狛江古民家とその由来

旧荒井家主屋保存の経緯

  
 狛江市は多摩川流域にあって、かつては野川や六郷用水、泉龍寺弁財天池の湧水などが、水田を潤す農作地帯でした。しかし、昭和30年代頃より宅地化が進み、次第に農村風景も消えていきました。今日その水田も見られず、わずかな畑地と農家が残るだけとなりました。


 荒井家は、かつて小田急線狛江駅から和泉多摩川駅に向う最初の踏切の西側にあり、車中からもケヤキに囲まれた屋敷構えや、茅葺の屋根に置かれた気抜きの櫓が見られ、古い狛江の村の生活をほうふつさせる光景でした。

 しかし、荒井家住宅主屋は小田急小田原線連続立体交差事業および複々線化事業のため取り壊される予定になっていましたが、平成3年、この古民家を保存しようという運動が市民の間に起こり、多くの人の募金により解体・保存されました。この間、こども達によるうどん打ちや宿泊体験、見学会が行われ、平成3年11月20日には、多くの市民や関係者が集まり解体式が行われました。

 荒井家は、泉龍寺の表門の突き当たりにあるところから、屋号を大門先(だいもんさき)といい、江戸時代の後期には村方医師をしていました。昭和2年の小田急の開通時にも主屋が線路にかかるため、東向きに建っていたのを、曳き屋して解体前のような南向きとしました。

 荒井家住宅主屋は、平成3年に市の文化財に指定され、5年に用地取得、8年度に復元基本構想検討委員会で民家園構想が提唱され、9年度に基本設計、11年度に実施設計、12年度には復元工事がはじまっています。

                     

参考文献: 狛江のまちを考える会編「旧荒井家住宅主屋保存の記録−概報−」 平成6年
狛江市編「狛江市史」昭和60年
津山正幹著「狛江市の民家」(狛江市文化財調査報告書第4集)昭和58年
荒井家住宅主屋復元基本構想検討委員会「荒井家住宅主屋復元基本構想について(答申)」平成9年



古民家へかえる