伊勢 2004年1月
2004年、伊勢神宮初詣と125社のうち「大湊・神社めぐり」の報告です。
「大湊・神社めぐり」の対象となる地域は伊勢市となります。ここは宮川と五十鈴川に囲まれ場所です。
このコースは伊勢市駅をスタート地点とすると約9.5Kmのコースで5社を巡ることになります。
2004年のスタートは、伊勢神宮への初詣から始まります。
多くの参詣者が初詣のために神宮を訪れます。
私もその中の一人として参拝をいたしました。
初詣の期間中だけ板垣(正殿を囲む4重の御垣のうち一番外側の御垣です)が一部はずされ、出口となります。
参拝を終えた参拝者の方々はすがすがしい顔をされています。
写真右は外宮多賀宮へ至る参道にある地蔵岩です。見落とす方が多いんです。
さて、神宮への初詣を済ませて、いよいよ大湊・神社巡りです。
近鉄伊勢市駅の北口をスタート地点に出発です。1.1kmほど歩くと、まず河原淵神社に到着です。
この神社の隣には船江上社という大きな神社があるのですが、その境内の中にあるという感じがします。
しかし、れっきとした伊勢神宮の管理となっています。
歴史的には先に河原淵神社があり、この場所は河原淵神社の社地でした。戦国時代に荒れるにまかせた
その宮跡に、付近の住民が自分達の産土神をまつったようです。それが船江上社です。
祭神は古来八幡神などでしたが、大正二年、その河原淵神社の祭神澤姫神を当社の主祭神ときめました。
河原淵神社の前には朧ヶ池があります。かつて宮川の分流がここを通って勢田川にそそいでいた名残です。
池の中央には龍の噴水がありました。春は岸辺に植えられた桜が池に枝垂れて美しいということです。
神社名 | 格式 | 祭神 | 備考 |
河原淵神社 | 外宮 摂社 | 澤姫神 |
河原淵神社から約2.4Km、伊勢市から御園村に入ります。そこに次に目指す河原神社があります。
近くには宮川から勢田川に続く支流であった馬瀬川があります。(今は宮川には繋がっていません)
祭神は田地守護の神で、宮川下流の守り神となっています。この社には毛理神社がご同座しています。
周囲は農地が多く広がり、住宅はまばらとな感じです。
御園村は周囲を伊勢市に囲まれていますが、平成17年11月1日に伊勢市との合併が決まっています。
神社名 | 格式 | 祭神 | 備考 |
河原神社 | 外宮 摂社 | 川神、水神 | |
毛利神社 | 外宮 末社 | 木神 | 河原神社 ご同座 |
河原神社から800mほど北に歩くと、山田奉行所跡に至ります。
伊勢神宮のある宇治と山田は神宮神領として江戸幕府の直轄地となっており、遠国奉行が置かれました。
この山田奉行所には、あの有名な大岡越前守忠相が奉行として任命されていました。伊勢は宮川を境として
紀州領松阪と接しており、紀州藩と神宮領の境界争いがあり、歴代の山田奉行は御三家の紀州藩に遠慮して
いたのですが大岡忠相は、これをしっかりと裁き境界を確定させたということです。この公正な判断が、当時、
紀州藩主であった徳川吉宗の目にとまり、後に吉宗が八代将軍となったときに、江戸の町奉行に抜擢され
るきっかけとなった、ということは有名な話です。
山田奉行所は明治維新までに3度場所を替えています。初め有滝村[現伊勢市]に設けられましたが、山田
からは遠いため奉行所役人の山田の役宅が裁判所に使われたりしました。のち山田吹上一本木に御役所
が設けられ裁判所になったが、1635[寛永12]年御薗村小林(オハヤシ)に奉行所が建設され翌年3月に移転
しました。それ以後明治維新まで約230年間、ここで公事裁断が行われました。
奉行・支配組頭・与力・同心・水主等の役人衆90〜70名が、立ち働き、人々の出入り激しく政経文化の
流池として賑わいました。役屋敷惣廓は13970坪あり、環濠を巡らし、役邸敷地約2000坪内に10数棟
の建物が建ち並んでいました。それらは明治2年(1869)に倒壊され、同6年に始りました地租改正に伴う官有
地払い下げで、奉行所敷地は民有地となり今日に至っています。そのため現在は、建物跡などはなく、この
山田奉行所跡の石碑が奉行所があった場所を示すだけとなっています。
山田奉行所跡付近は宮川の河口近くとなります。宮川の堤防沿いを歩いて、次の目的地である志宝屋
(しおや)神社に向います。写真左の中央に見える森が志宝屋神社の場所です。しかし川を渡らなければ
なりませんので、遠回りをして右の写真の橋を渡らなければなりません。
志宝屋神社のある場所は、伊勢市大湊町という宮川の河口にある大きな中州の町にあります。
宮川は昔から暴れ川と言われ、洪水を繰り返してきた川です。そのためこのような中洲が、宮川と
五十鈴川の間に形成されました。ちなみに、写真右の赤い橋が大湊町に至る唯一の橋となっています。
目の前に志宝屋神社の森を左手に見ながらも、対岸に渡る術が無いので、大湊町に至る唯一の橋を渡り
戻るような感じで歩くと、志宝屋神社に至ります。山田奉行所跡から約2.4kmほどの距離です。
神社の名前が「しおや」ということからもわかるように、祭神は塩業、海路の守護神が祀られています。
古来、塩つくりが盛んであった土地であり、又大きな港でもあったための海上安全の神です。
地元では明神様、港の明神様、塩屋明神と呼ばれています。
神社名 | 格式 | 祭神 | 備考 |
志宝屋神社 | 外宮 末社 | 鹽土老翁(しおつちのおじ) |
大湊地区を歩いていて気が付いたのは、電柱に張られたステッカーです。ステッカーにはその地点の海抜
が書かれており、いかにこの地区が低い土地なのかがわかります。東海地震などの津波があった場合
には、このあたりも相当な被害を受けそうなことがこれでわかります。地震や津波が来ないことを祈ります。
大湊・神社巡り最後の神社は御食神社です。大湊町の橋を再び渡り、南東方向に向います。
再び馬瀬川を渡り、民家の密集した神社港地区へと進んで行きます。勢田川の河口近くに
御食神社は鎮座しています。神域内の池には海水が出入りします。祭神は水戸御饗都神。
倭姫御巡幸の際に御水を奉ったと伝わっています。
地元の産土神として祀られており、に玉垣はニ重にめぐらされています。
神域の東南には「辰の井」という井戸があり、毎年1月初辰の日にこの井戸の水を汲み、
家々の周囲にまいたり、窓にかけて、火災除けとする信仰があります。
「辰の神」「辰の宮」ともよばれ、近郷の信仰も篤く、2月20日と9月16日はお祭りがおこなわれます。
神社名 | 格式 | 祭神 | 備考 |
御食神社 | 外宮 摂社 | 水戸御饗都神 |
御食神社内にある御手洗舎と神域内の池です。何か趣のある御手洗鉢ですね。池は港をイメージ
した造りなのでしょうか。海水が引き入れられているようですから。
写真右は、神社港地区と一色地区を繋ぐ一色大橋です。1974年に橋が完成するまでは、神社港と
一色を結ぶ渡し舟が勢田川をはさんで行き交っていたということです。
行こうか河崎 戻ろか大湊 ここが思案のかみやしろ
向い一色へ渡船で越せば 一丈五尺の櫓が撓う
大湊・神社巡りはここまでなのですが、上に書いた歌にもある、河崎町を訪れることにしました。
ここには、往時の町の様子を示すために「伊勢河崎商人館」がオープンし、町並みギャラリーとなっています。
河崎町は勢田川を挟んで細長くのびる町となっています。平安時代は「川辺の里」と呼ばれ、室町後期
には4つの門をひらく自衛都市でした。河崎がめざましい発展をとげたのは江戸時代の「おかげ参り」
の大流行がきっかけです。おびただしい数の参宮客をもてなす食糧はここ河崎が一手に担いました。
諸物資を満載した船は伊勢湾から勢田川を遡って、河崎で荷上げされ伊勢の各所に運ばれていきました。
河崎は港町、物資が集散する問屋街として名を馳せ「伊勢の台所」と呼ばれていました。その活気、繁華ぶりは
明治、大正ごろまで続きました。第二次大戦後には、水上輸送から陸上輸送中心になり、問屋街としての
河崎は衰退し、さらに昭和49年の七夕水害による河川改修 のため歴史的な建物が減少してしまいました。
この七夕水害を契機に、このままでは、河崎のよき姿が無くなってしまうということで、町並み復活の機運が
次第に盛り上がり、平成14年8月に「河崎伊勢商人館」がオープンしました。
内宮そばのおかげ横丁ほどの派手さは無いですが、水運の町、伊勢河崎の往時の姿をよく表しています。
伊勢河崎まちづくり衆
写真左は商人館を外から見たものです。大きな蔵を改造して中には、和洋のアンティークや古道具、地元の工芸品、
雑貨、食品などが販売されています。見ているだけでも楽しくなるものが一杯です。宝箱といってもいいかもしれません。
写真右は河辺七種神社の鳥居と河崎会所跡です。河辺七種神社は伊勢神宮125社とは関係が無いのですが、
河崎町の産土神をおまつりし、例祭日は7月中旬の天王祭で、神輿や勢田川で水中花火などが催されます。
町民からは「てんのうさん」といって親しまれています。神社の入口にある河崎会所跡(鳥居の右側の建物)は
山田奉行が廃止された年でもある明治元年に建てられた山田商法会所(後の伊勢商工会議所)です。
河崎町を歩いていると、写真左のような土蔵が見られます。普通土蔵というと漆喰の壁という印象が強いのですが
伊勢ではこのような板壁となっています。火事の時には縦になった木をはずすと簡単に横板がはずせるように
なっていて類焼を防ぐことができる構造になっています。写真右の壁にある屋号も海運で賑わった河崎らしいです。
伊勢市駅、宇治山田駅どちらからも歩いて15分です。バスの場合には伊勢市駅あるいは宇治山田駅から
「今一色」か「鳥羽」行きに乗車してください。下車は「河崎百五銀行前」です。商人館まで徒歩約5分です。