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名優たちの熊谷直実


本稿では、一連の「一谷嫩軍記・熊谷陣屋」論考で触れた熊谷直実役の名優たちの写真をいくつか紹介しながら、直実という役を考えてみたいと思います。

左の写真は九代目団十郎の「肚の熊谷」に対して、「形容の熊谷」と称された四代目芝翫の熊谷直実です。(注:「大芝翫」と呼ばれますが、念のため「ダイシカン」ではなくて・「オオシカン」と読みます。)今上演される「陣屋」の型はすべて九代目団十郎型が基本になっていて、四代目芝翫型はまったく上演されません。芝翫型は、人形浄瑠璃の演出から発した古風な型ですから、こうした堂々たる押し出しの風貌が舞台ではひときわ生きたのであろうと想像します。

写真では判然としませんが、芝翫の熊谷は、眉から目尻にかけての癇筋を濃い目に引くのが特長で、これを「芝翫筋」と呼びます。

この写真は舞台写真ではないですが、ご覧の通り、制札の見得のポーズをとっています。芝翫型の制札の見得は写真のように制札を上に向けて構えるのが型になっています。(芝翫型と団十郎型の制札の見得の意味については別稿「熊谷陣屋における型の混交」をご覧下さい。)

 

 

 

 

左の写真は、昭和前半の「熊谷陣屋」の規範ともいうべき初代吉右衛門の熊谷直実です。この吉右衛門の「陣屋」は団十郎型を基本としています。

近代思想の視点から古典芸能を読み直して、子を失った直実の悲しみにスポットを当てて演出を整理し直した団十郎型の「陣屋」をもっとも得意としたのが吉右衛門でした。形容の大きさで迫るというのではなく、きりりと引き締まった造形とシャープな切れ味で、等身大の人間の悲劇を舞台上に見事に再現しました。

団十郎型の制札の見得は、写真の通り、制札を下に向けて三段に突くのが型になっています。

 

 

 

 

 

戦後の「熊谷役者」と言えば、初代白鸚(八代目幸四郎)と二代目松緑の兄弟ということになりましょう。まず、左の写真は松緑の舞台。松緑の直実は義太夫味が濃く、例えば、藤の方が切りかかってきてこの腕をねじ上げますが、藤の方と知らされますと「ナニ藤の御方」と言って顔をみて驚き、飛び退いて平伏する箇所の糸に乗った面白さなどは格別でした。その分、人形味が濃かったと言えます。白黒写真ではよく分からないかも知れませんが、顔の赤みを強くして、いわゆる「芝翫筋」を通常よりかなり濃くしているメーキャップです。しかし、こうすると役は人形に近い印象になっていき、九代目団十郎型の創り出す等身大の直実像とのギャップを多少感じざるを得ません。(このことは別稿「熊谷陣屋」における型の混交」をご覧下さい。)

 

 

一方、左の写真は初代白鸚の直実の舞台です。写真で分かるようにほとんど素に近い印象のメーキャップです。九代目団十郎型の人間味のある直実像を追求していけば、メーキャップはやはりこうならざるを得ないだろうと 吉之助は考えます。

こうした素に近いメーキャップを採っているのが、初代吉右衛門系統の二人、白鸚(娘婿)と十七代目勘三郎(実弟)だけであるのは、それは単なる偶然ではないと思います。

しかし、今日の「陣屋」の直実役者のメーキャップを見ると「芝翫筋」をどぎつく引くのが約束みたいに見えます。それくらい「陣屋」に関する限りは、松緑(七代目幸四郎系統)の影響が強いということです。これは「良い・悪い」・「正しい・正しくない」ではなくて、メーキャップにも役の性根のとらえ方の違いが出てくることの事例であるとお考え下さい。

 

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