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車歴

1994年以来ペーパードライバーなのですが、それまで私のカーライフを彩ってくれた車たちです。
写真は全て同型車ですが、同一年式同一グレードではありません。


一台目・・・マツダシャンテGL

1972 - マツダシャンテ

免許を取って初めて乗ったのが、この車です。(但し、借り物です)
写真の車のホイールは今ではお目にかかれない「合わせホイール」ですが、普通のスチールホイールだったので年式は写真の車より後期のものです。
最終型は黄色ナンバーになっていましたが、小さな白ナンバーだったので、最終型より少し前です。
グレードは”GL”だったので写真(上)の車より上級です。
マツダのクルマは、いつ頃からかわかりませんが、車名のエンブレムを左側だけに取り付けるようになっています。
下のカラー写真の方は、”GFU”という最上級グレードです。
70年代、いくら派手な色使いが出始めた頃とはいえ、紅白の2トーンは街ではなかなか見かけませんでした。
タイヤをボディ四隅に配置して限られた寸法内で最大の室内容積を稼ごうとしているのが、外見からも判りやすいです。
ちなみにホイールベースは初代シビック3ドアと同じ2200mmです。(右上写真)
FR(前部エンジン後輪駆動)なので、エンジンは前輪の上に位置し、FF車のように前輪が車室側に寄るためにアクセルペダルが左に寄ってしまう、ということもなく、自然な姿勢で、教習所で習った通りのドライビングポジションが決められました。
シートベルトが自動巻取り式ではありませんでした。
エンジンの箱と人が乗る箱でできた2BOXスタイルですが、今どきの2BOX車のようにリヤゲート(リヤハッチ)が屋根のところから大きく開くのではなく、リアウインドウ下からトランクが開けられます。
ちなみに初代シビックには、後ろがトランクとなった2ドアと、後ろが大きく開けられた3ドアがあり、横から見ただけではわかりませんでした。
この頃は2BOX車の過渡期だったのかもしれません。
今では当たり前ですが、後席の背もたれが倒れてトランクの容積が広がるようになっていました。
通常は3BOX車と同様の独立したトランクなので、積んでいる荷物のことなど気にすることはなく、荷物が多いときは活躍しました。
ロータリーエンジンを搭載する予定だったそうです。
当時は360ccのエンジンながら40馬力前後を発生する強力エンジンを搭載した車種が各社からぞくぞくと登場していました。
そのようなモデルを前面に押し立てて、若い人たちを引きつけよう、という作戦です。
マツダとしてはやはり切り札がロータリーエンジンとなるわけですが、その搭載自体を軽自動車業界で反発されたことと、オイルショックで高燃費のロータリーエンジンは使えなくなったことで、結局既存の商用車「ポーター」(右下写真)と同様のレシプロエンジンを使うしかなくなってしまったそうです。
おとなしいエンジンしかない、ということで、街乗りにピッタリという感じでやっていこうとしていたと思うのですが、エンジンが商用車用の流用ですから、せっかくのスタイルにもかかわらず、洗練度において他社に引けを取っていたかもしれません。
そのエンジンもこれまた今では売っていない360ccの水冷2気筒2サイクルエンジンでしたが、吹き上がりだけは良かったです。
大きな交差点では、信号が青に変われば交差点の真ん中までは先頭を切って走ることができるのですが、交差点を渡りきる頃には沢山のクルマの中にいました。
プラグの先をガスコンロで焼いて被ったオイルを焼いたり、タイヤの交換など、いい練習をさせてくれました。
エアコン無し、四輪ドラムブレーキ、後輪リーフリジット型サスペンションという、エンジンも含めて今では考えられない組み合わせです。
京都〜滋賀の間の山坂道を走ると、上り坂では後ろが煙で真っ白でした。金剛山を下山する際の下り坂ではエンジンブレーキが効かず、さすがに参りました。
でも、FRなので小回りは利くし、軽快で面白かったです。

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二台目・・・スバルレックス550AUG

1977 - スバルレックス550

自分の名義の車として中古車を購入しました。
このとき、候補としてスズキ・セルボ(右写真)も挙げられていたのですが、4ドアの方が使い勝手がいいと思ったので、レックスに決めました。
ちなみにセルボは360cc時代はフロンテ・クーペという二人乗りのクルマでした。
ジウジアーロのデザインということで有名なクルマで、この頃のキャリイも1BOX車としては個性的なスタイルでした。

レックスもセルボもRR(後部エンジン、後輪駆動)です。
当時の車は排ガス規制適合のための技術、今風に言えば環境技術に名前を付けて宣伝していました。例えば日産はNAPS、ホンダはCVCC、マツダはAP、三菱はMCA、そしてスバルはSEEC-Tなどがありました。(他は失念しました)
写真(上)のクルマはフロントグリルに向かって左側にそのマークが見えますが、私が乗っていたのはマークが右側に移ったもっと後期の型です。バンパープロテクターも大きな形に変わりました。
グレードは”AUG”という最上級型で、ラジアルタイヤ、前輪ディスクブレーキ、熱線入りリヤウインドウなど、前の車に比べて格段に快適になりました。(今では当たり前の装備です)
但し、ホイールベースは2mを切るものでした。
ドア位置とタイヤの位置を上述の「シャンテ」と見比べるとわかりやすいと思います。
左下の写真は360cc時代のレックスで、360cc→500cc→550ccと軽自動車の規格が変わるにつれて、外見上は幅を拡げたり、バンパーを大きくしたりしてきました。
下と上とを比べると、上の方がふっくらしています。
クーラーはグローブボックス下につり下げるタイプだったので、夏場の助手席は膝が冷えて辛かったと思います。
前の車はFRでしたが、今度はRR(後部エンジン、後輪駆動)なので、ボンネットの中はラジエター、バッテリーの他はスペアタイヤと工具類だけなので、ハンドルは非常に軽かったです。
サスペンションが四輪独立懸架となり、ポンポン跳ねるという感じがなくなって乗り心地がすっかり良くなりました。
この独立式サスペンションは、独特の挙動を示すことから「スバルクッション」と呼ばれたそうです。
鳥人間コンテスト応援のため大阪〜琵琶湖(彦根)に活躍しました。
一度、名神高速道路でアクセルベタ踏みで走りすぎて、アクセルが戻らなくなり吹きっぱなしになってしまい、サービスエリアで応急手当をしてもらったことがありました。
一番の遠出は一般道だけを使って大阪〜名古屋〜松本〜北志賀〜上越〜富山〜金沢〜大阪でした。

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三台目・・・三菱ミニカエコノ

1981 - 三菱ミニカ アミL

サンデードライバーとなって駐車場代ばかりがかさんだため二台目を手放してから暫く経ち、引っ越しで必要となったため中古車を購入しました。
とりあえず必要、ということだったので工場の片隅でほこりを被っていたものを安価で譲っていただいたものです。
写真(上)のミニカアミLは5ナンバーの乗用車ですが、ミニカエコノはスズキ・アルト(右写真)の大当たりが引き金となって各社が対抗して登場させた4ナンバーの商用車の中の一つでした。
商用車ということで装備品は必要最小限に抑えられていて、自動車税が年額4000円とか、維持費が格段に安い、ということからヒットしたのでした。
左下の写真は360cc時代のミニカF4というモデルで、上述のレックスと同様、ここから規格拡大に伴って大型化していきました。
上の方が顔つきは今風です。
この車もFRなので、自然な姿勢で運転できました。
リヤサスペンションは独立式ではなくなりましたが、シャンテや当時のアルトのようなリーフスプリングではなくコイルスプリングなので、商用車なので硬めではありましたが、ポンポン跳ねる、という感じはありませんでした。
エアコンは無かったのですが、ベンチレーションは2台目のレックスより効きが良かったように思えました。
4ナンバーですから荷台が広くとられているため、後席の造りは簡単なものでした。
しかもスペアタイヤがトラックのようなつり下げ式でした。
荷台に張られているビニールには塗料とかキズとかが残り、それまで頑張ってきたことを物語っていました。
そして我が家で更なるご奉公となるのですが、大阪と奈良の往復に頑張ってくれました。
奈良の峠道でシリンダー一つが機能しなくなって立ち往生したこともありました。
ある雑誌で、洗車でフェンダー内側の砂を取り除くとき鉄板内側がザラザラしていない、と仕上げの良さを褒める記事を目にしていたので、ホイールアーチとも呼ばれる鉄板が内側に折り曲げられている箇所を触ってみたところ、見えないところなのに本当にツルツルでした。
太平洋戦争中の飛行機で、機体は三菱でもエンジンは中島という機種(九六式艦上戦闘機)があり、今でも車体は三菱、エンジンはスバルなのかな、と思いました。

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四台目・・・スバルレックスヴィッキー (昭和63年式)

1986 - スバルレックス

初めての新車です。
写真は最上級型ですが、購入したのはエアコン・ステレオ付きのお買い得仕様です。
バンパーもボディ同色でした。
FF(前部エンジン前輪駆動)で、噂通り方向安定性はRRよりも良かったです。
四輪独立懸架、ラジアルタイヤ、前輪ディスクブレーキが当たり前になりつつある頃だったので、お買い得仕様にも当然装備されていました。
タイヤは初めて12インチになりました。
スペアタイヤは多くの乗用車と同様の、後部ラゲッジスペースの下にはめ込む形でした。
元々エンジンも小さいので、ボンネットも小さくなりました。
エンジンはRRの頃と同じもので、音もほとんど同じだったので懐かしく思ったものでした。
しかし、車体が大きくなりガラス面積も増え、エンジン音が以前に比べて車内に伝わってこないことから遮音材の多用が想像でき、重量増によるエンジンへの負担が心配されましたが、元気に走ってくれました。
リヤハッチが立っていたので荷物が良く積め、また、犬と一緒に出かけるときはちょうどいい犬の指定席となりました。
犬もよく分かっていて、リヤハッチを開けると飛び乗って「早く行こうよ」と目で訴えてきました。
遠出は奈良〜舞鶴〜奈良、奈良〜名古屋〜浜松〜名古屋〜奈良でした。
奈良県内はもちろんですが、名古屋でも良く走り回ってくれました。
私が転勤して乗る頻度がめっきり減った後、弟の通勤用の足となり茨城県内を元気に走り回っていました。
車内が明るく、視界が良いことは、運転の腕前を上げるのに非常に効果的だったようです。

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