(TOP)          (戻る)

「菅原伝授手習鑑」・佐太村(賀の祝) 床本


茶筅酒の段

 別れ行く。春先は、在々の鋤鍬までが楽々と、遊びがちなる一物作り、一番村では、年古き人に知られし四郎九郎、律義一遍取り柄には菅丞相の御領分、佐太に手軽き下屋敷お庭の掃除承り、松梅桜御愛樹に培(つちか)ひ水の養ひも、根が物作りの鍬仕事、わが身の老木厭ひなく、幹を肥やしの百姓業、畑の世話より気楽なり。堤端の十作が、鍬打ちかたげ門口から、
「四郎九殿、内にか」
と這入るを見付け、
「コリヤ十作、畑へか」
「イヤ、今仕舞ふて戻つたりや嚊が言ふには、なにやら目出度い祝ひぢやてゝ、大きな重箱に眼へ入る様な餅七つ、朝茶の塩にも喰ひ足らねど、貰はぬよりは忝ない。礼も言ひたし、祝ひとはマアなんでござる」
「サイノ、菅丞相様のふつて湧いた御難儀。お下(した)に住むおらゝが身祝ひどころぢやなけれど、せにやならぬさかいでするはするが、世間へも遠慮があつて、彼岸団子程な餅七つづゝ配つたは、この四郎九郎、丁七十。この春年頭の御礼に上つた時おらが年をお尋ね、『七十』と申したりや、『古来稀な長生き。その上珍しい三つ子の父親。禁裏から御扶持下され、倅共は御所の舎人、めでたい/\。生れ月生れ日生れ出た刻限違へず、七十の賀を祝へ。その日から名も改め』とて、ノウ聞かしやれ、伊勢の御師(おし)かなんぞの様に、白太夫とお付けなされた。すなはち今日が誕生日、白黒まんだらかいは、掃き溜めへ放つて退け。今日から白太夫といふ程に、さう心得て下され」
「それは目出度い。ヤついでながら問ひましよ。三つ子生むと扶持下さる、その謂はれも聞かしやつたか」
「サイノ、死んだ嚊が生んだ時は辺り隣りの外聞。ひよんな事ぢやと思ふたがもつけの幸ひ。三つ子の父親一代は作り取りの田地(でんぢ)三反(だん)、コリヤコレ日本ばかりぢやないげな、唐までさうぢやてゝ。男の子なりや御所の牛飼ひ、女郎なれば東童(あずまわらわ)とやら、これも御所で遣はるゝ、法式は忝ないもの。旦那殿は流罪なれど、おらは所も追立てられず、下された田地はそのまゝ。そちの嚊も若い程に、産すならおらにあやかりや」
と話の中道(なかみち)、辿り来るは桜丸が女房八重、今日は舅の祝ひ日とて、風呂敷包み片手に提げ、
「嬉しや、こゝぢや」
と笠取れば。
「ホヽ桜丸が女房八重か、早かった/\。他の嫁御も揃ふて来るか。マア上つて抱へも解きや」
「アイ/\、まだ皆様はお出でないか。遅かろと気が急いて、淀堤から三十石の飛乗り。船の足の早いので草臥れもせず早よ来たが、仕合はせでござんする」
「コレ四郎九殿、お客さうな。もう去にましよ」
「エヽ四郎九郎とは物覚へがない十作。白太夫ぢや、忘りやつたか」
「イヤ、忘れはせぬわいの。餅の祝ひとは格別。名酒呑まねばいつまでも四郎九郎」「ハレヤレ、盛つた酒を呑まぬとは、但しはまだ呑み足らぬか」
「イエぬけ/\と嘘言ふわちよ。おらに酒何時盛つた」
「オヽ、さつきに盛つた。樽や徳利は目に立つ故、餅の上へ茶筅の先で、酒塩打つてやつたので、二度の祝ひは済んだぢやないか」
「エヽそれで聞こへた。嚊が酒臭い餅ぢやと言ふた。外へは遠慮でさうしやろと、おらは懇ろだけ。晩に来て寝酒一杯。お客、これに」
と、出でゝ行く。
「ハヽヽヽ、嫁女あれ聞きやつたか。今の世の人はきめごまかで、おらが始末の手目見付けて、晩に来て寝酒たべう。ハヽヽヽヽ、アヽせち賢い懇ろ振り」
「イヤまた、お前もあんまりな。聞きも及ばぬ茶筅酒、ホヽヽヽヽヽ」
「ハヽヽヽ」
「ホヽヽヽ」
「ハヽヽヽ」
「ホヽヽ」
「ハヽヽ......」
と嫁と舅の、睦まじさ。梅王松王兄弟の、女房が来る道草も、女子の手業笠に摘む込み、蒲公英(たんぽぽ)嫁菜(よめな)、枸杞(くこ)の垣根を目印に、
「サこゝぢやお春様、マア先へ」
「イヤ/\千代さんから」
と、相嫁同士が門での辞宜(じぎ)合ひ、白太夫をかしがり、
「エヽ一時に産んだ三つ子の嫁共、先の後のどころかい。八重が疾うから待つてゐやる。どちこちなしに這入れ/\、ヤ来た/\/\/\/\ハヽヽヽ」
「ほんに八重様早かつた。ござんする道なれば春が所へ誘ふても下さんしよかと、待つた程が遅なはつて心急きな道すがら、千代様に行き合ふて連れ立つて来る道悪戯(てんごう)。今日の祝ひのしたしにと、嫁菜蒲公英二人の仕事」
「それはよう気が付いた。春様誘ふ約束も、日足の長けたに気急きして、寄る事も忘れたに、お千代様とは良い出合ひ」「サイナ、お春様に逢ふたはわしが仕合はせ。賑やかな道連れ。それはそれぢやが親父様、料理の拵え出来てあるかへ」
「イヤ、出来てない。わご女たちにさす合点。こて/\とむづかしい事は要らぬ。今朝搗いた餅で雑煮しや。上置きはしれた昆布、隙の要らぬ様に茹でて置いた。大根も芋もそこにあろ。勝手は知るまい、ヤアえい、えい」
と立ち上れば、
「イヤ申し、今日の祝ひはお前が目当。料理方の出来るまで、なんにも構はずひと寝入りなされませ。勝手知らねど三人寄つて、なにもかも取り出だす」
「さうぢやてゝ立つたついで、棚な物下ろしてやろ。ドレ/\コヽこれ見や。祖父の代から伝はつた根来椀(ねごろわん)ぢや。折敷(おしき)も十枚、おらが息災なもこの椀折敷。コレ堅地(かたじ)なとて構へて、手荒う当るな嫁女達ハヽヽヽヽ。このマア倅共は何故遅い、来るまでにひと鼾」
と、体を横にさし枕、堅地作りの親父なり。
「コレ皆様。なんぼうあの様に仰つても雑煮ばかりでは置かれぬ。飯も焚かざなるまいし、なにはせいでも鰹なます。道草の嫁菜お汁によかろ。八重さん千代さん頼みます、この春は飯仕掛けう」
と、手ん手にまな板すりこ鉢、米炊桶(かしおけ)に量り込む、水入らずの相嫁同士、菜刀取つて切り刻み、ちよき/\/\と手品よく、味噌する音も賑はしゝ。白太夫目を覚まし、
「コリヤ倅共はまだ来ぬか。正月から知れてあるおらが祝ひ日。油断せう筈はないが、アヽこの中誰やら、オヽそれ/\。今去んだ十作が話には、時平殿の車先で三人の子供が大喧嘩。『聞いてか』と知らしてくれた。喧嘩の様子、嚊達は知つてゐよ。車先での事とあれば、時平殿に奉公する松王が女房。サ、こゝへ来て様子を言や」
と、名指しに合ふたは千代が迷惑。
「お祝ひ事の済むまでは、お前の耳へ入れぬがよいと、三人ながらその心。要らぬ事喋られて、隠されねば申します。梅王様桜丸様、二人の相手にこちの人、日頃の短気言ひ上つて兄弟喧嘩。したが、お気遣ひなされますな。三人ながら怪我もなく、その場はそれで済んだれども、もちやくちや言ふてゐられます。春さん、八重さん、お前方もさうであろ。気の毒な男の不機嫌」「成程々々、千代さんの言はんす通り、今日の祝ひを言ひ立てゝ、兄弟御の仲直し。親御のお詞、かゝらいでは」
と、男思ひの壁訴訟。
「エヽ、わごりよ達に問ふたら知れうかと思ふた喧嘩の筋、知つてゐても言はぬか。アヽ同じ胤腹、一時に生れた倅でも心は別々。よう似た顔を双子と言へど、それもそれには極まらぬ。女夫子もあり、又顔の似ぬ子もある。マア大概顔が似れば心もよう似て、兄弟の仲もよいものぢや、ガおらが倅共は誰が見ても、一作とは思はぬ。生ぬるこい桜丸が顔付、理屈めいた梅王が人相、見るからどうやら根性の悪さうな松王が面構へ。ヤ千代が傍で粗相言ふた、気に掛けてたもんな/\ハヽヽヽ。マア/\怪我がなうて嬉しうをりやる。怪我ついでに孫めはまめなか、連れて来て顔見せいで。ヤ、とかう言ふ中もふ七つぢや、俺が生れたは申(さる)の刻限、料理も大方出来たであろ。嫁たち膳を出さぬかい」
「アイ、アイ/\。刻限の過ぎるまで連れ合ひ衆はなぜ見へぬ。千代さん、八重さん、道まで往て見て来まいか。こゝで待つより三人ながら、ござんせ往かう」
「エヽイ嚊達何言ふぞい。子供共は来てゐるわい」
「エヽ来てぢやとはどこに」
「どこに」
「エヽ鈍な嫁共、そこにゐるを得知らぬかい。コレ三本のあの木が子供等。梅王、松王、桜丸、顔は残らず揃ふてある。アヽ勿体ない菅丞相様、くゝめる様に言はしやました。生れ日の刻限が違や悪い、祝儀には蔭の膳も据える習ひ。サア/\早く」
と白太夫が、言ふに猶予もなり難く、俄に盛るやら箸打つやら、椀の向ふの小皿にごまめ、
「まづ一番に親父様、これでお座りなされませ」
と、給仕はもとより習はねど、見馴れ聞き馴れ立ち振舞ひ、八重が配膳御所めけり。
「イヤ俺もあそこへ往こ」
「イヤ、土間では冷えが上ります。やつぱりこゝで」
と押しそなへ、これから面々夫の給仕膳を捧げて庭に下り、
「この梅の木が梅王殿。杖ぶりずんと日頃の気質」「八重が連れ添ふ男ぶり。木ぶりも吉野の桜丸」
「これは千代まで添ひ遂げる、女夫が中の若緑、色も艶々勢ひよい。松王殿で子達も揃ふ。サア親父様、目出度うお箸なされませ」
「アヽなされうとも/\。親がひに座が高い。子供どもヘ、ドレ挨拶」「ハテもふ、それには及びませぬ。お加減の冷めぬうち」
「イヤ/\お春、そふでおぢやらぬ。親でも子でも極まつた辞宜作法」
と、庭に下りるもまめやかに、樹の前に畏り、
「子供衆。何もござらずともよう参つて下されい。親が折角下りての辞宜、アヽコヽ辞宜返ししたうても動かれぬは知れてある。こゝで、こゝで、ここで。ハヽヽヽ嚊達、餅をかやいの」
と尻もちついて
「ハヽヽヽヽ」
悦び笑ひ。わが膳に押し直り、箸を取るより、
「アヽさて塩梅ぢや、旨い/\。三人の嫁女達、給仕も片意気せぬ様に、三杯は喰ふ合点で、おぢやらしまするぢやなんよへ。こりや、新しい三方土器、誰が持つて来ましたぞ」
「イヤそれは八重さんの」
「テ気がついて、忝ない。春もなんぞくれぬかい」
「ほんに忘れてをりました」
と扇三本袖土産。
「中の絵は梅松桜、お子達の数を祝ふて、三本ながら末広がり、目出度う祝ふてあげまする」
「コリヤめでたい忝ない。中の絵も話で知れた、あけて見るに及ばぬ、このまゝ/\。ハア戴きます」
と機嫌に千代が袂から、
「これは布(きれ)の有り合ひでわたしが縫ふた手づゝ頭巾(ずきん)。つむりに合はずば縫ひ直さう。お召しなされて下さんせ」
「アヽどれも/\不足もない、心付きなおくりやり物。サ、盃も済んだは。おれが膳からあげてたも。子供等が膳は盛つたまゝ、冷えたであろ。盛り直してコレ嚊達、二人前づゝ喰てたもや」
「イエ/\私達はまそつと待つて、主達が見へてから打並んで祝ひましよ」
「そんならそれよ。俺は村の氏神様へ参つて来ませう」「そんならお参りなされませ」「オヽ往きましよ/\。拵へて置いた十二銅、そこにあろ取つてたも。三本のこの扇、末広ふに子供の生先、氏神へ頼んだり見せたりせう。八重はまだ参るまい。ついでながら連れ立たう。サア/\こちへ」
と機嫌よう表を

喧嘩の段

 さして出でて行く。
「コレ千代さん、年寄らしやつても物覚えがよいこと。こなさんやこの春は氏神様知つてゐる。八重さんは今が初め」
「言はしやんすりやその通り。物覚えのよい親御に違ひ、物忘れする子供達。松王殿何故遅いぞ」
「こちの夫も何故見えぬ」
「但しは来ぬ気か」
「今日見えいでよいものかいな。それこそそこへ松王殿」「エヽこれ、女房を立ちそに立たして、刻限過ぎたを知らずかいのう」
「ヤアべり/\と姦(かしま)しい。時平様の御用あつてそれ終はねば動かれぬ。先へ参つてその訳言へと言ひ付けたを忘れたか。梅王、桜丸もまだ来ぬさうな。親父殿も内にござらぬ」
「サア、その親父様は八重様を同道で、もちつと先に氏神参り、兄弟衆はまだ見えぬ」
「ソレ見いな。遅いといふ俺は主持ち。梅王も桜丸も、主なしの扶持放され。用もない和郎達が遅いのがほんの遅いの。お春殿、そぢやないか」
と、詞の端にも残る意趣。梅王も日足は長ける急(せ)いて来かゝり突つかゝり、松王には顔振り背け、
「お千代殿、今日は大儀。コリヤ女房共、親人と桜丸、八重もこゝには何故ゐやらぬ」
「イヤ、今も松王様のお尋ね、桜丸様はまだ見えぬ。お二人は宮参り」
「ムヽ、桜丸はどうして来ぬな。アヽ、待ち兼ねる者は来いで、胸の悪い見とむない面構へ」
と、梅王に当てこすられ、松王が一徹短慮、
「あたぶの悪いねすり事、言ひ分あらば直きに言やれ」
「ム、なんのわれに遠慮せう。わが面構へを見る度々、ゲイ/\と、虫づが出るわい」
「ム、プハヽヽヽヽ、ハレ申したり腹の皮。この松王は生れついて涙もろい。桜丸やそちが様に、扶持放されの痩せおとがひ。ひだるからうと思ふてやるが、兄弟の誼(よしみ)だけ」
「ナニ、扶持放され。へヽ扶持放されと笑ふ奴が喰ふ扶持が碌な扶持かい。鉄丸(てつがん)を食すといへども心汚れたる人の物を受けずとは、八幡大昔薩の御託宣。心汚れた時平が扶持、ありがたう思ふはな、人でなしの、猫畜生」
「ヤア畜生とは、舌長な梅王。今一言言ふて見い」
「ホヽ、望みなら易い事。畜生、畜生、畜生々々、どう畜生」
「もう赦されぬ」
と松王丸、刀の柄に手を掛くれば、梅王も反り打ち返し、詰め寄り詰め寄る二人の女房、
「これはマアおとましい気が違ふたか松王殿」
と、千代が夫を抱き留むれば、
「七十の賀を祝ひに来て、親父様に逢ひもせず、反り打つてどうさしやる。祝ひ日に抜いてよいか、こちの人梅王殿」
と、刀の柄にしがみつく、女房春を取つて突退け、
「七十の賀でも祝ひ日でも、堪え袋の破れかぶれ、留め立てして怪我するな。コリヤ松王、遅れたな。女房が留めるを幸ひに、頬げたに似ぬ腕なしめ」
「オヽ、留めらるゝを幸ひとは、わが心に引き比べて松王には慮外の雑言。身が女房が留めたより、そちが女房が親にもまだとの一言。肝先へきつと当り、堪え/\、堪えたがもうたまらぬ。真剣の勝負は親人に逢ふての後、それまでの腹癒せに、砂かぶらさねば堪忍ならぬ。千代にこれを預ける」
と、両腰抜いて放り出し、裾引からげ身拵え。
「オヽ畜生めがコリヤよい了簡。桜丸が来るまでは松王が命松王に預ける」
と、同じく両腰放り捨て、
「刃物を渡せば血はあやさぬ。女房ども邪魔するな」
とつゝと寄つて縁より下へ踏み落とせば、早速の松王落ち様に諸足かけば梅王丸、真逆様に落ち重なり、掴み合ひ叩き合ひ、組んでは離れ、離れてはまた組合ひ、捻ぢ付け引伏せ蹴つ踏んづ、双方力も同い年、血気盛りの根比べ、千代と春とは二人の両腰、取られもせふかと気遣ひ半分、傍へも寄られず、
『ハア/\/\』
と、心をあせり気を揉み上げ、
「どちらが勝ちも負けもせず、叩き合ふたが二人の存分。梅王殿もふよいわいな」
「松王殿もう置かしやんせ。やめて/\」
と言ふをも聞かず、
「勝負つかでは無駄働き。投げてくれん」
と松王丸、嵩にかゝつて押す力、怯まぬ梅王突掛くる、肩先捻つてがつくりさせ、横に抱へる松の木腕、劣らぬ肘骨梅の木腕、絡みもぢつて押し合ふ力、双方一度にこけかゝり、凭(もた)るゝ拍子に桜の立木、土際四五寸残る木の上はぽつきりぐわつさりと、折れたに驚く相嫁同士、二人が勝負も破(わ)れ相撲、共に呆れて手を打ち払ひ、うろつく中へ早や下向、
「アレ、親父様のお帰りぢや、白太夫様の」
と言ふ声に、二人は肩入れ裾下ろし、腰刀差す間も

桜丸切腹の段

 あらず戻られし。年は寄つても怖いは親、上へも上らず犬蹲(つくば)ひ、
「今日の御祝儀、目出たい」
と、祝儀は述べても赤面し、塵をひねらぬばかりなり。親はほや/\機嫌顔、
「嚊達が先へ来て、七十の賀を祝ふてくれたで、今日の祝ひはさらりと仕舞ふた。知れてある刻限、遅いはなんぞ障りがあつて来ぬに極めた。梅王、松王、ようこそ/\来てくれた。コレ二嫁女(ふたよめじょ)達、煮くちたであらうが、雑煮祝ひはしてたもつたか」
と、折れた桜は見ながらも、
『誰が仕業ぞ』
と咎めもせず、叱るところを叱らぬ親、一物ありと知られたり。梅王丸懐中より、用意の一通取り出だし、
「祝儀済んで候へば私の所存の願ひ、これに書き付け候」と、親の前に差出だせば、松王もまた一通、「身の上の願ひこれにあり」
と、同じ所へ直せしは、言ひ合はせたる如くなり。白太夫打笑ひ、
「心安いは親子兄弟夫婦。かう並んだ中、願ひあらば口では言はいで、ぎつとしたこの書き付け。さらばおらもぎつとして、代官所の格で捌く」
と、願ひ書き手に取り上げ、つぶ/\読むも口の内、願ひは何やら聞こえねど、春と千代とは夫の心、知つてゐる筈跡先を、知らねば案じる八重一人、
「三人の兄弟諍(いさか)ひ、親父様お頼み申し、今日仲直しと言ひ合はした。千代さん、春さん、こりやなんぞい。何を言ふてもこちの人、桜丸殿ござららぬ故、心当てが皆違ふた。道で眩暈(けんうん)が起こつたか」
と、見えぬ男を案じるやら、二人の願ひも気にかゝり、小首傾け案じゐる。親父は二通読み仕舞ひ、
「コリヤ梅王、そちが願ひに旅へ立つ隙くれとは、ムヽヽ、推量するに他でもあるまい。菅丞相のござる島か」
「ハヽ成程々々、結構な御殿に引きかへ、埴生(はにゅう)の小屋の御住居。御用聞く人なければ、梅王下つて御奉公仕らん。身の御暇」
と申しける
「ムヽ、恩を知らねば人面(にんめん)獣心(じゅうしん)といふてな、顔は人でも心は畜生。島へ参つて御奉公がしたいとは、満更恩を弁へぬ畜生気は離れた心。コリヤヤイ、御台様や若君様、お変はりも遊ばされず、ござる所も知れた上、旅立ちの願ひぢやな」
「アヽイヤ、御台様はその以来御目にも掛からず、御座所も存ぜぬ。しかし、女儀の御事なれば若君様とはまた格別。菅秀才の御事は確かに」
と言はんとせしが、松王を尻目にかけ、
「確かに、所は存ぜねども、息災にござある噂」「ヤイ、馬鹿者。大切な菅秀才様、御息災なを聞いたばかり、御目にも掛からず在処(ありか)も知らず、それでおのれ、忠義が済むか。女儀の身と抜かしをる御台様は主ぢやないか。もつとも御不自由な配所のお住居、お傍へ参つて御用を聞く、躄(いざり)役の奉公はコヽこの白太夫がよい役ぢや。血気盛り奉公盛り、菅丞相の縁とあれば、根掘り葉掘り絶やさんとて、鵜の目鷹の目。油断はならぬ讒者の仕業。スハといふ時身を惜しまず、御用に立つ所存はなうて、躄役を願ふは、命が惜しいか敵が怖いか。旅立ちの願ひ叶はぬ/\、エヽ取り上げぬ」
と願ひ書き顔へ打ち付けて、はつたと睨む老ひの腹立ち、道理至極に梅王夫婦、誤り入つたる風情なり。
「ヤイ松王、そちがこの願ひを見れば、勘当を受けたいとな。ハヽヽヽ神武天皇様以来(このかた)、珍しい願ひぢやなアハヽヽヽヽ。不孝といはゞ例へのない奴、あんまり珍しい願ひなれば、聞き届けてくれるぞ」
と親の了簡、
「ハヽア、忝なし」
と悦ぶ松王勇み立ち、
「親子兄弟の縁を切る、所存も問はず赦されしは、この松王が主人へ忠義。推量あつての事なるべし」「ハヽヽヽヽ、いかさま口は調法な物ぢやなアハヽヽヽヽ。主人への道立て、ヘヽ臍(へそ)がくねるわい。コリヤヤイ、道も道によつてな、かう横に取つて行く道を、蟹(かに)忠義といふわいやい。甲(こう)に似せて穴を掘ると、勘当受くれば兄弟の縁も離れ、時平殿へ敵対はゞ、切つても捨てん所存よな。もつとも善悪の差別(しゃべつ)なく、主へ義は立つにもせよ親の心に背くをな、アヽアレ天道に背くといふわいやい。望み叶へてとらする上は、人外め、早や帰れ。隙取らば親子の別れ竹箒喰らはすぞ」
と、筋骨立てゝ怒る声、松王は思ひのまゝ、
「女房、来い」
と引立て行く、千代はさすがに親兄弟、名残りも惜しき相嫁の、顔を見る目も飽かれぬ涙、袂絞つて、出でゝ行く。
「ハレヤレ嬉しや、面倒な奴片付けた。ヤイ、そこな馬鹿者。御台若君の御行方、尋ねに往かぬか、失せぬか」
とこれも手強う決め付けられ、
「そんなら島へは」
「サヽ行く所へは俺が行くわい。エイ出て行け、行け」
を怖がるお春、
「八重さん後でよい様に、お詫言(わびこと)を」
と言ひ捨てゝ、夫婦は門へ白太夫は、唾(つ)を呑み込んで、奥へ行く。兄弟夫婦に引別れ、取り残されし八重が身の、仕舞ひもつかぬ物思ひ、門へ立ちそに待つ夫、思ひがけなき納戸口、刀片手ににつこと笑ひ、
「女房共、さぞ待ちつらん」
と、声にびつくり走り寄り、
「ヤア、何時の間にやら来たとも言はず、案じる女房を思はぬ仕方。兄弟衆の事について、親父様のお腹立ち。その場へは出もせいで、マアなんでこなさんは納戸の内に。エヽ、コレイナアコレ、訳を聞かして、聞かして」
と聞きたがるこそ、道理なれ。暫くあつて白太夫、はみだし鍔の小脇差、三方に乗せしほ/\と、出づるも老ひの足弱車。舎人桜が前に置き、
「用意よくば、疾く、疾く」
と、言ふに女房がまたびつくり、
「コリヤなんぢや親父様、桜丸殿、どふぞいなア。なんで死ぬのぢや腹切るのぢや、切らねばならぬ訳ならば、未練な根性さぎやしませぬ。こなさんが言はれずば親父様のたゞ一言。案じる胸を休めてたべ。お慈悲/\」
と、手を合はせ、泣くより他の事ぞなき。
「ヤア親人になに御苦労。これまで馴染む夫婦の仲、所存残さず言ひ聞かさん。某が主人と申すも畏れ多き斎世の君様。百姓の倅なれども、菅丞相の御不便を加へられ、親人へは御扶持方。御愛樹の松、梅、桜。兄弟が名に象り、松王、梅王、桜丸。ハヽ憚りありや、冥加(みょうが)なや。烏帽子子になし下され、御恩は上なき築地の勤め。三人のその中に、桜丸が身の幸ひ、人間の胤ならぬ、竹の園生(そのお)の御所奉公。下々(げげ)の下々たる牛飼舎人、勿体なくも身近く召され、菅丞相の姫君とわりなき中の御文使ひ。仕終せたが仇となつて、讒者の舌に御身の浮名。つひには謀叛と言ひ立てられ、菅原の御家没落。是非もなき次第なれば、宮姫君の御安堵を見届け、義心を顕はすわが生害。今朝早々こゝまで来て右の段々、生きて居られぬ最期の願ひ、聞き届けて腹切刀、親の手づから下されたわい、女共。われに代はつて御礼を申し、死後の孝行頼むぞ」
と、義を立て守る夫の詞、女房
『わつ』
と声を上げ、
「仇なる恋路のお仲立ち、親王様の御悪名。丞相様の流され給ふ、その言訳に切る腹なら、この八重も生きてはゐられぬ。私は残つて孝行せいと胴欲にもよう言はれた。それよりはまだ酷い、腹切る礼を申せとは、それがなんの礼どころ、無理な事言ふ手間で、一緒に死ねとコレ申し、女房の願ひ立てゝたべ。親父様の思案はないか。コレ、コレ/\俯(うつむ)いてばかりござらずとも、よい智恵出して下さりませ。夫の命生死(いきしに)は親父様のお詞次第、お前は悲しうござりませぬか。親の手づからこの三方、ハアヽ、腹切刀は何事ぞ」
と、恨みつ頼みつ身を投げ伏し、悶え焦がるゝあり様は、物狂はしき風情なり。白太夫顔ふり上げ、
「子に死ねといふ腹切刀、酷い親と思ふ言訳ではなけれどな。この暁(あかつき)はわが身の祝ひ、何時もより早う起き門の戸明くれば桜丸、『ヤレ早う来てくれた。徒歩(かち)ならば夜通し、但しは船か、マヽこちへ』と呼び入れて様子を聞けば、右の次第。白太夫づれが倅には驚き入つた健気者。留めても聞き入れず。今日の祝儀仕舞ふまで女房が来ても逢はしはせぬ。俺が出いと言ふまでは納戸の内に隠れてゐいと、一寸延ばしに命を庇(かば)ひ助けてよいか悪いかは、おらが了簡に及ばず。神明(しんめい)の加護に任さんと、祝儀にくれた扇三本。幸ひ絵には梅松桜。子供の行末祈る顔で、氏神の祠(ほこら)へ直し置き、信を取つて神籤(みくじ)の立願(りゅうがん)、桜丸が命乞ひ。中の絵は上から見えぬ三本のこの扇。『初手に桜を取らしてたべ、上らせ給へ』と再拝祈念。取り上げた扇開けば梅の花。南無三これは叶はぬ告げか。神の心を疑ふ神籤の取り直しはせぬものなれども、助けたいが一杯で、取り直す次の扇、今度も、今度も違ふてまた松の絵。頼みも力も落ち果てゝ、下向すりや折れた桜、定業(じようごう)と諦めて腹切刀渡す親。思ひ切つておりや泣かぬ、そなたも泣きやんな、ヤア」
「アヽ、アイ」
「泣くない」
「アヽ、アイ」
「泣きやんない」
「ア、アイ」
「泣くない」
「アイ......、アイナア」
「エヽ、泣きやんなやい」
「あれ聞いたか女房ども。桜丸が命惜しまれて、老人の心遣ひ。御恩も送らず先立つ不孝。御赦されて下されい。下郎ながら恥を知り、義のために相果つる」
と、三方取つて戴くにぞ、
「もうコレ今が別れか」
と、泣くも泣かれぬ夫の覚悟。白太夫目をしばたゝき、
「潔い倅が切腹。介錯は親がする。その刀、コレ、見やれ」
と、懐から取り出すは、願ひ込んだる鉦撞木、
「この刀で介錯すれば、未来永却迷はぬ功力(くりき)。利剣即是弥陀号」
と、撞木(しゅもく)を取つて打鳴らす、鉦もしどろに、
「なまいだあ、なまいだ。なまいだあ、なまいだあ、なまいだあ。なまいだあ、なまいだあ、なまいだ...」
念仏の声と諸共に、襟押し拡げ九寸五分、弓手(ゆんで)の脇へ突立つれば八重が泣く声打つ鉦も、拍子乱れて
「なまいだ、なまいだ、なまいだ/\/\...」
右の肋へ引き廻し、
「憚りながら、御介錯」
「オヽ、介錯」
と後へ廻り、撞木振り上げ、
「南無阿弥、陀仏」
と、打つやこの世の別れの念仏、九寸五分取り直し、喉のくさりをはね切つて、かつぱと伏して、息絶えたり。八重が覚悟もこの場を去らず、夫の血刀取り上ぐる、枳穀(きこく)の蔭より梅王夫婦、走り寄つて
「コリヤ何事」
と九寸五分もぎ取り捨て、親の前に畏り、
「先程帰れとありし時、表へは出でたれど、桜丸が来ぬ不思議と、丞相様の御秘蔵ありし、アレあの桜の折れたを詮議もなされぬ。かれこれ不審に存ずるから、裏より忍び立ち戻り、始終の様子は承つた。チエヽ是非に及ばぬあの樹と共に枯れし命の桜丸。兄弟の最期余所(よそ)に見て、親人の鉦鼓(しょうこ)に合はせ、女夫の者が忍びの念仏。あつたら若者殺せし」
と悔む夫婦も聞く親も、八重も死なれぬ身の繰り言、是非も涙に
「南無阿弥、陀仏」
と、鉦打ち納め。撞木と代はる杖と笠、白太夫は片時も早く、菅丞相の御跡慕ひ、島へ赴く現世(げんぜ)の旅立ち。桜丸が魂魄は、未来へ旅立ち。
「この亡骸、梅王夫婦頼むぞ」
と、八重が事までつど/\に、頼む詞の置土産。冥途の土産はたゞ念仏、
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀。南無阿弥陀仏、南無阿陀仏、南無阿弥陀仏」
南無あみだ笠打ちかぶり、西へ行く足、十万億土。亡骸送る親送る、生きての忠義死したる義臣、一樹は枯れし無常の桜、残る二樹は松王、梅王、三つ子の親が住み所、末世にそれと白太夫、佐太の社の旧跡も、神の、恵みと、知られける


(TOP)          (戻る)