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御霊会と祇園祭


京都・祇園祭に行って参りました。祇園祭は大阪の天神祭・東京の神田祭とともに、日本三大祭のひとつに挙げられているお祭りです。

千百年の伝統を有する祇園祭は八坂神社の祭礼ですが、祇園祭の起源は貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行した時・これを鎮めるために、平安京の広大な庭園であった神泉苑で行われた祇園御霊会(ごりょうえ)です。当時の国の数−66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て て、祇園の神を祭り・さらに神輿を送って災厄の除去を祈ったということで、災厄を水に流して送り出そうという儀式であったようです。

左の写真は京都市中京区にある神泉苑です。神泉苑には大旱魃にも涸れたことがないという自然の湧泉の池がありま す。空海が雨乞いの祈祷をして雨を降らせてから・神泉苑は雨乞いの祈祷所として有名になりました。

神泉苑と言いますと、貞観5年(863)5月20日に神泉苑で行われた御霊会が「三大実記」によって伝えるところのもので、これが文献で確認できるところの御霊信仰 に関する最初の記述です。奈良時代末から平安時代にかけて政治抗争により失脚した貴族たちの霊が祟って・疫病や災害が起きると当時の人々は考えたのです。祟道天皇・伊予親王・藤原夫人・観察使・橘逸勢・文室宮田麻呂・井上皇后・菅原道真などを八所の御霊と称しました。

御霊信仰と言えば歌舞伎の荒事の登場人物(平将門・曽我五郎など)にもつながるものです。つまり、祇園祭りと歌舞伎の荒事は表面上はあまり似てるようには思えませんが、そのルーツは同じところにあるわけです。

その後、天禄3年(972)からは祇園社において御霊会が執り行われるようになりました。それ以後の祇園祭は、祇園社のお祭りとなります。明治元年の神仏分離令(いわゆる廃仏毀釈運動)により、元々「祇園社」あるいは「祇園感神院」と呼ばれていたのが「八坂神社」と改められたそうです。左の写真は八坂神社の境内です。

 

 

平安中期以降に祇園信仰が盛んになって、祭礼も華美になっていきます。山車・屋台を連ねて、笛・太鼓・鉦などでにぎやかに囃しながら練り歩く形式が定着していきます。御霊を祀る神社の祭礼は各地に伝わっていますが、山鉾・山車・屋台などを繰り出して。仮想をして踊り歩くなど「風流(ふりゅう)」の要素を持つものが多いそうです。

左の写真は祇園祭の山鉾のなかでも最も大きいとされる「月鉾(つきほこ)」です。前後懸、胴懸にインドやトルコの絨毯が用いられています。それにしても古えの疫病祓いのお祭りの山鉾に異国風俗の絨毯が飾られて・時にキリスト教の聖書に題材を取る絨毯があるなど 実に興味深いものがあります。珍しくて・豪華なものなら題材は何でも良かったらしいのが、何とも大らかですなあ。

平成18年7月17日山鉾巡行の当日はあいにくの雨模様でありましたが、前夜の宵山と併せて・お祭り気分が味わえました。

(H18・7・22)

(*写真は吉之助が撮影したものです。)


 
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