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「義経千本桜」

渡海屋・大物浦の段 床本


行く空の。夜毎日毎の入船に浜辺賑はふ尼ケ崎、大物の浦に隠れなき渡海屋銀平、海をかゝへて船商売、店は碇帆木綿(いかりほもめん)、上り下りの積荷物運ぶ船頭水主(かこ)の者、人絶えのなき船問屋、世をゆるかせに暮らしける。
夫 (おっと)は積荷の問屋廻り、内を賄ふ女房おりう、宿かり客の料理拵へ、所がらとて網の物、塩がらな塩梅(あんばい)も甘ふ育ちし一人娘、お安がついの転寝(うたたね)に、風邪ひかさじと裾に物、奥の襖をがらりと明け、風呂敷わいがけ旅の僧によき/\と立ち出づれば、「オヽこれはマアお客僧様、今御膳を出しますにどこへお出でなさるゝぞ」「されば/\、西国への出日和待つて、連れ共もほつと退屈、たゞ居よよりは西町へ往て買物をして来ませふ」「これは/\残り多い。外のお客へは鳥貝鱠(とりがいなます)、御出家には精進料理分だつて拵へたに、つい上がつてござらぬか」「イヤ/\愚僧は山伏(やまぶ)なれば精進せぬ。鳥貝鱠よかろぞや」「それでもお前、今日は二十八日で不動様の御縁日」「ほんにそふぢや、大事の精進、ハテ何としよ、しよ事がない、往てきませう」とふいと立つ、「あいた/\/\」「ハアお客僧様、何となされた」「イヤ別の事でもないが、寝てゐるはこゝのお娘(むす)か、この子の上を踏み越へたれば俄(にわか)に足がすくばつて。エヽ聞こへた、小さうても女子なれば、虫が知らして癪気(しゅき)張つた物であろ。ヤア大降りのせぬうちに、往てきませう」と武蔵坊、ばつてう笠引被りいづくともなく急ぎ行く。
母は娘の傍に寄り、「コレお安、その様に転寝(うたたね)して、風邪引いてたもるなや」と、抱き起こせば目をすり/\、「オヽ母様、お前のなさるゝ事見てゐて、ついとろ/\と一寝入り」「オヽそれならば目を覚まして、今朝習ふた清書をとつくりとよふ書いて、とゝ様のお目にかきや」と、子には目のなき親心、手を引き納戸へ入りにける。
かゝる所へ誰とも知らぬ鎌倉武士、家来引き具し、「亭主に逢はふ」と内に入れば、女房驚き走り出で、「夫は他行、何の御用」と尋ぬれば、「身は北条が家来相模五郎といふ者。この度義経尾形を頼み、九州へ逃げ下るとの風聞によつて、鎌倉殿の仰せを受け、主人時政の名代として、討手に只今下れども、打ち続く雨風にて船一艘も調はず。幸ひこの家に借り置いたる船、日和次第出船(しゅっせん)と聞く。願ふ所なれば、その船身共が借り請け艪を押し切つて下らんず。旅人とあらばぼいまくり座敷を明けて休息させい。早ふ/\」と、権威を見せてのし上がれば。
女房は『ハツ』と返答に、当惑しながら傍に寄り、「御大切な御用に船がなうてさぞ御難儀、手前のお客も二三日以前より日和待ちして御逗留。今更船を断り言ふて、お前の御用にも立てがたし。殊に先様(さきさま)も武士方なれば、御同船とも申されず。何とぞ御了簡あつて、今夜の所をお待ちなされて下さらば、その内には日和も直り何艘(ぞう)も/\、 入船の内を借り調へて上げませう」「黙れ女。逗留がなればおのれらには言ひ付けぬ。所の守護へ権付(けんづ)けに言ひ付くる。奥の侍が怖ふておのれらが口から言ひにくゝば、身共が直(じき)に言ふベい」と、ずんと立つ袂に縋り、「お急きなさるは御尤もなれども、お前を奥へやりまして、直に御相対(あいたい)さしましては船宿の難儀。何分(なにぶん)夫の帰らるゝまで、お待ちなされて下され」と、手をすり詫ぶれど、「ヤアしちくどい女郎め。奥の武士に逢はさぬは、察する所平家の余類か義経の所縁(ゆかり)の者。家来ぬかるな油断すな」と、留むる女房を刎ね退け突き退け、また取り付くをあらけなく踏み倒し蹴倒すを、戻りかゝつて見る夫、走り入つてかの侍が手を取つて、「真平御免下さるべし。すなはち私この家の亭主渡海屋銀平。御立腹の様子、我等に仰せ下さるべし」と、膝を折り手をつけば、「ムウおのれ亭主なら言つて聞かさん。身は北条の家来なるが、義経の討手を蒙り、奥の武士が借り置いたる船この方へ借らんため、奥へ踏ん込み身が直にその武士に逢はふと言へば、わが女房が遮つて留むる故に今この仕儀」「ヘエ憚りながらそりやお前が御無理な様に存ぜられます。何故と仰りませ。人の借つて置いた船を、無理に借らふと仰りますは、ナア御無理ぢやござりませぬか。その上にまだ宿かりの座敷へ踏ん込もふとなされたを、やらんと仰つて女房共を踏んだり蹴たりなさるゝは、お侍様にはヘヽ似合ひませぬ様に存じます。この家に一夜でも宿致しますれば商旦那(あきないだんな)様、座敷の内へ踏ん込ましましては、どうも私がお客人へ立ちませぬ。どうぞ御了簡なされて、お帰りなされて下さりませ」「イヤ素町人め。鎌倉武士に向つて帰れとは推参。是非奥へ踏ん込む」と、そり打ち返してひしめけば、「アヽお侍様、それはお前が御短気でござりましよ。私も船問屋(といや)はしてゐますれど、聞きはつゝてをりますが、惣別(そうべつ)刀脇差では人切るものぢやないげにござります。お侍様方の二腰(ふたこし)は身の要害、人の麁忽(そこつ)狼藉を防ぐ道具ぢやとやら承はりました。さるによつて、武士の武の字は戈(ほこ)を止むるとやら書きますげにござります」「ヤア小癪な奴め。囀(さえず)る頬桁(ほうげた)切り裂かん」と、抜き打ちに切り付くる、引つ外して相模が利き腕むんずと取り、「コリヤもふ了簡がならぬはい。町人の家は武士の城郭、敷居の内へ泥脚を切り込むさへあるに、この刀で誰を切る。その上に平家の余類の、イヤ義経の由縁なんどと、旅人を脅すのか。よしまた判官殿にもせよ、大物に隠れなき真綱の銀平がお匿ひ申したら何とする。サア真綱が控へた。ならばびく共動いて見よ。素頭微塵にはしらかし命を取り楫、この世の出船」と、刀もぎ取り宙に引提げ持つて出で、門の敷居にもんどり打たせば、死に入るばかりの痛みを堪へ、頬をしかめて起き上がり、「亭主め、よつく覚えてゐよ。この返報にはうぬが首、さらへ落とす、覚悟せよ」「まだ頬桁叩くか」と、庭なる碇をぐつと差し上げ、微塵になさんと振り上ぐれば、暴風(はやて???)に合ふたる小船の如く、尻に帆かけて主従は、後を見ずして逃げ失せける。
「ホヽウよいざま/\」と、煙草盆引き寄せ、「何と女房、奥のお客人も今のもやくや、お聞きなさつたであらふな」と、女夫がひそめく話声、曳れ聞こえてや一間の襖、押し開き義経公、旅の艱苦(かんく)に窶れ果てたる御顔(かんばせ)、駿河、亀井も後に従ひ立ち出づる。「こは存じ寄りなや」と、夫も俄に膝立て直し、夫婦諸共手を下ぐれば、「隠すより顕はるゝはなしと、兄頼朝の不興を受け世を忍ぶ義経、尾形を頼み下らんとこの所に一宿せしに、その方よくも量(はか)り知つて、時政が家来を追ひ退け、今の難儀を救ふたるは、業に似合はぬうい働き。我れ一の谷を攻めし時、鷲の尾といへる木樵(きこり)の童(わらわ)に山道の案内させしに、山樵(やまがつ)には剛なる者故武士となして召使ひしが、それに優つた汝が働き。あつぱれ昔の義経ならば、武士に引き上げ召し使はんに、あるに甲斐なき漂泊の身」と、武勇烈しき大将の、身を悔やみたる御詞、駿河亀井も諸共に、無念の拳を握りける。
「これは/\ありがたい御仰せ。私もこの界隈では真綱の銀平とて、人に知られてゐますれど高が町人。今日の働きも必竟申さば竈(かまど)将軍。些細な事がお目に止まつて、我々連れに御褒美の御詞、冥加に余る幸せ。殊に君を見覚へ奉るは八島へ赴き給ふ時、渡辺福島より兵船(ひょうせん)の役にさゝれ、拙者が手船も御用に達し、一度ならずこの度も、不思議にお宿仕るも深き御縁。さるによつて、お為を存じ申し上げたきは、北条が家来取つて返さば御大事、一刻も早く御乗船しかるべし」と、言ひもあへぬに駿河の次郎、「我々もその心、この天気にて御出船はいかゞあらん」「アヽそれをぬかつてよござりましよか。弓矢打物はお前方の業、船と日和を見る事は船問屋の商売。昨日今日ふは辰巳(たつみ)、夜半(よなか)には雨も上がり、明方には朝嵐に代はつて、御出船にはひん抜きの上々日和、数年(すねん)の功にて見置いた」と、見透す様に言ひけるは、その道々と知られける。
亀井の六郎ずんど立ち、「オヽ銀平出かしたり。その方が詞に付いて、雨の晴間に片時(へんし)も早く、主君の御供仕らん」と、申し上ぐれば義経公、「船中の事は銀平が宜しく計らひ得させよ」と、仰せに『ハツ』と頭(こうべ)を下げ、「只今も申す通り、幼少より船の事はよく鍛錬仕れば、御見送りのため拙者も手船で、須磨明石の辺まで参らん。元船の有り所は五町余り沖の方。船は則ち日吉丸、思ひ立つ日が吉日吉祥、我も雨具の用意を致し、跡より追付き奉らん。女房君を御見立て申せ」と、言ひ捨て納戸に入りければ。
妻は心得御身をば、隠れ蓑笠参らする、「オヽ心遣ひ忘れじ」と、亀井、駿河諸共に、蓑笠取つて着せ参らせ、二人も手早く紐引きしめ、「いざさせ給へ」と主従三人、打ち連れ立つて浜辺に出で、兼ねて用意の艀(はしふね)に召し給へば。両人も飛び乗り/\、「サア/\船頭仕れ」と、もやひ解けば女房は、門送りして船場に下り、「御武運めでたくまし/\て、御縁もあらば重ねて御目にかゝるべし。さらば」「さらば」に艪を押し立て、沖へ出で船女房は、いきせき

内へ入相時。「アヽ心せかれや」と、火燧(ひうち)ならして油さし、神棚お上に灯(ひ)を照らし、「娘、娘、お安/\」と呼び出だし、「暮方(くれかた)に手習ひもおきやらいで、今夜は父(とゝ)様侍衆を、元船まで送つてなれば、そなたも寝るまでこゝにゐや。ほんに主とした事が、千里万里も行く様に身拵へ。もふ日も暮れた。用意がよくば行かしやんせ」と、呼べどぐつとも答(いら)へなし、「もし昼の草臥れで、転寝ではあるまいか。銀平殿、銀平殿」と呼び立つれば、「そも/\これは桓武天皇九代の後胤(こういん)、平の知盛幽霊なり。渡海屋銀平とは仮の名、新中納言知盛と実名(じつみょう)を顕はす上は、恐れあり」と娘の手を取り上座(しょうざ)に移し奉り、「君は正しく八十一代の帝、安徳天皇にて渡らせ給へど、源氏に世をせばめられ、所詮勝つべき軍(いくさ)ならねば、玉体(ぎょくたい)は二位尼抱き奉り、知盛諸共海底に沈みしと欺き、某供奉(ぐぶ)してこの年月、お乳の人を女房といひ一天の君をわが子と呼び、時節を待ちし甲斐あつて、九郎大夫義経を今宵の内に討ち取り、年来の本望を達せんは、ハアハ悦ばしや嬉しやな、典侍(すけ)の局も悦ばれよ」と、勇める顔色(がんしょく)威あつて猛く、平家の大将知盛とはその骨柄に顕はれし。
「さては常々の御願ひ、今宵と思し立ち給ふな。わきて九郎はすゝどき男(おのこ)、仕損じばし、し給ふな」「ムヽムヽムウそれにこそ術(てだて)あり。北条が家来相模の五郎と言つしはわが手下の船頭共。討手と偽り狼籍させ、某義経に方人(かとうど)の体(てい)を見せ心を赦させ、今夜の難風を日和と偽り、船中にて討取る術(てだて)なれども、知盛こそ生き残つて義経を討つたんなりと、沙汰あつては末々君を御養育もならず。重ねて頼朝に仇も報はれず、さるによつて、某人数(にんず)を手配り、艀(はしぶね)にて後よりぼつ付き、義経と海上にて戦はゞ、西海にて亡びたる平家の悪霊、知盛が怨霊なり。と雨風を幸ひに、彼等が眼をくらませんため、わが形もこの如く、怪しく見する白糸縅(おどし)、この白柄の長刀にて九郎が首取り立ち帰らん。勝負の合図は大物の沖に当つて、提灯松明(たいまつ)一度に消へなば、知盛が討死と心得、君にも御覚悟させまし。御骸(から)見苦しなき様に」「オヽ後気遣はずとよき奏を知らせてたべ」「知盛早ふ」と勅(みことのり)、「ハヽヽヽこはありがたし」と竜顔を、拝し申せばおとなしき八つの太鼓も御年の、数を象(かたどる)る合図の知らせ。
「はやお暇(いとま)」と、夕浪に/\、長刀取り直し、巴波の紋、辺りを払ひ、砂(いさご)を蹴立て、早風(はやて)につれて、眼(まなこ)をくらまし、飛ぶが如くに

かけり行く。後見送つて典侍の局、御傍にさし寄つて、「今知盛の仰つたをよふお聞きなされたか。稚なけれども十善(じゅうぜん)の君、このさもしき御姿にては、軍神(いくさがみ)への恐れあり。御装束」と立ち上がり、まさかの時は諸共に、冥途の旅の死装束と、心に込めし納戸口、涙隠して入りにける。
夜も早や次第に更け渡り、雨風激しく聞こゆれば、「今頃は知盛の難儀しやらん、いとをしや」と、ねびさせ給べばひたすらに、案じ詫びたる御気色(けしき)。
程なく局は、山鳩色の御衣冠、うや/\しく台に乗せ、その身も共に衣服を改め、一間を出で、「片時(へんし)も早く御装束」と、御傍に立ち寄り、賤(しづ)の上着を脱ぎ替へて、下の衣(きぬ)、上の衣(きぬ)、御衣冠に至るまで、召さし替ゆればあでやかに、始めの御姿引き替へて、神の御末の御粧(よそお)ひ、いと尊くも見へ給ふ。
「サアこれからは知盛の吉左右(きっそう)を待つばかり」と、そよとの音も知らせかと、胸とゞろかす太鼓鐘、すはや軍(いくさ)真最中と君のお傍に引添ふて、知らせを今やと待つ折から。
知盛の郎党相模五郎、息つぎあへず馳せ付けば、「様子は如何に、早ふ聞かせよ/\」と、局も急きに急き立つたり。「されば兼ねての術(てだて)の通り、暮れ過ぎより味方の小船を乗り出し/\、義経が乗つたる元船間近く漕ぎ寄せしに、折しも烈しき武庫山颪に連れて降りくる雨雷(いかずち)、時こそ来たれと水練(すいれん)得たる味方の勢、皆海中に飛び込み/\、『西国にて滅びし平家の一門、義経に恨みをなさん』と声々に呼ばはれば、敵に用意やしたりけん、提灯松明ばら/\と、味方の船に乗り移り、こゝをせんどと戦へば、味方の駆武者(かりむしゃ)大半討たれ、事危ふく見へ候ふ。某は取つて返し、主君知盛の御先途を見届けん」と、申すもあへずかけり行く。
「サア/\大事が起こつて来た。さるにても知盛の御身の上気遣はし、沖の様子いかならん」と、一間の戸障子押し明くれば、提灯松明星の如く、天を焦がせば漫々たる海も一目に見へ渡り、数多の小船やり違へ/\、船矢倉を小だてに取り、敵も味方も入り乱れ、船を飛び越え刎ね退けて、追つまくつゝゑい/\声にて切り結ぶ。人影迄もあり/\と戦ふ声々風に連れ、手に取る様に聞こゆるにぞ。「あれ/\御覧ぜあの中に知盛のおはすらん」「やよいづくに」と延び上がり、見給ふ内に提灯松明、次第々々に消へ失せて沖もひつそとしづまれば。
『是こそは知盛の討死の合図か』と、余り呆れて泣かれもせず、途方にくれて立つたる所に。
入江の丹蔵朱(あけ)になつて立ち帰り、「義経主従手いたく働き、味方残らず討死、まつた主君知盛も、大勢に取り巻かれすでに危うく見へけるが、かいくれに御行方知れず、必定(ひつじょう)海に飛び込んで御最期と存ずれば、冥途の御供仕らん」と、言ひもあへず諸肌くつろげ、持つたる刀腹に突き立て、汐の深みへ飛び込めば、「ヤアさては知盛も、あへなく討たれ給ひしか」『ハツ』とばかりにどうど伏し、前後も知らず泣きければ。君も見る事聞く事の、悲しさ怖さに取りまぜて、共に涙にくれ給ふ。
局は嘆きの内よりも、君を膝に抱き上げ、御顔つくづくと打ち守り、「二年(ふたとせ)余りはこの見苦しきあばら屋を、玉の台(うてな)と思し召しての御住居、朝夕の供御(ぐご)までも、下々と同じ様にさもしい物。それさへ君の心では、殿上(てんじょう)にての栄花とも、思ふてお暮しなされしに、知盛お果てなされては、賤(しず)が伏屋に御身一つ、置き奉る事さへも、ならぬ様に成り果てゝ、つひにはこの浦の土となり給ふかや。上もなき御身の上に、悲しい事の数々が続けば続くものかいの」と、口説き立て/\身もうくばかり嘆きしが。「アヽよしなき悔み事。御覚悟急がん」と、涙ながら御手を取り、泣く/\浜辺に出でけれど、いと尋常なる御姿、この海に沈めんかと、思へば目もくれ心もくれ、身もわな/\とぞ震ひける。
君はさかしくましませど、死ぬる事とはつゆ知り給はず、「これなう乳母、覚悟々々と言ふていづくへ連れて行くのぢやや」「オヽそふ思し召すは理り、コレよふお聞き遊ばせや。この日の本にはな、源氏の武士はびこりて恐ろしい国、この波の下にこそ、極楽浄土といふて結構な都がござります。その都にはナ、祖母君(ばばぎみ)二位の尼御を始め、平家の一門知盛もおはすれば、君もそこへ御幸(みゆき)あつて、物憂き世界の苦しみを、免(まの)がれさせ給へや」と、なだめ申せば打ちしをれ給ひ、「アノ恐ろしい波の下へ、只一人行くのかや」「アヽ勿体ない。このお乳(ち)が美しう育て上げたる玉体(ぎょくたい)を、あのなん/\たる千尋(ちひろ)の底へやりまして、何と身もよもあられふぞ。このお乳もお供する。いとし可愛ひの育ひ君、何とお一人やられふぞ」「それなら嬉しい。そなたさへ行きやるならば、いづくへなりとも行くわいの」「オヽよふ言ふて給はつた/\」と、引き寄せ/\抱きしめ、「火に入り水に溺るゝも、前(さき)の世の約束なれば、未来の誓(ちかい)ましまして、天照らす太神(おおんがみ)へ御暇乞ひ」と、東に向はせ参らすれば、美しき御手を合はせ、伏し拝み給ふ御有様、見奉れば気も消へ/\。「オヽよふお暇乞ひなされたのふ。仏の御国はこなたぞ」と、指差す方に向はせ給ひ、「今ぞ知る、御裳濯川(みもすそがわ)の流れには、波の底にも都ありとは」と詠じ給へば、「オヽお出かしなされた、よふお詠み遊ばした。その昔、月花の御遊の折から、か様に歌を詠み給はゞ、父帝は申すに及ばず、祖父(ぢい)清盛公二位の尼君、取りわけて母門院様、何ぼう悦び給はんに、今はの際(きわ)にこれがマア、言ふに甲斐なき御製(ぎょせい)や」と、かき口説き/\、涙の限り声限り、歎き口説くぞ道理なる。
局は涙の隙よりも、御髪(おぐし)掻き上げ掻き撫でて、「今ははや、極楽への御門出を急がん」と、帝をしつかと抱き上げて、磯打つ波に裳(もすそ)を浸し、海の面を見渡し/\、「いかに八大竜王恒河(ごうが)の鱗(うろくず)、安徳帝の御幸(みゆき)なるぞや。守護し給へ」と、うづまく波に飛び入らんとする所に、いつの間にかは九郎義経、駆け寄つて抱き留め給へば、「ノウ悲しや、見赦して死なせてたべ」と、ふり返つて「ヤアこなたは」「声立てな」と帝を小脇に引ん抱へ、局の小腕ぐつと捻ぢ上げ、無理無体に引立て/\、一間の内に入り給ふ。
かゝる所へ知盛は、大わらはに戦ひなし、鎧に立つ矢は身の毛の如く、縅(おどし)も朱(あけ)に染めなして、我が家の内に立ち帰れば、後を慕ふて武蔵坊、表の方に立ち聞く共、知らず知盛声を上げ、「天皇はいづくにまします、お乳の人、典侍の局」と、呼ばはり/\どうと伏し、「エヽ無念口惜しや。これ程の手に弱りはせじ」と、長刀杖に立ち上がり、「お乳の人、わが君」と、よろぼひ/\駆け回れば、一間を踏み明け九郎判官、帝を弓手(ゆんで)の小脇にひん抱き、局を引き付け突立ち給へば、「アラ珍しやいかに義経。思ひぞ出づる浦浪に、知盛が沈みしその有様に、また義経も微塵になさん」と、長刀取り直し、「サア/\サヽヽヽ勝負々々」と詰め寄れば、義経少しも騒ぎ給はず、「ヤア知盛、さな急かれそ。義経が言ふ事あり」と、帝を典侍の局に渡し、しづ/\と歩み出で。「その方西海にて入水と偽り、帝を供奉(ぐぶ)しこの所に忍び、一門の仇を報はんとはあつぱれ/\。我この家に逗留せしより、並々ならぬ人相骨柄、察する所平家の落人。弁慶に言ひ含め、帝を探る計略(はかりこと)。誤つて踏み越えしに、果たして武蔵が五体の痺(しび)れ。その上我に方人(かとうど)の体を見せ、心を赦させ討ち取る術。我れその事を量(はか)り知り、艀(はしふね)の船頭を海へ切り込み、裏海へ船を廻しとくより是へ入り込んで、始終詳しく見届け、帝も我が手に入つたれども、日の本を知ろしめす万乗(ばんじょう)の君、何条義経が擒(とりこ)にする謂はれあらん。一旦の御艱難(かんなん)は平家に血を引き給ふ故、今某が助け奉つたるとて、不和なる兄頼朝も、我が誤りとはよも言ふまじ。必ず/\帝の事は、気遣はれそ知盛」と、聞く嬉しさは典侍の局、「オヽあの詞に違ひなく、先程より義経殿段々の情けにて、天皇の御身の上は知るべの方へ渡さふと武士の固い誓言(せいごん)。悦んでたべ知盛卿」と、聞くに凝(こ)つたる気も逆立ち、局を取つて突き退け、「エヽ無念、口惜しや。我れ一門の仇を報はんと心魂(しんこん)を砕きしに、今夜暫時(ざんじ)に術(てだて)顕はれ、身の上迄知られしは天命々々。まつた義経帝を助け奉るは、天恩を思ふ故、これ以て知盛が恩に着るべき謂はれなし。サア、只今こそ汝を一太刀、亡魂(ぼうこん)へ手向けん」と、痛手によろめく足踏みしめ、長刀押取り立ち向かふ。弁慶押し隔て、「打物技(うちものわざ)にて叶ふまじ」と、数珠さら/\と押し揉んで、「いかに知盛、かくあらんと期(ご)したる故、われも今朝より船手に回り計略の裏をかいたれば、もはや悪念発起せよ」と、持つたるいらだか知盛の首にひらりと投げかくれば、「ムヽさてはこの数珠をかけたのは、知盛に出家とな。エヽけがらはし/\。そも四姓(しせい)始まつて、討つては討たれ討たれて討つは源平の習ひ。生き代はり死に代はり、恨みをなさで置くべきか」と、思ひ込んだる無念の顔色(がんしょく)、眼(まなこ)血走り髪逆立ち、この世からなる悪霊の相(そう)を顕はすばかりなり。
かくと聞くより亀井、駿河、主君の身の上気遣はしと、追ひ/\駆けつけ取り廻せば、御幼稚なれども天皇は、始終のわかちを聞こし召し、知盛に向はせ給ひ、「朕を供奉し、永々の介抱はそちが情、今日またまろを助けしは、義経が情けなれば、仇に思ふな知盛」と、勿体なくも御涙を浮かめ給へば典侍の局、共に涙にくれながら、「オヽよふ仰つた。いつまでも義経の志、必ず忘れ給ふなや。源氏は平家の仇敵と、後々までもこのお乳(ち)が、帝様にあだし心も付けふかと人々に疑はれん。さあらば生きてお為にならぬ。君の御事くれぐれも、頼み置くは義経殿」と、用意の懐剣咽(のんど)に突き立て、名残惜しげに御顔を、打ち守り/\、さらばとばかりこの世の暇(いとま)あへなく息は絶へにける。
思ひ設けぬ局が最期、君は猶更知盛も、重なる憂き目に勇気も砕け、しばし詞もなかりしが。天皇の御座近く涙をはら/\と流し、「果報はいみじく一天の主と産れ給へども、西海の波に漂ひ海に臨めども、潮(うしお)にて水に渇(かっ)せしは、これ餓鬼道(がきどう)。ある時は風波に逢ひ、お召しの船をあら磯に吹き上げられ、今も命を失はんかと多くの官女が泣き叫ぶは、阿鼻叫喚(あびきょうかん)。陸(くが)に源平戦ふは、取りも直さず修羅道(しゅらどう)の苦しみ。又は源氏の陣所々々に、数多(あまた)駒のいなゝくは、畜生道(ちくしょうどう)。今賎しき御身となり、人間の憂艱難目前に、六道の苦しみを受け給ふ。これといふも父清盛、外戚の望みあるによつて、姫宮を御男宮と言ひふらし、権威を以て御位につけ、天道を欺き天照太神に偽り申せしその悪逆、積り/\て一門わが子の身に報ふたか、是非もなや。われかく深手を負ふたれば、ながらへ果てぬこの知盛、只今この海に沈んで末代に名を残さん。大物の沖にて判官に仇をなせしは知盛が怨霊なりと伝へよや。サア、サヽ息のあるその内に、片時も早く帝の供奉を頼む/\」と、よろぼひ立てば、「オヽわれはこれより九州の尾形方へ赴くなり。帝の御身は義経がいづくまでも供奉せん」と、御手を取つ出で給へば、亀井、駿河、武蔵坊、御跡に引添ふたり。知盛莞爾と打ち笑みて、昨日の仇はけふの味方、アラ心安や嬉しやな。 これぞこの世の暇乞ひ」と、り返つ竜顔を見奉るも目に涙、今はの名残に天皇も、見返り給ふ別れの門出、とゞまるこなたは冥途の出船。『三途(さんず)の海の瀬踏みせん』と、碇を取つて頭(こうべ)にかづき、「さらば/\」も声ばかり、渦巻く波に飛び入つて、あへなく消へたる忠臣義心、その亡骸(なきから)は大物の、千尋(ちひろ)の底に朽ち果てゝ、名は引く汐にゆられ流れ流れて、あと白浪とぞなりにける


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