定家に見る「もの」の見方
〜「心をすます」と「一境に入りふす」の観点から〜

一心庵暄和

 

 

 藤原定家は平安末期から鎌倉時代初頭の1162年から1241年の人である。平家が栄華を極める頃から、承久の乱を終えて北条氏が執権政治の基盤を固めるという激動の時代を定家は生きたのである。定家の家は御子左家と呼ばれ、代々和歌宗匠を務めた家柄でもある。また、定家は『新古今和歌集』の撰者として有名である一方、『小倉百人一首』を選んだのも定家であるとされている。

 定家は歌合の判者や和歌の研究にとどまらず、古典の整理も行っている。現在我々が古典文学を楽しむことができるのは、この定家による整理のおかげであるところが大きい。

 定家の歌論書は『近代秀歌』『詠歌大概』、『毎月抄』、『千五百番歌合』秋の判がある。 

 『近代秀歌』では、『古今和歌集』の紀貫之流の「をかし」の趣向を重視する詠みぶりではなく、近代の歌体として余情妖艶の体の在原業平や小野小町の歌を継承・発展させている。ここでいう余情とは鴨長明のいう幽玄体のことである。また、妖艶というのは色濃さの中に奥深さが感じられるという優美のひとつである。

ことばは古きをしたひ、心は新しきを求め及ばぬ高き姿をこひねがふ

と、用語などは古い歌にならい、心は古い歌にないものを求めようとしていることがわかる。

『詠歌大概』でも

情は新しきを以て先となし詞は旧きを以て用ゆべし

と記している。

 『毎月抄』では詠作法を述べている。詞の善し悪しではなく詞のつづけがらで歌の優劣が決まる。「歌をばよくよく詠吟してこしらえいだすべき」と、いうところからいえるであろう。「歌の大事は詞の用拾にて行ふべし」と「詞のつづけがら」を意識している。詞もただ選ぶのではなく、「心を本にして詞を取拾せよ」と歌に詠まれる内容や詠みたいことを基準として詞を選ばせている。

 「心」とは、歌人の歌づくりにおける心作用のことである。定家の理想の歌態である有心体というのは深く心のこめられた歌をさす。

よくよく心を澄まして、その一境に入りふしてこそ稀に詠まるゝことは侍れ

ここでいう「心」は歌人の心作用のことであり、「一境」とは一つの対象である「もの」や「こと」をさす。これと反対の歌は「いりほがりのいりくり歌」という。これは仏教の識観をもとにしている。

 秀歌論では

万機ともぬけて物にとゞこほらぬが(中略)余情浮かびて心直ぐ云々

と述べたうえ、

心深く長高く巧みに詞外まで余れるやうにて姿気高く(中略)かすかなる景趣たちそろひて面影たゞならず、景色はさるから心もそぞろかぬ歌 

を「よろしき歌」としている。

 このような定家の考え方は、天台宗の教理を基にしている。天台宗の教理は『法華経』を基にしており、智覬の『摩訶止観』に詳しく書かれている。『摩訶止観』とは智覬の著で中国天台宗の根本論が書かれているのである。この中に「心をすましてその一重に入りふして」という記述がみられる。

 「万機ともぬけて物にとゞこほらぬ」の「万機」とは万象すなわち、ある現れているかたちである。現象ともいうものである。移りゆくできごとであり、形をもたないあり様をもっている。それは時間のようなものであるといえる。この万象と対をなすものが万物である。万象が流動的であるのに対して、万物は静止的である。物体や固体は固定的であり、他と区別される形をもつ。万象が時間とすると万物は空間となる。

 この不思議な感覚をとらえると、

よくよく心を澄まして、その一境に入りふしてこそ稀にも詠まれることは侍れ

とあるように有心体の歌が詠めるのである。

 そもそもこの天台止観は定家によって和歌の世界に取り入れられたのではなく、藤原俊成以来和歌詠作の経験を通じて考えられてきたことを表現する時に仏教思想の用語を用いてきたものである。勿論そのためには『摩訶止観』に対する理解があったといえる。

 俊成の『古来風体抄』には

歌の深き道も空仮中の三諦に似たるによりて通はして記し申すなり

とあり、仏教思想の理解が和歌論の理解にとって必要と考えられていた。

 「空仮中の三諦」とは諸法実相を表現する語である。あるがままのあらわれ、ある特定の時空に現象しているありさま。と説明するとその意味、概念に限定が加えられてしまうという厄介な語である。「空仮中の三諦」の「諦」は真理である。それぞれ空諦、仮諦、中諦であるが、三諦円融といって切り離すことができない。この次元にまで俊成、定家親子の仏教思想に対する理解は達していたのである。

 定家の「心深く万機もぬけて物にとどこほらぬ姿」とは、諸法実相を映した姿をさす。定家にとって和歌とは如実の相を言葉でとらえたものであった。

 定家はものごとの実相をとらえようとする姿勢を歌人に要請した。「よくよく心をすましてその一境に入りふして」ということは、詠作の稽古の過程で身につけられていくものである。

わざと詠まむとすべからず稽古だにも入り候へば自然に詠み出さるる事にて候

と意識して諸法実相を詞にするべきではないとしている。

詠吟極まり、案性澄みわたれる中より、今となく、もとあつがふ風情にてはなくて、にはかに傍らより易々としてよみ出したる中にいかにも秀逸は、はべるべし

思案を尽くしてことばにする対象を観念に置き換えると、ことばがたらないとしている。

 「もの」の見方、考え方とは、存在、世界のとらえ方と置き換えられる。世界とはあることが起こりなくなってゆく時空ととらえられている。

 存在とはある特定の時空に場所を定めていること。つまり場に定められた特定の位置があることである。逆にいかなる特定の時空にも場所を占めていないことが存在しないことである。

 このように世界をみると、世界には始まりも終わりもなく、果てもなにもないものにみえてくる。

 神も万物の創造主がいて神と人が明確に区別されるのではなく、創造主は存在せず万物は自然に生じることになり、人と神の区別もつかなくなる。

 この万物は自然に生じたという考えは、万物がある目的のためや、ある意志によって生み出されたのではないというところにまでたどりつく。

 「こと」とは、できごと、おきていること。時の推移とともに移り変わりゆく。そして、それは特定の時空の中で移りゆく。それに対して「もの」は物体、個物。時の推移とともに移り変わりゆくようにみえないし、思えない。そして、それは特定の時空の中にある位置を占めている。この点で「もの」と「こと」は共通しているといえる。

 「もの」を「こと」として理解すると、「もの」も時の推移とともに移り変わりゆく。このことは特定の時空に起きるそのあらわれ以外にどのようなあらわれももたないことを導く。

 この世界のあるがまま、つまり如実を一度限りの自らの経験として移り変わりゆくできごととしてこの世界をみる見方となる。如実を「もの」としてみてしまっては移りゆくようにはみえてこない。

 この考えを定家は「よくよく心をすましてその一境に入りふして」と説いた。「一境」とは眼の前にあらわれることである。「あらわれを再びあらしめること」とは抽象作用を歌の中に表現として再表出させることとなる。

 定家のこの「もの」の見方は子孫へと受継がれた。京極為兼は『為兼卿和歌抄』で、「境にしたがひて起こる心に声に出し候事」と記しておりまた、

影物について心ざしをあらはさむにも心をとめ深く思ひ入るべきにこそ

の「心をとめ」は「心をすまして」、「深く思ひ入る」は「一境に入りふし」と十分に受継がれていることがわかる。

 為兼の歌論には天台本党思想が含まれてはいるが

心の起る所ままに(中略)心の起るにしたがひてほしきままに云い出だす

と和歌論の根本の部分はかわらない。

 定家の「もの」の見方は一般的な意味、価値、観念を覆してしまう見方だっただろう。このような違う視点から「もの」や「こと」をとらえるところが歌人として優れた人物であったのではないだろうか。

<了>


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