2002年4月GW(京都、奈良)

  平成14年4月27日から30日までの4日間、明日香、奈良、京都を訪れました。
 明日香の風、奈良国立博物館の東大寺展、京都の社家町散策が目的でした。 
その記録を写真とともにご報告します。

  2002年4月27日(土) 明日香

    

左は檜前地区の田園風景です。右は於美阿志神社内にある檜隈寺跡にある十三重の石塔です。

    

同じく於美阿志神社内での画像です。左の画像は何の跡でしょうか。十三重の石塔の柵のすぐ横にありました。
右の画像は於美阿志神社の社殿です。

    

キトラ古墳です。ビニールシートに包まれていました。秋には中に人が入っての調査が始まります。

    

キトラ古墳より稲淵に向けて歩くこととしました。いやー上り坂はきつかったです。
左は文武天皇陵です。高松塚古墳はこの裏側になります。
右は朝風峠です。途中小学生の遠足の集団と遭遇しました。稲淵地区が見えてほっと一息です。

    

稲淵地区の棚田です。どの季節に来てもいい眺めです。

    

棚田にあった、案山子です。毎年秋には案山子コンテストが行われます。
右の画像は「あすかの木」です。NHK朝ドラ「あすか」での子役あすかが登った木です。

    

稲淵勧請橋付近の画像です。あまりに藤の花が綺麗に咲いていたので思わず写してしまいました。
右は勧請橋にかかっている男綱です。この日は飛鳥資料館集合のため、画像はここまでです。

  2002年4月28日(日) 奈良

    

興福寺に向っていたら北円堂の特別開扉が行われているとのことでしたので早速行ってみました。
この北円堂は興福寺の創始者である藤原不比等の一周忌に元明・元正天皇が長屋王に命じて
建てさせた八角円堂です。正面には国宝である弥勒如来坐像(鎌倉時代、桂材 寄木造)、そして
同じく国宝である無著・世親菩薩像(鎌倉時代、桂材 寄木造)が存在しています。
この北円堂は春と秋にしか特別公開しないということです。

    

東大寺二月堂の周辺には小さな神社が結構ありましたのでちょっと撮影させていただきました。
由来由緒についてはわかりません。ご存知の方がいらっしゃいましたら是非掲示板のほうへお願いします。

    

二月堂正面とお水取りで使用される井戸です。お水取りの時のベストポジションですが、
何でも二月堂に登る石段の下がいいとのことです。法華堂から二月堂へ至る門を入った場所近辺
がいいと、4,5名の見学者を案内している研究者らしい方がおっしゃっていました。
本当かどうか、来年お水取りにいかれる方は試してみてください。
あと、写真はとりませんでしたが、法華堂を訪れ、「執金剛神立像」を拝観してまいりました。
大仏開眼1250年を記念して特別拝観が出来ました。こんな間近でしかもライトアップされて
見れるのは、毎年のご開帳でもないとのことです。まだご覧になっていない方は是非期間中に行かれて見ては。

    

東大寺正面です。拝観料を惜しんだわけではありませんが、中には入りませんでした。右は春日大社の鳥居です。

    

春日大社拝殿横の藤の花です。たくさんの人が写真を撮っておりました。
右は御遷座が終わったばかりの若宮です。この日も行事が行われるようで正面にはいけませんでした。

    

今度は、ちょっと場所を変えまして、秋篠寺です。
秋篠寺は宝亀7年(776年)創建です。本堂は国宝になっています。本堂内には重文の伎芸天像があります。
頭部は乾漆造で平安時代の作、胴体は寄木造りの鎌倉時代の作となっています。
また、画像は撮りませんでしたが、本堂のそばにあるお堂に木造極彩色の秘仏 大元帥明王像(重文)が安置
されています。そしてこの秘仏は毎年6月6日にのみ開扉されるそうです。

    

今度は西大寺です。東大寺に対する西の大寺として建てられたお寺ですが、創建時の遺物は東塔跡が
残るのみとなっています。西大寺は「大茶盛」でも有名になっています。直径30cmの大茶碗で抹茶を
頂く行事で、毎年1月15日、4月第2日曜とその前日、10月の第2日曜に行われています。ただ、定期
観光バスのコースで大茶盛を体験できたかと思います。(私も定期観光バスで経験したので)
秘仏の愛染明王(重文)は1月15日から2月4日のみ公開されています。

    

西大寺の本堂と東塔跡です。

    

西大寺の東門の道路を挟んで反対側に西大寺の飛び地があり、ここには西大寺の鎮守社がありました。
この社殿の形式は正面に階段を設けない見世棚造りとなっています。

  2002年4月29日(月) 京都
     今日の散策の主目的は上加茂神社そばの社家町を見学することでしたが、あちこち立ち寄ってしまいました。

     

上加茂神社そばまで行く手段として地下鉄を利用しました。北山駅で降りて近くにあった周辺の案内図を見たところ
「円通寺」という寺院があるということがわかりましたので、社家町による前に散策の経路に早速追加いたしました。
左は円通寺に向う途中にあった深泥池貴舩神社です。鞍馬山麓にある貴布禰総本宮貴船神社の分社として、
深泥池の農民により勧請されたもの、との由来書きがありました。

    

円通寺に至る道は大変でした。閑静な住宅地の間を歩いていくのですが、これが途中からすごい坂道と
なりました。道を間違えたかと思いましたが、奥に行く道はこれしかないので歩きつづけました。
坂を上りきって寺院が見えなかったらあきらめて戻ろうとまで思ったほどでした。
でも何とか見つかったので一安心。でもこのお寺の由緒を後で知ってびっくりしました。
ここは修学院離宮を作った後水尾天皇の離宮跡だったということです。後水尾天皇は比叡山の借景を
取り入れるためにベストスポットを探し回りようやくここに至ったということです。でも水の便が悪かった
ために結局ここを離れ修学院離宮に移ってしまったということです。水の便さえよければ修学院離宮
は造られていなかったかもしれません。庭園での写真撮影は禁止となっていますので、その写真は
ありませんが、比叡山の見え方は右側の写真のように見えます。(庭園下の畑から撮影)

    

さて、歩みを社家町のほうに進めましょう。途中に杜若で有名な太田神社がありました。
神社前の池には杜若がが4割ほど咲いておりました。写真より実物の方が印象的な紫色でした。

    

社家町にある井関家住宅です。現在は布を使った小物のお店になっています。
承諾を得て、お店の中を撮影させていただきました。

    

ちょうど太田神社の杜若に合わせたのでしょうか。右の写真のように杜若の小物もありました。
多分季節ごとに季節に合った小物が作られていると思います。

    

左は上加茂神社から流れ出す明神川の守護神として祀られた藤木社です。後ろの楠木は推定樹齢500年です。
川の流れは明神川の流れです。川の左側が社家町となっています。
各家には川の流れの取り入れ口と出口が造られています

    

社家町 西村家の庭園です。社家町は上加茂神社の神官達が住まいした地域となっています。
各屋敷は明神川から水を庭園内に取り込む仕組みとなっています。寺院の庭園というのは多い
のですが神社に関わる庭園というのは珍しいそうです。

    

同じく社家町 西村家の庭園です。左の画像は禊を行うための井戸となっています。
右は建物を挟んで反対側にある庭園で、井戸のように見える場所は排水を捨てる井戸です。
決して生活排水は川には流さなかったのですね。さらに明神川が神聖な川であった事も理由かも知れません。

    

社家町 西村家 奥にあった池です。

    

上加茂神社です。白馬がいたので思わずデジカメで撮影してしまいました。
上加茂神社を訪れた後、近くの神馬堂で焼餅を買って食べました。

    

何箇所か和菓子屋さんを回ってみようと思いましたので、その画像を紹介します。
左は北野天満宮そばの老松さんです。素材にこだわりをもっておられ、その現れの一つが「夏柑糖」です。
純粋種の夏蜜柑の果汁を絞り寒天を加えたものを、くりぬいた皮に流しいれ固めた水菓子です。
右は塩芳軒さんです。上京区黒門通中立売上ルにお店はあります。 しかし、あいにくお休みでした。
お干菓子で有名ですが、NHK朝ドラ「あすか」での菓子指導をされた菓子司さんです。
あの「おかめ饅頭」もです。雰囲気が扇屋一心堂を彷彿とさせませんか。

    

こちらは和菓子屋さんではありません。京都御所近くの中京区堺町通り二条上る亀屋町にある堀野記念館です。
ここはもともと日本酒のキンシ正宗の醸造所でした。そこに地ビール醸造の施設が作られました。
ここでは二種類のビール 「かるおす」 (ケルシュ) 京都町家麦酒と 「まったり」 (アルト)京都花街麦酒
が飲めます。京都市内であれば酒販店で販売されているかも知れません。
お店の方にお願いして、醸造施設を特別に見せていただきました。日本で2番目に小さい施設とのことです。


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