ミニけいと けいとの病状経過
   
7カ月半、気の休まる暇もない程、変化の多い毎日でした。
そのなかでも、大きな病状の変化と治療をまとめてみました。

   

1999年12月1日
   
午後4時13分、3170gで誕生。
特に異常は見られなかった。
   
  

12月2日
    
正午すぎ、血液中の酸素濃度値が低いため、土浦協同病院へ転送され、検査を受ける。
そこで「左心低形成症候群」の可能性が高いと言われ、急きょ東京の榊原記念病院に転送される。
心エコーなどの検査で「左心低形成症候群」と診断される。
容態が安定していれば、12月6日にノルウッド手術の予約が入る。
    

12月5日
    
夜、感染症のため、翌日6日のノルウッド手術が延期になったと連絡が入る。
    

12月10日
    
6時間半のノルウッド手術、終了。
この日のうちに、胸を閉じることができる。
ICUでの治療開始。
    

 
   
52日間のICU滞在中に、腎臓・肝臓の衰弱、感染、横隔神経麻痺などの問題点あり。
    

2000年1月31日
   
呼吸器をつけたまま、NICUへ移動。
    

2月22日
    
カテーテル検査。
この結果、現時点でグレン手術は無理があるので、人工血管の
バンディングの手術のみをすることに決定。
       

2月26日
   
約2時間半のバンディング手術、終了。
ICUでの治療。
    

3月2日
   
NICUへ戻る。
    

4月14日
    
横隔膜の動きを見る透視検査を実施。
結果は、動いていないとのこと。
横隔膜の縫縮術の話が出る。
4月26日にグレンのためのカテーテル検査の予約。
      

4月22日
    
重度感染症(敗血症)にかかっていた。
抗生剤、輸血製剤、等の投与開始。
4月26日のカテーテル中止。
    

5月12日

敗血症が沈静化しつつあったが、除脈を何度か繰り返したため、カテーテル検査の予約が入る。
    

5月16日
    
カテーテル検査。
1.心臓の動きや静脈圧の予測から今がグレンのやり時。
2.敗血症の完治のために人工血管を取り除く。
この2つの理由から、危険性は高いが手術をすることに決定。
5月26日に予約が入る。
    

5月26日
    
6時間のグレン手術、終了。
グレンの流れは成立した。
人工血管を取り除くこともできた。
ICUでの治療。
    

5月31日
    
NICUへ戻る。
横隔膜の処置をしないと呼吸器は外せない様子。
    

6月3日
    
血液検査の結果は(−)だった。
人工血管を取ったことで、4月から引きずっていた感染症は治った。
    

6月12日
    
再度、横隔膜の透視検査。
横隔膜はまったく動いていない。
この結果を専門医に診てもらい、横隔膜の処置法を決める。
    

6月13日
   
グレン手術以来、胸水が減らず、グレンの流れを邪魔する側副血行路があると判断。
グレンの流れがスムーズにするために、側副血行路をコイルでつめるカテーテル(コイル塞栓術)の予約が入る。
     

6月20日
    
コイル塞栓術のカテーテル。
詰められるような、太い側副血管はほとんどなく、期待する効果は得られなかった。
細かい網の目状の側副血管がたくさんできているようだ。
    

6月22日
    
コイルで詰められない側副血管を手術で潰した方が良いかもしれないと言われる。
ミルクが吸収しなくなる。
   

7月8日
    
何日か前から様子がおかしいように感じていたが、再度、重度感染症にかかっていた。
心エコーで、心内膜炎と診断。
大動脈のくびれている部分に、菌の塊(遊ぜい)が見つかる。
    

7月15日
   
午後1時59分、慶人永眠。
    

  
   

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