プロレス について


 私とプロレスとの出会いは、1969年頃です。1970年の日本万国博覧会の前年あたりです。その頃をご存じの方なら記憶の片隅にあるかもしれませんが、日本テレビ〜よみうりテレビ系列で放送されていた三菱電機提供のプロレス中継です。
試合と試合とのインターバルに、電気掃除機「風神」でリング上を掃除する、という生CMのシーンを覚えておられる方はいらっしゃるでしょう。
 当時の実況担当は清水一郎アナウンサーでした。先日、ルー・テーズの追悼番組を少しだけ見たのですが、字幕で「実況:清水一郎」と表示されていたので判ったのですが、冷静な口調で古館伊知郎アナウンサー以降盛んになった絶叫調とは対極をなすものでした。
 小学校で話題になったり、昼休みに机を並べてゴム飛びのゴムを張ってリングを作ってプロレスごっこをしたりしていました。私は試合をするよりもっぱら見る方でした。しかしある時、膝の後ろ蹴られ、しばらく立てなくなったことがありました。今風に言えば、「ローキックが膝後方からまともに入った」のです。
 当時はまだ新日本プロレスも全日本プロレスも無く、「日本プロレス」が日本最大の団体として君臨し、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、坂口征二といったところが主力の頃です。そのブームがTVアニメ「タイガーマスク」につながっていきます。
 「タイガーマスク」は、孤児の伊達直人が施設から動物園に行ったとき、トラを見て「トラみたいに強くなりたい」とあこがれ、そこから紆余曲折を経て悪徳レスラーを養成する「虎の穴」から日本プロレス界を荒らすべく参戦するものの、ファイトマネーを「虎の穴」に上納せず、自分が育った施設に匿名で送ってしまい、それが元で裏切り者として組織から送り込まれる刺客と闘わなければならなくなる、という話だったと思います。ジャイアント馬場、アントニオ猪木、大木金太郎が登場していました。
 当時は「巨人の星」、「あしたのジョー」、「キックの鬼」、「赤き血のイレブン」、「アパッチ野球軍」など、スポーツもののTVアニメが流行っていました。
 TVアニメ「タイガーマスク」の放送が終了する頃からプロレス中継も見なくなり、学校でのブームも終わっていきます。
 日本プロレスから飛び出して、アントニオ猪木らが新日本プロレス、ジャイアント馬場らが全日本プロレスを相次いで設立したのがその頃に当たるのですが、既に全然関心が無くなっていました。

 中学生の頃、プロレス中継を見るのが好きという同級生の女の子がいました。彼女に対しては割とファンだったのですが、あまり話をしたことはありませんでした。私は馬場、猪木がタッグを組んでいた頃でマイブームは終わっていたので、たまたま「プロレスを見る」という話を聞いたときは、今でもプロレスを見ている子がいるのか、ととても意外な感じがしていました。数十年経った今なら噛み合う話題でも、当時は全然噛み合いません。
 ジャンボ鶴田がお気に入り、ということを聞いたのですが、もはや誰が誰かわからず、1970年代半ばには既に全日本プロレスの中継は深夜枠になっていたこともあって、真剣にチェックすることもありませんでした。
 新日本プロレスは放送曜日を変えながらでも夜8時台の放送を続けていましたが、関心はありませんでした。
 清水一郎スタイルとは全く違う実況スタイルの古館伊知郎らがブレイクしていたこともわからなかったのです。

 あれから10年ほど過ぎ、社会人になり、ある時期一緒に仕事をしている人の中にプロレスファンがいました。本人は特に入れ込むレスラーはいなかったと思いますが、フィアンセが長州力のファンで、Tシャツや入場テーマ曲「パワーホール」のレコードを買い揃えている、という話をよく聞きました。
 会場にも足を運ぶ、と聞いていたので、「そんなに面白いのなら、行くときに声をかけてください。」と頼んでいたところ、行くことになったのが1985年11月のジャパンプロレス大阪城ホール大会です。
チケット代はプロ野球に比べて割高なので、話の種にもなるし年に一度くらいはいいか、というつもりで行ったのです。
 ジャパンプロレスは、長州力らが新日本プロレスを辞めて設立した団体で、ジャパンプロレス主催の興行の他、全日本プロレスの興行にも参戦していました。
 この大阪城ホール大会のメインの試合が60分1本勝負の長州力VSジャンボ鶴田で、今や伝説の60分フルタイム・ドローの試合です。数年前、鶴田氏が肝臓疾患によって亡くなった際、追悼番組の中で当時の状況を取り上げていましたが、ジャンボ鶴田の強さが際だったという話が中心でした。
聞けば「なるほど、そう言えばそうだったかな」という感じでしたが、この長州対鶴田戦は他の何試合よりも、かなりエキサイトして観ていた覚えがあります。

 それから数年後、一緒に仕事をしている人の中にプロレスファンがいました。体重が120s近くあるという堂々とした体躯ですが、冗談で「どっかの部屋に入ったらよかったのに」と言うと「身長が足りません」と真面目に答えてくれました。
 彼は関西地区で行われる大会には団体の規模の大小、男女の別の関わりなく必ず足を運んでいました。また、よくプロレスのことを話してくれて、数々ある団体のことも色々と教えてもらいました。
もう、その頃は大小の団体が群雄割拠している時代に入っていて、新日本と全日本という2団体を見れば日本プロレス界がわかる、という状況ではなくなっていました。
 「プロ レスについて考えることは喜びである」というかつての週刊プロレス編集長、ターザン山本こと山本隆司氏の言葉を身近に置いていたので、その言葉がとても気に入っていたようです。
聖書に出てくる「キリスト者」のような「プロレス者」という言葉があることも、その頃教えてもらいました。
 彼にも、「年に1回くらいは話の種でいいか」というつもりで、大阪府立体育会館で行われた全日本プロレスの試合に連れていってもらいました。
 その府立体育館で行ったとき、入場してグッズ売場が設置されているところに通りかかったとき、ジャイアント馬場が座っているのが見えたのですが、初めは、「うわぁ、馬場の実物や。」と思ったのです。全日本プロレスでは、ジャイアント馬場が試合前のグッズ売場に顔を出し、買ったTシャツやバスタオルにサインしたり、ファンと一緒に写真に収まったりしていました。
 足のサイズはとても大きいと聞いていましたが、顔のサイズもとても大きく、くわえていた葉巻が普通の紙巻きたばこくらいの大きさにしか見えなかったのです。それが近付くに連れて「馬場”社長”がいる。」と、知らないうちに敬称付きで見ている自分に気付きました。やはり独特のオーラを放っている人でした。
 TV中継のことも教えてくれて、全日本プロレス中継には「プ・プ・プ・プロレスニユ〜ス」というコーナーがあることや、新日本プロレスの中継は関東とは放送日が違うので昼間なら時々ゴルフ中継になったり、誰が見るのか、というくらい明け方に近い夜中に放送される、というボヤキを聞いたりしました。

 関東に転勤すると、こちらの部署では某プレイガイド会社の法人会員になっていたこともあって、月に一度、チケット情報が回覧されました。そこには全日本プロレスの情報が載っていました。(現在は全日本プロレスから分かれたプロレスリング・ノアと一緒に載っています)
 ある時期、一緒に仕事をした人にプロレスファンの方がおられ、出勤前に夜中の放送のビデオを見てくる、というほどの人なのですが、これまた色々と教えていただきました。
 その方が津市で仕事をされていた頃のエピソードにはビックリしました。新日本プロレスの津大会といえば、ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、前田日明(まえだあきら)VSアンドレ・ザ・ジャイアントの試合を観たそうです。
 その人は、試合が進んでいくうちにその激しさに、「これは”セメント”ではないか。このままでは前田がアンドレを殺してしまう。」と思って、リングサイドに駆けつけようとしたものの、新日本の若手に取り押さえられた、と語るのです。
 前田日明が活躍していた頃の新日本プロレスのことを知らなかったこともあって、「へー。凄かったのですね。」とビックリするやら感心するやらしていると、「リングサイドまで行くわけないじゃないですか。」とまんまと一杯くわされてしまいました。ただ、前半部分は事実で、アンドレが歩けなくなるほどの凄惨な試合になったそうです。
 ちなみに”セメント”とは、相手のことなどお構いなしに力の限り相手にダメージを与えて倒してしまうことだそうです。観客のことなど無視です。今では「PRIDE!」がそれに近いと思います。もし、PRIDE!がもし、ギブアップを認めず、レフェリーストップも無ければ殺し合いになってしまうことでしょう。
 その方とは、前述のチケット情報を利用して、何度か後楽園ホールや日本武道館に足を運びました。
 後楽園ホールは”プロレスのメッカ”と言われるだけに、独特の雰囲気があります。また、「笑点」の録画をしていることは、TVで「笑点」を見ていると字幕で「後楽園ホール」と出てくるので知っていましたが、プロレス会場がどうやって「笑点」の会場になっているのか、とても不思議でした。
 日本武道館は、その名の通り、武道の試合をするところですが、一般的にはコンサート会場としての方が有名です。”武道館2DAYS”とか多くのファンを動員させるときは武道館を使いますが、コンサートで行ったことのある人に聞くと音響的にはやはりそのための構造ではないのであまり良くない、とのことでした。聴かせる、というよりも営業成績のために武道館を使うようです。
 プロレス、ということになると、リングがフロアの中心に設置されるのでまさに武道館として機能しているように思われます。今まで一階や二階のスタンドから観ているのですが、どこからでも非常に観やすいです。

 関東で観戦した主な大会は観戦記のページに作成しています。


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