伊勢神宮2003年5月外城田巡り


今回は前回の五十鈴川コース散策の時とは異なりいいお天気でした。今回は外城田コースに挑戦です。

外城田巡りマップ


    

JR松坂駅から参宮線に乗り約30分で田丸駅に到着。
ここ玉城町は伊勢市の西隣になります。
玉城町の歴史を玉城町ホームページよりご紹介します。


時は戦国、現在の田丸城跡があるその丘は、かつて玉丸城と呼ばれ、多くの武将たちが悲運の
運命をとげた場所である。1342年、南朝北畠氏と北朝足利氏の戦。1532年、下剋上風潮の高
まりによる一揆。そして1580年、ついに織田信長の進攻により田丸城は炎上。 一方、京の都と
伊勢を結ぶ初瀬街道、熊野と伊勢を結ぶ熊野街道が落ち合う場所として、また合戦の後は参宮の
宿場町として玉城一帯は旺盛を極め、そして400年の歳月が過ぎた。

玉城町は、各時代の遺跡がたくさん発掘されており、歴史の古いまちである。皇大神宮(伊勢神宮内宮)
の鎮座と共に神領となり、倭姫命に随行して皇大神宮の祢宜となった荒木田氏により開拓されたと
伝えられていまる。このことから町内には神宮の摂社・末社が11もあり、神宮との関わりが深い町
であったことが分かります。

玉城町ホームページ


    

田丸駅前を出発して西方向に歩いてすぐ、この「御鳥見役屋敷跡」の碑が目に入りました。
ここ伊勢周辺は江戸時代紀伊徳川家の領地になっており、この田丸も紀州領となっていました。
毎年紀州藩主は将軍に献上するための鶴を鷹狩をしていたのですが、その鷹狩場の取り締まりと
鷹の餌差し等の世話をする役人達が詰めていた屋敷がここにあったということです。

紀州と伊勢の関わりの話としておまけを、大岡越前が伊勢の山田奉行をしているときに紀州藩との
領地争いを裁いたことが徳川吉宗の耳に入り、後に江戸町奉行に抜擢されたという話は有名です。


    

ちょうど駅前の通りをまっすぐ西に行くと田丸城跡にぶつかります。今この城跡は中学校と公園に
なっています。またすぐそばには玉城町役場がありました。田丸城の歴史は南北朝時代の北畠親房
・顕信父子南朝義軍の拠点として砦を築いたのが最初です。国司の実態がなくなった戦国時代
にあっても最後まで伊勢国司を名実共に名乗っていたのがこの北畠家となります。



 

        マップ番号@

伊勢神宮の摂社末社ではありませんが、田丸城北にある田丸神社です。
ここは、明治14年の神社合併令で近隣の様々な社が集められてできた神社です。
境内の石灯篭や鳥居などは、様々な場所から持ち寄られたものです。
元は天神社がこの地にあったとされます。



    

        マップ番号A

田丸神社から西に向かいJR参宮線に沿うように歩き1.5KMほど行くと交差点にぶつかります。
そこから北に500mほどほど歩くと、坂手国生神社に至ります。写真左は参道入り口です。
写真右は社殿となります。この社の祭神は大水上神の御子で灌漑用の水の神と伝えられます。
倭姫命が定められたということです。

神社名 格式 祭神 備考
坂手国生神社 内宮 摂社 高水上神   




    

        マップ番号B

JR参宮線に沿った道に再び戻り、さらに西に向かうと田丸駅の1駅隣に外城田駅がありますが、
その手前のこんもりとした森の中に棒原(すぎはら)神社があります。参道の階段はちょっとしんど
かったです。 祭神は天須婆留女(あめのすばるめ)命御魂・御前神です。名前から星の出具合に
よって農耕を占う信仰が行われていたと伝えられています。

神社名 格式 祭神 備考
棒原神社 内宮 摂社 天須婆留女(あめのすばるめ)命御魂・御前神  



    

        マップ番号C

棒原神社から南に向かいます。この辺りは一面の水田地区となります。炎天下の場合隠れる場所は
見当たりません。南へ1KM行くと蚊野地区の集落に至ります。この集落の中に蚊野(かの)神社が鎮座
しています。この社は摂社ですが、前回の「五十鈴川巡り」で紹介したように格の高い社の門扉は1枚
板であるといいましたが、この蚊野神社も1枚板ですので、格式は高いのだと思われます。
祭神は大神御蔭川神(おおかみみかげかわのかみ)で、この地方の田野をうるおす灌漑用水の神と
して祭られています。蚊野神社には御同座神として大神御蔭川御前神が祭られています。

神社名 格式 祭神 備考
蚊野神社 内宮 摂社 大神御蔭川神   
蚊野御前神社 内宮 摂社 大神御蔭川御前神 蚊野神社御同座




    

蚊野神社から今度は西に向かいます。ほとんどの水田が田植えが始まっていましたがまだこのように
蓮華の花が咲いている田んぼもありました。



    

        マップ番号D

外城田川を再び渡り、さらに灌漑用水路を渡ると玉城町の隣町の多気町に入ります。
ここに御船神社があります。倭姫命が外城田川をさかのぼる途中、この地で船をとど
められたといいます。御祭神は蚊野神社と同じく大神御蔭川神です。御船神社には
御同座として牟弥乃(むみの)神社が祭られています。祭神は大水上神の御子で、
田野の農耕神として伝えられています。

写真左の参道入り口にあった石灯籠の形が結構おもしろいなと思いました。

神社名 格式 祭神 備考
御船神社 内宮 摂社 大神御蔭川神   
牟野乃神社 内宮 末社 寒川比古命、寒川比女命 御船神社御同座




    

御船神社から灌漑用水路に沿って南西に歩くと真念寺という古そうなお寺に行き当たります。
ここでちょっと一休みです。鐘撞堂もお堂も年季が入っている感じで、なんか修理が必要な
感じがしました。ここまで歩いてきてもう汗だくです。



    

写真右は真念寺から南東方向に見た次に訪れる朽羅(くちら)神社です。あそこまで歩くと
なると暑さで熱中症になりそうです。本当に田んぼの真中に森がぽつんとある感じです。
前回125社巡りをした時にこの朽羅神社で暑さで歩けなくなりここまでタクシーを呼びました。
今回はその二の舞はしたくありません。写真右はかなり近づいた朽羅神社の森です。
神社入り口はもう少しです



    

        マップ番号E

朽羅(くちら)神社内部です。神社の外は炎天下に近い暑さなのに、木々のせいでしょうか
暑さが少し和らぎました。御祭神は大歳神の御子で田野の農耕神と伝えられています。

神社名 格式 祭神 備考
朽羅(くちら)神社 内宮 摂社 千依比賣命、千依比古命   


今回はなんとかタクシーをここで呼ぶことがなく次に行くことが出来ました。



    

        マップ番号F

朽羅(くちら)神社から南東方向、伊勢自動車道そばにある津布良(つぶら)神社に向かいます。
ここは津布良神社と同じ地区である玉城町積良(つむろ)地区にある幸神社です。
幸神社。「さいじんじゃ」と読みます。「塞の神」をあらわしています。御祭神は猿田彦命です。
「塞の神」は集落の境界にあって疫病や災いが入ってくるのを防ぐ神様として位置付けられています。

また出展を確認してはいないのですが、上述した棒原神社の祭神天須婆留女命は猿田彦命と
天鈿女命の御子と考えられ、どこかに近くに天鈿女命を祭神とする社、あるいは陵があるのでは
という古代ミステリーに興味を湧かせる話題もあります。



    

        マップ番号G

幸神社から集落を南に下ると、伊勢自動車道手前にまたもやこんもりとした森が現れます(写真左)
北側(写真でいうと左側)から南側(写真でいうと右側)に回りこむように坂を登っていくと
津布良(つぶら)神社の正面に至ります。津布良神社の域内は結構苔むした部分が見られました。
域内に苔が見られたのは前回五十鈴川巡りの宇治山田神社もそうでした。木立によって囲まれて
いるのですが結構広いので上部から日光が差し込んで明るい境内となっていました。
祭神は大水神の御子。この土地の守護神として、また田野の水の神として尊ばれています。

神社名 格式 祭神 備考
津布良(つぶら)神社 内宮 末社 津布良比古命、津布良比賣命   



    

                                           マップ番号H

この花は津布良神社の正面入り口のそばに咲いていた花です。なんという花かは知りません。
でもあまりに黄色い花が素敵であったので思わずシャッターを押してしまいました。
津布良神社のある積良地区から東隣になる山神地区に向かいます。この地区には鴨神社が
鎮座しています。この写真は山神地区集落の真中にある祠です。周囲はアスファルトの道と
なっており、この祠だけが切り取られて残った感じがします。結構古そうな祠ですが由緒はわかりません。
ただ、近くに県の無形文化財に指定されている山神獅子舞神事が行われる山田(さんでん)寺が
ありますので、山田寺に関係するお堂なのかもしれません。



    

        マップ番号I

さて今回の外城田巡りの最後は鴨神社です。この神社は山の中腹にあり、標高160mにあります。
先ほどの山神地区の祠の場所からまっすぐ山登りをすることになります。
坂道を休み休み汗を拭きながら登ってきました。疲労困憊です。
祭神は大水上神の御子で農耕灌漑の守護神と伝えられ、倭姫命が定められました。
この鴨神社の境内も一面苔の絨毯でした。

神社名 格式 祭神 備考
鴨神社 内宮 摂社 石己呂和居(いしころわけ)命
御前神
  




    

最後は伊勢神宮外宮で見られた鯉のぼりです。5月5日の端午の節句の時に配られるものです。
内宮でもこの鯉のぼりを配っておりました。初穂料は300円でした。この日の伊勢はこの鯉のぼりをもって
歩く親子連れが多く見られ、この時期の風物詩になっているようです。


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