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「仮名手本忠臣蔵」

七段目 祇園一力茶屋 床本



 (花に遊ばゞ祇園あたりの色揃へ、東方南方北方西方、弥陀の浄土へ光ぴかぴか、光輝く色揃へ、わいわいのわいとな)
「誰そ頼まう、亭主は居ぬか、亭主々々」
「これは忙しいわ忙しいわ、どいつ様ぢや、どなた様ぢや。ヤ斧九太様、御案内とはけうといけうとい」
「イヤ初めての御方を同道申した。きつう取り込みさうに見えるが、一つ上げます座敷があるか」
「ござりますともござりますとも。今晩はかの由良大尽の御趣向で、名ある色達を掴み込み、下座敷は塞がつてござりますれど、亭座敷が明いてござります」
「そりやまた蜘蛛の巣だらけであらう」
「また悪口を」
「イヤ、良い年をして女郎の蜘蛛の巣にかゝらまい用心」
「コレハきついわ。下には置かれぬ二階座敷、ソレ灯を灯せ仲居共」
「アイアイ」
「何と伴内殿、由良助が体御覧じたか」
「九太夫殿、ありやいつそ気違ひでござる。段々貴殿より御内通あつても、あれ程にあらうとは、主人師直も存ぜず、拙者に罷り上つて見届け、心得ぬ事あらば、早速に知らせよと申し付けましたが、テさて我(が)も偏私(へんし)も折れましてござる。伜力弥めは何と致しましたな」
「こいつも折節この所へ参り共に放埒。差し合ひくらぬが不思議の一つ。今晩は底の底を探り見んと心巧みを致して参つた。密々にお話し申さう。いざ二階へ」
「まづまづ」
「しからば、かうお出で」
(蓬莱や、聞かばや伊勢の初便り、こちの便りを松葉町、夕告げ鳥のしどけなく)
「弥五郎殿、喜多八殿。これが由良助殿の遊び茶屋、一力と申すのでござる。誰そちよと頼みたい」
「アイアイどなさんぢやえ」
「イヤ、我々は大星殿に用事あつて参つた。奥へ往て言はうには、『矢間十太郎、千崎弥五郎、竹森喜多八でござる。この間より節々迎ひの人を遣はしますれども、お帰りのない故、三人連れで参りました。ちと御相談申さねばならぬ儀がござる程に、お逢ひなされて下され』と、きつと申してくりやれ」
「それは何とも気の毒でござんす。由良さんは三日この方飲み続け、お逢ひなされてから他愛はあるまい。本性はないぞえ」
「テさてマア、さう言ふておくりやれ」
「アイアイ」
「弥五郎殿、お聞きなされたか」
「承つて驚き入りました。初めの程は敵へ聞かする計略と存じましたが、いかう遊びに実が入り過ぎまして、合点が参らぬ」
「何とこの喜多八が申した通り、魂が入れ替つてござろうがの。いつそ一間へ踏込み」
「アヽイヤイヤ、とくと面談致した上」
「成程、しからばあれにて待ちませう」
「手の鳴る方へ、手の鳴る方へ」
「捕らまよ、捕らまよ」
「由良鬼や待たい、由良鬼や待たい」
「捕らまへて酒飲まそ、捕らまへて酒飲まそ。コリヤ捕らまへたわ。サヽ酒々、銚子持て、銚子持て」
「イヤコレ由良助殿、矢間十太郎でござる。こりや何となさるゝ」
「南無三宝、仕舞うた」
「オヽ気の毒、何と栄さん、ふし食た様なお侍さん方、お連れさんかいな」
「さあれば、お三人とも恐い顔して」
「イヤコレ女郎達、我々は大星殿へ用事あつて参つた。暫く座を立つて貰ひたい」
「そんな事でありそなもの。由良さん、奥へ行くぞえ、お前も早うお出で。皆さんこれにえ」
「由良助殿、矢間十太郎でござる」
「竹森喜多八でござる」
「千崎弥五郎御意得に参つた」
「御目、覚まされませう」
「これは打ち揃うてようお出でなされた。ガ何と思うて」
「鎌倉へ打立つ時候は、何時頃でござるな」
「さればこそ。大事の事をお尋ねなれ。かの丹波与作が歌に、江戸三界へ行かんして、ハヽヽヽヽ、御免候へ、たわいたわい」
「ヤア酒の酔に本性違はず」
「性根が付かずば三人が」
「酒の酔ひを」
「醒まさせませうかな」
「ヤレ聊爾なされまするな。憚りながら平右衛門め、それへ参つて只一言、申し上げたき儀がごわります。暫く、暫く、暫く暫く、お控へ下さりませう。御家老様、寺岡平右衛門めでごわります。御機嫌の体を拝しまして、如何ばかり大悦に存じ奉ります」
「フウ、寺岡平右衛、寺岡平右衛とは、エヽ何でえすか。前かど北国へお飛脚に行かれた、足の軽い足軽殿か」
「ネイ、ネイ、左様でごわります。殿様の御切腹を北国にて承りまして、南無三宝と宙を飛んで帰りまする道にて、早御家も召し上げられ、一家中も散り散り、と承つた時の無念さ。奉公こそ足軽なれ、御恩は変らぬ御主の仇。おのれ師直めを一討ちと鎌倉へ立ち越え、三ケ月が間非人となつて付け狙ひましたれども、敵は用心厳しく近寄る事も叶ひませず、所詮どん腹かつさばかん、とは存じましたが、国元の親の事を思ひ出しまして、すごらすごら帰りました。所に、天道様のお知らせにや、いづれも様方の一味連判」
「ゴホン、ゴホン、ゴホン」
「石碑、御建立の様子を承りまして、ヤレ嬉しや有難やと、取る物も取り敢へず、あなた方の御旅宿を訪ね、ひたすらお頼み申し上げましたれば、『ム、出かいた、うい奴ぢや。お頭へ願つてやろ』とお詞に縋り、これまで推参仕りました。サ師直屋敷の」
「アヽ来いよ、来いよ、来いよ。コレ」
「ネイ」
「コレ」
「ネイ」
「コーレ」
「ネーイ」
「其元は足軽ではなうて、大きな口軽ぢやの。何と太鼓持ちなされぬか。尤もみたくしも、蚤の頭を斧(よき)で割つた程無念なとも存じて、四五十人一味を拵へて見たが、味な事の。よう思うてみれば、仕損じたらこの方の首がころり、仕畢せたら後で切腹。どちらでも死なねばならぬといふは、人参飲んで首括る様なもの。殊に其元は五両に三人扶持の足軽」
「それはあんまり」
「サヽお腹は立てられな、お腹は立てられな、アハヽヽヽヽ。はつち坊主の報謝米程取つてゐて、命を捨てゝ敵討ちせうとは、そりや青海苔貰うた礼に太々神楽を打つ様なもの。我等知行ウーイ千五百石、貴様と比べると敵の首を斗升で量る程取つても釣り合はぬ、ヤ釣り合はぬ。所で、やめた」
「エヽ」
「ナ、聞こえたかえ、聞こえたかえ。とかく浮世は、コレ、コレ、かうした物ぢや、ツヽテン、ツヽテン、チンチンチンツンシヤン、なぞと弾きかけた所はたまらぬハヽヽヽヽ、ヤたまらぬですわいワハヽヽヽヽ」
「これは由良助様のお詞とも覚えませぬ。わづか三人扶持取る拙者めでも、千五百石の御自分様でも、繋ぎましたる命は一つ、御恩に高下(こうげ)はござりませぬ。押すに押されぬは御家の筋目、殿の御名代もなされまするお歴々様方の中へ、見る影もねえ私めが、差し加へてとお願ひ申すは、憚りとも慮外とも、ほんの猿が人真似。お草履を掴んでなり共、お荷物をヤツと担いでなり共参りませう。御供に召し連れられて、由良助様、御家老様、どうか御供に召し連れられて、これはしたり、寝てござるさうな」
「コレサ平右衛門、あつたら口に風邪ひかすまい。由良助は死人も同然、矢間殿、千崎殿、もう本心は見えましたか。申し合はせた通り計らひませうか」
「いか様、一味連判の者共への見せしめ。イザいづれも」
と立ち寄るを、
「ヤレ暫く」
と平右衛門、押し宥め、傍に寄り、
「つくづく思ひ廻しますれば、御主君にお別れなされてより、仇を報はんと様々の艱難。木にも萱にも心を置き、人の謗り無念をばぢつと堪へてござるからは、御酒でも無理に参らずば、これまで命も続きますまい。醒めての上の御分別」
と、無理に押へて三人を、伴ふ一間は善悪の、明りを照らす障子の内、影を隠すや、月の入る。山科よりは一里半、息を切つたる嫡子力弥、内を透かして正体なき父が寝姿、起こすも人の耳近しと、枕元に立ち寄つて、轡に代はる刀の鍔音、鯉口ちやつと打ち鳴らせば、
「お松、お竹は居らぬか。水を持つて来いよ、水を持つて来いよ、誰れも居らぬと見える。どれどれ、庭を降りてチト酔ひを醒ましてかうか、ウーイ。ヤア力弥か、鯉口の音響かせしは急用あつてか、密かに密かに」
「只今御台顔世様より急の御飛脚密事の御状」
「他に御口上はなかつたか」
「敵高」
「コリヤ、敵と見へしは群れ居る鴎、時の声と聞こへしは、浦風なりけり高松の。大きな声ぢや、密かに密かに」
「敵高師直、帰国の願ひ叶ひ、近々本国へ罷り帰る。委細の儀は御文との御口上」
「よし、よし。その方は宿へ帰り、夜の中に迎ひの駕篭。行け、行け」
「ハヽツ」
『ハツ』
とためらふ隙もなく、山科さして引返す。
「まづ様子気遣ひ」
と、状の封じを切る所へ、
「大星殿、由良助殿、斧九太夫でござる。御意得ませう」
「ヤこれは久しや久しや。一年も逢はぬうち、寄つたぞや、寄つたぞや。額にその皺伸ばしに御出でか、アノこゝな、筵(むしろ)破りめが」
「アヽイヤ由良助殿、大功は細瑾(さいきん)を顧みずと申すが、人の謗りも構はず遊里の遊び。大功を立つる基、天晴れの大丈夫、末頼もしう存ずる」
「ホヽウ、これは堅いわ堅いわ。石火矢と出かけた。さりとては置かれい、置かれい」
「イヤ由良助殿、とぼけまい。まこと貴殿の放埒は」
「敵を討つ術と見えるか」
「おんでもない事」
「ヤ忝い。四十に余つて色狂ひ、馬鹿者よ、気違ひよと、笑はれうかと思うたに、敵を討つ術とは。九太夫殿、ホヽ嬉しい、嬉しい」
「スリヤ其元は、主人塩谷の仇を報ずる所存はないか」
「けもない事けもない事。家国を渡す折から、城を枕に討死と言ふたのは、ありや御台様への追従(ついしょう)。時に貴様が、朝敵同然と、その場をついと立つた。我等は後に、かうしやち張つてゐた。いかいたはけの。所で仕舞は付かず、御墓へ参つて切腹と、裏門から、ヤこそこそこそ。今この安楽な楽しみするも貴殿のお陰。昔のよしみは忘れぬ、忘れぬ。堅みを止めて、コリヤ砕けをれ、砕けをれ」
「いか様、この九太夫も昔思へば信太の狐。クワイ、化け顕はして一献酌まうか畜生めハヽヽヽヽヽ。サヽ由良殿、久しぶりだ御盃」
「また頂戴と会所めくのか」
「差しをれ、飲むわ」
「飲みをれ、差すわ」
「ちやうど受けをれ肴をするわ」
と、傍に在りあふ蛸肴、挟んでずつと、
「手を出して、足を戴く蛸肴。忝ない」
と戴いて喰はんとする手をぢつと捕へ、
「コレ由良助殿、明日は主君塩谷判官の御命日。取分け逮夜が大切と申すが、見事その肴、貴殿は食ふか」
「食べるとも食べるとも。但し主君塩谷殿が、蛸になられたといふ便宜(びんぎ)があつたか」
「ム」
「エヽ愚痴な人ではあるぞ。こなたや俺が浪人したは、判官殿が無分別から。スリヤ恨みこそあれ精進する気、微塵もごあらぬ。御志の肴、賞翫(しょうかん)致す」
と、何気なもくたゞ一口に味はふ風情、邪智深き九太夫も、呆れて、
「サテこの肴では飲めぬ飲めぬ。鶏締めさせ鍋焼きさせん。其元も奥へ御出で。女郎共、歌へ、歌へ。足元もしどろもどろの浮拍子、テレツクテレツクツヽテンテン」
「おのれ末社共、めれんになさで置くべきか」
と、騒ぎに紛れ、入りにける。始終を見届け鷺坂伴内、二階より降り立つて、
「九太夫殿、子細とつくと見届け申した。主の命日に精進さへせぬ根性で、敵討ち存じも寄らず。この通り主人師直へ申し聞け、用心の門を開かせませうか」「成程、最早御用心に及ばぬ事」
「コレサ、まだこゝに刀を忘れて置きました」
「ほんに誠に。大馬鹿者の証拠、嗜みの魂見ませうかな」
「見ませう見ませう。ヤレ九太夫殿、貴殿は鞘の方をお持ちなされ。拙者は鍔のおかるの方を持つて、ヒイフウミツの拍子を以て抜きませう。それは宜しふござるか」
「宜しふござる」
「ヒイフウミツ」
「さて錆びたりな赤鰯」
「猫がおらいで仕合はせでござるわ、ハヽヽヽヽヽ」
「いよいよ本心顕はれ御安堵々々々。九太夫が家来、迎ひの駕篭」
『ハツ』
と答へて持ち出づる、
「サア伴内殿、お召しなされ」
「まづ御自分は老体、平に、平に」
「然らば御免」
と乗り移る。
「イヤナニ九太夫殿、承はればこの所に、勘平が女房が勤めてをると聞きました。ガ貴殿には御存知ないか、九太夫殿、九太夫殿」
と、言へど答へず
『コハ不思議』と
、駕篭の簾を引き開くれば、内には手頃の庭の飛石、
「コリヤどうぢや、九太夫は松浦佐用姫(まつらさよひめ)をやられた」
と見廻すこなたの縁の下より、
「コレ、コレ伴内殿、こゝでござる」
「九太夫殿、どこでござる」
「こゝでござる」
「どこでござる」
「こゝ」
「どこ、どこ、どこ。ヤコレハコレハ、九太夫殿には結構な所へ、御転宅召されたな」
「九太夫が駕篭抜けの計略は、最前力弥が持参せし書簡が心許なし。様子見届け後より知らさん。矢張り我等が帰る体にて、貴殿はその駕篭に引添うて」
「合点々々」
と頷き合ひ、駕篭には人のある体に、見せてしづしづ立ち帰る。

折に二階へ、勘平が妻のおかるは酔ひ醒まし、早廓馴れて吹く風に、憂さを晴らしてゐる所へ。
「ちよと往て来るぞや。由良助ともあらう侍が、大事の刀を忘れて置いた。つい取つて来るその間に、掛物も掛け直し、炉の炭もついで置きや。アヽそれそれ、こちらの三味線踏み折るまいぞ。これはしたり、九太はもふ去なれたさうな」
(父よ母よと泣く声聞けば、妻に鸚鵡のうつせし言の葉、エヽ何ぢやいなおかしやんせ)
辺り見廻し由良助、釣燈篭の明りを照らし、読む長文は御台より敵の様子細々と、女の文の後や先、参らせ候ではかどらず、余所の恋よと羨ましく、おかるは上より見下ろせど、夜目遠目なり字性も朧ろ、思ひ付いたる延べ鏡、出して写して読み取る文章、下屋よりは九太夫が、繰り下ろす文月影に、透かし読むとは、神ならず、ほどけかゝりしおかるが簪(かんざし)、バツタリ落つれば、下には
『ハツ』
と見上げて後へ隠す文、縁の下にはなほ笑壷、上には鏡の影隠し、
「由良さんか」
「おかるか。そもじはそこに何してぞ」
「アイ、わたしやお前に盛り潰され、あんまり辛さの酔ひ醒まし。風に吹かれてゐるわいな」
「ムウ、ハテなう。よう風に吹かれてぢやの。イヤかる、ちと話したい事がある。屋根越しの天の川でこゝからは言はれぬ。ちよつと下りてたもらぬか」
「話したいとは、頼みたい事かえ」
「マアそんなもの」「廻つて来やんしよ」
「アヽイヤイヤ、段梯子へ下りたらば、仲居が見つけて酒にせう。アヽどうせうな。アヽコレコレ、幸ひこゝに九つ梯子、これを踏まへて下りてたも」
と、小屋根に掛ければ、
「この梯子は勝手が違うて、オヽ恐。どうやらこれは危いもの」
「大事ない、大事ない。危ない恐いは昔の事、三間づゝまたげても赤膏薬も要らぬ年輩」
「阿呆言はしやんすな。船に乗つた様で恐いわいな」
「道理で、船玉様が見える」
「エヽ覗かんすないな」
「洞庭の秋の月様を、拝み奉るぢや」
「イヤモ、そんなら降りやせぬぞえ」
「降りざ降ろしてやろ」
「アレまだ悪い事を、アレアレ」
「喧しい、生娘か何ぞの様に、逆縁ながら」
と後より、ぢつと抱きしめ、抱き降ろし。
「何とそもじは、御覧じたか」
「アイ、いいえ」
「見たであろ、見たであろ」
「何ぢややら面白さうな文」
「アノ、上から皆読んだか」
「オヽくど」
「アヽ身の上の大事とこそはなりにけり」
「ホヽヽヽ、何の事ぢやぞいな」
「何の事とはおかる、古いが惚れた、女房になつてたもらぬか」
「おかんせ、嘘ぢや」
「サ嘘から出た真でなければ根が遂げぬ。応と言や、応と言や」
「イヤ、言ふまい」
「なーぜ」
「サお前のは嘘から出た真ぢやない。真から出た皆嘘」
「おかる、請け出さう」
「エヽ」
「嘘でない証拠に、今宵の中に身請けせう」
「イヤ、わしには」「間夫(まぶ)があるなら添はしてやろ」
「そりやマアほんかえ」
「侍冥利。三日なり共囲うたら、それからは勝手次第」
「エヽ嬉しうござんす、と言はして置いて、笑おでの」
「イヤ、直ぐに亭主に金渡し、今の間に埒させう。気遣ひせずと待つてゐや」
「そんなら必ず待つてゐるぞえ」
「金渡して来る間、どつちへも行きやるな。女房ぢやぞ」
「それもたつた三日」
「それ合点」
「エヽ忝うござんす」
「どりや、金渡して来うか」
(世にも因果な者ならわしが身よ、可愛い男に幾瀬の思ひ、エヽ何ぢやいなおかしやんせ。忍び音に鳴く小夜千鳥)
「アヽ騒ぐは騒ぐは。流石は花の祇園町、面白さうに歌いをるは。アヽ何とやら、ム、入相の鐘は廓の夜明けかな、とはよく言つたものだなアハヽヽヽヽ。ヤそれはさうと妹に逢ひてえもんだが。ム幸ひの女中、ちとお尋ね申さうは、この内へ山崎辺からかるといふ女が勤めに来て居る筈だが、お前には御存知ねえか」
「エヽ何ぢや知らぬが、用があるなら勝手へ往て問うて下さんせ」
「サア、さうは思つたが、勝手も何かゴタゴタと忙しさうだ。さう言はずと、御存知ならどうか教えてくれろ」
「エヽ知らぬわいな」
「これはしたり、すげねえ女だな、さう言はずとちよつと教えてくれろ、御女中、どうか教えてくれろ、わりや妹でねえか」
「お前は兄様、恥しい所で逢ひました」
と顔を隠せば、
「苦しうない、苦しうない。関東よりの戻りがけ、母人に逢うて詳しく聞いた。お主の為、夫の為、よく売られた。ムヽでかいた、でかしたナア」「さう思ふて下さんすりや、わしや嬉しい。したがまあ喜んで下さんせ。思ひがけなう今宵請け出さるゝ筈」
「それは重畳(ちょうぢょう)。シテ何人のお世話で」
「お前も御存知の大星由良助様のお世話で」
「何ぢや、由良助殿に請け出される。それは下地からの馴染みか」
「なんのいな。この中より二三度酒の相手、夫があらば添はしてやろ、暇が欲しくば暇やろと、モ結構過ぎた身請け」
「さてはその方を早野勘平が女房と」
「イエ、知らずぢやぞえ。親夫の恥なれば、明かして何の言ひませう」
「ムウ、すりや本心放埒者。お主の仇を報ずる所存なねえに極まつたな」
「イエイエ、これ兄様、あるぞえ、あるぞえ」
「あるとは何が」
「サア、高うは言はれぬ。コレ、かう、かう」
と、囁けば、
「待て、待て、待て待て、ソーレ」
「アー」
「ムウ、すりやその文確かに見たな」
「残らず読んだその後で、互ひに見合はす顔と顔。それからぢやらつき出して、つい身請けの相談」
「アノ、その文残らず読んだ後で」
「アイナア」
「ムウ、それで聞こえた。妹、とても遁れぬそちが命、身どもにくれよ」
と抜き打ちに、はつしと切れば、ちやつと飛び退き、
「コレ兄様、わしには何誤り。勘平といふ夫もあり、きつと二親あるからは、こな様の儘にもなるまい。請け出されて親夫に、逢はうと思ふがわしや楽しみ。どんな事でも謝らう、許して下んせ、許して」
と、手を合はすれば平右衛門、抜身を捨てゝ、
「可愛や妹、わりや何も知らねえな。親与市兵衛殿は六月廿九日の夜、人に切られてお果てなされた」
「ヤア、それはマア」
「コリヤ、びつくりするな、びつくりするな。まだ後にびつくりの親玉があるわい。われが請け出されて添はうと思ふ勘平はな」
「勘平さんは」
「その勘平は」
「勘平さんは」
「勘平は、勘平で、やつぱり勘平だわい」
「エヽ何の事ぢやぞいな。エヽ聞こえた、そんならあの勘平殿にはよい女房さんでも出来たのかえ」
「エヽイ、そんな陽気な事ちやねえわい」
「そんなら兄さん、勘平殿はえ」
「その勘平はな、腹を切つて死んだわやい」
「エヽ、オヽ、ムヽヽヽ」
「アヽ道理だ道理だ、その驚きは尤もだ。ガこれには、何だ、様子のある、アヽしまつた、コリヤ妹が目を廻した、てつきりさうであらふと思ふた。アヽ仲居衆、仲居衆、女郎が目を廻した、水を持つて来てくれろ、水を持つて来てくれろ。エヽ誰も居ねえと見える、幸いの手水鉢、アヽ水を今くれるぞ。ソーリヤ水だ。おかるやーい、妹やーい、気が付いたか、気が付いたか」
「オヽ兄さん」
「オヽ兄だ、平右衛門だ、面を見ろ面を」
「コレ兄さん、勘平さんはどうさしやんしたえ」
「チエヽ情けねえ、又尋ねるのかやい。その勘平はな、友朋輩の面晴れに、腹を切つて死んだわやい」
「ヤアヤアヤアそれはマアほんかいの。コレのうのう」
と取り付いて、
「コレ兄さん」
「ムヽ」
「どうせう」
「道理だ」
「どうせう」
「道理だ」
「どうせうどうせう、どうせうぞいなあ」
「尤もだわやい、尤もだわやい。様子話せば長い事、お痛はしいは母者人、言ひ出しては泣き、思ひ出しては泣き、娘かるに聞かしたら泣き死にかなするであろ、必ず言つてくれなとのお頼み。言ふまいとは思へども、とても遁れぬそちが命。サその訳は、忠義一途に凝り固まつた由良助殿、勘平が女房と知らねば請け出す義理もなし。ガもとより色にはなほ耽けらず、見られた状が一大事、請け出だし刺し殺す思案の底と、確かに見えた。よしさうのうても壁に耳、他より洩れてもその方が科、密書を覗き見たるが誤り、殺さにやならぬ。人手に掛けよりわが手に掛け、大事を知つたる女、妹とて許されずと、それを功に連判の、数に入つて御供に立たん。小身者の悲しさは、人に勝れた心底を、見せねば数には入れられぬ。聞き分けて命をくれ、死んでくれ、妹」
と、事を分けたる兄の詞、おかるは始終せき上げ、せき上げ、
「便りのないは身の代を、役に立てゝの旅立ちか、暇乞ひにも見へそなものと、恨んでばつかりをりました。勿体ないが父さんは非業の死でもお年の上。勘平殿は三十になるやならずに死ぬるのは、さぞ悲しかろ、口惜しかろ、逢ひたかつたであらうのに、何故逢はせては下さんせぬ。親夫の精進さへ知らぬは私が身の因果、何の生きてをりませう。御手に掛からば母さんがお前をお恨みなされましよ。自害したその後で、首なりと死骸なりと功に立つなら功にさんせ。さらばでござる兄さん」
と、言ひつゝ刀取り上ぐる、
「ヤレ待て暫し」
と止むる人は由良助、
『ハツ』
と驚く平右衛門、おかるは、
「放して殺して」
と、焦るを押へて、
「ホウ、兄妹共見上げた疑ひ晴れた。兄は東の供を許すぞ」
「ハヽア」
「妹はながらへて、未来への追善」
「サア、その追善は冥途の供」
と、もぎ取る刀をしつかと持ち添へ、
「夫勘平連判に加へしかど、敵一人も討ち取らず、未来で主君に言訳あるまじ。その言訳はコリヤこゝに」
と、ぐつと突込む畳の隙間、下には九太夫肩先縫はれて七転八倒、
「それ引き出だせ」
の、下知より早く平右衛門、朱に染んだ体をば無二無三に引き摺り出し、
「ヤア九太夫め、テ良い気味」
と引立てゝ、目通りへ投げ付くれば、起き立たせもせず由良助、髻を掴んでぐつと引き寄せ、
「獅子身中の虫とは己れが事。我が君より高知を頂き、莫大の御恩を着ながら敵師直が犬となつて、ある事ない事よう内通ひろいだな。四十余人の者共は、親に別れ子に離れ、一生連れ添ふ女房を君傾城の勤めをさするも、亡君の仇を報じたさ。寝覚めにも現(うつつ)にも、御切腹の折からを思ひ出しては無念の涙、五臓六腑を絞りしぞや。取り分け今宵は殿の逮夜、口に諸々の不浄を言ふても、慎みに慎みを重ぬる由良助に、よう魚肉を付き付けたな。否と言はれず応と言はれぬ胸の苦しさ。三代相恩の御主の逮夜に、喉を通したその時の心、マどの様にあらうと思ふ。五体も一度に悩乱し、四十四の骨々を砕くる様にあつたわやい。チエヽ獄卒め、魔王め」
と、土に摺り付け捻ぢ付けて、無念涙にくれけるが。
「ソーレ平右衛門」
「ヘーイ」
「喰らひ酔うたその客に、加茂川でナ」
「いかゞ計らひませう」
「水雑炊を喰らはせい」
「ハヽア」
「行け」
「ヤ、シテカイナ」


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