みどりけいと  ノーウッド手術

   

産院から3日早く退院したママはパパと一緒に、
とりあえずの荷物をつめて翌日慶人の待つ病院へ向かった。
久しぶりに会う慶人は別人のようになっていた。
体中にたくさんのチューブが巻き付いていた。
そして、お薬で眠らされていてピクリともしなかった。
悲しくて、可哀想で、慶人の手をなでながら泣いた。
翌日は勝負の日だった。

ところがその夜、感染のためノーウッド手術が延期になるとの連絡が入った。
家族中が静まり返った。
手術さえも受けられないのか・・・。

慶人は頑張った。
4日後の12月10日、
先生方の治療のお陰で手術ができるようになった。
予定通り、約6時間半の手術。
言葉には表わしようのない、6時間半だった。
慶人は見事にノーウッド手術を乗り切った。
その夜は、電話のベルが鳴る恐怖と昼間の興奮でほとんど眠れなかった。

翌日から、毎朝9時からの10分程度の面会の生活が始まった。
悪い話はでてきても、良い話はなかなか聞くことができなかった。
いつになったら、NICUに戻れるのだろう・・・。
先が見えない毎日。
大人の患者さんも一緒のICUでの待ち合い室では、
子供に面会の若いママ達が明るく話している。
「先生と2泊3日の約束だったの」
「うちは長いのよ、5日!」
なんて声が聞こえてくる。
なんでこんなに違うんだろう・・・と胸がつまる思いだった。
周りとのギャップに、この頃になってやっと「左心低形成」の重症度を実感してきた。

慶人は結局ノーウッド手術後、52日目にNICUに戻ることが出来た。
しかし、決して調子が良くなって戻ることが出来たわけではないことは
先生や看護婦さんの言葉や態度からわかっていた。
   

   

   

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