佐藤 彦空(佐藤 雅彦)


故 宮里栄一先生と(右:佐藤名誉会長)
宮里栄一先生と佐藤会長



 昭和28年2月27日生まれ。 宮崎県日南市出身。

 13歳の時に地元の道場に通い始め、その後いくつかの道場を経て、昭和58年に道場を開設。

 平成3年、宮崎県空手道連盟事務局長に就任、平成9年、宮崎県空手道連盟理事長に就任。

 平成19年より宮崎県空手道連盟 会長を務める。

 平成23年、(公財)全日本空手道連盟 常任理事・(公財)全空連九州地区協議会 幹事長に就任。

 平成25年2月満60歳を迎え、佐藤雅彦から佐藤彦空(げんくう)に改名しました。 



(役 職) 




・佐藤先生が空手道を始めたきっかけは?

  小学生の時は最初柔道をやっていまして、柔道場で稽古の終わった後、別の人たちが空手の練習 をしており、その姿に憧れて空手を習いたかったのですが、どうしても親が許可をしてくれません でした。そして遂に中学一年生の時に、英語塾に行くと嘘をついて、その月謝を持って空手道場に 通いはじめました。
  しかし、その道場が3年後に潰れてしまい、高校卒業までは県内の別の道場に通っていました。
  社会人になってからは、近県の道場を尋ね歩いて指導を受けました。その後、鹿児島の政田敬次 師範に師事し、昭和58年に道場を開設しました。現在は沖縄の宮里栄一先生に師事し、一貫して 剛柔流の修業を続けています。


・道場を開いた経緯は?

  当時、私は若気の至りで不摂生がたたり、病床に臥せておりました。もし、このまま死んだら、 一体何が残るだろうかと、それまでの人生を振り返り、ガツガツとした生き方しか出来てなかった 自分を悔やみました。
  「人は生きるにあらず、活かされてこそ人。」 これが、退院時の結論でした。
 私は、「我を活かす道」を空手道に求め、青空道場にてスタートしました。


・苦労された事は?

  仕事との両立が大変でした。若い頃はついつい空手にのめり込み過ぎて、仕事がおろそかになり がちでした。
  安定した職業を持つことも、空手を修業していく上で、大事なことだと思います。


(全空連発行 ナイス空手ライフ H11.11月号の県連理事長インタビューのコーナーより掲載)