◆研究

寒熱の臨床考察

 

1、はじめに
八綱の臨床考察ということで寒熱についてお話しします。
寒熱というのは一般的には湯液の考え方であり、鍼灸のほうでは六淫の邪ということで風、暑、湿、燥、寒、火つまり外因として寒熱を考えています。

この六淫の中にでてくる寒熱というのは病因であります。しかし、八綱の中に出てくる寒熱の考え方の基本は、診断学、要するに病理考察の基本になるものです。このあたりを臨床の場でどのように考えて臨床実践に結びつけたらよいのか。この事はなにも難しい事ではなく患者の訴える病症を対象として、その場その場で考察をしていけば良いと思います。

臨床の場より寒熱を考えると、最近カゼがかなり流行っています。このカゼということを考えた場合、昨年の暮れにかけてのカゼと今年に入ってからのカゼとでは、今年に入ってからのカゼの方がすこぶる経過が良い。これはもちろん証とか、そういう基本的なことがしっかりできての話ですが、現在はカゼが治り易いそういう時期に入っているということなのです。ところが昨年のカゼというのは、これは『傷寒論』から考えても治りにくいというような大気の流れというものがあります。最近は陽の光が全然違います。確かに二月四日に立春になって大気の動きはもうまさに春なのです。春に入ってきているということはカゼに関して、つまり傷寒に関しての治療経過というものはかなりよくなっています。この様な事も寒熱をどのように診ていくかの一つの前提になろうかと思います。

先にも触れた様に「寒熱」というのは湯液の独壇場であったから、鍼灸治療のなかで寒熱というのは今までの臨床にはあまり取り上げられなかった。これは陰陽五行の考え方とか、六淫の邪だとか、病症の考え方とかいろんなことがあって取り上げなかったのです。軽視したわけではないですが、寒熱を弁別するということは熱に対しては冷やす薬方を与える、冷えに対しては温煦剤を与えるというような薬方上の診断においてどうしても寒熱というものが重要視されたというのが基本だと思います。

しかし、漢方鍼医会を作った時点で「八綱」を取り入れようという気構えがありまして、当然その中には表裏寒熱というものがあります。鍼灸の臨床応用の視点から考えると、この寒熱というものはないがしろにできないということでこの時間が設けられたのです。

2.寒熱の病理考察
寒熱を臨床応用する場合、まず六淫の邪つまり風、熱、湿、燥、寒、火という邪が体表から入ってきたときの病理というものを考えなければならない。
寒というのは陽気が不足した状態であり、熱というのは陽気過剰というか陽気が留まっている状態であります。これが基本的な考えになります。

こういう考え方をする場合には臓腑を前提において考えるのです。するとそこに病理がでてくるわけです。今まで経絡治療でやってきた段階においては病因論ですね。ところが八綱的な寒熱ということを考えるとこれが見事に診断学、病理学のほうに入ってくる。
この病理の大本はなにかというと気血・津液です。気がどうしたのか、血がどうしたのか、津液がどうしたのかということに繋がるのが病理の診方です。その一つの診方として寒熱というものが入ってくる。

それでこの寒熱というものと六淫の邪というものとをどのようにみていくかということになると、寒には寒邪と湿邪が入る。熱には熱邪、暑邪、燥邪、火邪が入る。六淫の邪の中で風だけが寒熱には入っていないのです。
風というのは「百病の長」と言ってすべてに影響する邪ですからそういうような分け方になります。これは多分に独断的なところがありますが、病症的とか病理的に考えるとあながち独断ではなくて、今まで六淫の邪ということで外邪というようなとらえ方でしたが、こういうような湿だとか暑だとか燥だとか、もちろん寒熱もそうですがこれが内傷として考えられるんです。

このような考え方は昔からありました。例えば、傷寒というのは寒邪が体表面から侵したものを言いま す。ところが中寒というのがあるんです。中寒というのは五行説で考えると腎にまず中るんです。これは 臨床現場を考えていただいて、いまカゼが流行っています。この考え方を参考にして臨床実践すると治療 効果も良いし、病証も診誤らないことになると思います。

しかし、脾胃に中る場合もあります。こういう病症は多いのです。このように傷寒と中寒とがあるのですから、湿にも内湿と外からの外湿というようなものがあるわけです。要するに内湿的な邪と外湿的な邪があるというわけです。梅雨時みたいなジメジメした時は明らかに外湿的ですが、そうではなくて水毒に侵された、薬を飲みすぎたとかこういうのは明らかに内湿です。当然燥邪にもそれがあります。これから花粉症が始まりますがこの花粉症をどのように理解するか。「温病」の考え方とか、「冬温」の考え方と か、「寒疫」の考え方とか、「傷暑」の考え方とかこれはやはり時期的によって色々考えないといけない。この花粉症は明らかに燥邪だと思いますが、燥邪がどのような形で入ってきているか。内燥的に入ってきているのか、それはまあこれからの研究課題になります。
とにかく寒の中には寒邪と湿邪があり、熱のほうには暑邪、燥邪、火邪、熱邪がありいずれにおいても外から入ってくるものと内から入ってくるものがあります。

この事を傷寒論的に考えますと、例えばマイナス四十五度の寒気団がきてその時にスカートをはいて出かけたら冷えちゃったというような、まああれは下から入ってくるけれども、傷寒的に体表から邪を受けると、これは条件があるんだけれども気虚と言うか体が弱い人、または脾胃が弱くて気血の生成が少ない人、腎なんかの弱い人って言うのは陰まで寒邪が入ってしまうんですね。普通、表面に寒邪が中ると表は熱になるんですよ。ところがそういう弱い人は寒邪が陰に入ってくると冷えになるのですね。これは臨床でいくらでもあることで、そういう理解のもとに病気をみていかないと、簡単にカゼの治療をすると意外と誤治をする。

そういうのは先程の補瀉論の中で虚弱体質とか、生命力の弱い人というのは邪が表から入って熱をだしてても、陰は冷えているんだから補わなければ駄目だ、温補しなければいけないというようなことが臨床の場では出てくると思うのです。それを陰から補って陽から瀉せばいいんだというような考え方ではなく、寒邪も熱邪も表面から入るのと中から直接侵されるものもある。八綱の寒熱の重要点はここにあると思うんですね。

今までは外因ということで風、熱、湿、燥、寒、火という病因論として臨床の中で取り入れていた、ではその寒熱がどのような状態になったかという事、例えば下のほうに冷えがあって上のほうに熱がきているとか、そうじゃなくて表面が熱していて中が冷えているというように病理的にどう考えていくかということが八綱のなかの寒熱の診方の一つではないかと思います。

3、寒熱の重要点について
診断の基礎として考える寒熱の重要点は三つあります。
第一に病証として寒証か熱証かを把握するということ。
第二に寒熱が上にあるのか下にあるのか、表にあるのか裏にあるのか、それとも表裏とも冷えているのか熱しているのか、上下とも冷えているのか熱しているのかという上下表裏の寒熱の診分け方。
第三は寒熱の真仮。これは重篤な患者さんですからあまり来ないが、冷えているように見えて実は中では熱している。この場合は実熱ではなくて陰虚火動的なものだと思うがそういうような熱。

この三つの診方から寒熱をとらえるのが八綱理論の基本論なのです。
これを我々の臨床の場でどうとらえるかが重要なのです。病因としての寒熱が生体に入ったときにのような反応を示すか、それを把握するのがもっとも重要になろうかと思います。
まず寒邪の場合ですが、これは冷えですから冷えと言うのは表から入ってきて陽気特に衛気を傷りやすい。今までの経絡治療の理論では、寒邪は五行の色体表でも肺のところにあったり腎のところにある。つまり寒邪は腎と親和性があるというような分類法をする。

それよりもこの冷えは陽気を作る大本である脾胃、特に脾の陽気を冷やしやすい。これは当たり前のことで、陽気を傷りやすい性質があるからその陽気の大本である脾を侵しやすい性質がある。
ところがここでは二つの考え方があって、池田先生は腎を傷るという。確かに臨床の場で病症を考えると、冷えが腎を傷るということもある。この傷寒、寒邪を一番受けやすいのは一月頃だと思う。この時期は腎もあるが、陽気生成の場である脾胃ということもやはり考えておかないと臨床の場で使えないと思いす。陽気を傷りやすい性質ということは病症から考えると冷えの病症であり、皮膚を触ると冷たいということですね。

二つめには気血の陽気を傷るから気血の循環障害を起こす。冷えた場合は体が硬くなります。硬くして体の代謝を抑える。つまり気血の流れが阻害される。例えば北海道辺りに行ってみると、今日辺りはマイナス十度ぐらいですが皮膚が痛いって感じを受けます。つまり気血の流れが悪くなって痛みとして出てくる。そうすると先程も行ったように縮まるという作用が現われる。少しでも縮まって陽気を逃がさないようにしようとする。寒邪が中るということ自体が収縮しようという作用を起こすのですが、これは何に対して収縮するかというと経脈とか筋脈とか組織とか滕理ですね。

寒邪が中るということは以上のような三つの反応を引き起こす。この三つを基本として患者さんが現す病症を考えるのです。
例えば皮膚を触ってみて冷たいとか、最近体の動きが悪くなったとか関節が重いとか、まあこれは湿邪のほうが絡んでくるが、そういうような形で現われてくる。もうお分りのように脉状はどうなるかというと緊脉というか、締まった硬い脉状になる。
ですから寒邪というのは湿邪であり、水邪であり、津液が不足したときの脉でもあるわけです。脉は硬くなる。これは一つの基本論ですがこういうような捉え方をする。

4、湿邪について
次に寒邪の親戚である湿邪ですが、これは四つに分けてみました。
第一に四肢や関節が重くなる。要するに湿邪を帯びるということは寒邪に通ずるものがある。患者には濡れた衣服を着たような感じになってくる。重くなると話します。
湿邪というのは水邪だから水気を帯びる。ということは重くなる。特に関節が重くなってくる。

第二に分泌物や排泄物の障害が起こる。例えば女性だったら生理以外におりものが出てくる。便だったら泥状便になるとか。ただ湿邪の場合は寒邪と親戚ですから便の匂いというのはあまりしない。これが匂ったらやはり熱邪とか暑邪を考えないといけない。薬なんかもみんな湿邪になります。それから食事なんかもみんな湿邪になる。例えば肉類みたいな動物性のものを過食したらにきびみたいなものが出てきたというのもやはり湿邪の一種じゃないかと思います。そして小水、これは冷えとの絡みもおおいけれど回数が多くなるとか、濁るとかそういうのはまずこの湿邪が絡んでいると思います。

第三に好んで下焦のほうに障害が起こりやすい。下焦というのは臍下ですよね、腰から下肢。例えば関節が重いといっても膝の関節が重い、足関節が重いというように下焦のほうに障害が起こりやすい性質がある。

第四に脾胃や陽気を傷害しやすい。寒邪の一種ですから。陽気を障害するとどうなるかというと、陽気というのは衛気、営気特に寒邪の場合は衛気ですが、これらを障害すると水分代謝が悪くなって浮腫を起こす。これも下焦に起こりやすい。だから身体全体の浮腫と下焦の浮腫とでは違うと思います。脉状はどうなるかというと沈んでホを帯びる。このホというのは結構はっきりと渋る脉で硬い感じがあるんです。

5、熱邪と燥邪について
今度は熱のほうに入りますが、熱邪と燥邪ですね。
熱邪はやはり四つに分かれます。

第一に熱邪は寒邪と湿邪、特に湿邪と違って上焦の熱病症として現われやすい性質がある。暖房をしていると暖気は上のほうにいって下のほうは冷えている。これは自然の現象ですから人間の体だってこうなるんです。熱が体に入るとそれは上のほうへ行く性質がある、それで熱症状を現す。上のほうに熱が行くと咽が渇きます。だから熱邪のいちばんの特徴は口渇です。そして口とか舌とかに傷ができやすくなる。それから目が赤くなったり、頭痛があったり、もっとひどくなると精神障害を起こすということになります。もちろん煩躁といって胸のなかがもやもやするような症状が起きやすくなってきて熱があれば発汗する。そういうような性質がある。

それから脳内出血。たとえばクモ膜下出血とか脳出血とか、これは風との絡みもある。

第三は熱邪というのはやはり津液を消耗する。水を器に入れて火にかけると水が蒸発してなくなる。こ の津液を消耗させるということによってまず口渇がでてきます。それも朝の口渇が多いですね。そして津液がなくなる代表病症は便秘です。これは胃の熱もあるが、やはり便秘ということは小水が出すぎて、または汗をかきすぎて、または他の原因によって津液が少なくなり便秘になる。それとおしっこが赤くて少ししか出ない。あるいはトイレでかまえてもなかなか出ないというような、要するに尿量が減るのです。熱があるから口臭も出ますね。

そして四番目には熱邪は生気を消耗しやすい。ですから熱でも虚熱ぐらいだったらまだですが、それが慢性的になってくると生気を損傷して将来的には死の転帰をとる。この熱邪はその性格から脉は浮いて洪脉になります。
それから今度は燥邪です。燥邪は花粉症に関係してくると思うのです。日本は燥邪がないなんて説もあるけれど決してそんなことはないと思います。

燥邪は三つに別れます。
第一に好んで肺を侵襲する。肺というのは乾燥を好む臓器ですが、ある程度の和緩があっての乾燥であり、それが乾きすぎてしまったら咳になります。それも夜にでる咳が悪候なのですね。そして痰のからまない空咳をよく発症する。燥邪だからそういう咳がでる。
たとえばカゼひき患者が来て咳をしていても、それが水っぽい咳になってきたらこれは大丈夫だと思う。ところが、痰がからんでなかなか出にくいような咳だとか、反対に何もからまないで咳が続くとそのうちに唾に血が混じってくる、やはりそういうのはよくない。それは肺を乾かすから空咳になる。粘膜が干涸びてくるから咳をしたときの勢いで粘膜が切れて出血してしまう。その時の出血は鮮血ですね。それからこれが慢性的になってくると喘息になってくる。ですから喘息の原因には色々あって、主に水毒が原因だというが、やはり燥邪からくる喘息もあるだろうと思います。

第二に燥邪は乾かす邪ですから陰液を消耗する。陰液を消耗すると肺の色々な機能に障害が出てくる。要するに粛降作用という下のほうにばらまくというような作用など、肺の陰液を主とした機能的な作用が行なわれなくなってくる。

第三に燥邪は津液を傷る。この時の病症としては皮膚が枯燥する。肺は皮膚を主りますから体表面=肺というように皮膚とものすごく関係がある。もちろん津液が傷られるんだから口渇があり便秘をする。経絡治療の他の会にいたときに、便秘症=肺虚証だというような弁別をしていたが、これは燥邪とのからみでこういう形になるというわけですね。
脉状は細数の脉だと思います。これは浮いていても、沈んでいても細数の脉状が基本になる。

6、臨床応用について
こういうような形で寒邪とか熱邪だとかいうものを捉えていくと色々と臨床の場で応用出来ると思うのです。少々解釈違いがあるかもしれないが、大意としてはそういうような形でいくと思います。

例えば寒邪が脾の陽気を傷る、そして中焦が冷えてきて発する病症はすごく多いのではないかと思う。この様な病症に対して「たくさん食べろ、栄養を大いに取りなさい」という指導をするが、これは東洋医学的に考えると間違っていると思う。そういうような間違った指導の下に、薬は飲むは、注射は射つは、食べれないのを無理して食べるは、それでよくなったかと言うと逆に悪くなったと言って来院する。これを人迎気口脉診で診ると明らかに風邪は入っていない。人迎は沈んで硬くなっている。そして臍の辺りを触ると冷たい。こういう場合には大体胃腸とか中焦が冷えている。こういう症例がすごく多い。ですからカゼではない。本人がいくらカゼだといってもやはりカゼではない。だから薬を飲んでもよくならない。こういうよな病症の原因は服薬にあります。湿邪ですね。だから湿邪というのは陰邪でもあるんです。ダイレクトに陰を侵して脉が沈んでホをおびて硬いというよな脉になってくるのは湿邪の特徴ですね。そして湿邪というのは脉が遅くなる傾向がある。湿邪は寒邪の一種ですから。

それとおもしろい症例ですが、朝起きると吐き気がする、吐くまでいかないけど吐き気がするというんですね。この人のお腹を触ってみると温かい。臍の上は冷えていない。ところが胸が冷たい。これは下に熱があって上が冷えている事を現します。よく漢方の病理で「呑酸」というのがあるが、これはお腹に熱がある。だから食欲はある。けれども胸のほうが冷えているから朝必ず吐き気がする、それも何ヵ月も続いている。そして食べると吐き気がおさまる。そして薬をいろいろ試すが治らない。

薬を続けているから本来あった食欲までが落ちてくる。これは明らかに湿邪が入っていますね。そしてお腹に熱があって胸が冷えるんです。胸には熱があって生理的なのです。肺は乾燥を好む。燥邪っていうのは熱につながるし、心臓は生まれてから死ぬまで動く臓器ですから当然熱をもっている。熱があって当然であるのにそれが冷えているという形で吐き気がでてくる。ですからこの胸の冷えを取るためにどうするかという証を考えていく。そういうような症例ですね。

7、手足厥冷について
それからこういう患者もすごく多いと思うのです。手足が厥冷する、または足だけが厥冷する、手だけが厥冷する。そしてもう少し進むと肘関節、膝関節ぐらいまで冷えてくる。この様な病症を八綱でどういうふうにとらえていくかが診断です。

野口晴哉という先生がおもしろいことを書いている。「カゼは恐がることはない、カゼをひくということはそれだけ生命力というか柔軟性が賦活される。カゼを一回ひくと、ひき方にもよるけど一、二年は寿命が延びる」と、そこまでは言っていなかったかな。まあそういうような具合にとれる。また「カゼはひくもんじゃない、経過するものだ」とも言っている。よく患者さんに「先生はあまりカゼをひかないですね」と言われけど、私はその時に「カゼはひいていないけれども経過はしているよ」と言うんですね。人間は誰だってカゼはひくんだから。経過というのはどういうことかというと、午後五時にカゼをひいて午後六時に治る、これをカゼの経過というんです。私の場合、風邪がはいるとまず肘が冷たくなる、そしてそれを放置しておくと手が冷たくなって悪寒がしてくる。だから肘が冷たくなった段階でそれなりの予防をしておくと午後五時にカゼをひいたのが午後六時には治ったということになるんです。

野口先生というのは体が弱かったけれど、それでも五十才くらいまでは生きたかな。ちょっと変わった人だったんですが「体癖」と言いまして体の癖ということをものすごく強調して「体癖論」というような本も何冊かだしている。要するに体の癖を見抜けというんです、それぞれみんな癖があるから、患者さんが治療室に入ってきたときに歩き方をみると、病気がはっきりしている場合、たとえば腰が痛かったら腰が痛いような格好をしている。けれどもそういう症状がなくても右足をちょっと引きずっているような歩き方をしているとか、跳ねるような歩き方をしているとか、ちょっと前かがみで入ってくるような感じとかいろいろある。例えば、前かがみで入ってくるような人の背柱は大体三、四、五番辺りに邪というか気血の滞りがある。右足を引きずっていれば、右股関節の経気の流れが悪くなっているとか、何かわかるはずだと思うんですね。そういう具合に体癖ということを重要視しておられた。

話を手足厥冷に戻す。胸は生理的には熱があるから手も普通は温かい。しかし生理的ではなく病的に胸に熱が溜まったときには手は冷えてくる。この場合お湯などにいくらつけても出したらすぐに冷たくなる。その場合にもうひとつ、それだけでは判断できなかったら口渇がある。この場合は上熱を考えますね。上に熱があるということは、病的には必ず下に冷えがあると思うんです。それがいわゆる生体のひとつのバランスというか、それで微妙にバランスをとっていると思うんです。ですから、それを捉えたら口渇はありますかと聞きます。そして、口内炎とか口角炎がないか、面疔みたいのがないかとかそういうものを付随的にみていくのです。要するに手の冷たさは、大体の部分において胸の熱とイコールになると思うのです。胸の熱がとれてくると手は自然と温かくなってくる。昔から手の冷たい人は心が燃えていると言うけど、これはあっているんですね。

今度は足が冷たい場合ですが。この足が冷たいのにも落し穴があると思うのです。これは最近の患者さんを診ると足が冷たい場合が多い。温かい人もいるけど。
つま先のほうが冷たい場合と、足の中心が冷たい場合とこれはまた違うと思のんです。つま先が冷たいのは温かいもので温めていくとすぐに温まるのです。ところが中心部、足関節の中心部まで冷たくなる、特に湧泉の辺りとか腎の辺り全体にかけて冷たくなると完全な冷症として捉えます。そして、足が冷たいということは上のほうに熱がある。例えば下腹や臍を押さえてみて冷たい、そうするとこれは必ず下痢をしていると思うんです。下痢をしているとお小水も色がなくて透明感があってちょろちょろと長いというような状態です。ところが「寒熱錯綜」と言いましてそういうふうに額面どおりにいかない場合も臨床の場ではありますが・・・。臨床では基本的なものを押さえて手足の寒熱・厥冷というものを捉えていく事になります。

それから女性の場合の冷症というのがあるが、この場合は手足はもちろん下腹の辺りまで冷たい。女子大の卒業生が卒論で冷症を取り上げたのが新聞にでていたのをみました。普通の人の体温というものは三十六度ぐらいですね。ところが冷症の手足の温度はそれよりも二十度ぐらい低くく十六度ぐらいしかない。それでこの場合ホカロンなんかで温めてもすぐに冷えてしまう、絶対に温まらない。これは体の中の陽気が充分に動き回らないと温まってこないのですね。この様な冷症の場合はまた病理が違ってくる。ですから手足厥冷は手足がともに冷えている場合、手だけが冷えている場合、それから足だけが冷えてい るということによって病理も変わってくるし、証もある程度違ってくる。

いずれにしても、そんなに冷症がなくて手足の末端が冷たいという病症を現していたら、これは体のどこかに熱があると捉えられるし、それに付随する口渇だとか、大小便の出方である程度の診断はつくものです。

8、寒証・熱証について
この寒熱というのは陰陽で総括される。証では熱証、寒証という病理状態を現し、我々のところに来院する患者の病症を診ると必ずどこかに寒熱があるんです。だから、この寒熱をどのように診断してどのように考察して証につなげて治療を行なうかが重要となる。

寒証・熱証の病症というのは、口渇の病症で考えると寒証では口渇はしないが熱証では口渇を現す。寒証はたとえ口渇しても仮の口渇です。飲みたくないのです。ところが熱証の場合は口渇自体たいしたことがなくても大いに飲みたがる。それも冷たいものを飲みたい。寒証のほうは四肢が厥冷しやすいが熱証は手足はむしろほてる。小便は寒証のほうは臭いがなくて、清くていつまでもだらだら出ている。熱証のほうは短くて色がついて臭う。それから寒証のほうは下痢をするが熱証のほうは便秘となる。顔面では、寒証では蒼白になるが熱証では反対に紅潮する。

要するにこれらが基本で、寒邪とか熱邪とか湿邪とか燥邪等はそういうものを考えていけば良いと思います。

9、寒熱と経絡・蔵府の関係
寒熱がどのように経絡とか臓腑を侵すかということですが、例えば傷寒の病症は表面を寒邪が侵すとしている。表面というのは皮膚ですから肺が関係する。そして、寒邪が体に中ると熱はどの様に人体を障害していくのか。まず太陽経に熱邪は行く、太陽経にいった 熱が陽明経に行って少陽経にまで行く。ですから証を把握した場合、熱病症であれば熱を瀉さなければいけない。

邪には伝変というものがあります。少陽経から今度は陰経である太陰経に行く。そして少陰経から厥陰経までも行くというのですね。このように寒邪が体表を侵した場合に、体熱の移動は「傷寒論」では太陽経、陽明経、少陽経、太陰経、少陰経、厥陰経と行くんだというのです。

これを治療と結びつける場合にそれぞれの病症がある。太陽経の場合はやはり膀胱経ということを考えます。この場合の病症は、項背が強ばって頭痛がするというのです。要するに、太陽経でも一番陽的な場所である項背の所で滞って熱を出すからそこに強ばりとか頭痛だとかが発症する。そして陽明経に行くと高熱になってくる。また、陽明経は目や鼻を通っているのでその場所に痛み等を発症する。少陽経は脇を走る経ですから脇のほうの病症や耳の病症が出てくる。

傷寒の病症は、陽気を傷つけて気血の流れを悪くするわけですから、経絡の走っている場所に痛み等が出る事になります。例えば、急性の傷寒で来たカゼ患者を診る場合に、熱がどこにあるかということを診ていかなければいけない。その場合、病症との兼ね合いで太陽経にあるのか、陽明経にあるのか、少陽経にあるのかというような診方をしなければならないと思うんです。残念ながら、こういう傷寒論的なカゼ治療というのはまだまだ研究中であり今後の重要な課題となっています。

しかし、臨床の実際は、こういった患者は少なくて大体が表裏ともに寒邪が入てくる場合が多い。太陽経と少陰経に一緒に寒邪が入ると、太陽経のほうでは頭痛、発熱が出るのです。ところが少陰経のほうは腎に繋がっているから下腹が冷えてお小水が近くなったり出なかったりで足も冷たくなる。病証としては「虚証」となる場合が多い。それと服薬のための「湿邪」により虚証の病症を発症する。だから、病症としても発熱はしているのだが微熱 度であり、むしろ冷えの病症を多く訴える。食欲もなく、夜は何回もお小水に起きる。日中でも一時間間隔で行く。でも患者は「カゼをひいているのですよ。なんとかして下さい」と言って来院する。こういう病症は瀉せないわけです。

今後の研究課題としては、「難経」の五邪論の考え方と傷寒論的な考え方とは若干の違いはあるが、この辺は押さえて漢方はり治療としての体系を構築する事が大変に重要となってきます。

10、まとめ
八綱理論は、学問的に字面的にまとめれば理路整然としたものができますが、実際臨床の場となるとそうはいかない。例えば、寒邪は腎に親和性があるから陰に一番入りやすいとされる。

しかし、臨床現場では必ずしもそうはいかない。それと、寒邪は表から入るんですが、湿邪となるとダイレクトに陰に入るような内湿的なものもある。これは虚があるからそれに乗じて入ってくるんですが、例えば栄養剤を健康のために飲んでいるとか、ちょっと食事を不摂生したとか、そういうのはみんな湿邪になる。そうすると必ずしも表からだけ入ってくるものではない。それと、寒熱の表裏、上下、左右といった場所による病理的な診断も重要であります。