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大石内蔵助という人物


赤穂義士のリーダー・大石内蔵助義雄は、元禄16年2月4日(西暦1703年3月20日)に熊本藩細川越中守の下屋敷において切腹しました。内蔵助の辞世の句としては一般に

あら楽し 思いは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし

が知られていますが、これは浅野内匠頭の墓に対して詠んだものだそうで・実際の辞世は

極楽の道はひとすぢ君ともに阿弥陀をそへて四十八人

だそうです。ここに掲載したのは細川家下屋敷に預けられた義士たちの世話をした堀内伝右衛門が切腹直前の内蔵助に頼んで書いてもらったものですが、実際は源実朝の歌をそのまま書きつけたものです。とっさのことゆえ・良い句が思いつかなかったのかも知れません。

武士の矢並つくろふ 小手のうへにあられたはしる那須のしの原

内蔵助の筆跡について、書道家の石川九楊氏は次のように印象を語っています。

『筆跡を見るとスタイリストだったのかなという気がします。「ふ」や「る(流)」の最終の点が右上に高く位置してポーズを取っています。当時の武家の基本書法である御家流を踏まえていますが、筆先が立って筆圧が高い。例えば「の」の字。終筆部でいったん沈んでから上に向かう時、少し左に出して・ゆるやかに上げていくのが普通なのに、大石は鋭く一気に回転部を書き切っている。たぶん独自の美学があった人ですよ。代々家老を勤める家に生まれたわけだから、教養もあったでしょうしね。』(「芸術新潮」・特集「世紀の遺書」・2000年12月)

 

 

この書を見ますと、史実の内蔵助も舞台の「元禄忠臣蔵」の内蔵助のイメージを決して裏切らない人物であったようですね。真山青果が「元禄忠臣蔵」で描いた内蔵助は実に理屈っぽくて・また迷う男です。「元禄忠臣蔵」は観念のドラマです。内蔵助は常に立ち止まって、「自分が進むべき道・同志たちを導く道はこれでいいのか・これで正しいのか」ということを内蔵助は自らに問い・そこで揺れます。内蔵助はそのことを考える時、いったん行動の原点に立ち戻ることを必ずします。その思考の原点こそが初一念です。そして、元禄の時代と昭和初期の気分が「揺れる気分」においてつながっているのです。そのことが分かれば「元禄忠臣蔵」で青果が本当に描きたかったものが見えてきます。

(H19・11・3)
 

(後記)

別稿「内蔵助の初一念とは何か」「元禄忠臣蔵の揺れる気分」をご参照ください。


 
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