◆研究

脉状と脉証の臨床考察-2

9.沈脉の臨床考察
@沈脉の意味論
 沈脉とは、前項の浮脉の反対の脉である。
形態としては『脉経』で「之ヲ挙ゲレバ不足、之ヲ按ズレバ有余」としているとおり、脉全体または中脉の位置が脉診部の中間より下に位置する脉状である。脉診部に当てた指を浮かせてくると虚ろな感じがするが、沈めていっても簡単には消えない脉である。
 季節でいえば冬の脉である。
 五蔵では腎水の大過脉である。
 病証としては蔵病や陰病を現す脉状である。
『難経』の陰陽脉状の分類では陰に属する。
 臨床の場での病脉としての沈脉は、浮脉と違ってそう簡単には中位に浮かない、継続的治療を要する脉である。また、気を漏らしたり選穴を誤ったりして脉が開いたときにも、中位に浮いてきたようにみえるので、よく観察しなければならない。遅数・虚実など他の脉状との組み合わせから、常に病理を考えながら証や選穴につなげなければならない。
 病理としては、ひとことでいえば陽気衰である。特に陰の部においての陽気が虚している。陰の邪(寒・湿)が蔵・陰経・腹中に侵襲してきている脉でもある。
四大病型では陽虚証が八割から九割、それから陰実証・陰盛証がからんでくると思われる。

 三焦の考え方では、
 上焦に出る病症は気鬱・少気(息が充分吸えない)
 中焦では寒積・宿食(消化不良)・中満(ガスがたまる)
 下焦では厥逆・痼冷・寒湿・水蓄
 いずれも冷えのぼせの症状である。

 古典の記述では
「裏ニアッテハ陰トナシ、湿トナシ、実トナス」 (『脉法指南』)
「沈脉ハ邪裏ニアリ、気鬱・疼痛ヲ主リ、藏府冷エ、三焦フサガリ・・・手足冷ユルナリ」(『脉法手引草』)
「沈脉ハ陰逆・陽鬱ノ候ナリ。実トナシ、寒トナシ、気トナシ、水トナシ、停飲トナシ・・・脇脹トナス」(『診家枢要』)
 沈脉のときは陽気が不足しその働きが低下して冷えを呈する。全て陰病である。また病は裏にあるというが、その「裏」を臨床的にはどう考えるか。諸説があるがここでは単純に陰経・藏府と解釈する。つまり陰経や藏府の陽気が衰えて冷え、停滞による病症を呈するとき沈脉となる、ということになる。
 また、沈脉の際の陰陽の気を考えると、陽気が表面に出てこられないというのは、陽気が裏に閉じ込められて表面に出てこられない、という場合もある。
このときも、遅数脉との兼ね合いがあるが、大体は働きが低下して冷え・停滞の病症になってくる。

 人迎気口診の外感・内傷の診方も重要である。
「人迎ニ相応ズルトキハ、寒、陰経ニ伏ス。気口ニ応ズルトキハ、血、腹蔵ニ凝ル」(『脉論口訣』)
 これも冷えの病症を現している。

A沈虚の脉証について
「沈細ハ少気トナス、沈遅ハ痼冷トナス」(『診家枢要』)
 これは陽気虚による『冷』を示すもので、臨床的病証としては陰経や藏府に問題があり陽が冷えている。先の言葉でいえば裏の虚を意味する。そして身体がそれだけ抵抗力を失っていると寒邪が当然入ってくるから、身体の痛みや水分の貯留による全身の浮腫などの病症を現してくる。
だから逆に脉証の沈虚は病因としては「寒湿の邪」を表すと考えてもいいだろう。寒湿の邪というのは、平たく言えば冷えであり水である。水分の邪とは「飲食の邪」でもある。
  

《陽虚証について》
 沈虚の脉証は陽虚を現す。陽虚というものはいきなり現れるのではなく、まず精気の虚があって陰虚があって、陰虚がだんだんこじれたものが陽虚だと考えればよいと思う。陽虚には四段階あるという説もあり薬方では細かく分けているようであるが、ここでは陽虚により外寒が現れる、この陽虚のときの脉状が沈虚であるということでよいだろう。

『素問』調経論(六十二)では病証として「陽虚外寒」を説明している。
 まず精気の虚から陰虚を呈する。それから陽虚の前段階で気虚になる。気虚とは外因やストレス等によって気血のバランスが崩れ、血が停滞したために気が少なくなった状態である(血気離居)。気が少なくなれば機能低下を引き起こすから、病症としては冷えに移行する。気が多く在るのは表であるから、表が虚して外が冷える。
 また表の衛気が虚すると抵抗力が落ちるから外邪が侵入しやすくなる。寒湿の邪によって陽気が表に出てこられなくなり、寒は外に留まって、陽虚外寒証を呈する。

 陽虚外寒証の臨床の場における基本的病症は、
 全身の倦怠感・皮膚寒症(皮膚を触ると冷たい)・食欲不振(食べてもすぐ満腹)・少気頼言(繰言を言う)・悪寒(寒くないのにぞくぞくする)・口渇なし・自汗(午前0時からの陽の時間)・小便清長・四肢厥冷・遺精・眩暈(たちくらみ)・足汗(冷え)・全身の浮腫・頭重痛・陽虚喘(冷えると咳が出る)・陽虚の発熱(微熱が続く)・腰痛(慢性の鈍痛)など。
 総じて冷えと停滞・全体的な機能低下の病症である。病症をいちいち憶えなくても、陽気が少なくなったために温める力が無くなって冷えるという基本的な病理がわかっていれば理解できるはずである。また、陰虚が前提になっているのだから当然陰虚の代表病症である消痩もあらわれる。
この陽虚外寒証の基本脉証が沈虚遅?である。
 特に沈虚脉の病症が慢性に移行している場合は遅脉を呈する。それに加えてホ脉や結滞がある場合の治療は本当に難しく予後不良である。病症が少し軽くなったと思っても、すぐにぶり返す。この場合は身体を温めるということをまず考える必要がある。福島弘道先生の電気温布・西沢道充先生の温鍼術、また灸頭鍼もそれが狙いであろう。
 冷えという病症からみると陽虚外寒証と陰盛内寒証とはよく似ている。けれども病理が異なる以上、証・選穴も異なる。要検討課題であり、病理産物の捉え方にその手がかりはあると思われる。

B沈虚の病因・病理について
 沈虚の脉証の基本的病理は、三焦の原気不足による陰虚が前提になり、そこに寒湿の邪が入ったために陽気が不足し、病症として寒症を現すという事である。  

 では右寸口の肺の部に「沈虚」の脉が現れた場合、どのように病理を考察するか。
「右寸ノ沈ハ肺ノ冷感、痰の停蓄、虚喘、少気・・・沈細ニシテ滑ハ骨蒸、寒熱、皮毛焦乾」(『診家枢要』)
「沈弱ハ陽虚、気滞ニシテ筋萎」(『脉論口訣』)
「沈細ニシテ滑ナルハ骨蒸ノ病ニシテ寒熱コモゴモナシ、皮毛乾キ渋ヲ主ル。沈細ナルハ少気トナス、臂ヲ挙ゲル能ワズ」(『察病指南』)
 このように病症は肺の冷寒、陽虚、気滞を現す。基本は「陽気不足」である。
 たとえば「虚喘」は冷えると出るセキ。就寝時など身体が温まったときに出るのは肺燥の虚熱からくる順のセキだが、虚喘は逆のセキで治りにくい。カゼをひいていても、微熱が続いたり、のどがいがらっぽくて元気が出ず食欲もない。おそらく症状を押えるために飲んだ薬が湿邪となったのである。他にも頭痛・咽喉痛・関節痛などいろいろあるが、全て症状としては軽微である。それから肩関節の上挙ができないもの、
 池田先生のお話で肺経が詰まって腕が上がらないのは簡単に治るというのはこれだろう。

 右関上の脾の部に「沈虚」の脉が現れた場合、これは脾の津液が不足していると同時に胃の陽気も虚している病証である。当然食欲はない。
「右関ノ沈ハ胃中寒積、中満呑酸」(『診家枢要』)
「沈ハ胸中満チ、呑酸、心腹痛ム。弱ハ胃虚シテ客熱ス」(『脉論口訣』)
「脉沈ナルハ心下満シテ苦シミ呑酸スルヲ主ル」(『察病指南』)
「胃中寒積」とは胃に寒がたまることで胃の陽気虚を表す。「中満呑酸」とは上焦が冷えて胃に熱がこもる病症。胸には本来熱があるのが順であるが、胸に熱が無くなり胃にばかり熱が残った状態になると酸っぱいものが上がってくる、これは湯液では重要な病症で、臨床でもよく遭遇するものである。ちなみに酸っぱいものが上がってくる患者で胸に熱があれば二日酔いである。のどが渇くのは胸の熱のせいで、この場合は呑酸とはいわない。
 臨床現場では、食欲がなく下痢をする、そんな病症が多い。臍の回りが冷えていたり、胃内停水もある。胃が冷えて胸に熱がこもっているときは食欲にムラがある。げっぷや腹鳴・食後の吐き気など老人特有の症状もこれである。老人一般の脉は全体に浮いた虚熱が多い脉であるが、薬など湿邪が入ると脉が沈んできて陽虚を呈するのである。

 左尺中の腎の部に「沈虚」の脉が現れた場合。腎というのは津液を生産する場所だから、基本的には津液不足と陽気不足を現す。具体的病症は腰下肢のしびれ痛・小便多利・失禁など。
「腎ノ蔵、寒ニ感ジテ腰背冷痛、小便濁リテ頻。男ハ精冷トナシ、女ハ血結トナス」(『診家枢要』)
「沈ハ冷気、腰痛、小便白シ、弱ハ骨肉痛ム、気血トモニ虚極」(『脉論口訣』)
「沈ニシテ細ナルハ名ズケテ陰中ノ陰トイウ、両脛疼痛シテ立ツアタワズ。陰気衰少シテ小便余瀝、陰下湿痒ス」(『察病指南』)
 腎の正脉は沈濡にして滑、つまり陰脉がふたつ・陽脉がひとつだから、いつも沈んではいないでふわっと浮いてくる脉であるが、それが完全に沈んで虚ということは、腎陽の脉である濡脉が消えて、つまり陽気が不足して右のような症状が出るのである。陰虚で浮いている脉は年をとればある程度自然のものであり、不定愁訴はあっても命を脅かすような病症はない筈であるが、沈虚の脉を現すとやっかいな痼疾といわれる病症を現してくる。  

 左関上の肝の部に「沈虚」の脉が現れた場合、これは肝血の不足から肝の陽気が少なくなっている。臨床の場では手足の冷え・下痢・食欲はないが食べれば食べられるという状態、このような病証を血虚、亡血、肝陽虚などと表す。
「沈ハ両脇脹満、手足冷、腹内疼痛。弱ハ筋痿、目暗、血気虚ス」(『脉論口訣』)
「脉沈ナルハ、心下痛ミテ気短ク、両ノ脇脹レ満チテ、手足時ニ冷エルヲ主ル」(『察病指南』)

 以上、各脉部において単独に考えてきたが、実際の現場でこれを導入するには色々な臨床技術が必要であろう。一番顕著な問題のある脉部があったら、このような比較を試みるのも面白い。また、たとえば中満呑酸などの病症があったとき、逆に右関上の脉が他の部位と比べて沈にして虚していることを確かめれば、この脾の陽虚を何とかすればよいということになる。
 余談であるが、この脾虚陽虚にはへそ灸(知熱大灸)がよく効く。臍の上で普通の知熱灸の3倍くらいの大きさのものに火をつけるのだ。神闕穴に三焦の原気を賦括させる働きがあるのだろうか。また陽虚に百会の小灸、ただし逆気がない場合に限るが、これも大変気持ちのよいものである。

C沈実の脉証について
 沈実の脉証で、一番問題になるのは陰実証・陰盛証とのからみである。
「沈ニシテ力アルハ実トナス」(『脉論口訣』)
「沈ハ陰逆・陽鬱ノ候トナシ、実トナシ、寒トナシ、気トナシ、水トナシ、??Nトナシ、停飲トナシ、脇脹トナシ、厥逆トナシ、洞泄トナス。・・・沈滑ハ宿食トナス。・・・沈ニシテ数ハ内熱ニシテ、沈ニシテ遅ハ内寒ナリ。沈ニシテ弦ハ心腹ガ冷痛スルナリ」(『診家枢要』)
 沈で力のある脉は『実』であるという。これは血が陰藏に凝るということ、藏府のどこかに熱や血が停滞していることを示す。つまり「陰実」の脉である。
 臨床的病証は、裏の実熱を意味する。もちろんこの場合の脉には数が絡むと思われる。病邪が裏に潜伏して実証を呈しているのである。
 一方『調経論』は内因・外邪と陰盛との関係について、肝の精気が不足したために陰邪(寒湿の邪)が陰経に直接入り、「陰盛」を呈するのだと述べている。それによると、内傷の「怒」が精神的ストレスとなって肝気を侵して旺気させ、そのために肝気が逆上して下の陰が虚した状態になる。その虚に乗じて寒湿の邪が直接陰経に入り、そこに充満して陰盛となる。逆しているため身体の力が弱まっていて、寒を排出することができず血脈が滞ってしまうのだ。病症は内寒になる。
 また、精神的過労などで五蔵の気が逆上して、これが続くと足から上焦まで冷えが上ってくる。この逆気の状態のときに寒湿などの邪気が陰部に直接侵入する。そのために陽気が陰の部にまで充分循らなくなり、血が冷えて気血ともに滞ってしまう。この陰盛の状態になると、経脈の流れが悪くなるため身体の内部まで冷える。
 これが陰盛内寒証であり、基本脉証は沈実遅?である。
 この時の沈実(遅)の脉証の臨床的病証は陰気の停滞を現す。寒を伴った諸症状を呈する。

《陰実証と陰盛証について》
 陰実証は血熱で病症は熱を現すという難経型の考え方と、陰盛証は内寒であり冷え病症を現すという素問型の考え方、それのどこに問題があるかというと、脉の遅数ではないかと思われる。また?血病証でも、初期は血熱状態で熱病症を現すけれども、経過するにしたがって冷えていく、このあたりを臨床現場でどのように的確に捉えていくか。
 前段でも引用したとおり、『診家枢要』では「沈ニシテ数ハ内熱ニシテ、沈ニシテ遅ハ内寒ナリ」という。沈にして弦は心腹が冷え痛むというのであるからこれも内寒であろう。つまりここでは沈実の脉証に対して、遅が絡むか数が絡むかで「内熱」「内寒」二通りの説を立てている。これが陰実証と陰盛証を見分ける参考になる。

 沈実にして数の脉証は陰実による内熱病症、陰部における熱や血の停滞を現す。臨床では皮膚表面をなでると冷たいが芯には熱がある。ここでいう沈実脉は必ずしも堅い脉ではなく、?・数が絡んでいるような脉である。  

 沈実にして遅の脉証は陰盛による内寒病症、陰気の停滞を現す。皮膚表面も冷たいが中まで冷えている。脉は弦で堅く、下腹部の冷えなどの病症を現す。この陰盛病証は陽虚外寒証が進んだ状態で、かなり重篤な、今でいう末期がんのような病症であり、われわれの臨床室にはあまり来ない。いわゆる七死脉でも遅脉は死に通ずるというように、気がどんどん無くなっていってしまって、死に至るのである。
 当会(漢方鍼医会)でも陰実ということを研究している人が何人かいるが、これからは血熱だけではなく内寒証的なものも、研究項目として視野に入れていく必要がある。病理を考える上で寒熱は今後ますます重要になっていく。東洋医学では、病とは極論すれば熱と冷えであるといってもよいだろう(もちろん気血水の過不足論がその前提としてあるが)。
 実熱・虚熱、実寒・虚寒にどのように気血津液が絡んでくるか、それを見分けるのが脉状であり脉証であると思う。また治療する段階で、病状の変化を脉診により確認することができれば、脉をもっと診断学・治療学・病理解釈に活かせるだろう。  

 では実脉(沈実)とはどのようなものか。臨床では「陰にて得る脉、ある脉」確かにそこにあると感じる脉だというのが基本であるが、これではあまりにも大雑把である。
 古典では実脉についてどのように記述しているか。
「大ニシテ長、微カニ強シ。之ヲ按ズルニ、指ニ隠レテ??然タリ」(『脉経』)
「実脉ハ心火ノ大過脉也」(『瀕湖脉学』『図註脉訣』)
「実脉ハ病内ニアルヲ主ル。邪実(風寒)ハ痛・熱ヲ爲シ、血実(水穀)ハ食積等ヲナス」(『察病指南』) 

 沈における実の脉はこのように、陰の部にわずかにしかも強く触れる脉で、あまりはっきりとはしていないが押えていってもいつまでも存在を指の腹に感じて中々消えない脉。必ずしも弦脉のように指に強くあたる脉ではなく、注意しないと見落とすような場合もある。そして何らかの病症がある場合は必ずこれが遅か数に移行している。
 ちなみにお血の脉となると、沈実に?が絡んでくる。?とは竹の皮を切れない刃物で削るようなしぶった脉だという。気の実脉ともいい、弱くて渋っているだけでなく割とはっきりした脉である。これを施発の『察病指南』脉図で確認すると、円の中に縦線がいっぱい入って3本くらいぎざぎざのとげが出ている。つまり意外と堅さがあるということである。臨床では乾燥した季節、皮膚が乾いている人、汗をかきにくい人によく見られるし、アトピーの場合も必ずおけつがある。
 

 さて脉位のどこかにこのような実脉があった場合、それをどのように診断していくか。これは切診や問診をして病症を考えながら探っていけばよいだろう。 たとえば陰実ということになると肝実証が基本とされるが、必ずしもそれだけではなく、脾の脉位も注意する必要がある。右関上に沈んだ実脉を触れた場合は病理は胃の実である。これが数がかっていたら食欲はあるが、これは病的な食欲である。またおそらく便秘があり肝虚証の証が立つだろう。ちなみに右関上の浮実の脉は風邪で、この場合とは別物である。中国の鍼灸や漢方の書籍の大部分が病症学であることからもわかるように、脉状診を身につけるためには脉を診るとき常に病症を確認してみることが大切なのである。

D沈実の病因・病理について
 沈実の脉証の基本的病理は、藏府のどこかで熱や血や陰気が停滞していることを現す。臨床では一般的には裏の実熱を意味し、この場合は数であるだろうと考えられる。これが遅脉になると『素問』でいう内寒的な病症が考えられる。  

 肺の脉部に現れる「沈実」の脉証は、病理として肺実(肺燥)を考える。基本的には脉位が浮より少し下がったところに?がかった堅い脉を触れる。(弦脉)
「沈ニシテ緊滑ハ咳嗽。沈細ニシテ滑ハ骨蒸、寒熱、皮毛焦乾」(『診家枢要』)
「寸脉沈ナレバ胸ニ痰アリ」(脉法手引草)
「沈ハ咳嗽。実ハ上焦ノ熱、喘嗽、痢病」(『脉論口訣』)
「沈緊ニシテ滑ナルハ咳嗽ヲ主ル。沈細ニシテ滑ハ骨蒸ノ病ニシテ、寒熱コモゴモナシ、皮毛乾クヲ主ル」(『察病指南』)
 痰には、薬方では多くの分類があるが、大きく分けて乾痰と湿痰(見分け方:痰を吐いたときにくるくると丸くなるのが乾痰・ぺちゃっと広がるのが湿痰)のうち、ここでいうのは乾痰であると思われる。上焦の熱により肺の津液が乾いているのである。もちろん数脉である。胸に熱があるから、特に就寝時など身体が温まると必ずセキが出る。この胸の熱を取り去る便法として、熱の左右差を診て実熱の強いほうに接触鍼程度の瀉的な手技を施すとすうっと熱が取れる。
 この肺燥の病理には、肝虚などから肺の津液が不足して発症するものと、熱病の誤治から肺そのものの熱になったものがある。証は主に肝虚証で、腎虚証の場合もある。

 脾の脉部に現れる「沈実」の脉証は、それが遅か数かで、病理として胃の部に余分な「水」が多くなっている場合と、陰部に「熱」がこもるために食欲がなくなる場合が考えられる。この部の脉証は特に、病理と病証を通じて臨床実践しないと治療を誤ることになる。
「沈ハ胃中寒積、中満呑酸。沈緊ハ懸飲」(『診家枢要』)
「関脉沈ナレバ気短、心中痛ム」(『脉法手引草』)
「沈実ハ脾蔵虚シテ不食。口乾、胸中熱、痢病」(『脉論口訣』)
「沈ナルハ心下満シテ苦シミ呑酸スルヲ主る。沈緊ナルハ懸飲トナス、沈ハ下ニアリ、則チ実トナス」(『察病指南』)
「懸飲」とは水が停滞しているために気の循環が阻害されている状態。中焦が冷えているから食べられない。そのために熱が上に上がって口が渇くし、胃が 冷えているから下痢をする。この場合臍を触ると冷えている。これらは脾虚の病症である。反対に「中満呑酸」は中焦に熱を持って胸部が冷える病症である。
 臨床において、脾の脉部に現れる「沈実」の脉証を『脾実』と捉えることは大変危険であり、証を誤ることになる場合が多い。
右尺中命門の脉部の「沈実」は下焦の熱を意味する。妊娠の脉であり、長脉・弦脉がある。妊娠は生理的なものであるから脉はあまり堅くならないし、大して遅にも数にもならない。数が絡むときは腸の重篤な病も考えられる。

 肝の脉部の「沈実」の脉証は、病理として?血(積聚・痃癖)か肝経の熱実を考える。
「沈実ハ痃癖、積聚、腹痛、目暗痛ム」(『脉論口訣』)
「沈ハ寒、経ニ伏ス、両脇刺痛ス、沈弦ハ痃癖内痛ス」(『診家枢要』)
「沈ハ心下痛ミテ気短ク、両ノ脇脹レ満チテ、手足時ニ冷エルヲ主ル。沈ニシテ弦ナルハ痃癖ニシテ腹内痛ムヲ主ル」(『察病指南』)
 お血病証の場合、脉を重按して診ると渋った実脉を触れる。そして将来的には必ず冷えてくるから遅で?を帯びる。ただし血熱の段階では数。脉とともに必ず腹診におけるお血反応も確認すること。
 また、肝経の熱実の脉証は沈実にして数である。女性が生理のときに風邪をひいたときなどに現れる。

 腎の脉部に現れる「沈実」の脉証。この病理は腎の津液の不足であり、腎虚証で治療することになる。
 『察病指南』には「遅脉ハ腎虚也」とあり、『脉法手引草』にも「遅脉ハ腎虚シテ安カラズ、又陽虚裏寒トス。外ニ冷症ヲアラハス。三部遅ノ見ワルル所ニテ、上中下三焦ノウチ寒冷イズレゾト弁エシルベシ」とあるのは三焦の原気不足を表していると理解しているが、実際の臨床室で腎虚になるのは陰虚の虚熱による数脉が多いようである。遅脉になると予後不良である。
「沈ハ腎ノ蔵、寒ニ感ジテ腰背冷痛、小便濁リテ頻。男ハ精冷、女ハ血結トナス」(『診家枢要』)
「沈実ハ小便不通、腰痛、小便赤シ」(『脉論口訣』)

E沈脉の臨床考察
 まず臨床応用に入る前に、四時との関連を考えなければならない。冬は脉はやや沈んで遅くなっているのが正脉である。季節を考えた上で浮沈の脉位を考えること。『素問』玉機真蔵論(19)に「冬脉ハ腎也。北方ハ水也。万物ノ蔵ニ合スル所以也。故ニ其ノ気来ルニ沈ニシテ以ッテ搏ツ。故ニ営と曰ウ、此レニ反スルモノハ病ム」とあるとおりである。
 病証的には、沈脉は蔵病や陰病を現す脉証である。
 臨床で沈虚の脉であればまず裏が虚している。陽気が不足しているのだ。病症では寒病症を現す。証でいえば「陽虚証」である。
 沈実の脉であれば、血・水が停滞している。血が実して停滞している場合は内熱(陰実証)になるが、水が停滞した場合は冷える(陰盛証)。また血実は少し経過するとH血になり冷えにつながる。この弁証には脉証の数遅が鍵になる。もちろん病理考察により病症を理解することが重要である。
 基本的選穴は、沈虚は病理として裏虚の陽気不足による冷えを現すから、陰経では土穴、寒病症が強ければ火穴、表の冷えを伴えば金穴もあり得る。陽経では下合穴。
 沈実の脉証は、病理としては陰部の陽気や血の停滞だから、陰経は木穴か?穴。血熱病症に寒症状が伴えば水穴。陽経は胆経・小腸経の木穴か絡穴が基本となる。いずれにしても経穴反応が不可欠である。 (次号につづく)