サッカーJリーグのセレッソ大阪のホームタウンはその名の通り大阪です。大阪市内にホームグラウンドを持つプロチームは、大阪ドームの大阪近鉄バファローズとこのセレッソ大阪です。
大阪といえば阪神タイガースですが、ホームグラウンドの阪神甲子園球場は、兵庫県西宮市にあります。かつて某在京キー局のアナウンサーが「それでは大阪の甲子園からお送りします。大阪の○○さ〜ん」と言ったときは、笑ってしまいましたが、関西から見れば横浜も「東京の横浜」に近い感じで、東京から見れば大阪も甲子園も一緒か、などと思ってしまいます。
ちなみに先日、米国最大のプロレス団体WWFが日本で興行を行いましたが、「スマックダウンツアー」の予告には開催地に「ヨコハマアリーナ、トウキョウ・ジャパン」のような記載がありました。
大阪を同様にホームタウンとするサッカーJリーグのガンバ大阪は、ホームグラウンドが万博競技場なのですが、大阪は大阪でも北摂という地域になり「大阪府下」となります。
自動車のナンバーで言えば、セレッソは「なにわ」、ガンバは「大阪」です。
セレッソ大阪のホームグラウンドは長居陸上競技場です。最近、5万人収容の巨大な施設になりました。スタンド下には室内練習場やユースホステルがあります。
この長居競技場は長居公園の中にあります。大阪市内では大阪城公園に並ぶ規模の公園です。
小さい頃、長居公園にはよく遊びに行きました。当時の自宅の最寄り駅から地下鉄でひと駅ですから、歩いても行ける距離ですし、自転車でよく行きました。
日曜日は父親や弟と一緒に長居公園を一周しました。
当時の長居公園は、とくに周回道路の内側の様子は、長居第二競技場や草野球のためのフェンスが何枚もそびえ立つ状況とは全然異なり、まさに広大な広っぱでした。周回道路の内側にあった施設といえば全国各地の樹木を植えた「郷土の森」くらいだったと思います。あまりきれいではなかったと思うのですが、大きな石がごろごろした池があって、そのそばまで行った記憶があります。
ちなみに大阪市営地下鉄が天王寺から南進する前まで、長居公園の場所には競馬場があったそうです。
後に相撲場ができ、今の第二競技場のあたりにサブトラックができ、自然史博物館が建ち、「郷土の森」も植物園に拡大して広っぱは徐々に狭くなっていきます。
広っぱで大阪市消防局のイベントが行われて、大小色々な消防車を見に行ったことがあります。
高校の体育祭の応援練習もやったことがあります。キンモクセイが香り始めると、その頃のことを思い出します。
野球場はもともと陸上競技場のそばにあったのですが、草野球ブームで場所取りが大変になったのか、広っぱを金網で仕切って球場が何面か作られました。これで広っぱも非常に小さくなってしまいました。
メインの競技場を使った大きなイベントといえば大阪国際女子マラソンで毎年TVに映ります。70年代初めまで全国高校サッカー大会が行われていたのですが、静岡県や埼玉県の高校が圧倒的に強いため、また大阪にはサッカー場や競技場の数が少なかったためなのか、大会そのものも東京に移ってしまいました。
改築前の長居競技場ではサッカー日本リーグの試合も行われていたようです。長居公園に遊びに行ったとき、競技場の入り口に立て看板だけ立っていました。対戦カードまでは書かれてなく、どんなカードでも対応できるシンプルなものでした。社会人・実業団のような企業スポーツの範疇にあっては、観客を集めたからといって、どうと言うこともないので商売気など必要なかったのでしょう。
ちなみにアイスホッケーの試合を何度か見に行ったことがあるのですが、やはり企業スポーツなので、プロ野球やプロサッカー並みに盛り上げたいけど盛り上げられない、というようなもどかしさが感じられました。普及させようとしている人たちに、正力松太郎や川淵三郎並みの才覚があればよかったのに、と残念に思いました。
さて、第二競技場の全身、サブトラックは文字通りトラックだけ、みたいな感じでしたが、Jリーグの試合ができるよう、1万5千人は収容できるスタンドを備えた立派なものになりました。この第二競技場は大阪オリンピックやFIFAワールドカップに備えて陸上競技場を建て替えるための代替競技場でもあったのです。
そしてJリーグにセレッソ大阪が加盟すると、サブトラックの場所に第二競技場が作られ、そこで試合が行われるようになったのですが、セレッソの試合をライブで観るために初めて第二競技場に行ったとき、あの広っぱに忽然と現れた立派な競技場を目の当たりにすると、びっくりしました。
そんな身近な公園をホームグラウンドにするプロチームが現れたのですから、これは応援しないわけにいきません。
残念ながら2001年は成績が振るわずJ2に降格となってしまいましたが、一時は優勝争いもしたことがあるチームですし、巻き返しを期待しています。