北鎌倉散歩 1

-- 2001年5月20日(日) -- 

初夏といってもよいほどの陽気に、ちょっと出かけてみたくなり、1年ぶりぐらいに北鎌倉を訪れました。

北鎌倉はJR大船駅から横須賀線で1駅目になります。 もう1駅行けば鎌倉駅となります。
鎌倉まで出て人ごみの中を歩くのはちょっといやだったのと、結構鎌倉らしさを残していると思われている場所で
あることもあって今回は北鎌倉を選びました。
 北鎌倉にもいくつかの古刹があり、いまNHK大河ドラマで話題となっている北条時宗や時宗夫人覚山尼、更に
時宗の父親時頼(最明寺殿)ゆかりの寺がそろっています。
 まずは、北鎌倉近辺の地図を紹介します。

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北鎌倉駅近辺

北鎌倉駅を降りると、周囲の新緑が目に飛び込んできます。 北鎌倉を訪れたのは久々に古刹めぐりという目的
もあったわけですが、北鎌倉駅前に和菓子匠があったことと、いなり寿司のお店があったのを思い出したためです。
和菓子匠の名前は「菓匠 こまき」、いなり寿司の店は「光泉」です。

菓匠 こまきの今月の菓子は青梅(上記写真)です。 中身はこし餡です。
いなり寿司の光泉(上記写真左の右端の半分写っているお店です)にも寄ったのですが、すでに売り切れでした。
また北鎌倉駅の近くには松花堂という和菓子匠があり、羊羹と水羊羹の中間のような「あがり羊羹」を売っており
その日に販売する分しか作らないため、お昼前に売り切れということもあるそうです。

東慶寺

  北鎌倉駅から横須賀線に沿って鎌倉方面へ徒歩約3分、右手に緑に囲まれた東慶寺があります。
臨済宗のお寺で、開山は北条時宗夫人覚山尼です。 弘安8年(1285年)開創。
五世後醍醐天皇皇女用堂尼以来、松ヶ岡御所といわれ、二十世は豊臣秀頼息女天秀尼、明治に至るまで男子
禁制の尼寺で、駈入寺または縁切寺としてあまたの女人を救済した。  今は前円覚寺管長釈宗演禅師を中興
開山とする男僧寺となっている。(北鎌倉 松ヶ岡東慶寺略誌 より抜粋)
  駆け込み寺であったということは、何かで聞いたことがあり知ってはいましたが、北条時宗、後醍醐天皇そして
豊臣秀頼にも関係するというのにはびっくりしました。


東慶寺の山門です

東慶寺の本堂です

東慶寺の鐘楼です

東慶寺の参道です


葉祥明美術館

 明月院に向かう道沿いにひっそりとたたずむ洋館。絵本作家・詩人としても活躍中の葉祥明さんの原画を集めた美術館あります。葉祥明さんは自分の才能を世の中に役立てたいとさまざまなボランティア活動に参加しています。最近ではカンボジアの地雷原の地雷撤去のためにと絵本を書いてその売り上げの一部を地雷撤去の費用として寄付したことなどがマスコミでも取り上げられています。
 彼の絵はパステル調の柔らかい色調が特徴で、見ている人をやさしい気持ちにさせてくれます。都会の生活に疲れた人、なにかイヤなことがあってイライラしている人、なにかやすらぎを求めたい人、また「葉祥明って誰?」と言う方も、是非一度ご覧になっていただきたいと思います。
 ここには絵だけでなく、彼の詩も飾られています。なかなか考えさせられハッとすることもあります。
                                         (葉祥明美術館のページより)

 美術館の表に、案内の看板を出しておかなければ、美術館とはおそらく気づかないと思います。


明月院

葉祥明美術館を過ぎて更に歩いていくと、明月院に突き当たります。
アジサイ寺といったほうが有名なお寺です。 まだアジサイの季節ではなかっったので蕾のアジサイばかりでした。
でも、アジサイばかりではなく、1年中何がしかの花が咲いているそうですので、花の寺と言ってもいいかも知れま
せん。
  明月庵(後に明月院となる)の創建は永禄元年(1160年)に始まります。
この地の住人で平治の乱で戦死した首藤刑部大輔俊道の菩提供養として俊道の子、首藤刑部太夫山ノ内経俊
によって創建。 その後康元元年(1256年)北条相模守時頼公によって、この地に「最明寺」を建立(現在、明月
院西北の場所)。    (明月院パンフレットより一部抜粋引用)
  
  本当にアジサイの時期には色とりどりのアジサイが咲き乱れますので、一度是非訪れることをお奨めします。

ここがアジサイでいっぱいになります。

枯山水庭園です。

開山堂

明月院やぐら

本堂
北条時頼公の菩提を祭るお堂だったかな?

円覚寺

明月院から来た道を引き返して北鎌倉駅まで戻ると大船駅方向に向かって右手に円覚寺があります。
円覚寺は臨済宗のお寺で瑞鹿山大円覚興聖禅寺といいます。
文永・弘安の2度にわたる蒙古の大軍を撃退した執権北条時宗は、文永・弘安両役に殉じた彼此両軍死者の菩提を
弔い、己の精神的支柱となった禅道を弘めたいと願い、且つその師仏光国師への報恩の念から円覚寺の建立を発願
した。 「円覚」の寺号は寺地選定の後、この地から石櫃に入った円覚経を掘り出したことによるといわれています。

 総門から一番奥の黄梅院までは10分から15分ほどの勾配を登っていくことになります。
途中には、山門、仏殿、明治に柳生道場を移築した居士林、舎利殿(国宝)、開基北条時宗のみたまやである開基廟
などがあります。 ちょっと一汗かくほどの距離でしょうか。

総門

舎利殿(国宝)

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