きいろけいと  ママの妊娠

   

1999年3月末、妊娠がわかった。
パパもママも「そろそろ子供ほしいね」って言ってたら、
慶人はすぐにおなかの中にやってきた。
でも、安定期にはいるまでは大変だった。

妊娠がわかると同時に「切迫流産」なので自宅で安静にといわれた。
仕事も一時中断。
最初は10日間安静の指示だったのに治まる気配がなくて、
結局1カ月寝たきりの生活が続いた。
安静の生活が始まるとすぐに「つわり」が襲ってきた。
寝たきりの生活で気分を変えることもできなかったためか、
とてもひどいつわりだった。
食べ物はもちろん、水を飲んでも吐いていた。
体重も5Kg減ってしまい
「こんなの、もういやだ〜。」って泣きたかった。
でも、布団の中で
「あかちゃん、頑張れ、このまま育ってね。」って話しかけていた。
だからこんなに大きな病気を持っていても、
ちゃんとパパとママに会いに出てこられたんだ。
このときから、慶人は強くて頑張り屋さんだったんだ。

1カ月後「普通の生活でいいです」って言われた時には、
うれしくて久しぶりにお昼ご飯をちゃんと食べることができた。
パパとコーヒー牛乳で「乾杯!」した。
母子手帳ももらい、少しだけ母親になるんだって気がしてきた。
おなかの中の慶人は、このころから「ジュニア」って呼ばれていた。
命名したのは、パパ。
パパが自分のジュニアだって言って。
生まれた後「慶人」と名前がついても、
しばらく「ジュニア」って呼んでたっけ。

5カ月目に入ると体調も良くなった。
ママはこの後、慶人が生まれるまで毎日のんびり幸せな日々を過ごした。
友人に会ったり、少しだけお仕事したり、慶人の洋服も作った。
本を読んだり、ビデオを見たり、今考えると呑気なもんだったな。
パパと3人で長野に温泉にも行った。
ママのお友達の結婚式にも出た。
慶人はおなかの中にいる時から、いろんな所へ行った。
パパは、検診の度にもらうエコーの写真の顔のアップをみて、
「目が大きくて、鼻筋がとおってる!」
なんてとんでもない親バカぶりを発揮していたね。

これから始まる、親子3人の生活を想像しながら予定日の11月29日を待っていた。
   

   

   

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