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津は徳川家康の信任が厚かった藤堂高虎が慶長13年(1608)に津城主となり、城を大改修して
城下町を整備しました。その際、海岸近くを通っていた伊勢街道を、城下に引き込んで津を宿場町
としても発展させました。江戸時代は、五街道をはじめとして全国の交通体系が整備されました。
江戸や京から伊勢へ向かう途中にあたる津は、伊勢参宮の人々で大いに賑わい、
「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」といわれるほどでした。
JR津駅をスタートして3分ほどで、真宗高田派善徳寺(写真左)に着きます。400年以上の歴史が
有るということです。真宗高田派の本山は専修寺で、津市一身田町に有ります。専修寺は周りを掘割
で囲んでおり、寺内町を形成しています。専修寺についてはまたの機会に訪れたいと思います。
善徳寺から600mほど伊勢街道を下ると三重県庁を背後に見る形で四天王寺が現れます。
四天王寺は大阪にある四天王寺と同じく、聖徳太子ゆかりの古刹です。境内には薬師堂や
太子堂があります。寺記には「用明天皇の御宇に聖徳太子物部守屋を討ちて四箇所の天王寺を
創建せらる。本寺即ちその一つなり」とあります。
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写真左は四天王寺の山門から覗いたところです。楼門のようですね。
四天王寺を過ぎると安濃川にぶつかります。安濃川にかかる塔世橋を渡ると、津の商業地に入って
行きます。伊勢街道は大門商店街に入って行きます。商店街のアーケードにあった道標です。
確か、「右さんぐうみち」と書かれていました。この写真の右方向は伊勢方向です。
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上記の道標を左折すると、観音寺に行き当たります。津の観音さんで親しまれている如意輪観音
は日本三大観音の一つと言われています。正面の仁王門(写真左)、境内の銅灯篭(写真右中央)
も有名です。左奥には五重塔も見えます。
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大門商店街のアーケード街をまっすぐ進んでいくと、中部国際空港「セントレア」への海上アクセス港
「津なぎさまち」に通じるフェニックス通りに行き当たります。この木がパイナップルに似ているので
パイナップル通りという人もいます(ごく一部の人ですが)。松阪の知人の連れられて、「津なぎさまち」
まで一度行きましたが、綺麗な港でした。高速船がセントレアに向けて走っていくのを見ることが
できました。今回は歩いていくにはちょっと遠いので港には行きませんでした。
フェニックス通りを横切って更にまっすぐ進むと、岩田川にかかる観音橋にぶつかりました。正式な
伊勢街道からはちょっとだけ外れるのですが面白い橋でしたので渡ってみることとしました。
橋の上からはおじさんが複数の釣竿を操って魚釣りをしていました。河口が近いので干満の差が
大きく、干潮のときは干潟を形成するほどです。今日は満潮だったので干潟を見ることはできませんでした。
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岩田橋を渡り、国道23号線を600メートルほど南にいくと、岩田の交差点に着きます。
伊勢街道は信号を渡った左斜めの小道を入っていくことになります。700メートルほど進むと
急に開けた場所に出ました。そこには真教寺・閻魔堂(写真左)と市杵島姫神社(写真右)が有りました。
閻魔堂は二代藩主藤堂高次が建立したもので、本尊は閻魔大王坐像です。当時はこのあたりが
町のはずれで、閻魔堂は角町の守護として建てられたということです。市杵島姫神社は元は伊勢国司
北畠氏の守り神となっていました。町名「弁財町」は、この神社が弁財天と呼ばれたことに由来しています。
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閻魔堂から伊勢街道は南に続きます。いかにも街道沿いの町並みという感じです。
100mほど歩くと家並みにすっぽりと収まった小屋がありました(写真左)
鳥居のある社は神明神社です。神明神社とは中世以降、伊勢神宮の神霊を奉祀した神社を言います。
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藤方の町並みに入り、寄りたいところがあったので伊勢街道から少し東に向いました。
向った場所は結城神社です。この神社は南北朝時代、南朝の臣、結城宗広公を祀る神社です。
結城神社は梅の見所としても有名で、春になると全国から多くの人が梅を見に訪れるということです。
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結城神社にお参りを済ませ、再び伊勢街道に戻ります。神明神社から1キロほど南に下ると三叉路に
ぶつかります。伊勢街道は左に曲がりますが、右に行くと香良洲道となります。香良洲道とはその名
のとおり香良洲町に向う道です。この三叉路の伊勢街道川には1メートルほどの小さな堀があります。
この堀に架かっている橋は思案橋と呼ばれています。石の欄干には松竹梅が浮き彫りされています。
この写真では小さくてわかりづらいと思いますが、「山半」「文政六年(1823)」と刻まれています。
「山半」とは付近にあった遊郭の名前ということです。
思案橋を渡ると伊勢街道は南西に向います。国道23号線、JR紀勢本線の線路を渡ると、
垂水の町並みに入ります。また三叉路に出会います(写真右)。振り返って写した写真ですので、
家の右側の信号機の有る道路が歩いてきた伊勢街道です。家の左の道路が伊勢古道です。
伊勢古道は寛永9年(1632)以前の古道ということです。
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再び住所は藤方に入ります。藤方は結構広いです。先ほどの結城神社も藤方です。
既に結城神社からは2キロほど歩いてきていることになります。町並みにある四つ角の西側に
青銅製の灯篭と「式内加良比之神社」参道入り口の石碑がありました。灯篭は明和元年(1764)
に建立されたものです。道標に従い150メートルほど歩くと、そこには加良比之神社があります。
加良比之神社は倭姫命が天照大神を奉じて伊勢への旅の途中に立ち寄った「壱志藤片片樋宮」
であるといわれています。境内には「片樋宮」と書かれた寛保2年(1742)の石標があります。
藤方から高茶屋に入りました。先ほどの灯篭から南に1400メートル歩きました。小さな川にかかる
天神橋を渡ると称念寺というお寺の前に常夜灯を見つけました。「十社森 常夜燈」と刻まれています。
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高茶屋に入って街道は少し高い場所を通っていました。この一帯には桜並木があり、桜茶屋と呼ばれ、
最近まで茶屋が数件残っていたようです。ただ、今回はその場所の道路拡幅のために桜は切られて
しまったようです。もう少し早く訪れればよかったと思いました。
今日最後のポイントである高茶屋神社にやってきました。称念寺から130メートルほどです。
ここでも常夜灯を見つけました。「十三社 常夜燈」と刻まれています。
高茶屋神社は十社の森と称され、街道の勅使休憩所として使われたそうです。
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終着点であるJR高茶屋駅に着きました。デジカメ写真を誤って消してしまったおかげで、津〜高茶屋
のコースは2回も歩いてしまいました。最初は晴天の下歩いたのでバテバテで高茶屋駅に到着しました
が、2度目となったこの日は曇天であったので楽に歩くことができました。この後JRにて伊勢に戻り
ましたが、一時間に1本か2本の列車しかないので、時間を計算しながら歩かないと1時間待ちとなります。
自分の脚力と時刻表とをつき合わせて歩く必要がありそうです。