伊勢神宮 山口祭 2005年5月

伊勢神宮の第62回式年遷宮が平成25年に行われますが、その式年遷宮に
向けた最初のお祭り「山口祭」が伊勢神宮内宮、外宮両宮にて行われました。
このお祭りは、新社殿の用材を切り出すにあたって「山の口に坐す神」に祈る祭りです。
新緑の森で用材伐り出しの安全を祈るお祭りです。

通常毎年行われているお祭りでは、外宮にて先に祭事が行われ、続いて内宮にて行われる
のですが、御遷宮に関わる祭事については内宮にて先に行われるようです。

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晴れ渡ったいいお天気でした。多少風が強いかなと感じる程度です。神風の伊勢ですから
風が吹くのは当たり前なのかも知れません。 朝6時にホテルを出発し、七時過ぎには内宮前
に到着しました。観光バスや参拝の方々もまだ少なく閑散としておりましたが、普段と違うのは
報道陣の姿でした。20年に一度のお祭りで御遷宮に関わるお祭りの最初が今回の山口祭
なので、報道各社が集まってきているようでした。普段のお祭りの時には神宮司丁の報道陣
しかいないのですが、今回はそういった意味でも重要なお祭りということなのです。

内宮宇治橋前にはお祭りを知らせる立て札が立っています。山口祭の隣に木本祭の掛札が
ありますが、このお祭りは一般の人は拝見することはできません。しかし今回はこの木本祭
の様子を報道各社に公開するということです。後日発表される木本祭の写真が楽しみです。

木本祭は、正宮の床下中央に建てる心御柱の用材を伐採するに際して、その「木の本に坐す神」
をお祭りするものです。祭は山口祭と同日、深夜に行われます。木本祭の祭場は、両宮とも域内
の山林の中に設けられます。古来、非常に神秘を重んじる祝儀とされ、神職でも祭りにたずさわる
ごく限られたもの以外は、参加することが許されていません。

心御柱は、忌柱・天ノ御柱・天ノ御量柱とも呼ばれ、詳細は秘められた部分が多いです。
一説によれば、長さ六尺、太さが九寸で、御神体の真下にニ尺ほど埋まった形となって
います。この心御柱についてはごく一部の神職しか目に触れることができません。
伊勢神宮におまいりしたときに、隣に同じくらいの敷地が空いているのを見た方も有るかと
思いますが、この敷地の中央ぐらいに小さな小屋が有ります。この小屋は「心御柱覆屋」
と呼ばれ、おそらく中には前回の正宮の心御柱が置かれているのだと思います。
社殿自体は20年で無くなりますが、心御柱は社殿がなくなっても次にここに社殿が建て
られるまで40年その場所に鎮座し続け、決して人目には触れないようになっています。


    

それでは中に入っていくこととしましょう。宇治橋の写真を撮ると必ず人物が入ってしまうので
めったに橋自体の写真は撮らないのですが、今日は全く人が渡っていなかったので思わず
シャッターを切ってしまいました。ちょっと朝日が逆光になってしまいましたが。

御手洗場で手と口を漱ぎ、先に進むと五十鈴川の御手洗へと降りていくことができます。
木々も新緑で覆われ、川の中にも多くの鯉が泳いでおり、生命の息吹を感じました。


    

7時40分ごろでしょうか。太鼓の音が神域に鳴り響きました。いよいよ山口祭の開始です。
お祓いのための榊と御塩を持った神職がまず最初に現れました。そして第二鳥居のところ
で、後から来る一行を待ち受けます。二人の神職の後ろにいるのは宮掌の方だと思います。


    

衛視を先頭に行列がやってきました。行列中央(写真左)の青い装束を着た方たちは忌鍛冶(いみかじ)
と小工(こだくみ)です。忌鍛冶(いみかじ)と小工(こだくみ)が参加するお祭りというのも御遷宮に関わる
お祭りということを表していると思います。そして、このお祭りの主役は子供です。写真右にちょっと
見えずらいかと思いますが、神職の列の中に二人の子供がいます。この2人は物忌(ものいみ)と呼ばれ
半尻と袙(あこめ)と呼ばれる平安時代の装束を身に着けています。実際に山口祭の重要な部分では
男の子が祭儀を行ったようです。内宮では2人ですが外宮では1名です。この違いはよく分かりません。


    

山口祭の中に饗膳の儀と呼ばれる儀式がありますが、この儀式は神楽殿横に有る五丈殿で
行われます。京都から来た造宮使(ぞうぐうし)を神宮側がもてなすという形をとっています。
造宮使は現在では神宮式年造営庁の職員がその役目を代わって行っています。饗膳の儀が
始まる前のわずかな時間、その場所を近くで撮影することが許されました。高く盛り上がった
ご飯、魚、蛸、豆など山海の食材が並びます。神様に差し上げるものとほぼ同じようで、実際に
食べはしないのかと思いますが、粗食といった感じがします。食台の脚が檜の葉で覆われて
いる側が饗応を受ける京都から来た造宮使が座る席なのだと思います。


    

第二の鳥居でお祓いを受けた行列は一旦、正宮に向います。十数分後行列は再び戻ってきます。
行列は忌火屋殿前の広場に集まり別宮の荒祭宮を遥拝します。(写真左) お祓いの神職と
忌鍛冶(いみかじ)と小工(こだくみ)は忌火屋殿前に残りますが、それ以外の人たちは五丈殿に移り、
饗膳の儀が始まります。この儀式は小一時間行われます。


    

饗膳の儀が行われている間も、お祓いの神職と忌鍛冶(いみかじ)と小工(こだくみ)は忌火屋殿前で
立ったままの姿勢で待っています。一時間近く立ちっぱなしというのも大変だと思います。
籠の中にはつがい(?)の鶏が入っています。たまに鳴き声を出しています。狭い籠に入れられたら
鶏のほうもたまったものではありません。出して欲しいと鳴いているのでしょうか。隣に有る唐櫃には
山口祭で使われる神饌や鎮め物が入れられています。饗膳の儀が終わり、物忌(このときは童男だけ)
と一部の神職が忌火屋殿前に戻ってきます。山口祭に参加する全員と鶏、唐櫃をお祓いします。


    

お祓いが終了すると、五色の幣を押し立てた小工(こだくみ)が先頭となって山口祭の斎場に向います。
内宮の山口祭が行われる場所は、神宮司庁の裏手に有る山麓です。一般人はここまでとなりました。




    

続いて外宮へ向いました。内宮での山口祭を見ていたのが2時間ほどでしたから、正午から
行われる外宮の山口祭へは余裕で間に合います。(内宮からバスで20分ほどです)
外宮で行われる山口祭も基本的には内宮で行われた内容と同じです。ただ、物忌は童女一人
だけであることと、山口祭そのものが一般人も間近で拝見することができることです。


    

饗膳の儀が行われる五丈殿の配膳室と言ったところでしょうか(写真左)。素焼きの入れ物には
お神酒が入っており、饗膳の儀に参加する全員が口にすることになります。物忌の童女も飲むので
しょうか。古来の伝統ですから今日ばかりは未成年でも許されることと思います。それと使用されて
いる幕が紅白や青白ではなく、黒白であることを驚かれるかと思います。黒白は仏教の法事のとき
に使われるもの、と普通は思ってしまうのですが、伊勢神宮のお祭りで幕を使う際にはこの黒白です。
縁起の悪い幕ではないんですね。一つ勉強になりました。

写真右は山口祭が行われる土宮隣の敷地です。参加する神職は玉砂利の上に置かれた筵の上に
座ることになります。いくら筵が敷いて有るといっても、かなり痛いのではないでしょうか。
写真中央の2つの台は、神饌や鎮め物を載せるための台だと思います。ただ木を切っただけで削られ
ていない皮のついた丸木で作られています。これも古くからの祭りの姿を継承した形なのだと思います。


    

11時40分ごろでしょうか。祭りの開始を知らせる太鼓の音が鳴り響きました(写真左)。
衛視を先頭に行列がやってきました。外宮でも第二鳥居前でのお祓いが行われたのですが、
いた場所が悪かったため写真に捉えることはできませんでした。行列の隊形は内宮の場合と
全く同じです。但し物忌が童女一人だけとなります。


    

物忌の童女です。内宮での物忌の童男、童女もそうですが伊勢市および伊勢市近隣の町の
小学校3年生8歳の子供たちが選ばれたということです。20年に1回のお祭りですから大変
名誉なことで有ると思います。私もやってみたかった(無理)。

写真右は饗膳の儀が行われる五丈殿の様子です。あと10分ほどで正宮へいった行列がここに
戻ってきます。宮掌の方々が整列して待機しています。


    

饗膳の儀で使われるお膳です。内宮と内容は同じなのだと思いますが、お膳の手前に置かれた鯛
が目立ちました。さあ、饗膳の儀が始まりました。神職、造宮使、物忌が一堂に会しています。
一番左側に座っている方が造宮使の長なのでしょうか。


    

五丈殿の配膳所では次々とお神酒が運ばれていきます。物忌の童女も神妙に座っています。


    

いよいよ山口祭の主要な祭事が始まります。五色の幣を押し立てた小工(こだくみ)が先頭となって山口祭
を行う土宮隣の斎場に向います。つがいの鶏も運ばれてきました。


    

内宮では見ることのできなかった山口祭の始まりです。小工(こだくみ)が持ってきた五色の幣は
神饌や鎮め物を囲むように地面に立てられます。黒白の幕の中には神饌や鎮め物を一時置く
場所となっています。神聖なものですから一般の人の目には触れないように囲われています。


    

山口祭の重要な儀式である物忌による忌鍬、忌鎌の儀式が行われます。物忌が持った鍬の前に
置かれた箱は鎮め物です。この忌鍬でもって鎮め物を地中に埋めて御用材をとる山を鎮める型を
示します。このあと忌鎌を持って草を刈るしぐさをするのですが、私がいた場所が悪かったので
肉眼でもカメラでも見ることはできませんでした。しかし20年に一度のお祭りを間近でみることが
できてとてもうれしく思いました。もし、自分に子供がいたら物忌みをさせたい、などと考えてしまいました。


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