎になると共に出発点であった。
参考にした文献は、「素問」「霊枢」「難経」等がその中心である。
<資料1要穴選穴の基本表>参照

基本表作成の目標は、臨床の場にて応用できる要穴は240数穴あり、この要穴運用の基本原則論につき研究する事にあった。
経絡治療を行っている一般的な臨床の場に活用している要穴は30数穴位にて事足りており、その要穴運用にて一応の臨床効果は上げているとの事だが、それを詳細に考察してみると標治法のせめるウエイトがかなり大きなものである事が分かった。 240数穴ある要穴を充分に活用していないのである。その為に本治法より標治法にその基本的な比重が大きくなってしまったのであると思う。これでは古典的鍼灸治療の真の実践にはならない。古典的鍼灸治療に於いては、240数穴の要穴を自在に応用し活用していたはずである。その応用法には原則的な法則が必ずあるはずだ。
私の選穴法に対する研究は、この様に素朴な疑問よりはじまったのである。難経医学を研究すると、様々なる選穴法が提示されている事に気づくのである。これ等を研究し臨床の場に応用活用すべき事が可能である。素問や霊枢等を研究すれば、選穴論に対する応用法はかなりなものが構築される事と思う。そして、選経選穴に対する基本原則がみつかるはずである。
この難経や内経の選穴法には法則性が必ずあるはずで、それを研究していくと「五味論」に行きついたのである。選穴法の法則性の一つが五味論にあるようだ。ここより選穴論が基本的に構築されている事を確認したのである。
私の選穴論の研究も、この五味論を基本として三部構成によりはじまったのである。
その基本となる三部構成の中味は、五気と蔵気の考え方・病理と病証の考え方・脉状と脉証の考え方がそれである。この三部門よりの考察により種々なる文献に当り作成したのが「要穴選穴の基本表」である。しかし、先に述べたように、参考文献の基本は「難経」「素問」「霊枢」にある事は論をまたないのである。
この基本表の作成は、まだまだ臨床の場に病理の研究や応用が不充分であった。しかし、その後の研修により、臨床研究の中に病理考察を取り入れる様になり、選穴法の研究には病理の理解が最とも重要であることを確信したのである。
そして、選穴論の研究は必ず選経法、治療実践における経絡の選経が大変に重要となり、臨床の場にあっては選穴といつでもセットで研究されていなければならないものである。つまり、選経選穴論として研究を行なわなければならない事が基本となる。
又、臨床の場における選穴法の基本は、経穴が持つ「気」について、いかにそれを活性化させるかにその真の目的がある。病気とは五蔵精気の虚よりはじまり、この精気の虚が生じる為に病理の虚実が生じ、臨床の場における治療対象となる病気を発症させる事になるのである。

 

<資料−1>要穴選穴の基本表

要穴

五気・蔵気

病理・病証

脉状・脉証

備考

井穴

肝気(木)⇒魂気
収斂作用→肝血
(集める・縮まる)
◇内養→怒気・酸味

心下満→肝胆の熱
血熱・血実(?血証)
労倦(眼・筋・血虚)
倦怠感

木穴⇒収斂作用(肝血)
浮大→風証
沈実→血実・積・裏証
沈虚(堅)→津液・血虚

血虚→陰虚
(浮虚あり)

栄火

心気(火)⇒神気
渋固作用→陽気
(固・泄・燥・締)
◇内養→喜笑・苦味

身熱→陰虚陽熱・内熱
陽虚→陽気不足・腎陰・腎 陽の虚(冷病証)
?仲・心悸

火穴⇒渋固作用(陽気)
浮実数→熱証
沈虚微→陽虚(気虚)
浮虚数→陽虚(表熱虚)

腎陰、腎陽→
命門の火
泄→熱とり・
骨に作用

兪土
(原)

脾気(土)⇒営気
緩作用→気血営衛
(三焦の気・胃気)
◇内養→思・甘味

体重節痛→労倦・手足・気血虚損の病証(営血の虚)・湿証・虚弱・肌肉軟弱

土穴⇒緩作用(営血)
沈虚→湿証(水)
沈虚遅→気血虚損
堅(浮沈)→営気不循

営血→胃気・
後天原気
◇脾胃一体論

経金

肺気(金)⇒魄気
発散作用→気・皮
(堅作用・温煦)
◇内養→憂悲・辛味

喘咳寒熱→寒熱往来
気虚証(陽虚)→冷証
皮膚枯燥・手足厥冷
陽気不調→寒病証

金穴⇒発散・温煦(気)
虚数(浮沈)→燥証
沈虚遅→冷証
沈虚細→陽虚(気虚)

発散→皮膚の開闔
脉堅→津液不足

合水

腎気(水)⇒精気
柔濡作用→水・液
(水分調節作用)
◇内養→驚・鹹味

逆気泄→足冷・水・津液
陰虚→腎肝脾・下焦の虚・
寒病証(陰裏) 水津液病証→水腫・冷証・逆証
労証→虚労・労倦

水穴⇒柔濡・調節作用・精気・水   沈実遅→寒証 
浮虚→陰虚(腎・肝・脾・下焦の虚)
浮虚数→腎気(腎陰)虚

精気→先天原気
水分調節→水分を取る

下合

府病(熱)病証に応用→瀉
陰病に応用→補

中・下焦の病証→陰虚・逆気証・冷証その他
※肝腎の病証に応用

下合穴⇒陰虚・中下焦・寒証・逆気証
浮虚(数・遅)→陰虚

下肢→6陽経の合穴也

絡穴

慢性病証に応用
子午治療に応用
奇経治療に応用

燥証→虚燥・労燥・気燥・
血燥・風燥・表燥・湿燥
冷証→陽気、陰気虚

絡穴⇒陰気、陽気虚の補
虚数(浮沈)→燥証
虚遅(浮沈)→冷・寒証  

申脈→陽?
照海→陰?

?穴

急性病証に応用
陽実・陰実証に応用

陽病→風・熱・寒証の実証

?穴⇒陽実、陰実の瀉
浮実(数)→陽実(熱)
沈実(遅)→陰実(寒)

陽実→陽?
陰実→陰?

募穴

陽病・急性劇症
陰病→陽病(変)

陽病→府病・陽経病・熱証・急性症

募穴⇒陽病(熱)
浮実(数)→陽実・府病

腹証診断
整脉調整

兪穴

陰病・慢性病証
陽病→陰病(変)

陰病→蔵病・陰経病・寒証・慢性病

兪穴⇒陰病(寒)
沈虚(遅)→陰虚・蔵病

蔵府病診断
灸治療点

備考

〈参考文献〉素問・霊枢・難経その他                 ◆1991.10作成

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下、この気の作用について簡単に考察する。
気には基本的には次のような六大作用がある。
(1)栄養作用−人体を栄養する。
(2)推動作用−活動を推進する。
(3)温煦作用−蔵器組織を温める。
(4)防御作用−病邪より人体を防御する。又病邪と闘争する。
(5)固摂作用−異常発汗や出血・遺精を抑制する。
(6)気化作用−代謝機能(精気、津液)作用。
しかし、気血の作用については、基本的原則論として気が動けば血も動くという「気血一体論」がある。であるから気が中心となるのであり、気についての充分なる理解が重要となる。
気について「素問」「霊枢」等の文献を調べると、80種類以上の気についての名称や働き等が記載されている。しかし、この多種類に亘る気も先程述べた六大作用に集約できるのである。
経穴は気の出入する場所でありポイントとなるのである。経絡は気血が流行する道である。その様な経絡や経穴に対して、それを選経選穴、取穴して、補瀉手法の治療をするのが「漢方はり治療」の大要となるのである。
さて、その選穴法の基本的な手順はどの様に実行されるかである。以下それについて論を進める。

1.五気と蔵気
五気は五蔵の気を含めた五行の気の事であり、蔵気は、肝・心・脾・肺・腎の五蔵の気である。この中には胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦の六府の気も含めるのが基本となっている。

<基本的文献>
「素問」四気調神大論第2・陰陽応象大論第5・蔵気法時論第22

「内経」では五気の事を、五蔵の気・五行の気(木火土金水)それに五香・五悪・五味・五色の気等を特に記載し主張している。この事は「五行色体表」に書かれた五種類の事象がすべて五気として応用されると理解して良いと思う。
そして蔵気も、簡単に言えば肝心脾肺腎の五蔵の気・蔵としての働きの気を総括したものであると理解して良い。
「素問」の四気調神大論に、人間は自然環境に順応して生活すれば健康であるが、この自然に逆らった生活をすれば病気になると記載されている。
この思想は「天人合一説」と言われるものである。これが東洋医学の基本原則となっているのであり、大変に重要となる考え方である。
われわれの臨床の場に於いても、この「天人合一説」を基本原則として、まず第一に四時と五蔵との関係につき研究し、臨床の場にて考察すべきである。
五蔵と五気の関係も、四時との相関性より出てくる基本論である。四時は四季の事である。春夏秋冬の四季を言うのである。春は発生・夏は成長・秋は収斂・冬は貯蔵の時季となる。
春は発生とは、生命あるものが生き生きとする時期である。この春の発生の気は冬の気より良く発生する関係となる。これが水生木の相生関係である。
この時期に「肝気」が旺気する。そして、人体にあっては肝蔵の気となり、血により発生するのである。肝気は収斂の気となり血によく収斂するのであり、肝蔵を旺気させるのである。
夏は成長の時期である。生命あるものはこの時期に良く成長するのである。
この夏の成長の気は、春の気により良く成長する関係となる。これが木生火の相生関係である。この時期に「心気」が旺気する。心気は人体の気を堅くしたり発散を押さえたりするのである。そして、人体にあっては心蔵となり陽気により成長するのである。心気は渋固の気であり、陽気の力や働きを強めて心蔵を強固にするのである。
秋は収斂の時期である。自然界では収穫の時期となり物を取り入れる収斂の気が働く時期である。この秋の収斂の気は長夏の気により良く収斂す関係となる。これが土生金の相生関係である。この時期は「肺気」が旺気し、陽気を発散させるのである。そして、人体にあっては肺蔵となりこの陽気の発散より肺蔵を活性化させるのである。
冬は貯蔵の時期である。自然界では秋に収穫した物を春にそなえて貯蔵するのである。生命保持の気が働く時期である。この冬の貯蔵の気は、秋の気により良く働く関係となる。それが金生水の相生関係である。
この時期に「腎気」は旺気し、柔濡の気となり腎蔵を適度な柔らかさに保つのである。そして、人体にあっては腎蔵となり、水(津液)の気により良く堅くするのである。

以上が五気と蔵気の基本的な関係と働きである。
これを「素問」の蔵気法時論第22によりマトメると次の様に整理する事ができる。

春は発生→肝蔵は発生の働き・肝気は収斂の気
夏は成長→心蔵は成長の働き・心気は渋固の気 
秋は収斂→肺蔵は収斂の働き・肺気は発散の気
冬は貯蔵→腎蔵は貯蔵の働き・腎気は柔濡の気
※脾蔵は栄養(気血栄衛)の働き・脾気は緩の気

次に五蔵の気について論を進める。
五蔵の気は、肝気・心気・脾気・肺気・腎気の五気の事である。
「素問」調経論に、病気は精気の虚よりはじまるとあり、精気の虚が第一条件とな
りこの虚に乗じて病理的虚実や病症的虚実が、外感・内傷として発生し病気となるのである。この基本となる精気は、生命力の基本であり五蔵の中にある気である。いわゆる五気の事になる。
鍼治療による補瀉の内、特に補法の手技はこの精気の虚に対する手法となるのである。故に、この五気の作用を理解する事が大変に重要となる。

肝気は精神的な気として「魂気」となる。
肝気は持続性が強い気である。
肝気は脉状にては弦脉を現す。
肝気は怒気であり、五味では酸味が基本となる。
肝気は五邪では風邪の気で感受性が強い。
肝気に対しての鍼治療は、肝血を補い収斂の気を強める事にその目的がある。収斂の気は集める・縮める・ゆるめる作用の気である。この肝気に作用させる経は木経であり、経穴は井木穴となる。これが臨床の場における選経選穴の基本となる。

心気は精神的な気として「神気」となる。
心気は脉状にては渋脉を現す。
心気を内より養うものは、精神的には喜笑の気であり、五味では苦味が基本になる。
心気は五邪では暑邪に感受性が強い。
心気に対しての鍼治療は、陽気に対する渋固の気を強める事にその目的がある。渋固の気とは、気を固める・発熱をおさえる・寒冷の気を温める・発散をおさえる等の作用の気である。この心気に作用させる経は火経であり、経穴は栄火穴となる。これが臨床の場における選経選穴の基本となる。

脾気は精神的な気として「意智」となる。
脾気は営気・胃の気ともいわれ、生命力の基本となる気であり重要である。
脾気は脉状にては緩脉を現す。
脾気を内より養うものは、精神的には思の気であり、五味では甘味が基本となる。
脾気は五邪では湿邪に感受性が強い。
脾気に対しての鍼治療は、営気に対する緩の気を強める事にその目的がある。緩の気とは営衛の気を循環させ潤し緩める気・栄養の気である。営気に対する緩作用を強化することは胃の気の活性化であり、後天の原気を賦活させることになる。この脾気に作用させる経は土経であり、経穴は兪土原穴となる。これが臨床の場における選経選穴の基本となる。

肺気は精神的な気としては「魄気」となる。
肺気は比較的に持続性が弱い気でよく変動する。肝気と反対の性格をもっている。
肺気は脉状として浮脉を現す。
肺気を内より養うものは、精神的には憂悲の気であり、五味では辛味が基本となる。
肺気は五邪では燥邪や寒邪に感受性が強い。
肺気に対しての鍼治療は、陽気に対する発散の気を強める事にその目的がある。発散の気とは、?理の開闔を良くし、気の交流をスムーズにする作用の気である。この事は体温調節作用になる。この肺気に作用させる経は金経であり、経穴は経金穴となる。これが臨床の場における選経選穴の基本となる。

腎気は精神的な気としては「精気」となる。
この精気は先天の原気とも表現される生命力の根元でもあり重要なる気である。
腎気は虚し易い気であり、手法も「補法」が基本となる。
腎気は脉状として石脉を現す。
腎気を内より養うものは、精神的には驚の気であり、五味では鹹味が基本となる。
腎気は五邪では寒邪・水(湿)邪に感受性が強い。
腎気に対しての鍼治療は、腎水(津液)に対する柔濡の気を強める事にその目的がある。柔濡の気とは、津液に対して潤し柔らかにする作用の気である。この腎気に作用させる経は水経であり、経穴は合水穴となる。
以上が臨床の場における選経選穴の基本となる。漢方はり治療の臨床実践にあっては、この様な五気の作用や働きを知り、その五気の気を活性化させる為に選経選穴論を活用するのである。

2.病理と病証−1
漢方はり治療の臨床実践にあっては、現す病症の病理を把握することが正しい証を 決定する事であり、臨床実践の基本となっている。そして、病理を臨床の場にて研究 する事が選経選穴論研究の主要部門となるのである。この様に、臨床実践の基本であ る「病理と病証」について「素問」の調経論に大変に重要なる論が展開されている。

『陽虚スレバ則チ外寒シ、陰虚スレバ則チ内熱シ、陽盛ンナレバ則チ外熱シ、陰盛ンナレバ則チ内寒ス』

この条文は、私の理解では古典鍼灸医学の『証』の基本になる理論であると思っている。この条文を簡単に整理すると次の様に解釈できる。
『陽気が不足すれば、又は虚すれば外表が冷えて、悪寒・痛症・麻痺等の病症を現わす。反対に陽気が多くなれば、又は実すれば外表は熱病症を生じ、発熱・腫物等の病症を現す。
 陰気が不足すれば、又は虚すれば内側に熱症状が現れ、便秘・口渇・四肢倦怠感等の病症を現す。反対に陰気が多くなれば、又は実すれば内側が冷えて、下痢・原気不足・手足厥冷・冷症等の病症を現す。』となる。
 そして、この陽気・陰気の基本病証について、「霊枢」の陰陽応象大論第5に『陽勝テバ則チ熱シ、陰勝テバ則チ寒ス』の条文がある。
?これは、陽気が多くなれば、又は実すれば熱を主とした病症を現し、陰気が多くなれば、又は実すれば寒を主とした病症を現すとしている。この論の展開は、古典医学としての病理の基本原則である。そのポイントは、陰陽虚実を基本とした、陰気・陽気の過不足論にある。
?実地臨床の場にあっては、陽気・陰気の正しい理解が『証』を決定する要となる。
陽気・陰気の作用や働きは次の様に整理できる。

<陽気>
@活動的・熱性の気
A?理の開闔作用により体温調節や温煦の働きをする気
B陽道(経)に多くあり、実し易い気
C陽気は盛んになると少気となる性質がある。変動の激しい気である。
<陰気>
@消極的・寒性の気
A陰気は生命の基本である精を蔵する気
B陰道(経)に多くあり、虚し易い気
C陰気はあらゆる機能の原動力となる気

この様な作用や働きを有する陽気・陰気を臨床的に考察すると、陽気の不足が陽虚証となり、陰気の不足が陰虚証となる。又、陽気の過乗が陽実証であり、陰気の過乗が陰実証となる。これが証の基本である。
古典医学の臨床は、内経の「気血水論」を基本として構築されている。即ち、気は陽気の代表であり、水は陰気の代表である。問題は血の理解である。「難経」の気血論においては、血は陰に位置ずけられている。しかし、内経においては、血はその生理的作用により基本的には陽に位置ずけられているのである。この様な基本的考え方が臨床実践の場にあっては重要となる。

ここで、この陽気・陰気を基本とした「調経論」の基本証につき、病理としての陰陽虚実よりそのポイントを纏めると次の様になる。

<陽実証>
陽気が陽の部位(陽経・府・陽蔵)に多くなり停滞・充満した状態である。病証は、熱証・実証を現す。?理は表が充満し硬くなり圧すると痛みを感ずる。
<陽虚証>
陽気が陽の部位に不足した状態である。病症は寒症状を現わす。?理は表が麻痺し、肌肉は堅くなり冷える。そして、温を好む様になる。
陽虚証には、病理的に陽気(肺気・衛気・営気)不足と、血そのものの不足による
二種類がある。
<陰虚証>
精気虚の陰虚証が証の基本となる。臨床の場にて治療対象となる陰虚証は、陰気
(水・津液)が不足した状態である。病証は、陰の部(陰経・蔵)の陰気が不足して虚熱(内熱)の病証を現す。
<陰実証>
陰の部位(陰経・蔵)に熱や血が停滞・充満した状態である。病証としては、?血病証を生ずる。(熱血室に入る)
<陰盛証>
陰の部に寒の性質をもったもの(陰気・津液・水)が旺盛になった状態である。病証として内寒の病証を現す。

<資料2> 基本証の病証


陽虚証の病証
悪寒・悪風・手足厥冷・真寒仮熱・発熱・無汗・自汗・夏に無汗・下痢・食後すぐ排便・腹痛のない下痢・生理中の下痢・房事過度になると下痢・常習下痢・小便自利又不利・夜間頻尿・食欲不振・腸鳴・ゲップ・嘔気・口内炎・食欲あるも食べられない・食欲不振でも無理すれば食べられる・不眠・夜間覚醒・生理痛・不妊症・月経過多か少・不感症・頭痛・腹痛・下腹痛・偏頭痛・腰痛(寒)・目痛・倦怠感・喘息・呼吸困難(温まると改善)・息切れ・動悸・関節の腫痛、変形・肩こり・精力減退・原気不足・めまい・恐れ易い・鼻乾・気うつ・筋肉のひきつれやこり

 

陰虚証の病証
発熱・胸熱・潮熱・寒熱往来(更年期)・暑がりで寒がり・手足煩熱(特に足)・春夏熱・秋冬・冷・多汗・無汗・汗少・首から上に多汗・賁豚気病・便秘・下痢・無痛下痢・大便硬又軟・小便自利又不利・食欲旺盛・食欲不振・疲れると食欲無し・不眠・口渇・生理不順・不妊症・足腰の冷え・胸痛・頭痛・偏頭痛・頭重・浮腫・動悸・息切れ・肩こり・湿疹・めまい・咳・喘息・喉のイガイガ・温まると咳が出る・呼吸困難・易疲労・全身の倦怠感・筋肉の引きつれ・硬直・麻痺

 

陽実証の病証
高熱・悪寒・発熱・発赤・潮熱・熱苦・無汗・多汗・手足の多汗・頭汗・便秘・下痢・小便多利・小便不利・不眠・口渇・月経閉止・頭痛・関節痛・腫諸症・目痛・喉痛・腰痛・頚背のこり・ジン麻疹・湿疹・肩こり・足冷え・黄疸・胸満・嘔吐・心煩・蓄膿症・鼻茸・鼻炎・へルペス

 

陰実証の病証
継続的微熱・下半身冷えやすい・潮熱・盗汗・上半身に汗が出やすい・食欲減退・下痢・便秘・不眠・口渇・生理痛、不順・更年期症状・月経時の発熱・胃痛・胸やけ・頭痛・耳鳴・上気・冷えのぼせ・関節痛・動悸・神経症・うつ病症・慢性肝炎・水の多い肥満症

「調経論」にては更に詳しく四大基本証につき記載している。それを簡単に意釈する。
@陽虚外寒証
陽気は上焦(肺・心)にあって全身を循り身体を温めている。陽気が寒湿等の邪気により虚した時には陽気が身体の外部に通じなくなる。そして、そこに寒気だけが留まる事になりこの証を現す。
基本脉状は、沈虚遅?となる。

A陰虚内熱証
過労により内部の気が虚し飲食物が摂れなくなり、上中下の三焦が通じなくなる。
常体では体内の熱は上焦から陽気が外ヘ、下焦より大小便として外に出ていくが、病体ではこれらが通じなくなる。故に中焦に熱気が鬱滞し、胸中に熱を持つ為にこの証を現す。
基本脉状は、浮虚数?となる。
B陽盛外熱証
外邪(風湿)が侵入した時、上焦にある陽気が充分に活動しないと?理の働きが悪くなって?理が閉じて汗腺が塞がってしまう。その為に陽気である衛気が体表部に充満し、それにより外熱を発生しこの証を現す。
基本脉状は、浮実数滑となる。
C陰盛内寒証
精神的過労の為に五蔵の気が逆上し、足のほうから胸中まで冷えてくる。この時に陽気が充分に循らないと血まで冷えて滞ってしまう。血実は経脈の流れを悪くする。 その為に身体の内部まで冷えこむ様な病症を発生しこの証を現す。
基本脉状は、沈実遅?となる。

次に陽虚証と陰虚証の病理による選穴の基本につき論を進める。
<陽虚証>
この証の臨床の場における基本病理と病症は、陽気や陽分不足の証・津液代謝(気化作用)衰退の証・陽虚外寒の証・気虚血虚証等を現す。
この証は、陰分も虚であるがそれ以上に陽分が虚している病証である。
一般的病症として、四肢厥冷・全身倦怠感、表寒・自汗・悪寒・皮膚乾燥(冷)・原気不足・微熱(陽虚発熱)・身熱病症(虚熱)等を現す。
この陽虚証の基本的選穴は、栄火穴と経金穴になる。勿論、兪土原穴も選穴できる。
<陰虚証>
この証の臨床の場における基本病理と病証とは、陰気や陰分不足の証・津液虧損の証・陰虚内熱の証・三陰(肝腎脾)の虚証・腎陰虚弱の証・腎虚・虚労・労倦・血虚証等の病症を現す。一般的病症として、皮膚枯燥(温感)、手足煩熱・消痩・口燥咽乾・不眠・肺燥・(血痰・咽痛・声ガレ)・逆気・足冷・虚労・労倦・上部病症(頭痛・肩頚コリ・眼赤・耳鳴・鼻塞)・陰虚内熱・血虚・筋攣・筋痛・盗汗等を現す。
この陰虚証の基本的選穴は、合水穴と兪土原穴になる。

3.病理と病証−2
漢方はり治療の臨床実践においては、患者が現す病症(現症)の病理を理解する事が正しい『証』の決定に最も重要となるのである。そして、この様な観点より臨床研究を進める事が漢方の医学理論を臨床の場を通して正しく理解する事となる。
@五兪穴病証
難経医学の大いなる特長は、365穴あるとされる経穴に五行(木火土金水)の性格を設定しそれを臨床に活用した事である。この五行穴の設定は、古人が長い医療実践の中から見いだしたものであり、一定の臨床効果が得られる重要なものである。そして、68難にて五行穴に対応する「五兪穴病証」を定立したのである。

〈難経68難〉
『六十八難ニ曰ク、五蔵六府ニハ各々井・栄・兪・経・合アルモ、皆ナ何ヲ主ル所ナルヤ。
然ルナリ、経ニ言ウ、出ル所ヲ井ト為シ、流レル所ヲ栄ト為シ、注グ所ヲ兪ト為シ、行ル所ヲ経ト為シ、入ル所ヲ合ト為ス。井ハ心下満ヲ主リ、栄ハ身熱ヲ主リ、兪ハ体重節痛ヲ主リ、経ハ喘咳寒熱ヲ主リ、合ハ逆気シテ泄スルヲ主ル。此レ五蔵六府ノ井・栄・兪・経・合ノ病ヲ主ル所ナリ。』
この条文を整理し意釈する。
「本難にて述べている五兪穴の主治病証は、蔵府経絡説や五行学説に結合されて推論したものである。
井穴は木に属するので肝と関係がある。肝の経脈は足から上行し、横隔膜を貫いて胸脇に分散する。この為に『心下満』は井穴を取って治療するのである。心下満は、心下部の膨満感を発症する病症全てを含むものと解する。
栄穴は火に属するので心と関係がある。火は熱病をさし『身熱』は栄穴を取って治療するのである。身熱は、身体に熱を発する病症全てを含むものと解する。
兪穴は土に属するので脾と関係がある。脾は肌肉・四肢を主るので『体重節痛』は兪穴を取って治療するのである。体重節痛は、身体の重さやだるさ、諸関節の痛み等を発症する病症全てを含むものと解する。
経穴は金に属するので肺と関係がある。肺は皮毛・呼吸を主るので、邪が皮毛を侵すと皮膚の開合に異常を生じ悪寒・発熱を発症する。肺気がうまく下降しないと喘息や咳が出るので『喘咳寒熱』は経穴を取って治療するのである。
合穴は水に属するので腎と関係がある。腎は水を主るので、水が下に堆積すると気が上逆して下痢等の病症を発症する。故に『逆気して泄す』は合穴を取って治療するのである。逆気して泄すは、気逆と下泄を発症する全ての病症を含むものと解する。」となる。

 ここで五兪穴病証をもう少し解説する。 
心下満→心下、水落の部が膨満感や詰まる病症。触診では、季肋部に抵抗感と浮腫を触知する。 肝木の病証。肝気の不調。
身熱→身体がほてる感じ。発熱病症。触診では、身体に熱感を感ずる。顔面紅潮。 心火の病証。心気の不調。
体重節痛→身体がだるい、重く倦怠感あり、動くと関節等が痛い等の病症。触診では、肌肉全体が硬い。脾土の病証。脾気の不調。
喘咳寒熱→喘とはこみ上げて来る連続した咳であり、咳は普通の咳をさす。寒熱は寒気がきて急に熱が上昇する病症。寒熱往来ともいう。 肺金の病証。肺気の不調。
逆気泄→泄は下痢便としての泄瀉。腹中の水気が騒いで下る病症。腎水の病証。腎気の不調。  

しかし、68難の本文にては五兪穴の具体的運用法が記載されていない。どの様に臨床の場にて五兪穴を各病証に応用したのかが分からないのである。ただ高武の『鍼
灸聚英』にてその運用法が発表されたのである。

次に『鍼灸聚英』の五兪穴病証運用法につき論を進める。
聚英の五兪穴病証の運用法は次の条文にてよく説明されている。
『仮令バ弦脉ハ病人潔キヲ好ミ、面青ク、怒ルハ胆病也。若シ心下満ルニ竅陰ヲ刺ス。身熱スルニハ侠谿ヲ刺ス。身重ク節痛ニハ臨泣、喘咳寒熱ニハ陽輔、逆気シテ泄せバ陽陵泉、マタ総テ丘墟ヲ取ル。』
これを簡単に意釈すると
「胆病の時に、心下満の病証があれば井穴である竅陰を選穴し、身熱の病証には栄穴の侠谿、体重節痛の病証には兪穴の臨泣、喘咳寒熱の病証には経穴の陽輔、逆気泄すの病証には合穴の陽陵泉を選穴するのである。また、胆病総ての病証には原穴の丘墟
を選穴する。」となる。
この様に『鍼灸聚英』の選穴法は、蔵府の病証と井栄兪経合の五兪穴の主治症とを
簡単に結びつけて応用している。しかし、この運用法は臨床の場にては大いに効果を上げている選穴法でもある。それと共に、この『鍼灸聚英』にて初めて難経の条文を臨床的に応用できる形式を提出したのである。この事は大変に重要である。
この様に『鍼灸聚英』の説を実地臨床の場にて応用する為には、患者の現す病症は蔵府のどちらの病症かを診断する事が重要となつてきた。そして、臨床においてはこ
の事が大変に難しい点であった。しかし、漢方鍼医会の臨床研修にて蔵府病症の弁別が少しずつ解明されてきたのである。

 次に五兪穴病証の運用に関する問題等について論を進める。
心下満以下の病証は、五蔵の病を基本として構成されているというのが今までの「難経」の解釈であった。それによると、心下満の病証は肝木の病証となり、五行論では木の病証となる。しかし、陰経と陽経の五井穴配当は相剋的となっている。例えば肝経の井穴は木穴となるが、胆経の井穴は金穴となる。これでは、心下満の病証に対して陰経は井穴を選穴できるが、陽経は金穴となり井穴は選穴できない事になる。
この点について森本玄閑の『難経本義大鈔』にて、ある人の説として「陽経は井栄兪経合にかかわらず、あくまでも五府即ち金水木火土の五行の病として選穴すべし」としている。この事は、心下満以下の病証は陰経にのみ適応可能で、陽経には適用出来ないことをさしている。

〈資料3〉鍼灸聚英の五兪穴病証表

 

蔵病

→仮令バ弦脉ハ病人淋痩難ク転筋、四肢満開、臍左ニ動気アルハ肝病ナリ

→仮令バ浮洪脉ハ病人煩心、心痛、掌中熱シテ臍上ニ動気アルハ心病ナリ

→仮令バ浮緩脉ハ病人腹脹満、食化セズ、体重節痛、怠惰シテ好デ臥ス、四肢収ラズ、臍ニ動気アリ、之ヲ按ジテ痛ムハ脾病ナリ

→仮令バ浮脉ハ病人シャシャ寒熱シ、臍右ニ動気アリ、按ズレバ牢クシテ痛ムハ肺病ナリ

→仮令バ沈遅脉ハ病人、逆気小腹急痛泄シテ下重、足脛寒エテ逆スハ腎病ナリ

心下満
(井)

太敦

少衝

隠白

少商

湧泉

身熱
(栄)

行間

少府

太都

魚際

然谷

体重、節痛(兪)

太衝

神門

太白

太淵

太谿

喘咳、寒熱(経)

中封

霊道

商丘

経渠

復溜

逆気泄ス
(合)

曲泉

少海

陰陵泉

尺沢

陰谷

 

府病

→仮令バ弦脉ハ病人潔キコトヲ好ミ、面青ク怒ルコトハ胆病ナリ

小腸→仮令バ浮洪脉ハ病人面赤ク口渇キ、好ンデ笑ウハ小腸ノ病ナリ

→仮令バ浮緩脉ハ病人面黄ミ好ンデ噫シ、好ンデ思イ、味ヲ好ムハ胃病ナリ

大腸→仮令バ浮脉ハ病人面白ク、喜シテ涎、悲愁シテ楽シマズ、大腸ノ病

膀胱→仮令バ沈遅ノ脉ハ病人面黒クヨク恐レテ欠スハ膀胱ノ病ナリ

心下満
(井)

竅陰

少沢

児[

商陽

至陰

身熱
(栄)

侠谿

前谷

内庭

二間

通谷

体重、節痛(兪)

臨泣

後谿

陥谷

三間

束骨

喘咳、寒熱(経)

陽輔

陽谷

解谿

陽谿

昆侖

逆気泄ス
(合)

陽陵泉

小海

三里

曲池

委中

逆気泄ス
(合)

丘墟

腕骨

衝陽

合谷

京骨

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『難経本義大鈔』がいうある人とは「紀氏」の事である。『大鈔』68難の項の末尾に紀氏の説が書かれている。
「紀氏曰ク、井ノ治スル所五蔵六府ヲ以ッテセズ、皆心下満ヲ主ル。栄ノ治スル所五蔵六府ヲ以ッテセズ、皆身熱ヲ主ル。(中略)但シ蔵ヲ言ウテ府ヲ言ワザルハ、恐ラクハ未ダ理ニ中ラズ。」
更に『評林』の説を載せている。
「評林ニ曰ク。紀氏ガ曰ク、五蔵六府ヲ以ッテセズトハ、猶、五蔵六府ヲ分カタズト言ワンガ如シ」とある。
此れによって、紀氏の五兪穴運用法は明らかである。五行や蔵府の病証等は考えないで、ただ五兪穴の主治症である心下満・身熱・体重節痛・喘咳寒熱・逆気泄等の病証をとらえて五井穴に刺鍼をする方法である。従って、『鍼灸聚英』が進める蔵府の病証から主治穴を選穴するのでは無く、ただ五大病証の区別さえ知ればよいのである。そして、ドーゼ等にのみ注意をして治療を行えば良いのであるから至極安易な運用法にして確かな臨床効果も上げているとの事である。

しかし、漢方はり治療の臨床実践にあっては6・9・16・51・52難等より陰陽・蔵府・寒熱等の診断をし、10・49・50難や難経の治療原則等により選経選穴を行うのが正しい方法であると共に、実地臨床の場にては確実な運用法になるものと信じる。決して安易な方法にのみ気を紛らわせられない事が肝要である。

<資料4> 五行穴・五要穴表


陰経

肺経 心経 肝経 脾経 腎経 心包経
金  火  木  土  水  相火

陽経

大腸経 小腸経 胆経 胃経 膀胱経 三焦経
金  火   木   土   水  相火

井木

少商 少衝 太敦 隠白 湧泉 中衝

井木

商陽  少沢  竅陰  蠡兌  至陰  関衝

栄火

魚際 少府 行間 太都 然谷 労宮

栄火

二間  前谷  侠谿  内庭  通谷  液中

兪土

太淵 神門 太衝 大白 大谿 大陵

兪土

三間  後谿  臨泣  陥谷  束骨  中渚

原穴

太淵 神門 太衝 大白 大谿 大陵

原穴

合谷  腕谷  丘墟  衝陽  京骨  陽池

経金

経渠 霊道 中封 商丘 復溜 間使

経金

陽谿  陽谷  陽輔  解谿  崑崙  支溝

合水

尺沢 少海 曲泉 陰陵泉 陰谷 曲沢

合水

曲池  小海  陽陵泉 三里  委中  天井

?穴

孔最 陰? 中都 地機 水泉 ?門

?穴

温留  養老  外丘  梁丘  金門  会宋

絡穴

列欠 通里 蠡溝 公孫 大鐘 内関

絡穴

偏暦  支正  光明  豊隆  飛陽  外関

募穴

中府 巨闕 期門 章門 京門 ?中

募穴

天枢  関元  日月  中?  中極  石門

兪穴

肺兪 心兪 肝兪 脾兪 腎兪 厥陰兪

兪穴

大腸兪 小腸兪 胆兪  胃兪 膀胱兪 三焦兪

◆督脈の絡・長強 任脈の絡・尾翳 脾の大絡・虚里

A下合穴の選穴
下合穴の実地臨床に於ける選穴の応用は、肝・腎・中下焦の病証に効果が顕著である。また、内傷性の有熱病症に対しても活用出来る経穴である。今後の研究が重要な項目である。

<資料5>下合穴表


六府

経絡名

下合穴


膀胱

小腸
大腸
三焦

足陽明経
足太陽経
足少陽経
手太陽経
手陽明経
手少陽経

足三里
委中
陽陵泉
下巨虚
上巨虚
委陽

下合穴の臨床的応用法は、「霊枢」の邪気蔵府病形篇第5と本輸篇第2にある。

〈霊枢・邪気蔵府病形篇第5〉
『黄帝曰ク、栄兪ト合トハ各々名アルカ。岐伯答テ曰ク、栄兪ハ外経ヲ治シ合ハ内府ヲ治スルナリ。
黄帝曰ク、内府ヲ治スルコト如何。岐伯曰ク、之ヲ合ニ取ル也。黄帝曰ク、合ハ各々名アルカ。岐伯答テ曰ク、胃ハ三里ニ合ス。大腸ノ合ハ巨虚ノ上廉ニ入ル。小腸ノ合ハ巨虚ノ下廉ニ入ル。三焦ノ合ハ委陽ニ入ル。膀胱ノ合ハ委ノ中央ニ入ル。胆ノ合ハ陽陵泉ニ入ル也。』
『黄帝曰ク、願クバ六府ノ病ヲ聞カン。
岐伯答テ曰ク、・・大腸ヲ病ムマノハ、・・巨虚上廉ニ取レ。胃ヲ病ムモノハ、・・之ヲ三里ニ取ル也。小腸ヲ病ムモノハ、・・之ヲ巨虚下廉ニ取レ。三焦ヲ病ムモノハ、・・委陽ニ取レ。膀胱ヲ病ムモノハ、・・委ノ中央ヲ取レ。胆ヲ病ムモノハ、・・其ノ寒熱スルモノハ陽陵泉ニ取ル。』
この条文を整理すると次の様に解釈できる。
「下合穴は蔵府病の内、府病を治する経穴である。そして、内府の病症に対応出来る下合穴は、胃病に対しては足三里。大腸の諸病には巨虚上廉。小腸の諸病症には巨虚下廉。上・中・下焦の諸病症には委陽。膀胱の諸病症には委中。胆の諸病症には陽陵泉を選穴し治療するのである。」

ここで重要なことは蔵府病の診断法である。霊枢の本論には、各府病ごとに詳細な病症が記載されている。ここでは難経医学より蔵府病につき考察する。
9難にては府病は数脉で熱病証を現す。蔵病は遅脉で寒病証を現すとしている。
51難にては、府病は冷飲食を好み外向的な生活態度を欲する。蔵病は温かい飲食を好み内向的な生活態度を欲するものとしている。
52難にては、府病はその病が一定の所に止まらずよく移行するのが特長である。蔵病はその病が一定の所に止まり余り移行しないのが特長であるとする。その外にもあるが、これらの蔵府病の診断点より弁別し下合穴を選穴するのである。

 治療には補瀉の二法がある。この治療法については「霊枢」の本輸篇第2に次の様な記載がある。

〈霊枢・本輸篇第2〉
『三焦ノ下ノ兪ハ足ノ大指ノ前、小腸ノ後ニアリ。膕中ノ外廉ニ出ズ。名ヅケテ委陽トイウ。是レ太陽ノ絡ナリ。手ノ少陽経ナリ。三焦ハ足ノ少陽、太陽ノ主ル所、太陽ノ別也。踵ヲ上ルコト五寸、別レテ入リテ臑陽ヲ貫キ、委陽ニ出デテ太陽ニ正ニ並ビテ、入リテ膀胱ニ絡ウ。下焦ヲ約ス。
実スルトキハ閉?シ、虚スルトキハ潰溺ス。潰溺スルトキハ之ヲ補イ、閉スルトキハ之ヲ瀉ス。』
この条文を整理し意釈すると次の様に解釈できる。
「ここでは三焦の病証に対する治療法のみが説明されている。小便不利の病症は実として委陽穴を瀉す。小便多利や流れ出る病症を虚として委陽穴を補すとしている。」
岡部素道氏は、尿の出ない病症にこの委陽穴を使用され効果をあげていた。その刺鍼は浅く置鍼(2、3分)が主であり承扶穴も併用されていた。

 次に本輸篇を踏まえた下合穴の臨床運用につき論を進める。
本輸篇が説く下合穴の臨床応用は、三焦病証の中の下焦病症である小便多利・不利の病症につきその運用法を解説している。三焦病証を虚実に分け、虚の病証に対しては補法を、実の病証に対しては瀉法を行う事をはっきりと打ち出したのである。この点は非常に重要な所である。
邪気蔵府病形篇にては、下合穴の主治は府病の病証に対して選穴する事が中心であった。そして、この府病の病証は主として「熱病証」であった。手法も「瀉法」が中心であった。この様なことより考察すると、本輸篇の臨床運用は大変な進歩である。確かに本輸篇の下合穴の臨床運用は、三焦の合穴「委陽穴」についてのみ論を進めてはいるが、この運用法からその他の下合穴の臨床応用も追試出来るのである。
今日までの臨床経験より、下合穴を選穴して臨床効果が顕著な症例は三焦の病証である。それも中下焦の病証に効果が良く顕現するようである。しかし、急性の熱病証にもかなりな臨床効果を上げるものと思うが、まだまだ臨床の症例が少ない為はっきりとした事は報告出来ない。今後の研究課題である。

B絡穴の病証と選穴
絡穴は、本経より絡脈が別れる所と言われているが、原穴と共にその経の性格を良く現す経穴であり、虚実ともに経穴反応が著明な経穴である。慢性病症に多く選穴される。慢性病症の臨床実際は、脉状においては必ず「虚数」を現し、病証にあっては「冷証」を伴う症例を多く経験する。

絡穴の選穴は、病証としては「燥証」「冷証」が基本になるものと考える。そして、脉状は「虚数」が選穴目標となる。
霊枢・経脈篇に次の様な15絡穴の記載がある。
肝の絡→蠡溝  胆の絡→光明  心の絡→通里  小腸の絡→支正 
脾の絡→公孫  胃の絡→豊隆  肺の絡→列欠  大腸の絡→偏歴 
腎の絡→大鐘  膀胱の絡→飛陽 心包の絡→内関 三焦の絡→外関
任脈の絡→会陰 督脈の絡→長強 脾の大絡→虚里(大包)

 難経26難に『経ハ十二アリ、絡ハ十五アリ、余ノ三絡ハ何ノ絡ナリヤ・・陽ノ絡、陰ノ絡、脾ノ大絡也』の記載がある。 十二経脈の絡穴は霊枢・経脈篇と同じであるが、陽の絡・陰の絡・脾の大絡は次の経穴である。
陽?脈の絡は申脈穴
陰?脈の絡は照海穴
脾の大絡は大包穴

<参考資料>15絡穴表

経絡

経穴名

部位

関連

経絡

経穴名

部位

関連

足太陰肺経

列欠

大淵の上一寸五分

別れて陽明に走る

手陽明大腸経

遍歴

陽谿の上三寸

別れて太陰に走る

足太陰脾経

公孫

太白の後一寸

別れて陽明に走る

手陽明胃経

豊隆

外果の上八寸

別れて太陰に走る

足少陰心経

通里

神門の上一寸

別れて太陽に走る

手太陽小腸経

支正

腕後五寸

少別れて少陰に注ぐ

足少陰腎経

大鐘

内果の後下方

別れて太陽に走る

足太陽膀胱経

飛陽

外果の上七寸

少別れて少陰に注ぐ

手厥陰心包経

内関

大陵の上二寸

別れて少陽に走る

手少陽三焦経

外関

陽池の上二寸

別れて心主(厥陰)に合

足厥陰肝経

蠡溝

内果の上五寸

別れて少陽に走る

足少陽胆経

光明

外果の上五寸

別れて厥陰に走る

任脈

尾翳

剣状突起の下

腹に散ず

督脈

長強

尾骨下端

頭上下に散太陽に走る

脾の大絡

大包

淵液下三寸

胸脇に布く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

C募兪穴の病証と選穴
募穴は、経脈の気が良く集まる所である。募穴は腹部にあり「陽病は陰に行く」といって急性症の発熱・疼痛・炎症等の病症に反応がよく現れるのでそれが選穴目標となる。
兪穴は、背部の膀胱経上にあり「陰病は陽に行く」といって慢性病症に圧痛・硬結等がよく現れるのでそれが選穴目標となる。また兪穴は灸穴としても重要である。
募穴には、期門(肝)・日月(胆)・巨闕(心)・関元(小腸)・?中(心包)・石門(三焦)・章門(脾)・中?(胃)・中府(肺)・天枢(大腸)・京門(腎)・中極(膀胱)の
諸穴がある。
兪穴には、大杼・肺兪・心兪・膈兪・肝兪・脾兪・腎兪の諸穴がある。

〈霊枢・背兪篇〉
『其ノ処ヲ按ジ、応中ニアリテ痛ミ解ス。乃チ其ノ兪也。之ニ灸スルハ可、之ヲ刺ス
ハ則チ不可也』
〈素問・陰陽応象大論〉
『陽病ハ陰ヲ治シ、陰病ハ陽ヲ治シ』
〈難経67難〉
『五蔵ノ募ハ皆陰ニアリ、而シテ兪ハ陽ニアルハ何ノ謂ゾヤ。然ルナリ、陰病ハ陽ニ行キ、陽病ハ陰ニ行ク。故ニ募ハ陰ニ、兪ハ陽ニアラシムルナリ』

D?穴の病証と選穴
?穴は「甲乙経」に初めて記載された経穴である。
急性劇症や痼疾の病症に良く経穴反応を現し選穴の目標となる。陰経には血の病症に、陽経には痛みの病症に効果がある。
?穴には、孔最(肺)・水泉(腎)・中都(肝)・陰?(心)・地機(脾)・?門(心包)・温溜(大腸)・金門(膀胱)・外丘(胆)・養老(小腸)・梁丘(胃)・会宗(三焦)の諸穴がある。

E原穴の病証と選穴
古典には「五蔵疾アルトキハ、ソノ応十二原ニ出ズ」とあり、十二経脈の変動は原穴に良く現れる事になっている。確かに反応が顕著である。
原穴は、三焦の原気の循る所であり自然治癒力の強い経穴である。補にも瀉にも、或は灸穴としても応用される。

〈霊枢・九鍼十二原篇〉
『肺ノ原ハ太淵2・心ノ原ハ太陵2・肝ノ原ハ太衝2・脾ノ原ハ太白2・腎ノ原ハ太谿2・膏ノ原ハ鳩尾1・肓ノ原ハ気海1ナリ』とある。
〈難経66難〉
『十二経皆兪ヲ以ッテ原トナスハ何ゾヤ。
然ルナリ、五蔵ノ兪ハ三焦ノ行ク所、気ノ留止スル所ナレバナリ。三焦ノ行ク所ノ兪ヲ原トナスハ何ゾヤ。
然ルナリ、臍下腎間ノ動気ハ人ノ生命ナリ、十二経ノ根本ナリ。故ニ名ズケテ原ト云ウ』  
難経66難に記載の原穴は、肺・心・肝・脾・腎の五蔵に関する経穴は霊枢と同じであるが、その他に次の経穴が記載されている。
少陰の原は神門2  胆の原は丘墟2  胃の原は衝陽2  三焦の原は陽池2 
膀胱の原は京骨2  大腸の原は合谷2  小腸の原は腕骨2

F八会穴の病証と選穴について
八会穴の主治病症は難経医学の独創である。臨床応用は、内熱症(陰虚・虚熱病証)に選穴する。
〈難経45難〉
『熱病内ニアル者ハ、其ノ会ノ気穴ヲ取ル也』

<資料7>八会穴表


八会

穴名

部 位

蔵会

章門

第11肋骨前端下際

府会

中?

臍下4寸

気会

?中

両乳の間

血会

膈兪

第7胸椎下の外方1寸5分

筋会

陽陵泉

腓骨頭の最下際

脈会

太淵

手関節掌面側の横紋上

骨会

大杼

第1胸椎下の外方1寸5分

隋会

絶骨

外果の上3寸

 

 

 

 

 

 

最後に熱兪穴・水兪穴(腎の兪穴)につき簡単に触れる。
熱兪穴については、素問の刺熱篇・気穴論・水熱穴論等に記載されている。この経穴の臨床応用は、蔵の熱を瀉す事にあり59穴の記載がある。
実地臨床の場では、足の三焦経(膀胱経と胆経の間)の硬結反応を目標にして治療する。手法は軽微な補法が中心となる。効果が顕著である。
水兪穴(腎の兪穴)については、素問の骨空論・水熱穴論に記載がある。この経穴の臨床応用は、水種、浮腫等の病症に対して水分代謝等水の出入りを制する事にあり57穴の記載がある。

【7】脉状と脉証
漢方はり治療を臨床実践する為には、脉状と脉証の正しい理解が大変に重要となる。
何が重要かと言えば、脉状は病証を現し、脉証は病理を現わす基本となるからである。脉状を正しく理解する為には「祖脉」の理解が必要となる。そして、その根本は『難経』の基本的脉診法である「菽法脉診」の臨床的理解にある。脉状は祖脉を基本とし
て病証を把握し、脉証は四時脉や菽法を基本として病理を把握し臨床に応用するので
ある。

1.祖脉について
古典鍼灸の基本学術では祖脉としては六祖脉を基本としている。そして、祖脉は脉状診の基本であり、臨床の場に於いては脉診学の基本としこれを知らなければならないとして、経絡治療法を中心として一般的には以下の如く定義されてきた。
浮脉=風邪により病浅く表病を意味し鍼刺法は浅い。
沈脉=邪気深く内裏蔵府にあり陰病を意味し鍼刺法は深い。
遅脉=冷証を現し鍼刺法は遅い。又は置鍼。
数脉=熱証を現し鍼刺法は速刺速抜。
虚脉=生気の虚損を表し鍼刺法は補法をもって応ずる。
実脉=実には邪気実と旺気実があり、邪気充満するか経気の変調を現し瀉法を基本とする。

しかし、古典鍼灸治療の理論的背景を「内経」や「難経」に基礎を置くのであれば
祖脉は浮沈・遅数・虚実・滑?の八祖脉にするのが自然であると思う。特に虚実については前に書いたことではあるが、難経81難にて脉診では虚実を診ることは出来ないとし、病症にてこれを判断するのであるとしている。また虚実に代わるものとして、脉の強弱により病勢を診断するとしている。
私は、漢方はり治療の臨床にあっては浮沈・遅数・虚実・滑?の八祖脉が基本になると思う。それに「弦脉」もぜひ追加して臨床研究をするべきであると主張したい。これこそ臨床の場にて応用可能な祖脉であると考えるからである。

ここで、祖脉の文献について考察してみる。
素問の「陰陽別論」にては、去来・静動・遅数とし、「陰陽応象大論」では浮沈・
滑?であり、「五蔵生成論」では大小・滑?・浮沈となっている。霊枢の「邪気蔵府病形篇」にては緩急・大小・滑?である。「難経」4難にては浮沈・長短・滑?であり、9難で遅数を主張している。「診家枢要」では、浮沈・遅数・滑?であり、「類経」では浮沈・遅数・虚実を主張している。又「脉論口訣」は浮沈・遅数を現している。
以上にて理解出来るように、祖脉に虚実を入れているのは「類経」のみである。この事は、今後の祖脉について臨床研究の課題となると考える。

2.祖脉の臨床的意義
祖脉の臨床的意義について考察する為には、各脉状と祖脉との関係について考える
事から始めるべきである。
脉状についての文献は種々あるが、代表的なものとしては、「景岳全書」(明・張
景岳)に記載のある[浮・沈・遅・数・洪・微・滑・?・弦・緊・緩・結・伏・虚・実]の16脉状。
「脈経」(晋・王叔和)に記載のある[浮・?・洪・滑・数・促・弦・緊・沈・伏・革・実・微・?・細・濡・弱・虚・散・緩・遅・結・代・動]の24脉状。
脈経の24脉状に3脉状[長・短・牢]を加えた「瀕湖脉学」(明・李時珍)の27脉状。更に1脉状[疾]を加えた「診家正限」(明・李中梓)の28脉状論が主なものである。
以上の各脉状について、その脉象や病症(証)等を臨床的に8脉状に帰類したも
のが祖脉になるのである。祖脉は各脉状の基本となるのである。ただ、高陽生の「
脉訣」にある24脉状論にて数・革・散の3脉状を欠いているが、これは明らかに高陽生の誤りである。「脈経」にては、数・革・散の3脉状は24脉状論の中にはっきりとした記載がある。

以下にその帰類した脉状を示す。
浮類=浮・?・革
軽く接しただけで表皮の浮部に脉動を感ずる脉状
沈類=沈・牢・伏
垂接しなければ脉動として感じない脉状
遅類=遅・結・代・緩
緩慢な脉象を表す脉状
数類=数・促・疾
速い脉象を表す脉状
虚類=虚・濡・微・散・弱・細・短・小
気血が虚弱な為に抵抗力が滅じて生じた虚証の脉象を表す脉状
実類=実・洪・大・弦・緊・長
気血が強盛な為に抵抗力のある実証の脉象を表す脉状.
滑類=滑・動
脉象がなめらか・流利である脉状
?類=?
脉象がシブルのが特徴である脉状

以上が、28脉状(大小の脉状を加えて30脉状)を八祖脉に帰類した脉状の基本的な分類である。ただ、遅類の脉状の中に脾土の正脉である緩脉を入れているが、これは病脉としての分類であり正脉としての緩脉の重要性を考えれば一考の余地があるものと考える。この脾土の正脉である緩脉の診方が、脉証診察の今後のポイントになる点であり今後の研究課題となる。
この8脉状帰類に各脉状の病証考察を加えると、祖脉の臨床の場に於ける応用法や脉状の意義がはっきりとしてくるのである。
帰類された八祖脉は以下の如くすべて陰陽に分類される。陰陽は虚実・寒熱に代表される脉状となるのである。

陽の脉類⇒浮・数・滑・実
陰の脉類⇒沈・遅・?・虚

八祖脉の意義は、これを正しく脉診することにより患者が現している病理・病証の
把握や証決定の為に大いなる示唆を得る事ができることにその臨床的な意義がある。この様に祖脉は、臨床の場にて病証・病因・病理・証決定・選穴・手法・予後判定等にわたりその基本となる。
以下、八祖脉の内[浮・沈・遅・数・滑・?・弦]の七脉状を基本とた、病理・脉証・脉状・選穴等につきその臨床考察をする。しかし、その前に病理と脉証につき今少し考察する。

【8】病理と脉証
1.病理の重要性について
病理は簡単にいえば「証」である。病気の成り立ちや内容のことである。その証の中に脉証も入る。今ベッドの上で呻吟している患者がどうしてこういう症状を呈するに至ったのか、それを解き明かすのが病理である。そして病理を見極めるためには、病症から考える方法もあるが、脉診から脉証を捉えてそこから考えていくのが重要ではないかということである。
脉証とは、祖脉の30脉状(『脉経』の24脉、『診家正眼』の28脉に大小2脉を加えたもの)を「浮沈・虚実・遅数・滑?」の八祖脉に帰類して、この組み合わせに四時・五蔵の正脉や菽法を考え合わせたものある。
漢方鍼医会ができたのは平成5年であり、平成4年から、今は日本伝統鍼灸学会となっている日本経絡学会が「鍼灸における証について」のテーマで以後5年間にわたって討論した。これは参加者が裸になって腹蔵ない意見交換したということで、古典鍼灸の歴史、日本の鍼灸界においてまことに画期的な5年間であったと思う。
このテーマの中に、なぜ漢方鍼医会が東洋はり医学会から離れてひとつの集団を作らなければならなかったかという核心がある。
昭和14年に岡部素道・井上恵理・竹山晋一郎先生たちが経絡治療を創ってから50年以上経って、理論の枠組みに色々な欠陥が在ることが明らかになっていた。その一番の欠陥が「証」という考え方が統一されていなかったことで、その証について5年間討論したわけである。
その中でも様々な問題が出てきた。まず脉診に関して、基本である祖脉を『類経』の六祖脉か、滑?を加えた八祖脉とするかが統一されていないこと。腹診法に統一をみていないこと。証のなかでも、病証と病症についての問題に回答が出ていないこと。
本と標について・・・・・。
本治法・標治法という言葉は古典文献には出てこない、経絡治療初期に作られた用語ある。漢方鍼医会の中では、この区分けは必要ないのではないかという意見も出ている。本会では、祖脉を基本として要穴にたいする補瀉法で病症に対する。また捻挫・打撲や急性症の場合には局所の病証を捉えて適切な処置をする。それが「本」になるわけであるから、元来「本」と「標」は区別する必要はないのではないか。ただ、病気の根本原因を為す「精気の虚」を補うことが本である、ということはできると思う。
さて、これらの欠陥を一言でいえば、病理の考察がないということである。経絡治療は病理と病証を軽視してきた。病症を基本とした治療体系ができていたわけである。
実際、私が東洋はり医学会に在籍していた約20年間、当時の治療は12経病症をはじめとした「病症」に基づき、病症と経絡との相関性に重点が置かれていた。その病症論の延長に脉状診を考えていたから、脉状の理解が即、手法につながるわけである。脉状によって病理を読み解くというような思考法はそこには現れなかった。また『霊枢』九針十二原や『難経』76難に書かれている手法は留置鍼ではできないとして、補瀉の手法を事細かに開発したが、ここにも病理の考え方はなかった。病証論や脉状診は湯液の考え方だから学ぶ必要はないということになっていた。
平成5年に漢方鍼医会を旗揚げ。池田政一先生の『古典の学び方』で一番のカルチャーショックは気血栄衛の考え方であった。陰虚・陽虚を基本とする病理現象の把握が、それまでとはまるで違っていたからである。
陰虚は虚熱だから浮いて弱い脉、陽虚の脉は沈ということは臨床室で患者を触りながら考えると全然抵抗なく入ってくる。しかし、経絡治療の考え方ではそうではなかった。その原因は日本の湯液界から出ているらしいが、陰虚というのは脉が沈んで虚している、というように全く逆の考え方をしていた。これは『素問』調経論(62)の記述とは全く合わない。このことに経絡治療を創った人達は気づいていたが、病証論を勉強していくときに考えればよいということでそのままにしてきた。
陰虚の代表は腎虚になるが、『難経』の4難で腎の脉配当を見ると、沈・濡・実で陽脉が1つに陰脉が2つであるから、陰虚で下が虚せば、陰の力が減った分、自然現象として脉は浮く。漢方鍼医会初期の実技研修で、我々はモデル患者の脉にそのことを確認した。反対に、肺には陽脉が2つに陰脉が1つで毛脉が配当されているから、肺の脉はふわっと浮いていて診てもほとんどわからない、それが脉位置が下がり?がかって堅さのあるわかりやすい脉になっているのが肺の陰虚である。
気血栄衛や津液の陰陽理論を考えると、なぜ腎・肝の陰虚は脉が浮いて、肺の陰虚は沈むのかの基本はここにあると思う。この病理の考え方が、今までの経絡治療に欠けていた訳である。
※〈資料8 基本証の病理・病証・脉状・治法表−1.2〉を参照

2.陰虚・陽虚と寒熱について
陰虚というのは自然生理学的な現象であるから、病症は老人の身体を思い浮かべればわかる。老人の脉は大体浮いて大きくて弱い。皮膚が枯燥していて、口渇がある、目がうつろになって歩くのも遅く頭髪も薄くなる。すべて虚熱が逆上しているためにおこるものである。「基本証の病理と病証」は『素問』調経論62を基本にしてまとめたもので、この中でも病の一番の基本はやはり陰虚証である。脉証は浮にして虚。脉証学においてもこの浮脉が一番の基準線になると思う。
ただし浮沈を診る上で、四時脉や患者の病症も考慮に入れないとまちがえやすいし、
診る人によって結果が変わってしまう場合があるが、この浮沈を間違えると証の一番の根幹が失われることになるから、必ずしっかり捉えなければならない。
伝統鍼灸治療の骨子は陰陽寒熱論であり、この寒熱を区分けするのが浮沈を筆頭にした脉状である。まず浮沈を捉え、その虚実、陰陽の部の比較、六部の比較、また身体を触ってみての手足の厥冷感・臍の冷感などの病症との比較、そういう形で脉証を診ていくことになる。
余談になるが、『脉法指南』や『脉論口訣』『脉法手引草』など、曲直瀬道三の流れから江戸期の病証学を説いている著作のほとんどは人迎気口脉診を採用しているから、それを頭において診ないと合わない所もある。
『脉法指南』は、浮脉について「元陽虚極して真陰不足」の脉だといっている。これは三焦の原気不足と腎虚のことである。腎の脉は沈んでいる方が良いがそれが浮いてきてしまう。これは三焦の原気が少なくなり、脉を締めつける力が落ちるからである。腎というのは津液を作るところで、津液は五蔵に配られ、五蔵の陰気(精気)となる。
だから蔵は府に比べると固まっていて冷えを持っているのが生命体の基本であり、その状態を守るために腎は働いているわけで、その締めつける力がなくなって、そしてふわっと浮いてきたのが浮脉、浮にして虚の脉が陰虚であるといっている。

<資料8>基本証の病理・病証・脉証・治法表−1

 

陰虚証

陽虚証

病理

陰の部位の陰気(精気)が不足した状態
陰の部位の陰気(津液)が不足した状態

陽の部位の陽気(衛気・営気)が不足した状態
陰の部位の陰気(血)が不足した状態

病証

虚熱(内熱)の病証を現す

虚寒(冷え)の病証を現す

各証
病理
病証

腎陰虚→腎の津液不足による虚熱病証
脾陰虚→脾の津液不足による胃熱病証
肝陰虚→肝の血中の水不足による血熱病証
心陰虚→心の陰気が不足し心熱過多の病証
肺陰虚→肺が乾燥し発症する肺熱病証
※肺実(燥)→肝虚肺燥証

肺陽虚→肺気(陽気・衛気)の不足による虚寒病証
脾陽虚→脾の精気虚による胃の陽気不足による胃腸の虚寒病証
肝陽虚→肝血不足による筋の引きつり、厥冷と寒病証
腎陽虚→腎の命火の不足による虚寒病証
※初期は肺虚陽虚証、進行すると脾虚腎虚証となる

脉証
少陰
附陽

腎陰虚→全体の脉状は浮大虚
脾陰虚→全体の脉状は浮大虚
肝陰虚→全体の脉状は浮大虚
心肺陰虚→全体の脉状は沈堅(?)
※少陰脉は虚大 
※附陽脉は虚大(有力)

肺陽虚→全体の脉状は浮虚数
脾陽虚→全体の脉状は沈虚
肝陽虚→全体の脉状は沈虚
腎陽虚→全体の脉状は沈虚堅
※少陰脉は虚大
※附陽脉は虚細(無力)

選穴
治法

難経69難の選穴が基本(陽経は剛柔選穴)
※営気の補法(陰虚に対して)

難経69難の選穴が基本(陽経も補法)
※衛気の補法(陽気に対して)

?理
腹証

皮膚→枯燥し温感あり
腹証→中下腹が虚満感、温感あり

皮膚→虚して冷感あり、精気が不足
腹証→虚軟で虚寒

 

<資料8>基本証の病理・病証・脉証・治法表−2

 

陽実証

陰実証

病理

陽気が陽の部位に多くなり邪熱となり停滞・充満した状態(急性熱病)

陰(陰経・蔵)の部位に血や熱が停滞・充満した状態(熱血室に入る・難経の証)  ※陽虚の進行した証

病証

急性熱証・実証(痛証)を現す

?血・血熱による諸病証を現す

各証
病理
病証

肺虚陽実→肺気が虚した為に表の陽気の循環が悪くなり停滞・充満し急性の熱病証を発症
脾虚陽実→脾虚(精気虚)の為に胃腸に熱が停滞・充満し急性の熱病証を発症

肺虚肝実→肺気虚と腎陰虚の為に肝経や肝臓に?血が多くなり諸病証を発症(腎虚肝実)
※臨床は腎の病証が多い
脾虚肝実→脾虚があり、肝経や肝臓を中心に血・血熱が停滞し諸病証を発症
※急性熱病・慢性病証・?血病証等を発症
臨床は脾・肝の病証が多い
※陰盛証→陰気の停滞・充満による厥冷病証

脉証
少陰
附陽

肺虚陽実→全体の脉状は浮実数
脾虚陽実→全体の脉状は沈実(滑か数)
※少陰脉は虚大
※附陽脉は虚大(有力)

肺虚肝実→全体の脉状は沈堅 ※臍上の動悸
※肺腎が虚、肝は実(?)・脾は正常
脾虚肝実→全体の脉状は沈実(?)
※少陰脉は虚大  附陽脉は虚細(無力)

選穴
治法

難経69難の選穴が基本(陽経の瀉法)
上焦部の瀉法が有効である
※衛気の瀉法(陽邪・熱邪に対して)

肺虚肝実→腎(補)・三焦(陽池の補)・膀胱、小腸(瀉)
脾虚肝実→一時的な肝実
急性熱病、慢性症→脾(補)・胆、膀胱(瀉)・三焦、胃(補)
?血病証→脾、心包(補)胃、三焦(補)
三陰交・血海・曲泉の瀉(肝実を抑える)
※補法は営気の補法(?血に対して)

?理
腹証

皮膚→実して熱感あり、痛みを伴う
腹証→余り参考にならない

皮膚→虚して冷感あり
腹証→表面は堅い・黒色(?血)・臍下に?血・陰実の腹

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから陰虚証の病証を現す場合には、必ず下の陰の部位が虚している。大体におい
て足が冷え、上の方には逆気現象で熱がこもってくる。これは熱には上行性があるからで、もちろん虚熱である。三焦の原気の働きが落ちて津液の流れが停滞する、又は労働や精神的ストレスで血・津液そのものが少なくなる。いずれにしても脉が浮いて虚脉を現す。そうすると虚熱が出るから、皮膚の表面に熱が滞って枯燥し、汗が出にくい、口が渇く、記憶力の低下、五心煩熱、尿が短くて赤い、脉には?のような堅さが増すなどの病症が現れる。
この陰虚をしっかり押えておくと、裏返しで陽虚や陰実も自然にわかってくる(陽実は少し違う)。陰虚証には腎以外にも脾・肺・肝の陰虚がある。津液の状態から考えると、心の陰虚というのは腎と肝の陰虚になると考えられる。
陽虚証の基本脉証は沈虚遅?。病証は冷え、陽気の虚である。ただし陽虚を成すには必ず陰虚の前提がある。だから陽虚の患者に陰虚の証を立てても、気長に治療すれば治ることがある。気血栄衛生成の土台は胃にあるから、全ての病は脾胃を補うという『脾胃論』に通じる考え方である。また陽虚の治療を続けていて陰虚に戻ってくれば予後良である。陰虚証とは老人にとっては生理的なものになる。
陽虚に四段階あるという説もあるが、本当の陽虚になると三焦の原気がなくなって歩けないから治療室に来られない。
臨床室で患者の身体を触って冷たいのは陽虚。肺気が虚しているためである。手足が冷え低血圧で寒がりくどくどと病症を訴える。尿がたらたらと長い。胃の陽気が落ちているから食欲がない。自汗、倦怠感、崩漏、毛細血管が破れて出血反応を現すなどの症状が出てくる。

陰虚証と陽虚証を診分けるには、まず病証的なもの、それから患者の身体に触って感覚的に感じるもの、それらである程度目安をつけてから、それを脉で確認するようにする。
病理の基本は、『調経論』を基にして考えると陰虚証と陽虚証ということになるが、こういう基本を押えていると意外に証を間違わないものである。

3.伝統鍼灸医学の流れ
『素問』『霊枢』は内経医学といわれているが、鍼灸医学を見事に記述した書物である。直接鍼灸に関わる篇が『素問』の運気七篇を除いた76篇中32篇、『霊枢』81篇中49篇、補助的に灸も混ぜるというのも数えればもっとある。一方、薬方は6種類しかない。つまり『内経』は鍼灸療法についての本なのである。
具体的には攻撃的な対症療法であるが、病因論は内因論。気の医学といわれる所以である。鍼法の基本は『霊枢』九針十二原で、あの補瀉の鍼法は気の思想無しには成立しなかったものである。
反面、内経医学一番の欠点が、この内因論への偏りであるとして、『霊枢』に虚邪賊風や八風説など邪についての考え方がでてくる。それを受けて『難経』が外邪を五邪として見事に整理し五蔵に配当した。中国医学の大根本は未病を治すということである。この一点には黄帝も神農・扁鵲も誰も異論がないはずで、そのために精気の虚を補う、なおかつ外因論的なところを注目してやっていった方が、病症は取れるし患者も喜ぶ。
それから脉診について。『素問』では三部九候脉診で、こめかみや頸や足首など身体のあちこちの脉の打ち方を比べて、どこの精気が虚していてどこに病症があるかを診ていた。その後研究が進んで『霊枢』では、頸と寸口部を比べる人迎脉口診、肘と寸口部を診る尺寸脉診まで出てきた。そして『難経』の第1難で、脉で生死吉凶を診るのだと大々的に寸口脉診が打ち立てられた。ここに脉診学は一応の完成を見た。
経穴の数は全身で354穴、365穴、左右合わせて約800穴などと諸説あるが、これを『難経』は66穴に集約した。これも思い切った改革である。
また、相剋的な理論が主だった内経医学から、相生理論を取り入れたのも『難経』の大きな成果のひとつである。それから三焦論、たとえば腎間の動や三焦心包の問題(「名あって形無し」)も『難経』で登場してきた。手法においては九針十二原の出内の補瀉を否定して、呼吸で補瀉はやらなくても良いと78難で宣言している。このように、『難経』は色々な意味において改革の大鉈を振るったのである。
そして中国医学が完成するのは『傷寒論』である。成立したのは漢代で、ここにおいて張仲景という個人の医者の名前で、脉・病症・舌がこうならこの湯薬の証であると明記した見事な臨床の書が完成した。
つまり、『素問』『霊枢』で医学の方向性が体系付けられ、『難経』で基盤を築き、『傷寒論』で完成したということになる。経絡治療を勉強しているころには『傷寒論』は湯液の書だから勉強しなくてもいいと言われてきたが、今後漢方はり治療を大きく体系付けるためには、『傷寒論』は必須である。

4.臨床と気血栄衛
臨床実践は、気血栄衛・陰陽の気の動きを考えながら鍼を行うものであり、観念的・短絡的に、例えば患者が息を吸ったときにぱっと鍼を抜くのが補であるなどというのではなく、病証を理解することによって、何に対して鍼を動かすのか明確な目的意識をもって補瀉を考える事が必要とされる。
たとえば今、血中の陽気である栄気が虚しているとする。栄気とは血を循環させる気で、これが不足していると血や津液が循環できなくなって、津液の冷やす作用が落ちるから発熱する。この発熱の原因は栄気の虚であるから栄気を補えばよいということになる。具体的な手法については『難経』76難に、皮膚よりやや進めて、衛の手法より時間を長くやや緩慢に行うようにとの記述がある。70難には四時によっての手法が説明されているがこれも応用できる。
医学古典の中には、80数種類の気があるというが実態はひとつである。場所や働きによって呼び名が違う。その中に「気・血・栄・衛」「陰気・陽気」の考え方もある。
資料「人体の気の構造」をみると、中国医学の基本的な考え方は人体を気と形(質)にわけ、気を気と血に分け、その分けた気の中に陽気と陰気、そして陽気の中に宗気と衛、陰気の中に栄という具合に細かく枝分かれしていって、一番右のところで「循環する気」と「定処の気」に大きく分けられている。
このように「気」にはいろいろな分け方があるが、鍼灸治療を行う上で気血栄衛、特に栄衛の理論は、体表に近い経脈上にて経脈の深さや刺激量により操作できるという点でうってつけの論法なのである。であるから、気血栄衛の病理・病証の知識は、補瀉法を理解するためにとても重要になる。
栄・衛はどちらも経脈を循環する気である。『難経』は衛と気・栄と血を結びつけて衛気・栄血論として捉える。つまり栄は血であるとしているが、これも思い切って単純化したものである。しかし、栄は血ではなく血を循らすものであるとしないと気血栄衛の補瀉の手法につながらないと思う。

@衛の病理
衛は表で働く陽気である。陽気であるから動きが素早い。何か異常を察知したらぱっとそこに行く。常に外に発散しようとする気であり「壮火の火は少」という言葉があるように、治療の段階では刺激量にごく注意する必要がある。表を温めて外寒から
身体を守り、?理の開閉を調節して体温を調節する。皮膚や筋肉・関節を働かせ、内の胸や腹を温める気でもある。この衛気の集散が、痛み・かゆみや発熱というような症状を現す。
衛気が不足して表の循環が悪くなると、皮膚の部に熱が滞って悪寒を発し、それが続いたり外寒が入ったりすると発熱する。表の衛気が不足して皮下に津液が滞った状態が水滞。衛気が夜に肝(陰)に戻りきれないのが不眠。いずれの病症も基盤に陽気不足がある。

≪資料9≫人体の気の構造   

この図<資料10>は漢方陰陽会が作成したものであるが実によくできている。
1.まず中焦の胃で水穀が消化されて栄衛、いわゆる陽気が生成される。
2.上焦の肺から陽経脈を通って、発散を繰り返しながら頸肩・背腰から足に循り、足の陰経脈を通って
3.下焦の肝から腎そして胃に戻ってくる。古典では、これを昼25回夜25回繰り返すという。
ちなみに、この経脈の流注を整理、確定したのも『難経』の功績である。

≪資料11≫陽気の発散と停滞

陽気が発散されずに停滞すると、<資料11>のようにその局所に痛みや熱などの病症を発することになる。
1.が正常な状態で、このように陽気は皮膚・表で絶えず発散しているのが健康なのであるが、
2.陽気不足や外寒により発散できないと、皮下に陽気が停滞して悪寒・発熱し
3.陽気の停滞が深いと、熱が表に出られず往来寒熱になる。

C津液の病理
津液は五蔵の精気(陰気)と結びついて、五蔵が生理活動を行うための基本物質となる。五蔵の陰気が不足すると津液も不足して、これが病理の基本となる。
津液には陰性の津液と陽性の津液があるという考え方がある。「津」が陽で「液」が陰。陰性の津液は脾と腎に多く、陽性の津液は肝と心に多い。陰性の津液には冷やす作用があるから、血中の陰性の津液が不足すると冷やし潤す作用が低下して内部に虚熱が生じる。陽性の津液が不足すると、血を温める作用が低下して冷え症状が強い。
『金匱要略』には、津液が滞った際の病証として痰飲病と水気病、この二つの違いが出ている。
痰飲病とは脾胃の陽気不足による胃中の水滞で、嘔吐・下痢・胃のつかえというような病症を現す。同じ水滞でも水気病は肺腎の陽気不足のために、皮下の水滞・浮腫・足が重い・関節痛といった病症になる。
このように、どこの陽気が不足するかによって病症の出方が異なり、証の違いにもつながってくる。気血栄衛がどのような病理でどんな病症を現しているかを病体から読み取ることによって、具体的な栄衛の補瀉の手法につなげることができる。簡単にいえばそういうことであるが、今後これを臨床の現場で実践するのはなかなか大変になってくる。

【9】脉状と脉証の臨床考察
 漢方鍼医会を創設した目的は、『漢方はり治療』の臨床的学術の構築とその普及啓蒙である。
 伝統的鍼灸医学は東洋の風土で培われ発祥した臨床医術である。 この医学は、中国に発祥した医学思想を基礎とした全人的調整を治療目的とした総体的医術でもある。
 『漢方はり治療』は、日本の風土で臨床鍼灸医学として体系付けられ発展してきた経絡治療を基礎として、内経医学や難経医学の医学理論の臨床実践を通して追試し構築された鍼灸医学である。この医学習得の基本は、病人の「本」である証(病理)につき臨床的場を通して研修することにある。
 その意味で、脉状と脉証の研修は、臨床医学である伝統的鍼灸医学の根幹をなすものである。脉の分析により病証・病理を把握し、証を導き出して治療につなげようというのである。

1.証の基本と病理

@精気の虚について
病気の始まりにはつねに精気の虚がある。これが伝統鍼灸の原点である。精気の虚に内傷が入ってそこに外邪が侵入する場合とか、精気の虚のゆがみの段階で外邪がぽっと入ってしまう場合、また精気の虚と内傷があるところに外邪が入ったために虚の病証を呈して旺気実が発生するとかある。
病証の虚実により臨床現場では補ったり瀉したり輸瀉したりと治療の方法論はさまざまであるが、その全ての場合において、病の大本には精気の虚があるのである。ではその「精気」とは具体的に何か。
素問第62「調経論」に「鍼ノ刺法ニハ、有余ハ瀉シ不足ハ補エトアルガ、ソノ有余・不足トハ何ヲ言ウノカ」「有余ニ5、不足ニモ5アル。何ガ有余・不足カト言ウト、神・気・血・形・志ノ事デアル」という問答がある。この「神・気・血・形・志」が五蔵それぞれの精気のことである。
素問第9「六節蔵象論」では、この五蔵配当として、心は神・肺は気・肝は血・脾は形・腎は志を蔵すとその基本性能について論じている。
病気はこの五蔵精気の不足を基本として発生する。これにより気血の流れに不調が起こり、経脈の虚実が生じるのである(蔵府経絡説)。

A陰虚の重要性
さて、この「病は精気の虚から始まる」ということを色々な面から追求していくと、我々の臨床現場では「陰虚」の重要性があらためてクローズアップされてくる。陰虚というものの考え方、病理的把握の方法が全ての基本だと言うことに気づくのだ。
陰虚とはどういうものか。病において五蔵の精気の虚があるということは、大きな意味での陰虚であり、それが「証」の基本でもある。「調経論」だけではなく古典のあちこちに出てくるこのような考え方をまとめたのが、経絡治療学の基本となっている「陰主陽従説」ということになる。
陰虚と陰主陽従説、これが基礎医学としての古典医学の考え方の基本である。そしてこの基本論を踏まえ、内経医学を駆使して、病理というものをいかに臨床の場で考察し活用していくかというのが、今日の課題なのである。

B調経論について
「調経論」は古典医学の上で重要な篇であるので、証(病理)の基本を論じる前に、若干触れておきたい。その要点は次の6項目に集約できる。

1.病気とは何か:蔵府経絡説の主張。これについては前節で論じたとおり。

2.五蔵の精気不足・有余に対する病証と補瀉
たとえば肺の精気は気であるが、これが有余・不足したとき、「調経論」ではどのように考えていたか。有余するということは肺気が鬱して喘咳しのぼせる、いわゆる肺熱上気。不足とは肺気が少なく呼吸が浅くなる、いわゆる少気である。それからもう一つ、「魄気微泄」といって、気血の流れは順調で肺気と合併して病証を現すことはないが皮膚がやや病んだような状態で肺気がわずかにもれている、こういう病証がある。このような有余・不足・魄気微泄に対して、「調経論」ではどのような鍼の刺法を行っているか。有余、いわゆる上気に対しては経脈を軽く刺す。不足、少気の場合は軽く経脈を補う。魄気微泄に対しては、鍼先を皮膚に接触するだけ。現在我々がやっていることと、あまり変わらないことがおわかりだと思う。

また、脾の精気は形であるが、これの有余・不足の場合。有余した場合は脾気が充満して腹が膨れる、要するに水腫である。肥満もこれに含まれる。また脾気が充満して腎気が剋されるため尿が出難い。不足すると、脾気が虚して手足倦怠になる。そして「微風」といって気血の流れが順調で脾気と合併して病症を現さない場合に邪気が入ると、肌肉の割れ目に留まって、肌肉が痙攣する病症を現すという。これの治療であるが、有余、おなかが膨れて水腫を起こしている状態には陽経脈の胃経を瀉す。不足のときは陽絡脉、これは絡穴の豊隆を補う。それから微風にたいしては皮膚、衛気の分に鍼先を接するだけで刺さない、こういう刺法をやるのだという。
肝の精気や血の有余・不足は臨床上にも結構多い病症である。血が有余すると肝気が鬱して怒りっぽくなる。不足すると肝気が虚したために腎気も虚してものに恐れやすくなり精神的に不安定な状態になる。気血が順調で肝気と合併して病症を現さない場合に邪気が入ると、孫絡に血が充満した「留血」いわゆる?血となる。これに対して、有余には実の経脈から瀉血。不足には虚の経脈に留置鍼をして、脈気が多くなったら抜鍼するが血は漏らさないようにする。留血の場合はもちろん瀉血である。

3.虚実:特に気血と経脈との相関性
「調経論」では虚実についてどのようにいっているか。まず気血の不調和が前提になる。気が衛、つまり脈外に乱れ、血が経脈内に逆らう、そうすると「血気離居」といって気血が偏在したかたちになるというのである。
たとえば血が陰に偏ると気虚を起こし、気が陽に偏ると血虚を起こす。いずれもこういう分離した状態の場合には精神的な病症を起こすという。
血が陽に偏ると、陽は気虚になり、気が陰に偏って陰は血虚になる。(熱)中を為すというが、これをどのように理解するか。
血が上に偏ると、上は気虚を起こし、気が下に偏ると、下は血虚になる。この病症は胸苦しく怒りっぽくなる。
血が下に偏ると下は気虚、気が上に偏ると上は血虚。この場合は精神不安定で忘れっぽいような病症を現す。
以上、血気離居を四方面から考察している。このように気血のアンバランスの状態を総じて虚として、その中でも気が無く血があることを気虚、血が無く気があることを血虚と言う。実とは気血がともに偏った状態を言う。「調経論」は虚実についてこういう捉え方をしている。

気血・経脈と虚実という場合でも、「調経論」なりの捉え方をしている。気血は蔵府を中心として陰経脈と陽経脈を行ったり来たりして健康を保っている。陽気・陰気・陽血・陰血、この気血陰陽が調和した状態が平人・健康であり、これが偏ると病気となる。こういう一つの定義をした後、病気=病邪をまた陰陽に分けている。陽に生ずる邪は風・雨・寒・暑、いわゆる外邪であり、陰に生ずる邪は飮食・生活習慣・性生活・感情、いわゆる内邪である。
いろいろ書いているがたとえば、寒湿の邪が侵入する場合、邪気が入ると皮膚が虚して筋肉がかたくなる。栄血が流れなくなり、衛気が虚す。衛気が虚すということは陽気が不足して冷えに移行するし、気虚の状態だから指で按じると気持ちが良い、そんな事を書いている。これもやはり、我々がやってきた基本的なものとそれほど大きなずれは無いようである。

4.四病証(型)について
私の理解では古典鍼灸治療における「証」の基本論になると考える。次節で詳しく論じる。

5.気血営衛:特に蔵気についての考察

6.気血・虚実の補瀉刺法について
まず気血に対しては、気血の偏在の刺法ということで、気には衛の刺法、つまり軽い皮膚表面の接触鍼、血には営の刺法、これは皮膚にやや浅く刺入する鍼法である。『難経』76難にも同じ営衛の刺法が記載されている。それから虚実では、虚には補法が基本、刺針にあたって患者の気をうかがい呼気に従って刺入し催気や吸気にしたがって鍼を抜き鍼口は必ず閉じる。実には瀉法が基本で、患者の吸気に従って鍼を刺入し、鍼をゆるがせ鍼口を大きくして、呼気に抜針、鍼口は閉じない。こういう刺法を「調経論」では提唱している。

このように「調経論」には、精気の虚が病気だという事や四病型の基本論だけではなく、虚実や補瀉についても気血や経脈、邪についての考え方も少しずつ述べられている。その意味で「調経論」は、漢方はり治療の上でかなり大きなウェイトを占めるのではないか。

C証(病理)の基本について
漢方鍼医編集部では四回にわたって陽虚・陰虚・陽実・陰実という四大病型についてまとめたことがあるが、それを踏まえて基本病理・病証と五藏各証の基本病証と脉状を表にしたのが資料8 「基本証の病理と病証」である。これがこの四つの大きなカテゴリーの基本論となっている。
たとえば今のわれわれの臨床室で一番多いのは陽虚証であり、それに伴って陰実証も増加している。ところが、東洋はり医学会の研修では陰虚証が一番多かったように思う。もちろん病理の理解が足りなかったこともあるだろうが、やはり今の時代、体力が低下していること、環境ホルモンやオゾン層破壊による紫外線増加など新たに色々な病因が錯綜していること、薬や栄養剤を飲んでいる人が多いことなど、そのために陽虚証を呈する人が増え、それが進んだ状態として陰実証が多くなってきているのではないか。
日々の臨床の現場を想定していただくとわかるように、患者さんをベッドに寝かせ、脉を診ながら身体を触ると冷たい、この冷えは肺気の虚、つまり陽気虚である。脉は大体において沈んで虚、または数、進行すると遅、そんな人が多い。陰実証になるとこの沈んだ脉に?を帯びて若干堅い実脉を呈する。幅幅(フクフク)然として決して強くはないがいつまで押さえても消えない、そんな脉である。また純然たる陽実証は意外と少ない。これは陽実証の段階で薬を飲んでしまうとか、病因的に内傷が強いとかの理由で、陽虚証になってしまうのである。脉は沈んで?を帯びたり結滞したりというような形を取る。
陽虚証の基本病理は、
1.陽の部位の陽気(衛気・営気)が不足した状態 
2.陰の部位の陽気(血)が不足した状態の二通りで、基本病証は虚寒(冷)である。

このように陽虚が増えていると言っても、いきなり陽虚になるのではなく、その前提には陰虚がある。
陰虚証の基本病症は虚熱(内熱)である。この熱がどこから来るかという基本病理としては、
1.精気の不足 
2.津液の不足。
虚熱があるから脉状は浮いて虚して大きいことが多い。津液は水であり、これには冷やす作用があるから、不足すると熱が多くなる。この熱は陰の熱であるから内熱、陰虚だから虚熱ということになる。陰虚の代表は腎虚証であり、腎陰虚の脉状を想定すると、他の陰虚もわかってくる。

陰虚証のところにまとめたのが虚熱病証であるが、一番の代表は皮膚枯燥である。熱には上昇性があるから表に浮いてきて、そのために表面の水気が取られるために、老人特有の枯燥した皮膚になる。それから消痩。普通に食事していて食欲があっても自然にやせてくる。年取った人に久しぶりに会うとやせたと感じるが、本人は至って元気、年を取るということは陰虚になるということであるから、これで自然なのである。朝起きると口や喉が渇くとか、夜何回も目が覚めて眠りが浅い、五心煩熱といって、手足の掌や胸中がもやもやするとか、寝汗、便秘など、すべて陰虚の病症である。
陰虚は老人になったら一種の生理的現象で、60歳過ぎた人ならまず陰虚があるから、カルテ記載の折りにはこのような病症が必ずある。ただ残念ながら今の医療制度では60歳以上の10人中8人か9人は薬か栄養剤を飲んでおり、これらの口から入るものは全て水毒といって湿邪になるから、健康や長生きのためにと思って、反って陽虚になってしまう、そんな皮肉な現象になっている。陰虚の典型や老人の脉は浮いて大きくて弱いことが多いが、こういう場合は沈んで?を帯びて、皮膚を触ると冷たく、なおかつ枯燥している。水毒がさらに増すと、陰実証を呈するようになるというケースもあるだろう。実際、陽虚証と陰実証の病症は似たところが多い。臨床現場では陰実証の患者さんに陽虚証の治療を施していてもいつのまにか治ってくることさえある(基礎医学と臨床医学との間のギャップ)。
このように、陽虚証や陰実証、これには血熱や血実や?血がからんで、特に女性の更年期などはまず陰実を頭に置いた方がいいのだが、その大本には陰虚証があるのである。

2、脉状と脉証
@脉状と脉証の意味論
脉状とは祖脉を基本として病症の基本を現すもの、脉証とは脉状に四時脉・菽法脉診・五蔵正脉などを加味して病理と「証」の基本となり、臨床実践の根幹となるものと捉える。

A八祖脉の重要性と陰陽脉分類
脉状を正しく理解するためには、「祖脉」の理解が必要である。
脉状というのは『診家正眼』の28脉状が基本で、他には『景岳全書』の16脉状、『脈経』の24脉状などがある。この28脉に大・小を加えて30脉状、これを大きく8つに帰類する方法がある(八祖脉帰類表)。たとえば浮脉のところには浮・?・革が分類されるというように、浮・沈・遅・数・虚・実・滑・?の8脉状に、臨床上重要な全ての脉状が集約できるというのである。
この8つをきちんと理解すれば、臨床応用に何ら不足は無い。ただしこの分類では一元的すぎて、臨床現場ですぐ使うことができるというものでもない。あくまで基本例として理解して欲しい。

これとは別に、陰陽脉の分類法というものがある。これはもともと『難経』の分け方で、八綱を統括する陰陽で脉を分類している。陽の脉類は浮数滑実、陰の脉類は沈遅?虚ということになる。
この八祖脉と陰陽脉分類は、脉状論を理解する上で避けては通れない一過程であろう。これらを基本に置いておかないと、どこか辻褄が合わなくなって臨床の場で途方に暮れることになる。

B六祖脉の「虚実脉」について…七脉状論の提唱
経絡治療学会では『類経』の唱える六祖脉(浮沈遅数虚実)を採用している。この中の虚実脉がくせものなのだ。祖脉の文献には他にも『素問』『霊枢』『難経』をはじめとして『診家枢要』『増補脉論口訣』などがあるが、この中で祖脉に虚実を入れるのは『類経』だけなのである。経絡治療学会がなぜこの六祖脉を採用したのか。
これは経絡治療学会が唱えた脉診法の基本が脉差診・比較脉診であり、『難経』69難であったことに関係がある。八木下勝之助先生が講演に呼ばれた際に、『経絡治療とは虚実をわきまえて補瀉するのみである』とだけ言って帰ったという有名な話があるが、そのために脉状として何が必要かといえば虚実だけで良いのだということで、これの論拠として例の『難経』69難の「虚するものはその母を補い、実するものはその子を瀉せ」の一節を発見した。こうして虚実さえわかれば他の脉状など捉えなくても治療ができるということになってしまって、六祖脉に虚実を入れている『類経』に飛びついた。私はそう思っている。
要するに他の脉状診を入れると難しくなるし、脉診を広めるためには簡単にする必要があった。たとえば証を決める場合に、虚実=強弱として、左手関上と尺中が弱いから肝虚証という具合に、簡単に証がでてきて治療もできる。
では六祖脉の残り浮沈・遅数はどうしようかというと、これは刺法論と簡単な病症の捉え方に回した。浮脉ならば浅刺、浮いて数なら速刺速抜、沈遅なら留置鍼。浮脉なら表病で病は陽の部位にあるし、沈脉なら陰経・下の方にある、そんなふうに六祖脉をまとめあげた。
だから、六祖脉の中でも虚実脉はそれ単一では出ないし、今後脉状診を検討していく上では、浮にして虚とか沈にして実というように、他の脉状と合わせて表現されるべきものである。従って、虚実脉をあえて単独に祖脉として区分けする必要は無いと思われる。ただ病理の段階で、浮数にして虚の場合・実の場合にそれぞれどうなるか、その虚実の兼ね合いにこそ、「虚実をわきまえて補瀉をする」経絡治療・古典医学の原点がある。
以上のことから、私は今後漢方はり治療をやっていく上で、八祖脉から虚実を除き、そして弦脉を加えた七脉状を基本として、脉状・脉証論を構築したいと考えている。


<参考資料>七脉状の文献と臨床的意義

1.浮脉
挙之有余、按之不足 (脉経) 。
浮脉は脉全体の位置が中間より上にあり毛脉に通じる脉。
浮脉は肺金の正脉也。
浮脉は風症・下焦虚(腎虚)血虚(栄血虚、陰血虚)・陰虚を示す。
浮脉は表症を現す(現症として)。
? 2.沈脉
挙之不足、按之有余 (脉経) 。
沈脉は浮脉の反対の脉状で、中脉の位置が中間より下にある脉也。陰中の陰を示す脉で、骨近くに沈潜しようとする脉状(陽気衰の脉)。
沈脉は腎水の大過脉也。
沈脉は陽気虚の脉也。陰中の陰脉也。
沈脉は陰邪(寒、湿の邪)が蔵・陰経・腹を侵している脉也。
※上焦−気欝、少気・中焦−寒積、宿食、中満・下焦−厥逆、痼冷、寒湿、水畜等を示す。
3.遅脉
呼吸三至、去来極遅 (脉経・ 察病・ 瀕湖・ 指南) 。
遅脉は平脉に達しない遅い脉也? しかし緩脉のように脉状に軟らかさ、伸びやかな安定感はない脉状也(遅脉が進むと死脉になる)。
遅脉は脾土の大過脉也。
遅脉は気血の凝滞(寒症、湿滞、積滞)・冷症・腎虚の脉也。
※為腎虚之脉、主虚悪寒気塞満脹 (察病)
主蔵、有力冷痛、無力虚寒、浮遅表寒、沈遅裏寒 (瀕湖) 。
遅脉は脾土と腎水に係る、生命力に直結する内容を有する脉状也。
4.数脉
去来促急、一曰一息六至(脉経・察病)。
息間常六至、陰微陽盛・・・数比平人多一至(瀕湖)。
数脉は一呼吸に六動以上の脉也。一見数脉は滑脉に間違い易い。
数脉の病証は熱や燥を現すが、それの決定は脉の虚実による。
数脉は熱を主る。数緊なるは傷寒。数にして力あるは熱、力なきは瘡または腫物(手引草)。
数脉は熱証(外邪)火症(熱結)燥症(虚火)癰傷等の病症を現す。ただし、
体力の消耗劇しくて数脉を呈するは衰弱熱、消耗熱等を意味して虚労・虚損の病証を示す。
5.滑脉
往来前却流利展転、替替然、与数相似 (脉経・瀕湖) 。
是ヲ候ウニ三部ノ間ニ玉ヲツナグガ如ク、イカニモ滑メラカニシテ満タザル
也(口訣)。
滑脉は一見速い脉でその往来が円滑な脉? 虚実相方の脉に現れる? 弦、緊、長、
洪脉は滑を帯びる。
滑脉は腎水の正脉で脾土の気を内包した脉也。
滑脉は結熱(外邪)血実(多血・食積・?血)気結(三焦に於て血を行らす事が
出来ない、又気少なし)を示す脉也。
6.?脉
細而遅、往来難且散、或一止復来 (脉経) 。
細遅短散時一止 (瀕湖) 。
?脉は一見して遅く診え、脉の去来がスムーズでない脉状也。臨床上は?を帯び?
る脉は虚脉也。しかし実脉で?を帯びる脉もある。
?脉は栄血の虚損から派生した気の実脉也(一時的、相対的な実・病実)。
?脉は肺金の大過脉也。
?脉は陽気有余にして血少なき脉也 (王氷)・為血少為虚寒為痼冷 (指南) 。
?脉は血少ない脉也(津液も含む)。血流が阻害された脉→痺痛、陰気の塞り、水殻の滞り、食積、寒湿の邪の留を示す(燥症)。
?脉を呈すれば、発汗が出来ない状態を現す(ストレス?)。
7.弦脉
挙之無有、按之如弓弦状 (脉経) 。
弓ノ弦ヲ按スガ如ク、按セドモ沈マズ、挙グレバ指ニシタガイテ挙ガル(口訣)。
弦脉は使いこなした弓の弦の状の脉也? しかも伸びやかさの中に緊張感有る脉也。
弦脉は肝木の正脉也。
弦脉は肝病、邪少陽(胆)に在る脉。血虚等により痛、冷、痺、血等を為す脉、土に乗じ脾虚を起こす脉也(胃気衰敗の弱い脉)。

C「弦脉」の重要性について
ではなぜ弦脉か。弦は肝の正脉であり、肝は血を蔵する大本である。脉診学をずっと検討していくと、最終的に弦脉に到達するという考え方がある。肝の正脉である弦脉と、脾の正脉である緩脉、確か八木先生がこのような弦脉診の考え方もされているようだ。池田先生からも祖脉の中に弦脉を入れるべきだというお話を頂いた。浮沈・遅数・?滑に弦を入れた7つの脉、これを分類して基本論を展開し、そして臨床の場で病体を診ていくとさらに病理・病証の理解が深まることと思う。

3.虚脉の考察
七脉状の各論の前に、虚実の脉状についてもう少し考察しておきたい。
虚実というものの臨床での意味を考えてみると、これには病証的な捉え方と脉論的な捉え方とがあり、それぞれの観点でどういう事を意味するのかをはっきりさせなければならない。
 この論考の一番の目的は、浮沈と虚実を組み合わせた脉証・病理病証を考えたいということである。特に証との兼ね合い、陰虚と陽虚について、そして虚熱の多少を臨床現場でどう捉えるのか。また、八綱の表裏も浮沈脉と関わって診ていった方が良い。これに遅数脉から寒熱論を加えるとほぼ完全なものが出てくる。

@虚の意味論
虚とは一言でいえば、物の不足した状態を言う。これを臨床的にいえば、気血津液が不足した状態。我々の治療対象は気血津液であり、その調整が目的であるから、これは当然である。

A虚の種類
1.精気の虚 この重要性は先に強調した通りである。
2.気血津液の虚(病理の虚)
3.病症の虚
『難経』の三虚三実論(脉の虚実・病の虚実・診の虚実)の考え方が基本。たとえ  ば激しい頭痛や便秘のように総じてこもって外に出ないのが実、自汗や下痢のように流れ出るのが虚。
4.体質の虚
当会ではまだ体質論まで手が届かずにいるが、将来的にはやる必要があるだろう。これは何も端的に実=生まれながらに丈夫、というわけではなく、たとえば現代医学的に言えば気管支的な病気になりやすいとか、胃腸の働きが鈍いというような、霊枢第64「陰陽二十五人」にもある五蔵の体質的な虚ということである。
5.病邪の虚
臨床の場での病の勢いが弱いこと。
ここで注意したいのは、虚実というのは陰陽のような相対的な概念ではないということである。確かに今までは、虚があれば必ず実があり、実があれば必ず虚があるという考え方でやってきて、これが基本ではあるのだが、実際の臨床の場では、全体的に虚している病症というのもあるのである。もちろん、その虚している中にも虚実があるのだといえば確かにその通りなのだが、臨床現場で虚実をあまり相対的に分けてしまうと、必ず陰を補ってから実を瀉さなければならないという具合に、治療が観念論的になってしまう。たとえば実には邪気実と旺気実とがあるが、同じ実でも機械的に瀉してはまずい。このように、虚実には相対的な概念だけでは説明できない場合も多分にあるということを頭の隅においておく必要がある。

4. 虚脉の臨床考察
虚脉とは、気血や津液が不足した時に現れる脉状である。帰類表にも「気血が虚弱なために抵抗力が減じて生じた虚証の脉象を現す脉状」として虚・濡・微・散・弱・細・短・小の8つの脉状が組み入れられている。我々の治療は陰主陽従説、この陰主とは陰虚のことであるとは既に述べた通りでこれが一番の基本になるというのであり、その虚ということに対してこれだけの脉状が分類されているのである。

これを臨床では二通りに考えることができる。
◇陰の気血・津液が不足した状態
この時の脉は、浮いて滑でやや大きくて虚している。
中でも血・津液の虚は虚熱が発生していると診る。陰の気が虚した場合は、これは冷やす作用を持っており、陽の部に陽気が停滞するから、これも虚熱のような状態になる。
◇陽の気血・津液の不足。
脉状全体に遅く感じるような特徴がある。これは冷えというよりも、虚熱の量が少ないかほとんど無きに等しい状態で、脉状は弱・微・濡、浮ききらなくてちょっと押さえるとつぶれるような脉である。

@虚脉と虚熱
このように、虚脉というのは気血津液が不足した時に現れる脉状だが、その中でも明らかに脉が浮滑大で虚しているのは虚熱だし、同じ虚脉でも少し遅くて細脉や弱脉、これは沈脉ではないから完全な冷えではないが、虚熱があるとしても少ない(陽気不足)、このような二つの診方がある。
なぜこのように虚熱にこだわるかというと、虚熱で瀉法をしなければならない場合があるからである。ここで瀉法という言葉を使ってしまうと語弊があるかもしれないが、虚熱の量によって選穴もドーゼも変わってくるから、これを臨床の現場で的確に捉える必要がある。また、体質的な予後判定とか病症経過、証の伝変や移行なども虚熱の状態を把握することである程度予測できるのではないか。虚熱は臨床現場でもっと注目して良いと私は思う。

A浮沈脉との関係
浮にして虚の場合は陽気が表に多くはなるが停滞はしない。虚熱を現す脉である。沈にして虚の場合は気血・津液が共に虚して陽気も虚した時で、脉状としては細・弱。冷えを現す。
同じ虚脉でも浮沈によって病症把握が異なり、そうすると当然選穴も変わってくる。
病理を理解するためには、脉状の組み合わせを理解することが重要である。

B蔵府と虚脉の特徴
色々あるが、簡潔なものだけでも覚えておくと結構使えるものだ。
1.左寸口心、小腸の虚、これは心や脾の陽気の虚を現す。
2.左関上肝、胆の虚した場合は肝血の陽気の虚。
3.左尺中腎、膀胱の脉が浮にして虚の場合は津液不足の虚熱。
4.右寸口肺、大腸の脉は、毛脉に通じるということで、あるかないかの脉が良いと   
されるが、沈んで少し堅くて渋ったような虚がある場合は、肺の津液というのは少ないけれども、やはりこれは虚熱と診る。輪郭がなくなって明らかに虚している時は肺気の虚で、このときは身体を触っても必ず冷たい。実際臨床で、同じ風邪でも体温計に熱が出る場合と風邪症状があるが熱はない場合とがある。両者はどこが違うのか。どちらも肺気の虚に外邪が入ったもののはずだけれども、その奥の病理が違っているはずである。
右関上脾胃の脉の虚は、脾気の虚で胃腸の虚熱を現す。

5.実脉の考察
@実の意味論
実の意味は停滞・充満である。臨床的にいうと、気血の停滞・充満で病症は熱になる。この時、血の中に津液を入れるかどうか。我々が虚実を分けるのは、虚は補い実は瀉すという規定に基くのだが、脉が強くて実脉にみえるが瀉法ができない場合がある。津液が停滞・充満した場合は、脉がしっかり大きくて強くても身体は冷えている、このように強い脉を打っていても同時に身体が冷えている場合は瀉せない。こういう実も、ひとまず実の意味の中に入れておく方がいいだろう。

A実の種類
1.体質の実
体質の虚を参照のこと。
2.病理の実
これは気血が停滞・充満した状態で、邪気実と旺気実がある。邪気実とは精気の虚に直接外邪が入ってきた状態で、この場合は当然瀉さなければならない。旺気実とは、精気の虚に内傷が入って身体が虚したときに、五行の相対的考え方で反対側に現れた実である。これはダイレクトに瀉すことはできないので、我々の先輩は輸瀉ということをやったが、今後の研究項目である。どちらの場合も脉はある程度強くて大きいから、邪気実か旺気実かを臨床現場で診分けていかなければならない。
たとえば、左尺中腎の部が沈にして実、指を沈めていくと強くて堅い脉を触れた場合、これは津液の不足から虚熱を発し陽気が不足・陰気が停滞してこういう脉状を呈しているのであり、昔からいう腎に実なしという通り、これは虚と診て補の経穴と手技を使う。
中医学の分類を見ると強くて大きい脉は皆実脉に入れるということをしているが、実際は必ずしもそうではなく、強くて堅い実のようにみえる脉でも病理から見ると虚であることがある。これは脉診だけで判断すると間違えることになるから、身体に触り病症を聞きながら判断していく。そうすると、この実脉にみえる脉は身体の陰気が停滞して冷えてきているのだから、これは瀉さずに直接補うか、相剋的に考えてこれを助けるか、温罨するかの考え方ができるようになる。
3.病証の実
『難経』の三虚三実論の考え方。

6. 実脉の臨床考察
実脉は、上焦・中焦・下焦いずれかに気血停滞・充満した状態で現れる脉状であるから、熱の病症を表すのが基本ではあるが、前節でも述べたとおり、実脉を呈しているからといって必ずしも熱とは言えない。これは実脉が他の脉状とどのようにからんでいるか、浮いて実なのか沈んで実か、数が絡むのか遅が絡むのかということで判断していかなければならないのである。

@基本的診方
1.気血が実の脉。
軽按・重按共に脉を強く堅く感じて、なおかつ大きな特徴は脉が渋る。停滞・充満するというのだから常識的に考えても?が伴うのは当然。代表的な病証は傷寒初期の悪寒発熱である。
2.血実の脉。
軽く触れると渋って実、ぱっと診ると消えそうなのだがどこまで沈めていってもなかなか消えない脉。この脉は左関上肝の部に最も出やすい。
3.陽経実の脉。
軽く触れても沈めても強く感じる脉で、気血が実の脉とは違う。特徴は指に溢れるような脉であること。これは結構陰がしっかりしているところに外邪、いわゆる風邪が入って陽経邪実の脉になったものである。このときは陽経から瀉さなければならない。
4.虚熱の脉。
実脉は大体が実熱なので、これは臨床上多い割に診落としやすい。虚脉の浮大なら虚熱が多くて、それがちょっと細くなり浮きが減ると虚熱が少ない。これはわかりやすいのだが、このように実脉にも虚熱の場合がある。軽按では大きく実のように診えるが押さえていくと消えてしまう脉。厳密に判断すると実脉ではないのだが、実脉に診える脉である。最近風邪でこういう脉が多いが、この場合は安易に瀉す訳にいかない。こういうとき東洋はり医学会では補中の瀉と言っていたが、これも今後の研究項目である。

A浮沈脉との関係
浮実は陽気が表(太陽・陽明経)に停滞し実した状態。沈実は?血・肺熱を現す。

B蔵府との関係
左寸口心、小腸の脉が沈実の時は血圧に気をつけなければならない。
左関上肝、胆の脉が沈・実にして渋る場合は?血。
左尺中腎、膀胱の脉が沈実なら腎の津液不足。浮数実で、右関上脾の部の脉が虚していたら膀胱炎の脉。
右寸口肺の部の脉がやや沈んで数実の時は肺熱で、燥邪が絡んでいる様な病症である。この場合相剋の肝の脉をよく診ると虚しているはずだ。
右関上脾胃の脉が浮いて実の場合、これは脾は虚して胃熱があるから必ず食欲がある。これは邪実による食欲だから瀉さなければならない脉である。
右尺中命門の脉が沈んで、実ではないが力ある脉は妊娠の脉。

このような虚実の診方で、大体大枠をわかっていただけたことと思う。以上を踏まえた上で、浮沈の脉を考察したい。

7、浮脉の臨床考察
漢方はり治療の一番の基本は陰主陽従説であり、陰虚である。そのまたもとはといえば精気の虚である。陰虚をいかに理解するかでその先の陽虚・陰実・陽実は容易に理解できる。陰虚を正しく理解するためには浮脉というものを考えなければならない。

@浮脉の意味論
浮脉とは基本的に風邪・表病を現す脉である。陰陽脉の分類では陽に属する。臨床の現場では、証・選穴や手法が正しければ中位に沈んで、意外と正脉になり易い。

A浮虚の脉証
浮脉は肺金の正脉であり、毛脉に通じる。だからはっきりと輪郭が出ていない方が良いとされる。輪郭が出ているのは邪が入っているということである。脉全体が中脉よりもやや上にある。
『脉法指南』では浮脉(この場合は浮虚と考えた方がいいと思われる)のことを「元陽虚極シテ真陰不足ノ脉也」という。元陽虚極とは三焦の虚を示し、真陰不足とは腎虚を指している。『診家枢要』には「浮虚ハ原気不足ノ脉也」とある。これも三焦と腎の虚を指す。
腎虚は陰虚(肝・腎・肺・脾・心包虚)の代表であるから、要するに陰虚と言って良い。
また、人迎気口脉診という祖脉診法があるが、『脉論口訣』には「人迎ニ相応ズルトキハ、風寒経ニ有ル。気口ニ応ズルトキハ、栄血虚損ス」浮虚の脉が右関前一分・気口に表れた時は栄血虚損、つまり内傷であり、左関前一分・人迎に表れた時は風邪が経に入っている、外感病であるという。浮脉という一つの脉状に、外感・内傷の二病症が現れることを示しているのである。

◇陰虚証について
このように浮虚の臨床的病証は、風症・三焦の虚・腎虚(陰虚)とされる。
「調経論」の四病型論では陰虚証を陰虚内熱証としているが、では人間の身体にどのように陰虚が現れるか、どの様な形で内熱になるのか。
まず陰虚については、内因による虚の場合を説明している。たとえば肺陰虚の場合、悲しみが過ぎると肺気が散ずる。こうして陽気が虚すると、気が少なくなる。つまり気虚になる。身体の表面が冷たくなり、元気も無くなる。この表陽の部が虚して冷える場合、意外と内には虚熱があって冷飲食したくなるが、これが過ぎると今度は中焦の脾胃の部まで冷えてくる。表も中焦も冷えれば、その人の気血は渋滞し、内虚となる。これがいわゆる陰虚である。
そしてこの陰虚の状態の時に、仕事などで過労が重なると、ますます内部の気が虚してそのうちに食べ物が喉を通らなくなる。エネルギー源が入らないと、上中下の三焦が虚してくる。こうして内熱といって虚熱が発生する。
普通この虚熱は、熱は上昇性があるから上焦へいき、そこから邪気として出る。臨床上よく見るのは胸から上にかく汗、あれは邪を出すひとつの現れである。下からは大小便として邪気が出る。ある程度の生命力がある健常者はこれができるのだが、弱って身体全体が低下している人は上下が通じないために、中焦に熱が鬱積して、胸中にも邪熱を持つ。こういう状態を「調経論」では陰虚内熱証というのである。
この陰虚内熱証の基本脉証が浮虚遅滑(数)になる。

B浮虚の病因と病理
肺気が虚している場合、つまり陽虚のときに外邪に侵襲された場合には、浮実になれなくて浮虚の脉証を呈することになる。肺虚(陽虚)の風症には浮虚の脉証もあるのだ。これで病症が進行すれば沈虚の脉証となり陽虚の病証が顕著となる。

脾の部位に浮にして虚の脉証が出た場合、これは臨床で良くあることで、外邪によるものではなく胃の陽気が虚していると捉える。食欲はまだある、多くは食べられないが食べれば食べることができる。胃の陽気が強くはないけれどもまだある状態である。また、腹風邪といって、風邪をひいて薬を飲むとこのような脉になることがある。   風邪ということで左関前一分・人迎が浮にして軽い虚を呈するが、薬を飲むということは湿邪であるから、全体の脉状はやや沈み気味、虚して若干堅い。熱でも冷えでもなく停滞、そんな脉である。身体を触ると冷たい。こういう場合はやはり服薬を止めさせて、陰から補っていくことになる。
腎と肝の部位の浮虚の脉は虚熱・津液不足と診る。風邪とは診ない。
このように同じ浮虚の脉でも部位によって病理が異なる。たとえば脉が浮虚で数が絡んだ場合に、熱がある場合の証は肺・脾が多く、熱が無い場合は腎・肝の証が立つことが多い。津液不足ということならば、お小水が出すぎていないか、汗をかきすぎていないか、朝のどが渇いているか、などを問診で確かめる。
また、浮虚の脉で風邪の場合はそんなに陰が虚していないはずである。陰がひどく虚していて風邪が入った時は、その人の体力にもよるが、陽虚で沈脉になる場合が圧倒的に多いからである。

C浮実の脉証について
『診家枢要』に「浮ニシテ力アルハ風ナリ。中風、傷風ヲ主ル」とあるとおり、浮いて実の脉は外邪の風邪をあらわしている。
臨床的には風熱・風寒の病邪により悪風・悪寒・発熱・麻痺・不仁・口渇・頭痛・身痛など陽実の病証を発する。

陽実とは、陽の部(陽経・府・上部・皮膚等)に邪気や血等が充満し働きが悪くなり実熱を発する状態である。
「調経論」に陽実外熱証の病理を論じている。それによると風雨(湿)の邪気の生体への侵襲は、皮毛→孫絡→絡脈→経脈の経路を通して生体の陽の部に血や邪気が充満し経脈・絡脈が堅くなり、その部を圧すると痛みがひどくなる。この状態が「陽実」である。また、外熱のために気血が実する状態となる。「実」とは気血共に満することである。
外邪(風湿)は侵入した時、上焦にある陽気が充分に活動していないと皮膚の働きが悪くなって?理が閉じて汗腺が塞がってしまう。そして陽気である衛気が体表部に充満して外熱を現す。この病証が陽実外熱証である。
この陽実外熱証の基本脉証が、浮実数滑になる。

D浮実の病因と病理
浮実の脉証は、陽の部に邪気が充満している状態である。そして病症が表にあるとする。しかし臨床の場では、邪気や血等を表に充満させた生体の病理の理解の方が重要となるのである。この病理を正しく理解しなければ臨床効果は上げられないのである。浮実の脉証は確かに外邪による表病を現しはする。しかし、表ばかり治療しても決して治療効果はあがらないのである。ここにこそ病理の重要性がある。
肺虚における「浮実」の脉証は、邪気が表に多くなる病証である。これは、肺気の循環や発散が悪い為である。その原因は、素因・飲食・内因等いろいろあるが、とにかく肺気の循環や発散がわるいのである。この病証を肺虚証という。
肺虚になると風や寒などの外邪に影響を受けやすくなる。そして、循環や発散しない陽気が表に停滞し始める。この為に浮実となるのである。つまり浮実の脉証は、肺気が虚した為に陽気(多くは邪気)が表に停滞した状態を現すのである。
脾虚における「浮実」の脉証は、多くは陽明経(胃・大腸)の実熱である場合が臨床的には多い。病証は腹満を呈し便秘する。食欲は旺盛であるが余り肥らない体質が多い。
肝虚における「浮実」の脉証は、肝の蔵している血中の津液の不足を現す。つまり肝虚により虚熱が多く発生した状態を現すのである。病証としては「腹脹」を現す。
腎虚における「浮実」の脉証は、腎の蔵している津液の不足を現す。そして虚熱が多く発生した状態を現している。病証は「大小便渋る」を現す。

E浮脉の脉証における臨床応用
臨床の場にて浮脉を現す病証についての基本要項は、第一には四時との相関である。例えば夏の時期であれば浮脉は順脉になるからである。つまり菽法との相関である。この事がまず基本となる。
次に重要となるのは数遅の問題である。浮脉に数が伴なえば発熱を考える。発熱があれば虚実を区別するのである。浮脉に遅があればその病証は簡単なものでは無い事を注意する。予後も良く無い場合が多いのである。
浮数にして発熱が伴えば、証としては肺虚か脾虚となる場合が多い。
浮数にして発熱がなければ、証としては腎虚か肝虚が多いのである。そしてこの病証の病理は、津液不足による虚熱となるのである。
浮脉を現す病証の基本的選穴は、浮虚は病理として陰虚の虚熱を現すから陰経の水穴を選穴する。浮実の脉証は、外邪としては風邪を現すから陰経の基本的選穴は木穴である。陽経の基本的選穴は胆経か小腸経の金穴である。急性病の場合は瀉法が適応する。

8. 沈脉の臨床考察
@沈脉の意味論
沈脉とは、前項の浮脉の反対の脉である。
形態としては『脉経』で「之ヲ挙ゲレバ不足、之ヲ按ズレバ有余」としているとお
り、脉全体または中脉の位置が脉診部の中間より下に位置する脉状である。脉診部に当てた指を浮かせてくると虚ろな感じがするが、沈めていっても簡単には消えない脉である。
季節でいえば冬の脉である。
五蔵では腎水の大過脉である。
病証としては蔵病や陰病を現す脉状である。
『難経』の陰陽脉状の分類では陰に属する。

臨床の場での病脉としての沈脉は、浮脉と違ってそう簡単には中位に浮かない、継続的治療を要する脉である。また、気を漏らしたり選穴を誤ったりして脉が開いたときにも、中位に浮いてきたようにみえるので、よく観察しなければならない。遅数・虚実など他の脉状との組み合わせから、常に病理を考えながら証や選穴につなげなければならない。
病理としては、ひとことでいえば陽気衰である。特に陰の部においての陽気が虚している。陰の邪(寒・湿)が蔵・陰経・腹中に侵襲してきている脉でもある。
四大病型では陽虚証が八割から九割、それから陰実証・陰盛証がからんでくると思われる。

三焦の考え方では、
・上焦に出る病証は気鬱・少気(息が充分吸えない)
・中焦では寒積・宿食(消化不良)・中満(ガスがたまる)
・下焦では厥逆・痼冷・寒湿・水蓄
いずれも冷えのぼせの症状である。

古典の記述では
「裏ニアッテハ陰トナシ、湿トナシ、実トナス」(『脉法指南』)
「沈脉ハ邪裏ニアリ、気鬱・疼痛ヲ主リ、藏府冷エ、三焦フサガリ・・・手足冷ユルナリ」(『脉法手引草』)
「沈脉ハ陰逆・陽鬱ノ候ナリ。実トナシ、寒トナシ、気トナシ、水トナシ、停飲トナシ・・・脇脹トナス」(『診家枢要』)
沈脉のときは陽気が不足しその働きが低下して冷えを呈する。全て陰病である。また病は裏にあるというが、その「裏」を臨床的にはどう考えるか。諸説があるがここでは単純に陰経・藏府と解釈する。つまり陰経や藏府の陽気が衰えて冷え、停滞による病症を呈するとき沈脉となる、ということになる。
また、沈脉の際の陰陽の気を考えると、陽気が表面に出てこられないというのは、陽気が裏に閉じ込められて表面に出てこられない、という場合もある。このときも、遅数脉との兼ね合いがあるが、大体は働きが低下して冷え・停滞の病証になってくる。
人迎気口診の外感・内傷の診方も重要である。
「人迎ニ相応ズルトキハ、寒、陰経ニ伏ス。気口ニ応ズルトキハ、血、腹蔵ニ凝ル」(『脉論口訣』)これも冷えの病証を現している。

A沈虚の脉証
「沈細ハ少気トナス、沈遅ハ痼冷トナス」(『診家枢要』)
これは陽気虚による『冷』を示すもので、臨床的病証としては陰経や藏府に問題があり陽が冷えている。先の言葉でいえば裏の虚を意味する。そして身体がそれだけ抵抗力を失っていると寒邪が当然入ってくるから、身体の痛みや水分の貯留による全身の浮腫などの病症を現してくる。
だから逆に脉証の沈虚は病因としては「寒湿の邪」を現すと考えてもいいだろう。寒湿の邪というのは、平たく言えば冷えであり水である。水分の邪とは「飲食の邪」でもある。

◇陽虚証について
沈虚の脉証は陽虚を現す。陽虚というものはいきなり現れるのではなく、まず精気の虚があって陰虚があって、陰虚がだんだんこじれたものが陽虚だと考えればよいと思う。陽虚には四段階あるという説もあり薬方では細かく分けているようであるが、ここでは陽虚により外寒が現れる。この陽虚のときの脉状が沈虚であるということでよいだろう。

『素問』調経論(62)では病証として「陽虚外寒」を説明している。
まず精気の虚から陰虚を呈する。それから陽虚の前段階で気虚になる。気虚とは外因やストレス等によって気血のバランスが崩れ、血が停滞したために気が少なくなった状態である(血気離居)。気が少なくなれば機能低下を引き起こすから、病症として
は冷えに移行する。気が多く在るのは表であるから、表が虚して外が冷える。
また表の衛気が虚すると抵抗力が落ちるから外邪が侵入しやすくなる。寒湿の邪によって陽気が表に出てこられなくなり、寒は外に留まって陽虚外寒証を呈する。

陽虚外寒証の臨床の場における基本的病証は、全身の倦怠感・皮膚寒症(皮膚を触ると冷たい)・食欲不振(食べてもすぐ満腹)・ 少気頼言(繰言を言う)・悪寒(寒くないのにぞくぞくする)・口渇なし・自汗(午前0時からの陽の時間)・小便清長・四肢厥冷・遺精・眩暈(たちくらみ)・足汗(冷え)・全身の浮腫・頭重痛・陽虚喘(冷えると咳が出る)・陽虚の発熱(微熱が続く)・腰痛(慢性の鈍痛)など。
総じて冷えと停滞・全体的な機能低下の病症である。病症をいちいち憶えなくても、陽気が少なくなったために温める力が無くなって冷えるという基本的な病理がわかっていれば理解できるはずである。また、陰虚が前提になっているのだから当然陰虚の代表病証である消痩もあらわれる。
この陽虚外寒証の基本脉証が沈虚遅?である。
特に沈虚脉の病症が慢性に移行している場合は遅脉を呈する。それに加えて?脉や結滞がある場合の治療は本当に難しく予後不良である。病症が少し軽くなったと思っても、すぐにぶり返す。この場合は身体を温めるということをまず考える必要がある。   
福島弘道先生の電気温布・西沢道充氏の温鍼術、また灸頭鍼もそれが狙いであろう。
冷えという病証からみると陽虚外寒証と陰盛内寒証とはよく似ている。けれども病理が異なる以上、証・選穴も異なる。要検討課題であり、病理産物の捉え方にその手がかりはあると思われる。

B沈虚の病因と病理
沈虚の脉証の基本的病理は、三焦の原気不足による陰虚が前提になり、そこに寒湿の邪が入ったために陽気が不足し、病証として寒症を現すという事である。

右寸口の肺の部に「沈虚」の脉が現れた場合、どのように病理を考察するか。
「右寸ノ沈ハ肺ノ冷感、痰の停蓄、虚喘、少気・・・沈細ニシテ滑ハ骨蒸、寒熱、皮毛焦乾」(『診家枢要』)
「沈弱ハ陽虚、気滞ニシテ筋萎」(『脉論口訣』)
「沈細ニシテ滑ナルハ骨蒸ノ病ニシテ寒熱コモゴモナシ、皮毛乾キ渋ヲ主ル。沈細ナルハ少気トナス、臂ヲ挙ゲル能ワズ」(『察病指南』)
このように病証は肺の冷寒、陽虚、気滞を現す。基本は「陽気不足」である。
たとえば「虚喘」は冷えると出るセキ。就寝時など身体が温まったときに出るのは肺燥の虚熱からくる順のセキだが、虚喘は逆のセキで治りにくい。カゼをひいていても、微熱が続いたり、のどがいがらっぽくて元気が出ず食欲もない。おそらく症状を押えるために飲んだ薬が湿邪となったのである。他にも頭痛・咽喉痛・関節痛などいろいろあるが、全て症状としては軽微である。それから肩関節の上挙ができないものもある。肺経が詰まって腕が上がらないはこれだろう。

右関上の脾の部に「沈虚」の脉が現れた場合、これは脾の津液が不足していると同時に胃の陽気も虚している病証である。当然食欲はない。
「右関ノ沈ハ胃中寒積、中満呑酸」(『診家枢要』)
「沈ハ胸中満チ、呑酸、心腹痛ム。弱ハ胃虚シテ客熱ス」(『脉論口訣』)
「脉沈ナルハ心下満シテ苦シミ呑酸スルヲ主ル」(『察病指南』)
「胃中寒積」とは胃に寒がたまることで胃の陽気虚を現す。「中満呑酸」とは上焦が冷えて胃に熱がこもる病症。胸には本来熱があるのが順であるが、胸に熱が無くなり胃にばかり熱が残った状態になると酸っぱいものが上がってくる、これは湯液では重要な病症で、臨床でもよく遭遇するものである。ちなみに酸っぱいものが上がってくる患者で胸に熱があれば二日酔いである。のどが渇くのは胸の熱のせいで、この場合は呑酸とはいわない。
臨床現場では、食欲がなく下痢をする、そんな病症が多い。臍の回りが冷えていたり、胃内停水もある。胃が冷えて胸に熱がこもっているときは食欲にムラがある。げっぷや腹鳴・食後の吐き気など老人特有の症状もこれである。老人一般の脉は全体に浮いた虚熱が多い脉であるが、薬など湿邪が入ると脉が沈んできて陽虚を呈するのである。

左尺中の腎の部に「沈虚」の脉が現れた場合。腎というのは津液を生産する場所だから、基本的には津液不足と陽気不足を現す。具体的病症は腰下肢のしびれ痛・小便多利・失禁など。
「腎ノ蔵、寒ニ感ジテ腰背冷痛、小便濁リテ頻。男ハ精冷トナシ、女ハ血結トナス」(『診家枢要』)
「沈ハ冷気、腰痛、小便白シ、弱ハ骨肉痛ム、気血トモニ虚極」(『脉論口訣』)
「沈ニシテ細ナルハ名ズケテ陰中ノ陰トイウ、両脛疼痛シテ立ツアタワズ。陰気衰少シテ小便余瀝、陰下湿痒ス」(『察病指南』)
腎の正脉は沈濡にして滑、つまり陰脉が2つ・陽脉が1つだから、いつも沈んではいないでふわっと浮いてくる脉である。それが完全に沈んで虚ということは、腎陽の脉である濡脉が消えて、つまり陽気が不足して前に書いたような症状が出るのである。陰虚で浮いている脉は年をとればある程度自然のものであり、不定愁訴はあっても命を脅かすような病症はない筈であるが、沈虚の脉を現すとやっかいな痼疾といわれる病症を現してくる。

左関上の肝の部に「沈虚」の脉が現れた場合、これは肝血の不足から肝の陽気が少なくなっている。臨床の場では手足の冷え・下痢・食欲はないが食べれば食べられるという状態、このような病証を血虚、亡血、肝陽虚などという。
「沈ハ両脇脹満、手足冷、腹内疼痛。弱ハ筋痿、目暗、血気虚ス」(『脉論口訣』)
「脉沈ナルハ、心下痛ミテ気短ク、両ノ脇脹レ満チテ、手足時ニ冷エルヲ主ル」(『察病指南』)

以上、各脉部において単独に考えてきたが、実際の現場でこれを導入するには色々な臨床技術が必要であろう。一番顕著な問題のある脉部があったら、このような比較を試みるのも面白い。また、たとえば中満呑酸などの病症があったとき、逆に右関上の脉が他の部位と比べて沈にして虚していることを確かめれば、この脾の陽虚を何とかすればよいということになる。
余談であるが、この脾虚陽虚にはへそ灸(知熱大灸)がよく効く。臍の上で普通の知熱灸の3倍くらいの大きさのものに火をつけるのだ。神闕穴に三焦の原気を賦括させる働きがあるのだろうか。また陽虚に百会の小灸、ただし逆気がない場合に限るが、これも大変気持ちのよいものである。

C沈実の脉証
沈実の脉証で、一番問題になるのは陰実証・陰盛証とのからみである。
「沈ニシテ力アルハ実トナス」(『脉論口訣』)
「沈ハ陰逆・陽鬱ノ候トナシ、実トナシ、寒トナシ、気トナシ、水トナシ…、停飲トナシ、脇脹トナシ、厥逆トナシ、洞泄トナス。・・・沈滑ハ宿食トナス。・・・沈ニシテ数ハ内熱ニシテ、沈ニシテ遅ハ内寒ナリ。沈ニシテ弦ハ心腹ガ冷痛スルナリ」(『診家枢要』)
沈で力のある脉は『実』であるという。これは血が陰藏に凝るということ、藏府のどこかに熱や血が停滞していることを示す。つまり「陰実」の脉である。

臨床的病証は、裏の実熱を意味する。もちろんこの場合の脉には数が絡むと思われる。病邪が裏に潜伏して実証を呈しているのである。
一方『調経論』は内因・外邪と陰盛との関係について、肝の精気が不足したために陰邪(寒湿の邪)が陰経に直接入り、「陰盛」を呈するのだと述べている。それによると、内傷の「怒」が精神的ストレスとなって肝気を侵して旺気させ、そのために肝気が逆上して下の陰が虚した状態になる。その虚に乗じて寒湿の邪が直接陰経に入り、そこに充満して陰盛となる。逆しているため身体の力が弱まっていて、寒を排出することができず血脈が滞ってしまうのだ。病証は内寒になる。
また、精神的過労などで五蔵の気が逆上して、これが続くと足から上焦まで冷えが上ってくる。この逆気の状態のときに寒湿などの邪気が陰部に直接侵入する。そのために陽気が陰の部にまで充分循らなくなり、血が冷えて気血ともに滞ってしまう。この陰盛の状態になると、経脈の流れが悪くなるため身体の内部まで冷える。
これが陰盛内寒証であり、基本脉証は沈実遅?である。
この時の沈実(遅)の脉証の臨床的病証は陰気の停滞を現す。寒を伴った諸症状を呈する。

D陰実証と陰盛証について
陰実証は血熱で病証は熱を現すという難経型の考え方と、陰盛証は内寒であり冷え病証を現すという素問型の考え方、それのどこに問題があるかというと、脉の遅数ではないかと思われる。また?血病証でも、初期は血熱状態で熱病証を現すけれども、
経過するにしたがって冷えていく、このあたりを臨床現場でどのように的確に捉えていくかが問題となる。
『診家枢要』では「沈ニシテ数ハ内熱ニシテ、沈ニシテ遅ハ内寒ナリ」という。沈にして遅は心腹が冷え痛むというのであるからこれも内寒であろう。つまりここでは沈実の脉証に対して、遅が絡むか数が絡むかで「内熱」「内寒」二通りの説を立てている。これが陰実証と陰盛証を診分ける参考になる。
沈実にして数の脉証は陰実による内熱病証、陰部における熱や血の停滞を現す。臨床では皮膚表面をなでると冷たいが芯には熱がある。ここでいう沈実脉は必ずしも堅い脉ではなく、?・数が絡んでいるような脉である。
沈実にして遅の脉証は陰盛による内寒病証、陰気の停滞を現す。皮膚表面も冷たいが中まで冷えている。脉は弦で堅く、下腹部の冷えなどの病症を現す。この陰盛病証は陽虚外寒証が進んだ状態で、かなり重篤な、今でいう末期がんのような病症であり、われわれの臨床室にはあまり来ない。いわゆる七死脉でも遅脉は死に通ずるというように、気がどんどん無くなっていってしまって、死に至るのである。

当会(漢方鍼医会)でも陰実ということを研究している人が何人かいるが、これからは血熱だけではなく内寒証的なものも、研究項目として視野に入れていく必要がある。病理を考える上で寒熱は今後ますます重要になっていく。東洋医学では、病とは極論すれば熱と冷えであるといってもよいだろう(もちろん気血水の過不足論がその前提としてあるが)。
実熱・虚熱、実寒・虚寒にどのように気血津液が絡んでくるか、それを診分けるのが脉状であり脉証であると思う。また治療する段階で、病状の変化を脉診により確認することができれば、脉をもっと診断学・治療学・病理解釈に活かせるだろう。

では実脉(沈実)とはどのようなものか。臨床では「陰にて得る脉、ある脉」確かにそこにあると感じる脉だというのが基本であるが、これではあまりにも大雑把である。
古典では実脉についてどのように記述しているか。
「大ニシテ長、微カニ強シ。之ヲ按ズルニ、指ニ隠レテ愎愎然タリ」(『脉経』)
「実脉ハ心火ノ大過脉也」(『瀕湖脉学』『図註脉訣』)
「実脉ハ病内ニアルヲ主ル。邪実(風寒)ハ痛・熱ヲ爲シ、血実(水穀)ハ食積等ヲナス」(『察病指南』)
沈における実の脉はこのように、陰の部にわずかにしかも強く触れる脉で、あまりはっきりとはしていないが押えていってもいつまでも存在を指の腹に感じて中々消えない脉。必ずしも弦脉のように指に強くあたる脉ではなく、注意しないと診落とすような場合もある。そして何らかの病症がある場合は必ずこれが遅か数に移行している。
ちなみに?血の脉となると、沈実に?が絡んでくる。?とは竹の皮を切れない刃物で削るようなしぶった脉だという。気の実脉ともいい、弱くて渋っているだけでなく割とはっきりした脉である。これを施発の『察病指南・脉図』で確認すると、円の中に縦線がいっぱい入って3本くらいぎざぎざのとげが出ている。つまり意外と堅さがあるということである。臨床では乾燥した季節、皮膚が乾いている人、汗をかきにくい人によく見られるし、アトピーの場合も必ず?血がある。

さて脉位のどこかにこのような実脉があった場合、それをどのように診断していくのか。これは切診や問診をして病症を考えながら探っていけばよいだろう。
たとえば陰実ということになると肝実証が基本とされるが、必ずしもそれだけではなく、脾の脉位も注意する必要がある。右関上に沈んだ実脉を触れた場合は病理は胃の実である。これが数がかっていたら食欲はあるが、これは病的な食欲である。またおそらく便秘があり肝虚証の証が立つだろう。ちなみに右関上の浮実の脉は風邪で、この場合とは別物である。中国の鍼灸や漢方の書籍の大部分が病証学であることからもわかるように、脉状診を身につけるためには脉を診るとき常に病証を確認してみることが大切なのである。

E沈実の病因と病理
沈実の脉証の基本的病理は、藏府のどこかで熱や血や陰気が停滞していることを現す。臨床では一般的には裏の実熱を意味し、この場合は数であるだろうと考えられる。 これが遅脉になると『素問』でいう内寒的な病証が考えられる。

肺の脉部に現れる「沈実」の脉証は、病理として肺実(肺燥)を考える。基本的には脉位が浮より少し下がったところに?がかった堅い脉を触れる。(弦脉)
「沈ニシテ緊滑ハ咳嗽。沈細ニシテ滑ハ骨蒸、寒熱、皮毛焦乾」(『診家枢要』)
「寸脉沈ナレバ胸ニ痰アリ」(脉法手引草)
「沈ハ咳嗽。実ハ上焦ノ熱、喘嗽、痢病」(『脉論口訣』)
「沈緊ニシテ滑ナルハ咳嗽ヲ主ル。沈細ニシテ滑ハ骨蒸ノ病ニシテ、寒熱コモゴモナ?  シ、皮毛乾クヲ主ル」(『察病指南』)
痰には、薬方では多くの分類があるが、大きく分けて乾痰と湿痰(診分け方:痰を吐いたときにくるくると丸くなるのが乾痰・ぺちゃっと広がるのが湿痰)のうち、ここでいうのは乾痰であると思われる。上焦の熱により肺の津液が乾いているのである。もちろん数脉である。胸に熱があるから、特に就寝時など身体が温まると必ずセキが出る。この胸の熱を取り去る便法として、熱の左右差を診て実熱の強いほうに接触鍼程度の瀉的な手技を施すとすうっと熱が取れる。
この肺燥の病理には、肝虚などから肺の津液が不足して発症するものと、熱病の誤治から肺そのものの熱になったものがある。証は主に肝虚証で、腎虚証の場合もある。

脾の脉部に現れる「沈実」の脉証は、それが遅か数かで、病理として胃の部に余分な「水」が多くなっている場合と、陰部に「熱」がこもるために食欲がなくなる場合が考えられる。この部の脉証は特に、病理と病証を通じて臨床実践しないと治療を誤ることになる。
「沈ハ胃中寒積、中満呑酸。沈緊ハ懸飲」(『診家枢要』)
「関脉沈ナレバ気短、心中痛ム」(『脉法手引草』)
「沈実ハ脾蔵虚シテ不食。口乾、胸中熱、痢病」(『脉論口訣』)
「沈ナルハ心下満シテ苦シミ呑酸スルヲ主ル。沈緊ナルハ懸飲トナス、沈ハ下ニアリ、則チ実トナス」(『察病指南』)
「懸飲」とは水が停滞しているために気の循環が阻害されている状態。中焦が冷えているから食べられない。そのために熱が上に上がって口が渇くし、胃が冷えているから下痢をする。この場合臍を触ると冷えている。これらは脾虚の病症である。反対に「中満呑酸」は中焦に熱を持って胸部が冷える病症である。
臨床において、脾の脉部に現れる「沈実」の脉証を『脾実』と捉えることは大変危険であり、証を誤ることになる場合が多い。

右尺中命門の脉部の「沈実」は下焦の熱を意味する。妊娠の脉であり、長脉・弦脉がある。妊娠は生理的なものであるから脉はあまり堅くならないし、大して遅にも数にもならない。数が絡むときは腸の重篤な病も考えられる。

肝の脉部の「沈実」の脉証は、病理として?血(積聚・痃癖)か肝経の熱実を考える。
「沈実ハ痃癖、積聚、腹痛、目暗痛ム」(『脉論口訣』)
「沈ハ寒、経ニ伏ス、両脇刺痛ス、沈弦ハ痃癖内痛ス」(『診家枢要』)
「沈ハ心下痛ミテ気短ク、両ノ脇脹レ満チテ、手足時ニ冷エルヲ主ル。沈ニシテ弦ナルハ痃癖ニシテ腹内痛ムヲ主ル」(『察病指南』)
?血病証の場合、脉を重按して診ると渋った実脉を触れる。そして将来的には必ず冷えてくるから遅で?を帯びる。ただし血熱の段階では数。脉とともに必ず腹診における?血反応も確認すること。
また、肝経の熱実の脉証は沈実にして数である。女性が生理のときに風邪をひいたときなどに現れる。

腎の脉部に現れる「沈実」の脉証。この病理は腎の津液の不足であり、腎虚証で治療することになる。
『察病指南』には「遅脉ハ腎虚也」とあり、『脉法手引草』にも「遅脉ハ腎虚シテ安カラズ、又陽虚裏寒トス。外ニ冷症ヲアラハス。三部遅ノ見ワルル所ニテ、上中下三焦ノウチ寒冷イズレゾト弁エシルベシ」とあるのは三焦の原気不足を表していると理解しているが、実際の臨床室で腎虚になるのは陰虚の虚熱による数脉が多いようである。遅脉になると予後不良である。
「沈ハ腎ノ蔵、寒ニ感ジテ腰背冷痛、小便濁リテ頻。男ハ精冷、女ハ血結トナス」(『診家枢要』)
「沈実ハ小便不通、腰痛、小便赤シ」(『脉論口訣』)

F沈脉の臨床考察
まず臨床応用に入る前に、四時との関連を考えなければならない。冬は脉はやや沈んで遅くなっているのが正脉である。季節を考えた上で浮沈の脉位を考えること。
『素問』玉機真蔵論(19)に「冬脉ハ腎也。北方ハ水也。万物ノ蔵ニ合スル所以也。故ニ其ノ気来ルニ沈ニシテ以テ搏ツ。故ニ営と曰ウ、此レニ反スルモノハ病ム」とあるとおりである。
病証的には、沈脉は蔵病や陰病を現す脉証である。
臨床で沈虚の脉であればまず裏が虚している。陽気が不足しているのだ。病証では寒病証を現す。証でいえば「陽虚証」である。
沈実の脉であれば、血・水が停滞している。血が実して停滞している場合は内熱(陰実証)になるが、水が停滞した場合は冷える(陰盛証)。また血実は少し経過すると? 血になり冷えにつながる。この弁証には脉証の数遅が鍵になる。もちろん病理考察により病証を理解することが重要である。
基本的選穴は、沈虚は病理として裏虚の陽気不足による冷えを現すから、陰経では土穴、寒病証が強ければ火穴、表の冷えを伴えば金穴もあり得る。陽経では下合穴。
沈実の脉証は、病理としては陰部の陽気や血の停滞だから、陰経は木穴か?穴。血熱病証に寒症状が伴えば水穴。陽経は胆経・小腸経の木穴か絡穴が基本となる。いずれにしても経穴反応が不可欠である。 

9. 遅脉について
祖脉の中でも浮・沈・遅・数、この四つの脉状の組合せは基本的な病理の解明・把握のために重要である。特に、寒熱論を決定付けるのは遅数脉論だろうと思われる。そして滑?脉論は端的にいえば予後判定論ということになる。
それぞれの病態で気血津液がどのような状態になっているのか、それを脉状と脉証で把握した上で、その病症を鍼灸で治療しようというのが漢方はり治療の基本である。これによって病の予後判定まである程度見通しがつくようになる。

@遅脉総論
「遅脉は寒也」陽虚陰盛の脉状であり、蔵の病症を主る。遅脉を呈した場合には必ず冷えがあるということが臨床現場では重要である。
病脉としての遅脉は数脉とは違って簡単には平脉になりにくい。ただし急性の場合、たとえば大量出血をしたとか急に冷たいところに入らなければならなかったという時の遅脉は別である。
遅脉には慢性的に移行した病症が多い。沈・虚がからんで重篤な病脉となることもあり、一般的に回復に時間がかかることを覚悟するべきである。遅脉=冷えということは気血の循が悪いということであり、最終的には結滞が加わって死脉となるのである。治療に温補法は有効である。

古典の関連文献をあげる。
「遅脉ハ腎虚ノ脉ナリ」
「一息三至、去来極メテ遅シ」(『察病指南』)
1呼吸に3拍以下の脉が遅脉とする。この呼吸をあわせるのは医師なのか患者なのかという議論があるが、結論から言えばこれは医師・治療家の呼吸に合わせるのである。これについてはまた次のような文章がある。
「医家が脉を診せば己が息数を均えて、吾が一息の間に病者の脉至る事その動数如何と察す。およそ医は病まずして、息数常なるものなり。故に医の息数を以て病者の脉数と合しめその進退遅速の数を知る、これ内経の旨知らざるべからざるものなり」(『脉法指南』)
つまり医師は健康人であることが大原則であり、医師の呼吸を基準として遅数を決定せよといっているのである。しかしこれはあくまで基本であり、臨床の現場で遅脉を診る場合は感覚的にゆったりしている脉ということに重点を置いてよいだろう。なお1呼吸に4拍は緩脉であり、その兼ね合いには注意が必要である。「遅ハ応動キワメテ緩クシテ、是ヲ按セバ尽ク牢シ。是ヲ候ウニ緩クシテ少シ力アルガゴトシ。呼吸ノ間ニ三度モ踊ルナリ。往来キワメテ遅シ。指ヲ重クシテ得ルナリ」(『脉法手引草』)

ここでは遅脉は牢(かた)いと表現しているが、これはやはり気血の流れが悪くなって冷えに通ずる脉であるから、実際良く診ればそうでもなくても牢く診える脉というのだろう。そして重按して診ろともいっている。しかし遅脉は確かに陰の部位に多いだろうが、浮いた脉もある、つまり陽の部の冷えもあるので、ここは修正して読んだ方が良い。
「人迎ト相応ズルトキハ湿寒凝滞ス。気口ト相応ズルトキハ虚冷沈積ス」(『脉法手引草』)
この書は日本の江戸期の著作で、人迎気口を基本として書かれている。こういう病症解析の本はほとんど人迎気口脉法がからむので、出てきた時点で少しずつ漢方的な病証を覚えていけばよい。曲直瀬道三の『啓廸集』は安土桃山期の著作で、当時の病証学としては中国を凌駕したとも言えるほどの世界第一級の内容だが、これも人迎気口脉法を採用している。
人迎(左関前一分)が遅脉を呈するときは、外邪の湿寒により気血の循環が停滞している(遅実)。気口(右関前一部)が遅脉なら、内傷による虚冷のための停滞である(遅虚)。外邪には瀉法、内傷には補法が基本的に対応する。どちらにしても陽気が不足した病理である。
「遅脉ハ腎虚シテ安カラズ。又陽虚裏寒トス。外ニ冷症ヲアラハス。三部遅ノ見ワルル所ニテ、上中下三焦ノウチ寒冷イズレゾト弁エシルベシ」(『脉法手引草』)                
遅脉は全部腎虚かというとそれだけではない。これは三焦の原気の不足と理解した方がいいのではないかという解説者もいる。三焦の原気の虚は腎虚や脾虚の証になりやすいのである。そして陽が虚すということは裏に冷えがある。その身体の表面を触ってみれば冷たいはずである。陽経・府・蔵の陽気が虚して、陰経・蔵の陰気が病症として現れるということである。
※臨床→裏虚(寒) 陰の冷え病症
三焦の原気が表に出てくる表の熱(実態は冷え)

「遅ハ臓ヲ主ル、力有ルハ冷痛、力無キハ虚寒、浮イテ遅イハ表寒、沈ンデ遅イハ裏寒」「遅ノ来ルヤ一息ニ至ルヤコレ三、陽陰ニ勝タズシテ気血寒ス。タダ浮沈ヲトッテ表裏ヲ分カチ、陰ヲ消スルニスベカラク火ノ原ヲ益スベシ」(『瀕湖脉学』)
要するに遅脉は陰・臓を主るというところに基本を置いて、その脉が力ある時は陰の臓が冷えて痛んでいるし、無力の時は痛みが無くとも冷えて滞っている。浮いて遅ければ表に、沈んで遅ければ裏に冷えが入っている。また、「火の原」とは陽気と理解し、「表裏を分かち」とは「陰陽ともに」と解釈するとこの文章はわかりやすいと思う。だから「冷えは遅を呈する」というのは陽気少ない厥冷の証であり、遅脉は色々な病理状態はあれど結論として冷えを表すということである。治療は陽気の補が基本となる。
「遅ハ不及ナリ。至数オ以ッテコレヲイワバ、呼吸ノ間ニ脉ワズカニ三至、平脉ニ通ズルコト一至ナリ。陰盛陽虚ノ候ト為ス。寒ト為ス、不足ト為ス、浮ニシテ遅ハ表ニ寒アリ、沈ニシテ遅ハ裏ニ寒アリ」(『診家枢要』)
これも遅脉の基本は冷えであり、浮沈で表裏を現すということである。

A遅脉の病位
前掲の文献にもあるとおり、遅脉は陰の蔵や陰経の病症に現れる脉状である。基本的には沈んだところにうっている脉であり、その場合には冷えがあって、その冷えは蔵の冷えである。手引草の「指を重くして得るなり」というのも遅は沈んだところに
有るのが基本であることを表している。あくまで基本は陰脉なのである。
ということは、浮いた遅脉というのは、脉状学の原則である脉症不一致論から言って、その病は理論的には重篤ということになる。それは陽の冷えであり、陽気というか身体全体の守りが全体的に冷えを呈するということで、陽気不足の冷え切った状態である。当然この場合には陰も冷えている。臨床現場での診察はこういう病と脉とのずれを重視するのである。

B遅脉の病因と病理
1.陽気不足
先ほどからいっている冷えを病理的に正式な用語を使っていえば「陽気不足」であろう(浮遅)。内因による気血の滞りということになる。気の不足の冷えがある程度進むと発熱することにもなるが、その場合は数脉に移行する。
2.寒・湿の停滞
外邪の場合、寒邪や湿邪が侵入・停滞すると大体冷えに移行する。この場合、遅脉でもやや力有る脉になる。
3.血の停滞
これは遅脉でも?を帯びた脉になる。?脉というのは遅脉に移行する脉であるが実脉でもあるからちょっと堅い。施発の脉図を見てもとげとげしているのがわかる。
先述のとおり遅脉はなかなかに平脉に移行しにくい脉だが、正しい証を決めて少しずつ体力を増していこうという考えでやっていけば段々に正しい脉になっていく。慢性的に元気が出ないとか、消化不良で腰のあたりが冷えてしょうがないとかいう患者はよくいるものだが、こういう患者の脉を良く診れば意外に肝や腎の脉位に遅脉がはっきり出ている。
それが臓の冷えから来るということであるなら治療法も冷えを温める方向にもっていけば良い。ツボもそういう選穴をするし、時によれば直接温めても良い。臍灸も人参湯もそういう意味で効果的である。たとえば、脉が沈遅虚で下半身特に大腿部外側の掌大の局所が冷えるというのが、臍灸をしていると冷えが取れてくる。また、しつこい冷え性は血の停滞から陰実の脉と関わってくるが、手足が温まり腹も温まるというような病症の変化に伴い、遅脉が取れてくるとか遅脉の沈の部位が若干浮いてきたりするものだし、逆に脉が改善するに従って病症の経過に変化が必ず出てくるものである。

10. 数脉について
@数脉総論
数脉は熱である。前項で遅脉は冷えであるとしたが、その反対の脉状である。陽盛陰虚の脉状で、浮の病症を主る。数脉は熱証、特に急性症に現れやすい。場所は陽の部位に出やすい。
精神的な病症や、いわゆる奇病にも数脉は現れる。この場合の多くは虚数である。
身体の抵抗力が無いから、強い脉をうつ事ができないのだ。虚数を呈している場合は気血ともに循が速くなっている。
数脉は遅脉に比べて病症経過が良い。遅脉の改善は難しい場合が多いが、数脉は体質的なものでない限り必ず落ち着くし、驚くほど良い脉になりやすい。ただし沈虚数には要注意。小児は数脉が正常である。もちろんこの数脉には艶がある。むしろ滑脉に近い。

◇古典文献をあげる。
「数ハ陽トナス。一息六至、脉流薄リ疾シ、コレヲ候ウニ平脉ニ比スレバ一至多シ。脉ススムノ名トシルベシ。人迎ト相応ズル時ハ風燥熱煩、気口ト相応ズル時ハ陰虚シ、陽盛ンナリ。数ハ陽トシ熱トス。又陰陽ニ勝タズトス・・・」(『脉法手引草』)
1呼吸に6拍を数脉とする。そして、人迎(左関前一分)が数だと外因の風邪や燥邪による病理状態を、気口(右関前一分)に数脉を呈する場合は、内因による陰虚の虚熱が陽に出てきて盛んになっている状態を現す。風・燥邪とはどういう病証のものかといえば、要するに津液が不足した状態である。具体的には咽喉が渇く、皮膚がかゆい、手足が厥冷することもあるだろう。土台として陰虚があってそこに風邪や燥邪が入っているのだから、その陰虚を治療することになる。このとき脉が実数か虚数かによって、陽経を瀉すか瀉さないかが出てくる。虚数なら陰経を補えば陽経の邪と見えたものがひっこんで綺麗な脉になり病症が緩解する。実数には瀉法が必要である。

人迎気口というのはうまく考えられていて、内傷無ければ外邪入らずという事で、どんな病症にも必ず内傷はある、ただ内外どちらにウェイトを置くかということだから、ここから後は個人個人の治療のやり方によって違ってくる。たとえば『難経』の考え方や日本の漢方でいえば吉益東洞の古方派は邪を叩くことにウェイトを置いている。そして後藤艮山や曲直瀬道三の流れを汲む後世方派的な考えでは生命力を強化することに重点をおくのである。このように病気の診方というのは治療家ごとのセンスがあるから、どちらが良い悪いとはいえないが、基本を押えてそこから議論を始めることに大いなる意義があるといえるだろう。

さて、数は陽脉であり、熱があるとき(陽実)に現れる脉である。病症としては狂症や煩症(陽証・熱証)がある。これは風邪や燥邪に冒されているのである。煩証とは胸に何か詰まってもやもやした状態。昨今問題の17歳の犯罪もこれであろう。また、最近の若者は飲み過ぎと思えるほど水をよく飲むが、これは体を冷やす。にもかかわらず脉が浮数なら、それは脉症不一致で重症と考えられないこともない。
「息間ニ六七至ナリ。陽ト為シ熱ト為シ火ト為シ燥ト為ス」(『脉法指南』)
この熱には外邪による熱と、陰虚つまり津液不足による虚熱とがあり、病症においても人迎気口的な診方においても区別できる。これを踏まえて数脉を考察していく必要がある。
「数デ力アルハ熱ト為ス、数ニシテ力無キハ瘡又ハ腫物ト為ス」(『増補脉論口訣』)
数実は熱の停滞を現し、数虚は津液不足から来る虚熱を現す。各古典が繰り返し言 っていることである。熱が停滞するというのは熱結、この状態は血実であり?血につながる。?血も長くなれば冷えて遅脉がからむのだが、初期には数実を呈するのである。
A数脉の病証
浮数は表熱、沈数は裏熱。
浮数実は陽経の熱を現す。小児の風邪は浮数実であるが、この場合は生命力が強く陽体だから背中の大椎の側を短針で叩くとか指先を刺絡するなど、陽をぱっと瀉すのみで治ってしまうものだ。
浮数虚は陰経の処置で改善する程度の病症、いわゆる虚熱である。
数実は府の熱、数虚は陰虚の熱。
沈数実は府か蔵に実熱を持っている。特に胃が熱を持ちやすい。
この脉状は要注意で、府の熱であるから、浮実数と同様に瀉法を考えに入れる必要がある。どこの部位にその熱があるのかは部位脉診で診るのだが、数脉という脉状は六部全体にうつので、菽法脉診を基盤において、沈実の脉がどこで一番強いかを診ることになる。

右寸口の肺金の脉が沈んで数実、これは肺壅つまり肺炎の脉であり要注意である。陽の部において数実なら陽から瀉法をすることができるが、陰において数実では瀉法ができない。この場合は陰陽ともに補わなければならない。治療は肝虚。経過は長引くだろう。ちなみに数虚なら肺痿。
左寸口心脉の沈数実は心熱。腎虚で治療。
左関上肝脉の沈数実は肝実。血実の熱と診る。
左尺中腎脉の沈数実は津液不足の熱で、病理は腎虚。
右寸口脾の脉の沈数実は、病理としては無い。
右尺中の沈数実は、妊娠か、重傷の腸の病症かである。
沈数虚は蔵に問題がある。蔵の中の陽気が虚したために、元陽が表に浮かんできて数を呈していると診る。三焦の原気不足の脉証で、後には遅脉に移行していく陽虚証的なタイプである。これも注意を要する脉状だが臨床室には多い。

ちなみに数脉と滑脉は似ている。滑脉も数脉と同じように熱を現すのである。この2つの脉状が病理的にはどう異なるのか。これを臨床の場を想定しながら考えていくと、今まで難しいと思っていた脉状が意外とわかりやすくなるのではないかと思う。
この二つの脉状の病理的違いはどこにあるかというと、数脉は府の熱であるのに対して、滑脉は藏の熱である。そして、数脉の場合は体温計で計ると実際熱があるが、滑脉の場合は体温計でいう熱はない。どちらも病症としては熱を現すのである。これは、どこの古典にも記述がない仮説なのだが、ほぼ間違いないと思われる。

B数脉の病因と病理
数脉は、外邪としては熱証(実数)、内傷としては虚労・虚損(虚数細)を現す。

1.外邪
陰虚に風邪が入って脉が浮数実を呈するというのが基本で、各種の古典でもこれを筆頭に挙げている。けれども風邪単独というのは現実にはなかなかあり得ず、たいてい寒邪や燥邪がからむことになる。
たとえば寒邪は冷えであるから遅脉を呈することになるが、風と寒が絡んだときは、寒邪の程度にもよるが、脉は数になる事が多い。やはり風は百病の長ということで、風寒の邪の脉は、寒が絡んでいても結果的には熱がでて、数脉になることが多いので
ある。
また湿邪が風に絡んだとき、これは同じ数でも沈んでいるはずである。湿邪は沈潜する邪であるから脉は沈むが、風が絡むから数脉になる。
外邪による熱証は、臨床的には陽経の瀉法ということになる。
2.飲食
特に酒を飲むと脉は数になる。いわゆる酒毒で、これは沈んで堅い実脉のような脉である。
3.睡眠不足
特に残業続きのサラリーマンなどに、沈数虚の脉が診られる。
4.労倦
これも必ず数脉である。「労」の音は「老」に通じ、津液不足による虚熱(燥と表現する)で、浮数虚のある程度大きい脉を呈する事が多い。ただこれも古くなると沈んでくることがある。この場合は治療も長引くと思ったほうがよい。総じて熱がない
数脉は労倦である。これは臨床的に重要である。
病症としては、頸肩の凝り、皮膚乾燥、口渇、頭重、咳などで、患者は意外と感冒と勘違いして風邪薬を飲んでいる事が多い。風邪は外感・労倦は内傷だから人迎気口脉診で診分けがつくし、それを念頭においてもう一度問診を繰り返すと、労倦の病因がぞろぞろ出てくるものだ。「労は腎労なり」という言葉もあるとおり、労倦といえばまず腎が絡む。もちろん脉は浮数である。肝虚、脾虚も多い。陰から充分補うと気分が良くなるものである。
脉症不一致の例として、熱・虚熱の病証がないのに数脉を現している場合は要注意である。特に沈緊数あるいは虚細数脉には重篤な病症が隠れている場合が多い。
逆に、ガンや重篤な内臓病症の患者が来たら、陰の脉をよく診ると良い。高血圧なら左寸口、腎炎やネフローゼで透析をしているようなら尺中、陰にこもった変な咳をしているなら右寸口を沈めたところにそういう堅い脉状がないか、というようによくよく探ってみると、今まで見逃していた脉状を発見することがあるだろう。
脉症不一致を見逃さないことによって、表面に現れている症状だけではなく、内に潜んでいるものまでも診出すことができるのが脉診であると思う。その意味で「脉診とは確認である」と言えるだろう。

11.滑脉について
脉の滑?は、浮沈と合わせて臨床の場で基本的な病理を把握する上できわめて重要な脉状である。
滑は数に通じて熱を表し、?は遅に通じて冷えを表す。『診家枢要』にも「経ニ曰ク、滑ハ熱ニ破ラレ、?ハ霧露ニ中ル」と言う文章がある。
病理から証につなげ、実際に気血営衛の手法を駆使して治療を行っていくという段階で、浮沈とともに病証判断の決め手になるのは、遅数よりも滑?である。遅数には現在明らかに身体にある熱病症あるいは冷え病症が端的に現れているのだが、滑?はそれだけでなく、その寒または熱が虚なのか実なのか、気血津液の過不足論に関わってくるからである。
また、病状の予後判定という意味でも重要である。原則として滑脉を呈している場合は予後良であり、?脉の場合は予後が悪候である。

「尺寸ヲ按ジ、浮沈滑?ヲ診テ、病ノ生ズル所ヲ知リ、以ッテ治ス」(『素問』陰陽応象大論第5)
「夫レ脉ノ小大滑?浮沈ハ指ヲ以テ別カツベシ」(『素問』五蔵生成論第10)
「尺寸ノ小大緩急滑?ヲ調ウルヲ知ルトコロ有リテ、以テ病ム所ヲ言ウナリ」(『霊枢』小針解第3)
これらの古典の条文からも、滑?と浮沈・大小などの脉状の組み合わせを指で察知することにより、すべての脉を分かつことが出来ること、滑?は病を理解する上で祖脉の中に当然入れなければならない重要な脉であることがわかる。

@滑脉総論
滑脉は熱病症を表す。臨床の場では陰虚内熱による虚熱を現すことが多い。
基本論として、まず健康的な滑脉というものを押さえると、『素問』玉機真蔵論第19には「脉弱以テ滑、是ヲ胃気有リ、命ケテ治シヤスシト曰ウ」と明記されている。脉がちょっと柔らかいような潤いのある脉で、和緩を帯びてやや大きくてぷりぷりと軽快な脉をしていて、それが若干弱いというような、それが胃の気のある脉であるという。滑脉は、浮沈・遅数・虚実のいずれの脉とも組み合わさって現れる脉でもある。
また『難経』15難にも冬の正脉について「沈・濡ニシテ滑、故ニ石ト曰ウ」とある。つまり滑というのはある程度胃の気を含む生理的病症を表すような脉状である。滑脉を現している病症は比較的予後良である。健康法などで来院する患者さんの脉所には、滑脉を搏っている事が多い。

A滑脉とは(脉状と脉診)
滑脉は熱だから数脉に似ているが、同じではない。
「滑ノ脉ハ、往来、前却テ流利、展転替替然トシテ数ト相似ル」(『脉経』)
滑は脉の触覚が積極的であり、その往来も勢いがある脉状である。数脉に似て触覚的には速く感じるが、実際に脉を数えてみると、一息六動以上の数脉ほど速くない。  数脉は体温計で測れるような熱を現し身体を触れば明らかに実熱的なものが手に触れるが、滑脉の場合はさほど数字には出てこないものである。

「滑ハ殊ノゴトク中ニ力アルナリ…往来流利ニシテ、例エレバ貫ケル珠ヲナズルガゴトクシテ、シカモ脉勢、ソコニ力アリテ弱カラザルモノ也」(『脉法指南』)
「往来流利、珠ヲ貫クゴトクアリ…是ヲ候ウニ三部ノ間ヲツナグガゴトク、イカニモナメラカニシテ満ザルナリ。多ク按セハカクレテ進マス退カズ」(『増補脉論口訣』)
滑脉とは、数珠玉を転がしたような、また数珠玉がある程度の硬さを持っているように中に力がある、流れが流利でクリクリとしたリズミカルな勢いがある、そんな脉である。

B滑脉の病理と病症
滑脉の基本
「滑ハ陰気有余ナリ」(『素問』脉要精微論第17)
陰気は基本的には津液・水と考えられるが、水には冷やす作用があるから、水が増えると冷えがひどくなる。これでは滑脉の病症にそぐわないので、そういうふうには考えない。この場合の陰気は陰の部の血であるというのが臨床的な解釈であろう。血には陽気である栄気が加わるが、栄気が加わればある程度熱を有する。この陰気が有余なのが滑脉である。陰気=血が多くて滑らかに全身に巡れば、関節はスムーズに動くし、動作も活発に出来るし、頭も冴えるし目もよく見える、そういう健康で動的な状態になる。

「滑ハ陽気盛ン、微ニ熱有リ」(『霊枢』邪気蔵府病形第4)
微熱有りということは病脉としての滑脉を表しているが、先と同様に、この陽気は血中の陽気(栄気)であると理解しないと、臨床の現場で滑脉を応用できにくくなる。つまり血熱病症である。
滑は陰気(=血)有余、陽気盛ん。こういうものが滑脉の基本病理として考えられる。いずれにしても、血の栄気が盛んな脉が滑脉である。

C病脉としての滑脉について
滑脉は生理的にも診られる脉であるが、病脉としての滑脉については、『診家枢要』には、“気虚血実”というような記述がされている。
「血実シテ気壅スルノ侯トナス。蓋シ、気、血ニ勝タザルナリ。嘔吐トナシ、痰逆トナシ、宿食トナス。滑ニシテ断絶シテ均シカラザル者ハ閉経トナス。上ハ吐逆ヲナシ、下ハ結気ヲナス。滑数ハ血熱トナス」(『診家枢要』)
滑脉は血が実して気が循環しないときに現れる脉状であるという。病症としては嘔吐・痰・のぼせ・宿食など。これらは大体において陰の津液が不足した陰虚内熱の病症である。また寸口の滑は吐逆し、尺中の滑は下焦に気が結ぼれる病症を現す。滑数の場合は熱が血に停滞した病症を現すという。
これらは、滑脉の量の問題にもよるが、老人の脉を想像すればわかるとおり、ごく生理的な病症に近い。つまり治しやすい、予後良という事である。たとえば60歳以上の老人に浮いてコロコロした脉を搏っていたら、何を訴えても加齢で現れる一般症状だから、健康法としての鍼治療をして問題ない。老人の生理として虚熱は多くなるから、脉は当然ちょっと堅くて速い脉になる。問題は反対に、年をとったのに遅くて沈んだ脉を搏っていたり、明らかに強く堅い脉を六部のある脉位に搏っていた場合で、その時はその脉がなぜ搏っているのか、薬のせいか、重篤な病が隠れていないか、他の四診と総合して見極める必要がある。

「血多ク流レソソイデ、気ハ少ナク順ト知ルベシ。此ノ脉ハ手足クタビレ小便赤ク渋ルコトヲ主ル。痰気ナリ。内熱重キ熱ナリ」(『増補脉論口訣』)
滑脉の病症は陰虚内熱の虚熱病症が基本であるが、その滑の量がだんだん増えていくと、血実から血熱になり、病的でやや進行した病症になってくる。手足の倦怠感・小便赤く渋る・痰気、いずれにしても内熱による津液不足を表す。おそらく虚脉である。

「滑ハ…痰トナシ、血有余トナシ、アルイハ陰中ノ伏火トナス。ソノ病、痰、経絡ニアフレルトシ、血有余シテヨク潤ウトス。アルイハ陰中ニ伏火アリテ、陰分コレガタメニ動ズルシス、アルイハ、血有余シテ気不足ノ脉トス」(『脉法指南』)
陰虚内熱による虚熱が血熱病症として現れる。痰は繰り返すようだが内虚(陰虚)からくる端的な病症。そして「血有余」「陰中ノ伏火」「気不足」だから血が有余して陰に熱がこもるから陽の気が虚すと、要するに気虚血実の脉状・病症であるとする。
ただし、この時の滑脉を表している「陰実」は、おそらく熱を伴った、初期段階の陰実病症だと思われる。『難経』75難でいう急性の肺虚肝実証、「熱血室に入る」いわゆる熱結、婦人の生理が滞って血滞が生じたために熱を生じる、そんな病症のとき、一時的に滑実のような脉証が現れるのではないか。ある程度進行して慢性に移行した陰実病症には基本的に冷えが伴い必ず?脉が絡んでくる。この時は触覚所見として皮膚が冷たい、つまり陽が虚して汗が出ず気が滞る。
要するに血熱がポイントであり、?血や陰虚内熱だけでは滑脉を現さない。

D脉位と滑脉の臨床
滑脉を虚実脉と組み合わせて、脉位で診ていくと、どのように臨床現場で応用できるか。
左寸口の滑脉は心熱病症を表す。臨床現場では心筋梗塞、高血圧などの心臓疾患的な病症である。この場合の滑は少し堅く、滑実。この脉を診れば、血圧計など無くても、こうした病症を疑うことができる。また、心に熱があるということは当然腎が虚している。
左関上の滑脉は、肝の臓に熱病症(虚・実)が絡むことになる。また虚熱の量によるが、パーキンソン病・半身不随などの風症でこのような脉を呈するとある。
左尺中に滑・数、ちょっと速いような実脉を搏っている場合は、腎の津液不足による虚熱は膀胱の熱となるから、急性の膀胱炎。慢性の場合はもう少し渋った感じの脉になる。これが沈・滑・実の脉になると腎炎など腎臓の熱病症になる。
右寸口の滑脉は肺熱・風邪様の病症で、肺炎など。患者本人が風邪だと言っていても、人迎気口脉診で診ると風邪ではない、でも喉に違和感があって咳が出てけだるいとか頭が重い、こんなとき右寸口に明らかな病脉としての滑脉を搏っていたら、肺炎を疑うべきである。特に老人の風邪ひき病症には肺炎が一番怖い。
以前池田政一氏が、各脉位において実的な脉状を搏つ場合は臓病があり、現代医学的な病名がつく病気が潜んでいる場合がかなりあるとご講義されたが、その典型がこの右寸口と先ほど述べた左寸口の滑脉である。ただ薬を飲んで湿邪が絡んでいると脉も大分変わって、滑が出ないこともあり得る。
右関上の滑脉は脾胃の熱病症。
右尺中の滑脉は下焦の熱病症で、月経不順・?血・下痢・口渇などを現す。特に、健康脉に近い胃の気ある滑脉が出ていたら妊娠。不妊治療をしていても、生理が止まっていて、ここにちょっと堅いけれども艶があってクリクリして滑らかで若干速いというような脉が出ていたらこの場合は確実に妊娠している。

12.?脉について
@?脉総論
?脉は寒病症を表す。一般的な病症経過として慢性になると冷えてくるから、?脉を現すのは慢性症が多い。病理としては血虚、あるいは血が停滞して相対的に気が旺盛になっている。
?脉は祖脉だから虚・実がある。
?虚の脉証は血虚、それも血そのものが不足した病理状態を示す。この場合?虚の脉は沈んでいる。病症としては寒病症を主とした諸症状を現す。血の陽気が不足した寒病症ということは、臨床的には陽虚証ということになる。陽虚ということは身体の守りの力が落ちるから外邪が入りやすいが、体力が無いので急性の激しい病症は現せない。痛みでも虚痛とか、何かしびれているようだとか、麻痺といっても完全な麻痺ではなく鈍磨してやや麻痺しているような、「寒症」を主とした病症を発症しやすくなる。
?実の脉は、血が不足して停滞・充満し、「?血」の停滞を発症する。おそらくこの場合も脉は沈んで?実である。『難経』の陰実・『素問』調経論の陰盛については未だ研究課題であるが、臨床的には寒病症を主とした陰実病症を現すことになる。
血の中の陽気が不足すると身体は冷え、身体が冷えると、冬に人間の動きが緩慢になるように気の動き・身体の動作作用総てが緩慢になり、停滞という病症を現す。停滞は虚実で言えば実になり、この時血の停滞によって生じた病理産物が?血である。   このように、沈?実という脉証で形成された?血は、臨床現場では冷えを主とした陰実病症の基本となる病理産物である。

前項で、我々が目標とする胃の気のある脉とは和緩を帯びた弱にして滑の脉であるとしたが、?は滑に対する脉であるから、基本的に病脉として考える。

「其ノ到ルコト懸絶沈?ナル者、命ケテ四時ニ逆ラウト曰ウ」(『素問』玉機真蔵論第19)
懸絶とは沈んで渋り元気の無い脉状を指す。沈?の脉は四時に逆らうというのだから、やはり病脉なのである。つまり滑脉に対して、単独の健康脉としての?脉というものは無く、常に病症との兼ね合いで、浮沈・虚実など他の脉状と組み合わせて診ていく必要がある。

A?脉とは (脉状と脉診)
?脉は冷えだから遅脉に似ている。遅数脉と同様に脈拍の状態も意味するが、脉そのものの「形」が臨床的には重要である。『診家枢要』でも「遅・数ハ呼吸ヲ以テソノ至数ヲ察シ、滑・?ハ往来ノ密ヲ以テソノ脉状ヲ察ス」と言っている。
遅脉は脉状の速さを実際に計ってみて、一呼吸に三つ以下と定義付けられている。これに対して?はそうではなく、ぱっと診て遅い感じがするが脉拍の数を実際に数えてみると平脉に近い。また?脉は一止すると、いわゆる結滞“往来の密”拍動が少なく感じるというのである。単なる数だけではなく中身が?脉を捉える上での大事な点である。

「ノ脉ハ細ニシテ遅、往来難カツ散、或イハ一止シテマタ来タル」(『脉経』)
?という脉は細い。細いということは脉診してわかりやすいということにもつながるが、尚且つ遅く感じる脉で往来がスムーズに来ない。時には結滞するということで不整脈につながるが、はっきりとした不整脈ではない。脈拍や診脉の感じが滑らかでない、ちょっと滞るような脉。よく生理や出血のときに?脉とともに?も呈するが、ああいう場合の渋るような脉を表す。「細」という脉状は、大・洪・?よりは細いが、微・軟・弱よりは細くないとされる。臨床現場ではなかなかこんなに細かく分けられないが、あくまでこういう風に比較しようということである。

「?脉ハ細ニシテ遅、往来難、短カツ散、或ハ一止シテマタ来ル。參伍調ワズ、軽刀ニ似テ竹ヲ刮ルガ如シ、雨ノ沙ヲ沾スガ如シ、病蚕ノ葉ヲ食スルガ如シ」(『瀕湖脉学』)
同じように遅く感じて往来が渋り、脉が短くて散ずる、結滞があるという。
☆參伍不調:脉拍の眺動が不規則。脉の打ち方は渋っている(創医会・漢方用語大辞典)

有名な「軽刀ニ似テ竹ヲ刮ルガ如シ」、ナイフのような小さな刃物で大きな竹を垂直に立てて削ると渋ったような感じがする、ああいう触覚が?だと言っている。また乾いた砂に雨が降ったらスーッとしみこんでいくような感じ。病んだ蚕が桑の葉を食べているような、というのは、葉をちょっと食べると疲れて休みまた食べる、そんな一止してまた来る脉の例えである。
以上が、?脉がどういう脉形をしているかという古典の拠り所となる。要するに?脉とは、往来がスムーズでなく遅いような渋るような、元気が無い、だが同じ沈降性の弱脉などに比べるとはっきりしている脉である。

B?脉の病理と病症
◇?脉の基本
先述のとおり?脉は病脉であり、基本的に健康的な?脉は無い。後退性の病症で冷えを伴う。日常臨床で病症経過がよくない患者で、皮膚が冷たく手足厥冷・下痢・食思不振・目に生気がなく身体全体がふにゃふにゃしている、そんな人には必ず?脉があるから、そのように診ていくとわかりやすい。

◇病脉としての?脉について
では病脉としての?脉の病理病証との兼ね合いについて、古典ではどのように記載されているだろうか。

「?ハ則チ心痛ス… コレヲ切シテ?ノモノハ陽気有余ナリ」(『素問』脉要精微論第17)
?は病理としては陽気有余である。これは滑脉の陰気有余と対をなしている。“陽気有余”とは簡単に言えば「血虚」があるということで、血虚があるということは「血が停滞して流れが悪く、相対的に気が旺盛になっている」と診ることができる。脉要精微論は六部定位脉診を研究するためには欠かせないかなり重要な論篇であり、この考え方も陰陽論からきている。
“心痛”とは血虚のために現れる病症。心臓がきりきり痛むのではなく、血虚の虚痛だから鈍痛である。

「脉、小弱ニシテ以テ?ナル、コレヲ久病トイウ・・・脉?ナルヲ痺トイウ・・・尺脉緩?、コレヲ解漁トイウ」(『素問』平人気象論第18)
“脉小弱”は血虚、それも小弱?だからおそらく沈脉であり、慢性病・かなり病症が進行した状態であろう。“痺”というのも血虚であるからしびれ感ぐらいに留めておく方がいいのではないか。“解漁(カイエキ)”は血虚による疲労倦怠感のこと。

「脉浮ニシテ?、?ニシテ身ニ熱有ルモノハ死ス」
「腸?ノ属、身熱セズ、脉懸絶ナラザルハイカニ。岐伯曰ク…懸?ノモノハ死ト曰ウ」(『素問』通評虚実論第28)
“脉浮?”本来なら?脉は沈んでいなければならないのに、それが浮いている、これは平人気象論より進んだ病症だと考えられる。予後不良。
“腸?”は下痢病症。?のときは血虚のため熱がないので治りにくい。

「ソノ脉大堅、以テ?ナルハ脹ナリ」(『霊枢』脹論第35)
“?ナルハ脹ナリ”血虚により寒病症が現れ流れが悪くなり、水の停滞が浮腫を発症する。この場合の浮腫は触ってみると皮膚が冷たい。この時の脉が“大堅”おそらく沈にして?実の、?血に近い脉状であると思われる。

「大イニモッテ?ノ者ハ痛痺ヲナス」(『霊枢』邪客(71)論)
これも血虚による痛みとか痺れを示している。

「?ハ血少、アルイハ精ヲ破リ、反胃、亡陽、汗雨淋ニ縁ル。寒湿、栄ニ入リテ血痺ヲナス、女人孕ムニアラザケバ経ナシ」(『瀕湖脉学』)
?脉は血虚・房事過度・胃病・陽虚等のときに汗が出ると現れる脉状である。また寒湿の外邪により栄気が損傷すると血虚となり痛み・麻痺等の病症を現す。
良く色々なところに書いてあることだが、女性が?脉を、特に右の尺中と左の関上に?脉を現している場合には、孕まず・妊娠しにくいという。これは血虚のため、後退性の病症で体力が無いからである。不妊治療の際そういうところを診ていけば、予後判定の確実さが増すのではないか。

要するにここまでの色々な古典からの引例は、?脉ならまず血虚があるということで、そこからもろもろの病症を発するということである。このときの血虚は、血の陽気不足が基本になる。?に実が絡むと?血になる。

C脉位と?脉の臨床考察
『診家枢要』に書かれているもので、いくつかわかりやすい記述を頭において、それを臨床現場で応用するのが良いだろう。
左寸口の?脉は「心身虚耗して安からず」とある。?虚の脉であり、心の気血虚を表す。今でいうストレスで、血虚・気鬱・食欲不振というような病症になるだろう。左寸口の正脉は洪脉だからある程度大きい脉のはずで、それに反する脉、沈?にして虚というような場合は、やはり気血の虚を表す。
左関上の沈?虚の脉は妊娠しにくい。これは肝虚陽虚の寒証で、女性はよく月経中に下痢病症を併発する。冷えて左の肩甲間部が張っている人が多い。実脉は?血の停滞を表す。
左尺中の?。この脉位の正脉は「沈濡にして滑」である。それに反する?虚の脉は精気・陽気の虚を表す。病症としては、下焦の虚寒病症で、小便数、疝痛、下痢、精力減退、下肢厥冷などを現す。
右寸口の?。この脉位の正脉は「浮短?」。それが沈?虚の場合は上焦が冷えて陽虚。また、沈?で堅い実の脉はこれも本当に要注意である。熱を伴わなくても肺炎のこともある。また、風邪のような諸病症を訴えて、医者に風邪薬をもらって飲んでいると、ますます湿邪が絡んで脉が沈んで堅くなる。そんな時に、これを良く診て肺炎などの危険性が無いとしたら、私は薬を飲んでいることによって治る病気も治らないとよく説明して、まず薬をやめさせることにしている。
右関上の?。この脉位は「中緩」の脉証が正常。?虚は胃の陽気の虚。沈?実は脾実ではなく血虚。
右尺中の?。ここは命火・三焦の原気を表す。沈細?は下焦の陽気虚。下肢の厥冷・下痢等の寒冷病症を現す。これも妊娠しにくい。

13.弦脉について
@弦脉総論
弦脉は基本的には陰の部に現れ、熱病症を現す。陽気を発散したくても発散できない状態ともいえる。これに対して緊脉は陽の部位に現れ、冷えを現す。弦脉でも虚脉の場合は冷えを現すこともある。
弦が四時脉に入っていることも注目すべきポイントである。弦は春に現れる健康脉である。『難経』には微弦で胃の気のある脉が春の正脉だという。夏は洪、秋は毛、冬は石、そして土用は緩、この緩脉は四時全てに関わる脉で、「微」という胃の気を指すことになる。ほかの滑?・遅数・緊・?などの脉状は病脉としての脉状である。もちろん弦脉でも病的なものは当然ある。

A弦脉とは(脉状と脉診)
「弦ノ脉ハ之ヲ挙ゲテ有ルコトナクコレヲ按ズレバ弓弦状ノ如シ」(『脉経』)
弦脉は、軽按でさっと診るとなかなか触れずにわかりにくいが、重按して指を沈めていくと弓弦のように撥ね返る脉である。

「弦ハ…是レヲ候ウニ弓ノ弦ヲ按スゴトク、按セドモ沈マズ、挙グレバ指ニシタガッテ上ガルナリ。常ニ少シハヤキ脉ナリ」(『脉法手引草』)
弦脉は指をずうっと重按して沈めていってもなかなか消えない。つまり陰の部で診やすい。指を沈めようとしても沈まないで、弓やギターの弦のようにぴんと張って、押さえた指を撥ね返してくる、それほど堅い。これは病的な弦実の脉である。そして沈めた指を上げてくると付いて来てずっと脈動を感じる、これも弦脉の特徴である。
対して緊脉は陽の部で軽按してちょっと触れたときにピンピンと指を搏つ、縄をひねったような脉で、重按したら消えてしまう。施発『察病指南』の脉図の中でも、弦脉と緊脉はどちらも丸を描いて横線を引っ張ってあるが、緊脉では中央より上に、弦脉では中央より下に横線が引かれている。要するに弦脉は陰の部にある脉であるのに対して、緊脉は陽の部位に現れる脉状である。
そして弦脉が若干速いというのは熱病症に関係あるだろうと捉える。この辺が『難経』の陰実・肝実での弦脉の手がかりになってくる。ただ『難経』の陰実と『素問』の陰盛には?を帯びる場合と弦を帯びる場合がある、それが寒熱に関わってくるわけで、この場合は弦で熱だから『難経』の陰実であろう。
このように弦脉の形態は、弓弦のようにピンと張って堅い。基本的には陰の部位に出やすく、少し速くて熱病症に関連ある脉、弾力があって、軽按では触れにくく、指を沈めていくと弓弦の如く跳ね返る、指を戻すときも常に脈動を感じる脉である。

B弦脉の生理
弦脉は春に現れる健康脉、春の四時脉である。やや陽気が不足した脉で、『傷寒論』では陰に属する。陰実に絡む脉状である。生理の基本としては、熱が外に出られない状態を表している。

「十五難ニ曰ク、経ニイウ春ノ脉ハ弦…春ノ脉ノ弦ハ肝、東方ノ木ナリ。万物始メテ生ジ、未ダ枝葉有ラズ。故ニソノ脉ノ来ルコト、濡・弱ニシテ長、故ニ弦ト曰ウ。」(『難経』15難)
春・立春以降は徐々に陽気が旺盛になり、万物が芽吹いて夏に成長する前段階、人体の陽気も徐々に旺盛になろうとする。そして春の気に連動して陽気を発散しようとする。その発する力は肝の蔵している血の“未ダ枝葉有ラズ”ということで陽気はまだまだ充分には発散するだけの時期ではないし陽気も少ない。このような時期に現れるのが弦脉だと位置ずけている。それを示すのが“濡・弱・長”という脉の形態になる。春先には陽気の力はまだ充分ではなく、冬からの陰気・冷える力によって陽気・熱する力、いわゆる成長の力が未だ抑え込まれている。それを表すのが、“濡弱”という明らかな弦というにはまだまだ柔らかい脉に、“長”という陽脉を絡めた脉だ、というのが『難経』の論法なのである。つまり陽気が盛んでないから濡・弱であるが、長脉が陽気の芽生えを暗示している。
生理としては、陽気を発散したくてもできない状態、あるいは少し陽気はあるがまだ陽気を抑えつける陰気も多く、陰気によって陽気が閉じ込められた状態だともいえる。臨床では熱が外に出られない生理状態を表す。
この脉の表現の中に病的な弦脉の基本的なものが包含されている。この“濡弱ニシテ長”を充分に理解すると、後の弦脉の病理もよくわかってくる。
『傷寒論』では「弦は陰なり」と言っている。ということは、弦脉が陰の部位に現れている場合は、どんなに呈している病症が強くても、治療法さえ間違えなければ予後良である。逆に陽の部でびんびん搏っているような弦脉は予後不良。これに対して緊脉は陽部に現れるべき脉であり、熱という捉え方をしている本もあるが、『傷寒論』では冷えと捉えている。緊を冷えだとすると、たとえば沈緊数の脉は、陰部の冷えの中に数を帯びるという脉証だから臓病で予後がよくない、急転直下悪化する可能性がある。身体の冷えから息切れがして血圧が下がって点滴しなければならない時に呈する脉である。
このような「脉証一致不一致論」のためには、どうしても脉の基本的な性格を理解する必要がある。この際の基本が寒熱論である。寒熱論に虚実論が加わって、その中身は陰虚陽虚というような、気血津液の過不足論になると考えられる。つまり気血津液の過不足によって生ずる寒熱がどのように脉状と病症に反映しているかということである。病症の寒熱を診る際にも、たとえば横隔膜の上は陽的な特性があるし、下は陰性な特性があるというような法則性に照らして診ていく、その基準をどこに置くかが重要である。
弦脉は、滑?との兼ね合いから考えれば、陽気がまだ若干不足した脉だと捉えられるが、このような弦脉が出る真の原因は肝の蔵する血である。弦脉の八割から九割は肝の蔵する血の虚が原因である。
また腎に出る弦脉は津液不足の虚熱が出たための陽気の不足の表れと理解する。そして血は熱で水は冷えであることから、弦脉には陰熱が絡んだ弦と冷えが絡んだ弦とがある。弦脉の特性は陰部の熱だから、冷えが絡んだ弦脉の予後は悪い。このときは陰部で虚すので端的に言えば弦脉ではないのかもしれないが、陰部において比較的ぴんぴん来ないような、滑よりもむしろ遅いような弦脉である。
このように、部位におけるだけでなく寒熱から考えても病気の予後判定はできる。

C弦脉の病理と病症
では弦脉を臨床現場ではどのような病理病証として把握していくのか。

「其ノ気来タルコト実・強、是レヲ太過ト謂ウ、病外ニ在リ。気来タルコト虚・微、是レヲ不及ト謂ウ、病内ニ在リ」
このように、いわゆる病因が外にあるか内にあるかという一つの前提を置いてから、
「気ノ来タルコと厭々(エンエン)聶々(テツテツ)トシテ、楡ノ葉ヲ循ヅルガ如キヲ平ト曰ウ。益々実シテ滑、長キ竿ヲ循ズルガ如キヲ病ト曰ウ。急ニシテ勁ク、益々強、新タニ弓ノ弦ヲ張ルガ如キヲ死ト曰ウ。春ノ脉ハ微・弦ヲ平ト曰ウ。弦多ク胃気少ナキヲ病ト曰ウ。但ダ弦ニシテ、胃気無キヲ死ト曰ウ。春ハ胃気ヲ以テ本ト為ス」(『難経』15難)
“微弦”というのは胃の陽気が含まれた、弦だけれどちょっと柔らかい脉、これが弦として健康な生理的状態の脉。具体的な触覚としては、春のニレの樹の新芽の葉をひっくり返すと集毛がある、それを触った感じであるという。
それから“弦多ク胃気少ナキ”実にして滑を帯びて長い竿をなでるように堅く胃の気の少ない弦実の脉が病脉。この場合病気は外・陽経にある。だから陰実証の治療の決め手は陽経の処置になる。『難経』流でいえば、大体は脾虚肝実証で取る。弦実の脉が脉部全体にピンとはっている場合には肝虚でなく脾虚肝実証と捉えるというのは池田政一氏の説である。ただしこの時の肝実の処置は足少陽胆経を瀉すことに重点を置くことになる。病症は熱症を現す。
弦にして虚の脉証、特に左関上肝の部位が虚しているとき、弦脉だから虚にしろ実にしろ血虚には間違いなく、原因は肝血の虚にあるから、肝虚証ということになる。この場合の病の原因は内・陰経にある。病症は寒症・冷えと取る。弦脉には本来若干速くなる特性があるが、それは熱が絡みやすいからであり、弦が数を帯びず堅いがそんなにピンピン撥ね返すほど強くない場合は冷えを表すこともあるということである。
“弦ニシテ、胃気無キ”脉、非常に強くていくら沈めても新しく張った弓弦のようにピンピン跳ねているような、七死脉の弾石のような、胃の気が完全に無くなっている脉は死の転帰を取る。これが『難経』流の弦脉の考え方である。

「モシ肝血虚スル時ハ全ク弦ニシテ柔和ナラズ、コレヲタトエテ弓弦ヲ按ズルガ如シトイウ。ココヲモッテ弦ハ肝ノ邪脉トス、瘧ノ脉ハ必ズ弦ナルモ、コノ義、瘧ハ肝病タレバナリ。故ニ脾虚スルトキハ肝木乗ジテ土ヲ剋ス。ヨッテ脾虚スルモノハ弦脉アリ、理ノ必然ナリ」(『脉法指南』)
“全ク弦ニシテ柔和ナラズ”というのは先ほど『難経』でもあったかなり強い病的な弦実の脉。肝血が少ないのが病的な弦脉を現す原因というから、肝虚と捉えがちだけれども、ここでも証は脾虚で肝実だと言う。
“瘧”は悪寒・発熱が交互に現れる病症。マラリアのことだというが、我々の臨床室の風邪患者にもこういう病症はある。身体の中で熱の停滞している所としていない所がばらばらになっているから、熱が出たり寒くなったりを繰り返す。このとき熱が停滞しやすい経絡が足少陽胆経と足厥陰肝経だという。弦実の脉だから『難経』の理解では陽経の少陽胆経を瀉すことにつながる。風邪で弦脉を呈している場合、悪寒を繰り返し、他にも筋の引き攣れや不眠・眼精疲労や筋肉の力がなくなるなど血虚の病症が伴う、風邪でもかなりこじれた症状であるが脾虚肝実証で対応できるのではないか。

「弦脉ハコレヲ按ジテ移ラズ、コレヲ挙ゲテ手ニ応ズ、端直ニシテ弓弦ノ如、血気収斂トナス、陽中ノ伏陰トナス、或ハ経絡間ニ寒ノ所滞トナス。痛トナシ、瘧トナシ、拘急テナシ、寒熱トナシし、血虚盗汗トナシ、寒凝気結トナス。冷痺トナシ、疝トナシ、飲トナシ、労倦トナス。又、弦ハ脇急痛、弦長ハ積トナス」(『診家枢要』)
“血気収斂”とは血気が発散されない病理で、陽中に飲があるか経絡の中に寒がある。つまり陽気が発散したくても発散されないのだが、病症によって、その原因が虚熱か寒か、それに応じて脉状も弦実か弦虚かに分かれる。たとえば痰飲は停滞した水・冷えのために陽気の発散が抑えられるということで、この場合は弦にして虚脉を呈する。後は大体労倦も含めて熱の停滞からくる病症で、脉は弦実である。

D脉位と弦脉の臨床考察
左寸口心の部位の弦脉は、弦実を搏っていれば心の熱と捉える。心熱があるということは腎の虚がある。弦は肝の血の虚だから、腎・肝の虚ということになる。虚熱がのぼせて高血圧や頭痛・頭重など上部疾患につながる。心臓の実質的病症にも要注意。
弦虚のときは手足のしびれ痛みを現す。脾虚証が多い。
左関上の弦脉は、肝の陰実・熱実である。?血の場合は熱を伴う。または積聚や疝?を発症する。この場合痃癖といって、肩甲間部に凝りがある。ここは候背診では肺の部位で、肝の部位は後頭部から頚の辺りまでだが、臨床的にこの凝りがあるときには必ず肝に虚か実がある。『医経溯廻集』の腹診図では、肝虚の場合痃癖があるとしている。これは?血反応として、小灸で散らしたり、刺絡で取っても良い。証は脾虚肝実が一般的。
左尺中の弦。これは下焦に水が停滞している。脉は弦にして虚。津液不足の虚熱の発生から陽気が不足して表に水が停滞、陽気の発散が抑えられて、水腫による腰痛や下肢のしびれ痛みを発症する。
右寸口肺の弦脉は、肺の津液不足による上焦の熱を表す。温まると咳が出る。燥痰。肺炎に要注意。脉は弦実にして数。
右関上に弦実数の脉が出たら胃熱。池田政一氏は、食欲が異常に亢進して、そのうちに口角炎や胃アトニーがでてきて、将来的には糖尿病を発症するという。古典にこのような記述は無いが、自分の臨床からも肯首できる説である。
逆に虚脉なら胃の冷え、心下厥逆。臍に手を当てると冷えていて胃内停水があることもある。
右尺中の弦実は下焦の陰虚。弦虚は下焦の水滞からくる腎の陽虚。いずれにしても相当病症は重い。

【10】脉状と脉証の臨床考察の意義
ここまで脉状という大きなテーマに取り組んできた。矛盾も辻褄の合わないところもあるが、全体を通じて一つの形ができたと思う。どこにポイントを置いて考察をしてきたか、日々の臨床実践の中でどのように使っていけばそれが生かせるか、最後にまとめてみたい。

1.脉状と脉証の意味
脉状は病症を表す。けれども脉状というのは、学として一つの基本論としてあるのであって、臨床では絶対に単独では存在しない。最初は虚や実を単独に診ることから学んだとしても、実際には必ず浮沈遅数滑?などの他の脉状が二つ三つ絡んで、脉証という形になる。脉証とは脉状が複数重なったものである。
「証」という言葉は病理を示す。今そこに寝ている患者の病理を考察する手立てとして、脉状の組み合わせによって診察する。同時に、病症の予後まで診分けられるというところにも大きな意味がある。
今後は帰類表の八脉状の中での?の位置ずけについて、また緩について、緩と弦との関連についての研究が重要になるだろう。

初期の六部定位脉診は邪を診る脉診であるのに対し、脉状診は病理を診てその病態が持っている「本」を察知するものである。その奥には精気の虚という基本的な考え方があって、そこから我々の思考法の基本である陰陽五行・虚実・寒熱論を駆使して病気を診ていく。簡単なことではないがこれが習得できると、証が的確につかめて短時間でかなりの効果が出せるように、また的確に病症の予後を判定できるようになる。
八木素萌氏の言葉を借りると、「漢法、特に鍼の治療は、現代医学が治せない病症も確実に治せる要素を持っている」。ただ、その方法論はまだ中途半端でわかっていない。古人の先達は内容を残してくれてはいるが、当時の常識は省いてポイントしか書かれていないので、それを時代も文化も違う漢文素養の無い我々が読み解くのは至難だが、そこは臨床を進めながら一つずつ読み解いて、真摯に追求していけば、かなりの形にはなると思う。

信長が生きた頃、天正時代の曲直瀬玄朔(1549?1631)という人は、漢方医の曲直瀬道三の二代目で、非常に鍼が上手だったらしい。道三は「後世方派」と言われ、精気の虚というか、その人が持っている生命力に着眼して、脉診も経絡も総動員して漢方治療を進めた。その点我々の経絡治療によく似ている。
それに対して江戸期の吉益東洞(1702?1773)という漢方医は、「古方派」と言われ、「万病一毒説」経絡・脉診・陰陽五行を否定し腹診を中心にしてお腹の毒を動かすという一点に治療の基本を置いて、当時の医学界を席捲した。これは六部定位脉診が単純な邪を診る方法であるということに通じるものがある。
この二つの治療法のうち、時の動きとしては吉益東洞の万病一毒説のほうがはるかに当時の漢方医の賛同を得た。後世法派は効果は緩慢だがその人の持てる生命力そのものを上げておこうという治療法だから、臨床現場では古方派のほうが効果を出しやすく、取つき易かったのだろう。昭和の湯液界では、大塚敬節が古方派で、矢数道明が後世方派、池田政一氏の師匠筋も後世方派的な考えを持っている。
さて、『素問』・『霊枢』は精気を補い強くする医学である。『難経』には確かに邪を直接叩いて効果を挙げようとしているところがあるが、例えば75難はまさにそうだが、その根底には69難がある。
世の中に受けるのは古方派、『難経』的な考え方である。要するに端的に現れた毒・邪をたたくという方法、それは現代医学・薬のやり方でもあるが、結果がすぐ出るから用いられやすい。
しかし私はここで、漢方医学の基本は精気の虚であり、治療の大本は五蔵のアンバランスの調整であると、陰陽論・三才・五行で物事を考えて証を組み立てていく、『素問』『霊枢』的な、湯液で言えば後世方派的な治療が一番重要なのであると主張しておきたい。

2.七脉状と寒熱論
従来の経絡治療では『類経』が説く六祖脉「浮沈遅数虚実」を取り入れて50年以上やってきた。
しかし、この六祖脉は『類経』だけの説で、他の古文献を紐解いてみるといろいろな説があるが祖脉に虚実は入っていない。祖脉に虚実が入っているのは色々調べても『類経』だけなのである。やはり「虚実」は相対的に診るものであって、祖脉に入れるべきではないのではないか。そして東洋医学の病証の基本概念は寒熱虚実論であるが、寒熱を診て行くうえでは、「浮沈・遅数・滑?・弦」の七つの脉状が重要になる。全体の病証を把握するのに、寒熱にポイントを絞ってみていくと、これらの脉状の組み合わせはすべて寒熱で組み合わされているように診える。
たとえば腎の正脉は沈・滑であるが、滑は熱に属する脉状だから、腎の中の陽気を表している。この滑の中身が胃の気の盛衰の基準になるともいえる。
滑?についても、滑は陰気有余で気虚、?は陽気有余で血虚ということで、これは臨床の現場での気と血の手法に直結する。たとえば脉が堅くて強いときに、深い鍼や留置鍼ではなく、気を調整するような軽い鍼のほうが効果が出る。
右寸口の若干沈んだところに弦実数、または滑が出ていたら、これは全て熱の脉であり、肺の臓の熱つまり肺炎の疑いがあるということである。このような堅い脉に対する手法はやはり気の治療になる。
左寸口に弦または滑大を帯びた堅い脉があったら、これも熱の脉だから心熱ということになる。心に熱があるということは腎が虚していることが多いから、それに注目して臨床を進めたほうがいい。
これらの例はすべて、脉状を寒熱論を通して診ている。このように寒熱で区切ると、理解しやすい上に臨床で非常に使いやすいのである。この脉状にはこの病症というようなことの羅列を丸暗記するのではなく、祖脉ひとつひとつの病理生理を寒熱で的確に捉えて対処すると、30脉状全部を覚えなくても応用が利くようになる。
ただし、弦脉に関しては少し話が違ってくる。弦脉は色々な古典によると冷えというのだが、池田政一氏や『傷寒論』の流れでは熱を表す脉である。弦は陰部に搏つ脉でやや堅くて数を帯びて、『傷寒論』では熱を表す。対する緊脉は陽部に現れやすい脉で『傷寒論』では冷えを表す。また弦脉の場合に弦実は熱(陰熱)で弦虚は冷え。熱を表す脉は陽部に搏つのが基本だが、弦脉は陰に搏つ事が多い。このように弦脉では寒熱の区分が複雑になってきている。微弦脉は春の正脉であることから、弦脉にはある程度多様性があるということが言えるようである。いずれにしても、脉状を基本的に寒熱で分けて、現場で応用できなければならない。
痛みに関しても、弦脉を現しての痛みと緊脉を現したときの痛みは違う。弦脉は熱だから瀉すが、緊脉の場合は冷えだから温める。たとえば慢性の根性坐骨神経痛、脉は弦ほど荒っぽくないが堅くて緊、本来なら緊脉は陽に出るが、慢性だから沈んで虚した脉、それで尚且つ痛みが出ている場合は、冷やしたら悪化するから温めなければならない。実際の臨床で痛みを訴えるものの8割がたは温めなければ治らない。弦脉を呈しての痛みなら、知熱灸でも小灸でも、要するに熱を取るやり方で良い。
このように寒熱というポイントから病症を診ていくというのが、脉状診のエッセンスではないだろうか。寒熱が病人の身体にどのような状態で影響を与えているのか、その熱や冷えは気血津液の中の何の過不足になって現れたのかを考えながら、そのときの脉状は陰・陽どこにあるのか、虚実・浮沈・遅数との兼ね合いはどうかなどの脉証を、病症を絡めて診て行くことが大切である。
また滑?の脉が予後診定になるということも強調したが、滑?だけではなく脉状全体を通して寒熱論から診れば、熱は予後が良くて冷えを呈する場合は難しい。ちなみに陰実病症は冷え、初期は熱があるにしても正体は冷えであり、進行していくと『素問』の陰盛症になると考えられる。今後の研究でもっとしっかり病理を把握して四大病証に並ぶ「証」として成立させることが出来ればと思う。

漢方の臨床病証の基本は寒熱虚実論である。経においてはどこの経に熱があり冷えがあり、臓においてはどこの臓に熱が有り冷えがあり、腑は必ず熱かといえばそうではなく冷えもあり、これを四診法でいかに診察していくか。そしてそのような形で捉えた寒熱が、気の停滞によるものなのか、血の量が少なくなったのか、津液のアンバランス、たとえば食事がすごく不規則であったり薬を飲みすぎたためなのかという、気血津液の過不足の中身の診察に、結構この脉状診は使えるのではないかと思う。
また、漢方には、奔豚だとか反胃だとか、色々な病症が出てくるが、そういう病症はそれらを診るだけでその裏側にある病理が隠されている。その病理の大本は現在我々がやっている気血津液の虚実的な過不足という形である。
伝統鍼灸の光を消さずに後世につなぐためにも、我々が提唱している漢方鍼医会の正規路線をすすめていくことが重要になろう。

【参考文献】
「素問」・「霊枢」(日本経絡学会編)
「素問・霊枢・難経・傷寒論のハンドブック」池田政一著
「古典の学び方」池田政一著
「漢方医術講座」(漢方陰陽会編)
「経絡治療学原論」福島弘道著
「日本鍼灸医学」基礎編(経絡治療学会編)
「日本鍼灸医学」臨床編(経絡治療学会編)
「伝統鍼灸治療法」池田政一著
「漢方鍼医」(漢方鍼医会編) 
「難経解説」(東洋学術出版社)
「日本経絡学会誌」(日本経絡学会編)
「日本伝統鍼灸学会雑誌」(日本伝統鍼灸学会編)
「経絡治療誌」(経絡治療学会編)
  「鍼灸医学と古典の研究」丸山昌郎 (創元社)
「島田隆司著作集」島田隆司 (日本内経医学会)
「難経本義大鈔」森本昌敬斉玄閑 (漢方鍼医会編)
「蔵象学説の理論と運用」宮脇 浩 (創医会)
「敬迪集」矢数道明 (思文閣出版)
「脉状診の研究」井上雅文 (緑書房)
「鍼灸治療基礎学」代田文誌 (医道の日本)
「気の研究」黒田源次 (東京美術)
その他