きいろけいと 家族バラバラの生活

   

ここから慶人との7カ月半の闘病生活が始まった。

「慶人」という名前は数ある候補の中から、パパが選んだ。

『今、これだけみんなが悲しんでいるんだから、
これからは人に慶びだけを与えられる人間になって欲しい』

そう願って選んだとパパは言った。
ママも「慶人」が良いと思った。

ママは一刻も早く退院したかった。
廊下を歩くのもつらかった。
周りを見ないように歩いていた。
慶人の手術の予定に合わせて、3日早く退院できた。
これも帝王切開にならなかったお陰だ、と頑張った慶人に感謝した。

家に帰り、パパから慶人の病気について話を聞いた。
「左心低形成症候群」という病名。
大きな手術を3回やらないと治らないこと。
最初の手術が1番難しいこと。
成功したら、2カ月くらいの入院で一度家に帰れること。
そして、半年後に再手術をすること。
病気の詳細を知ったのは少ししてからだったと思う。

慶人が1度退院するまでは、ママは東京の実家から毎日病院へ行く。
パパは茨城でお仕事。
週末は一緒に病院へ。
この生活パターンしか選択肢がなかった。

思い付くままの荷物を車に詰めて、慶人の寝ている病院へ向かった。
   

    

   

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