以下は1999年に福岡ダイエーホークスが日本一を達成した直後に勤務先の部内報に掲載した文章を、一部訂正したものです。
部内報は毎月特集テーマが決められ、数人の社員に原稿依頼がある、というものでした。
原稿依頼にローテーション等はなく、たまたまタイミング良く原稿依頼があったのです。
なお、2002年度あたりから部内報の位置づけが見直され、スタイルが変えられています。
情けない話!?(長文注意)
「ナサバナ≠お願い」と言われてピンとこなかったのですが、要はトホホ話ですな。
本題には関係ございませんが、まずはおめでたいことに免じてひとこと。
祝!日本一!福岡ダイエーホークス!
勢いで脱線させていただきます。
'73年の野村監督時代以来26年振りの優勝です。日本一は東京オリンピックが行われた’64年に阪神タイガースを下して以来35年ぶりです。リーグ優勝は横浜ベイスターズの38年振りより短いですが、阪神タイガースの21年振りより長くなりました。喜び慣れていないし、屈折してしまっているので、正直言って戸惑いました。巨人の皆様にとってはもはや神話となってしまったV9(ヴイキュー)の最終年以来です。この両チームの栄光は新人、いや、若手の皆さんですら知らない時代になってしまいました。当時日本一を争った一方のホークスの26年 間は本当にトホホな状態でした。長きにわたるトホホ状態の頃のことも語ろうと思えば語れるのですが、優勝したので置いておきます。
’88年10月15日、今はもうほとんど解体され、「WINS難波」が入居しているスコアボード周辺しかなくなった大阪球場で、杉浦忠監督が「行ってまいります」と大阪から旅立って早いもので11年経ちました。ちなみにその数日後の10月19日はあの川崎球場の“10・19(ジュッテンイチキュウ)”の大激戦です。
あれからいろいろありました。物理的な距離に伴って、私自身の中でも距離が少しずつできてしまいました。田淵監督就任時はそれほどでもなかったのですが、特に王監督就任は断絶を決定的にするところだったのです。しかし、かつて穴吹前監督が「世話した選手がいる限り応援する。」と語ったことに倣って、私も「応援したことがある選手がいる限り応援する」ことにしました。
私は静かに応援するタイプなので、今回の優勝もTVを見ながら「ようやった。長かったな。」と、妙に熱くならず、しみじみと喜んでおりました。日本一決定の試合もビデオでじっくり見直すつもりです。
この優勝で、名実ともに福岡のチームとして定着したことと思います。王監督もここにきて監督業が定着したことと思います。
♪ グランド照らす太陽と 意気と力をこの胸に 野球にかけた夢多き 南海ホークスさあ行こう ああ、金色(こんじき)のはばたきに そらになるなる翻る勝利の旗 ホークス ホークス 南海ホークス |
♪ 玄界灘の潮風に 鍛えし翼たくましく 疾風のごとく颯爽と 栄光目指しはばたけよ いざゆけ無敵の若鷹軍団 いざゆけ炎の若鷹軍団 我らの我らのホークス |
ええ歌やなぁ(しみじみ)。特に左側。
「六甲颪」とともに、歴史のある歌はよろしい。
♪六甲颪に颯爽と...。おや?「颯爽と」はFDHがパクッてますな。いや、今回はホークス特集でした。
(「闘魂込めて」ですか?それは知りません。やはり“闘魂”と言えば猪木でしょう。それにしても小川(直也)は強いなァ)
最近ダイエーに行ったら聴くことができる(にもある)右側の歌もいいのですが、思い入れの分、あまり腹から歌う気になれませんでした。(と言いながらCDはしっかり持っています。しかも覚えています。(爆))
ナゴヤドームの左翼席の「不屈不撓」という横断幕は笑えました。胴上げの時には「世紀の野球、華咲かす」という横断幕が上がっていましたが、これにはちょっとウルッときました。応援団もなかなかいい味出しています。
こんなに野球が好きなのに、計和会のソフトボールが近づくと憂鬱になります。それは、出場のリクエストが多くて困るやら、情けないやら...。まさにトホホです。人気者はつらいです。
そのこころは、事情通の方に聞いてくださいませ。色々とナサバナ≠ェお聞きになれます。
その辺のお話を期待されていた向きも有ろうかと思いますが、今回は何と言ってもホークス優勝でしょう。
●● ラッキーカラーは深緑
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