(TOP)          (戻る)

「菅原伝授手習鑑」・道明寺 床本


杖折檻の段

 声残る。菅丞相の御別れ、対面ありたき覚寿の願ひ、流人預かる判官代輝国の用捨をもつて、河内の屋敷へ入り給へば、老いの悦び大方ならず、馳走の役人夜昼の、分ちも知らぬ忙しさ。立田前は船場にて、思はず逢ふたる苅屋姫、密かに伴ひ帰れども、家来も多くは知らぬがち、隠し置いたる小座敷の、襖をそつと押し開き、
「さぞ淋しからう精も尽ふ、顔見に来たいは山々なれど、さりとては何やかや用事の多さ。母様の傍離されねば得参らぬ。今がよい隙、誰も来ぬ、気晴らしに、サこゝへ」
と、心遣ひも姉妹の、姉の情を苅屋姫、一間を出づる、目は涙。
「斎世様に別れてより、段々お世話に預かる上、父上様にもお目に掛かりせめて不孝の申し訳、それも叶はぬものならばと、わが身の覚悟極めても、生みの母様覚寿様、今の母様都の弟、親王様の御事はなほしも忘れぬ得忘れぬ。心を推量してたべ」
と、嘆けば共に涙ぐみ。
「悲しいは道理、道理。さりながら、丞相様に逢はぬとて、短気なことなど構へて、思ひ出しても下さんすな。母様のお願ひ立つてこの屋敷に御逗留。どうぞ首尾を見繕ひ、母様のお耳へ入れ、お指図受けて、と余所ながら、口むしりかけて見たればな、こちの思ふた坪へはいかず、母様の堅くろしさ。お果てなされた郡領様に、少しも変はらぬ行儀作法。『わが産んだ子でも人にやれば、先こそ親なれこちは他人。それを親ぢやの娘ぢやと思ふは町人百姓の、訳をば知らぬ子に甘さ』と、幸先(さいさき)悪い訴訟もならず、ほかの事に言ひ紛らし、その場は済んでも始終が済まぬ。お宿申すも今日で三日、時化(しけ)空も吹き晴れて、下り日和に直つた、と船場から注進故、今宵八つがお立ちとて、輝国殿の旅宿より知らせによつてお立ちの用意。今やなんどと思ひの外、手詰めになつたがどうしてよからう。膝とも談合コレ泣かずと、よい知恵出して下さんせ」
と、取つゝ置いつの胸算用。後にすつくと宿祢太郎、
「よい分別者(ふんべっしゃ)、これにあり」
「ヤア、太郎様、いつの間に」
「ムヽ『いつの間に』とはコレ立田、連れ添ふ男の目を抜いて、こつそりと取り込んで大それた身の上話。苅屋姫はそなたが妹、藁の上から養子の子細、知つてはゐれど京と河内。武家と公家とは位も格別、菅丞相の伯母風吹かし、婿めかしても、いつかなめかれぬ位負け。名ばかり聞いて逢ふたは今、ヤてんと御器量。斎世とやら様とやらが、うつゝ様にならしやつたも道理ぢや、道理ぢや。姫の顔見ぬ先は、おれが女房は楊貴妃ぢや、と思ふたが、較べて見れば無(む)楊貴妃。そなたの名も変へねばならぬ」
「ソリヤまたなんとへ」
「ハテ知れた事、お次の前」
「エヽ、ずは/\と出放題、母様へも隠してゐる。この訳なんとも言はしやんすな」「それは気遣ひし給ふべからず。明日のお立ち知らされし輝国の旅宿へ参り、この間御逗留心遣ひの一礼申し、いよ/\刻限相違なく、一番鶏の鳴くのが合図。『申し合はせに往て来い』と覚寿の言ひ付け。只今参る道でよい思案が出たら、コレ戻つて言はう、お次の前」「アレ、まだじやら/\悪戯口」「オツト閉口、往て来う」
と、表の方へ出でゝ行く。後を見やりて苅屋姫、
「あなたがお前のお連れ合ひ、身の上の事に取り紛れ、御挨拶も得申さぬ」
「アヽコレ、挨拶はいつでもなる事。こちの願ひは延ばされぬ。アヽどうがな」
と案じ煩ひ、
「オヽそれ/\、所詮母様に言ふたとて、埒のあかぬは知れてある。連れ合ひも留守、母様もお傍にござらぬ折柄なれば、お前を私が連れて往て、叱られうがどうならうが後は儘いな、サ、こなたへ」
と姫の手を取る後より、
『不孝者、どつちへ行く』
と、襖ぐはらりと母の覚寿、杖振り上げて飛びかゝるを、立田は
『ハツ』
と抱きとめ、
「お前に明けて言はなんだ、隠したお腹が立つならばこの立田、打ちも擲きもなされませ。この中も宣はぬか、人にやればわが子でないと仰しやつての折檻は、母様とも覚えませぬ。丞相様の御秘蔵姫、杖棒当てゝよいものか。サア自らを/\」
と姫に代はつて身を厭はず
「イヤ、お前に科はない、不孝な自ら打ち給へ」
と、立田を押し遣る杖の下、
「イヤ/\、お前は打たされぬ」
「イヽヤ、こな様は」
と折檻の、杖を争ふ姉妹(おとどい)思ひ。老母は猶も怒りの顔色、
「コリヤ立田、おりや他人には折檻せぬ。養子にやつた丞相殿は俺が為には甥の殿、子にやつた姫は甥孫。親も赦さぬいたづらして、大事の、大事の甥の殿、流され給ふは誰が業。憎ふて/\、コレこの杖折れる程擲かねば、丞相殿へ言ひ訳立たぬ。六十に余つて白髪頭、連れ合ひに別れた時、剃るを剃らさぬ立田前、尼になつては頼りがない、力がないと留められて、法名ばかり覚寿と呼ばれ、邪魔に思ふたこの白髪。今日といふ今日役に立つ、た。頭を剃つて衣を着れば、打擲の杖は持たれぬはい。傍杖(そばつえ)望む立田から」
と走り寄つて、ちやう/\/\、打たるゝ姉妹打つ母も、共に涙の荒折檻。
『アヽコレ/\伯母御前、卒爾(そつじ)の折檻し給ふな。斎世の君の御不憫ある、娘に疵ばし付け給ふな。父をゆかしと慕ひ来る、苅屋姫に対面せん。これへ伴ひ給はれ』
と、障子の内より丞相の、御声高く聞こゆるにぞ、老母は杖をからりと投げ捨て、
「わつ」
と叫んで伏し転び、暫し答へもなかりしが。
「生みの親の打擲は、養ひ親へ立つる義理。養ひ親の慈悲心は、生みの親へ立つる義理。あまき詞も打擲も、子に迷ふたる親心、逢ふてやるとは姫よりも母が悦び、詞には言ひ尽されぬ。アヽ結構な親持つた」
『持つた、持つた』
と目に持つた、涙の限り声限り、二人の娘は
「何事もお慈悲、お慈悲」
とばかりにて、泣くよりほかの事ぞなき。
「コレノウ、こゝから礼を言はうより、来いとあればいざ傍へ」
と、隔ての襖押し明くれば、菅丞相は見え給はず、逗留の中作られし、主の姿の木像ばかり。
「コハそもいかに」
と苅屋姫、
「逢ふてやらうと宣ひしは、母様の折檻を留めんため。とにかく不孝な自ら故、お逢ひなされて下されぬか。今物を仰つたは父上に違ひはないに、木で作りし父上様が但しは物を宣ひしか、又はどこぞへ隠れてか」
と、立つて見居て見、うろ/\/\、
「ノウ騒がしや苅屋姫、丞相の逗留中、御馳走申すは奧座敷、こゝへは余程間数も隔たり、先程声のかゝつた時、『こゝへはどうしてござつた』と思ひながら、嬉しさに弁へなく、見ればこの木像ばかり。ついでながら苅屋姫、話して聞かさう。逗留の中に主の像、描いてなりとも作つてなりと、伯母が形見に下されと、願ふた日から取りかゝり、初手(しょて)に出来たは打ち割り捨て、二度目に作り立てられしを、同じくこれも打ち砕き、三度目にこの木像作り上げて仰るには、前の二つは形ばかり、精魂もなき木偶人(もくぐうじん)。これは又丞相が、魂残す形見とて、下されし主の姿。物を言ふまいとも言はれず帝への恐れあれば、逢ひたうても逢はれぬ親子。木とな思ひそ苅屋姫、物仰つた父上に、逢やつてさぞ嬉しかろ、母も本望遂げました」
と、親子三人悦びの中へのさ/\立ち帰る、太郎が父親土師兵衛、
「覚寿、これにをはするか。お客人のお立ちも明朝、出立の拵へさぞ取り込み。役に立たずと御見舞ひ申し、手伝ひでも仕らうと、参りがけに輝国殿の旅宿へもちよと付け届け。倅が幸ひをり合せ、用意も大かた出来たと聞き、まづは大慶。とかうする内もう暮相(くれあい)、ひとまづ帰つてお立ちの時分、又参るのも老足なれば、お邪魔ながらこれにをろ。心遣ひなし下されな」
「兵衛殿の義理々々しい、嫁子のところは内同然、断りに及ぶことか。用があらば遠慮なく仰つたがよいわいの。刻限まではコレ立田、そなたの部屋にお寝間を取りや。後程お目にかゝらん」
と、姫を連れ立ち入り給へば。後は親子が小声になり、
「コリヤ、道々諜(しめ)し合はした通り、太郎ぬかるな」
「気遣ひなさるな親人」
と、奧と部屋とへ別れ行く、座敷々々は燭台照らし、今宵限りの御奔走、とりどり騒ぐ

東天紅の段

 ばかりなり。土師兵衛は一間より、そつと抜け出で前栽(せんざい)の、勝手覚えし切戸口、錠捻ぢ切つて押し開けば、外から合図の挟箱、差し出す中間徒士(かち)若党、
「コリヤヤイ、言ひ付けた人数の装束、丞相を迎ひの張輿、スハと言ふ時(とき)間に合はせ」
と、家来共先へ帰し挟箱引抱へ、月影漏るゝ木の間木の間、うそ/\窺ふ同腹中。
「親人お首尾は」
「コリヤ。シイ」
「件の物は参りしか」
「倅、気遣ひ仕るな、コリヤこの中に計略のかの一物、大事の談合、サヽこゝへ/\」
と大庭の、池の辺りで囁く親子、宵から素振りに気を付けて、宿祢太郎に目放しせず、立田前が物陰より、聞くとも知らず宿祢太郎、
「先程お聞きなさるゝ通り、判官代輝国、迎ひに参るは八つの上刻。時平公よりお頼みの菅丞相を殺す工面、贋物仕立て迎ひと偽り、受け取つて途中でぐつとは言ふものゝ、一番鶏(どり)が歌はねば、姑の片意地、名残惜しんで渡されまい。八つ鶏の鳴かぬ先に宵鳴きする鶏、これにあるか」
と、挟箱より取り出だし、
「ホヽウ皮膚の好い白相国(しろしょうこく)、とかうする内もう夜中。一調子張り上げ存分に歌うてくれ、一声(ひとこえ)聞かねば落ち着かぬ。サア鳴け、鳴け、エヽ鳴けやい。親人、何故鳴きませぬの」
「アヽイヤ、その分では鳴かぬ筈。宵鳴きは天然自然、極めては鳴かぬもの。それを鳴かすが秘密事。大竹の中へ煮え湯を入れ、その上に留まらすれば、陽気の廻るを時節と心得時を作る。留まり竹も挟箱に入れて来た。台子(だいす)の湯もたぎつてあろ。釜口そつと取つて来い」
「ホヽウ、取つて来るは易い事。ガ湯を仕掛けても鳴かぬ時は」
「テぐど/\。鳴かぬ時は又分別」と親子が巧み、「南無三宝一大事、先へ廻つて母様へお知らせ申して。イヤさうしては、イヤ、言はいでは又こちらが、言ふてはあちらがこちらが」
と、心迷ひし胸撫で下ろし。
「宿祢様、太郎様はいづくに」
と、尋ぬる声に
『ハツ』
と二人が廃忘(はいもう)怪顛(けでん)、鶏隠す挟箱、あたふた閉めて、さあらぬ風情、
「ヤア事々しう呼び立つるは、なんぞ急な用でもあるか。さもない事なら無遠慮千万。親人もこの宿祢も、肝に堪えてびつくりした」
と、言ふ顔つれづれ打ち眺め、
「お前方のびつくりより、わしにびつくりさゝしやんした。聞こえぬ連れ合ひ舅君、贋迎ひを拵えて、菅丞相様殺さうとは、あなたになんぞ恨みがあるか。但しは、時平に頼まれし、欲には馴染みの女房も捨て、母様の義理も思はずか。お前は捨つてる心でも、わしや得捨てぬ太郎様、コレ申し親父様、思ひ留まつて下さりませ」
と、舅を拝み夫を拝み、声も得立てぬ貞女の思ひ、涙、操を顕はせり。兵衛は宿祢に目配せし、
「イヤハヤ、親身の異見に逢ふて、親も倅も面目ない。向後(きょうこう)心改める。嫁女、この事聞き流しに」
「アヽ勿体ない。聞き流さいでもよいものか。御得心とあるからは、この世ばかりか未来迄、変はらぬ夫婦舅君、まだ如月(きさらぎ)の余寒も激し。炬燵に膚(はだえ)温め酒、一つ上げたいサアお出で」
と、先に立田が
「ソーレ、ソレ、ソレそこを」
心得太郎が後袈裟、肩先四五寸切られながら、振り返つて掴み付き、
「エヽコレ人でなし、卑怯者。一人の手にも足らぬもの、欺し殺しが本望か。女の義理を立て過ごし、悔しや無念」
と罵る声、
「おとぼね立てな」
と宿祢が下着、褄先口へ押し込み捻ぢ伏せ肝先ぐつと、一抉り。兵衛は前後に心を配り、
「倅、息は絶えたか」
「気遣ひ召すな、只今、と、ゞ、め。さて、この死骸は」
「問ふに及ばぬこの大池、骸を浮かさぬ手ごろの石、袂や帯に括り添へ、深みへやれ」
と二人して、投げ込む死骸は紅の、血汐に染むる池までも、立田が名をや流すらん。
「コレ親人、これはこれでも済まぬは鶏。台子の湯を取つて参らう」
「太郎、それにはもう及ばぬ。鳴かす仕様は身共に任せ」
と、武士の嗜む懐中松明(たいまつ)手ばしかく灯し立て、池の中へ明りを見せ挟箱の蓋あをのけ鶏を上に乗せ、浮かめる池の水の面、刀の鐺(こじり)差し延ばす、腕一杯に押し遣れば、動かぬ水も夜嵐に立つや小波のうねりにつれ、半段ばかり、流れ行く。
「ハヽヽヽヽヽヽ、親人何をなさるゝこと、挟箱の蓋を船にして、子供のする業(わざ)おとなげない、あれが、あれが、あれがなんの役に立つハヽヽヽヽヽヽ」
「コリヤ」
「ム、ハヽヽヽヽヽ」
「若い、若い。訳を知らずば言ふて聞けう。惣別(そうべつ)、渕川へ沈んで知れぬ死骸は、鶏を船に乗せて尋ぬれば、その死骸の在り所で時を作る。鶏一徳思ひ出し、池へ沈めた立田が死骸、今一役(ひとやく)に立てゝ見る、旨い手番(てつが)ひ。拍子まんが直つて来た。アレ/\太郎、羽叩きするは死骸の上か。そりやこそ鳴いたは東天紅(とうてんこう)」
「アリヤまた歌ふは東天紅(とんてんこう)」
八つにもならぬ宵鳴の声冴えかへる春の夜や、庭木の塒(ねぐら)に羽叩きして、一鶏(いっけい)鳴けば万鶏(ばんけい)歌ふ、函谷関(かんこくかん)の関の戸も開く心地に親子が、悦び。「これから急ぐは菅丞相、迎ひの拵え気が急く」と、兵衛は出て行く切戸口、宿祢太郎は巧みの仕残し、だめを

丞相名残の段

 聞かして入りにけり。
『はや刻限ぞ』
と御膳の拵え、銚子土器(かわらけ)熨斗(のし)昆布、腰元共に島台持たせ、伯母御、座敷へ出で給ひ。
「百日千夜留めたりとも、別るゝ時は変はらぬ辛さ。この上頼むは御免の勅諚、帰洛を待つのこの島台、行末祝ふ熨斗昆布」菅丞相もこの間、心遣ひの御一礼、互ひに尽きぬ御名残り。宿祢太郎罷り出で、「御立ちの刻限とてはや門前まで迎ひの官人、判官代輝国は路次(ろし)の用心辻固め、只今旅宿を立ち申され、輿舁の官人に譜代の家来をあひ添へられ、只今これへ参上」
と、怪しの張輿舁き入れて、
「時刻移る」
とせり立つる。菅丞相は悠々と、大広間より出でさせ給ひ、輿に召すまで見送る老母、人前作つてにこ/\と、泣かぬ別れぞ哀れなる。宿祢太郎も御見立て、門送りして立帰り、
「ヤレ/\嬉しや仕廻ひがついたぞ。覚寿様もお気休め、寝間へござつて」
「イヤ、寝たうても寝られぬわいの」
「ハア、寝られぬ、とは御気色でも」
「アレまだいの。客を立てゝ嬉しいと、一道(ひとみち)な婿殿の悦び。一つ屋敷にゐながらの暇乞ひも得せいでの。苅屋姫が悲しかろ、人の逢ふのもけなりかろと、かけ構はぬ立田さへ、それでわざと呼び出さなんだ。が、機嫌よう立たしやつたを悦びにはなぜ来ぬぞ。ソレ誰ぞ往て見てこい」
と、言ふにきよろつく宿祢太郎、腰元共は、立ち戻り。
「奧にござるは苅屋姫只お一人、立田様はござりませぬ」
「なんぢやゐぬ。内を離れてマどこへ往きやろ。今一度見て来い。座敷の隅々かぐれ/\、尋ね/\」
と吟味の厳しさ。提灯手ん手に若党中間、幾人あつても行き届かぬ、花壇築山(つきやま)手分けして、尋ぬる奥の池の端、柴に溜つた生血を見つけ、
「ヤ、コリヤ/\この血の流れ込む、池を捜せ」
と声々に、水心得た奴共、飛込み/\水底より、かづき上げたる立田が死骸、驚き騒ぐ家内の騒動。太郎は鼻も動かさず、
「殺した奴は内にあろ、詮議済むまで門打つて、家来共動かすな」
と、喚(わめ)き散らせば母覚寿、姫もかしこへ転び出で、
「コハ、誰人の仕業(しわざ)ぞや。先からお顔を見なんだは、伯母様のお傍にと、思ひ設けぬこの死骸。父上には生き別れ、お前には死に別れ。時も変らず日も変らず、悲しさ辛さ一時に、かゝる例もあることか」
と、老母に取り付き、悔み泣き。
「オヽ道理、道理。そなたはおれが傍にと思ひ、おれはそなたが傍にゐると、思ひ違ひが娘が不運、母が因果でおぢやるわ」
とかつぱと伏して正体なし。太郎傍へ立ち寄つて、
「涙が死人のためにはならぬ。女房共への追善には、殺した奴を引張り切り。これにて詮議仕らん」
と縁端に、大胡座(あぐら)。
「男女に限らず家来の奴ばら、片端から詮議するぞ。マアとつ付きにをる宅内め。身が前へ、出あがらう」
「ナイ、ナイ、ナイ/\/\」
と御前に、かつ蹲(つくば)ひ、
「エヽ人は知らず、拙者めに御疑ひはござない筈。お死骸を取り上げた御褒美を下されうで、一番にお呼び出し。忝ない儀で、ごはりまするで、ナイ、ナイ/\/\ごはります」
「ヤア禍々(まがまが)しい褒美とは、横着者め。コリヤ、立田が死骸池にあるを、汝はどうして知りをつた。サ、それ吐かせ」
「アヽイヤ、アノ尻も頭も見やう筈はごはりませぬ。池の深みへ芝から伝ふた血を証拠に」
「ヤアぬかすな。提灯の灯明りで、それがそれと知れるものかい。うぬが殺して沈めた池、ほかの者がどうして知らう。ハア血の分では言訳立たぬ」
「イヤ、これはお旦那無理仰る。言訳立たうが立つまいが、池が血へ流れ込んだ、その他は存じませぬ」
「ヤア池が血へ流れたとは、血迷ふてナヽヽなにほざく。きやつ詮議場で水くらはせ白状さする。ソレ、引立て」
と、宿祢も続いて立つところを、老母押し止め、
「イヽヤ、責めるに及ばぬ詞のてんでん。アヽ嬉しや娘の敵が、知れたわいのう」
「ハア、『責めな』とは天晴れお目高。科極まつた罪人、女共へ手向ける成敗大袈裟に打ち放す。腕を左右に引張れ」
と、刀引提げ立ち寄る宿祢、
「イヤコレ婿殿、成敗は常の科人、袈裟に切つてはたゞ一思ひ。苦痛させねば腹が癒ぬ。娘の敵初太刀(しょだち)はこの母。後は婿殿、刀を借る」
と、甲斐々々しくも褄引上げ、向ふ目当ては奴にあらず、油断太郎が弓手(ゆんで)の肋(あばら)、突込む刀に宅内は、命拾ふて逃げて行く。宿祢太郎は急所を刺され、もがき苦しむ息の下、
「身共になんの科あつて、ム、老いぼれめが」
と言はせも果てず、
「ヤア覚えないとは言はさぬ/\。わが科を人に塗り、成敗をして見せだて、裾ばせ折つた下着の褄先切れてある。その切れはコリヤ、立田が口に。サ声立てさせぬ無理殺し、歯を噛みしめ放さぬ褄先、切つたことを打ち忘れ、おのれが科をおのれが顕はす極重悪人。死骸の前で敵を取る、母が娘へ手向けの刀、肝先へこたへたか」
と、大の男を仕留める老女、さすがに河内郡領の、武芸の形見残されし、後室とこそ知られけれ。やゝ時移れば
「判官輝国只今これへ御出で」
と、家来が申すに老母は驚き、
「丞相は先程お立ち、誰を迎ひに。心得ぬことながら、この方へ通しませい。苅屋姫は奧へ行きや。こいつはマちつと、苦痛をさす」
と、刀をそのまゝ、身体押し退け出で迎へば。輝国も早や入り来り、
「御迎ひの刻限、御用意よくば早や御立ち」
と申す詞の先折つて、
「イヤコレ輝国殿、何仰る。丞相の迎ひには、そこの家来が先程見へ、受け取つて帰られたはもう、一時も前のこと」
「ヤ、コレ/\伯母御、身が家来に渡したとはかたがた以て心得ず。鶏の声に刻限はかり、只今鳴いた旅宿の鶏、八つに参る迎ひの約束。家来と言はうが、じきに身共が参つたとて、刻限も来たらず鶏も鳴かぬ先、『渡した』と言ふては済むまい。船がゝりのその間、伯母御に逢はすはこの輝国が情の容赦。今日の今になつて、名残りも一倍島へはやらぬ、『渡した』と言へばそれで済むと、鼻の先な女子の了簡、菅丞相の仇にこそなれ為にはならぬイヤサコレ、偽りな申されそ」
「イヽヤ、偽りは申さぬ。庭で鳴いた鶏の声、そこへござつた迎ひの衆、渡したに違ひはない。が、受け取らぬと仰るので、娘が最期、婿めがあの様。思ひ合はせばさつきに来たは、贋迎ひ」
「ヤコレ/\伯母御、内の騒動死人のある上、贋迎ひ嘘ではあるまい。讒者(ざんしゃ)共の仕業であらう。一時違へば三里の遅れ、追付いて取り返さん」
と急きに急いて駆け出す輝国、
『ヤア/\判官、まづ待たれよ。菅丞相はこれにあり』
と、一間より出で給ふ、覚寿はびつくり、
「さつきに別れた菅丞相、そこにはどうして、ム、マどうして」
と、不審の立つも道理なり。判官輝国打笑ひ、
「ぬけ/\とした伯母御の偽り、暫時の仰天。丞相これにましませば、輝国が安堵々々。見へ渡つたこの御難儀、訳も聞きたし、力になつて進ぜたけれど、私ならぬ警固の役目。早や刻限も移りぬれば、いざ御立ち」
と勧むるところへ、
「先程見へた警固の役人、たつた今門前まで」
「なんぢや警固が。テよい所へ戻られた。嘘吐かぬ覚寿が証拠、これへ通し輝国殿へ見せませふ」
「アヽイヤ、身が名をかたつた贋役人、直に逢ふては悪しかるべし。忍んで様子を窺はん」
と、丞相諸共一間の障子、引立て内に隠れゐる。輿に先立つ警固が大声、
「コレ/\老母、輝国の名代とけ侮り、とでもないもの身共に渡し、ようぬつけりさゝれたの」
「これは迷惑、菅丞相を受け取りながら、『とでもない』とは何仰る」
「アレまだぬつぺり。丞相は丞相でも、木で作つたはこつちに要らぬ、肉付の菅丞相、替へる気で持つて来た木像、コリヤこの輿に」
と言ふに覚寿も心付き、
「エヽ忝ない。さては魂を込められし木像であつたかい。猶も証拠を見届けん」
と心の悦び、押し隠し、
「こなたの言ひ分合点がいかぬ。その木像見せさつしやれ」
「オヽ、しやちこばつた荒木作り。サア、今見せう」
と開ける戸の、輿に召したは木像ならぬ優美の姿菅丞相、につこと笑ふて立ち出で給へば、警固は
『ぎよつ』
と呆れ顔、覚寿も違ひし心当て、
『障子の内』
と今見る姿、心どぎまぎ疑ひながら、
「アヽよう戻して下さつた。碓かに伯母が受け取りました」
「ヤアどこへ/\。そりやならぬ、ならぬ、とは言ふものゝ、連れて帰つて見たのは木像、『すり替へられた』と気がついて、替へに戻つたこゝではほんの菅丞相。おらが目の悪いのか、見所によつて変はるかい」
「イヤ、変はらうが変はるまいが、戻された菅丞相、いざこなたへ」
と立ち寄る覚寿、
「ヤア野太い」
と突き飛ばし、丞相を又輿に乗せ、戸を引立てゝ家来に向かひ、
「コリヤ、わいらも様子を見る通り、いかにしても怪しい事共。この分では帰られず。念のため家捜しする」
と、踏ん込む先に宿祢太郎、半死半生のた打つ苦しみ、「南無三宝、太郎様が切られてござる、旦那、旦那」と呼ぷ声に、警固の中から親兵衛(ひょうえ)、前後も更に弁へず、走り寄つて引き起し、
「コリヤ/\倅、この深手はドヽヽヽどいつが仕業、相手を知らせ」
と気を急いたり。「ノウ兵衛殿、相手は姑、アヽわしが手にかけた」
「ヤア婿を手にかけ落ち着き自慢、何科あつて身が倅を」
「ヤアとぼけさしやんな、あひやけ殿。そいつが立田を殺した時、こなたも手伝ひしやろがの。娘の敵切つたがなんと。贋迎ひの棟梁殿、なにもかも顕はれ時、さつぱりと言ふた、言ふた」
「エヽ残念々々、倅めが出世を思ひ、時平公に一味して菅丞相を殺さんため、鶏に宵鳴きさせ、十が九つ仕終せた兵衛が手だて。腐り婆めに嗅ぎ出だされ殺された倅が敵、覚悟ひろげ」
と飛びかゝるを
「ヤア、さはさせじ」
と判官輝国、小蔭より顕はれ出で、覚寿を囲ふて突立つたり、
「ヤア、どなたが出てもびくともせぬ。兵衛が巧みの破れかぶれ、死物狂ひの働き見よ」
と、切つてかゝればかいくゞり、持つたる刀踏み落とし、利腕(ききうで)掴んで引つくりかへし、足下に踏み付け大音声(だいおんじょう)、
「ヤア輝国が家来共、贋者めらを片端から、括れ/\」
と言ふ声に、初めの擬勢(ぎせい)ぬけ/\に、一人も残らず逃げ失せたり。覚寿はとつかは輿の戸の、明くる間
「さぞやお気詰り」
と、内を見れば
「コハいかに」
、形見の木像又びつくり、
「これはいかに」
と立ち帰り、こなたの障子押し明くれば、
『伯母御、騒がせ給ふな』
と菅丞相の御詞、こゝでもびつくりかしこでも、びつくりびくりに心の迷ひ、
「どちらがどうぢや輝国殿、目利きなされて下され」
と、問はるゝ人も問ふ人も、呆れ果てたるばかりなり。丞相重ねて、
「輝国の迎ひ遅参故、睡(まどろ)むともなく暫時の間、物騒がしく聞こえし故、窺ひ見れば兵衛が巧み、太郎が仕業。立田の前ははかなき最期、是非もなし。伯母御の心底さこそ/\。某これへ来たらずば、かゝる嘆きもあるまじ」
と、今更悔みの御涙。
「イヽヤ、娘が命百人にも、替へ難き大事の御身。怪我過ちのなかつたを、悦びこそすれなんの泣こ。なんの/\」
と言ふ目に涙、
「ノウ輝国殿、悪事の元はその兵衛、この世の暇(いとま)を早う/\、太郎も共に」
と立ち寄つて、髻引き上げ、
「丞相の堅固の有様、おのれ親子に見せたが本望、娘が恨みも晴れつらん」
と、刀を抜けば息絶えたり。
「エヽ、憎いながらも不憫な死に様。有為転変の世の習ひ、娘が最期もこの刀、婿が最期もこの刀、母が罪業消滅の白髪も同じくこの刀」
と、取り直す手に髻払ひ、「初孫を見る迄と、たばひ過した恥白髪。孫は得見いで憂き目を見る。娘が菩提。逆縁ながら弔ふこの尼、種々因縁而求(にぎゅう)仏道、南無阿弥陀仏」
と唱ふれば、菅丞相も唱名の、声も涙に回向ある。判官輝国大きに感じ、
「伯母御前に先取られ跡に退(さが)つたおのれが成敗、強欲非道の皺頭」
と、水もたまらず打ち落す、覚寿は木像抱き抱へ、菅丞相の右手(めて)の方、御座を並べて直し置き、
「兵衛親子が巧みも顕はれ、何もかも納まりし。この木像の不思議な働き、かゝる例もあることかや」
「いやとよ。最前も言ふ如く、匹夫々々が巧みも顕はれ、わが急難を遁れしも、暫時の睡眠、前後を知らず。木に刻み筆に画く、例(ためし)は本朝名高き絵師、巨勢(こせ)の金岡が書いたる馬は、夜な夜な出でて、萩の戸の萩を喰ひ、唐土にも名画の誉れ、呉道子(ごどうし)が墨絵の雲竜(うんりょう)、雨を降らせし例もあり。また神の尊像木仏などの、人の命に代はらせ給ふ例は数へ尽くされず。菅丞相が三度まで作り直せしものなれば、木にも魂備はつて我を助けしものやらん。讒者のために罪せられ、身は荒磯の島守りと、朽ち果つる後の世まで、形見と思し召されよ」
と、仰せは外(ほか)に荒木の天神、河内の土師村道明寺に、残る威徳ぞありがたき。輝国四方(よも)を打眺め、
「思はざる儀に隙を取り、夜も明けはなれ候へば、御立ちぞふ」
と申すにぞ、又改まる暇乞ひ、
「伯母が寸志の餞別(はなむけ)せん、用意の物こなたへ」
と、苅屋姫の上着の小袖、掛けたる伏籠(ふせご)諸共に、御傍近く取り直させ。
「浪風荒き揖枕(かぢまくら)、余寒を凌がせ申さんため、伯母が心を焚きしめた小袖を島まで召さるゝ様に、輝国のお世話ながら頼みまする」
とありければ、
「これはよろしき進ぜ物、苫(とま)の香防ぐ留め木の小袖、家来に持たせ参らん」
と、立ち寄り伏籠に手をかくる、丞相
「暫し」
と止め給ひ、
「御恩を厚く込め給ふ、伏籠に掛けこの小袖。中なる香はきかねども、銘は大方伏屋、か苅屋。伯母御前より道真が申し受けし女子の小袖。わが身には合はぬ筈、身幅も狭き罪人が、たゞこのまゝにお預け申す。わが小袖と思し召し、立田前が追善の仏事も共に」
と伯母御前の、心を悟る御詞、骨身にこたへ忍び兼ね、思はず
『わつ』
と声立てゝ、嘆くに
「さては」
と輝国も、心を感じ萎れ居る。覚寿の心は伏籠の内、
「泣いたは結句あの子がため、別れにちよつと只一目、伯母が願ひをかなへて」
と、立ち寄る袖を引き止め、
「御年故の空耳か、今鳴いたは確かに鶏。あの声は子鳥の音、子鳥が鳴けば親鳥も、鳴くは生ある習ひぞ」
と、心の嘆きを隠し歌。
「鳴けばこそ、別れを急げ鶏の音の、聞こえぬ里の暁もがな」
と詠じ捨て。
「名残りは尽きず御暇」
と、立ち出で給ふ御詠歌より、今この里に鶏鳴く、羽叩きもせぬ世の中や。伏籠の内を洩れ出づる、姫の思ひは羽ぬけ鳥。前後左右を囲まれて、父はもとより籠(かご)の鳥、雲井の昔忍ばるゝ、左遷(さすらえ)の身の御嘆き。夜は明けぬれど心の闇路、照らすは法(のり)の御誓ひ、道明らけき寺の名も、道明寺とて今もなほ栄へまします御神の、生けるが如き御姿、こゝに残れる物語。尽きぬ思ひに堰き兼ぬる、涙の玉の木(もく)げん樹(じゅ)。数珠の数々繰り返し、嘆きの声に只一目、見返り給ふ御顔ばせ、これぞこの世の別れとは、知らで別るゝ別れなり


(TOP)          (戻る)