基本用語〔2〕 血(けつ)

 血液である。血液は古代の全世界で生命の原動力と考えられ、中国も例外ではなかった。ただ、中国では物を動かし、変化させる因子として「気」という概念が早くから登場し、それが古代世界で生命ないし生命の原動力と考えられた「息」をも含意したために、生命の原動力として血と気の二種類のものが考えられた。戦国時代末期〜秦代には同じく生命の原動力であっても、血は脈(当初は血管を指した)の中にある水に似た陰的な存在、気は(恐らく脈の外にあり)火に似た陽的な存在と考えられた。

 このような血と気は骨・筋・皮・肉などの身体要素に比べれば重要性を持つが、それら身体要素と格段に異なるものとは考えられておらず、一緒に五行に配された。五行配当においては当然のこととして、気は火に、血は水に配された。気は時とともに思想的に重要性を増しつつ概念の適用範囲を拡大し、全存在の構成要素と考えられるようになった。したがって、人体もその思想で解釈され、身体は気から成り、血もまた気から成り、その帰結として血は気の一種となった。
気の思想の発展に伴って気の重要性が増大し、気が血・骨・筋・皮などの身体要素と同じレベルで扱われなくなると、気はそれらと一緒に五行に配されることがなくなった。気に取って代わるものとして皮・毛などが採用された身体要素の五行配当においては、血は心との関連が重視され、以前とは陰陽的に正反対の火に配された。

 気の思想が展開する中で、血の生理機能を受け継いだと思われる営気が脈中を行き、これと伴走して脈外を衛気が行き、脈を巡るものは気であるとする考え方が登場する。これ以後、脈を血と気の通路とする考え方と気の通路とする考え方が併存することになり、また五行的にも血を水と捉えるか、火と捉えるかなど、同一の身体要素について複数の異なる概念が存在することになった。全体的な流れとしては気を中心とする身体観が整えられていくが、見えない気と違って見える血はその後も中国医学において重要や役割を担いつづけた。

 血は消化器官が吸収した飲食物のエッセンスを主な材料にして中焦(体幹の中央部にあると考えられていた器官)で作られる赤い液体である、と『霊枢』は説明する。また、血は液体であることから、水に関係する機能をもつと考えられた腎(五藏の中では五行の水に配される)の貯蔵するエッセンスから作られる、と考えることもあった。血の機能は身体各部の栄養分と水分を供給することであり、身体各部は血の供給を受けてそれぞれの機能を営む。血の供給を肝臓が受けると目がよく見え、足が受けると歩くことができ、手が受けるとつかむことができ、指が受けるとつまむことができる、と『素問』は述べている。
血の能力は大雑把に言えば、壮年期をピークとするサインカーブを描き、生命力の大小は血の盛衰と比例する。血の状態は季節・天候・居住環境・外傷などの外的要因、体内器官の状態や感情などの内的要因によって影響を受ける。例えば季節の推移が順調であれば血の状態も基本的に良好であるが、それが不順であると血にも乱れが生じることや、温暖であると血はスムーズに流れ、寒冷であると血の流れは渋滞する、などというものである。

 血と気はバランスを保ちながら規則的に全身を循環するとき、身体は健康である。ただし、女性は気が余り、血が不足する傾向を持つ。また、太陽経は多血少気、少陽経は小血多気、陽明経は多血多気、少陰経は多血少気、厥陰経は少血多気、太陰経は多血多気というように、経脈には血と気の量にアンバランスがあるが、このアンバランスは経脈の陰陽の特性を決定するものであり、病的なものではない。

 血に関係する病証には主なものとしてお血(あるいは血お)、血虚、血証がある。お血は血行が渋滞して血が集積するもので、血を活性化させる治療を行う。血虚は体内の血が不足するもので、血を補う治療を行う。血証は血が脈外に非生理的に溢出するもので、止血治療を行う。