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金毘羅歌舞伎訪問記


平成18年4月、金毘羅歌舞伎を見て来ました。香川県琴平町の金丸座は江戸の劇場の雰囲気を残す貴重な芝居小屋であることはここで改めて説明するまでもないでしょう。ところで郡司正勝先生がこんなことを言っておりますね。 このご発言は吉之助にはずっと気になっているものなのです。

『金毘羅歌舞伎を喜ぶようになったらもう終わりだよ。近来の薪能と同じさ。』(郡司正勝対談:「国立劇場の三十年」・歌舞伎・研究と批評・18・平成10年)

この発言だけでは郡司先生の真意は十分に伝わりません。対談の前後をよく読む必要がありますが・昨今の古芝居小屋ブームは回顧趣味が背景にあるわけです。郡司先生の言いたいのは江戸の芝居小屋の空間に東京で演ってる大歌舞伎(つまり現代の歌舞伎)をそのまま持ってきても ・中味が変らなければ入れ物変えても仕方ないよということかと思います。

 

まあ金毘羅歌舞伎の場合は町興しの一環でやっているものだと思いますから・学術的にはその通りでありますし・過剰な期待は禁物ですが、ちょっぴり昔の雰囲気を味わって・江戸の昔を振り返る機会になれば それはそれでよろしいということかと思います。

*写真上は金丸座正面、左は金丸座側面。昔は窓を開閉してそれで劇場内の明るさを調整したものでしょうが、今は電気照明が発達してますから、暗転の時以外は窓の開閉は舞台効果に あまり関係なかったように思われま した。

 

いずれにせよ芝居の成果そのものとしては国立小劇場で歌舞伎をやった場合と似たようなものだと思って良ろしいです。もちろん 椅子席の国立小劇場と違って・客席からの雰囲気が異なるので・役者と観客の距離がより近いということが言えますが、そこが第一の魅力には違いありません。和蝋燭を模した照明の黄色味がかった光で・「六段目」の海老蔵の勘平の 浅葱の御紋服が黄緑色っぽく見えた辺りは興味深かったですが 、 しかし、照明自体は明るかったので・現代の劇場とさほど違った印象は受けませんでした。

*写真左は金丸座の枡席。ひと枡で5人座れるのですが、江戸時代も5人だったのでしょうかね。しかし、これだと当時の観客5人がお重をずらり並べて・飲み食いながらゆったり芝居を見るにはちょっと狭いのじゃないかなと思いました。それと椅子の生活に慣れた人間には胡坐かいて芝居見るのがちょっと辛かったです けどね。これが「江戸体験」ということかな。

おそらく江戸の蝋燭照明の時代は客席より舞台の方が暗く、舞台は見にくかったと想像されます。平成14年に国立科学博物館が岐阜県福岡町の常盤座で行なった調査によれば、100匁(375グラム)の和蝋燭25本での明るさは15ルクス程度で、役者の顔や衣装の色がはっきり見えたのは、観客のアンケートの半分くらいに留まったとのことです。昔の舞台はかなり暗かったであろうことが 想像されます。舞台の方が客席より暗くなってしまうのは当時の小屋の構造からすればこれは当然であったでしょう。

そのような薄暗い舞台であれば多少のお化粧の粗・あるいは顔の皺はあまり目立たなかったでしょう。逆に原色に近い色彩をとらないと衣装は引き立たなかったでしょう。蝋燭の光で見るお芝居は幻想的な雰囲気を見せたかも知れません。「色彩間苅豆」の舞台の暗闇はそのことをちょっとだけ想像させてくれました。

*写真上は金丸座の桟敷から揚幕方向を見る。桟敷の天井の高さはやはり当時の江戸の人のサイズなのでしょう・ちょっと低めに感じられました。

しかし、歌舞伎役者が金丸座に来て「役者の血が騒ぐ」と言う気持ちはなんとなく分りますねえ。

(H18・4・24)

(後記)この時の舞台については別稿「時代と世話」 ・「恐ろしいのはお前の心」をご覧下さい。

*この時の演目は、
第一部 「仮名手本忠臣蔵 五・六段目」、「浅妻船」「まかしょ」
第二部 「浮世柄比翼稲妻」「色彩間苅豆」

出演俳優:坂東三津五郎、市川亀治郎(現・猿之助)、市川海老蔵 他

*写真は吉之助が撮影したものです。



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