◆お脉を拝見・・・・    杉田玄白さん

 

今月は杉田玄白さんのお脉を拝見しよう。

 玄白さんといえば、彼が40歳の安永2年(1773)に全5冊本として翻訳出版された西洋解剖学書『解体新書』が有名でありますな。しかし、あの翻訳本は中津藩医であつた前野良沢が中心となり殆どを翻訳されたようじゃ。玄白さんは小浜藩の漢方医でありオランダ語の語学知識は殆ど無かったようじゃ。玄白さんの仕事は、いわば企画部長ですな。翻訳の計画立案から作業進行や出版までを、それこそ寝食も忘れて3年6ヵ月よく頑張ったものじゃ。この玄白さんの頑張りがあって『解体新書』は不完全ではあるが無事に出版され、その後の蘭学興隆のさきがけとなったのじゃよ。

 その影響は医学の世界は勿論ではあるが政治の場にも大いに進展をもたらしたものじゃ。大村益次郎・坂本龍馬等の仕事を通して「明治維新」が達成されたのも、その基礎は蘭学にあるのじゃよ。

 この様に見てくると玄白さんは大変に立派な仕事をされたものじゃ。しかしこの仕事には大変に危険な要素も含んでいたのじゃ。一つ間違えば命や財産、地位までも失いかねない内容を持っていたのじゃよ。当時の日本は「鎖国」中であったからのう・・・・・。この様な事は玄白さんが83歳の時に書いた『蘭学事始』に詳しく書かれとる。

 玄白さんには著作が20位あるようじゃが、84歳の時に書いた『モウテツ独語』という本がある。その中に「脱肛」に苦しんだ体験を『・・・上ノ七穴(目・口・鼻・耳)ヨリモ、イカナルカ下ノ二穴ノウルサクツラキ事ハ、アゲテ数エガタク、マズ肛門ハ日々飲食ノ槽粕ヲ泄ス第一ノ要所ナレバ、自由ニナクテハ叶ワヌ所ナルニ、老者ノナライ多クハ秘結ガチニテ、厠ニ居ルヲ長ク、寒風ノ時ナドソノ苦シミイワンカタナシ。マタ、ソレニツケテハ便ゴトニ脱肛シ、急ニ納マリカネ、マタタダチニ座ニモツキガタク、イロイロ手当テシ、湯ニテムシアタタメ、ヨウヤクニシテ元ニ納メテノチ、初メテワガ身ノヨウニ覚ユル事ナリ・・・・』と真に迫って描写しておる。読者にも深く納得する者もいる事じゃろう・・・・。

 さて『脱肛』なる病症についてじゃが、直腸あるいは直腸粘膜が肛門外に脱出する病症であり、虚弱な小児や老人に多く見られるようじゃ。そして、その病因の多くは中気の不足、気虚下陷、肛門弛緩や大腸の湿熱(寒)等によるとしておる。初期症状は大便排泄時に肛門が脱垂するが、これは自然と納まる。進行すれば肛門の脱出は長引き、手を用いなければ納める事が出来ず、運動・疲労・労働・喘ュ・入力時などのたびにおこる。もし脱出して時がたっても納められなければ、局部は紫赤色となり腫痛ははなはだ激しくなり、終には潰爛して重篤な病症になり予後不良となってしまうのじゃ。中々に厄介な病気であることか・・・・。

 脉状は沈にして遅(数)虚を呈している症例が多く、多くは慢性的に移行するものじゃ。
さて治療じゃが、湿熱に対しては小灸が中々に効果大であるぞ。ツボは「百会」「身柱」「陽関」等が基本じゃな・・・・。湿寒に対しては「長強」の 置鍼じゃ。加えて局部の温布も中々に良いものじゃな。勿論、全身の気血をめぐらして置く事は当たり前の事ではあるがのう・・・。

 最後に一言、小生はこの種の病症に「玄米食」を大いに推奨しておる。
  次号では「夏目漱石」さんのお脉を拝見する予定じゃ・・・。