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六代目菊五郎の「対面」の五郎


明治36年2月18日に五代目菊五郎が亡くなったことは歌舞伎界に大きな衝撃を与えました。しかし、九代目団十郎の斡旋により、すぐさま翌月には嫡子(実子)の丑之助が六代目菊五郎・兄(養子)の栄三郎が六代目梅幸を襲名することになります。披露狂言は「曽我対面」で、九代目団十郎が工藤を勤めました。この時の舞台は九代目団十郎のつきっきりの指導によるもので、これがほぼ定本になって現行の「対面」が出来上がっているのです。菊五郎にとって 九代目直伝の五郎は思い出深い・生涯大事な役になりました。

さて、左の写真は明治36年3月歌舞伎座の 襲名披露の「対面」での六代目菊五郎(五郎)と六代目梅幸(十郎)です。いかにも若々しく・力感のある形です。この写真は、若い二人が九代目の教えられた通りをそのまま守っているものですから、貴重なものだと思います。

印象に残るのは、工藤に挑みかかろうとする五郎(菊五郎)の形です。まず第一に、右肘が肩よりかなり高い位置になっていること、次に、切手を持った左手も肩より高く掲げられているということです。荒削りではありますが、非常に力感があって前進しようという意志が強く感じられます。しかし、現行の五郎役者だと、似たような形はしていますが、 右肘が肩よりずっと下がっている場合が多い。また、左腕も下がり気味の役者が少なくないようです。つまり、全体にダラーッとして力感がありません。これでは荒事になりません。

この工藤に挑みかかろうという・五郎の形ですが、じつは弓を引き絞って構えた形から来ています。弓をご経験の人なら分かりますが、弓を引く時は右肘を梃子のように使って体で引くのでして、 右肘が肩から下がったような形で弓を構えることなどあり得ません。右肘が下がっていると力が減殺されてしまうのです。つまり、菊五郎の五郎の右肘が上がった形は、全身にパワーがみなぎった・緊張が最高に高まった状態なのです。しかし、この形を長い間保つのはなかなか大変なことではあります。だからダラーッとしてしまうのですかね。

同様に十郎(梅幸)を見ると、これは右手を高く差し出して、体が前に乗り出し気味で、これは明らかに工藤の方へ近づこうとする五郎を力を入れて押し戻そうとしている形に違いありません。しかし、現行の十郎役者であると、ただ儀礼的に右手を添えているだけ、という感じがしないでしょうか。

左の写真は昭和14年3月歌舞伎座での「対面」で、六代目菊五郎の五郎・十五代目羽左衛門の十郎。この時の菊五郎はもう若くはありませんが、それでも 右肘は肩より高くなっていますし、左手の切手も肩より高く掲げられています。明治36年の若い時の荒削りな五郎よりずっと練れた感じにはなっていますが、菊五郎は九代目から教わったことはしっかり守っているのです。

六代目菊五郎 (1979年) (講談社文庫)

六代目 尾上菊五郎―全盛期の名人芸

 

 

 

 

 

下の写真は昭和12年12月歌舞伎座での「対面」で、若き日の二代目松緑の五郎・七代目梅幸の十郎です。六代目菊五郎の指導によるものであるのは明らかです。この松緑の五郎は、明治36年の若き日の菊五郎をよく写していると思いますが、ちょっと 左腕が下がり気味なのが残念。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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