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谷崎潤一郎・「吉野葛」の世界・その2:釣瓶鮨

*「谷崎潤一郎・「吉野葛」の世界・その1:妹背山」の続きです。

*団十郎菊五郎在りし日のわが母よ〜谷崎潤一郎・「吉野葛」論の関連記事です。


上市町から国栖(くず)方面へ向かう途中、妹背山が過ぎたところで、友人津村が「君、妹背山の次には義経千本桜があるんだよ」と言い出します。

『「千本桜なら下市だろう。彼処の釣瓶鮓屋と云うのは聞いているが、・・・」維盛が鮨屋の養子になって隠れていたという浄瑠璃の根なし事が元になって、下市の町にその子孫と称する者が住んでいるのを、私は訪ねたことはないが、噂には聞いていた。何でもその家では、いがみの権太こそいないけれども、未だに娘の名をお里と付けて、釣瓶鮓を売っていると云う話がある。しかし、津村の持ち出したのは、それとは別で・・・(後略)』(谷崎潤一郎:「吉野葛」)

「義経千本桜」の三段目・いがみの権太が活躍する「鮨屋」の場には、実はモデルがあって、それが奈良県吉野郡下市町にある釣瓶鮨屋弥助なのです。(こちらご覧ください。)「鮨屋」浄瑠璃冒頭に

『春は来ねども花咲かす、娘が漬けた鮓ならば、なれがよかろと買ひにくる。風味も吉野、下市に売り広めたる所の名物、釣瓶鮓屋の弥左衛門、留守のうちにも商売に、抜け目も内儀がはや漬に、娘お里が片襷(だすき)、裾に前垂ほやほやと、愛に愛持つ鮎(あゆ)の酢、押さへてしめてなれさする、うまい盛りの振紬が、釣瓶鮓とはものらしし。』(「義経千本桜・鮨屋」)


と詠われている、あの釣瓶鮨です。もっとも小説「吉野葛」に釣瓶鮨のことが出て来るのは、先に引用した「私」と津村との会話のなかでその名が登場するだけで、すぐ話題は初音の鼓の方に移って行きます。(初音の鼓については 別の回で触れます。)小説では「私」と津村が釣瓶鮨を訪れるわけではないですが、これも小説のなかの重要なモティーフのひとつとなっているのです。ともあれ歌舞伎を見る吉之助としては、これは是非訪れなくてはならない場所だということで、行って来ました釣瓶鮨弥助。立派な店構えですねえ。店入口の左手に「維盛 の旧跡」との石碑が見えます。(写真左)釣瓶鮨弥助については、下市町観光情報をご覧ください。こちら。)









 

釣瓶鮨弥助は、文治年間(1185〜89)に創業された 、現存する鮨屋のなかでは最古の店だそうです。ということは、もう八百年を超える歴史があるわけです。建物は昭和14年の建築だそうで、その後何度か手直しはしているようですが、なかなか風情ある建物ですねえ。 「弥助」は30年ほど前までは旅館も営んでいたそうです(庭園が立派なのはそのせいです)が、現在は食事のみの営業となっています。まず下市の町に入って感じるのは、下市の町は古くて立派なお家が結構多そうで、江戸時代も下市の町は吉野見物の宿場として結構栄えたのだろうと云うことです。人形浄瑠璃にも取り上げられるほどですから、当時から釣瓶鮨は誰もが知っていた有名店だったと思います。ちなみに 「弥助」からいただいたパンフレットを見ると、釣瓶鮨の由来が以下の通りに記されています。

釣 瓶 鮨 屋 由 緒
大和吉野川の鮎を鮨となし、釣瓶形曲桶に漬けて釣瓶鮨をつくる。其の形釣瓶に似たるを以てその名あり遡る千余年前に始まる。文治年間三位中将維盛卿八島敗軍の後逃れて遂に熊野に潜行せらるゝの途次、父平重盛公の旧臣宅田弥左衛門の家に久しく潜匿せらるゝに際し名を弥助と改む。
世俗伝うる処の「院本義経千本桜」其の三段中託する処の釣瓶鮨屋弥左衛門は即ち宅田弥助の祖先なり。其の頃今の庭園を築き維盛塚、お里黒髪塚お里姿見の池等此の内に存在せり 爾来系統連綿相継ぎ釣瓶鮨商を業となし以て今日に達す。
 慶長年間後水尾天皇の朝に当り仙洞御所へ鮎鮨献上せしむるの命あり それより「御上り鮨所御鮨屋弥助」と格式御許容相成り自今屋上に揚ぐる処の招牌は御所より賜ふ所なり。
四十九代店主 宅 田 弥 助 謹白



上記由来を見て分かることは、維盛(弥助)・お里のことは確かに出て来るけれども、当たり前のことですが、
いがみの権太のことは出て来ません。 浄瑠璃作者は、昔から 釣瓶鮨に伝わっていた維盛・お里の伝説を拝借し、これに権太の件を 絡ませて芝居に仕立てたということだと思います。こうして年月が経つと、 元々史実とは言えない伝説に、芝居の創作イメージがさらに加わり、何が真実やら作り話やら境目が分からなくなってきます。そして みんなが素直にこれも真実なのかもなあと思える感じにこなれて行く。こうしていがみの権太のお墓(後述)なども出来るわけです。小説「吉野葛」に散りばめられている歴史的逸話は、みんなそのようなものなのです。

ところで肝心のお料理のことですが、献立は塩焼き・鮎の餡かけ・鮎鮨という鮎尽くしでした。吉之助は旅行先でご当地グルメを探し回る興味はあまり持ち合わせていないのですが、 鮎はまったく生臭さがなくて・さくっと軽い味わいで、吉之助がびっくりするほど美味しくいただきました。美味しいものをいただくと、本当に幸せな気分になるものですねえ。

窓からは立派な庭園が眺められます。左の写真の中央 から右辺りに見える石碑が、維盛塚。維盛の遺骨を納めた供養の碑だそうです。さらに中央の上辺りに小さな石碑らしきものが見えますが、これがお里の黒髪碑。お里は維盛卿と知らずに恋し てしまった悲しさと、維盛卿亡きあとの菩提のため剃髪して尼となり、黒髪をここに埋めたと云うことです。この下にお里姿見の池などもあります。





ここまで来れば、作り物(嘘)だと分かってはいても、歌舞伎評論を書く者としては、日頃から大変お世話になっているいがみの権太のお墓に詣でないわけに行きません。権太のお墓は、釣瓶鮨のお店から下市の町を離れて途中寂しい道を2キロほど歩いたところの、集落の一角にひっそりとありました。はるばるここまでやって来 たとは、我ながら、よほどの物好きですねえ。(笑) これホントにお家の庭先なんだけど、敷地に入っても良いですかという感じ。墓石をみる限り、それほど古いお墓ではなさそうです。それにしても、権太のお墓の前で手を合わせてみて感じたことは、この権太のお墓を作った方はどなたかは 知りませんが、これは洒落っ気で作ってみたということではなくて、こういう人生もあったのだなあと、芝居の出来事を素直に受け入れて、権太のことを弔ってやりたいと心底そう 願ったのだろうなあと云うことです。その気持ちは美しいことだと思いますよ。



下の看板に描かれているのは下市町のご当地キャラクター「ごんたくん」。放蕩息子もみなさまに愛されるキャラクターに出世したというわけですねえ。ちなみに下市町には小金吾の墓もあるのですが、これはそこからさらに離れた場所にあってちょっと時間がなかったので失礼しました。小金吾さん、すみません。 (この稿つづく)

 

 

 

 

 

 

 

*写真は吉之助が、平成29年2月7日に撮ったものです。

*続編「谷崎潤一郎・「吉野葛」の世界・その3:二人静」もご覧ください。

吉野葛・盲目物語 (新潮文庫)

(H29・2・14)


 

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