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名優たちの由良助

*本稿は別稿「由良助は正成の生まれ変わりである」と関連しています。


左の絵は、寛政9年(1797)に出版された曲亭(滝沢)馬琴の黄表紙「楠正成軍慮智恵輪(くすのきまさしげぐんりょのちえのわ)」のなかの挿画で、「楠、大石に化するの図」です。菊水の旗を持つ楠正成が、火事装束姿の大石内蔵助に姿を化しています。詞書に、「くすの木みなと川にてうち死せしとき、・・・えんやの忠臣大石とうまれかはれり」とあるのは、「太平記」にある正成の最後の言葉「七生までただ同じ人間に生まれて朝敵を滅ぼさばや」を踏まえています。

この画で分かりますように、「太平記読み」の素養のある江戸期の人々は赤穂浪士の討ち入りの報を聞いた時、大石内蔵助は楠正成の生まれ変わりである、と直感したのです。

 

 

「仮名手本忠臣蔵」の大星由良助(=大石内蔵助)は、江戸の民衆にとって「忠義の鑑」であったのです。明治期になってからも、由良助像は、楠正成と同じく、天皇を頂点とした中央集権の体制のシンボルとして利用されていきます。

明治期の最高の由良助役者といえば九代目団十郎です。まさに時代の要請を受けたような・実録風の「肚芸」の由良助で、その後の役者のモデルとなりました。

九代目団十郎の発言に「団十郎が由良助に扮してご見物が見ていらっしゃると思ってはどうもその人になり切れません、というのはいくら良く出来ましたところがそれは団十郎が由良助らしく出来たので、お客様は決して団十郎を見に入らしたのではございません。」(明治31年)というのがあります。これ自体は当たり前のことを言っているようですが、この発言を裏に読めば、九代目団十郎と由良助を同一視するような見方が結構あったのだろう、とも推察するのです。

 

 

上左の写真は初代鴈治郎の大星由良助。押し出しの立派な・時代物の風格のある由良助ですね。

上右の写真は十五代目羽左衛門の大星由良助。「花の橘屋」のさわやかな舞台姿をご覧下さい。

 

戦後の優れた由良助役者も大勢いますが、ひとり挙げるならば、私の場合はやはりこの御方ということになりましょうか。八代目幸四郎(初代白鸚)の「七段目」での大星由良助です。

幸四郎の舞台を見ていて、「内蔵助というのはこういう人だったのかな」などと思った人は私だけではないでしょう。どっしりとした安定感と、内に秘めた思慮を感じさせた由良助でありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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