研究 

脉状と脉証の臨床考察(1)

はじめに
  漢方鍼医会を創設した目的は、『漢方はり治療』の臨床的学術の構築とその普及啓蒙である。
伝統的鍼灸医学は東洋の風土で培われ発祥した臨床医術である。 この医学は、中国に発祥した医学思想を基礎とした全人的調整を治療目的とした総体的医術でもある。
『漢方はり治療』は、日本の風土で臨床鍼灸医学として体系付けられ発展してきた経絡治療を基礎として、内経医学や難経医学の医学理論の臨床実践を通して追試し構築された鍼灸医学である。この医学習得の基本は、病人の「本」である証(病理)につき臨床的場を通して研修することにある。
その意味で、脉状と脉証の研修は、臨床医学である伝統的鍼灸医学の根幹をなすものである。脉の分析により病証・病理を把握し、証を導き出して治療につなげようというのである。

1、証の基本と病理
@精気の虚について
  病気の始まりにはつねに精気の虚がある。これが伝統鍼灸の原点である。精気の虚に内傷が入ってそこに外邪が侵入する場合とか、精気の虚をゆがみの段階で外邪がぽっと入ってしまう場合、また精気の虚と内傷があるところに外邪が入ったために虚の病症を呈して旺気実が発生するとか……。病症の虚実により臨床現場では補ったり瀉したり輸瀉したりと治療の方法論はさまざまであるが、その全ての場合において、病の大本には精気の虚があるのである。
ではその「精気」とは具体的に何か。

 素問第六十二「調経論」に「鍼の刺法には、有余は瀉し、不足は補えとあるが、その有余・不足とは何を言うのか」「有余に五、不足にも五ある。何が有余・不足かと言うと、神・気・血・形・志の事である」という問答がある。この「神・気・血・形・志」が五蔵それぞれの精気のことである。素問第九「六節蔵象論」では、この五蔵配当として、心は神・肺は気・肝は血・脾は形・腎は志を蔵すとその基本性能について論じている。

 病気はこの五蔵精気の不足を基本として発生する。これにより気血の流れに不調が起こり、経脈の虚実が生じるのである(蔵府経絡説)。

A陰虚の重要性について
  さて、この「病は精気の虚から始まる」ということを色々な面から追求していくと、我々の臨床現場では「陰虚」の重要性があらためてクローズアップされてくる。陰虚というものの考え方、病理的把握の方法が全ての基本だと言うことに気づくのだ。

 陰虚とはどういうものか。病において五蔵の精気の虚があるということは、大きな意味での陰虚であり、それが「証」の基本でもある。「調経論」だけではなく古典のあちこちに出てくるこのような考え方をまとめたのが、経絡治療学の基本となっている「陰主陽従説」ということになる。

 陰虚と陰主陽従説、これが基礎医学としての古典医学の考え方の基本である。そしてこの基本論を踏まえ、内経医学を駆使して、病理というものをいかに臨床の場で考察し活用していくかというのが、今日の課題なのである。

B調経論について
  「調経論」は古典医学の上で重要な篇であるので、証(病理)の基本を論じる前に、若干触れておきたい。その要点は次の六項目に集約できる。  

1.病気とは何か:蔵府経絡説の主張
これについては前節で論じたとおり。

2.五蔵の精気不足・有余に対する病症と補瀉について
  たとえば肺の精気は気であるが、これが有余・不足したとき、「調経論」ではどのように考えていたか。有余するということは肺気が鬱して喘咳しのぼせる、いわゆる肺熱上気。不足とは肺気が少なく呼吸が浅くなる、いわゆる少気である。それからもう一つ、「魄気微泄」といって、気血の流れは順調で肺気と合併して病症を表すことはないが皮膚がやや病んだような状態で肺気がわずかにもれている、こういう病症がある。このような有余・不足・魄気微泄に対して、「調経論」ではどのような鍼の刺法を行っているか。有余、いわゆる上気に対しては経脈を軽く刺す。不足、少気の場合は軽く経脈を補う。魄気微泄に対しては、鍼先を皮膚に接触するだけ。現在我々がやっていることと、あまり変わらないことがおわかりだと思う。

 また、脾の精気は形であるが、これの有余・不足の場合。有余した場合は脾気が充満して腹が膨れる、要するに水腫である。肥満もこれに含まれる。また脾気が充満して腎気が剋されるため尿が出難い。不足すると、脾気が虚して手足倦怠になる。そして「微風」といって気血の流れが順調で脾気と合併して病症を表さない場合に邪気が入ると、肌肉の割れ目に留まって、肌肉が痙攣する病症を表すという。これの治療であるが、有余、おなかが膨れて水腫を起こしている状態には陽経脈の胃経を瀉す。不足のときは陽絡脉、これは絡穴の豊隆を補う。それから微風にたいしては皮膚、衛気の分に鍼先を接するだけで刺さない、こういう刺法をやるのだという。

 肝の精気や血の有余・不足は臨床上にも結構多い病症である。血が有余すると肝気が鬱して怒りっぽくなる。不足すると肝気が虚したために腎気も虚してものに恐れやすくなり精神的に不安定な状態になる。気血が順調で肝気と合併して病症を表さない場合に邪気が入ると、孫絡に血が充満した「留血」いわゆるH血となる。これに対して、有余には実の経脈から瀉血。不足には虚の経脈に留置鍼をして、脈気が多くなったら抜鍼するが血は漏らさないようにする。
留血の場合はもちろん瀉血である。

 3.虚実:特に気血と経脈との相関性について
  「調経論」では虚実についてどのようにいっているか。まず気血の不調和が前提になる。気が衛、つまり脈外に乱れ、血が経脈内に逆らう、そうすると「血気離居」といって気血が偏在したかたちになるというのである。

 たとえば血が陰に偏ると気虚を起こし、気が陽に偏ると血虚を起こす。いずれもこういう分離した状態の場合には精神的な病症を起こすという。
血が陽に偏ると、陽は気虚になり、気が陰に偏って陰は血虚になる。(熱)中を為すというが、これをどのように理解するか。
血が上に偏ると、上は気虚を起こし、気が下に偏ると、下は血虚になる。この病症は胸苦しく怒りっぽくなる。
血が下に偏ると下は気虚、気が上に偏ると上は血虚。この場合は精神不安定で忘れっぽいような病症を表す。
以上、血気離居を四方面から考察している。このように気血のアンバランスの状態を総じて虚として、その中でも気が無く血があることを気虚、血が無く気があることを血虚と言う。実とは気血がともに偏った状態を言う。「調経論」は虚実についてこういう捉え方をしている。

 気血・経脈と虚実という場合でも、「調経論」なりの捉え方をしている。気血は蔵府を中心として陰経脈と陽経脈を行ったり来たりして健康を保っている。陽気・陰気・陽 血・陰血、この気血陰陽が調和した状態が平人・健康であり、これが偏ると病気となる。
こういう一つの定義をした後、病気=病邪をまた陰陽に分けている。陽に生ずる邪は風・雨・寒・暑、いわゆる外邪であり、陰に生ずる邪は飮食・生活習慣・性生活・感情、いわゆる内邪である。いろいろ書いているがたとえば、寒湿の邪が侵入する場合、邪気が入ると皮膚が虚して筋肉がかたくなる。栄血が流れなくなり、衛気が虚す。衛気が虚すということは陽気が不足して冷えに移行するし、気虚の状態だから指で按じると気持ちが良い、そんな事を書いている。これもやはり、我々がやってきた基本的なものとそれほど大きなずれは無いようである。

4.四病症(型)について:私の理解では古典鍼灸治療における「証」の基本論になると考える。次節で詳しく論じる。

5.気血営衛:特に蔵気についての考察 

6.気血・虚実の補瀉刺法について
  まず気血に対しては、気血の偏在の刺法ということで、気には衛の刺法、つまり軽い皮膚表面の接触鍼、血には営の刺法、これは皮膚にやや浅く刺入する鍼法である。『難経』76難にも同じ営衛の刺法が記載されている。それから虚実では、虚には補法が基本、刺針にあたって患者の気をうかがい呼気に従って刺入し催気や吸気にしたがって鍼を抜き鍼口は必ず閉じる。実には瀉法が基本で、患者の吸気に従って鍼を刺入し、鍼をゆるがせ鍼口を大きくして、呼気に抜針、鍼口は閉じない。こういう刺法を「調経論」では提唱している。

 このように「調経論」には、精気の虚が病気だという事や四病型の基本論だけではなく、虚実や補瀉についても気血や経脈、邪についての考え方も少しずつ述べられている。その意味で「調経論」は我々の漢方はり治療の上でかなり大きなウェイトを占めるのではないか。

C証(病理)の基本について
  漢方鍼医編集部では四回にわたって陽虚・陰虚・陽実・陰実という四大病型についてまとめたことがあるが、それを踏まえて基本病理・病症と五藏各証の基本病症と脉状を表にしたのが資料1(基本証の病理と病症)である。これがこの四つの大きなカテゴリーの基本論となっている。

 たとえば今のわれわれの臨床室で一番多いのは陽虚証であり、それに伴って陰実証も増加している。ところが、東洋はり時代には陰虚証が一番多かったように思う。もちろん病理の理解が足りなかったこともあるだろうが、やはり今の時代、体力が低下していること、環境ホルモンやオゾン層破壊による紫外線増加など新たに色々な病因が錯綜していること、薬や栄養剤を飲んでいる人が多いことなど、そのために陽虚証を呈する人が増え、それが進んだ状態として陰実証が多くなってきているのではないか。日々の臨床の現場を想定していただくとわかるように、患者さんをベッドに寝かせ、脉を診ながら身体を触ると冷たい、この冷えは肺気の虚、つまり陽気虚である。脉は大体において沈んで虚、または数、進行すると遅、そんな人が多い。陰実証になるとこの沈んだ脉に・を帯びて若干堅い実脉を呈する。幅幅(フクフク)然として決して強くはないがいつまで押さえても消えない、 そんな脉である。また純然たる陽実証は意外と少ない。これは陽実証の段階で薬を飲んでしまうとか、病因的に内傷が強いとかの理由で、陽虚証になってしまうのである。脉は沈んで・を帯びたり結滞したりというような形を取る。

 陽虚証の基本病理は、@陽の部位の陽気(衛気・営気)が不足した状態 A陰の部位の陽気(血)が不足した状態の二通りで、基本病症は虚寒(冷え)である。このように陽虚が増えていると言っても、いきなり陽虚になるのではなく、その前提には陰虚がある。
陰虚証の基本病症は虚熱(内熱)である。この熱がどこから来るかという基本病理としては、@精気の不足 A津液の不足。虚熱があるから脉状は浮いて虚して大きいことが多い。津液は水であり、これには冷やす作用があるから、不足すると熱が多くなる。この熱は陰の熱であるから内熱、陰虚だから虚熱ということになる。陰虚の代表は腎虚証であり、腎陰虚の脉状を想定すると、他の陰虚もわかってくる。

 陰虚証のところにまとめたのが虚熱病症であるが、一番の代表は皮膚枯燥である。熱には上昇性があるから表に浮いてきて、そのために表面の水気が取られるために、老人特有の枯燥した皮膚になる。それから消痩。普通に食事していて食欲があっても自然にやせてくる。年取った人に久しぶりに会うとやせたと感じるが、本人は至って元気、年を取るということは陰虚になるということであるから、これで自然なのである。朝起きると口や喉が渇くとか、夜何回も目が覚めて眠りが浅い、五心煩熱といって、手足の掌や胸中がもやもやするとか、寝汗、便秘など、すべて陰虚の病症である。

 陰虚は老人になったら一種の生理的現象で、六十歳過ぎた人ならまず陰虚があるから、
カルテ記載の折りにはこのような病症が必ずある。ただ残念ながら今の医療制度では六十歳以上の十人中八人か九人は薬か栄養剤を飲んでおり、これらの口から入るものは全て水毒といって湿邪になるから、健康や長生きのためにと思って、反って陽虚になってしまう、そんな皮肉な現象になっている。陰虚の典型や老人の脉は浮いて大きくて弱いことが多いが、こういう場合は沈んで・を帯びて、皮膚を触ると冷たく、なおかつ枯燥している。水毒がさらに増すと、陰実証を呈するようになるというケースもあるだろう。実際、陽虚証と陰実証の病症は似たところが多い。臨床現場では陰実証の患者さんに陽虚証の治療を施していてもいつのまにか治ってくることさえある(基礎医学と臨床医学との間のギャップ)。このように、陽虚証や陰実証、これには血熱や血実やH血がからんで、特に女性の更年期などはまず陰実を頭に置いた方がいいのだが、その大本には陰虚証があるのである。

2、脉状と脉証について
@脉状と脉証の意味論
脉状とは祖脉を基本として病症の基本を現すもの、脉証とは脉状に四時脉・菽法脉診・五蔵正脉などを加味して病理と「証」の基本となり、臨床実践の根幹となるものと捉える。

A八祖脉の重要性と陰陽脉分類について
  脉状を正しく理解するためには、「祖脉」の理解が必要である。
脉状というのは『診家正眼』の28脉状が基本で、他には『景岳全書』の16脉状、『脈経』の24脉状などがある。この28脉に大・小を加えて30脉状、これを大きく八つに帰類する方法がある(参考資料3・八祖脉帰類表と陰陽脉状分類)。たとえば浮脉のところには浮・・・革が分類されるというように、浮・沈、遅・数、虚・実、滑・・の八脉状に、臨床上重要な全ての脉状が集約できるというのである。この八つをきちんと理解すれば、臨床応用に何ら不足は無い。ただしこの分類では一元的すぎて、臨床現場ですぐ使うことができるというものでもない。あくまで基本例として理解して欲しい。

 これとは別に、陰陽脉の分類法というものがある(資料3)。これはもともと『難経』の分け方で、八綱を統括する陰陽で脉を分類している。陽の脉類は浮数滑実、陰の脉類は沈遅・虚ということになる。

 この八祖脉と陰陽脉分類は、脉状論を理解する上で避けては通れない一過程であろう。
これらを基本に置いておかないと、どこか辻褄が合わなくなって臨床の場で途方に暮れることになる。

B六祖脉の「虚実脉」について…七脉状論の提唱
経絡治療学会では『類経』の唱える六祖脉(浮沈遅数虚実)を採用している。この中の虚実脉がくせものなのだ。祖脉の文献には他にも『素問』『霊枢』『難経』をはじめとして『診家枢要』『増補脉論口訣』などがあるが、この中で祖脉に虚実を入れるのは『類経』だけなのである。経絡治療学会がなぜこの六祖脉を採用したのか。

 これは経絡治療学会が唱えた脉診法の基本が脉差診・比較脉診であり、『難経』69難であったことに関係がある。八木下勝之助先生が講演に呼ばれた際に、『経絡治療とは虚実をわきまえて補瀉するのみである』とだけ言って帰ったという有名な話があるが、そのために脉状として何が必要かといえば虚実だけで良いのだということで、これの論拠として例の『難経』69難の「虚するものはその母を補い、実するものはその子を瀉せ」の一節を発見した。こうして虚実さえわかれば他の脉状など捉えなくても治療ができるということになってしまって、六祖脉に虚実を入れている『類経』に飛びついた。私はそう思うし、池田政一先生もそう言っている。

 要するに他の脉状診を入れると難しくなるし、脉診を広めるためには簡単にする必要があった。たとえば証を決める場合に、虚実=強弱として、左手関上と尺中が弱いから肝虚証という具合に、簡単に証がでてきて治療もできる。では六祖脉の残り浮沈遅数はどうしようかというと、これは刺法論と簡単な病症の捉え方に回した。浮脉ならば浅刺、浮いて数なら速刺速抜、沈遅なら留置鍼。浮脉なら表病で病は陽の部位にあるし、沈脉なら陰経・下の方にある、そんなふうに六祖脉をまとめあげた。だから、六祖脉の中でも虚実脉はそれ単一では出ないし、今後脉状診を検討していく上では、浮にして虚とか沈にして実というように、他の脉状と合わせて表現されるべきものである。従って、虚実脉をあえて単独に祖脉として区分けする必要は無いと思われる。ただ病理の段階で、浮数にして虚の場合・実の場合にそれぞれどうなるか、その虚実の兼ね合いにこそ、「虚実をわきまえて補瀉をする」経絡治療・古典医学の原点がある。

 以上のことから、私は今後漢方はり治療をやっていく上で、八祖脉から虚実を除き、そして弦脉を加えた七脉状を基本として、脉状・脉証論を構築していきたいと考えている。

C「弦脉」の重要性について
  ではなぜ弦脉か。弦は肝の正脉であり、肝は血を蔵する大本である。脉診学をずっと検討していくと、最終的に弦脉に到達するという考え方がある。肝の正脉である弦脉と、脾の正脉である緩脉、確か八木先生がこのような弦脉診の考え方もされているようだ。池田先生からも祖脉の中に弦脉を入れるべきだというお話を頂いた。浮沈・遅数・滑・に弦を入れた七つの脉、これを分類して基本論を展開し、そして臨床の場で病体を診ていくとさらに病理・病症の理解が深まることと思う。

3.虚実脉の考察                                                          

 七脉状の各論の前に、虚実の脉状についてもう少し考察しておきたい。
虚実というものの臨床での意味を考えてみると、これには病症的な捉え方と脉論的な捉え方とがあり、それぞれの観点でどういう事を意味するのかをはっきりさせなければならない。
この論考の一番の目的は、浮沈と虚実を組み合わせた脉証・病理病症を考えたいということである。特に証との兼ね合い、陰虚と陽虚について、そして虚熱の多少を臨床現場でどう捉えるのか。また、八綱の表裏も浮沈脉と関わって診ていった方が良い。本当はこれに遅数脉から寒熱論を加えるとほぼ完全なものが出てくるが、少しややこしくなるし、寒熱論の復習も必要だから、これは次に回したいと思う。

@虚脉の臨床考察                                                           

 1虚の意味論
虚とは一言でいえば、物の不足した状態を言う。これを臨床的にいえば、気血津液が不足した状態。我々の治療対象は気血津液であり、その調整が目的であるから、これは当然である。 

 2虚の種類
@ 精気の虚 この重要性は先に強調した通りである。
A 気血津液の虚(病理の虚)
B 病症の虚
『難経』の三虚三実論(脉の虚実・病の虚実・診の虚実)の考え方が基本。たとえば激しい頭痛や便秘のように総じてこもって外に出ないのが実、自汗や下痢のように流れ出るのが虚。
C 体質の虚
当会ではまだ体質論まで手が届かずにいるが、将来的にはやる必要があるだろう。これは何も端的に実=生まれながらに丈夫、というわけではなく、たとえば現代医学的に言えば気管支的な病気になりやすいとか、胃腸の働きが鈍いというような、霊枢第六十四「陰陽二十五人」にもある五蔵の体質的な虚ということである。
D 病邪の虚
臨床の場での病の勢いが弱いこと。

 ここで注意したいのは、虚実というのは陰陽のような相対的な概念ではないということである。確かに今までは、虚があれば必ず実があり、実があれば必ず虚があるという考え方でやってきて、これが基本ではあるのだが、実際の臨床の場では、全体的に虚している病症というのもあるのである。もちろん、その虚している中にも虚実があるのだといえば確かにその通りなのだが、臨床現場で虚実をあまり相対的に分けてしまうと、必ず陰を補ってから実を瀉さなければならないという具合に、治療が観念論的になってしまう。たとえば実には邪気実と旺気実とがあるが、同じ実でも機械的に瀉してはまずい。このように、虚実には相対的な概念だけでは説明できない場合も多分にあるということを頭の隅においておく必要がある。

4.虚脉と臨床
虚脉とは、気血や津液が不足した時に現れる脉状である。帰類表にも「気血が虚弱なために抵抗力が減じて生じた虚証の脉象を表す脉状」として虚・濡・微・散・弱・細・短・小の八つの脉状が組み入れられている。我々の治療は陰主陽従説、この陰主とは陰虚のことであるとは既に述べた通りでこれが一番の基本になるというのであり、その虚ということに対してこれだけの脉状が分類されているのである。

 これを臨床では二通りに考えることができる。
@ 陰の気血・津液が不足した状態
この時の脉は、浮いて滑でやや大きくて虚している。
中でも血・津液の虚は虚熱が発生していると診る。陰の気が虚した場合は、これは冷やす作用を持っており、陽の部に陽気が停滞するから、これも虚熱のような状態になる。
A 陽の気血・津液の不足。
脉状全体に遅く感じるような特徴がある。これは冷えというよりも、虚熱の量が少ないかほとんど無きに等しい状態で、脉状は弱・微・濡、浮ききらなくてちょっと押さえるとつぶれるような脉である。

5.虚脉と虚熱について
  このように、虚脉というのは気血津液が不足した時に表れる脉状だが、その中でも明らかに脉が浮滑大で虚しているのは虚熱だし、同じ虚脉でも少し遅くて細脉や弱脉、これは沈脉ではないから完全な冷えではないが、虚熱があるとしても少ない(陽気不足)、このような二つの診方がある。

 なぜこのように虚熱にこだわるかというと、虚熱で瀉法をしなければならない場合があるからである。ここで瀉法という言葉を使ってしまうと語弊があるかもしれないが、虚熱の量によって選穴もドーゼも変わってくるから、これを臨床の現場で的確に捉える必要がある。また、体質的な予後判定とか病症経過、証の伝変や移行なども虚熱の状態を把握することである程度予測できるのではないか。虚熱は臨床現場でもっと注目して良いと私は思う。

6.浮沈脉との関係
浮にして虚の場合は陽気が表に多くはなるが停滞はしない。虚熱を表す脉である。沈にして虚の場合は気血・津液が共に虚して陽気も虚した時で、脉状としては細・弱。冷えを表す。

 同じ虚脉でも浮沈によって病症把握が異なり、そうすると当然選穴も変わってくる。病理を理解するためには、脉状の組み合わせを理解することが重要である。

7.蔵府と虚脉の特徴
色々あるが、簡潔なものだけでも覚えておくと結構使えるものだ。

 左寸口心小腸の虚、これは心や脾の陽気の虚を表す。
左関上肝胆の虚した場合は肝血の陽気の虚。
左尺中腎膀胱の脉が浮にして虚の場合は津液不足の虚熱。
右寸口肺大腸の脉は、毛脉に通じるということで、あるかないかの脉が良いとされるが、沈んで少し堅くて渋ったような虚がある場合は、肺の津液というのは少ないけれども、やはりこれは虚熱と診る。輪郭がなくなって明らかに虚している時は肺気の虚で、このときは身体を触っても必ず冷たい。実際臨床で、同じ風邪でも体温計に熱が出る場合と風邪症状があるが熱はない場合とがある。両者はどこが違うのか。どちらも肺気の虚に外邪が入ったもののはずだけれども、その奥の病理が違っているはずである。
右関上脾胃の脉の虚は、脾気の虚で胃腸の虚熱を現わす。

8.実脉の臨床考察
@実の意味論
実の意味は停滞・充満である。臨床的にいうと、気血の停滞・充満で病症は熱になる。
この時血の中に津液を入れるかどうか。我々が虚実を分けるのは、虚は補い実は瀉すという規定に基くのだが、脉が強くて実脉にみえるが瀉法ができない場合がある。津液が停滞・充満した場合は、脉がしっかり大きくて強くても身体は冷えている、このように強い脉を打っていても同時に身体が冷えている場合は瀉せない。こういう実も、ひとまず実の意味の中に入れておく方がいいだろう。

A実の種類
1体質の実
体質の虚を参照のこと。

 2病理の実
これは気血が停滞・充満した状態で、邪気実と旺気実がある。邪気実とは精気の虚に直接外邪が入ってきた状態で、この場合は当然瀉さなければならない。旺気実とは、精気の虚に内傷が入って身体が虚したときに、五行の相対的考え方で反対側に現れた実である。これはダイレクトに瀉すことはできないので、我々の先輩は輸瀉ということをやったが、今後の研究項目である。どちらの場合も脉はある程度強くて大きいから、邪気実か旺気実かを臨床現場で見分けていかなければならない。

 たとえば左尺中腎の部が沈にして実、指を沈めていくと強くて堅い脉を触れた場合、これは津液の不足から虚熱を発し陽気が不足・陰気が停滞してこういう脉状を呈しているのであり、昔からいう腎に実なしという通り、これは虚と診て補の経穴と手技を使う。
中医学の分類を見ると強くて大きい脉は皆実脉に入れるということをしているけれども、実際は必ずしもそうではなく、強くて堅い実のようにみえる脉でも病理から見ると虚であることがある。これは脉診だけで判断すると間違えることになるから、身体に触り病症を聞きながら判断していく。そうすると、この実脉にみえる脉は身体の陰気が停滞して冷えてきているのだから、これは瀉さずに直接補うか、相剋的に考えてこれを助けるか、温罨するか、こういう考え方ができるようになる。

 3病証の実
『難経』の三虚三実論の考え方。

@実脉と臨床
実脉は、上焦・中焦・下焦いずれかに気血停滞・充満した状態で現れる脉状であるから、熱の病症を表すのが基本ではあるが、前節でも述べたとおり、実脉を呈しているからといって必ずしも熱とは言えない。これは実脉が他の脉状とどのようにからんでいるか、浮いて実なのか沈んで実か、数が絡むのか遅が絡むのかということで判断していかなければならないのである。

 基本として四つの診方がある。
1 気血が実の脉。軽按・重按共に脉を強く堅く感じて、なおかつ大きな特徴は脉が渋る。停滞・充満するというのだから常識的に考えても・が伴うのは当然。代表的な病症は傷寒初期の悪寒発熱である。
2 血実の脉。軽く触れると渋って実、ぱっと診ると消えそうなのだがどこまで沈めていってもなかなか消えない脉。この脉は左関上肝の部に最も出やすい。
3 陽経実の脉。軽く触れても沈めても強く感じる脉で、気血が実の脉とは違う。特徴は指に溢れるような脉であること。これは結構陰がしっかりしているところに外邪、いわゆる風邪が入って陽経邪実の脉になったものである。このときは陽経から瀉さなければならない。
4 虚熱の脉。実脉は大体が実熱なので、これは臨床上多い割に見落としやすい。虚脉の浮大なら虚熱が多くて、それがちょっと細くなり浮きが減ると虚熱が少ない、 これはわかりやすいのだが、このように実脉にも虚熱の場合がある。軽按では大きく実のように見えるが押さえていくと消えてしまう脉。厳密に判断すると実脉ではないのだが、実脉に見える脉である。最近風邪でこういう脉が多いが、この場合は安易に瀉す訳にいかない。こういうとき東洋はり医学会では補中の瀉と言っていたが、これも今後の研究項目である。

A浮沈脉との関係
浮実は陽気が表(太陽・陽明経)に停滞し実した状態。沈実は・血・肺熱を現す。

B蔵府との関係
左寸口心小腸の脉が沈実の時は血圧に気をつけなければならない。
左関上肝胆の脉が沈・実にして渋る場合は・血。
左尺中腎膀胱の脉が沈実なら腎の津液不足。浮数実で、右関上脾の部の脉が虚していたら膀胱炎の脉。
右寸口肺の部の脉がやや沈んで数実の時は肺熱で、燥邪が絡んでいる様な病症である。
この場合相剋の肝の脉をよく診ると虚しているはずだ。
右関上脾胃の脉が浮いて実の場合、これは脾は虚して胃熱があるから必ず食欲がある、
これは邪実による食欲だから瀉さなければならない脉である。
右尺中命門の脉が沈んで、実ではないが力ある脉は妊娠の脉。
このような虚実の診方で、大体大枠をわかっていただけたことと思う。以上を踏まえた上で、浮沈の脉を考察していきたい。

9、浮脉の臨床考察
漢方はり治療の一番の大本は陰主陽従説であり、陰虚である。そのまたもとはといえば精気の虚である。陰虚をいかに理解するかでその先の陽虚・陰実・陽実は容易に理解できるだろうし、陰虚を正しく理解するためには浮脉というものを考えなければならない。

@浮脉の意味論
浮脉とは基本的に風邪・表病を現す脉である。陰陽脉の分類では陽に属する。臨床の現場では、証・選穴や手法が正しければ中位に沈んで、意外と正脉になり易い。

A浮虚の脉証について
  浮脉は肺金の正脉であり、毛脉に通じる。だからはっきりと輪郭が出ていない方が良いとされる。輪郭が出ているのは邪が入っているということである。脉全体が中脉よりもやや上にある。
『脉法指南』では浮脉(この場合は浮虚と考えた方がいいと思われる)のことを「元陽虚極シテ真陰不足ノ脉也」という。元陽虚極とは三焦の虚を示し、真陰不足とは腎虚を指している。『診家枢要』には「浮虚ハ原気不足ノ脉也」とある。これも三焦と腎の虚を指す。
腎虚は陰虚(肝・腎・肺・脾・心包虚)の代表であるから、要するに陰虚と言って良い。
また、人迎気口脉診という祖脉診法があるが、『脉論口訣』には「人迎ニ相応ズルトキハ、風寒経ニ有ル。気口ニ応ズルトキハ、栄血虚損ス」浮虚の脉が右関前一分・気口に表れた時は栄血虚損、つまり内傷であり、左関前一分・人迎に表れた時は風邪が経に入っている、外感病であるという。浮脉という一つの脉状に、外感・内傷の二病症が現れることを示しているのである。今風邪が流行っているが、この患者さんに風邪が入っているかいないか的確に判断して治療をしていくためには、この人迎気口が参考になる。

《陰虚証について》
このように浮虚の臨床的病証は、風症・三焦の虚・腎虚(陰虚)とされる。
「調経論」の四病型論では陰虚証を陰虚内熱証としているが、では人間の身体にどのように陰虚が現れるか、どの様な形で内熱になるのか。

 まず陰虚については、内因による虚の場合を説明している。たとえば肺陰虚の場合、悲しみが過ぎると肺気が散ずる。こうして陽気が虚すると、気が少なくなる。つまり気虚になる。身体の表面が冷たくなり、元気も無くなる。この表陽の部が虚して冷える場合、意外と内には虚熱があって冷飲食したくなるが、これが過ぎると今度は熱があった中焦の脾胃の部まで冷えてくる。表も中焦も冷えれば、その人の気血は渋滞し、内虚となる。これがいわゆる陰虚である。そしてこの陰虚の状態の時に、仕事などで過労が重なると、ますます内部の気が虚してそのうちに食べ物が喉を通らなくなる。エネルギー源が入らないと、上中下の三焦が虚してくる。こうして内熱といって虚熱が発生する。普通この虚熱は、熱は上昇性があるから上焦へいき、そこから邪気として出る。臨床上よく見るのは胸から上にかく汗、あれは邪を出すひとつの現れである。下からは大小便として邪気が出る。ある程度の生命力がある健常者はこれができるのだが、弱って身体全体が低下している人は上下が通じないために、中焦に熱が鬱積して、胸中にも邪熱を持つ。こういう状態を「調経論」では陰虚内熱証というのである。

 この陰虚内熱証の基本脉証が浮虚遅滑(数)になる。

B浮虚の病因と病理について
  肺気が虚している場合、つまり陽虚のときに外邪に侵襲された場合には、浮実になれなくて浮虚の脉証を呈することになる。肺虚(陽虚)の風症には浮虚の脉証もあるのだ。これで病症が進行すれば沈虚の脉証となり陽虚の病症が顕著となる。

 脾の部位に浮にして虚の脉証が出た場合、これは臨床で良くあることで、外邪によるものではなく胃の陽気が虚していると捉える。食欲はまだある、多くは食べられないが食べれば食べることができる。胃の陽気が強くはないけれどもまだある状態である。また、腹風邪といって、風邪をひいて薬を飲むとこのような脉になることがある。風邪ということで左関前一分・人迎が浮にして軽い虚を呈するが、薬を飲むということは湿邪であるから、全体の脉状はやや沈み気味、虚して若干堅い。熱でも冷えでもなく停滞、そんな脉である。身体を触ると冷たい。こういう場合はやはり服薬を止めさせて、陰から補っていくことになる。

 腎と肝の部位の浮虚の脉は虚熱・津液不足と診る。風邪とは診ない。
このように同じ浮虚の脉でも部位によって病理が異なる。たとえば脉が浮虚で数が絡んだ場合に、熱がある場合の証は肺・脾が多く、熱が無い場合は腎・肝の証が立つことが多い。津液不足ということならば、お小水が出すぎていないか、汗をかきすぎていないか、朝のどが渇いているか、などを問診で確かめる。また、浮虚の脉で風邪の場合はそんなに陰が虚していないはずである。陰がひどく虚していて風邪が入った時は、その人の体力にもよるが、陽虚で沈脉になる場合が圧倒的に多いからである。

C浮実の脉証について
  『診家枢要』に「浮ニシテ力アルハ風ナリ。中風、傷風ヲ主ル」とあるとおり、浮いて実の脉は外邪の風邪をあらわしている。

 臨床的には風熱・風寒の病邪により悪風・悪寒・発熱・麻痺・不仁・口渇・頭痛・身痛など陽実の病症を発する。
陽実とは、陽の部(陽経・府・上部・皮膚等)に邪気や血等が充満し働きが悪くなり実熱を発する状態である。

 「調経論」に陽実外熱証の病理を論じている。それによると風雨(湿)の邪気の生体への侵襲は、皮毛→孫絡→絡脈→経脈の経路を通して生体の陽の部に血や邪気が充満し経脈・絡脈が堅くなり、その部を圧すると痛みがひどくなる。この状態が「陽実」である。また、外熱のために気血が実する状態となる。「実」とは気血共に満することである。

 外邪(風湿)は侵入した時、上焦にある陽気が充分に活動していないと皮膚の働きが悪くなってュ理が閉じて汗腺が塞がってしまう。そして陽気である衛気が体表部に充満して外熱を現す。この病証が陽実外熱証である。
この陽実外熱証の基本脉証が、浮実数滑になる。

D浮実の病因と病理について
  浮実の脉証は、陽の部に邪気が充満している状態である。そして病症が表にあるとする。しかし臨床の場では、邪気や血等を表に充満させた生体の病理の理解の方が重要となるのである。この病理を正しく理解しなければ臨床効果は上げられないのである。浮実の脉証は確かに外邪による表病を現しはする。しかし、表ばかり治療しても決して治療効果はあがらないのである。ここにこそ病理の重要性がある。

 肺虚における「浮実」の脉証は、邪気が表に多くなる病症である。これは、肺気の循環や発散が悪い為である。その原因は、素因・飲食・内因等いろいろあるが、とにかく肺気の循環や発散がわるいのである。この病証を肺虚証という。
肺虚になると風や寒などの外邪に影響を受けやすくなる。そして、循環や発散しない陽気が表に停滞し始める。この為に浮実となるのである。つまり浮実の脉証は、肺気が虚した為に陽気(多くは邪気)が表に停滞した状態を現すのである。

 脾虚における「浮実」の脉証は、多くは陽明経(胃・大腸)の実熱である場合が臨床 的には多い。病症は腹満を呈し便秘する。食欲は旺盛であるが余り肥らない体質が多い。

 肝虚における「浮実」の脉証は、肝の蔵している血中の津液の不足を現す。つまり肝虚により虚熱が多く発生した状態を現すのである。病症としては「腹脹」を現す。

 腎虚における「浮実」の脉証は、腎の蔵している津液の不足を現す。そして虚熱が多く発生した状態を現している。病症は「大小便渋る」を現す。

E浮脉の脉証における臨床応用
臨床の場にて浮脉を現す病証についての基本要項は、第一には四時との相関である。例えば夏の時期であれば浮脉は順脉になるからである。つまり菽法との相関である。この事がまず基本となる。

 次に重要となるのは数遅の問題である。浮脉に数が伴なえば発熱を考える。発熱があれば虚実を区別するのである。浮脉に遅があればその病症は簡単なものでは無い事を注意する。予後も良く無い場合が多いのである。

 浮数にして発熱が伴えば、証としては肺虚か脾虚となる場合が多い。
浮数にして発熱がなければ、証としては腎虚か肝虚が多いのである。そしてこの病証の病理は、津液不足による虚熱となるのである。

 浮脉を現す病証の基本的選穴は、浮虚は病理として陰虚の虚熱を現すから陰経の水穴を選穴する。浮実の脉証は、外邪としては風邪を現すから陰経の基本的選穴は木穴であ る。陽経の基本的選穴は胆経か小腸経の金穴である。急性病の場合は瀉法が適応する。

つづく