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監獄都市・江戸の都市構造

*本稿は別稿「かぶき者たちの心象風景」の関連記事です。


慶長8年(1603)に徳川幕府 が開府した時、まだ江戸はほとんど荒れ野原の状態でした。この無に近い状態を、幕府は約百年の歳月を掛けて大規模な運河建設をはじめとする土木工事で都市建設をしたのですが、その設計には家康の信任の厚かった寛永寺・座主(ざす)天海僧正の思想が色濃く反映されていま した。

左の図は、小松和彦・内藤正敏共著「鬼が作った国・日本」(カッパブックス)198頁から拝借しました。これは、京都を過去の国(つまり死の国)に見立て、江戸を現世の光の国に見立てるものです。天海僧正の唱える山王一実(さんのういちじつ)神道では、空=仏の形で現れたのが薬師如来、仮=人間の形で現れたのが徳川家康、中=神の形で現れるのが東照大権現ということになります。北にある日光東照大権現に守護された江戸は現世浄土であり、天皇の住む京都を「過去」に閉じ込めるという思想が隠されています。

東海道五十三次が「53駅」なのは、「華厳経」にある善財童子が53人の善知識に教えを乞うて、西方浄土への往生を願うという説話から来ているそうです。これだけだと京都が極楽浄土みたいな気がしますが、実はそうではなくて京都は 「光の中の闇(死)の国」にされているわけです。反対側の蝦夷地も仮想敵地として「闇のなかの闇の国」に位置付けられているということです。

 

 

同じような思想が江戸市街の設計の中にも取り入れられています。

上の図版は、内藤正敏著「東京〜都市の闇を幻視する」(名著出版)からの借用です。幕府は、都市設計のなかで譜代大名地・外様大名地・旗本御家人地・町人地を明確に分けて巧みに配置しました。そして、その外にふたつの「他界」(つまり死の地域)を配置しています。ふたつの他界はそれぞれ江戸城(光の国のお城)の鬼門・裏鬼門を結んだ線上にあり、一方は蝦夷地・ 他方は京都へ向いています。その線上に遊女宿・刑場などが対称的に配置されているのがお分かりでしょう。

江戸の二大悪所と言われた吉原遊郭と芝居小屋・それは徳川幕府によって「他界」として位置付けられた闇の地域でありました。かぶき者たちは、そこに押込められて、一般町人たちとの交流を厳しく制限されたのです。

ご注意いただきたいですのですが、本稿は「徳川・暗黒時代」説を復活しようというのではありません。このような制限された自由のなかでも、かぶき者たちは精一杯自由に生きたのです。そのことは、歌舞伎・浄瑠璃の舞台を見れば納得いただけるでしょう 。

しかし、「かぶき者の哀しみ」の正体にもちょっぴり目を向けていただきたいと思うのです。それが分かれば、歌舞伎の持つ「歪んだ美意識・立体性の喪失」の意味が見えて くるのではないでしょうか。

(参考文献)

桜井進:「江戸のノイズ―監獄都市の光と闇 (NHKブックス)

別稿「立体性のない演劇」もご参考にしてください。

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