◆お脉を拝見・・・   夏目漱石さん

 

今月は夏目漱石さんのお脉を拝見しよう。 

  漱石さんといえば千円札の肖像画が有名ですな。 何とも人が良さそうで、少し神経質な寂しそうなお顔で微かに笑っているようだが。
漱石さんは、二十世紀に読まれた国民的作家として第3位に選ばれており今だに大変人気が有る様じゃ。しかし、漱石さんは小説家になんかなる積もりは無かったようじゃな。東大の教師として英文学を教えておった。そして、明治国家より英国留学を命令されたのじゃよ。それも第1号としてのう。期待されておったのじゃよ。
  だが、この英国留学が後々まで漱石さんの身体を苦しめることになったようだ。ノイローゼ・糖尿病・神経痛・皮膚病・それと持病の胃潰瘍等々・・・本当に漱石さんは多病であつたなぁ・・・。

 では、漱石さんは何故作家になったのであろうか。そこには正岡子規の存在が大変に大きいとわしは思っとる。子規は漱石さんの先輩であると共に中々に意固地な性格であったようじゃな。しかし、子規の文学に於ける感化力は大きく、その影響で漱石さんは文学に開眼したのだのう。子規が死んだのは、漱石さんがロンドンに滞在中であった。漱石さんは男泣きに泣いたものじゃ。そして文学に進む事を決心しロンドンをあとにしたのじゃ。

 ついでに「漱石」の雅号についても書いておこう。「漱石」という雅号は子規が一時使用していたそうじゃ。それを漱石さんは譲り受けたと言われておる。この「漱石」の雅号には、へそまがり・負けず嫌いという意味が隠されておるそうじゃ。出典は、中国の「蒙求」という書にある有名な故事からでているようだのう。

 さて、漱石さんの偉さはどこにあったのかと言うと、わしが尊敬しておる司馬さんの説 によるとじゃ、「文章日本語」の成立に功績があった人の筆頭が漱石さんであるとしておる。次いで正岡子規がつづくというのが司馬さんの持論であるようじゃな。要するにじゃ、手紙とか通知とか書類とかに誰でもが書ける日本語を作ったのが漱石さんというわけじゃ。ここに、漱石さんの偉さがあると言うのじゃ。

 先にも書いたように漱石さんは大変に多病であり、生涯にわたり病気に苦しめられたようじゃな。中でも「胃潰瘍」にはほとほと難儀をしたようじゃ。 明治43年(1910)「門」の執筆が終わったころ、漱石さんは胃潰瘍の療養の爲に伊豆修善寺にて静養しておる。しかし、この年の8月24日の夕刻に突如大吐血 がおこったのじゃ。この時に30分間の死を体験する事になる。
  この経験を「思い出す事など」の中で『強いて寝返りを右にうとうとした余と、枕元の金だいらに鮮血を認めた余とは、一分の隙も無く連続しているとのみ信じていた。その間には一本の毛髮を挟む余地のないまでに自覚が働いて来たとのみ心得ていた。程経て妻から、左様じゃありません、あの時30分ばかり は死んでいらしったのですと聞いた折は全く驚いた。その間に入りこんだ30分の死は、時間から言っても、空間からいっても経験の記憶として全く余に取って存在しなかったものである。妻の説明を聞いた余は、死とはそれ程はかないものかと思った。・・・・』と述懐しているのじゃ。

 この「死」に直面した経験は、漱石さんをますます内省的にさせ『則天去私』の心境に立ち入らせる事になるのじゃ。そして、「行人」「こころ」「道草」等々の作品が生み出される事になった。そして大正5年(1916)8月21日に再び大吐血をおこしたのじゃ。以後出血や人事不省を繰り返し、12月9日午後5時過ぎに臨終を迎える事になるのじゃ・・・。

 さて漱石さんを苦しめた『胃潰瘍』なる病症についてじゃが、わしの療堂にもけっこう来堂しておるぞ。漢方的には胃潰瘍という病証名は無く「胃かん痛」がこの病症にあたるようじやな。それも、内傷より発症した胃かん痛が正しいと思うが。
  内傷による胃かん痛は現代人に多く発病し、特に脾胃の虚寒・陰虚による食積・痰飮・気滞・お血などにより胃痛をおこすのじゃ。この脾胃の虚寒よりおこる胃痛の多くは空腹時に激しくなり、食を得て熱を得れば緩解するものじゃ。また、手で按ずる事を喜び、四肢が脱力して力なく、食も少なくなり溏泄便を下すようになる。脉は沈細にして無力(遅)な脉状を呈するものじゃな。

 また、脾胃の積熱による胃痛は、多くは胃熱が盛んとなり、症状も胃痛は時々ではあるが、その痛みは切迫し胃かん部に灼熱感があり、口唇は乾き、身熱し面赤く汗多くして便秘となる。精神的にも不安定となり、反対に食が大いに進む様になる。脉は沈にして弦数の脉状を呈するものじゃな。
  さて治療じゃが、虚寒の病症には脾虚を補し温陽に徹することじゃな。積熱の病症には陰実の改善に意をそそぐべしじゃな・・・・・・。そうじゃ、虚寒の治療に臍部に行う「知熱大灸」はお勧めじゃぞ・・・・。

 最後に一言、漱石さんは本当に偉い人であった。その漱石さんの「腦」が、現在も東大医学部に保管されている事を読者は知っておられるかのう・・・。