雪の降る街、その駅前にはベンチがある。
そのベンチで、一人の少年が泣いていた。
その少年の正面には一人の少女が立っていた。
そして、二人の中間には歪んだ雪の固まりが。
……それは、形を失い、崩れ落ちた雪うさぎだった。
 
『……あ……ご……ごめん、ね……』

『…………』

『祐一は……そっか、雪は、もう、嫌いなんだね』

『…………』

少女は、精一杯笑顔をつくろうとしていた。
少年は黙ったまま。

『ごめんね……わたし、悪かったね』

『…………』

少女は、泣き声になりながらぐしゃぐしゃになった雪うさぎをかき集めていた。

『祐一』

『…………』

『さっきのことば、どうしても、祐一にもう一度言いたいから……』

『…………』

『帰る前に、少しでいい、少しでいいから……』

『…………』

『明日、もう一度ここで会ってくれる?それで、ちゃんとお別れをさせてくれる?』

『…………』

『わたし……ずっと、祐一のこと、待ってるから』

世界が暗転する。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「……いち、祐一」

「ん…………?」

俺は眠りから覚めた。
ゆっくりと顔を起こす。

(またあの夢か…………)

あの夢はたまに見る。
そして見るたびに何か釈然としない気持ちに襲われる。

「祐一、どうしたの?」

俺の視線がぼーっと宙を泳いでいるのが気になったのか、俺の隣の席の女の子が問いかけてくる。
俺のいとこの水瀬名雪。
色々な出来事があり、俺――相沢祐一の恋人だ。

「ねぇ、祐一」

「ん?いや、何でもない」

「ほんと?」

「ほんとだ」

実を言うと、何でもないわけじゃなかった。
こうして名雪とお互いの気持ちを確かめ合い、恋人という関係を築いているのに――――

(どうして、今更あの夢を見るんだろう…………)

まだ罪悪感が残っているのか。
残ってないわけじゃないが、もう俺の中で決着がついたのもと思っていた。

「……祐一、帰ろう?」

「ああ」

少し俺の様子を気にかけた名雪が覗き込むように言ってくる。
俺はそれに手短に答えた。
時計を見ると既に放課後だった。
六時間目に寝たのだから、起こされるのもこのぐらいだろう。
俺はカバンを持ち上げると、さっさと教室の戸へ向かう。
名雪がそれを追いかける。

「わわっ、待ってよ祐一〜〜」

「名雪がもたもたしてるからだ」

「ひどいよ、寝てたのは祐一だよ〜〜」

「よし、イチゴサンデーで許してやろう」

「それ、わたしのセリフ……」

俺は甘いものはあまり好きじゃないのだが、つい名雪を困らせたくってそんなことを言ってしまう。
そんな、他愛もないやりとりをしながら俺達は教室を出た。


―――――――――――――――――――――――――――――――――



「それにしても祐一、教室でなに考えてたの?」

商店街で寄り道をしている最中に名雪が突然切り出した。

「ああ、俺はお前と違って考えるところがあるんだよ」

「うー、それじゃまるでわたしが日頃なにも考えてないみたいだよ〜」

「そうか。それはすまなかった。お前はちゃんと猫とイチゴのこと考えてるよな。うん、すごいぞ」

「う〜、ひょっとして失礼なこと言ってる?」

「かもな」

いつもならここで「そんなことはないぞ」とか言ってやるのだが。
何故か今日は違うことを言ってみたかった。

「ひどいよ」

「…………」

名雪が抗議の声を上げてくる。
やばい、少し怒らせたか。
となると、あの要求が来るな…………。

「祐一、百花屋でイチゴサンデーおごってね」

「…………やっぱりな」

半分諦めのこもった口調で若干の笑みを漏らしながら言った俺の言葉に少しだけ名雪の気分がよくなったようだ。

「けど、今日はもうやめとけ。寄り道したら時間くわれたし、そろそろ秋子さんが夕ご飯の準備する頃だ」

「えっ?百花屋行かないの?」

「ああ、だってもう時間が…………」

「部活ない日は祐一と百花屋行くのが楽しみなのに……」

「いや、あのな……」

「祐一と一緒に百花屋行きたいのに…………」

「……」

名雪がわずかに目を赤くしながら上目遣いで訴えてくる。
俺は、こいつにこんな顔をされると何も言えなくなってしまう。

「しょうがない……行くか、百花屋」

「うん!大好き、祐一」

「ったく…………」

名雪に抱きつかれ、そういう俺もまんざらではない。
つき合い出した頃は、気恥ずかしくて抱きつかれたときはいつも引き剥がしていたのだが、今はこいつの暖かみが心地よくってしかたがない。
結局、この日は名雪はイチゴサンデー3杯をたいらげた。
俺は、財布の中身が軽くなるの感じながら、どこかの竹藪に一億円落ちてないだろうか、とか詮無きことを考えた。
その帰り際。
名雪と歩きながら、俺が話しかける。

「なぁ、名雪」

「なに?」

「俺、お前に悪いことしたな」

「えっ?……」

「七年前」

「あっ…………」

「酷いことしたよな、我ながら」

「祐一……」

「なんでもうちょっと優しくできなかったんだろうな」

「もういいんだよ」

「…………そうなのか?俺がああいうことされたら、とてもじゃないけど……あんな辛さは絶えられないと思う……」

「祐一…」

「まったく最低だよ!心が苦しくて仕方ないのは俺だけじゃなかったのに……自分のことしか考えれなくて!」

「ううん。いいの」

「何でだよ!?俺は………」

「祐一」

名雪が俺の言葉を遮った。

「確かにあのことはわたしにとってもあまりいい思い出じゃないけど…………」

名雪が、雲で覆われた夜空を見上げた。
その目は、まるで夢を見るかのような輝きを持っていた。
…………ひょっとして、泣いてるのか?

「でもね…………」

名雪が、頬を伝う涙を拭いもせずに言う。

「あのことがなかったら……」

名雪が、赤くなって潤んだ目で俺の目を見ながら言う。

「祐一と、こんなにわかり合えなかったと思うよ」

――――――――!!
それは、名雪が優しくって。
それは、名雪が俺のことを思っていてくれて。
…………あんなことがあっても、俺のことを思っていてくれた気持ちの強さの証明だった。

「だから、わたしはいいの。あのことがあって、そして今わたしと祐一は恋人なんだよ……」

「名雪……」

「わたしはそれだけで満足だよ」

俺は、俺を七年間思い続けてくれたいとこを愛しさのあまり抱きしめた。
名雪が泣きやむまで…………。
気付くと、俺の目からも涙が溢れていた。

その後、俺達が家に着いたのは秋子さんの用意してくれた料理が冷めたころだった。
それでも秋子さんはほんの少し心配するだけで、俺達の目を見ると微笑んでくれた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――



そして、朝。

「ほらっ、起きろっ」

これもいつものことだ。
ただ、なかなか起きない名雪に時間を大分取られてしまうのはいつものことにはしたくないが。

「うにゅ…………」

「…………」

いつもなら大声を張り上げて起こそうとするところだが……。
俺は腰を落として、ベッドに手をつき――――
名雪の寝顔を眺める。
寝顔なんてその気になればいつでも見られる。
けど、今日は時間を無視してでも眺めたかった。
たまには、な…………。

「くー…………」

「あはは……」

あまりにも無防備で、あまりにも可愛くって、あまりにも名雪らしくって。
思わず俺の口から笑いがこぼれてしまう。

「う……んん……………」

俺の声で少し目が覚めたのか?
あれだけの目覚ましにも反応しないやつが、どうして俺の微かな声には気付けるのか…………。
不思議で仕方がなかったが、それすらも名雪らしくって。

「あははははっ…………まったく……」

また、笑ってしまう。

「ゆういち……どうして笑ってるの?…………」

眠気が取れない声で名雪が言ってくる。

「さぁな……?」

手短にそう返すと、俺はさり気なく名雪にキスをした。
唇を離すと、キスで完全に覚醒したらしく呆気にとられている名雪の頬を撫で、もう一回キスをする。

「ほら、起きろ。学校行くぞ」




そして、朝食を取って学校へ行く。

「イチゴジャムおいし〜」

「早く食えよ」

これもいつものこと。
でも、とても大事なこと。

俺があの夢を見るのは、大事なことだから。
あれも、俺と名雪の絆の一つだから。
忘れてはいけないことだから。

「わわっ、時間ないよ〜〜」

「名雪がもたもたしてるからだ」

いつもと同じセリフを吐く。
いつもと同じ――――この平穏が愛しい。

もし、過去に全てを拒絶した自分に、奇蹟を願うことが許されるのなら――――。

「ひどいよ〜〜、祐一がもっと早く起こしてくれればよかったんだよ〜〜」

「名雪が自分で起きればいいんだ」




この想いが途絶えませんように。




「約束したのに……。ずっと起こしてくれるって、約束したのに…………」

「う゛…………」




俺達を覆う幾つもの奇蹟がどこかへ飛んでいきませんように。




「でもな……そう、あれだ。俺にもな、レム睡眠ノンレム睡眠ってのが当然あってだな……深い眠りが……」

「ひどい。言い訳するんだ」

「ぐっ…………」




俺達の周りの誰もが、幸せでありますように。




「ほ、ほらっ。時間ないしな、学校行くぞ」

「あっ、逃げようとしてる〜」




たとえ心閉ざしても、また希望が見えますように。




「うるさい。おいてくぞ」

「待ってよ、祐一〜〜〜〜」




願わくば。
ずっと、名雪と一緒にいれますように――――。









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written BY BCD