5月 1日(日)

店を早めに閉め2階倉庫の整理。棚を2本追加すれば整理できると段取りを組んでいたが、大きな間違いに気づく。未整理の本が許容スペースを超えている。1階に積んである未整理の本を整理した後の、置き場が無い。大改造をする時期になってきたのかな。

4月30日(土)

本日も本の整理のため車で通勤。棚を1台購入したので2階の倉庫は10分1程整理が出来た。積んである本を棚に入れ、畳が見えてくると整理する意欲もわいてくる。あと2台ほど棚を作り、積んである本を棚に入れれば、かなりすっきりする。ようやくメドがたつ。店の倉庫と化した通路の本、下札をつける本と市場出品に分け整理し、車に積む。その前に車に積んである本を、店の空いるスペースに降ろす。ンー午前中に煉瓦を外に出し、午後に中に入れる、古代エジプト囚人の労役の様。懲役3日位で終りにしたい。

4月24日(日)

晴たので自転車通勤。景色など眺めている体力の余裕などなく、ひたすらゆっくりペダルをこぐ。30分かけ疲れて店に着いたが、何故か気分は、すがすがしい。毎日自転車通勤をし、30分の通勤時間を縮めようと妙な事が、頭にうかぶ。春の夜なが、涼しくなったので、月でも眺めながらゆっくり帰ろう。今日は満月かな。

4月23日(土)

昨日神奈川古書会館から、神田の東京古書会館の交換市に行き歩きすぎたせいか、朝起きたら腰が痛い。自転車通勤のつもりだったが、腰痛が不安なので御近所の眼を気にしつつ車でくる。棚を購入しないと本を整理できないので、棚の本の背表紙を見てい内に1日が過ぎてしまった。明日はカミたちの仲間が集まって、バザーをするので車を使う言う。雨降らない限り自転車通勤。バザーの打ち上げを家でやるようだったら、久しぶりに飲み屋にでも寄ろう。なまのしらすの時季だから。

4月22日(金)

夕方おまわりさんが来る。軌道からはすこし外れている思うが、法律で罰せられるようなことはしてはいない。何故かおまわりさん来ると身構えてしまう。彼以外と優しい態度で、何か御困りのことはないですかと尋ねてきた。困っていることはたくさんあるが、彼には関係ない事柄なので、別にないですと答える。ところで空地に駐車しているご主人の車、他の人が出入りに不便なので、移動して下さいとやさしい顔で要望する。という訳で明日から片道30分の自転車通勤。夏までには、しまった身体で、水着の似合う姿になるぞ。

4月21日(木)

市場で購入した本を、無造作に置いていたら店の3分の1程が通路がなくなり倉庫のような状態になってしまった。2階の倉庫も置く場所がない。棚2本程のスペースがあるので購入し店の本を上に上げなければならない。やっかいな仕事だ。御客さんは倉庫状態の未開そうな空間に興味があり、入ろうとするが、未整理なのでと丁重に断る。見れないから余計御宝の本でもあると思うのだろう。当店御宝本はないと思うのだが。是を書いている途中、読書九十年蘇峰の本が売れる。値段がついてないので安めに言うと御客さん、気風がいいねとおっしゃる。魚屋ではないのでなんにもうれしくはない。本に署名があることを親切にも教えてくれる。少し安く売ったのはすぐ分かったが、表情にはまった出さずだからどうしたと言う顔で通した。このくらいがが当店の御宝かな。

4月20日(水)

雨なので店は営業せず。ネット注文の返信、送本、登録で店内作業。店を閉め一人での作業は誰に気がねすることもなくゆったりとした時間を過ごせる。友達の古本屋も店を開け、お客さんが来るとどうも落ち着かなくいと言っていた。よくわかるが商品を売って商売が成り立つ事を考えるとかなり感覚的におかしい。当然のことだが彼の店売上は悪い。仕事の合間、前に行った世田谷美術館開催の瀧口修造夢の漂流物の図録をみる。瀧口の部屋に漂流した物が交感し、一つの空間を創っていたのがわかる。漂流物がさりげなく置いてある書斎の写真が、展示品より印象に残っている。それから近くのおいしい蕎麦屋でおいしい(てんかす)をただで頂いたこと。いいことは重なるものだ。てんかすの名前語呂は悪いが、妙に気にっている。

4月6日(火)

仕事に必要なので、デジカメを買う。撮られることはあっても、めんどくさいので撮ることはほとんどなかった。デジカメ使ってみるとおもしろい。撮った映像が現像しなくともすぐ見れる。あたりまえか。犬の散歩に持っていく。朝の小坪漁港一人乗りの小さい舟が7,8隻漁に向かうところ。漁に向かう漁師達の緊張感と期待感が、こちらにも伝わってくる。永い一日が始る。       

11月27日

朝裏山に犬と散歩。はじめてのコース。蛇が大嫌いなので春先から夏の終りまで山には行かない様にしている。寒くなり蛇も出会わないと思い山に行く。頂上から200メートル手前から背丈ぐらいの草が繁っており、獣道を歩く。すぐ横には134号線が通っている。ちょうど海と国道との間の山である。頂上付近は少し広い草むらが有り、そこで犬を放してやる。鎖でつないで散歩するのはどうもいやだ。(ウッドストックの世代だから)鎖から離れた犬はあれよあれよと谷の方に降って行く。名前呼んでも我関せず草むらの中に入り見失う。これで散歩の途中犬が逃亡したのは6回目位だ。近所の人は我犬を逃亡犬と呼んでいる飼い主は何て呼ばれているのかわが耳には今のところ入ってはこない。 30分位草むらの中を捜すが犬を発見できず。まあ何時もの事だし1、2時間そこ辺りをうろついて家に帰ってくるパターン別に心配はしていない。かれこれ1時間も歩いたので、喉も乾きおいしくビールを飲んでいると、カミさんが外から戻ってきた、ことのあらましをを伝える。話しているうちに表情が少し硬くなってきたので飲みかけだったが、叉捜しに行く。放浪していた犬をつかまえ叱っていると、娘曰く「おやじがわるい」 なるほど。

11月23日

藤澤名店ビル4階即売展本日6日め。海風舎売上げ好調でした。好調と言っても5店舗中

3位だけど。組合に行くと会う奴会う奴が、海風さんどうしたのと言ってくる。自分自身そんなに

珍しい事と思っていなかったが、ほとんどの奴が不思議に思っているらしい。

全員ノルマを越したし、皆売れない売れないとこぼしていた本も今回は売れたし、恨み、嫉みもなし

皆さん笑顔でした。(本当にそうかな?)

 

8月20日(金)
店の裏で夕涼みをして居ると、壁にヤモリが貼り付いていた。
昼間じめじめした草の中にいたのであろう。日が暮れ涼しくなったのでヤモリも夕涼み
でもしているのだろう。ヤモリの居る壁を掌で触れてみると、硬質の暖かさがあった。
湿った腹を乾かしているで気持よさそうだった。

7月9日
朝の6時30分犬と散歩。早朝なのに日差しが強く少し歩くと汗ばんでくる。
途中運良くゴムぞうりを拾う。短靴を履いて散歩しているので、裸足で海に入った後
砂を取り除くのに苦労していた。ゴムぞうりならそのまま海に入り、歩いている内に乾いてしまうので面倒でなく都合が良い。海岸に行くと漁船がちょうど出航した後で、漁師のおばさんが漁船を見ていた。犬の散歩の時は極力人と話さない事にしている。話すのが面倒だし、散歩はスタスタ歩けば良いと思っている。今日はぞうりを拾ってうれしかったのか、おばさんに何が取れるのかと尋ねたら、あおりいかが稲村あたりで採れると言う。
10時頃戻ってくるので、その頃来れば取れたれのシコシコしたいかを、売ってくれると言う。いかを利用した美味しい食事の仕方が頭にうかんだ。
ギンギンに冷やした、ビールを2本持って9時30頃海に行く。炎天下の中、着いたら冷えたビールをまず飲む。漁船の帰りをいまかいまかと待ちこがれ、新鮮ないかを思いもう1本のビールを飲む。いかを4−5はい買い、いか刺しを思い出しながら、帰路の途中、自販機でビールを買い飲む。ここまでで95%食事の楽しさは終っている。新鮮ないかはどう料理しても美味いから、後はさっさっと食えば良い。

7月5日
缶ビールのロング缶が飲む量として適量だ。レギュラーの量だと少し物足りない。
ロング缶の重さの感覚が好きである。只,グラスに注いだ残りの缶のビールが温くなり
最後のビールは冷えてなく美味しく頂けなかった。最後まで冷えたビールを飲むうまい方法を考えた。注いだ残りの缶を冷凍庫に入れ、飲むとき取り出す。最後のビールまで冷えていて美味しい。友達にも勧めてみたら結構評判が良かった。たまたま電話した相手の方がビールのロング缶を飲んでいたので、少し得意になって伝授したところ、さほど感動を示さない。
ビールなんて冷えているうちにさっさと、飲めば良いとのこと。うーん納得。
相変わらずロング缶を冷凍庫に入れ最後まで冷たく飲んでいるが、同じビールなのに
以前ほど美味く感じなくなる。

7月4日
何時も行く飲み屋が混んでいたので、親父が酒の銘柄に凝っている店に行く。
最近焼酎に凝っている相方は、親父に御勧めの焼酎はどれかと訊ねた。
親父にとっては一升瓶に入った酒はどれもわが娘みたいなもので、ずらりと並んだ酒瓶から1本選ぶとなると、残った酒瓶が不憫なのであろう少し迷った後、48度の泡盛を進めてくれた。この酒は強いよ2杯は飲めないよと言いながら。親父の挑戦的な言葉に少し反発しストレートで飲むことにする。
48度の泡盛と、水を注文する。生の泡盛を飲んで、水を飲むその繰り返しだ。
1杯を飲み干すと、親父の言った通り2杯目は無理だとわかる。
御勘定をし、歩いていると頭ははっきりしているのだがまっすぐ歩けない。
まっすぐ歩けと我足を叱りつけながら帰途につく。

5月22日

5月26日迄藤澤名店ビル4階でミニ古書催事を開催中。当店も参加。12店の古本屋
が集まり前半、後半の2組、各6店舗で開催している。店番をアルバイトに頼んであるので店主は店番をしなくて良い。公式な売り場で古本屋の親父が店番をしたら、売上は上がらず、当人も十二指腸潰瘍にでもなるであろう。優秀な二人のアルバイトさんありがとう。店番のアルバイトさんから本の在庫がほとんどないと連絡がある。本が売れすぎたのではなく忙しく在庫をほとんど作らなかった為である。本日朝追加する。夕方売上の連絡があり追加の効果はほとんどないとの冷静な電話がある。どうも当店の本一般受けしない。
ではどこ受けするのか?

5月21日
今月中に出す予定の目録作りの為、9時ー20時まで店で作業。
在庫の本に 大久保房男 文芸編集者はかく考える  があった。
吉行淳之介の本で、雑誌群像の鬼編集者大久保房男について書いてあったのを思いだし
拾い読みする。30分打ち込み5分読書の予定であったが、内容が面白いので10分打ち込み、10分読書に変わる。高見順の癇癪の構造、熊野気質の佐藤春夫、病床の葛西善蔵に対する広津和郎の態度、文学者ではなく文士について述べている。
文士が少なくなったのは文壇バーが騒然とした新宿から、銀座に移り小説家 がスマート
になりすぎた為だ等。大久保房男氏が文士の気質を敬愛しているのが、生の交際でわかる本。読み終わった後、登場する若い文士がほとんど逝ってしまったのに気づく。

5月8日
昨日明治古典会っで落札した全集内容見本がおもしろい。 女人芸術復刻の平林たい子
望月百合子、吉屋信子等の若い時代の写真、プロレタリア詩雑誌集成の書影や解説、
その中に近松秋江全集の前面に、秋江の横顔の写真が一面に写されている。
視線は前を見ているのだが、目の前にある風景など何も見ていない顔が良く、気になるので普段あまり興味はない近松の中身を拾い読みした。
別れたる妻に送る手紙、の最初の部分が掲載されている。題名が別れたる妻に手紙を送るなのでじめじめした文章と思ったが、妻にかなり未練はあるが、それを乗越えるのではなく、静かに隣において書いているような実感がある内容だ。文壇無駄話もかなりおもしろいと思う。

4月30日
本を取ろうして屈んだらぎっくり腰になる。
ぎっくり腰になると、痛を和らげる為には腰の負担を軽くし横になるしかない。
開店中であったが、フロアー の端で横になる。横になって棚を下から見上げると棚全体の本が見渡せ、見慣れている本と違う感じがする。地上20cm程度の犬の視線で散歩すると、視界が変わり面白世界になると何かに書いてあった事を思い出す。痛みのパニックから少し時間がたつと変な事を考えるものだ。こうゆう状況の時御客さんは必ず来ると思っていると、やはり数時間ぶりに外で本について話し合っている声が聞こえる。んー又起きなくては、横になったまま、御客さんに状況を説明するのが一番い良い方法なのだが、気が弱く、自意識過剰なので、こんな姿他人に見せたくない。棚につかまりおそるおそる起き上がる。(ぎっくり腰で身体を動かす時は、息を吐きながら動くといたくない)起き上がると御客さんが入って来たので、何事も無いような顔をして、ぎっくり腰なので閉めますと言ったら怪訝な顔をされる。
店を一人では閉められないので、家に電話したが留守であった。カミさんは携帯電話を持っているが、日頃カミさんの携帯電話の番号などメモしておくほど野暮じゃないと思っているので、連絡の方法が無い。これも人生だと思いじっくり時間をかけ一人で店じまいをする。妙な姿勢で、ちんたら片付けるている古本屋のおやじを見て、怪訝な顔をしている通行人の視線を意識し、これも人生だと自分に言い聞かせ折り合いをつける。

4月12日
葉山に買い取りに行く。天気がよく初夏の暖かさ。買取の帰り道に高さ10メートル位
の滝に出くわす。車を降り水がきれいなので少し飲む。近くの小高い丘に寺があるので
散策していると、寺からお婆さんが出来て御茶でも飲んでいけと言う。
話を聞くと大晦日に除夜の鐘をつきに数百人の人が初詣をし、帰りに一人一人に三浦大根
を配ると言う。元旦の暗い道を大根を持って大勢の人が帰る。奇妙な風景であろう。

3月29日
今日は市場。市が開かる神奈川古書会館は反町公園の前にある。
公園の桜は2部咲き程度だ。それでも市が一段落した11時半頃から軽く花見をする。
テーブルを出し、ブルーテントを敷くと即席の会場ができる。
もちろん平日のこの時間帯、花見などする人はいなく通る人がものめずらしげに見ていく.。最初は3人で始めた。一息いれる為か2人、3人と徐々に人が集まりかなりの人数となる。烏賊刺の代わりに烏賊センベイ、卵焼きの代わりに卵の入った棒チーズ、寿司の代わりに小魚やえびが入ったお菓子、まあ江戸時代の長屋の花見だ。常識ある古本屋小1時間で終了にする。

3月28日
古書店が終り気持もゆったりしてきたので、久しぶりに犬の散歩。
他の犬は知らないが、家の犬は散歩途中よく草を喰う。獣医は草には菌がついているので食べないほうが良いと言っていたが、うまそうに喰うし、食べ出したら其処から動こうとしないので好きなだけ食べさせている。食べる草は決まっていて竹の葉に似た繊維質の雑草である。同じ種類の草なのに 、草の生えている場所によって美味さが違うらしいと気がついた。散歩のはじめわざわざ、草の生えている場所に連れて行くが食べようとしない。今日は草は食べないのかと思ったら、暫くすると違う場所の草を美味しそうに食べ始める。同じ鯵でも相模湾産と新潟産が違うようなものなのだろう。ひょっとしたら人よりも味の違いが分かるのかもしれない。犬の見かたが変わった日。

3月27日
古書即売展が終り1週間。搬出、車の本の片付け。いつもは店売り、目録売り、ネット売りどれも売れているわけではないが 忙しい、一日中忙しい、これといった具体的な仕事はほとんどしていないのだが。この1週間は即売展の為、本を搬入し、展示し、売り、又しまう。当店の場合運んだ本の大部分を又持ってかえるので、肉体的に加え精神的にもしんどい。即売展は肉体的に忙しい、店の忙しさとは異なる。店にいるとやる事が際限無くあるが、今日までに必ずやら無ければいけない事はほとんどない。
例えば、知らない作者の昭和6年の詩集の値段付け。まず詩歌人名辞典で調べる、記載されていない。次の手がかりは序文の作者紹介ここでいくらかは判るが、値段設定までは
程遠い。それからはいろいろな方法、これは無いようで以外とある。そんな資料の断片をつないでゆく。但し時間はかなり掛かる。何日もついやし、必ずしも値段設定できるわけではない。そうゆう本をおく戸棚の個所が専用にある。というわけで古本屋はいつも忙しい。というわけで古本屋はいつも時間はあるが、お金が無い。

3月25日
近代美術館 葉山に用事があり出かける。用事を済ませた後ベン、ニコルソン展を観る。
茶色に塗ったボードを何枚か重ね合わせた作品、1枚めの大きいボードの茶色描くのでは
なく、塗るという感じ。濃淡な茶色い世界の中、塗っている作者の時が現れてくる。
2、3枚と濃淡の茶色いボードを同じ作業をし重ねてゆく。何枚か重ねたボードから重られたゆったりした時間が現てくる 穏かな作品展。28日迄 。

3月7日
朝犬との散歩。深い長靴を履いてゆく。ワカメを拾うためだ。200メートルほどの長さの誰もこない海岸線ほとんどがテトラポットが置かれているが、所々砂浜もある。
波が荒く風も強かった 次の日はワカメが浜に打ち上げられる。
今日は穏かで沖ではワカメ漁の船も見える。波があまりないので小さい砂浜から海に入り
ワカメを取る。朝の7時ごろ冬の海に入る事などほとんどないが、少し寒くて結構気持が良い。家に帰り茹でワカメを頂く。本日は日曜日の為なんとなく、サラリーマン気分で心置きなくでビールを飲む。

3月2日
歳のせいか朝早く眼がさめる。今日も5時頃目覚める。1時間位布団の中にいたが眠れないので散歩に出かける。1人で散歩するには時間帯が早過ぎるので犬と一緒の散歩である。
坂道を800メートルほど登り、お化けトンネルを抜け、800メートルほど下ると
材木座海岸に出る。今日の目的の一つは浜に上がったワカメを拾う事である。
例年今時分はワカメ漁で、漁師さんが取らない小さいのや、取り損ねたワカメが浜に上がってくる。それを散歩しながら拾いすぐに茹でそれをつまみに朝のビールを飲むは楽しい事だ。今年は不漁と聞いていたのであまり期待はしなかった。案の定,浜にはワカメはまったく上がっていず、藻ばかりだった。
犬だけが広い浜で自由に遊んでいた。ワカメを肴にビール飲む事を頭に入れ散歩をしていたので、何か気が抜けた気分だったがきっちり飲む。

2月20日
御通夜の為早稲田に行く。逗子から早稲田まで道中長いので電車の中で飲む酒を買う。
3時半頃なのですいた電車のなかで本でも読みながら、ゆったりと酒を飲もうと思った。
意に反し電車は満席状態こんな中で酒を飲んでも美味くない。
結局寺まで酒はコートのポケットに入ったまま、酒をポケットに入れたままで御焼香は出来ないので、喪主に許可をもらい隣接している墓場で飲む事にする。
裏が広い公園なので視界が広く、暗くなりかけた空を見ながら誰もいない墓地で酒を飲む
のは、なぜだか懐かしい気分になる。

2月18日
御葬式が続いた。
13日は御通夜。手伝いの為御焼香1時間前に着くが。地元の方が全て取り仕切るので手伝いは要らなくなる。1時間程時間が空いたので辺りをぶらつく。街道沿いを暫く歩くと
高台に神社が見えた。急な石段を60段くらい上ると社がある。信仰心はないが神社は大好きである。人の匂いがなく、何時もからっとした雰囲気がある。
鎌倉の甘縄神社、大塔宮、社は石段を上り高台にあるためか空気が澄んでいるせいかもしれない。 この神社も期待通り空気も澄み人もいないと思ったが、誰か先人がいて御参りの鈴が、少し離れた社から 暮れかかった寒空の中、からから 聞こえてきた。
これはこれでまたいい。お酒もってくれば良かった少し後悔す。

2月3日
今日は節分関東では豆をまくが、京都では太巻きを食べる習慣がある。
直径10センチ位の太巻きを切らずに端から食べてゆき、丸ごと一本食べれるとその年の
健康が約束される。
節分の日が近くなると、いたるところの食堂で太巻き予約の張り紙が見られるそうだ。
その風景は関東人が想像する京都のイメージではなく、地方都市の何々銀座商店街の感じがする。かなり以前奈良に行った時ふらりと入ったお寺で大茶会が催されていた。
どんぶりの大きさの茶碗に入ったお茶を、二十人前後の人で回し飲みする豪快な茶会だった。
消えてゆく風習もあるが人が、おもしろいと感じる風習は残ってゆくのだろう。

1月31日
目録22号の版下を届に文京区後楽の印刷屋さんまで行く。
飯田橋で降り幹線道路から少し路地に入ると、其処は昭和30年代の匂いがする場所だった。路地には木造の古い家、狭い庭低い木が植わり、物干し代、駄菓子屋の色褪せた看板、 薄暗い製麺所の古い機械 子供の頃の懐かしい風景は開発された郊外にはなく、都心の路地にしかないのかもしれない。
印刷所から神田川沿いに入札会のある御茶ノ水の東京古書会館まで歩く。
途中小石川橋等、 江戸時代の名称そのままの橋があると、200年前にはこの川も  
屋形船、川魚を採る魚船で生活の匂いがし、華やかだったんだろう等想像する。
昔のことを思いながら会館場での散歩、会館にも古書が並んでいる。
商売なのでこの空間はシビアであるが、なつかしさの時間の中に入ってく。

1月21日
 坂下コースを行こうとすると犬が座り込んだ。散歩をしたくないのかと思い引きかえすと、坂上のコースを尻尾を振りながら愉しそうに歩き出した。
犬もその日の気分により行きたい場所、行きたくない場所があるようだ。
 今日の朝は寒くあたり一面に霜柱がたっていた。その上をサクサク音を立てながら歩くのは、なんでもないことだが少し楽しい。
 古書即売展搬出で帰りが遅くなる。駐車場から小坪漁港の夜の海を見ながら、途中で買っておいた逆さにすると熱燗になる日本酒を飲みながら、誰にもすれちがわない道を歩くと、少しは長生きしそうな気分になってくる。

1月19日
葉山に買取に行く。葉山と言うと高台のモダンな町のイメージがあるが、今日行った所は街道から脇道に入り坂を登ったまさに山峡。途中の農家の軒下には大根が干してあり道には誰もいず街道ではなく林道の感じ、空気も下より澄んでいて2−3度低い。
近くの水源地付近には炭焼き小屋も有り、4月頃行った時は炭焼きの煙が2,3個所の小屋から空にゆっくりのぼり、街から車で10分たらずの場所なのに中国地方の山村に居る様な気分になった。(酒をおいしく飲むには最適)
今回のお客様家は車が途中まで入れず、車まで少し重い本を手で運んだが、好きな分野なので心地よい重さに感じる。

1月9日
寒い日は小坪から伊豆半島の伊東、熱海の街並みが相模湾を隔て、小さいがはっきりとみえる。小坪は漁師町なので神社やお寺が多い。今朝もおばあさんが参拝していた。
願い事は、健康でありますように、災難が無い様にだろうが、参拝している後姿を見ているうちに、ひょっとしたら今年は彼氏が出来ます様に、意地悪嫁がはやくいなくなります様に、来世では死んだ亭主とは一緒に絶対なりません様に、そんな願い事をしているのかもしれないと思った。いくつになっても女性は怖いからね?

1月3日
昨日は家にいても所在ないので鎌倉に行く。初詣でで人が多く忙しない散歩だ新年なのでこれは仕方がない。鎌倉駅まで来るとお客さんに出会った。挨拶もそぞろに「何かいい本入りましたか」、「いや入っていません」それだけ言って2人で笑った。何が可笑しいのか判らないがお客さんも古本屋も初詣とはほんの少しずれたところにいた。
帰宅し熱ぽいので夕方5時から今日朝の9時まで寝ていた。
お酒を一滴も飲まない奇妙な正月。

1月2日
昨日は朝酒を飲んだので、年賀状を自転車で店まで取りにきた。
往復約1時間の距離を乗ったので、身体の節々が痛い。
夜は友人の家で新年会。飲みすぎの為、腹の調子も良くない。
年末におもいものを持った時の首から、肩にかけての痛みも続いている。
今日は小坪港恒例のみかん投げ、暖かい日差しの中近所の人が船から投げるみかんを網や、籠で愉しそうにとっていた。参加する元気もなく、この調子だと寝正月になりそうだ。

12月30日
飲んだので電車で帰ることにする。逗子駅で降りバスを待つのが面倒なので歩いて帰る。
年末なので商店街を抜けると誰も歩いていない。8分ほど歩くと披露山の坂下から視界が開け星空が正面に現れる。心地よい風に吹かれ見る夏の夜空も良いが、誰も居ないはりつめた空気の中見る冬の空も又良いもんだ。それから20分歩いたが誰にも会ず帰宅。

12月28日
小坪の漁港には小売専門の魚市場がある。安く、新鮮でいろいろな魚を売っているので
近郊の人が買いに来る。年末なので今日はお客さんが開店前に列をなしていた。
早く買物を済ませたいお客さんは、師走のせいか何処か忙しない。
市場の前には相模湾は波もなくゆったり広がっている。澄んだ空気の中大島がはっきりと見える。人の忙しなさと自然のゆったりさどちらも好きな師走の風景。

12月27日
神奈川の会館展に行く。購入した本 お能 著者白洲正子 の万沙子と署名がしてある
いろいろ調べたが白洲正子が万沙子と名のった文献はみつからなかっつた。
結果はでないが、こうゆう調ものをする時はたのしく、少し充実する。
今日は寒いので散歩ではなく、帰りに車でマリーナのクリスマスツリーでもみよう。
クリスマスは終ったが、点燈している照明は寒くなるほど鮮やかになる。

12月25日
午前中買取の帰り日差しがあまりにも暖かいので、途中にある墓地で途中下車し散歩する。
猫が2,3匹いる他誰もいない。墓には萎れた花や空になった酒ビン師走となると仏様
の世話までする時間は無いみたいだ。
誰もいない墓では人を気にせず只ボーとできる。町では2,3分すら空を眺めるゆとりはない。墓地はリラックスできる穴場だ、人は居ないといったが、墓の中にはかつての人間がたくさんいることを忘れてた。

12月21日
裏の公園の十数メートルのツリーはなかなか趣がある。
その横に長さ30メートルのロープに附けた照明が5本、空地の上を3メートル程の高さで通っている。ポットボトルの中の大きめの豆電球が点燈し、鈍い光がボトルの表面に反射している。
ロープには運動会でよく見る万国旗も飾られている。夜になるとその鈍い光が空地の
土に反射し、一人もいない公園は村の盆踊りが終った夜の雰囲気だ。
祭好きの日本人にとって、クリスマスの照明は盆踊りの提灯感覚なのかもしれないと思わせる風景である。

12月20日
鎌倉のお客さんより本を見てほしいとの依頼あり。
道が細く家のかなり手前に車を止め、3分ほど歩く。
戦前の経済書が中心で買える 本はなかった。早々におじゃまし天気が良いのであたりを
散歩する。路地や空地が多く、竹の垣根の家、サッシなど使用していない平屋に雨戸の家, 向田邦子の小説で書かれている昭和10年代の風景は、多分このような雰囲気なんだろうと思った。

12月8日
来年開催 第7回湘南古書まつり 有麟堂と打合せ。例年通りの条件ですんなり終了。
今回の特別企画は 「1枚の刷物に見る庶民の生活、事件 」 ポスター、号外、写真、新聞
ワゴン3台と、壁面を使い、展示する.会議の後で飲み会。
焼き納豆、御新香 軽いつまみで酒が主体。
帰りは鎌倉駅からタクシー。最近散歩をしていないので、家のかなり手前で降り歩く。
少し冷たい風は心地よい。気のあった仲間と飲むのは散歩同様楽しいものだ。

12月5日
横浜美術館 中平卓馬展行く。 現代から過去の順に展示されており,写真は過去に戻るほど内なる怒り 不安 孤独 哀愁が強くなってゆく。
現在の写真は逗子 葉山 横浜 見なれた箇所が多くありよく見なれた風景写真と言う感じ、新たなる凝視コーナーは、テーマもなく、写真家がただ目に触れ、かすかに刺激を受けた時、シャッターを押したと思われる写真 約600点が展示してある。
刺激を受けた対象を淡々と撮りつづけた作品は、テーマがつよい作品より感じるものが多かった。館を出て散歩の予定だったが雨の為やめる。愉しく少しさみしい1日。

12月2日
先日神奈川古書会館のある反町駅から、東横線経由で神田まで出かけた。
幼い頃沿線に住んでので東横線にはいろいろな思い出がある。
当時電車は3段窓で、床は木製、いつ乗ってもワックスの臭いがし、綱島駅近くでは近くの牧場から逃げ出した牛が、線路に横たわり乗っていた電車を止めてしまった事等、のんびりした時期だった。
多摩川園すぎると東京だなと言う感覚になる。東京には住んでいなかったので余り記憶に
残る思いではないが、だだ中目黒から見える坂はかつて散歩で上った記憶がある。
目黒駅で降り中目黒駅まで少し短いさんぽだった。まだ道沿いには小さい商店があり、買物をしている人も普段着の地元の人が多く、生活の匂いがした昔ながらの町並み。坂は道路を曲がると突然現れた。坂下から上を見ると青い空が見え視界が急に広がり、ゆったりした気分になる。機能化された現代の街でもそれは同じであると思う。
東京では余り散歩した事はないが、楽しい散歩であった。

11月30日
ぎっくり腰が再発した。2週間位前になり治りかけていたが、一昨日段ボール5函の本の整理をし少し痛かった。家で風呂から上がったところ腰がジーンと痛くなった。
針が効くと聞いたので、近所の治療院に仕方なく行った。
手で触っただけで痛い炎症している筋肉に、針をうってゆく(考えただけでも恐ろしい)10本くらいうったところで後何本うつのか聞いたところ、8本だと言う、痛さと、恐怖を説明し6本にしてもらう。
治療が終った後先生は平気な顔で、患部に届くようもう少し深く針を入れた方が効果
があると言う、次回の治療の時は深く入れるのだとな、もちろん予約はしなかった。
散歩中犬も主人がいつもと違のが分かるのか、後をちらちら見ながら散歩コース途中で、ひきかえすとゆう(これ以上遠くに行かないと坐り込む)自分にとってもちょうど良い距離であった。
今日市場に行くと、同じ位の歳の店主で話していたところ、書き物をし首と肩が痛い奴、昨日から原因不明の背中が痛い奴、腰の痛い自分、足の痛い奴、後は頭が痛い奴がいると全身痛だねといっていた所、頭が痛いと言う奴が来た、昨日酒を飲みすぎたとの事。もちろんそいつを四人とも白い目で睨んだ。

11月27日
小坪漁港と山側の住宅地の中間の辺りに住んでいる。
山側にはリクルートの住宅があり、犬の散歩の一つのコースである。 ゆるい坂を登って
頂上につくと辺りは開け、眺望もよく相模湾や逗子の町の一部がみえる。
海側のコースに朝早く行くと、一仕事終えた漁師さんが あがった魚で一杯やっている。
お酒を飲みながら散歩していても、浜の人からは如何わしい人物とは見られないそういう
所だ。夕方お酒が飲みたくなったら浜コースを、犬と散歩する。
気がね無くビールを飲みながら、相模湾に沈む夕日を眺めるのは少しリッチな気分になる。犬も浜に落ちている小魚を拾い食いできるので、山コースより、浜コースがお気に入りだ 。
犬も飼い主にだんだん似てくる 。

11月26日
終日パソコン入力。思考能力が低下し、散歩する気力も無い。
こうゆう日は風呂に入り、お酒を飲み 寝るに限るが、多分なかなか寝つかれないだろう。
眠れない夜は、子供のころよく遊んだ空地、安いメンコやビーダマをさがしに隣町まで、自転車で買いに行ったこと、駄菓子屋で、たっぷりソースをかけた2枚1円の鹿せんべいの感触などを布団の中で思い出し、頭の中で散歩する。そういえば駄菓子屋のおくさんは、何時も和服を着てやや厚めの化粧をし艶っぽかった、随分歳の違う親父は風采が上がらない陰気な人だった。訳ありだったんだろう。昭和30年代にはそうゆう不思議な大人が多かったと思う。多分戦争のせいだろう。
そんな事がわずかに脳に刺激を与え、知らない内に眠りに入る・・・ おやすみなさい。

11月25日
今日裏の杉の木にクリスマスのイルミネーションが飾られた。
高さ10メートルくらいの木の上から、周りの木々に照明をつける、さびれた田舎の商店街では夜其処だけが明るい。
何年か前、クリスマスの飾りを、ゴージャスに庭の木々に取り付ける家が評判になり、
カミサンと車で出かけた。 余り気乗りはしなかったが、電車等乗り物中で風景を見ながらお酒を飲むのが好きなので、 ツリーを見るより後の座席でお酒を飲んだ方が嬉しかった記憶がある。その時依頼、夜買物ついでに、たまに江ノ島や葉山に少し遠出する、後座席で酒を飲みながら海などを眺める優雅な習慣がついた。クリスマスのおかげである。
犬の散歩コースにある逗子マリーナのクリスマスの飾りも良い。
9時を過ぎると誰も居ないところに、木々に飾られたツリーが漠然とある。1人ではそんなところに行かないが、散歩コースにあるのでたまによる。これは犬のおかげである。

11月23日
5時30分頃、S氏来店。伊藤信吉詩的アナーキズムの本を見つけ、この時代(昭和3年頃の回想)が一番おもしろいとの事。そいえば草野心平の私の中の流星群を愛読していた。先日尾形亀之助色ガラスの街を入手したので、彼に見せたところじーと本を見つめ暫くしてから、御いくらですか?と聞いてきた。先程馬鹿正直に入手価格を漏らしてしまったので、少し上乗せした売値を言ったところ、即買いますとの返事。
本を売って生業としているが、売りたくない本もある。 その夜寝付きは悪かった。
御客さんも来そうにないので早々に閉め 、彼と昨日ふれた飲み屋に行く。
本日は陰干しした、あじを軽く焼いたおとうし、やわらかくあぶらがのって絶品。
昨日述べた鹿児島産の柚ではなく、かぼすの間違いでした。
店を出、逗子駅まで約20分あるく、何組かの女性 ウォカーに出くわす。
手を大きく振り、大またに元気良く歩いている、誰も居ないところで真似をしてみたが
恥ずかしくなりすぐやめる。男の散歩は哲学的じゃなくちゃね。

11月22日
仕事か帰りに、一人、知らない飲み屋には入りお酒を飲む友人がいる。
そうゆう習慣はないが、年に何回かそうゆう気持になる。
何回か試したが、どの店でも店主と御客に変に気を使い、妙に居心地が悪くなってくる。
気を使ってお酒お飲むのは疎ましいので、結局習慣にならなかった。
最近たまに一人で出かける店ができた。小股の切れあがった女の人が居るわけではない。
料理もおいしいし、おいしい料理を作ろうといろいろ工夫した話を聞くのも楽しい。
先日は田舎の鹿児島から送られてきたゆずを頂いたところ、強烈な南国の薫りがした。
丸ごとの穴子の煮付け、新鮮な巻貝のさしみ等余り他の御店のメニューにない品をこの店では食べられる。
店から2−3分にあるのだが、その店に行く時は遠まわりの短い散歩をする。

11月21日
今日は明治古典会に行く日。天気が良いので家から逗子駅まで歩く。
小坪漁港近くの家から、披露山の切り通しを抜け約30分。市は午後開札なので時間は十分ある。今は無くなってしまったが、引っ越してきた時分には、途中、文献に書かれている湘南サナトリュウムの建物がまだあった。廻りは木に囲まれており、いつも入口からかなり離れた玄関(石段の上にあった)のくもりガラスの戸は閉られており、何時も人の気配がなく、日影に被われたさみしい建物の記憶がある。
小坪小学校辺りから、約1キロメートル川に沿ってゆっくり歩く。
ほとんどコンクリートの用水路になっているが、所々に木々が生い茂り、川岸の土が昔のまま露出していて、自然そのままのややワイルドな場所もある。そうゆう所は、夏蝉が鳴きけっこう涼しい。
歩いていると視線はいつも数メートル先の地面をみているが、川に来ると視線を川底に落とす。そうすると目の力がすーと抜けていくのが分かり、かなりの開放感が味わえる。
川辺は下を向いて歩こう♪

11月20日
朝から雨。
店売りは期待できない。最近木曜日の一新会にうぶ口が出品されているので、本日は神田まで買いだし。
雨が降ってなかったら、ちょっと寄り道をして水道橋で降り白山通沿いに歩くのだが
通に面して雑然と小さい飲食店が並んでいる。ラーメン280円、てんぷら定食450円コロッケ定食350円、何しろ安い定食屋が多い。歩いていてこうゆう看板を眺めるのは、山道を散策し、草花を眺めるより非常に健康的である。
肝心の市場の買いは、白山通の看板のせいか、安札に終始し2点しか落札できず。帰りはニコライ堂を通りお茶の水駅まで裏道コース。

11月19日
店の中で本の値段つけ、パソコンの入力、近くばかりを見ているとストレスが溜まる。
さいわい、店の裏にかなり大きい空地があるので一息つくために、一日何回か散策する。
夏になると、70cmくらいの雑草が繁るくらい手入れのしない野原に近い空地だ。
3年前から時々青大将をみかける。
へびは大の苦手だが、この青大将にはたまに会うと挨拶する。
空地の真中に、実をたくさんつけた柿の木がある。渋くなくかなりおいしい。
散策の時、柿を食う。今度はあの熟したのを食べてみよう等散策の小さい楽しみである。
ところがある日、あれほど多くなっていた柿が全くなくなっていた。
夜近所の人が、全てもぎ取ったらしい。散策の楽しみは少し減った。あの大量の柿を
真夜中、人にみられず家まで一体何往復したのであろう 。根性のある奴だ。

2003年11月18日
店を開けるがあまりの暇なので、最近オープンした神奈川近代美術館 葉山館に行く。
一時休業。 森戸海岸、あぶずり港を抜け江ノ島を遠望し、車で15分快適なドライブをし目的地に着く。(駐車1時間無料)
 コレクションによるもうひとつの現代展を開催中(2004年1月25日迄)
加山又造 麻生三郎 朝井閑右衛門、川口軌外、中村正義、脇田和、李禹煥等の作品
が160点余り、ゆったりとした会場に展示されていて、真中あたりの大ガラスから
外が見えるようになっており、夕日に照らされた相模湾を眺め一息つける配慮。
李禹煥のベージュを基調とした作品 風とともに(題名もいいね)開放感
脇田和 川口軌外 斉藤義重の作品を見れたのも収獲、ともかくこれほど多くの現代画家の作品が、気軽に見れるとゆうのはうれしい限り。
別館のレストランで珈琲を頂き帰る。
店を閉めたまま、仕事の続き。こうゆう日は仕事もはかどる。