パパもママも「そろそろ子供ほしいね」って言ってたら、 慶人はすぐにおなかの中にやってきた。 でも、安定期にはいるまでは大変だった。 仕事も一時中断。 最初は10日間安静の指示だったのに治まる気配がなくて、 結局1カ月寝たきりの生活が続いた。 安静の生活が始まるとすぐに「つわり」が襲ってきた。 寝たきりの生活で気分を変えることもできなかったためか、 とてもひどいつわりだった。 食べ物はもちろん、水を飲んでも吐いていた。 体重も5Kg減ってしまい 「こんなの、もういやだ〜。」って泣きたかった。 でも、布団の中で 「あかちゃん、頑張れ、このまま育ってね。」って話しかけていた。 だからこんなに大きな病気を持っていても、 ちゃんとパパとママに会いに出てこられたんだ。 このときから、慶人は強くて頑張り屋さんだったんだ。 うれしくて久しぶりにお昼ご飯をちゃんと食べることができた。 パパとコーヒー牛乳で「乾杯!」した。 母子手帳ももらい、少しだけ母親になるんだって気がしてきた。 おなかの中の慶人は、このころから「ジュニア」って呼ばれていた。 命名したのは、パパ。 パパが自分のジュニアだって言って。 生まれた後「慶人」と名前がついても、 しばらく「ジュニア」って呼んでたっけ。 ママはこの後、慶人が生まれるまで毎日のんびり幸せな日々を過ごした。 友人に会ったり、少しだけお仕事したり、慶人の洋服も作った。 本を読んだり、ビデオを見たり、今考えると呑気なもんだったな。 パパと3人で長野に温泉にも行った。 ママのお友達の結婚式にも出た。 慶人はおなかの中にいる時から、いろんな所へ行った。 パパは、検診の度にもらうエコーの写真の顔のアップをみて、 「目が大きくて、鼻筋がとおってる!」 なんてとんでもない親バカぶりを発揮していたね。 |