◆研究

臨床と用鍼

トップページ

演題の「臨床と用鍼」の用鍼について、私の今日の話は「鍼というものは武士で言えば刀」で最も重要な武器であるとともに、これがあったればこそ治療が出来 るのですから、そこにいく以前の、臨床の場面に出るまでに鍼というものにどのような形で携わってきた か、という話を若干お話したいと思います。〔参考・臨床に使用する鍼について

 「九鍼」についてですが、出来れば全部使いたいのですが未だそこまでいっていません。我々の臨床の 中でどの用鍼をどのような形で使っていこうかと思案しております。研修で使っているのは殆んどてい鍼か毫鍼で、それも殆んど刺入しない接触鍼か刺入しても大体一ミリ位 です。研修会ではこういったものが多いのですが、臨床の現場でもそういう風にされている先生も見えま す。しかし、必ずしもそうではなくお灸あり留置鍼あり瀉血もありで、中には根性の座骨神経痛や、どう いう治療をしても治らないような慢性的なものは鍼を深く入れなければいけないものもあります。

 治すのが一番ベターですが、その臨床室である程度は病症を良くしなければ食べてゆけないし、治療室 の繁栄にも繋がらないわけです。最初の時はなりふりかまわず、電気温布で暖める等と色々なことをして少しづつ患者さんを増やし信頼を勝ち取る。そしてある程度の信頼が出てくると、それから我々が追試している漢方はり治療的なやり方で十二分治療の効果が発揮できるようになると思います。その前の段階、又は漢方はり治療をやるようになった段階で、どんな素晴らしい鍼灸師でも必ず治せない時がかならず出てくると思います。

 証を変えたり色々なやり方で治療してもどうもうまくいかない。そういう場合、臨床家それぞれが工夫 をして学的なものを総動員して行っていると、ひょんなことからすっと良くなることがあります。例えばツボの取穴を変えただけで良くなったり、お灸も透熱灸に変えたら嘘のように症状が消えたり、又は指先 から刺絡をしたらそれが好転の手掛かりとなってどんどん良くなった・・・。そういうようなことが日常の臨床で一つや二つあると思います。毎日ないとしても月に五回や六回はあると思います。
そういうものを我々の行っている漢方理論で組み立て、これを気血・津液なるものの病理産物だと考え態勢を作っていけば良いのです。

 これからの話は臨床の生の情報を少しづつ出していって、漢方はり治療として追試し求めている理論的より若干ずれる場合があるかもわかりません。しかし、それはそれとしてその治療の仕方で効いたという現実のもとにフィードバックして、理論構築していけば良いと思います。
東洋医学はそういうものだと思います。理論が先にあって実践があるわけではなく、実践が先にあって理論構築したものが東洋医学、特に経絡治療、漢方はり治療にはあります。

 私が東洋鍼灸専門学校に行っていた当時は、鍼の事は全然何も分かりませんでした。たまたま岡田明祐先生の「明鍼会の刺鍼実技講習会」があるということを知ってそこに参加させてもらいました。十ケ月間で月二回ありましたが、そこでまず驚きましたね。今はディスポーザブルで使い捨ての鍼になってしまいましたからあまり必要価値がなくなってしまいましたが、たとえば治療院に勤めた場合、先生に鍼を渡す方法を他ではなかなか教えてくれないのですが、そこでは最初にそこからみっちり教えていただきました。
竜頭と鍼体の継ぎ目、いわゆる昔の鍼はハンダ付けですから、そこの所を持って渡すわけです。鍼先を先生に向けたら「金を出せ」ということになってしまいますから。ところが助手に「はい鍼を持って来て」というと「金出せ」という形で渡すのですね。それも鍼柄の先を持って渡しますから、取ろうと思うとポロッと折れてしまうのです。そういう基本的なことから教えていただきました。

 それと鍼箱というのがありまして、今のようなものではなく、よく茶筒に使われているようなあのような感じの桜の革細工の木箱で、鍼床があってそれを袱紗に包んでカバンに入れるというようなものでした。その鍼床に鍼を刺すのですが、その刺し方というのを教わったことがありますか? これはねえ、簡単なようでいて非常に難しいのです。今はこのようなことをやらなくなりましたが、このようなことが一番の始まりであって、鍼床に鍼を刺して鍼柄が鍼床にピタッと寝るというような刺し方というのはなかなか難しいのです。
こういうような刺し方をしないと駄目なのです。この刺し方にはコツがあるのですが、それも教えていただきました。それともう一つ驚いたことは、「貴方と貴方はこれをやりなさい」と最初、会に行きましたらいきなり言われて一対一に組まされました。この会は神戸製の鍼しか使いません。毫鍼についてですが鍼尖、鍼の先というのは我々特に経絡治療家、漢方はり治療を行うものは自分の鍼尖というものを決めて治療しなければいけないと思います。
今は色々な鍼を使うと良いのです。でも臨床を五年十年とやってきたら「自分はこれだ」というたとえばスリオロシだとか松葉だとか柳葉だとかありますから、鍼先というものを決めたほうが良いです。

 神戸の鍼というのは大体鍼尖が卵子なのです。卵子というのは若干カーブが緩いですね。特徴は撚鍼に適しています。神戸源蔵さんは鋭利なものより、まずはそういう鍼に徹したというお話を聞きました。
その神戸製の鍼を色々な種類買いまして、二人一組に組ませましていきなり「お互いの足を刺しなさい」と言うのです。刺したこともないのに「それでもいい」と言うのです。それだけではない、その様子を八ミリに収めるのですね。菅を使わないで撚鍼で初めてするのですから、とにかく「刺そう、刺そう」という気が先で、相手が痛かろうがなんだろうがとにかく刺しました。
そして十ケ月終了した時点で、その段階でもう一度刺鍼の状況を八ミリに撮り、最初に撮ったものと比べるのですが技術差が如実に判るんです。そういう 指導をしていました。

 それとそこでは長鍼術の三十センチの鍼まで刺しました。全部銀鍼ですが、そんなに長い鍼を皆さん刺したことありますか?
いつもは大体二寸か三寸のを自分の足に刺すのですが、直刺なんかできない、水平に刺していくのですが、ものすごく重いひびきがあります。
今なぜそういうことを言うかというと、ここで研修をやっている時に使う鍼は、一寸の鍼で一番か二番、それもほとんど接触鍼、そういうことで事足りている。それでよろしいのですが、そこまで行くための一つのステップがあります。少なくとも寸六とか二寸の鍼が刺せないと駄目なのですね。そういうものが十分刺せた上でのいわゆる軽い鍼というか接触鍼、そうじゃないと絶対駄目なのです。「明鍼会の刺鍼実技講習会」というのは、毎回毎回そういう形で進んでいたわけです。

 「経絡治療夏期大学」に学生の時に参加したことがあるのですが、その時たまたま岡田明祐先生の実技を見たのです。長鍼術の実技だったのですが、見られた方がいるかもしれませんが、本当にお見事ですね。二寸とか三寸の鍼をあっという間にスッと入れてしまう。刺された人に聞くと痛みもほとんどないと言います。
あの方は丹波流宗家の二十八代目だそうです。長鍼術の二十八世だと言われています。ですから長鍼術にかけては素晴らしいものをお持ちです。 それから皆さん見たことありますかね、「馬体経絡図」なるものがあるのですが、馬にも経絡があるのです。犬だって猫だってあります。
今は皆お亡くなりになりましたが、丸山昌朗先生、岡部素道先生、竹山晋一郎先生らが「経絡治療研究会」をつくって、当時喧々諤々とやっているときに、岡田明祐先生は未だ二十代でしたが「馬体経絡図」をお持ちだったのです。
それで「馬にも経絡があるのだ」ということで中山競馬場へ馬を見に行ったそうです。先生方は馬をしげしげと見て「ああ、なるほど経絡があるわ。確かにあるわ。」と言われたそうです。
その経絡は何かというと、馬の毛並みの線があるそうです。明るい所で見るとそれが見えるそうで、それが経絡です。もう一つ面白い話があるのですが、皆さん鍼灸学校で刺鍼実技で練習するときに、猫とか犬に鍼を刺したことがあると思います。猫なんかに無痛の鍼が刺せるようにならないと、人間の体に刺してはいけないと言います。犬や馬の百会はどこにあると思います?人間の百会は頭のてっぺんにありますが、驚くなかれお尻にあります。これは非常に面白いと思います。
こういうような経絡的な考え方とか、馬にも経絡図があるというので経絡が通っている、そして馬の治療は「笹鍼」といって太い鍼で血をピューと出すのです。

 話は戻りますが、「刺鍼実技講習会」で岡田明祐先生が実技をされながら鍼の話や色々なことを話されている時、受講生が十五名位いて畳の上で行うのですが、先生の鍼箱が置いてあるのです。私はその鍼箱に興味があったのですが、他の受講生も興味があったのですねえ。これは有名な話ですが、ある一人の受講生がその鍼箱をちょっと触ってみたくて触ったのです。触ったとたん「無礼者!」ときました。「お前、鍼というものは鍼灸師にとって何だと思っているのだ! 武士の刀と同じだぞ、それ以上だぞ!」と言われました。あの気迫には驚きました。

 要するに、鍼に対する用鍼に対する道具に対する信念というものがあるわけです。ディスポーザブル鍼というのはポイポイ捨てていくわけでしょ。ああいうのはおかしいですよ。鍼に魂が宿らないですね。ですから我々はいつまで続けられるか分からないですがディスポーザブル鍼は絶対使わないという気持ちです。
鍼というものはほとんど減らないから、業者の人には悪いですがあまり買う必要がないのです。ということは漢方はり治療はある程度まで行くと、そんなに鍼を刺さなくていいわけです。もちろん留置鍼もやりますが、ほとんど接触鍼か一ミリか二ミリ位刺入するだけですから、鍼は減らないのです。毎回毎回、大量に鍼を買っていく鍼灸師がおりますが、どんな鍼をしているのだろうと怪訝に思います。鍼を折るとか、鍼を曲げるとかはほとんどありませんから。でも正直言って所得税申告の時に経費がかからないから困りますね。

 少し横道にそれましたが、そういうようなことで岡田明祐先生の鍼に対する気迫というのはすごいと思います。
杉山検校の「杉山真伝流十四之鍼法」というやり方があるのですが、杉山検校が使っていた鍼管が十六匁ちょっとの重さなんですが、岡田先生は凝り性でそれを金で作って持ってみえました。持たせてもらったことがあるのですが、重くて太いですね。
昔はそういう太い肉厚の鍼管を使っていましたが、神戸源蔵製の鍼管というのは銀です。その鍼管を使うということはだんだん少なくなってきましたが、我々は当時、最初に鍼をしたときは鍼管をよく使いました。
鍼管も色々な材質があるのです。鍼製作師によって皆違います。前田豊吉商店製は前田の鍼の尖型。青木製作製は青木の尖型。神戸源蔵製は神戸のがあります。あとは名古屋とか広島にもありますけどみな鍼が違います。

 神戸源蔵氏の鍼は十四世の源蔵さんの鍼なのですが、その方は名人的な人だったのですが、その人の鍼管はすごいのです。何がすごいかというと、持ってみると全然違うのです。鍼を管に入れて操作すると全く違います。普通の管は水平になっていますが、神戸の鍼は真ん中が膨らんでいるのです。法隆寺へ行かれたことがありますか? あの法隆寺の柱はエンタシスといって、ギリシャの建築様式を取り入れたもので真ん中が膨らんでいるのです。ああいう形になっていま。
管の中心部がほんの少し膨らんでいるだけなのですが、ものすごく手にフィットするのです。もう一つ良いことは、普通は医道の日本製だとか前田製の鍼管は、たとえば一寸の鍼や寸三の鍼を管に入れると、大体五ミリ位鍼の先が出てしまうのです。ところが神戸の管は一ミリ位しか鍼の先が出ないのです。

 管から鍼先が多く出ているとそれだけ刺激が強くなってしまいます。余程柔らかく刺してもしかりです。それを防ぐために鍼の長さとほとんど同じ位の長さの鍼管になっています。本当は撚鍼が一番良いですが。あと一つの特徴はかなり鍼管が肉厚なんです。他社製と比べると鍼を入れる穴が細いのです。細いということは挿入しても鍼が踊らないのです。ですからへんな刺激が加わらないし、手技がうまくいきます。ただ鍼が少しでも曲がっていると管から出てこなくなります。相当技術がある程度しっかりできていないと、すぐつまってしまって鍼を伸ばさなければいけないのです。

 神戸製の鍼尖は卵子と言いましたが、あの方は鍼尖を一本一本すべてお腹で試しているんですね。昔の鍼製作師は舌でよく試していたといいますが、全部できないですよね。
昔の鍼医は患者に鍼を刺すときに「温鍼術」だといって鍼の先をくわえていました。聞いたことありますか? 今だと「きたない」と言われそうですが、あれは鍼をくわえて暖めておいて刺すと、補的効果が倍加するのでよくやられていました。
ところが今は衛生観念が厳しいからとんでもないと言われます。鍼柄を口にくわえても「先生やめたほうがいいですよ」と言われますが、私は今でもくわえてやっています。職人みたいな方法ですが・・・・。 そういうことで神戸さんはお腹でやっていたのですが、お腹を見せてもらったことがありますが真っ黒でした。鍼先を一本一本全部試しているからです。
ですから鍼尖というのは、鍼灸師それぞれの手の感覚や大きさ、手の柔らかさ・硬さがみな違うから、それに合った自分の鍼を使いなさいと言いたいのです。

 鍼管のことでもう一つ言いますと、以前「東洋はり医学会」の副会長の小里先生は細管というのを作ったのです。
神戸製の鍼管は太いのですが、他の鍼製作師は銀の管をぽんぽんと切っただけで細いのもありますが、それよりもっと細いのです。
ほとんど鍼に近いような細さのものを、小里先生は考案されたのです。これはなぜかというと小里先生の手法は撚鍼をされなかったのです。本治法もすべて管鍼術でしたから、できるだけ撚鍼に近くするために細管を使ったのです。その細管で自分の体に刺鍼するときは、鍼の番手で一番鍼のあとは〇番でその次は毛鍼、かすみとありますが、かすみ鍼を使いました。当時は寸三を使いましたが、あとで一寸になりましたが寸三を使っているときは大変でした。
かすみの鍼で鍼柄ももちろん細く、細管を使う。なるべく管を使わないで撚鍼でやるようにしていましたが、そのようにして小里先生は細管を作られたのです。

 小里先生は管鍼術でされていましたから、管鍼術の欠点、マイナス点を臨床経験の中で感じられて、少しでもプラスに転移させようということで、管をどんどん細くしていったのです。
漢方鍼医会でも細管を使っている人は何人かいます。

 これから鍼を進める人達には、細い鍼でやった方が良いと思います。鍼の長さも寸三がベターだと思いますが、どんなに短くても一寸までで、八分鍼で最初やろうとするのはとんでもない、それも八分鍼の二番でやろうなんてとんでもないことです。
とにかく寸三で〇番鍼か一番鍼位で、できれば細管を使ってやってください。井上恵理先生は長柄鍼を作られましたが、初心者は長柄鍼から入っていくのはちょっと難しいのではないかと思います。
並軸や細軸で一寸から寸三位の鍼で、自分の足の陽経側で刺鍼を一生懸命に練習をする。それがだんだん出来るようになったらお腹に鍼を刺すのです。お腹の鍼というのは非常に難しいのです。
へたに刺すと下痢ばかりするということになりますから、お腹の鍼が刺せるようになれば一人前ですね。鍼管というのはかなり重要な道具です。

 「九鍼十二原篇」に古方の九鍼が出ていますね。
1.毫鍼 2.員鍼 3.てい鍼 4.鋒鍼 5.ざん鍼 6.員利鍼 7.毫鍼8.長鍼 9.大鍼となっていますが、この順番というのは非常に重要なんです。
なぜ重要かというと、素問・霊枢時代の臨床のやり方が1.番から9.番の順序でやられていただろうという推測があって、それが正しいのではないかと言われ現在では定説になっています。

 鍼治療・灸治療・鍼灸治療とありますが、鍼灸治療というのは九鍼全部を使ってするのが一番ベターだとされています。これにプラス灸治療もすると鍼灸治療として成り立つのです。本会の研修会では、ほとんど毫鍼とてい鍼しか使われていません。3.のてい鍼ですが、この鍼については「霊枢九鍼十二原篇」にしか出ていなくて他の本には出ていません。この辺が霊枢を『鍼経』と呼ぶ由来があるかもしれません。「古今医統」という本があるのですが、九鍼の図はこの本と、「霊枢」を解釈した「類経」によく図が出ています。

 「古今医統」の九鍼というのは、「霊枢」や「類経」よりも先に図案化されているということが言われているのですが、「古今医統」の図説はあまり用いられなくて、「類経」にいろいろな図が記載されているものが、古方の九鍼の形ではないかと今は言われています。
他の八つの鍼は、一部のものを除いてはっきりとした形は分からなく、ある程度は推定のもとに成り立っているようです。

 毫鍼というのは「痛痺」を取ります。用法は痛み痺れを取るために使うのですが、しかし我々の漢方はり治療では必ずしもそういうような使い方はしていません。当時の毫鍼というのは、今みたいな鍼製作技術は成り立っていないから、かなり太かったと思います。
てい鍼の場合は、日本伝統鍼灸学会(前の日本経絡学会)で金古先生や宮川先生らが講演しているのですが、色々な説や時代的なことから解釈して明らかに補法に対して応用されていたものだろうと言われ、それも極補として使われていた事が若干出ています。
そのようなことも考えて、臨床的に古文献というものを読んでいかなくてはいけないと思います。

 九鍼の中で我々が使っているものは、1.の毫鍼、2.の員鍼、3.のてい鍼、7.の毫鍼、4.の鋒鍼(いわゆる三稜鍼)の四種類位ですかね・・・。今挙げた四〜五種類位は漢方はり治療に使えるのではないかと思います。

 てい鍼については、鍼灸師によって提案されて色々なものが作られています。皆さんも自分なりのてい鍼・員鍼を作っていると思います。学説的な形はありますが、これを基本において作っていきます。有名なものでは、今でも医道の日本で売っていますが、井上恵理先生の「古研式鍼」はバネ付きのてい鍼で、先の 方が員鍼になっています。あのてい鍼は井上先生と本間先生が協力して作ったのです。鍼の手法というものがあるのですが、バネを入れることによって力の入り具合を調整しているのです。この会ではあまり使われていませんが・・・・。

 磁気鍼というものもあります。鍼体が五分位で鍼柄の方がループ型であったり色々ありますが、磁気を入れることによって顔面等の置鍼用に用います。この鍼は接触しただけでも抜けないようになっています。奈良式短鍼もありますが、それよりももっと短いものでピンセットでしか入れられない位の大きさですが、私も使ったことがあります。

 井上式長柄鍼は鍼柄が並軸の倍位も長い毫鍼ですね。大変持ちやすいのですが、反対にそれだけ高度の刺法技術が要求されます。その他にも色々と改良された鍼があります。九鍼といっても必ず古方にのっとったものを使うのがはたして正しいのか・・。時代環境等の条件もありますね。

 この連休に奈良を歩いてきたのですが、自然環境が都会とは全然違います。都会ではダイオキシンが人体に影響を与えていますが、古代のように土の上を歩いたりする自然環境の中で生活していると体力的にも差が出てきます。ですから、鍼の中身というものも変わってくるし、手法も当然変わってきます。古方で使われている鍼と、現在我々が使っている鍼とではかなり違ってきて当然ということです。私がここで言いたいのは、研修会で使われる鍼、たとえば毫鍼の一寸なり又は銅の鍼を使う人がありますが、それだけが鍼ではありませんという事です。「弘法は筆を選ばず」と言います、一本の鍼で治療全てが出来ればこんなに良いことはありませんが中々そうはいきません。「霊枢」「類経」で九つの鍼が考案されていますが、考案されていると言っても簡単に出来たのではなく、少しずつ少しずつ改良してこの形になったのですから、使えるものはどんどん使いたいですね。

 てい鍼でも色々あるのです。「古今医統」の唱える鍼と「九鍼十二原篇」にあるてい鍼とは違うのです。東洋はり医学会の伊藤先生がざん鍼を作られていますが、真中にラッパみたいな穴があいているのです。ああいったものは古典文献には無いのですが、それもざん鍼と称しております。へら鍼みたいな形のものもあります。ざん鍼はどのように使うのか、古典文献では邪の瀉法で使われています。

 ですから、これから平成の鍼を考案していけば良いのです。漢方鍼医会は漢方鍼医会の独特の鍼を業者に作ってもらえば良いのです。漢方鍼医会も市民権を得てきました。鍼製作者があまり儲からない安価な銅のてい鍼とか、銀のてい鍼か、員鍼にしても私は純銀の棒みたいなものを丸く磨いたり、息子が外国の銀の貨幣を持っていたので、それを磨いて角を丸くして「これはばん鍼だ」ということで使っています。そういった銅とか銀とか、岡井先生が出された木というもの、黒檀とか紫檀とかいうものもこれから漢方鍼医会の中で注目してやっていくべきだと思います。銀のてい鍼、銅のてい鍼、太さにしろ長さ(寸六位が良い)にしろそのような形で作っていけば良いと思います。