伊勢ツアー2005
今回は初めて参加される方もいらっしゃると思いますので、内宮、外宮、おかげ横丁はコースに入れております。
前回の伊勢ツアーでは1日のコースでしたが、今回は3日間のコースを考えています。皆さんのご都合もあると
思いますので、好きな日に参加していただいても構わないように考えております。交通の便が多少不便な
ところを組み入れていますので、帰宅時間は多少の幅を持って置いてください。現地集合、現地解散で考えて
います。各日により異なりますが、集合時間は9時半から10時半、解散時間は17時から19時を考えています。
詳細の集合場所、集合時間等については、参加予定の方々にメールにてお知らせすることとします。
第1日目(9月23日(金)あるいは10月8日(土)を予定)
松阪→斎宮→外宮→内宮→おかげ横丁→伊勢角屋
斎宮
まず、伊勢市と松阪のちょうど間にある明和町を訪れます。ここでは「いつきの宮歴史体験館」と「斎宮歴史博物館」を訪れます。
ここには斎宮が置かれました。斎宮は「いつきのみや」とも呼ばれ、斎王の宮殿と斎宮寮(さいくうりょう)という役所のあった
ところです。斎王は、天皇に代わって伊勢神宮に仕えるため、天皇の代替りごとに皇族女性の中から選ばれて、都から伊勢に
派遣されました。
古くは、伊勢神宮起源伝承で知られる倭姫命(やまとひめのみこと)など伝承的な斎王もいますが、その実態はよくわかって
いません。 制度上最初の斎王は、天武天皇(670年頃)の娘・大来皇女(おおくのこうじょ)で、制度が廃絶する後醍醐天皇
の時代(1330年頃)まで約660年間続き、その間記録には60人余りの斎王の名が残されています。
外宮
斎宮の次は伊勢に向います。伊勢の入り口にある豊受大神宮(外宮)を訪れます。ここには、天照大御神の御饌都神(みけつかみ)
豊受大御神が祀られています。ここは前回の伊勢ツアーでもお参りしていますが、次回の式年遷宮でご正殿が建てられる古殿地
を見学できるようになっていますので、その広さを体感していただければと考えています。
ここに豊受大神宮が建てられた理由は、雄略天皇が夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、豊受大御神を丹波(たんば)
の国から、内宮にほど近い山田の原にお迎えされたことに始まります。今からおよそ1500年の昔のことです。
豊受大御神は御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、御饌、つまり神々にたてまつる食物をつかさどられています。このことから衣食住、
ひろく産業の守護神としてあがめられています。
内宮
前回は、古町の参宮道を歩いて内宮に至りましたが、今回はバスで移動を考えています。外宮から約15分ほどで到着します。
皆さんもご存知のように、天照大御神がお祀りされた皇大神宮(内宮)です。五十鈴川に架かる宇治橋を渡り、正宮に向います。
ここ内宮でも、次回の式年遷宮で正殿が建てられる古殿地を見学できるようになっていますので、広さを体感していただきます。
前回は参拝を省略してしまったかも知れませんが、内宮すぐそばの摂社末社も参拝いただきます。
おかげ横丁
前回の式年遷宮の年、平成5年に造られたまちです。約2600坪の敷地内には、江戸から明治にかけての伊勢路の代表的な
建築物が移築・再現され、この地方の魅力が凝縮されており、三重の老舗の味、名産品、歴史、風習、人情まで、一度に体感
できるようになっています。
ここでは、私が伊勢を訪れる度にお世話になっている伊勢萬酒造内宮店に訪れる予定です。
ここでは店先でしか飲めない冷酒専用の「大吟醸おかげま」、「おかげさま」、辛口の「老緑」を味わっていただきます。お酒が弱い
かたには、冷たい甘酒もあります。
あとは、ご自由におかげ横丁を散策していただくつもりでおりますが、伊勢の歴史が体感できる「おかげ座」へ入ってみるのも
面白いと思います。
伊勢角屋麦酒蔵
初日最後は、伊勢角屋麦酒蔵での飲食でしめたいと考えています。平成9年にオープンしたお店で、伊勢地方の地ビールの
草分けと言えるかと思います。日本や世界のビアコンテストで数多く入賞を果たしています。またレストランで出される素材も
地元のもの、無農薬のものにこだわっており、お勧めの一品ばかりです。伊勢志摩の日本酒や焼酎、さらにワインもあります
ので、ビールが苦手な方、日本酒や焼酎が飲みたい方も大丈夫です。
時間があれば、伊勢角屋さんの周辺施設(味噌たまり蔵、角屋民具館)も無料で見せてもらうことができます。
第2日目(9月24日(土)あるいは10月9日(日)を予定) 松阪→滝原宮→松阪
滝原宮
場所は大紀町滝原にあります。松阪よりバスで60分のところにあり、伊勢神宮125社のうちで一番内宮、外宮から離れた
ところにある社です。内宮の別宮となっていますから格式は高い神社です。ただ、交通の便があまりよくないこともあって、
訪れる人は少ないですが、自然の中にある社域は神寂びた雰囲気を醸し出しています。御手洗場も内宮の御手洗場が整備
された印象が拭えないのに対して、本来の形はこうであったかと思わせてくれる印象を持っていただけると思います。
瀧原宮、瀧原竝宮は、ともに皇大神宮(内宮)の別宮で、昔から「大神の遙宮(とおのみや)」といわれています。ご鎮座の地は、
宮川をさかのぼること約40km、その支流大内山川が深い渓谷をなして流れる山間にあります。「瀧原」という名は、大小たくさん
の滝があるところから出た名です。そのむかし、西国三十三所の巡礼を志した人々が、まず伊勢の大神宮にお詣りしてから、
熊野の第一番札所を目ざして歩みを運んだ熊野街道は、現在、国道42号線となり、当宮の前を通っています。ここから荷坂峠
を越して黒潮洗う紀伊の海岸に出て、南紀への旅を快適にしています。
第11代垂仁天皇の皇女倭姫命が、御杖代として天照坐皇大御神を奉戴して、宮川下流の磯宮をお発ちになり、上流の方に
ご鎮座の地を求めてお進みになると、砂をも流す急流の瀬があり困っておられたので、真奈胡神がお出迎えをしてお渡し申し
上げた。そこで命はそのところに真奈胡神をまつる御瀬社をお定めになったのが、今の皇大神宮摂社、多岐原神社です。
瀧原宮の下流約6km、大紀町三瀬川の宮川に臨む断崖の上に鎮座されています。近年までここに熊野街道の「三瀬の渡し」
がありました。
倭姫命はさらに真奈胡神の案内でお進みになると、「大河の瀧原の国」という美わしい土地があったので、この地に草木を刈り
払って新宮を建てられたのが、瀧原宮の起源です。そののち皇大御神のご神意によって、再び伊勢の方へ向われたので、
瀧原にご滞留の期間はさほど長くなかったと思われます。このご由緒によってご遷幸後もかわることなく、皇大御神を奉斎して
今日に至っています。(伊勢神宮ホームページより)
※ 高速バスやJRが走っていますが、一時間に1本と少ないので、松阪までもどる時間は結構なばらつきがでる可能性が
あります。松阪に着く時間が遅くなければ、松阪にて焼肉を計画しています。高級店の和田金や牛銀などがありますが、
松阪駅東側の焼肉店を考えています。
第3日目(9月25日(日)あるいは10月10日(月)を予定)
鳥羽→国崎→鳥羽→夫婦岩→御塩殿→宇治山田
国崎
場所は鳥羽市国崎にあります。鳥羽バスセンターより約50分ほどにある、志摩半島の最東端にあり、太平洋と熊野灘に面し
「伊勢の神崎、国崎の鎧、波切の大王なけりゃよい」と歌われる伊勢志摩の海の難所でもあります。
古くから海女の里として知られ、太平洋に突き出た鎧崎には伊勢神宮の「御料鰒調製所」があり、毎夏海女が獲ったアワビが、
昔ながらの製法で熨斗鰒に調製し神宮に納められています。この始まりは、倭姫命が国崎を旅した際に、海女・お弁の差し出し
たアワビの美味に感動したからといわれています。また、地区にはお弁を祭る「海女潜女神社」も建立されています。
夫婦岩
二見興玉神社のある二見浦の海辺に浮かぶ太い注連縄で繋がれた2つの岩のことはご存知かと思います。
伊勢参宮を行った者は二見浦で禊を行うこととされているようです。遷宮にあたり、奉仕にあたる神領民はこの浦で身を清める
浜参宮を行うこととなっています。二見興玉神社の祭神には猿田彦命が祀られており、夫婦岩の沖合い660mの海中に興玉石
があり、猿田彦命の出現の霊跡と伝えられています。
夫婦岩から西に進むと、二見町の旅館街が現れます。そのなかの賓日館は国の登録有形文化財登録され、今では資料館として
見学することができます。皇族の方々なども利用されたという由緒ある建物となっています。
御塩殿
夫婦岩から2kmほど西に行くと、御塩殿神社があります。この神社の真裏、二見浦の潮騒が聞こえてくる場所に、御塩焼所・
御塩汲入所があります。ここでは、五十鈴川下流の御塩浜で毎年土用の時期に取られた濃い塩水を、まず御塩汲入所に運ばれ、
そのすぐ隣にある御塩焼所で煮詰められて荒塩にされ、さらに三角錐の形をした土器に詰められて焼き上げられ、堅塩に仕上げ
られます。この堅塩は神宮のお祭りで使われることになります。
※ 国崎の御料鰒調製所や二見の御塩殿は伊勢神宮の御料地といわれます。伊勢神宮のお祭りで使用する、お米、野菜、土器、
魚、塩、絹布・麻布を、調製する場所となっています。今回訪れる以外に、伊勢市楠部町の神宮神田、二見町溝口の神宮御園、
松阪市大垣内町の神服織機殿、松阪市井口中町の神麻続機殿、明和町蓑村の土器調製所、南知多町篠島の干鯛調製所が
あります。