トップページへ
日本胃癌学会が胃がん治療のガイドライン案をまとめた。背景には、医師は科学的な証拠に基づいて治療法を選ぶべきだ、との考え方がある。「証拠に基づく医療」(Evidence Based Medicine=EBM)と呼ばれる現代医療の基本思想だが、日本では軽視されてきた。案が「日常診療」と「評価未確立で研究段階の治療」を明確に区別したのも、EBMの考え方に基づいている。
胃がん治療は医師によってバラバラだ。同じ病状の患者に対する治療が内視鏡でがんだけを小さく切る手術から、胃全体とひ臓を取る手術にまで分かれる。どれが良いか基準はなく、患者は戸惑うばかりだった。
証拠に基づいて治療結果を比べ、採るべき治療を絞ったのがガイドライン案だ。学会の専門家が一昨年から多くの医学論文を検討し、議論を重ねて作った。
証拠の検討は本来、医療に欠かせない。証拠がないと、専門医が良かれと思ってした治療でも、患者に害を与える場合がある。1970年代の英国では手術できない肺がん患者に対し、副作用を減らし効果を上げるため、多種類の抗がん剤を
少しずつ使う専門医が多かった。だがこれが最善だとの明確な証拠はなく、臨床試験が行われた。
188人の患者を▽一種類だけ使う ▽抗がん剤を4種類使う▽使わない・・の3グ ループに分けて治療した。最も長生きしたのは抗がん剤なしの患者。4種類使うグループは最低だった。
専門医の見解が実際の証拠で覆った例は、ほかにいくつもある。
◆厳しく評価
EBMでは、根拠薄弱な治療は厳しく評価される。薬で患者の免疫力を上げる「免疫化学療法」は今回、「否定的な証拠が多い」ため、日常診療としても研究的な治療としても勧められなかった。手術後の抗がん剤治療は「延命効果を示す証拠が乏しい」と「研究的治療」に入れられた。
免疫化学療法では現在、3種類の薬が健康保険で認められている。総売り上げは年間約 組み方向 80 億円。だが「外国では認められない薬で、医療費の無駄。なくなる薬だと思う」と打ち明ける製薬会社もある。
厚生省保険局は「薬事法で承認されたものは、ほぼ無条件で保険でも承認している。今回の厳しい評価にどう対応するかは、現段階では答えられない」。医薬安全局審査管理課は「抗がん剤は、薬を早く患者に供給するため、少なくとも1割程度の患者でがんが縮むと分かった段階で販売を認めている。延命効果はもともと、販売前には審査していないと」話す。
手術後の抗がん剤は十数種類ある。国立がんセンターは以前からホームページで「効果ははっきりしていません。服用しないようにしたほうがよい、との考え方は間違いです」と明記していた。だが胃癌学会のアンケートによると、一般病院の4分の3が原則として使っている。証拠軽視の医療がまかり通ってきたのだ。
◆疑問と反発
「専門医の意見より証拠」というEBMに、反発する医師は多い。今月18日に新潟市で開かれた胃癌学会では、ガイドラインという医療の標準を作ること自体への疑問が出た。
鹿児島大第1外科の愛甲孝教授は、医療内容の公開という点でガイドラインの必要は認めたが、疑問点として「診療報酬の削減に悪用される恐れがある」「標準と違う医療をした場合、医療訴訟に悪用されないか」「患者は一人ひとり違い、一律の標準治療は適用しにくい」と指摘した。
これに対して、ガイドラインの作成委員の一人、笹子三津留・国立がんセンター中央病院外科部長は、反論した。
@ 医療費削減は時代の流れ。削減しても医療の質を落とさないため、ガイドラインは必要だ
A 標準と違う治療もありうる。違うという事実を患者に説明し納得を得ればよい
B 6〜7割の患者には標準通りの治療が最善だ。それ以外の場合に何が最善かは通常、証拠がなくて分からない。証拠なしに「これが最善」と患者に押しつけるのは医師の裁量権の誤用だ。
◆さらなる改善を
EBMには判断の根拠として、信頼性の高い証拠が必要だ。米国保健政策研究局は「証拠の質」を「レベル1」を最高に4段階に分類している。
だが日本では過去、臨床試験が軽視されており、質の高い証拠は少ない。笹子さんは今回のガイドラインについて「基づいた証拠の質はほとんどレベル3以下。今後の改善は欠かせない」と説明する。
慶応大放射線科の近藤誠講師は「手術後の抗がん剤などを厳しく評価したのはうなずける。しかし手術への評価が甘く、証拠重視に徹していない。胃の周囲のリンパ節を取る手術を勧めているが、根拠が弱い。実験的な医療と認めるべきだ」と話している。