『遊歴雑記』をみると、俵藤太にまつわる話を幾つか拾うことができる。索引によると、俵藤太秀郷で六件、藤原秀郷で二件、また十方庵もその関連性は薄いとしている秀郷稲荷一件を加えると計九件の記事がある。俵藤太については、平将門と何らかの関連を持って語られており、概ね将門討伐の話と結びつけられている。俵藤太は将門を語る上では欠かすことの出来ない人物である。『遊歴雑記』に語られている俵藤太の話題は伝説に傾いているものが多い。
『遊歴雑記』にみられる俵藤太の伝説は将門討伐の際に当地に立ち寄ったという類の話題が中心である。『遊歴雑記』初編下第二十八「霊岸島古来七ツの奇事」として、霊岸島には南天の実が実らないという記事中に、これに似た話として、下野国相馬郡守屋の近辺には桔梗の花が咲かないという話が挙げられている。桔梗の前が俵藤太と通じて将門の弱点を漏らしたために、将門が討たれた。そのため将門の怨念によって桔梗の花が咲かないというものである。これは俵藤太と将門の愛妾であった桔梗に関連する話題である。
将門の愛妾達については歴史資料からは伺い知ることができないが、伝説によって伝えられている。中でも、桔梗や小宰相といった人物が有名である。文献上では中世の御伽草子『俵藤太物語』では小宰相、近世になると歌舞伎十八番の『暫』、滝沢馬琴の『昔語質屋庫』では桔梗という名が確認できる。
将門の愛妾が俵藤太に通じて将門の弱点を伝えたという話は文献でみると、御伽草子で語られたものである。そこで、本論では俵藤太と将門の愛妾に関する伝説を御伽草子『俵藤太物語』を中心にみながら考察したい。なお、本文中における『俵藤太物語』の引用文は、新潮日本古典文学集成『御伽草子』(注1)に拠る。
御伽草子『俵藤太物語』は武家物で、二巻または三巻の作品である。成立は室町時代といわれている。物語は、俵藤太の百足退治と将門討伐の大きく二つの話題で構成されているが、後半の将門討伐を含まない物もある。
近江国瀬田の橋に大蛇が横たわっており、人々が通れずに困っていた。俵藤太が瀬田の橋にいってみると、怖しい姿をした大蛇がいたが、俵藤太は臆することなく大蛇を踏み越えていった。大蛇は近江の湖に棲む大蛇であり、俵藤太の勇気を見込み、三上山の大百足を退治して欲しいと頼む。俵藤太は百足退治を引き受け、見事に退治してしまう。その後、竜宮に招かれ別れの際に竜王より釣鐘を授けられた。その釣鐘を三井寺に奉納した。
将門討伐の命を受け、将門討伐に平貞盛との連合軍で攻めるがなかなか勝てない。そこで、俵藤太は将門の傘下に入り将門暗殺の機会を狙うが、将門は七人いてどれが本物なのか分からない。将門の女房の小宰相から、本物を見つける方法を聞きだして将門暗殺に成功した。小宰相は龍神の化身であり、俵藤太は龍神の加護と更に三井寺の本尊である弥勒菩薩の加護を得て、将門討伐の成功を収めることができた。
以上がおおまかな『俵藤太物語』の説明と粗筋である。『俵藤太物語』では、将門の弱点を俵藤太に伝えた人物は小宰相となっているが、『遊歴雑記』をはじめ広く伝えられている人物は桔梗になっている。将門の弱点を俵藤太に伝えたという話の流れはかわらないが、桔梗の伝説ではその後日談として咲かず桔梗といった事が語られるのに対して、小宰相の話では後日談が語られていない。
俵藤太こと藤原秀郷は平安中期の武人で生没年は不詳である。『尊卑分脈』に拠ると、先祖は藤原鎌足で魚名の流れとされている。また、子孫は奥州藤原氏の祖である藤原経清へと繋がり、奥州藤原氏の繁栄を築くことになる。
俗に言う俵藤太という呼称については、相模国の田原を治めている藤原氏の太郎君ということで田原藤太と呼ばれていたという説や、百足退治の褒美に龍王から米の尽きない俵をもらったという伝説とから、後に田原と俵をかけて俵藤太と表記されるようになったという説がある。
俵藤太については将門討伐以前の事は正確なことがわかっていない。延長七年(九二九)に下野国司から濫行を訴えられたことと、この十三年前に罪人として流罪にされたことぐらいしかわからない。流罪にされたことは、『日本紀略』延喜十六年八月十二日条に
とある。しかし、何故流罪にされたかまでは記されていない。
将門の乱の軍事功労者達の中で、得た利益が一番大きかった人物は俵藤太である。天慶三年の天慶の乱では、下野国の押領使として追武使平貞盛とともに、将門を討ち破った功績によって従四位に叙され、下野守に任じられた。後に鎮守府将軍に補せられ、その子孫は関東北部を中心に勢力を誇った。俵藤太から七代後が清衡であり。奥州の地に栄華を築くことになる。
伝説に於ける将門は、しばしば超人として描写されている。桔梗や小宰相といった女性が俵藤太に将門の弱点を伝えたのも将門が常人とは違った超人であったためである。『俵藤太物語』でも将門は実に悪役らしく
と、描写されている。将門の鉄身伝説、七人将門伝説を反映したものである。また、
と将門の本体の見分け方があげられている。これを俵藤太は小宰相から聞出して、ようやく将門を討取る事ができるのである。
将門の見分け方も『俵藤太物語』で描かれている他にも、影武者は藁人形であり、将門だけが寒い日に白い息を吐くといったものや、俵藤太が投げた成田不動のお札により、将門の七変化の妖術が破れたというものがある。
また、これらの他にも、
とある。これは、後述する鉄身体伝説に関わるものである。天慶三年四月二十五日に将門の首が都に届き、五月三日に左京に梟首されたが、首がからからと笑っていたという伝説である。
将門が鉄身であるという話は、『太平記』巻第十六・日本朝敵事にみられる。
とあり、鉄身であることが記されている。
また、これに続く話として、将門の首がからからと笑うという話があり、
という歌を聞くと、その現象が治ったとされている。『太平記』ではこの歌は、
と、助動詞「けり」の活用が違うが、内容的には同じといってよいであろう。
そして、『平治物語』にも、
と将門の首についての話がある。
その他にも『俵藤太物語』には、将門が乱を起こした当初、俵藤太が「この人に同心し、日本国を半分づつ、管領せばや」という野心を持って、将門に会いに行くという場面がある。この話題は『源平盛衰記』や、『今昔物語』にみられるものである。
このように『俵藤太物語』の後半を構成している要素は、多数の典拠を示すことができる。これらの典拠は当時伝えられていた将門の伝説を反映したものであろう。様々な作品から面白い要素を典拠として構成した御伽草子によって、更に広く多くの人々に将門の鉄身伝説は広まったのであろう。
将門を題材にした文藝作品は『俵藤太物語』以外にも、しばしば創られた。謡曲『将門』は神田明神の縁起譚ともいえるものでる。近世以降は将門を題材とした歌舞伎や浄瑠璃が実に数多く繰り返し上演されている。近松門左衛門の『けいせい懸物揃』は俵藤太が主人公で、その武功譚が中心であるが、これもやはり七人将門伝説が反映されているものである。その後も黄表紙や合巻、読本で度々将門は取り上げられて俵藤太が将門を倒すといった趣向のものが多いが、俵藤太が主人公であったり、将門が主人公であったりと様々である。
伝説の将門観が主流であった時代に異例と思われるのは、滝沢馬琴の『昔語質屋庫』である。この作品は質屋の蔵に収められている物たちが、人々が寝静まったことに集まり身の上を語り合うといったものであるが、ここで平将門袞龍の装束を登場させている。この作品では当時の史実と伝説が入り混じった将門観を否定し、馬琴なりの考察を示しており興味深いものである。
中世以来、特に近世以降、将門を題材とした文藝作品が数多く創られるようになった。文芸作品では、伝説を反映して将門は超人として描かれることがほとんどである。また、俵藤太はその超人を討ち倒した武勇知略ともに優れた英雄であり、将門の愛妾と通じた色男でもあることが物語に華を添える要素としてもてはやされたのであろう。更に、将門は滅亡後に御霊として神田明神をはじめとして多くの神社で祭られたこともあり、民衆に親しみやすい題材であったことも、人気の一因であったのではなかろうか。
桔梗の伝説を発端に、俵藤太の将門討伐に関する物語を中心にみてみた。俵藤太の将門討伐の物語は、将門の様々な伝説を織込みながら、俵藤太を主人公とした物語に仕上げられている。俵藤太を主人公として描写してはいるが、構成している要素は鉄身伝説や七人将門伝説といった将門の伝説が中心である。
御伽草子『俵藤太物語』後半の将門討伐の話題は、俵藤太の活躍を描いてはいるが、その活躍を引き立てるのは将門が超人であるという様々な伝説がもとになっており、将門の伝説が全国に流布することに大きな影響を与えたものと思われる。
俵藤太の伝説の流布に御伽草子はかなりの役割を果たしたと思われる。将門の断片的な伝説を、民衆に親しみやすい御伽草子という形に仕上げたおかげで、平将門や俵藤太の物語は広く伝説として流布し、多くの人々に親しまれたのではないだろうか。
源平の争いや南北朝の動乱の時期に将門の乱が回顧され僧侶や貴族の日記などに記されていることも興味深い。また、戦乱が落ち着いた時代に謡曲や御伽草子に題材としてとられ、近世に入ると爆発的な人気を誇ることは実に興味深いものである。出版文化が発展したといこともあるだろうが、御霊神としての将門や、英雄としての俵藤太が人々にとって魅力的であったということが大きいと思われる。
引用文献
注1 松本隆信校注 新潮日本古典文学集成(第34回)『御伽草子集』 昭和55年1月10日 新潮社
注2 黒板勝美編 国史大系第十一巻『日本紀略後編・百錬抄』 昭和40年8月31日 吉川弘文館 20頁
注3 後藤丹冶・釜田喜三郎校注 日本古典文学大系三五『太平記』二 昭和36年6月5日 岩波書店 168頁
注4 注3に同じ
注5 栃木孝惟・日下力・益田宗・久保田淳校注 新日本古典文学大系四三『保元物語・平治物語・承久記』 平成4年7月30日 岩波書店 232〜233頁
参考文献
岩井市史編さん委員会編 『平将門資料集』 平成8年6月10日 新人物往来社
横山重・松本隆信編 『室町時代物語大成』第九 昭和 56年2月28日 角川書店
梶原正昭・矢代和夫著 『将門伝説』 昭和50年12月30日 新読書社
後藤丹冶・釜田喜三郎校注 日本古典文学大系三五『太平記』二 昭和36年6月5日 岩波書店
梶原正昭訳注 東洋文庫『将門記』二 昭和51年7月14日 平凡社
小峰和明校注 新日本古典文学大系三六『今昔物語集』四 平成 6年11月21日 岩波書店
水原一考定 『新定 源平盛衰記』第三巻 平成元年6月15日 新人物往来社