伊勢 2003年11月

2003年の新嘗祭と125社のうち「斎宮めぐり」の報告です。
「斎宮めぐり」の対象となる地域は松阪市となりますが、斎王に関係する地として明和町も入ります。
スタート場所は近鉄斎宮駅です。ここから約12Kmのコースで18社を巡ることになります。


斎宮巡りマップ

    

斎宮駅を降りると、すぐ北側には、いつきのみや歴史体験館と斎宮跡歴史ロマン広場があります。
いつきのみや歴史体験館では当時の斎王の生活で使われたものの展示や十二単の試着体験ができます。
斎宮跡歴史ロマン広場は国史跡斎宮跡の全体を1/10で表現するとともに、斎宮の主要施設で
ある方格地割とその内部に設置されていた内院・神殿・寮庫の3施設の建物、全47棟を復元し、
ビジュアルに斎宮を紹介する場所となっています。


    

いつきのみや歴史体験館を左に見て、北に300mほど歩くと、「斎王の森」が見えてきます。
写真左の鳥居をくぐると「斎王宮跡」を示す石碑があります。(写真右)
この場所は史跡公園となっており、隣接する芝生広場には、掘立柱建物の柱跡や井戸の復元、
また万葉詩人としても知られる斎王、大来皇女の歌碑などが立てられています。
また、公園前は菖蒲園になっており、毎年6月上旬、斎王まつりのころに紫色の花を咲かせます。

伊勢物語第96段「狩の使」 恬子内親王と在原業平の恋物語がありますが、
恬子内親王は第31代の斎王として貞観3年(861年)に、ここ斎宮に到着しました。

君や来しわれや行きけむおもほえず夢かうつつか寝てかさめてか 

                              恬子内親王

 かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは今宵定めよ 

                              在原業平



    

斎王の森から、更に北上すること約6km。神服織機殿神社の森が見えてきます。(写真左)
この神社は他の神社とは異なり、5月と10月に行われる神御衣祭(かんそみさい)に供進される和妙
(にぎたえ・絹布)を実際に織る八尋殿があります。そのため正宮、別宮ではないのですが、参道も広く
人が常駐するための建物も存在します。(写真右中央奥)


   

写真右は八尋殿です。茅葺の屋根でしかも扉が板塀ですので、重要な建物であることを
示しています。この中で5月1日と10月1日からそれぞれ2週間にわたって和妙が織られます。
八尋殿の方がこの神服織機殿神社の本殿に見えますが、実際は写真左の社が本殿です。


    

八尋殿と本殿の左右には神服織機殿神社末社八所が祀られています。写真では5つですが、
おそらくいづれかの社には複数の祭神が祀られているのだと思います。

神社名 格式 祭神 備考
神服織機殿神社 内宮 所管社 神服織機殿鎮守神 八尋殿 
神服織機殿神社末社八所 


    

神服織機殿神社から、南に約2.5km。神麻続機殿神社の森が見えてきます。(写真左)
この神社も神服織機殿神社と同じく、5月と10月に行われる神御衣祭(かんそみさい)に供進される
荒妙(あらたえ・麻布)を実際に織る八尋殿があります。この神社も正宮、別宮ではないのですが、
参道も広く人が常駐するための建物も存在します。(自動車も入れます)


    

写真右は八尋殿です。神服織機殿神社の八尋殿と同じつくりとなっています。
この中で5月1日と10月1日からそれぞれ2週間にわたって荒妙が織られます。
写真左は神麻続機殿神社の本殿です。



    

八尋殿と本殿の左右には神麻続機殿神社末社八所が祀られています。写真では5つですが、
おそらくいづれかの社には複数の祭神が祀られているのだと思います。

神社名 格式 祭神 備考
神麻続機殿神社 内宮 所管社 神麻続機殿鎮守神 八尋殿 
神麻続機殿神社末社八所 



さて、ここからは外宮、内宮で行われた新嘗祭の様子をご紹介します。
現在では新嘗祭の日は勤労感謝の日となっています。勤労感謝の日は、戦後国民の祝日が定められた際
(1948)に「勤労をたっとび、 生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」という趣旨で定められました。
この「生産を祝い」という部分が「豊年満作」を祝う豊穣祭としての新嘗祭に重なるのです。


        

外宮を訪れました。新嘗祭に限らず、両宮で行われるお祭りは先に外宮で行うことになっています。
写真左は外宮の斎館です。お祭りに奉仕する神職が精進潔斎する場所となっています。
お祭りの行列もこの斎館から出発します。
写真右は外宮正宮です。まだ新嘗祭が始まる前に撮影しました。


    

新嘗祭の開始および祭典中の写真は撮れなかったのですが、祭典が終了して正宮から退く
ところを撮影することができました。大きなお祭りでは祭主も参加されます。(緋袴の方)
さらに、このお祭りには天皇陛下からの勅使(写真左中央の濃紺の衣の方)が御差遣されます。


    

祭主の池田厚子様の後ろに続く、大宮司、少宮司以下神職の方々の列です。
斎館のほうへ全員が戻っていきます。


    

お昼を軽く済ませて、今度は内宮で行われる新嘗祭のために、外宮からバスに乗り宇治中之切町
へ向います。バスは終点の内宮前まで乗車せず、2つ手前の猿田彦神社前でおり、そこから徒歩で
おかげ横丁、おはらい町を経由して内宮に向うこととしました。
道の両側には古き伊勢の町並みが再現されています。


    

おかげ横丁にいたる途中にあった祭主職舎です(写真左)。神宮祭主の御宿所です。豊臣秀吉の援助に
よって建立されたと伝えられる桃山時代の貴重な建築です。平成9年(1997)に本館他が三重県の
有形文化財に指定されました。屋根に乗ったシャチホコが立派でした。

写真右はおかげ横丁内にある、三重漁連のお店です。結構大きな干物でした。その姿に思わず
シャッターを切ってしまいました。いったい何の魚なんでしょうか。


    

同じくおかげ横丁内です。写真左は「おかげ座」です。江戸時代の参宮ブーム“おかげ参り”の賑わいの様子を
1/2の縮尺模型で再現した「主題館」と、その謎を解き明かすからくり映像のシアター「歴史館」から成っています。

写真右は豚捨さんです。明治42年に創業した「伊勢肉」の老舗です。ユニークな屋号は、牛肉にこだわって豚を捨てた
ことから名づけられたといわれています。ここでは揚げたてのコロッケ、メンチカツ、串かつが頂ける他、
椅子席および座敷席では松阪牛を使った牛丼、すき焼き、あみ焼き、牛鍋がいただけます。

すき焼き、牛鍋は予算的に無理でも、コロッケ、串かつ、メンチカツは是非おかげ横丁を訪れた際には
食べていただきたい一品です。


    

さて、いよいよ内宮に参拝です。宇治橋手前の鳥居と、鳥居に対面する形の鼓ヶ岳です。標高355mです。
紅葉が始まっていて、とても綺麗でした。


    

新嘗祭が午後2時から行われることを示す立て札です。
五十鈴川御手洗場からみた川岸の様子です。紅葉が始まっています。


    

祭典にあたり祭主はじめ神職一同は忌火屋殿前でお祓いを受けます。
写真左は忌火屋殿前の広場に置かれたお清めの塩の入った素焼きの入れ物とお祓いのための榊です。
遠くから太鼓の音が聞こえてきました。その音は次第に近づいてきます。祭典が始まる前触れの太鼓です。



    

太鼓の前触れに続いて、衛視の先導により祭主以下、大宮司、少宮司、禰宜、神職が続きます。
玉砂利を木靴が踏みしめる心地よい音が参道に響きます。
忌火屋殿前に全員が集まり、お祓い役の神職より全員に対し、お塩のお清めと榊によるお祓いが行われます。
この後、全員が正宮へ向い、新嘗祭が執り行われます。


    

新嘗祭の行われる伊勢神宮を後にして、鳥羽に向いました。鳥羽湾を一望できる場所ということで
鳥羽駅の背後にそびえる日和山に登りました。標高は68mと低いですが、頂上からの眺めは最高です。
写真右は倍率を最大にして撮影した神島です。鳥羽と渥美半島の中間、伊勢湾の入り口に浮かぶ島です。
三島由紀夫氏の「潮騒」の舞台となった島です。鳥羽からは市営の定期船が出ています。
元日にはゲータ祭と呼ばれる奇祭が行われます。この祭りは三重県の無形民俗文化財に指定されています。


    

鳥羽からバスで二見へ。JR参宮線を使って鳥羽から二見にいくこともできるのですが、本数が極めて
少なく、バスを使ったほうが断然便利です。写真左はJR二見駅です。駅舎の形が夫婦岩の形となって
いるのがおわかりでしょうか。写真右は本物の夫婦岩です。


最後におまけの岩を一つ。夫婦岩のすぐそばにある蛙岩です。岩の上に乗った蛙の形をしています。

125社巡りの「斎宮巡り」と伊勢神宮内宮・外宮の新嘗祭の旅の報告はここまでです。


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