2002年5月 三重

  平成14年5月3日から6日までの4日間のGW後半は伊勢を中心に明和、伊雑、鳥羽、美杉を訪れました。
 その記録を写真とともにご報告します。

  2002年5月3日(金) 

    三重県は志摩地方を訪れました。
    本日は、磯部町と鳥羽市です。磯部町はスペイン村「パルケ・エスパーニャ」があり、その玄関である近鉄
    志摩磯部駅はスペイン風の白壁とオレンジ色の屋根が目立ちます。
    まずは、伊雑宮です。ここは、倭姫命が志摩の国を巡られたとき、伊佐波登美命に命じて造営されたとい
    われています。伊勢神宮内宮の別宮の中でもとりわけ高い格式を誇ります。地元のかたは愛着を込めて
    「いそべさん」と呼んでいるそうです。
    毎年6月24日に行われる、日本三大御田植祭のひとつ「伊雑宮御田植祭」の舞台にもなっています。

    

伊勢神宮125社のうち社殿を持っている神社は20年に一度遷宮を行います。そのため社殿の
隣には次回の遷宮用の敷地が必ずあります。これは神社の規模の大小によりません。
また、別宮と呼ばれているところには(内宮内、外宮内の別宮は除く)には社務所があり、
神職の方が常時いらっしゃいます。

    

伊雑宮社務所横にある巾着楠です。触ると運がつくといわれています。
ただ、きちんと伊雑宮にも参拝が終わってからにしてくださいね。
右は社務所横にあった池です。五十鈴川には負けますが、鯉が泳いでおりました。

   

さて、ここからは近鉄をちょっと鳥羽方面に戻って九鬼水軍ゆかりの地を訪ねます。
浅熊山にある金剛証寺の奥の院「丸興山庫蔵寺」を目指します。
どういうわけかスタート地点の近鉄加茂駅(無人駅)を降りたら加茂川がありました。

    

加茂駅を降りて加茂川を渡ると国道167号線にぶつかります。そこを北に200mほど歩くと田城々跡です。
このあたりは戦国時代、九鬼水軍の鳥羽支配の拠点でした。看板では城跡となっていますが、今は
九鬼岩倉神社となっています。主祭神は九鬼弥五郎澄隆です。

    

九鬼岩倉神社から西に向かいます。河内川と呼ばれる川沿いに西に向って歩き始めます。
周囲では田植えがようやく終わったばかりの水田が広がります。山間の地といったところ
ですので、あまり広々としてはいませんが心和む風景です。
1kmほど歩くと、山裾に鳥居が見えてきます。河内神社です。縁起によると江戸期には八王子神社
と称し、明治6年に河内神社に改称されたとあります。主祭神は五男三女神となっています。

    

楽な道は河内神社まででした。ここからはすごい山道が続きます。写真右ではそんな急には見えないでしょうが
実はすごいんです。何度途中で引き返そうと思ったことか。追い討ちは上からは虫が降りて来ることです。
左は彦瀧大明神下にある川の流れです。ここから目的の丸興山庫蔵寺まではあと800mです。
でもこの800mがつらかった。足腰の弱い方は絶対にお勧めできません。

    

さていよいよ丸興山庫蔵寺に到着です。左は山門に至る最後の石段です。これが一番きつかった。
室生寺奥の院に至る最後の石段と双璧かも知れません。本当に転んだら命がないかと思うほどです。
自然の石だけですから、足を載せると動く石もあって怖かったですよ。
右は丸興山庫蔵寺の本堂です。本堂の絵天井や欄間には室町時代の作とされる牡丹・天女など
極彩色の仏画が豪華絢爛に描かれています。また須弥壇や鎮守堂などの重文もあります。

丸興山庫蔵寺からの帰り道、木立の間から見えた志摩の海が垣間見えました。
実は丸興山庫蔵寺には車で来ることも出来たのを知ったのは、この写真を撮った後でした。
でも車できてしまったら、見れなかった場所がたくさんあったかと思うと、つらかったことも
吹き飛んでしまいます。(でも次回は車で来ます。)


  2002年5月4日(土) 

    三重県は美杉村を訪れました。
    本日は、朝から雨でした。結局1日中はっきりしない日でした。
    松阪からJR名松線で伊勢八知駅まで、ここが美杉村の入り口になります。 
    美杉村にはいろいろな見所があります。まずは北畠神社です。祭神は『神皇正統記』という本を書いた
    北畠親房の子、顕能となっています。この場所にはもともと北畠氏の館がありました。石積の跡が発見
    されています。
    北畠氏が伊勢国司となったことがこの地域に勢力を張るきっかけとなりました。大和と伊勢との行き来
    に便利だったことや、まわりが山に囲まれ、敵から攻められにくかったことがここ多気を選んだ理由だっ
    たのでしょう。戦国時代、織田信長により滅ぼされるまで北畠氏は続きます。


    上でも述べた通り大和と伊勢をつなぐ伊勢本街道は奈良県御杖村より美杉村杉平、伊勢地を経て奥津
    へ、飼坂峠を越えて上多気に入り、飯南町仁柿を経て伊勢へと通じており多くの人々がここ美杉を通って
    いったことでしょう。

    春には、「三多気の桜」が有名です。国指定文化財・名勝となっています。場所は奈良県御杖村との村境
    つまり県境付近にあります。

   

    

左は伊勢八知駅の駅舎です。休日は無人駅なのでしょうか。窓口は閉まっておりました。
右は、「火の谷高原ビール」の醸造所兼レストランです。ここに来るのが目的だったかも。
ここではレッドルビーエールを飲み、オリジナルグラスを買ってまいりました。
しかし、あいにくの天気と2時間に1本しか電車(デイーゼル車ですが)ないということから
ここだけで美杉村を後にしました。滞在時間1時間でした。

    

続いて訪れたのは明和町です。松阪と伊勢の間にあり、斎宮があった場所です。
今年の3月に斎宮跡歴史ロマン広場がオープンしました。この“斎宮跡歴史ロマン広場”は、国史跡斎宮跡
の全体を1/10で表現するとともに、斎宮の主要施設である方格地割とその内部に設置されていた
内院・神殿・寮庫の3施設の建物、全47棟を復元し、ビジュアルに斎宮を紹介する場所となっています。

    

当時の建物の模型です。

    

同じく模型です。ただし、左写真の右奥の建物は「いつきの宮歴史体験館」です。
ここでは十二単の試着体験もできます。

    

斎宮跡を示す石碑と、花菖蒲です。6月初めに斎王群行が行われます。斎王始め群行に参加する主だった
人々は一般からの公募にて選ばれます。


  2002年5月5日(日) 

    本日は鳥羽と伊勢です。
    鳥羽では、志摩一ノ宮である伊射波(いさわ)神社を訪れ、伊勢は内宮、外宮、月夜見宮、月読宮
    を訪れました。昨日と違って晴天となり、一転暑くなりました。
    

    

鳥羽バスセンターで安楽島行きに乗り終点で降ります。
ここ安楽島では平安時代の土器や革帯、金具が出土しています。
これは高位の大宮人のものであり、ここに常駐していたのではと推察されます。
左はバス停そばにある安楽島舞台です。祭りの村芝居で使われるそうです。
これから向かうのは、伊射波神社ですが、これは明治以降に改名させられたもので、
それまでは加布良古神社と呼ばれていたそうで、案内板もその名前となっています。

    

安楽島のバス停から20分ほどで、海に向かう鳥居に到達。海から訪れるもののための入り口
のようです。鳥居からの階段は結構急でした。ここからが加布良古岬の聖域に入ります。
右は伊射波神社です。昨年秋に遷宮が終えたばかりの新しい社となっています。
でも伊勢神宮の摂社末社にはなっていません。祭神は伊射波登美命ということですが、
地元の研究家の方の話では、この神社は加布良古大明神といって、
海の守り神須佐之男命を祀っていたということです。

どうも調べていくと小さな社殿ですが、出雲と大和の勢力争いにまでたどり着きそうです。

    

さて、場所は変わって外宮です。正宮から多賀宮に行く亀石を渡ってすぐ左に夏蜜柑がありました。

    

左は多賀宮のちょうど下にある下御井神社です。神饌に使うお水は普通、上御井神社から
汲み上げられますが、上御井神社に不都合があった場合にはこの下御井神社の水が使われる
ということです。ちなみに上御井神社のある場所には一般の人は入れません。
右は外宮正宮の後ろ側です。板垣内側に見える建物は御饌殿(みけどの又はみけでん)です。
ここでは毎日朝夕の二度、天照大御神、豊受大御神をはじめ神々にお食事がたてまつられます。
この施設は内宮にはありません。

    

左は忌火屋殿です。平たくいうと台所です。ただし神様の食事を作るための台所です。
右は外宮正宮北側にある末社で渡会国御神社です。

    

左は渡会国御神社の隣にある大津神社です。どちらも遷宮が終わった後ですので、
まだ檜の新しさが目立っておりました。でもここまで参拝に来られる人はあまりいません。
というより、こんな場所に神社があるなんて知らないのだと思います。
といっても125社のひとつですから、大きな御祭の時には、神職による祭事がこの
2箇所の神社でも執り行われるのはもちろんです。
右の写真は外宮の別宮「月夜見宮」です。

    

左は月夜見宮の社殿です。右は月夜見宮宮域にある高河原神社です。

    

伊勢市駅からバスにのり徴古館経由内宮行きにのり徴古館前で降りると、そこには内宮の別宮である
倭姫宮にいたります。倭姫宮の祭神は、天照大御神をお連れしてこの伊勢の地に辿りつかれた
倭姫です。この神社が出来たのは意外と新しく、大正十二年十一月五日です。
天照大御神をお連れした倭姫をお祭りする社を是非という宇治山田市民の願いから造られた
とのことです。しかも社格は内宮の別宮ですから、高いです。

    

こちらは、五十鈴川駅から徒歩10分ほどのところにある月読宮です。
月読尊のほか、伊佐奈岐尊、伊佐奈弥尊が祭られています。

    

左は伊佐奈弥宮、右は伊佐奈岐宮です。

    

左は月読宮、右は月読荒御魂宮です。
ちなみにこの4つの宮をお参りする順番は月読宮、月読荒御魂宮、伊佐奈弥宮、伊佐奈岐宮です。
また、御遷宮をする場合、他の神社と違い、前後に遷宮します。この写真をとっている
私の後ろに古殿地があります。

    

左は月読宮宮域内にある葭原神社です。右は月読宮と内宮の中間にある宇治山田「神社です。

    

ちょうど5月5日は猿田彦神社の「お御田祭」でした。猿田彦神社に到着した時は田植えは終了して
しまったのですが、恵比寿と大黒の絵の書かれた大きな団扇を持った2人の方が田植え終了後の
田んぼのなかを歩き回る神事が始まりました。

    

左はおなじみ五十鈴川です。新緑が鮮やかでした。右は風日祈宮です。

    

内宮の正宮です。右は古殿地です。

    

内宮参拝後はおはらい町での食事です。時間も4時を回っていましたので、観光客の数も
少し減ってきて混まずに食事が出来ました。場所は「川端屋」さんです。窓からは五十鈴川の
流れが直ぐそばに見ることが出来ます。頼んだ食事は料理長おすすめコースです。
◆2000円コース
胡麻豆腐 間八・烏賊造り 茄子田舎煮 冷し茶碗蒸し 地鳥唐揚 焼おにぎり茶漬け 漬物 デザート

    


    


    


    


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