基本用語〔9 陰 陽(いんよう)

 陰陽理論は中国古代に確立された哲学である。古代の人々は自分達の生活を大きく左右する自然現象に、一定の法則性(周期)があることを知っていたものの、時にはそれが大きく変わり対応に苦しむことも体験していた。彼らは未来を予測しうるすべがあればと試行錯誤を重ねたに違いない。彼らは気候を天文をその他の自然の営みをよく観察し、それらの総ての事柄を包含しうる法則として陰陽理論を確立したものと推測される。

 陰陽理論は大きくは宇宙の始まり、天地の創造を説き、天変地異を始め総ての事物現象の成立・性質や発展・変化に対する認識の基礎概念である。人間についてもこれを小字宙とみなし、人体の生命活動についてまた社会生活についても陰陽の考え方が深く関わっている。人間に関わる森羅万象を陰と陽の関係によって解釈したのは「易経」である。また、天文と気象が人体に及ぼす影響を説いたのが「素間」の運気に関わる論篇である。 これらは陰陽理論としては充実した書と言えるであろうが、我々が学ぼうとずる漢方医学からみればやや距離のあるものと思われる次第で、我々が基礎理論として修得すべき陰陽理論は、「素間」の陰陽応象大論を初めとする「素間」「霊枢」の諧篇を中心とすべきものと思う。これからの話はその考えに従って進めることにする。

1、自然界の陰陽
 医学部門に入る前に自然界の陰陽を見ながら、陰陽に対する一般的知識を略記しておくことにする。
「准南子」の天文訓など等によれば、宇宙の始まりはまだ形もなく混沌たる広がりがあるのみ(太陰)であった。やがてその混沌とした広がりの中から気が生じた。更に、この気が分化して清軽(清く軽い)な気(陽気)と、重濁(濁り重い)な気(陰気)とに分かれる。清軽な気は昇って天となり重濁な気は降って地となる。天地の陰陽の二気から四季を生じ、更に四季によって人を含む万物が生じたと自然界の成立の経過を述べている。

(1)陰と陽の対立と制約
 陰陽理論はあらゆる事象を対立と相互に制約し合う二つの側面から捉える思考法である。最初に自然の陰陽をどの様に見ているかを記すことにする。

 「陽を積みて天となし陰を積みて地となす、陰は静か陽は躁がし、陽は生じ陰は長ず、陽は殺し陰は蔵す、陽は気を化し陰は躁形をなす、寒極まれば熱を生じ、熱極まれば寒を生ず。地気は上りて雲となり天気は降りて雨となる、雨は地気に出でて雲は天気に出ず。水は陰となし火は陽となす、陽は気となし陰は味となす」(素問、陰陽応象大論篇)
 「陰中に陰あり陽中に陽あり、平旦(朝)より日中に至るまでは天の陽・陽中の陽なり、日中より黄昏に至るまでは天の陽、陽中の陰なり、合夜より鶏鳴に至るまでは天の陰・陰中の陰なり、鶏鳴より平旦に至るまでは天の陰・陰中の陽なり、故に人もまたこれに応ず」(素問、金匱眞言論篇)

 以上の文中に自然界の陰陽分類が多角的に記されている。陰陽は気の表現である。気のありどころ、その作用・存在・時間など対照的に述べられている。条文の内容を含め陰と陽の属性を表に記す。

陽―陰
天―地
上―下
左―右
外―内
表―裏
末端―中心
拡散―収縮
出る―入る
昇る―降る
浮く―沈む
夏(春)― 冬(秋)
昼(朝)― 夜(タ)
南(東)― 北(西)
明るい―暗い
熱(温)―寒(涼)
火―水
動く―静か
作用―形
発生―成長
※ 医学部門は別に記す

 以上のように陰と陽の属性は相反する関係にあるが、単に対立ものとしてみるべきではない。対立すると言うことは相手があってのことであり、共に存在し共に成り立つという事である。また対立すると言うことは相互に制約し合うと言うことでもあり、一方に偏することを防いでいることになるのである。陰と陽は対立し制約しあい、その結果として統一されていると言えるのである。
 このように話を進めてくると、陰と陽の対立関係は絶対的なものと思われるかも知れないが実はそうではない。陽の事象を更に陰と陽とに分けることが出来るし、陰の事象についても同じように分けることが出来る。その分けたものを更に分けることもできるのである。「陽中に陽あり」「陽中に陰あり」「陰中に陽あり」「陰中に陰あり」なのである。陰陽は相対的に思考する理論なのである。言い方を変えれば、事象の属性が陰・陽どちらに傾いているかという事になる。例を挙げれば、昼は陽であり夜は陰であるが朝より日中までは陽中の陽・日中より黄昏までは陽中の陰、合夜より鶏鳴に至るまでは陰中の陰・鶏鳴より朝までは陰中の陽となるのである。
陰陽の分け方について「素問」陰陽難合論篇から紹介しておく。

 「黄帝曰く、我聞く天を陽となし地を陰となす、日を陽となし月を陰となす、大小の月三百六十日にして一歳をなす、人またこれに応ず、今三陰三陽は陰陽に応ぜず、その故は何ぞや」。「岐伯答えて曰く、陰陽はこれを数えて十なるべく、これを推して百なるべく、これを数えて千なるべく、これを推して万なるべし、万の大勝えて数うべからず、然れどもその陽は一なり」。
 これを小曽戸丈夫先生の「意釈・黄帝内経素問」に見ると、「陰陽と申しますのは万物を大まかに二つに分けた分類でありますから、上と下とか表と裏とか言うように厳密に二つに分けなければならないものではございません。必要に応じましては十に分けようと百にしようと或いは千にも万にもしようと勝手であります。つまり、都合の良いように分類すればよろしいので…」とある。要するに陰陽は絶対的なものではなく相対的なものであって、臨機応変に運用される考え方なのである。

(2)陰と陽の消長
 陰と陽の対立する属性は互いに制約的に作用し、事象の相対的平衡を維持する。則ち、対立と統一である。もし一方が過大になると他の一方の不足を引き起こし、或いは一方が不足すれば他の一方の過大を引き起こす。このような状態を「陰陽消長」という。これを四季の気候変化で見ると冬から春・春から夏への変化「陰消陽長」の過程であり、夏から秋・秋から冬への移行は「陽消陰長」の過程である。この陰と陽とのシーソー間係は医学上重要な見方となる。

(3)陰陽の相互転化
 陰と陽の相互の消長は、陽から陰へ・陰から陽への転化の一つの過程と言える。陰陽は一定の条件の基では相互に転化することがある。陰が転化して陽となり陽が転化して陰となるのである。「霊枢」論疾診尺篇では「四時の変、寒所の勝は重陰は必ず陽なり、重陽は必ず陰なり、故に陰は寒を主り陽は熱を主る。故に寒甚だしければ熱し、熱甚だしければ寒す。故に曰く、寒は熱を生じ熱は寒を生ず、これ陰陽の変なり」と述べている。

 また、「素問」陰陽応象大論篇には「寒極まれば熱を生じ、熱極まれば寒を生ず」ともある。これらに言う「重」とか「極」が転換を促す条件となるのである。
暦を例に取る。「夏至」は最も昼が長い(陽の極み)の日であるが、これを機に陰に転ずる(隠遁)、「冬至」は最も夜の長い(陰の極み)の日であり、これを機に陽に転ずる(腸遁)。

(4)陰腸互根
 「互根」とは相互に依存し合うことを言う。陰陽の双方はいずれも相手の存在によって自己の存在が成り立つのである。従って「独陰」や「独腸」では存在し得ない。又、既に述べたように陰腸は一定の条件の基で互いに転化することが出来る。さらには「陰は陽より生ず」「陽は陰より生ず」という表現もなされている。これは人体の生理を理解する上で重要な考え方である。
 以上、自然界の事象を見ながら陰陽理論の概略を述べた。陰陽は「対立と統一」という矛盾を踏まえた思考であり、相対的な臨機応変な理論である。それ故に森羅万象を包含し得るのである。

2、人体の陰陽
 人間は天地の間に存在し、天気(陽気)と地気(陰気)を受けて生命活動を営んでいる。このことを大前提として漢方医学は成り立っている。人間を小宇宙とみなして自然界の陰陽の法則を人体にも適応しているのである。素問・生気通天論篇に「夫れ、古より天に通ずる者は生の本、陰陽に本ずく」とある様に、自然の陰陽の変化に逆らうことなく生活するならば健康を維持できるとしている。
「素問」四気調神大論篇には次のようにある。

 「夫れ四時陰陽は万物の根本なり、故に聖人は春夏は陽を養い秋冬は陰を養う、以てその根に従う、以て万物と生長の門に沈浮す、その根に逆らえば則ち本を伐ちその眞を破る、故に陰陽四時は万物の終始なり、死生の本なり、これに逆らえば則ち災害生じ、これに従えば則ち苛疾起こらず、これを道を得るという。聖人はこれを行い患者はこれを排す、陰陽に従えば則ち生き、これに逆らえば則ち死す」

(1)解剖面の陰陽
 まず、「素問」金匱真言論篇の記載を記す。
 「夫れ人の陰陽を言う時は、則ち外を陽となし内を陰となす、人身の陰陽を言う時は、則ち背を陽となし腹を陰となす、人身の臓腑を言う時は、則ち臓を陰となし腑を陽となす、肝・心・脾・肺・腎の五蔵は皆陰となし、胆・胃・大腸・小腸・膀胱・三焦の六臓は皆陽となす。背は陽となし陽中の腸は心なり、背を陽となし陽中の陰は肺なり、腹を陰となし陰中の陰は腎なり、腹を陰となし陰中の陽は肝なり、腹を陰となし陰中の至陰は脾なり」

  ここでは人体の内外の陰陽と背と腹の陰陽、五臓六腑の陰陽について述べているが、これらを含めて解剖面の陰陽を細かく見ていくことにする。
上下の陰陽―隔(横隔膜)より上を陽とし、隔以下を陰とする。従って胸は陽であり腹は陰となる。
 前後の陰陽―背腰部は陽・胸腹部は陰。動物の背は天に向かい腹は地に面しでいる。これと同じように見る。
 男女の陰陽―男は陽・女は陰。男は動的であり女は保育をなす。
 内外・表裏の陰陽―外と表を陽・裏と内を陰となす。
 左右の陰陽―左を陽・右を陰とする。天子(皇帝)は南に向かって座るものとされ、その姿勢に於いては左は東・右は西になる。太陽の昇 る東を陽とするので左側を 陽とする。
 組織・器官の陰陽―皮膚・血脈・肌肉・筋・骨は陽、五臓六腑は陰となす。皮膚・血脈・肌肉・筋・骨は人体の外を形作り、内部に五臓六 腑を容れ保護しているので 五臓六腑を陰とする。
 皮膚・血脈・肌肉・筋・骨の陰陽―皮膚・血脈を陽とし、肌肉・筋・骨を陰とする。この五つの組織は外皮から内裏に向かって層を成してい る。外皮から二組織を陽とし 、内裏の三組織を陰となす。
 五臓六腑の陰陽―五臓の心・肺・脾・肝・腎を陰とし、六腑の胆・胃・大腸・小腸・膀胱・三焦を陽となす。五臓は精を蔵するので陰であり、 六腑は伝送を役割とし、ま た本質的には「空」であるので陽となす。
 五臓の陰陽―五臓のうち心・肺を陽臓とし、脾・肝・腎を陰臓とする。心。肺は隔上胸にあるので陽、脾・肝・腎は隔の下腹部にあるので陰 とする。更に、心は血の循 環を主り季節では夏・火などの関連から陽臓中の腸臓とし、肺は粛降を主り秋・金・冷涼等の関連から陽臓中 の陰臓とされる。また肝は陰臓であるが疏泄を主り春・ 木・温暖などの関連から陰臓中の陽臓となし、腎は五臓中最も下に位置し水臓と も言われ冬・水・寒の関連から陰臓中の陰臓とする。脾は腹部の奥深いところに位 置するので至陰とされる。

(2)生理における陰陽
 人体の生理を営むものは「気」であり、大きくは陽気と陰気とに分けられる。 その属性は次のようになる。
陽気―陰気
作用―形
外表を巡る―内裏を巡る
上に向かう―下に向かう
亢ぶり、盛んなもの―抑制、弱まる
軽やかなもの―重苦しいもの
温かい―冷たい
気―血
衛気―営血
(衛気を)衛―気
(営気を)営―血
衛―営
津―液
 概略は以上のようになるが、陰陽は渾然一体となっていることが多くはっきり分けることが難しい。気のありどころ・運動の方向・その性質などで陽気となり陰気とみなしたりするのである。

 次に、生理に関わる古典の記載を見ることにする。

 以上の古典の記載によって、前の陰陽属性の分類が理解されたことと思う。更に表の説明を捕足しておく。
 気と血の陰陽―気血は人体の生理活動の基礎をなすものであり、相互に依存し会っているがこれを気と血とに分けて見る時は、気は作用・働きを主とするもので、血は形をなすものとするのである。また、気は脈外を行き血は脈内を行くと共に全身を巡るのであるが、気が血の推進を担っているとしており、故に気は陽・血は陰となすのである。

 衛気・営血の陰陽―気と血の生理上の主たる作用を伏して表現したのが衛気・営血である。衛は気が外表(皮毛部)を巡って外邪(外因)の侵入を防ぐ防衛作用を表現している。営は血の栄養作用の担い手である。従って衛と営は作用であるから陽であり、気と血は実体であり形であるから陰となる。先に気は陽・血は陰としてみたが衛と営とを言えば、衛は外の守りであるから陽であり営は血と共に脈内を行き栄養作用を行うので陰とするのである。

 津と液の陰陽―津液は体内の総ての水液の総称であり、血も津液から化成されたものである。津液も本を正せば脾胃によって飲食物から作り出される精徴な気に由来する。全身各組織・臓腑に至り、外は皮膚・肌肉を潤している。津と液は一体化されやすいが区別がある。津は全身に広がり肌肉を温潤し皮膚を栄養し、また汗となりその性質は陽的である。液は営血と共に全身を巡り筋骨・間節などに注がれ関節の運動を滑らかにし、さらには骨髄・脳髄ともなる陰的性質を持っている。故に津を陽となし液を陰とするのである。

 生理上触れるべき事柄は他にも多い。気・血・営衛・津液についてももっと述べることがあるし、精・気・神や五臓六腑の生理に伴う陰陽の面にも触れなければならないが、それらについては他の担当者が記述されるので、これに譲ることにする。

3、病因の陰陽
 漢方では病因を大きく三つのグループに分ける。外因・内因・不内外因である。

(1)外因は、気候を構成ずる六つの要素を言う。即ち、風・熱・湿・燥・寒・火である。これを六因とも言う。一年の四季はこれらの要素がその季節なりに表れるならば 気候は順調であり、人体もそれに対応しその変化に順応し正常を保つことが出来る。しかし、気候は往々にして時ならぬ変化を来すことがある。春に冬の寒さが戻ったり、或いは暑さと晴天であるべき夏に長雨が降り冷涼であったりする。その様な時には人の身体も対応しえずに病むことが多い。古人にとっては気候異変は病因としては大きな意義があったと言える。
 の六因は外界から人体に作用するので、これを外邪とも言い、これを感受した病を外感病とも言う。外邪はいずれもまず人体の皮毛や皮膚を侵犯するか、それとも鼻や口から吸入されるか、或いは同時に犯されるかである。外邪の内、風・熱・燥・火の四つは陽に属し、湿・寒は陰に属する。しかし、外感病はいずれにしろ急性に現れることが多く、しかも発病時は発熱を伴う場合が多い。

(2)内因は、身体の内部に生ずる発病因子を言うのであるが、特に精神的要因を言う。即ち「素問」挙痛論に「余は知る、百病は気より生ず、怒れば気が昇り、喜べば 気緩み、悲しめば気は消え、こわがれば気下り、寒ければ気は収縮し、熱ければ気下り、驚けば気乱れ、疲れれば気消耗し、恩考すれば気結ぶ」とある。このことは気(神の気、精神状態)五臓に少なからず影響を及ぼずことを説いているものと理解できる。また「内傷なければ外邪入らず」とも言われる。体内の気が乱れていなければ外界からの影響は受けることがないとするのである。
 七情とは、喜・怒・憂・思・悲・恐・驚の精神状態を言う。また五思という時は、喜・怒・憂・思・恐の五種の状態を言う。この五志は、喜は心・怒は肝・憂は肺・思は脾・恐は腎とそれぞれ深い聞連があるとするのである。これらの情意がひどく乱れたり、或いは長期に渡って安定を失う時は関連の臓の気を乱し病の本となるとしている。また、逆に各臓が病む時は、関連する情意の乱れを引き起こすことにもなるのである。この五志の内、喜・怒は陽であり憂・思・恐は陰である。

(3)不内外因とされるのは飲食物の気が、飽食・労倦・房事過多など体内で臓器を損なう事柄や、強い力で重い物をかつぎ気血を痛めたり打撲など臓器を傷つけたりする事柄である。
 労倦は生気虚損の病を引き起こす要因を言う。

 1、は房である。房失症とも言い過度の性生活は腎精を消耗し疲労による病の病因となる。

 2、は五労で二つの考え方がある。

 「医学綱目」では五臓の疲労のこととして、心労は血が損なわれ・肝労は精神が損なわれ・脾労は食が損なわれ・肺労は気が損なわれ・腎労は精が損なわれるとある。また、「素問」宣明五気篇では五労を次のように言っている。「長く見ると血を痛め、長く伏すと気を痛め、長く座ると肉を痛め、長く立つと骨を痛め、長く歩くと筋を痛める」。

 更に、「諸病源候論」虚労項では七情として病因となる疲労による損傷を七種類あげている。「一に曰く、大いに飽食すれば脾を痛める…二に曰く、大いに怒り気逆すれば肝を傷める…三に曰く、強き力で重きものを持ち上げ或いは長く湿地に座すれば腎を痛める…四に曰く、形を冷やし若しくは姦淫すれば肺を痛める…五に曰く、憂愁思慮すれば心を痛める…六に曰く、風雨寒暑は形を痛め…七に曰く、大いに恐れ節度を逸すれば志を痛める」。

 不内外因を陰腸に分けることは難しい。病因一般に言えることは、病因の陰陽よりも身体の陰気(陰液)・陽気のいずれを損じたかを知ることの方が重要なのである。

4、病理・病症の陰陽
 人体が正常に機能を保っているのは、人体各部にある陰陽の気や環境の変化に応じて体内を循環する陰陽の気が相対的協調間係を正常に保っているからである。 即ち、身体の内外・表裏・上下・臓腑などの気の陰陽平衡が保たれているならば健康である。何らかの原因により陰陽の気の協調が失われるとき病理過程が始まり、病の発生への進行となるのである。陰陽は相互依存であり、また相互に協調・制約し合い平衡を保つ関係にある。陰陽の平衡が失われると言うことは、陰陽一方の偏盛又は偏衰のいずれかによるのである。

 「素問」陰腸応象大論篇には次のようにある。「陽勝てば則ち陰病み、陰勝てば則ち陽病む、陽勝てば則ち熱し、陰勝てば則ち寒す」。
また「素問」調経論には次のようにある。「陽虚すれば則ち外寒し、陰虚すれば則ち内寒す、陽盛んなれば則ち外熱し、陰盛んなれば則ち内寒す」。

 外は陽・内は陰、熱は陽・冷えは陰、陽が勝てば熱するとは陽は熱性であり活動的であるのでこの陽気が偏盛になれば熱を主とした病症を表す。陰が勝てば寒するとは、陰は寒性で消極的であるので陰気が偏盛になれば寒を主とした病症を表す。

 陽が勝てば寒するとは、陰は寒性で消極的であるので、陰気が偏盛になれば、寒を主とした病症を表すのである。陽が勝てば則ち陰病むとは、陽は陽熱を指し陰は陰液を指す。陽熱が盛んすぎるか、或いは虚火が妄動すると陰液を損耗させる。総て陽気盛んは陰の不足する病症を引き起こす。

 陰が勝てば則ち陽が病むとは、陰は陰寒を指し陽は陽気を指す。外寒の寒邪は体表の陽気の活動を制約し、或いは陰寒が内部で盛んな場合は臓脈の陽気の衰弱を引き起こす。総て陰寒が勝つと陽気を損じる病症が現れる。

 陽虚すれば則ち外寒しとは、陽気は陽の部位である外に多い。従って陽気が不足すれば外(陽経のある部位)が冷えて、悪寒・痛み・麻痺などが現れる。逆に陽気が陽の部位に多くなれば外は熱し発熱や腫れ物などの病症が現れる。

 陰虚すれば則ち内熱すとは、陰気は陰の部位である内(陰経のある部位)に多い。従って陰気が不足すれば内に熱症状が現れる。便秘・口渇・四肢倦怠感など。逆に陰気が陰の部位に多くなると内が冷えて消化木良の下痢・元気がない・手足ともに冷えるなどの病症が現れる。 

 これまで述べてきたように陰陽の気は一方が弱くなると他の一方が強くなる関係にあるが、言い方を変えると陰陽の気には相手の不足を満たし合う性質があるとも言える。

 「傷寒論」に次のようにある。
「説いて曰く、病に悪寒してまた発熱するものあるは何ぞや、答えて曰く、陰脉不足、陽行きてこれに従う、陽脉不足、陰行きてこれに乗ず、 曰く、何をか陽不足という、答えて曰く、例えば寸口の脉微、名付けて陽不足という、陰気昇りて陽中に入れば則ち悪寒するなり、曰く、何をか陰不足という、答えて曰く、例えば尺脉弱、名付けで陰不足という、陽気仮寒して陰中に入れば、則ち発熱するなり」。

 寸口の脉が微であれば陽気の不足があるとする。陽気が不足すればこれに陰気が入り込んで来る。その為に悪寒が現れる。尺中の脉が弱であれば陰気の不足があるとずる。陰気が不足すれば陽気がこれに入り込んで来る。その為に発熱する。以上の関係が、陰陽の間の病理の基本なのである。

 ここまでは陰陽の協調による病理であるが、病が重大な段階に達した場合には陰陽が共に虚する状況が発生する。例えば大出血・激しい嘔吐・激しい下痢・高熱などで急激に陰液を失うと、陰虚が陽虚にも及び陰虚ともに虚に陥る。陰陽互根が成り立たなくなる状態である。 病症にも陰と陽の区別があるがその項目はあまりにも多く、ここに触れる紙数がない。大まかな分類基準だけ記しておく。
腸症―陰症
急性―慢性
強盛―衰弱
亢進―減退
躁がしい―静か
温熱―寒冷
乾燥―湿潤
腑―臓
浮―沈
数―遅
5、診断と治療の陰陽
 素問・陰陽応象大論篇に、次のように書かれている。
「陰陽は天地の道なり、万物の綱紀・変化の父母・生殺の本始・神明の腑なり、病を治するには必ず本を求む…」陰陽は総ての本だから、治療をする時は陰陽を考えてしなければならないと言うことである。これを踏まえてのことであろうと思うが、経絡治療においても「診断は陰陽・治療は五行」と言われて来た。前の項目で病理・病症を陰陽論で述べたので、その結果として診断も陰陽で考えることは当然の手順と理解できると思う。

 病理では陽気と陰気の盛衰(実・虚)、寒熱、内外の関連を考察したこれらによって錯綜する病症を整理し、病臓を明らかにするのが「八網」の診断法である。八綱は陰・陽・表・裏・寒・熱・虚・実を言い、陰と陽は病の類別、表と裏は病の部位の深さ、寒と熱は病の性質、虚と実、邪気と病と生気の協調・盛衰を分別するのである。この内、陰陽の二項が八綱の中心であっで、他の六綱を統括する。

 表・熱・実は陽に属し、裏・寒・虚は陰に属するのである。陰陽・表裏・寒熱・虚実の四組の矛盾は相対的であり、また相互に緊密に結びついてもいる。例えば表症でも表寒・表熱・表虚・表実の区別があるし、また表寒・裏熱・表熱・裏熱・表虚・裏実・表実・裏虚など錯綜する複雑な間係もある。さらには一定の条件の下では、この四組の矛盾の双方が相互に相手に転化することもある。表から裏に及ぶ、裏から表に出る、寒症は熱に化し熱症が寒に化すなど様々に転ずるのである。

 加えて、病の本質が寒症であるのに、寒が頂点に達したために熱に伴う諸症状を表す「真寒仮熱」や衰弱して重大な状態に至った病でありながら、一見実症状と見られる状態を示す「真虚仮実」等も表す。

 このように患者の表す病症は陰陽・虚実・寒熱・内外様々であるから、患者の愁訴を細かくチェックし病の本質を見極めなければならない。チェックの手段は望・聞・問・切という四診法によって患者を外から観察し、声・言葉・呼吸或いは体臭や息の臭い、時には排泄物の臭いを嗅ぎ、また患者から病の発言やその経過・生活環境などを問い、さらには患者の身体に触れて寒熱っ肥痩・浮腫や硬結などの異常を触知するのである。

 これらに加えて重要なのが脉診である。脉にも大きく陰と陽とがある。現代の脉診は概ね手首の橈骨動脈拍動部で行うが、左右のこの部を寸・関・尺の三部に分けてみる。手に近い部を寸と呼んで陽を診る部位とし、肘に最も近い部を尺とし陰を診る部位としている。さらには三部左右合わせて六部に臓腑を配当し、六部に現れている脉状の意味するところを考え四診と合わせて「証」(診断と治療を含む)を立てるのである。

 古典医書では二十四脉とか二十八脉とか言われているが、ここではそのうち七表八裏。

 七表(陽)の脉−−浮・洪・滑・実・弦・緊・?
八裏(陰)の脉−−微・沈・緩・?・遅・伏・軟・弱これに数脉を加えて陽脉を代表して、浮脉(表病)数脉(熱病を表す)実脉(邪あるいは生気の充実を表す)。

 陰脉を代表し沈脉(裏症を表す)遅脉(冷えを表す)虚脉(生気の衰弱を表す)を挙げて脉状の分類の基本としている「難経」では浮脉・滑脉・長脉を陽脉。沈脉・?脉・短脉を陰脉としており、他にも異なる記載がある。
寸部を陽の現れるところ、尺部を陰の現れるところとする診方では、寸尺に現れる脉が陽脉なのか陰脉なのかで病の陰陽の関係を推理するのである。

 前に「診断は陰陽、治療は五行」と言ったが、経絡治療では「証」を五臓の虚実で表す。従って八綱による分類では 鍼治療に結びつかない。八綱分類がどの臓腑に由来するのかを思考推理しなくてはならない。その為には生理の項で省いた臓脉の生理・臓象理論を把握しておかなければならない(市成修氏の執筆あり)。臓腑にも陰陽があり、また個々の臓腑にもその働きに陰と陽とがある。それらの陰陽の気が相互に影響し合って生理を営んでいる。そのシステムのどこに・どの関係に陰と陽との平衡が破られたのかを病症から推理し診断を下し治療を導き出さなければならない。

 治療の基本は実を瀉し虚を補う。熱を暖めず冷えを冷やさずである。鍼治療では五行穴と言われる経穴を補瀉することで陰陽の気の虚実を調整し結果として寒熱の平衡を得るのである。寒熱のみならず陰陽の気のバランスを調整することによって多彩な病症の解消が可能なのである。経絡治療はそれを期待できる医学なのである。