呼吸器や点滴のチューブがとれた慶人が寝ていた。
生まれた翌日以来、久しぶりの素顔だった。
可愛かった。
とてもきれいな寝顔だった。
パパと二人でお風呂にいれて、着替えさせてあげた。
先生、看護婦さん、みんなが見送ってくれた。
「お母さんも早く元気になってください。」
ずっとお世話になった大好きな主治医の先生が、
ジッと目を見てこう言ってくれた。
パパと慶人と車に乗って帰った。
やっと、帰れる。
やっと3人だけになれる。
慶人の死を実感する前に、ずっと一緒にいられる嬉しさがあった。
慶人が初めて我が家に帰って来た。
慶人をまん中に布団を3枚敷いた。
慶人の新しい布団を初めて使った。
初めて親子3人、川の字になって寝た。
7カ月半にして、初めてだらけの一晩だった。
うとうとして、目が覚めて横を見ると慶人の横顔があった。
自分の手の届く所に、慶人が寝ていた。
気持ちよさそうに寝ているような、かわいい寝顔だった。
隣にいることがこんなに嬉しいなんて・・・。
幸せ・・・と思う瞬間、現実に戻った。
少しでも慶人と一緒にこの家に居たい。
できる限り葬儀をのばした。
ずっと慶人のそばに居たい。
でも、パパとママの大きな仕事が残っている。
無事に葬儀を終わらせなくてはいけない。
泣いている場合じゃない。
慶人が家に居た3日間、大勢の人が慶人に会いに来てくれた。
お世話になった看護婦さんも会いに来てくれた。
この家にいる慶人に会ってもらいたかったので、とてもうれしかった。
自慢の慶人をみんなに見て欲しかった。
誉めて欲しかった。
お通夜、告別式の会場では
慶人が病院で聞いていたオルゴールをながしてもらった。
慶人はこれを聞いて泣いたり、笑ったり、怒ったりしていた。
控え室では、ビデオに撮った慶人の映像もながしてもらった。
生まれて「お誕生、おめでとう」
と言われる前に病院に入ってしまった慶人。
そのまま、みんなにお披露目できなかった慶人。
でも、こんなに頑張ったんだから、その姿を一目みてもらいたかった。
パパもママも慶人を披露したくて必死だった。
7月20日、慶人の告別式は、慶人のお披露目会だった。
告別式の翌日、右腕が痛かった。
筋肉痛だった。
最期の日、ぎりぎりまで抱っこしてたもんね。
慶人を抱いて初めて筋肉痛になったのが、慶人が小さくなった後だった。
この筋肉痛、ずっととれなければいいのに…。
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