入学式講演k7
ホーチミンから学ぶ青年の生き方



1,二〇世紀の偉大な人類解放の指導者

 二〇世紀の後半は、長く続いた地球上での植民地や奴隷制をなくしていく時代であった。ガンジーはインドを解放した指導者であり、キング牧師はアメリカ国内の黒人の市民権を獲得し、カストロは中南米の解放の思想の基盤をつくった。ホーチミンは、ベトナムの独立をかちとった指導者である。ベトナムの独立の人類史的な意味は、どんなに小さな国でも、民族解放の正義は大きな力をもち、横暴な大国に対して、勝利することができるということを証明した。ベトナムの正義は、世界の多くの人々に大きな共感をもった。そして、国際的な支援の輪が広がっていくのである。とくに、アメリカでは、ベトナム反戦のうねりがおきた。ベトナムへの前進基地であった日本では、国民的なベトナム反戦運動が起きたのである。ホーチミンの正義のよびかけは、世界の人々にベトナムの独立の声になったのである。ここには、ホーチミンの人類共通の願いがあったから、世界の多くの人々が共感をもって支援したのである。

2,現代的な課題



 現代のベトナムの状況は、ホーチミンの時代ほど世界の人々に共感と支援をもたれているのであろうか。人類的な直面する課題にベトナムの人々が燃えて、未来にむかっているのでろうか。今、世界の人類は何に悩んでいるのであろうか。
 平和の問題も大きな課題であるが、拝金主義がはびこり、社会が退廃状況になり、絆をもって分かち合う連帯の精神が欠落ている。格差社会は、どこの国でも拡大している。経済の独立は、大きな課題になっている。また、経済活動における道徳問題は、重要になっている。
 ベトナムの政治的な独立は、達成しているが、経済的な自立は、これからの課題である。どうしたら、地方の経済は、自立して発展していけるのか。これは、未来をもっとも敏感に感じている若者エネルギーによって、決まる。未来をつくるのは、若者である。新しい未来をつくるためには、人類のつくりあげた様々な学問を学ぶことが必要である。柔軟な頭脳をもっている若者の学びは、急速な社会発展をつくりだす。若者の能力の発達は、早く、行動力を生み出す。社会主義の思想、社会進歩の思想を豊かにするために、レーニンがかって青年同盟の任務という著作でのべたように、人類的な学問の蓄積を学ぶことである。時代の進歩とともに、人々の考えも発展していくものであることを見落としてはならない。

3,ホーチミンが若者に学問を奨励したこと



 若者にとって、大切なことは、進歩にたいする熱望をもって、学ぶことでえある。我慢つよさ、厳密さ、時代を切り開こうとする精神などをベトナムの人々はもっているが、しかし、これだけでは、重大な困難の克服に、不十分である。
 学ぶことによって、自分の意見に一致しない人々に正しく耳をむける力、何の能力もないとみえる人々のすばらしい力を発見し、その人を社会のために役にたてることができるようにするのは、リーダーの役割である。ベトナムが滅亡するか生存するのかの岐路にたたされているときに、すべての国民の力を結集しなければならないとホーチミンは、国民によびかけた。学ぶことによって、祖国の解放のために、国民的な英知を結集することができるのである。
 老人と若者エネルギーを結合することは極めて大切であるとホーチミンはのべた。老人も祖国の解放のために大きな力を発揮するのである。老人は大きな人生経験をもち、自分の経験で若者を励ますことができる。資本をもっている人は、小企業を起こし、苦労している人々を助け、疎開している人々に職業を続けるように努力することが求められている。
 利己主義と不道徳、拝金主義の克服は解放闘争にとって大切なことである。ホーチミンは遺言で「わたしが世を去ったあと、盛大な葬儀を行ってはならない。そうすることによって、国民の時間と金の浪費をさけるべきである」と述べたのである。絶対的な個人崇拝ではなく、現代的にホーチミンの思想を学ぶことが大切である。そのために、ホーチミンの思想を人類的な学問の蓄積の学びのなかで発展させることが求められているのである。それは、ベトナム人ばかりではなく、人類の共通財産として。
  
4,フランスの愚民政策

 ベトナムには、古来から「金のいっぱいの壺は、知識の腹の半分ほどの価値もない」ということわざがある。ベトナム民族の歴史は高い学習熱をもっていた。どんな村にも私塾があった。フランス人がやってきて、この学習熱の文化を破壊し、漢字の文化もなくしてしまった。昔のように子どもに漢字を教える風景はなくなった。漢字は、中国と日本をとおして、世界の進歩的な思想をもちこむのではないかとフランスはおそれた。
 昔のフランスの植民地主義者は、青年が自分の祖国の文化を学び、祖国の誇りをもたせることを禁止した。ベトナム人が海外留学の考えをもつだけで、フランスの反逆とみなした。命の危険をおかして、ベトナムの青年は祖国の解放のために、留学をこころみたのである。日本へのトンズー運動もそのひとつである。決して、自己の拝金主義のために、留学をこころみたのではない。日本でもベトナム人の留学をささえたのは、アジアの植民地支配からの解放のための援助である。