基本用語〔8 虚 実(きょじつ)

 鍼灸治療の本質は『虚実を弁えて補瀉する』と言われる。臨床の場では虚実を診断し、虚なら補、実ならば瀉という手技を用いて治療を進める。このように、鍼灸治療にとって虚実の正しい理解は最も重要なものとなっている。
その為には、病気の本質である精気の虚の理解と病理はもちろん病症も虚実に鑑別できなければ正しい鍼灸治療は進められないのである。ここでは虚実の定義とその種類等につきその要点をまとめてみる。

1.虚実の定義
虚とは正気の不足した状態である。
虚は不足・不及・損小などとも表現される。これは陰陽の気(働き)の弱りである。また形質や血・津液の不及した状態をい う。
虚には精気の虚・病理の虚・病症の虚がある。
精気の虚とは、蔵が持っている気が虚した状態。
病理の虚とは、陰陽の気や血や津液が不足した状態。
病症の虚とは、現れる諸病症の虚である。 実とは正気の不足より生じた邪気実の状態である。 

 実は有余・大過・盛などとも表現される。これは陰陽の気の異常亢進である。また形質が旺盛になった状態。あるいは物や気が停滞・充満した状態。実には邪実・旺気実・病症の実がある。
邪実とは、正気の虚に乗じて侵襲した外邪によって陰陽の気血が、生体のどこかに停滞・充満した状態。
旺気実とは、陰陽の不調により気血が旺盛に成った状態。あるいは停滞・充満した状態。
病症の実とは、現れる諸病症の実であり旺気実や邪実と重なる場合が多い。

2.精気の虚
陰陽は相対的な関係にあるが虚実は別である。
病気になるのは虚があるからだ。虚がなければ決して病気にはならないというのが古典医学の基本であり、これが『陰主陽従説』といわれこの医学の大きな特長となっている。では病気とはどの様な状態を言うのか。この事は素朴な問いかけではあるが非常に重要な意味を持った疑問である。

 病気とは何かについて素問「調経論」にて種々論じている。それを少しく考察する。

 素問「刺法論」を踏まえて黄帝が問う。『 鍼の刺法には、有余には瀉を不足には補を行うとあるが、その有余不足とは何を言うのか』。これに対して岐伯は『有余に五、不足に五ある。何が有余不足かと言うと、神・気・血・形・志の事である』と答えている。
この問答の意味するところは重要である。病気とは「神・気・血・形・志」の有余不足にあると解答している。この「神・気・血・形・志」は五蔵の精気の事であり、この精気が虚したり実したりしたのが病気であると言うのである。素問「六節蔵象論」に、この「神・気・血・形・志」の五蔵配当がある。それによると、心は神・肺は気・肝は血・脾は形・腎は志を蔵するとあり各蔵府の基本性能が論じられている。そして、五蔵の精気の働きは気血となり経脈を通じて全身に循環して身体を形成している。

 病気は五蔵精気の虚を基本として発生する。この様な精気の不調により気血の流れに不順が起こり経脈の虚実が生じるのであるとしている。この考えの基本が、蔵府経絡説で説く経脈と蔵府は一体であるとする論である。古典鍼灸は随証治療が基本である為に「病証」や「証」の病理的把握が重要な診察行為となる。その為に臨床に於ける病症治療は、病名や個々の症候に対するのではなく「全人的調整」がその目的となっている。故に治療の基本は蔵気の調整にある。この様な基本的理解の立場より、実地臨床の場では「精気の虚」を診断し、陽気・陰気の過不足を診察する事が「証」の決定には最も重要となる。

3.病理の虚
病理の虚は精気の虚より発生する。
病気は五蔵の持っている精気の虚により始まるのだが、その精気の虚はなぜ発生するのか。それは各自が持っている体質の強弱 や性格的な偏り等より何らかの変調は持っている。しかし、この状態ではそれなりの健康を保っている。これを『素因』という。この素因の段階で現れているのが精気の虚である。この状態は、単なる疲労回復か養生法で来院する患者である。
しかし、多くの患者は精気の虚に飲食の過不足や房事過度、労倦、精神疲労等を加えて精気だけでなく、その蔵の持っている陽気や陰気、あるいは血や津液にまで不足を来して来院するようになる。つまり病理的変化を起こしてくる。これも虚であり精気の虚よりも進んだ状態であり「病理の虚」と表現する。
例えば、肝の精気が虚している時に労倦が原因となり、腰痛や筋肉痛等の病症を発生した状態である。これは、肝虚に血虚が加わり腰痛等の病症が惹起したという事です。 

 精氣の虚→内因・不内外因が加わる→虚が発生(病理の虚)  

4.病理の実
病理の実も精気の虚より発生する。
精気の虚(陰)に何らかの病因が加わり虚が強くなると、どこかの陽が実になりやすくなる。つまの一方に虚が発生すると一方に実が発生する事がある。素問の太陰陽明論第29に『陽道は実し、陰道は虚す』とある。この様な陰陽のバランスにより発生した実は旺気実といわれる。 

 精氣の虚→内因・不内外因が加わる→虚が発生→旺気実が発生

次に邪実の発生について考察する。
これには、精気の虚に対して外邪が直接的に侵襲して物の停滞や充満が起こり邪実となる場合と、虚に内因等が加わり病理の虚を発生させ、その虚に外邪が侵襲して新たに邪実を発生させる場 合がある。この二つはともに邪実であるが病理の違いがある。こ の病理の違いが区別できないと治療としての補瀉を間違える。
実に対する補瀉の基本は、旺気実には陰陽の調整としての補法をし、外邪よりくる邪実には瀉法、病理の虚よりくる邪実は補法が基本となる。

 精気の虚→内因・不内外因→外邪→邪実(寫法)

5.病症の虚実
病症の虚実とは、患者が現わす諸病症そのものに現れる虚実の事である。
病気は精気の虚があるから起こる。これを本質の虚ともいう。この本質の虚に内因や外因等が加わり病理の虚が発生する。つまり血や津液等の物の不足が加わった状態となる。この様な状態で病症を訴えてくる場合と、これに旺気実や邪実が加わって病症を訴えてくる場合がある。治療は、まず精気の虚を補うことが基本となる。しかし、臨床の現場では病理の虚実等も診察し選穴や用鍼や手技等により補瀉の量を加味した治療を行うのが一般的である。 

 以上のような治療にて訴える病症が取れれば良いが、往々にして取れない場合がある。このような時には現わす病症に対して直接的に治療を加えねばならない。この為に諸病症を虚実に分ける必要が出てくる。その分け方には一定の法則がある。『難経』48難の条文が基本となる。病症を虚実に分ける基準には三種類ある。すなわち脉と病症と触診である。これの要点を次にあげる。

 脉の虚実・・脉状が濡であれば虚とし、牢であれば実とする。濡は虚・弱・微・こう脉等を現わし軟らかい脉である。牢は堅いという意味で あり、脉状では実 ・洪・大脉を現わし全体に力ある脉状である。

 病の虚実・・大便・汗・小便など排泄物が出るものは虚とし、逆に便秘・小便不利・無汗など出ないものは実とする。また訴えの多い多弁 な人は虚とし、無口の 人は実とする。あるいは病症が急激な場合は実、緩慢なものは虚とする。

 診の虚実・・按圧して気持ちの良い場合は虚とし、痛みが増す場合は実とする。 以上が病症の虚実を分ける基本であるが、どれを主と して区別するかは病症の種類によって違いがある。

 ここで、肝虚証を主証とした血不足による腰痛の病症を訴える患者の治療について考察する。精気の虚や病理の虚実に基ずいた治療 により病症はかなり緩解したが、未だ完治には至らない症例については病症の虚実による治療が必要となる。具体的には、腰痛の部分 を按圧して気持ちがよければこれを虚痛とし補い、反対に痛む場合は実痛として瀉す。

 また、筋肉痛などの痛みの病症については、局所の触診を主として虚実を分ける。たとえ脉状が全体に虚脉であっても、髪の毛に触れられない程の頭痛であれば、この病症は実痛とする。熱病の場合は無汗を実とするが、脉状が虚脉であればこの無汗は虚と診て瀉法は加えない。逆に汗が出ていても、脉状が実脉であれば瀉法を加える。また、悪寒と発熱の病症がある場合は、熱が多くても少しでも悪寒があれば、悪寒を主病症として治療を行う。
いずれにしても病症だけで虚実に分ける事は無い。臨床的には全身的病症は脉状を主とし、局所の病症は触診を主とする場合が多い。また、急性熱病は病症と脉状を主とし、慢性的病症は触診を優先して補瀉の手技を加えるのである。

 【参考文献】
「素問」「霊枢」「難経」
「素問・霊枢・難経・傷寒論のハンドブック」池田政一著
「古典の学び方」池田政一著
「漢方医術講座」漢方陰陽会編
「経絡治療学原論」福島弘道著
「日本鍼灸医学」経絡治療学会編
「伝統鍼灸治療法」池田政一著
「漢方鍼医」漢方鍼医会編